コロナが五月くらいには終息するなら、これまで被害を受けてきた観光業、畜産業(特に和牛)、イベント関連、ライブハウス、ミュージシャンなどに個別の補償をするという考え方は正しい。
ただ、これが一年二年、あるいは数年に及ぶかもしれないとなれば、今後被害はあらゆる業種に及ぶことになる。声の大きい特定の業種だけに補償を行えば、不満も出てくるだろう。かといって、すべての業種を補償するとそれだけで国家が破綻しかねない。
五月終息なら、景気回復のための商品券でもいいかもしれないが、終息しないなら国内に多くの失業者があふれ、まず必要なのは現金ということになる。
基本的には一律にお金を配るのが一番いい。なぜなら、社会が混乱する時に細かい事務手続きや審査に人手を廻すわけにはいかないからだ。これから起こる数々の不幸の前には、過去の年収なんてのもあまり意味はない。
長期化すれば定期的に行う必要が出てくるから、ほぼなし崩し的にベーシックインカムになってゆくのではないかと思う。
その間に産業の方でAIとロボットによる無人化と商取引のオンライン化を推し進め、経済を再生していかなくてはならない。教育もオンライン化が急務だ。
何のことない。これまで想定された未来社会を前倒しに実行して行けば良いだけだ。今は崖っぷち、明日は奈落の底かもしれないが、それでも明日を信じる。昔から人類はそうして来た。氣志團ではないが、行こうぜ、コロナの向こうへ。
台風の尋常でない夕月夜
ブルーシートの脇は芭蕉葉
それでは「兼載独吟俳諧百韻」の続き。
四十三句目。
徒然そうにも文をこそよめ
ふりよくする憂身の上に恋をして 兼載
「ふりよく」がわからない。おそらく「ふりょく」か「ぶりょく」で、憂身に掛かるからあまり良いことではないのだろう。とすると「無力(ぶりょく)」ではないか。
コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「① (形動) 力がないこと。また、そのさま。むりょく。
② (形動) 資力のないこと。貧しいこと。乏しいこと。また、そのさま。貧困。むりょく。〔文明本節用集(室町中)〕
③ (━する) 財産を失うこと。貧乏すること。
※ロザリオの経(1623)四「ツイニワ buriocu(ブリョク) シケルユエニ」
とあり、③に「無力する」という言い回しがあることが記されている。
つまりこの句は「財産を失った憂身の上に恋をして」となる。
前句の「徒然」にはしんみりと物思いに沈むという意味もある。
四十四句目。
ふりよくする憂身の上に恋をして
涙にぬるる紙きぬの袖 兼載
「紙きぬ」は紙子のことであろう。
前に「守武独吟俳諧百韻」のところで、「近世になると紙が安価になったため、貧乏人の衣裳となったようだが、守武の時代はどうだったかはわからない。紙が貴重だった時代はそれなりに高価だっただろう。」と書いたが、それでも布よりは安かったか。
紙子をぼろぼろになるまで着ればいかにも乞食という感じがする。そのことは二月四日の俳話にも書いた。ただ、そこまでいかなくても貧しいというイメージはあったのだろう。
兼載の時代で紙子が「無力する」のイメージだったなら、考えを改めなくてはいけない。
四十五句目。
涙にぬるる紙きぬの袖
哀にも時守は尼におくれつつ 兼載
「時守(ときもり)」はコトバンクの「大辞林 第三版の解説」に、
「宮中で、漏刻を守り時刻を報ずることをつかさどった役人。陰陽寮おんようりように属した。守辰丁しゆしんちよう。」
とある。
ただ、それが尼に先立たれるというのは意味がよくわからない。「時守」には別の意味があったか。あるいは時宗の僧の意味での「時衆(じしゅう)」か。
四十六句目。
哀にも時守は尼におくれつつ
西にむかひておどりはねけり 兼載
時守が時衆なら、念仏踊りのことで意味が通じる。この場合、前句の「おくれつつ」は尼の後ろに付いて踊るという意味になる。
四十七句目。
西にむかひておどりはねけり
東より都にのぼるおくの駒 兼載
陸奥(みちのく)の駒は元気がいいのか、都に上る道すがら踊り跳ねている。
四十八句目。
東より都にのぼるおくの駒
あふさかやまをはひこへぞする 兼載
逢坂山はコトバンクの「世界大百科事典 第2版の解説」に、
「相坂山とも書く。滋賀県大津市西部と京都市山科区を境する山。標高325m。古来,畿内の北東を限る交通の要衝に位置するため逢坂関が置かれた。山の南北に峠道が通じ,北側は小関越(古代の北陸道),南側は旧東海道をほぼ踏襲して国道1号線,名神高速道路,京阪電鉄京津線が通過する。山の下を東海道本線と湖西線がトンネルで抜けている。近世,大津から京都へ北国米を運搬するため,峠の急坂に花コウ岩を並べた舗装道路がつくられた。」
とある。室町時代までは馬が這うようにして登るほどの急坂があったか。
四十九句目。
あふさかやまをはひこへぞする
