2018年2月11日日曜日

 先日仕事で通り過ぎた熱海へ、今日はあらためて遊びとして花見に行った。
 熱海桜はほぼ満開で、桜祭が行われ、たくさんの人が訪れていた。花が下向きに咲くあたり、やはり寒緋桜が入っている。今日は暖かくて春をフライングゲットした気分だった。
 熱海梅園の梅もよく咲いていた。韓国庭園があった。森元と金大中がここを訪れたことを記念して作られたものだという。
 それでは「日の春を」の巻の続き。

 八十七句目。

   欅よりきて橋造る秋
 信長の治れる代や聞ゆらん  揚水

 織田信長は言うまでもなく戦国時代の人で始終戦争に明け暮れ、徳川の太平の世なんて想像もしなかったにちがいない。「らん」はこの場合反語に取った方がいいだろう。今は太平の世で、欅の木を集めて橋を作る。

 八十八句目。

   信長の治れる代や聞ゆらん
 居士とよばるるから国の児  文鱗

 信長というと森蘭丸との関係が有名で、バイセクシャルだったとされている。それに信長は中国かぶれで、朝鮮半島から中国全土を征服して中華皇帝になろうとした人だったから、「丸」ではなく「居士」と呼ばれる中国のお稚児さんを囲っていそうだな、ということか。
 前句を信長の治めていた時代にこんな噂が聞こえなかっただろうか、と取り成し、中国の稚児を囲っていたという噂を付ける。
 今では「居士」というと戒名くらいにしか使われないが、中国の文人などが仏教に傾倒しながらも在家にとどまるものを居士というようになり、コトバンクの「世界大百科事典 第2版の解説」には、

「中国では,唐・宋時代,禅がさかんになるとともに居士と称する人が漸増。龐居士,韓愈,白居易などがよく知られ,明代の《居士分灯録》,清の《居士伝》などの居士伝も選述されている。宋代の字書《祖庭事苑(そていじえん)》は,(1)仕官を求めず,(2)寡欲にして徳を積み,(3)富裕で,(4)道を守りみずから悟ることの4点をあげて,居士の定義としている。」

とある。信長が中華皇帝になっていたら、こうした人たちを稚児として侍らしていたとしてもおかしくない。

 八十九句目。

   居士とよばるるから国の児
 紅に牡丹十里の香を分て   千春

 中国の「居士」と呼ばれる文人なら牡丹を十里に渡って植えるようなこともしそうだ。まあ、「白髪三千丈」の国だから実際に十里なくても誇張してそういう詩を書きそうだ。

 九十句目。

   紅に牡丹十里の香を分て
 雲すむ谷に出る湯をきく   峡水

 十里の牡丹を花の雲に喩え、そこに湧き出る温泉があるとなれば、まさに極楽極楽。

 九十一句目。

   雲すむ谷に出る湯をきく
 岩ねふみ重き地蔵を荷ひ捨  其角

 岩山を地蔵を背負って運んでいたものの、その重さに耐えかねて地蔵は地面に落ちる。すると霊験あらたかにそこから温泉が湧き出てくる。ありがたやありがたや。

 九十二句目。

   岩ねふみ重き地蔵を荷ひ捨
 笑へや三井の若法師ども   コ斎

 これは「弁慶の引き摺り鐘」を本説にしたものだろうか。
 弁慶はその怪力でもって三井寺の鐘を背負って比叡山に持ってゆくが、そこで鐘を撞いてみると「いのー、いのー」と音がし、「いのー」は「去のう」で帰ろうという意味。そこで、「そんなに三井寺へ帰りたいのか」と谷底へ投げ捨てたという伝説が残されている。
 本説をとる場合は必ず少し変えなくてはいけないので、ここでは釣鐘ではなく地蔵にする。