蝉丸の杖をば人にうばはれて 兼載
逢坂山といえば、
これやこの行くも帰るも別れては
知るも知らぬも逢坂の関
蝉丸(後撰集)
が有名だが、謡曲『蝉丸』では盲目のため帝の命により逢坂山に捨てられるときに、蓑と笠と杖をもらう。
その杖を奪われたなら、目の不自由な蝉丸は逢坂山を這って登らなくてはならない。
五十句目。
蝉丸の杖をば人にうばはれて
手もちわるくも独ただぬる 兼載
「手もちわるく」はweblio辞書の「三省堂 大辞林 第三版」に、
「〔中世・近世の語〕
①手持ち無沙汰で、恰好(かつこう)がつかない。 「聞き入るる耳がないと愛想なければ-・く/浄瑠璃・平家女護島」
②人との折り合いが悪い。 「アノ人ワ-・イ/日葡」
とある。
杖がなければ恰好がつかないし、奪われたとなれば疑い深くもなり、人を避けるようにもなる。ゆえに独り唯寝る。
2020年3月31日火曜日
2020年3月30日月曜日
また日常が戻ってきた。ただ、年度末の月曜日にしては静かな方か。
今日はあちこちでトイレットペーパーが積んであるのを見た。もうオワコンなのかな。そういえばカップ焼きそばが山のように積んであるコンビにもあった。
コロナが蔓延するよりもずっと前から、ユーチューバーがたくさんいたり、宅録系のミュージシャンが活躍していたりしたが、コロナを一つの契機に、これからの芸術は自宅から自宅へというのがキーワードになるのかもしれない。「自宅から自宅へ」ではダサいから、何かかっこいい英語の言い回しがあればいいんだが。
従来の大勢の人を一箇所に集める劇場型の芸術ではなく、ネットを媒介とした新しい芸術の波は既に起きている。コロナはそれを加速させ、芸術そのものを変えてゆく可能性を持っている。
かつての黒死病が中世を終らせルネッサンスへの扉を開いたように、コロナも文明を新たな段階へと導くのかもしれない。
人が死んでゆくのはどうしようもなく悲しいけど、何かやはりポジティブに考えたいね。
見れば真っ赤に燃え上がる空
台風の尋常でない夕月夜
それでは「兼載独吟俳諧百韻」の続き。
二裏。
三十七句目。
留守におかるる身こそつらけれ
猿楽の笛と太鼓を聞計 兼載
室町時代では能と狂言をひっくるめて「猿楽」と言った。庶民から貴族に至るまで国民的な娯楽だった。
見に行きたいのに自宅で留守番を命ぜられ、遠い笛や太鼓の音だけを聞くのは寂しい。
三十八句目。
猿楽の笛と太鼓を聞計
うたへどさらに声ぞしいける 兼載
「しふ」はこの場合は「癈ふ」で、weblio古語辞典の「学研全訳古語辞典」に、
「目や耳などの感覚がまひする。身体の器官がだめになる。老いぼれる。」
とある。
声が衰えて歌が聞こえず笛と太鼓だけが聞こえる。なんだかボーカルの弱いロックバンドみたいだ。
三十九句目。
うたへどさらに声ぞしいける
庭鳥の尾もなき程に年ふりて 兼載
鶏も年取れば声が衰える。
四十句目。
庭鳥の尾もなき程に年ふりて
尻のまはりはみられざりけり 兼載
鶏には立派な尾があるが、それがないとなりゃ確かにみすぼらしい。見れたもんではない。
四十一句目。
尻のまはりはみられざりけり
小児達窓より顔をさし出し 兼載
「小児達」は「ちごら」か。
窓から顔を出しているのだから顔だけで、肝心の尻は見えない。ホモネタ。
四十二句目。
小児達窓より顔をさし出し
徒然そうにも文をこそよめ 兼載
字数からしてこの場合は「つれづれ」ではなく「とぜん」か。「退屈そうに」という意味だが、この場合は相手がいないならというニュアンスか。
今日はあちこちでトイレットペーパーが積んであるのを見た。もうオワコンなのかな。そういえばカップ焼きそばが山のように積んであるコンビにもあった。
コロナが蔓延するよりもずっと前から、ユーチューバーがたくさんいたり、宅録系のミュージシャンが活躍していたりしたが、コロナを一つの契機に、これからの芸術は自宅から自宅へというのがキーワードになるのかもしれない。「自宅から自宅へ」ではダサいから、何かかっこいい英語の言い回しがあればいいんだが。
従来の大勢の人を一箇所に集める劇場型の芸術ではなく、ネットを媒介とした新しい芸術の波は既に起きている。コロナはそれを加速させ、芸術そのものを変えてゆく可能性を持っている。
かつての黒死病が中世を終らせルネッサンスへの扉を開いたように、コロナも文明を新たな段階へと導くのかもしれない。
人が死んでゆくのはどうしようもなく悲しいけど、何かやはりポジティブに考えたいね。
見れば真っ赤に燃え上がる空
台風の尋常でない夕月夜
それでは「兼載独吟俳諧百韻」の続き。
二裏。
三十七句目。
留守におかるる身こそつらけれ
猿楽の笛と太鼓を聞計 兼載
室町時代では能と狂言をひっくるめて「猿楽」と言った。庶民から貴族に至るまで国民的な娯楽だった。
見に行きたいのに自宅で留守番を命ぜられ、遠い笛や太鼓の音だけを聞くのは寂しい。
三十八句目。
猿楽の笛と太鼓を聞計
うたへどさらに声ぞしいける 兼載
「しふ」はこの場合は「癈ふ」で、weblio古語辞典の「学研全訳古語辞典」に、
「目や耳などの感覚がまひする。身体の器官がだめになる。老いぼれる。」
とある。
声が衰えて歌が聞こえず笛と太鼓だけが聞こえる。なんだかボーカルの弱いロックバンドみたいだ。
三十九句目。
うたへどさらに声ぞしいける
庭鳥の尾もなき程に年ふりて 兼載
鶏も年取れば声が衰える。
四十句目。
庭鳥の尾もなき程に年ふりて
尻のまはりはみられざりけり 兼載
鶏には立派な尾があるが、それがないとなりゃ確かにみすぼらしい。見れたもんではない。
四十一句目。
尻のまはりはみられざりけり
小児達窓より顔をさし出し 兼載
「小児達」は「ちごら」か。
窓から顔を出しているのだから顔だけで、肝心の尻は見えない。ホモネタ。
四十二句目。
小児達窓より顔をさし出し
徒然そうにも文をこそよめ 兼載
字数からしてこの場合は「つれづれ」ではなく「とぜん」か。「退屈そうに」という意味だが、この場合は相手がいないならというニュアンスか。
2020年3月29日日曜日
今日は明け方までは雨だったが朝になって雪に変わった。昼過ぎまで降って、ほんの少し積もり雪景色になった。
子供の頃のおぼろげな記憶では四月に雪が降ったこともあった。多分1969年4月17日の雪だろう。このときの雪は高田渡が「春まっさい中」という歌で唄っている。
一日お籠りするにはちょうどいい雪だった。街も静かだっただろう。明日はまたあの人混みと渋滞が戻って来るのかな。
コロナ退散祈願俳諧(仮)、六句目。
ドアに立つおやじ動こうともしない
見れば真っ赤に燃え上がる空
それでは「兼載独吟俳諧百韻」の続き。
二十九句目。
鋤持人はおほはらの里
秋は只よろづの物をくばはれて 兼載
旧暦八月一日の八朔は室町時代に既に公式行事になっていたという。大原の里でも鋤が配られたたか。
三十句目。
秋は只よろづの物をくばはれて
さるのかしらは紅葉しにけり 兼載
秋から紅葉の景色に逃げるが、そこは俳諧なので猿の顔を紅葉に喩える。
三十一句目。
さるのかしらは紅葉しにけり
露時雨ひつじの時や晴ぬ覧 兼載
時雨は冬だが「露時雨」だと秋になる。未の刻は午後二時頃。
なぜ未かというと、前句の「さるのかしら」を申の刻の頭に取り成しているからだ。
未の刻までは晴れていたのに、申の刻には時雨となって紅葉が雨露に色鮮やかに染められてゆく。
なお、会津の「さんさ時雨」はこれより後の時代、伊達政宗の頃に始まる。
三十二句目。
露時雨ひつじの時や晴ぬ覧
いそぐあゆみに捨るみのかさ 兼載
未の刻までは晴れていたが、突然の時雨にどこかの家に駆け込み、やれやれと蓑笠を脱ぐ。
三十三句目。
いそぐあゆみに捨るみのかさ
鬼だにも仏をみれば逃ぞする 兼載
大江山の酒呑童子は元々比叡山に住んでいたが、最澄が延暦寺を建てたことで逃げ出して、大江山に移り住んだという。
三十四句目。
鬼だにも仏をみれば逃ぞする
おがみてとをれ堂寺の前 兼載
「堂寺(どうてら)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「〘名〙 堂や寺。〔日葡辞書(1603‐04)〕」
とあり、特にどこの寺というわけではないようだ。鬼にあいたくなければ、堂寺で拝みなさい、という釈教の句になる。
ちなみに会津のさざえ堂は寛政八年(一七九六年)の建立で、三百年くらい後になる。
三十五句目。
おがみてとをれ堂寺の前
旅の道さはり有なと祈念して 兼載
その昔、和歌で名高い藤中将実方が陸奥の守に左遷になったとき、現在の宮城県名取市の笠島で道祖神の社を無視して通過しようとしたところ、社の前でばたっと馬が倒れて転がり落ちて死んだという。
西行は、
朽ちもせぬその名ばかりをとどめおきて
枯野のすすき形見にぞ見る
西行法師
と詠み、後に芭蕉も、
笠嶋はいづこさ月のぬかり道 芭蕉
とこの藤中将実方を追悼している。
堂寺の前では必ず拝んで通るようにしよう。
三十六句目。
旅の道さはり有なと祈念して
留守におかるる身こそつらけれ 兼載
旅人からそれを見送る人へと転じる。
『伊勢物語』二十三段筒井筒の、
風吹けば沖つ白浪龍田山
夜半にや君がひとり越ゆらむ
の歌も思い浮かぶ。
子供の頃のおぼろげな記憶では四月に雪が降ったこともあった。多分1969年4月17日の雪だろう。このときの雪は高田渡が「春まっさい中」という歌で唄っている。
一日お籠りするにはちょうどいい雪だった。街も静かだっただろう。明日はまたあの人混みと渋滞が戻って来るのかな。
コロナ退散祈願俳諧(仮)、六句目。
ドアに立つおやじ動こうともしない
見れば真っ赤に燃え上がる空
それでは「兼載独吟俳諧百韻」の続き。
二十九句目。
鋤持人はおほはらの里
秋は只よろづの物をくばはれて 兼載