2018年2月9日金曜日

 いよいよ平昌オリンピックも始まる。開会式どれが本当かCGか。この頃の技術はよくわからない。大量のドローンのコントロールの技術はおそらくインテルのもので、スーパーボウルでも用いられていたが、それよりもはるかに複雑になって精度の高いものになっている。
 伝統の踊りといかにも韓流アイドルといったヒップホップ系のダンスとの間が抜けていて連続しないあたりも、今の韓国文化の状況を象徴している。ちょっと前はラップとパンソリを融合しようなんてのもあったが。
 入場行進でのバミューダの人や上半身裸の人、寒い中でアンタは偉い。
 南北融和の演出はやはりこれでもかだった。
 これが夢に終らず、北朝鮮が早く核放棄して国際社会に復帰することを願い(と、この鈴呂屋俳話も政治的に)「日の春を」の巻の続きを。

 名表、七十九句目。

   あるじは春か草の崩れ屋
 傾城を忘れぬきのふけふことし 文鱗

 前句の崩れ屋を遊女に入れ込んだ挙句の果てとした。春を三句続けなくてはいけないので、「けふことし」で無理矢理歳旦の言葉を入れて春にしている。

 八十句目。

   傾城を忘れぬきのふけふことし
 経よみ習ふ声のうつくし   芳重

 傾城の遊女もいろいろなことがあったのか、今は出家してお経を読んで日々を過ごすが、そこはかつての傾城の美女。その声はやはり美しい。

 八十一句目。

   経よみ習ふ声のうつくし
 竹深き笋折に駕籠かりて   挙白

 竹林の奥深く、筍を掘りに行くとどこからか経を読む美しい声が聞こえてくる。
 『竹取物語』の最初の場面を踏まえているのだろう。「駕籠かりて」は「妻の嫗に預けて養はす。美しきことかぎりなし。いと幼ければ籠に入れて養ふ。」からの発想か。ただ、ここではただ読経の声が聞こえただけで、駕籠には筍を載せて持ち帰ったのだろう。

 八十二句目。

   竹深き笋折に駕籠かりて
 梅まだ苦キ匂ひなりけり   コ斎

 筍を掘る頃は梅もまだ熟してなくて苦い匂いがする。

 八十三句目。

   梅まだ苦キ匂ひなりけり
 村雨に石の灯ふき消ぬ    峡水

 前句の「苦き」を捨てて梅の花の匂いとする。石灯籠の火が消えて庭が真っ暗になると雨の匂いの中にかすかに梅の匂いが混じって、それが苦く感じられるということか。

 八十四句目。

   村雨に石の灯ふき消ぬ
 鮑とる夜の沖も静に     仙化

 「石の灯」を灯台にして、火が消えたから鮑取る海女も帰ってしまい静かになる。

 八十五句目。

   鮑とる夜の沖も静に
 伊勢を乗ル月に朝日の有がたき 不卜

 鮑といえば伊勢。

 伊勢の海女の朝な夕なにかづくちふ
     鮑の貝の片思ひにして
              よみ人知らず(万葉集)

の歌もある。
 前句を静かに進む船として、月と朝日に照らされて無事伊勢に辿り着いたことを有り難いという。

 八十六句目。

   伊勢を乗ル月に朝日の有がたき
 欅よりきて橋造る秋    李下

 切り出した欅の木を筏にして伊勢まで運び、伊勢神宮に橋を架ける。「秋」は放り込み。

2018年2月8日木曜日

 今日たまたま仕事で熱海の方へ行ったが、桜が咲いていた。河津桜がもう咲いているのかと思ったら、「あたみ桜」という河津桜よりも早咲きの種類だという。
 今年はどこの梅も遅いらしい。河津桜も遅れているという。日本も寒いが平昌はもっと寒いんだろうな。暖房が壊れてたりバスは来なかったり、日本選手には殊更寒そうだ。まあ、アメリカ映画でもそうだが、ハンディを背負ってもそれでも勝つというのが最高にかっこいい。期待しよう。
 それでは「日の春を」の巻の続き。