旧暦八月一日の八朔は室町時代に既に公式行事になっていたという。大原の里でも鋤が配られたたか。
三十句目。
秋は只よろづの物をくばはれて
さるのかしらは紅葉しにけり 兼載
秋から紅葉の景色に逃げるが、そこは俳諧なので猿の顔を紅葉に喩える。
三十一句目。
さるのかしらは紅葉しにけり
露時雨ひつじの時や晴ぬ覧 兼載
時雨は冬だが「露時雨」だと秋になる。未の刻は午後二時頃。
なぜ未かというと、前句の「さるのかしら」を申の刻の頭に取り成しているからだ。
未の刻までは晴れていたのに、申の刻には時雨となって紅葉が雨露に色鮮やかに染められてゆく。
なお、会津の「さんさ時雨」はこれより後の時代、伊達政宗の頃に始まる。
三十二句目。
露時雨ひつじの時や晴ぬ覧
いそぐあゆみに捨るみのかさ 兼載
未の刻までは晴れていたが、突然の時雨にどこかの家に駆け込み、やれやれと蓑笠を脱ぐ。
三十三句目。
いそぐあゆみに捨るみのかさ
鬼だにも仏をみれば逃ぞする 兼載
大江山の酒呑童子は元々比叡山に住んでいたが、最澄が延暦寺を建てたことで逃げ出して、大江山に移り住んだという。
三十四句目。
鬼だにも仏をみれば逃ぞする
おがみてとをれ堂寺の前 兼載
「堂寺(どうてら)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「〘名〙 堂や寺。〔日葡辞書(1603‐04)〕」
とあり、特にどこの寺というわけではないようだ。鬼にあいたくなければ、堂寺で拝みなさい、という釈教の句になる。
ちなみに会津のさざえ堂は寛政八年(一七九六年)の建立で、三百年くらい後になる。
三十五句目。
おがみてとをれ堂寺の前
旅の道さはり有なと祈念して 兼載
その昔、和歌で名高い藤中将実方が陸奥の守に左遷になったとき、現在の宮城県名取市の笠島で道祖神の社を無視して通過しようとしたところ、社の前でばたっと馬が倒れて転がり落ちて死んだという。
西行は、
朽ちもせぬその名ばかりをとどめおきて
枯野のすすき形見にぞ見る
西行法師
と詠み、後に芭蕉も、
笠嶋はいづこさ月のぬかり道 芭蕉
とこの藤中将実方を追悼している。
堂寺の前では必ず拝んで通るようにしよう。
三十六句目。
旅の道さはり有なと祈念して
留守におかるる身こそつらけれ 兼載
旅人からそれを見送る人へと転じる。
『伊勢物語』二十三段筒井筒の、
風吹けば沖つ白浪龍田山
夜半にや君がひとり越ゆらむ
の歌も思い浮かぶ。
2020年3月28日土曜日
今日も曇ってたが暖かかった。夕方から雨が降り出した。
さすがに都が外出の自粛を呼びかけただけあって、今日は人も車も少なかった。桜は散り始めていた。
コロナ退散祈願俳諧(仮)、五句目。
言葉少なに駅の押し合い
ドアに立つおやじ動こうともしない
それでは「兼載独吟俳諧百韻」の続き。
二表。
二十三句目。
銭をばもたぬ道の悲しさ
傾城はあれども宿に独寝て 兼載
ウィキペディアに、
「室町時代には、足利将軍家が京都の傾城屋から税金を徴収していた。1528年、傾城局が設置され、遊女は、制度のもとに営業するようになった。」
とある。ここでいう傾城は遊女ではなく遊郭のこと。まあ、先立つものがなければ。
二十四句目。
傾城はあれども宿に独寝て
唯恋しさは古さとのつま 兼載
律義な男で、遊郭があってもそこに行かずにひたすら故郷の妻のことを思う。
二十五句目。
唯恋しさは古さとのつま
世の中をぶせうながらも捨てにけり 兼載
「ぶせう」は無精か。世俗のことがいろいろと面倒くさくなって世捨て人になったが、別れた妻が恋しくなる。
二十六句目。
世の中をぶせうながらも捨てにけり
法師とみれば在家入道 兼載
無精だからお寺に入って修行など真っ平ということか。
二十七句目。
法師とみれば在家入道
畑をうつ身は墨染によごれつつ 兼載
百姓の在家だから墨染めの衣で坊主頭で畑を耕す。僧衣には泥がついている。
二十八句目。
畑をうつ身は墨染によごれつつ
鋤持人はおほはらの里 兼載
京都の大原は炭の産地で、大原女は炭を売っていた。
炭の産地だから農夫も片手間に炭を作っていたのだろう。前句の「墨染によごれつつ」を「炭」で汚れたと取り成す。
さすがに都が外出の自粛を呼びかけただけあって、今日は人も車も少なかった。桜は散り始めていた。
コロナ退散祈願俳諧(仮)、五句目。
言葉少なに駅の押し合い
ドアに立つおやじ動こうともしない
それでは「兼載独吟俳諧百韻」の続き。
二表。
二十三句目。
銭をばもたぬ道の悲しさ
傾城はあれども宿に独寝て 兼載
ウィキペディアに、
「室町時代には、足利将軍家が京都の傾城屋から税金を徴収していた。1528年、傾城局が設置され、遊女は、制度のもとに営業するようになった。」
とある。ここでいう傾城は遊女ではなく遊郭のこと。まあ、先立つものがなければ。
二十四句目。
傾城はあれども宿に独寝て
唯恋しさは古さとのつま 兼載
律義な男で、遊郭があってもそこに行かずにひたすら故郷の妻のことを思う。
二十五句目。
唯恋しさは古さとのつま
世の中をぶせうながらも捨てにけり 兼載
「ぶせう」は無精か。世俗のことがいろいろと面倒くさくなって世捨て人になったが、別れた妻が恋しくなる。
二十六句目。
世の中をぶせうながらも捨てにけり
法師とみれば在家入道 兼載
無精だからお寺に入って修行など真っ平ということか。
二十七句目。
法師とみれば在家入道
畑をうつ身は墨染によごれつつ 兼載
百姓の在家だから墨染めの衣で坊主頭で畑を耕す。僧衣には泥がついている。
二十八句目。
畑をうつ身は墨染によごれつつ
鋤持人はおほはらの里 兼載
京都の大原は炭の産地で、大原女は炭を売っていた。
炭の産地だから農夫も片手間に炭を作っていたのだろう。前句の「墨染によごれつつ」を「炭」で汚れたと取り成す。
2020年3月27日金曜日
今日は一日どんより曇り、時折ぱらぱらと雨が降った。仕事でいろいろなところを走るから、満開の桜は花見をしなくても見れる。
コンビニは今日も特に変わったことはなかった。二日間家に籠るからというので、生鮮品を買いだめする人が多かったからではなかったか。
日本は災害時でも治安が良いし、食料がなくても必ず誰かが炊き出しに来てくれるから、非常時でもそれほど食料の確保に血眼にはならない。
多分日本では強制的な移動制限による都市の封鎖はないだろう。第一そのような法律はどこにもない。非常事態条項を憲法で定めてないから、基本的に移動の自由など人権を制限することはできない。非常事態宣言をしてもただ自粛を要請するだけだ。違反しても罰則はない。
それでも強権的な措置を取った国が大変なことになっているのに、日本は未だに混乱もなく、今までどおりの日常が続いている。
結局強制すれば人は逃げ出すだけだし、あの手この手で法をかいくぐろうとするだけだ。それよりも一人一人の臣民としての自覚ある行動を促す日本のやり方の方が今のところうまくいっているのではないか。
まあ、でも先のことはわからない。どのみち早かれ遅かれ同じ結果になるのかもしれない。ただ、不信と恐怖の中で死ぬよりは笑って死ぬことを選ぶのが我々の道だ。
それでは「兼載独吟俳諧百韻」の続き。と、その前にアマビエ、
タワマンの霞の中に夜は明けて
言葉少なに駅の押し合い
あらためて十七句目。
しのびしのびにつまをたづぬる
さひを手に取ながらへるも口惜や 兼載
「さひ」はサイコロのことであろう。博打に身をやつし、放浪の身になってしまったが、それでもひそかに昔の妻を訪ねる、といったところか。
十八句目。
さひを手に取ながらへるも口惜や
はだかにならばさていかにせむ 兼載
東京国立博物館蔵の「東北院職人歌合絵巻」の博徒は烏帽子だけ被った全裸の姿で描かれる。文字通り身ぐるみをはがされた姿だ。
十九句目。
はだかにならばさていかにせむ
人の物我ふところにぬすみ入 兼載
スリか万引きか、とにかく盗んだものは取り合えず懐に入れるが、見つかって裸になれと言われたら、もちろんばれてしまう。
二十句目。
人の物我ふところにぬすみ入
しらず顔なるつらのにくさよ 兼載
明らかに盗んだというのに、居直って「何のことかな」なんて言われれば、そりゃあむかつく。鉄面皮というやつだ。
二十一句目。
しらず顔なるつらのにくさよ
急をも動せぬ船のわたし守 兼載
「いそぎをもどうぜぬ」と読むのだろう。
船では船頭さんの言うことは絶対で、今日は川が増水していて危険だ、船は出せねえ、と言われれば、いくら急いでいても黙るほかない。
二十二句目。
急をも動せぬ船のわたし守
銭をばもたぬ道の悲しさ 兼載
「銭をばもたぬ道」というのは乞食僧のことか。
『西行物語』に、出家して東国へ下る西行が天竜川を渡る時、武士がたくさん乗った舟に同乗したが、定員オーバーで危ないというので「あの法師、下りよ下りよ」と言われ、よくあることだと思ってシカトしてたら鞭で打たれたというエピソードが記されている。
まあ、実話ではなくおそらく作りだろうけど、こういうことは当時よくあることだったのだろう。
コンビニは今日も特に変わったことはなかった。二日間家に籠るからというので、生鮮品を買いだめする人が多かったからではなかったか。
日本は災害時でも治安が良いし、食料がなくても必ず誰かが炊き出しに来てくれるから、非常時でもそれほど食料の確保に血眼にはならない。
多分日本では強制的な移動制限による都市の封鎖はないだろう。第一そのような法律はどこにもない。非常事態条項を憲法で定めてないから、基本的に移動の自由など人権を制限することはできない。非常事態宣言をしてもただ自粛を要請するだけだ。違反しても罰則はない。
それでも強権的な措置を取った国が大変なことになっているのに、日本は未だに混乱もなく、今までどおりの日常が続いている。