 七十五句目。

   萩さし出す長がつれあひ
 問し時露と禿に名を付て   千春

 「禿(かむろ)」はウィキペディアに、

 「禿(かむろ、かぶろ)は遊女見習いの幼女をさす普通名詞。
 本来はおかっぱの髪型からつけられた名であるが、時代と共に髪を結うようになってからも、遊郭に住み込む幼女のことをかむろと呼んだ。7 - 8歳頃に遊郭に売られてきた女子や、遊女の産んだ娘が該当する。最上級の太夫や、または花魁と呼ばれた高級女郎の下について、身のまわりの世話をしながら、遊女としてのあり方などを学んだ。」

とある。
 前句の長を遊女のこととし、その連れ合いのかむろの名前を聞かれた時、咄嗟に「露」と答えて、その場の名前とした。まあ、「露(仮)」といったところか。『伊勢物語』の、

 白玉か何ぞと人の問ひしとき
     露と答へて消えなましものを
               在原業平

の歌を踏まえて遊女が洒落てみたもので、元歌の意味と何の関係もないので、本歌や本説ではない。

 七十六句目。

   問し時露と禿に名を付て
 心なからん世は蝉のから   朱絃

 この付け句だと、前句と合わせて『伊勢物語』の本説となる。
 本説をとる場合、元ネタと少し変えなくてはならない。変えなければただのパクリだ。
 遊女はかむろを連れて逃げたもののかむろは連れ戻されてしまう。そこでなんと心無い世の中だ、まるで蝉の抜け殻のようだ、と結ぶ。
 「蝉のから」は空蝉ともいう。

 七十七句目。

   心なからん世は蝉のから
 三度ふむよし野の桜芳野山  仙化

 花の定座なので、前句の心に違えて心ある芳野山を出す。ただ、通常は「花」という文字を入れなくてはいけない。
 これより後の元禄三年の秋、『猿蓑』にも収録された「灰汁桶の」の巻の興行の時、去来は芭蕉に、この花の定座は桜に変えようかと提案する。このときのことは『去来抄』に記されている。

 「卯七曰、猿みのに、花を桜にかへらるるはいかに。
 去来曰、此時予花を桜にかへんといふ。先師曰、故はいかに。去来曰、凡花は桜にあらずといへる、一通りはする事にて、花婿茶の出はな抔も、はなやかなるによる。はなやかなりと云ふも據(よるところ)有り。必竟花はさく節をのがるまじと思ひ侍る也。先師曰、さればよ、古は四本の内一本は桜也。汝がいふ所もゆひなきにあらず。兎もかくも作すべし。されど尋常の桜に替たるは詮なし。糸桜一はひと句主我まま也と笑ひ給ひけり。」 (岩波文庫『去来抄・三冊子・旅寝論』P,54~55)

 「四本の内一本は桜」という規則はいつ頃の何によるのかはよくわからない。連歌の式目『応安新式』では花は一座三句で、似せ物の花(比喩としての花)を入れて四句になっている。宗祇の時代の『新式今案』では、花は一座四句になる。ただ、ここでは三の懐紙の花を桜にしているから、「四本の内一本は桜」という芭蕉の知っているルールに従っているのであろう。
 ちなみの芭蕉の貞門時代の貞徳翁十三回忌追善俳諧「野は雪に」百韻の七十七句目は「一門に逢や病後の花心 一以」で、似せ物の花になっている。談林時代の延宝三年、宗因が江戸に来たときの「いと涼しき」百韻も、九十九句目が「そも是は大師以来の法の花 似春」で、やはり似せ物の花になっている。
 「花」は昔は一座三句だったし、一座四句になったといっても四句詠まなくてはいけないというものではない。だから、別に似せ物の花の句を入れなくても違反にはならない。百韻一巻に四花八月というのは式目にはないし、そもそも「定座」自体が式目にはない。戦国時代末期に習慣として定着したものだろう。
 三度(みたび)来てもやはり吉野の桜はすばらしく、人を圧倒するものがある。「よしの」を重複させることで、「よしの」が「良し」にかけて用いられることを意識させる。