結局強制すれば人は逃げ出すだけだし、あの手この手で法をかいくぐろうとするだけだ。それよりも一人一人の臣民としての自覚ある行動を促す日本のやり方の方が今のところうまくいっているのではないか。
まあ、でも先のことはわからない。どのみち早かれ遅かれ同じ結果になるのかもしれない。ただ、不信と恐怖の中で死ぬよりは笑って死ぬことを選ぶのが我々の道だ。
それでは「兼載独吟俳諧百韻」の続き。と、その前にアマビエ、
タワマンの霞の中に夜は明けて
言葉少なに駅の押し合い
あらためて十七句目。
しのびしのびにつまをたづぬる
さひを手に取ながらへるも口惜や 兼載
「さひ」はサイコロのことであろう。博打に身をやつし、放浪の身になってしまったが、それでもひそかに昔の妻を訪ねる、といったところか。
十八句目。
さひを手に取ながらへるも口惜や
はだかにならばさていかにせむ 兼載
東京国立博物館蔵の「東北院職人歌合絵巻」の博徒は烏帽子だけ被った全裸の姿で描かれる。文字通り身ぐるみをはがされた姿だ。
十九句目。
はだかにならばさていかにせむ
人の物我ふところにぬすみ入 兼載
スリか万引きか、とにかく盗んだものは取り合えず懐に入れるが、見つかって裸になれと言われたら、もちろんばれてしまう。
二十句目。
人の物我ふところにぬすみ入
しらず顔なるつらのにくさよ 兼載
明らかに盗んだというのに、居直って「何のことかな」なんて言われれば、そりゃあむかつく。鉄面皮というやつだ。
二十一句目。
しらず顔なるつらのにくさよ
急をも動せぬ船のわたし守 兼載
「いそぎをもどうぜぬ」と読むのだろう。
船では船頭さんの言うことは絶対で、今日は川が増水していて危険だ、船は出せねえ、と言われれば、いくら急いでいても黙るほかない。
二十二句目。
急をも動せぬ船のわたし守
銭をばもたぬ道の悲しさ 兼載
「銭をばもたぬ道」というのは乞食僧のことか。
『西行物語』に、出家して東国へ下る西行が天竜川を渡る時、武士がたくさん乗った舟に同乗したが、定員オーバーで危ないというので「あの法師、下りよ下りよ」と言われ、よくあることだと思ってシカトしてたら鞭で打たれたというエピソードが記されている。
まあ、実話ではなくおそらく作りだろうけど、こういうことは当時よくあることだったのだろう。
2020年3月26日木曜日
今日も晴れて夕暮れの空には細い幽かな三日月が見えた。
ネット上でスーパーから食料品が消えたと言っていたが、今朝都内のコンビニに行ってもいつもどおり物はあった。
東日本大震災の時はパンもおにぎりも弁当もなく、仕方なく昼食にポテチを食べたことがあったが、今日はそんなことはなかった。
夕方にやまやへビールを買いに行ったが、ここもいつものとおりでパスタもたくさんあった。
夜のテレビではスーパーの空っぽの棚を映していたりしたが、いつもながら大袈裟に煽っている。
「アマビエ」の巻、一日一句づつ付けていこうかな。
アマビエもつれるといいな糸桜
春がいくまで二十八日
タワマンの霞の中に夜は明けて
それでは「兼載独吟俳諧百韻」の続き。
初裏。
九句目。
門のまはりに立まはりけり
たび人の宿をも終にこずかれて 兼載
「こずかれて」は「来ず離れて」か。
旅人は門の所をうろうろするだけで終にやって来なかったということか
。
十句目。
たび人の宿をも終にこずかれて
あぢきなげなるゆふくれの空 兼載
旅人は来ず、つまらない夕暮れの空だった。
十一句目。
あぢきなげなるゆふくれの空
こしをれの祖父に似たる三日の月 兼載
「祖父」は「おほぢ」か。三日月が腰の曲がった祖父さんのように見え
る。
十二句目。
こしをれの祖父に似たる三日の月
秋やはつらんわかきかたがた 兼載
「祖父」に「わかきかたがた」と違え付けで付ける。
秋はもう終わってしまったのかい、若き方々よ、と三日月が言っている
かのようだ。
十三句目。
秋やはつらんわかきかたがた
露ほとも用られぬかまひごと 兼載
「用ゐられぬ」「かまひごと」だと65で字足らずになる。
よくわからないが、計画に用いてもらえないということか。
十四句目。
露ほとも用られぬかまひごと
後には中をたがわれぞする 兼載
前句の構ってもらえないとして、仲違いする。恋に転じる。
十五句目。
後には中をたがわれぞする
若僧のはしめのほどは思ひあひ 兼載
これは若僧同士のホモネタか。
十六句目。
若僧のはしめのほどは思ひあひ
しのびしのびにつまをたづぬる 兼載
これは妻帯の僧侶に転じるか。
ネット上でスーパーから食料品が消えたと言っていたが、今朝都内のコンビニに行ってもいつもどおり物はあった。
東日本大震災の時はパンもおにぎりも弁当もなく、仕方なく昼食にポテチを食べたことがあったが、今日はそんなことはなかった。
夕方にやまやへビールを買いに行ったが、ここもいつものとおりでパスタもたくさんあった。
夜のテレビではスーパーの空っぽの棚を映していたりしたが、いつもながら大袈裟に煽っている。
「アマビエ」の巻、一日一句づつ付けていこうかな。
アマビエもつれるといいな糸桜
春がいくまで二十八日
タワマンの霞の中に夜は明けて
それでは「兼載独吟俳諧百韻」の続き。
初裏。
九句目。
門のまはりに立まはりけり
たび人の宿をも終にこずかれて 兼載
「こずかれて」は「来ず離れて」か。
旅人は門の所をうろうろするだけで終にやって来なかったということか
。
十句目。
たび人の宿をも終にこずかれて
あぢきなげなるゆふくれの空 兼載
旅人は来ず、つまらない夕暮れの空だった。
十一句目。
あぢきなげなるゆふくれの空
こしをれの祖父に似たる三日の月 兼載
「祖父」は「おほぢ」か。三日月が腰の曲がった祖父さんのように見え
る。
十二句目。
こしをれの祖父に似たる三日の月
秋やはつらんわかきかたがた 兼載
「祖父」に「わかきかたがた」と違え付けで付ける。
秋はもう終わってしまったのかい、若き方々よ、と三日月が言っている
かのようだ。
十三句目。
秋やはつらんわかきかたがた
露ほとも用られぬかまひごと 兼載
「用ゐられぬ」「かまひごと」だと65で字足らずになる。
よくわからないが、計画に用いてもらえないということか。
十四句目。
露ほとも用られぬかまひごと
後には中をたがわれぞする 兼載
前句の構ってもらえないとして、仲違いする。恋に転じる。
十五句目。
後には中をたがわれぞする
若僧のはしめのほどは思ひあひ 兼載
これは若僧同士のホモネタか。
十六句目。
若僧のはしめのほどは思ひあひ
しのびしのびにつまをたづぬる 兼載
これは妻帯の僧侶に転じるか。
2020年3月25日水曜日
今日も穏やかに晴れた一日だった。旧暦二日だが月はまだ見えなかった。二日の月の吹き散るか。
都内で感染者が急増し、今日は新たな感染者が四十人だという。志村けんの感染・重篤化がニュースになっていた。
今更という感じで会社からは手洗いやうがいをするようにだとか、人が大勢集まるところには行かぬようにだとかいう紙が配布された。
日本では相変わらず自粛要請ばかりで強制力はないから、海外の人からすれば何て緩いんだというところだろう。緩くてもそれなりに節度を持つのが日本人だ。強制ではないからといって、あまり好き勝手すると叩かれるのは当然だが。
アマビエもつれるといいな糸桜、春がいくまで二十八日。
それでは「兼載独吟俳諧百韻」の続き。
四句目。
永日の暮ぬる里に鞠をけて
ほころびがちにみゆるかみしも 兼載
かみしも(裃)は江戸時代には武家の礼服となったが、室町時代では庶民のものだった。
かみしもには肩衣袴の裃と素襖長袴の長裃があった。素襖長袴の素襖(すおう)はウィキペディアによれば、
「鎌倉時代以降礼服化していった直垂の中でも、簡素で古様なものが室町時代になると素襖と呼ばれるようになった。初めは下級武士の普段着だったが、室町時代末期に至り大紋に次ぐ礼装となる。」
だという。
ただ、長袴で蹴鞠は無理があるので、ここでは長裃ではなく肩衣袴の普通の裃であろう。ウィキペディアによれば、
「肩衣には袖が無いが、袖無しの衣服は近世以前より用いられていた。ただしそれらは袖をなくす事で動きやすくする庶民の普段着または作業着であった。また本来は狩衣や水干、直垂、 素襖など、これらの上衣と同色同質の生地で袴も仕立てることを「上下」(かみしも)と称した。
肩衣と袴の組合せによる裃の起源は明らかではないが、江戸時代の故実書『青標紙』には、室町幕府将軍足利義満の頃、内野合戦で素襖の袖と裾を括って用いたことに始まるという伝承を記している。松永久秀または近衛前久が用いたのを始まりとする話もあるが確かではない。文献での使用例を辿ると、天文の頃には肩衣に袴の姿がすでに一般化していたと見られる。その後江戸時代に至り、肩衣と袴の「上下」が平時の略礼服として用いられるようになった。」
だという。
兼載の時代は天文より前なので、ここは鄙びた里で庶民が蹴鞠をする姿を詠んだのではないかと思う。
五句目。
ほころびがちにみゆるかみしも
主殿と狂言ながらむしりあひ 兼載
肩衣・袴の裃は狂言では太郎冠者などの庶民の役に用いられ、長裃は主殿の役に用いられる。
前句の「かみしも」を狂言の衣装として、互いに毟りあう芝居をする。
六句目。
主殿と狂言ながらむしりあひ
いそひで鳥をくはんとぞする 兼載
「狂言」にはweblio辞書の「三省堂 大辞林 第三版」によれば、
「④道理にはずれた言葉や行為。たわごと。 「孔明が臥竜の勢をききをじしてかかる-をば云ふ/太平記 20」
という意味もある。
ここでは急いで鳥を食おうとして、狂ったように羽をむしる様に取り成す。
七句目。
いそひで鳥をくはんとぞする
鷹犬の鷹よりさきに走出 兼載