 七十八句目。

   三度ふむよし野の桜芳野山
 あるじは春か草の崩れ屋   李下

 三度目の吉野来訪で、以前尋ねた草庵に行ってみたら空き屋になっていた。高齢でお亡くなりになったのか、あるじはなく、春だけがあるじか、と在原業平の「月やあらぬ」の心を感じさせる。

2018年2月7日水曜日

 もうすぐオリンピックが始まるが、今回はなにやら競技そっちのけの政治の匂いがぷんぷんする。南北融和と反日、それが今度のオリンピックのテーマなのか。
 ところで、日韓の対立を煽っているのが誰かという問題で、ヒントを少々。
 日本の左翼は、侵略戦争の原因を帝国主義論に基づいて、資本主義社会の必然だとしてきた。
 日本の左翼は戦後の植民地の独立などの動きを資本主義社会の変化としてではなく、あくまで米ソ対立への移行と捉え、アメリカを「米帝」と呼び、反米闘争を行った来た。
 日本の左翼は資本主義の世の中が続く限り日本は再び侵略戦争を起こすとし、平和のためには革命が不可欠だとしてきた。
 安倍政権に限らず、日本の左翼は一貫して歴代日本の首相に対し、軍国主義を復活させ、再び悲惨な戦争を起こすものであると批判し、糾弾してきた。
 日本の左翼はこの革命のために、常に外圧を利用してきた。日本政府が軍国主義を復活させ、再び戦争を始めようとしていることを、ことあるごとに世界に説いて回っていた。もちろんそこには韓国、北朝鮮、中国も含まれる。
 そのために、日本の左翼は旧日本軍の残虐性を実際以上に誇張し、その世界に類を見ない残虐さを、日本人が残虐な原始的衝動を抑えられない劣等民族であるからだと言い広めてきた。
 日本人は劣等民族だから、当然オリジナルの文化なんてものはなく、全て中国や朝鮮半島からの借り物だということも言い広めてきた。
 80年代に遠藤みちろう率いるザ・スターリンというバンドが、「おいらは悲しい日本人/西に東に文明乞食/北に南に侵略者」と唄っていた。タイトルは「stop jap」。こういう劣等民族観は日本の左翼の間では常識的なものだった。
 さて、これを信じてしまった韓国人は日本人をどう思うだろうか。戦争のことをいくら謝罪して、これからよりよい未来を作ろうと言っても信用するわけがない。日本という国そのものが消滅し、日本人がこの世から消え去る以外に解決策はない、と思うにちがいない。
 それだけではあるまい。その劣等民族に何で自分たちが勝てないのかと思い、そこで焦り、死に物狂いで勉強し働いて過酷な競争社会(ヘル・チョソン)を作り出している。これも日本人がいるからだ、ということになる。
 まあ、これはあくまで吹き込まれたイメージで、実際に日本人や日本文化に接すれば、なんか変だとは思うだろう。日本人も韓国人もほとんどの人はこんなことはみんな馬鹿げていると思っているだろう。だが、双方に少数ではあるが冗談ですまない人たちがいる。
 そう思えば、日本と韓国の間で何が問題なのか理解できるのではないかと思う。
 こやんも両親が日教組の教員で、典型的な左翼の家庭で育ったから、左翼の考え方はよくわかる。
 それでは「日の春を」の巻の続き。なかなか進まないし、さすがに百韻は長い。

 七十一句目。

   おもひあらはに菅の刈さし
 菱のはをしがらみふせてたかべ嶋 文鱗

 本歌は、

 秋萩をしがらみふせて鳴く鹿の
     目には見えずて音のさやけさ
             よみ人知らず(古今集)

で、萩を菱に、鹿を高部に変えている。
 高部はコトバンクの「動植物名よみかた辞典 普及版の解説」に「動物。ガンカモ科の鳥。コガモの別称」とある。
 菱の葉の上に伏せる水鳥の哀れさに、菅を刈るのを途中でやめ、邪魔しないようにする。

 七十二句目。

   菱のはをしがらみふせてたかべ嶋
 木魚きこゆる山陰にしも   李下

 舞台を山の影にある寺のあたりとする。「たかべ」に「山陰」は、

 吉野なる夏実の河の川淀に
     鴨ぞ鳴くなる山かげにして
               湯原王(万葉集)

の縁。

 七十三句目。

   木魚きこゆる山陰にしも
 囚をやがて休むる朝月夜   コ斎

 「めしうと(囚)」は元の意味は召された人で、古くは舞楽をする人や貴族の私宅にかこってる女などを言ったが、やがて囚人の意味になった。ここでは、捕らえた盗賊の一味を山陰の岩屋か何かに閉じ込めていたのだろうか。朝になり、月は傾き、どこからか朝のお勤めの声が聞こえてくると、盗賊も脱走をあきらめ眠りに落ちる。

 七十四句目。

   囚をやがて休むる朝月夜
 萩さし出す長がつれあひ   不卜

 囚人と言ってもそんなに悪い人ではないか、無実の罪で捕らえられたか、村長の妻が少しばかり情けをかける。「月」に「萩」は付き物。

2018年2月5日月曜日

 「こやん」は韓国語で猫のことだが、これはちょうど八十八年のソウルオリンピックの頃に、その後の韓流ブームに先行するような韓国ブームがあり、又ちょうどその頃多言語のラボ活動にはまってたということもあってこんな名前をつけてしまっただけで、少なくとも自分の知る限り先祖に韓国・北朝鮮の国籍の人はもとより、他の外国人もいない。母方は奄美大島だが、まあこれは日本人といっていい。つまり純粋な日本人ということになる。
 ソテジ・ワ・アイドルの「ナン・アラヨ」に韓国のラップに興味を持ち、DEUXや朴善美とかも聞いた。
 その後、音楽の好みがヒップホップからメタルに変わったが、gostwind、gaia、sad legendなど、韓国にはいいバンドがたくさんある。mad fretとdark mirror ov tragedyは実際にライブを見た。アイドルだけが韓流ではないと言いたい。
 「嫌韓」は日本でもほんの一部の人のことだと思うし、多分韓国の「反日」も一部の人だと思う。慰安婦の少女像の前でデモしている人もそんなにたいした人数ではないし、日本の在特会のデモだってたいした人数ではない。その少数の活動を、テレビやネットがあたかも国全体に蔓延する大きな動きであるかのように煽り立てて、結局それが嫌韓・反日のムードを作っているだけなんだと思う。
 日本のいわゆるパヨクが根も葉もない「安倍が侵略戦争を企てている」というデマを流して、それを韓国人が真に受けて北朝鮮よりも日本の方が脅威だなんて思っているなら悲しいことだ。対立を煽っているのが誰なのか、敵を見誤らないようにしたい。
 沖縄の問題でもそうだ。対立を煽っているのは誰なのか、間違えてはいけない。小生も非力ながらアジアの平和を祈っている。
 それでは「日の春を」の巻の続き。

 六十七句目。

   梅はさかりの院々を閉
 二月の蓬莱人もすさめずや  コ斎

 蓬莱山は東の海にある神仙郷で、正月には米を山のように盛り、裏白やユズリハや乾物などを乗せた掛蓬莱を飾った。
 二月に入っても掛蓬莱を飾ることがあったのかどうかはよくわからない。
 ここでは前句の梅を二月(きさらぎ)の蓬莱と呼んだのかもしれない。梅の枝は蓬莱の玉の枝のようでもあり、それを愛でずにお寺の門を閉ざしているのを見て、二月にも蓬莱があるのに心を寄せることがないのだろうか、となる。
 「すさぶ」「すさむ」は心の趣くままにという意味で、「すさめ」はその他動詞形。

 六十八句目。

   二月の蓬莱人もすさめずや
 姉待牛のおそき日の影    芳重

 蓬莱から来る正月様は牛に乗ってやってくる。

 誰が聟ぞ歯朶に餅おふうしの年  芭蕉

は貞享二年、『野ざらし紀行』の旅の途中、故郷の伊賀で正月を迎えたときの句だ。
 二月の牛はそんな正月の牛のように心引かれることもなく、ただ待っている姉の元へゆっくりと歩いて行く。それはまるで遅日の歩みのようだ。