「鷹犬(ようけん)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「〘名〙 鷹狩に用いる犬。
※隆祐集(1241頃)「かへさの道より鷹犬をこひ侍るとて」
〘名〙
① 鷹(たか)と犬。ともに狩猟に用いる。
※令義解(718)職員「正一人。〈掌下調二習鷹犬一事上〉」 〔宋史‐楊業伝〕
② 他人に使役されること。他人の手先となって働くこと。また、そのもの。
※太平記(14C後)一七「雖レ非二鷹犬(ヨウケン)之才一、屡忝二爪牙之任一」 〔宋史‐唐坰伝〕」
とあるが、ここでは「鷹狩に用いる犬」をいう。鷹が獲物を取る前に犬が走り出し、鷹に取られる前に真っ先に鳥を食おうとする。
八句目。
鷹犬の鷹よりさきに走出
門のまはりに立まはりけり 兼載
狩から戻った時であろうか、犬が先に門のほうへ走り、早く開けろとばかりにあたりをうろうろする。
都内で感染者が急増し、今日は新たな感染者が四十人だという。志村けんの感染・重篤化がニュースになっていた。
今更という感じで会社からは手洗いやうがいをするようにだとか、人が大勢集まるところには行かぬようにだとかいう紙が配布された。
日本では相変わらず自粛要請ばかりで強制力はないから、海外の人からすれば何て緩いんだというところだろう。緩くてもそれなりに節度を持つのが日本人だ。強制ではないからといって、あまり好き勝手すると叩かれるのは当然だが。
アマビエもつれるといいな糸桜、春がいくまで二十八日。
それでは「兼載独吟俳諧百韻」の続き。
四句目。
永日の暮ぬる里に鞠をけて
ほころびがちにみゆるかみしも 兼載
かみしも(裃)は江戸時代には武家の礼服となったが、室町時代では庶民のものだった。
かみしもには肩衣袴の裃と素襖長袴の長裃があった。素襖長袴の素襖(すおう)はウィキペディアによれば、
「鎌倉時代以降礼服化していった直垂の中でも、簡素で古様なものが室町時代になると素襖と呼ばれるようになった。初めは下級武士の普段着だったが、室町時代末期に至り大紋に次ぐ礼装となる。」
だという。
ただ、長袴で蹴鞠は無理があるので、ここでは長裃ではなく肩衣袴の普通の裃であろう。ウィキペディアによれば、
「肩衣には袖が無いが、袖無しの衣服は近世以前より用いられていた。ただしそれらは袖をなくす事で動きやすくする庶民の普段着または作業着であった。また本来は狩衣や水干、直垂、 素襖など、これらの上衣と同色同質の生地で袴も仕立てることを「上下」(かみしも)と称した。
肩衣と袴の組合せによる裃の起源は明らかではないが、江戸時代の故実書『青標紙』には、室町幕府将軍足利義満の頃、内野合戦で素襖の袖と裾を括って用いたことに始まるという伝承を記している。松永久秀または近衛前久が用いたのを始まりとする話もあるが確かではない。文献での使用例を辿ると、天文の頃には肩衣に袴の姿がすでに一般化していたと見られる。その後江戸時代に至り、肩衣と袴の「上下」が平時の略礼服として用いられるようになった。」
だという。
兼載の時代は天文より前なので、ここは鄙びた里で庶民が蹴鞠をする姿を詠んだのではないかと思う。
五句目。
ほころびがちにみゆるかみしも
主殿と狂言ながらむしりあひ 兼載
肩衣・袴の裃は狂言では太郎冠者などの庶民の役に用いられ、長裃は主殿の役に用いられる。
前句の「かみしも」を狂言の衣装として、互いに毟りあう芝居をする。
六句目。
主殿と狂言ながらむしりあひ
いそひで鳥をくはんとぞする 兼載
「狂言」にはweblio辞書の「三省堂 大辞林 第三版」によれば、
「④道理にはずれた言葉や行為。たわごと。 「孔明が臥竜の勢をききをじしてかかる-をば云ふ/太平記 20」
という意味もある。
ここでは急いで鳥を食おうとして、狂ったように羽をむしる様に取り成す。
七句目。
いそひで鳥をくはんとぞする
鷹犬の鷹よりさきに走出 兼載
「鷹犬(ようけん)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「〘名〙 鷹狩に用いる犬。
※隆祐集(1241頃)「かへさの道より鷹犬をこひ侍るとて」
〘名〙
① 鷹(たか)と犬。ともに狩猟に用いる。
※令義解(718)職員「正一人。〈掌下調二習鷹犬一事上〉」 〔宋史‐楊業伝〕
② 他人に使役されること。他人の手先となって働くこと。また、そのもの。
※太平記(14C後)一七「雖レ非二鷹犬(ヨウケン)之才一、屡忝二爪牙之任一」 〔宋史‐唐坰伝〕」
とあるが、ここでは「鷹狩に用いる犬」をいう。鷹が獲物を取る前に犬が走り出し、鷹に取られる前に真っ先に鳥を食おうとする。
八句目。
鷹犬の鷹よりさきに走出
門のまはりに立まはりけり 兼載
狩から戻った時であろうか、犬が先に門のほうへ走り、早く開けろとばかりにあたりをうろうろする。
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