 六十九句目。

   姉待牛のおそき日の影
 胸あはぬ越の縮をおりかねて 芭蕉

 「胸あはぬ」は、

 錦木は立てながらこそ朽ちにけれ
     けふの細布胸合はじとや
               能因法師
 みちのくのけふの細布程せばめ
     胸あひがたき恋もするかな
               源俊頼

などの用例がある。「狭布(けふ)の細布」は幅が細いため、着物にしようとすると胸が合わないところから、逢うことのできない恋に掛けて用いられた。
 「越後縮(えちごちぢみ)」はウィキペディアの「越後上布」の項に、

 「現在では新潟県南魚沼市、小千谷市を中心に生産される、平織の麻織物。古くは魚沼から頚城、古志の地域で広く作られていた。縮織のものは小千谷縮、越後縮と言う。」

とある。「縮織(ちぢみおり)」はコトバンクの「大辞林第三版の解説」によれば、

 「布面に細かい皺(しぼ)を表した織物の総称。特に、緯よこ糸に強撚糸を用いて織り上げたのち、湯に浸してもみ、皺を表したもの。綿・麻・絹などを材料とする。夏用。越後縮・明石縮など。」

だという。
 前句の「牛」から牽牛・織姫の縁で、狭布(けふ)の細布ならぬ越後縮みを折る女性を登場させたのだろう。
 ただ、ここでは胸が合わないのは元々細い布だからではなく、多分皺をつけるときに縮みすぎたのだろう。なかなか思うような幅に織れなくて、牽牛は延々と待たされている。

 七十句目。

   胸あはぬ越の縮をおりかねて
 おもひあらはに菅の刈さし  枳風

 菅(スゲ)は笠や蓑を作るのに用いられる。「刈さし」は刈ろうとしてやめる。女は逢うことのできない恋に縮みを折りかね、男は菅を刈ろうにも手につかづ、思いをあらわにする。相対付け。

2018年2月4日日曜日

 今日は松田町の寄(やどりき)ロウバイ園へ蝋梅を見に行った。朝は曇っていて、わずかだが雨が降った。蝋梅は見頃でいい香りがした。
 立春だが相変わらず寒い。
 それでは「日の春を」の巻の続き。

 六十三句目。

   にくき男の鼾すむ月
 苫の雨袂七里をぬらす覧     李下

 「苫」は古語辞典によれば「スゲ・カヤなどの草を編んだ薦(こも)。小屋の屋根・周囲や船の上部などを覆うのに使う。」とある。
 「苫」に「ぬらす」とくれば、百人一首でもおなじみの、

 秋の田のかりほの庵の苫をあらみ
     わが衣手は露にぬれつつ
               天智天皇

の歌が思い浮かぶ。「苫は雨」本当の雨ではなく苫から漏れ落ちる露のことで、涙を象徴する。
 にくき男が月のある夜に鼾をかいて寝ていても、我が袖は袂七里を濡らすかのようだと、白髪三千丈的な大げさな表現をする。七里を旅する男の句で、「にくき男」はこの場合恋敵か。

 六十四句目。

   苫の雨袂七里をぬらす覧
 生駒河内の冬の川づら    揚水

 生駒山の西側は河内の国、そこを流れる川というと恩智川だろうか。恩智川は小さな川だが、生駒山のほうからたくさんの水が流れ込むため、しばしば氾濫を起こした。
 この句は生駒の袂にある河内の冬の川は、雨が降ると七里に渡って氾濫を起こす、という意味か。

 三裏、六十五句目。

   生駒河内の冬の川づら
 水車米つく音はあらしにて  其角

 このあたりは米屋が多かったのだろうか。川の水で水車を廻し一斉に精米作業を行う。その音はまるで嵐のようだ、と。

 六十六句目。

   水車米つく音はあらしにて
 梅はさかりの院々を閉    千春

 「院」はこの場合僧の住居を兼ねた小寺院のことか。水車の音がうるさくて、せっかく梅の咲いた寺院も閉じて静かな所に行ってしまった、ということか。

2018年2月3日土曜日

 一昨日から昨日にかけての雪はたいしたことなくてすんだ。
 今日は節分で、一応豆まきをして恵方巻を食べた。世間では恵方巻の大暴落が伝えられている。確かにあれは最近になって大阪の海苔業界とセブンイレブンの陰謀で作られた行事だが、それを言えば初詣は電鉄会社の陰謀だし、ハローウィンのお菓子配りもアメリカの製菓会社の陰謀だし、行事なんてのは最初はたいした意味のなかったものが、後付でいろいろと理由が付けられてできてくようなところはある。
 トカラ列島の宝島に油が流れ着いているという。一ヶ月近くも前の(一月六日の)タンカー事故が今になって何だかとんでもないことになっているような。

 それでは「日の春を」の巻の続き。
 五十九句目。

   親と碁をうつ昼のつれづれ
 餅作る奈良の広葉を打合セ    枳風

 「奈良」とあるが「楢」であろう。「楢の広葉」は古歌に用例がある。

 朝戸あけて見るぞさびしき片岡の
     楢のひろ葉にふれる白雪
              源経信(千載集)

 ただ、ここでは餅に巻く楢の葉のことで、柏餅を楢柏で代用することもあったようだ。「木花-World」というサイトには、「奈良県内にはカシワは少なく、ナラガシワで柏餅を作るそうです。」とある。
 カシワの葉は新芽が育つまでは古い葉が落ちないことから、子孫繁栄を表わすといわれていて、前句の「親と碁をうつ」という親子仲睦ましい雰囲気を受けている。
 柏餅はもとは葉を食器代わりに用いていた時代に、強飯や餅を木の葉の上に乗せたところからきたと思われる。Mengryというサイトによれば、

 「江戸時代に俳人として有名だった齋藤徳元がまとめた書物「拝諧初学抄」において、1641年のものには5月の季語として「柏餅」が記載されていませんでした。
 ところが、1661年から1673年にかけて成立した「酒餅論(しゅべいろん)」では、5月の季語として柏餅が紹介されていたからです。
 そのため、柏餅が端午の節句の食物として定着したのは、1641年以降だと考えられます。」

だそうで、これだと芭蕉の時代には既に端午の節句の桜餅が定着していたことになる。あるいは「柏餅」という季語を避けるために「楢の葉」としたのかもしれない。
 齋藤徳元については2017年11月21日の日記でもちょこっと触れている。貞門の俳人で、あの斎藤道三の曾孫で、織田信長、織田秀信に仕え、徳川の世になって江戸の市井の人となり和歌の教師をやっていた。

 六十句目。

   餅作る奈良の広葉を打合セ
 贅に買るる秋の心は     芭蕉

 「贅(にへ)」は古語辞典によれば「古く、新穀を神などに供え、感謝の意をあらわした行事」とあり、「新穀(にひ)」と同根だという。それが拡張されて朝廷への捧げものや贈り物にもなっていった。
 前句の「餅作る」を端午の節句の柏餅ではなく神に供える新穀とし、「奈良」を楢ではなく文字通りに奈良の都とする。「広葉を打合セ」を捨てて、奈良で餅を作り新穀として献上するために買われてゆくのを「秋の心」だなあ、と結ぶ。

 六十一句目。

   贅に買るる秋の心は
 鹿の音を物いはぬ人も聞つらめ  朱絃

 秋の心といえば鹿の声。わかりやすい。

 六十二句目。

   鹿の音を物いはぬ人も聞つらめ
 にくき男の鼾すむ月     不卜

 鹿の妻問う声の切なさをアンタにも聞いてもらいたいものだ。鼾かいて寝やがって、と恋に転じる。「月」は放り込み。