月はほぼ満月となった。今日は気温が下がったせいか、くっきりとした月だ。
桜は半分くらい葉桜に変わってきている。
それでは「うたてやな」の巻の続き。挙句まで一気にと思ったが、途中で詰まってしまった。
四十五句目。
築地くぐりし雪の足あと
おろかさは寒声つかふ身の独り 来山
「寒声(かんごゑ)」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」には、
「僧や邦楽を学ぶ人が、寒中に声を出してのどを鍛えること。また、その声。」
とある。声を一度潰して作り直すという作業なのだろう。邦楽では非整数倍発声、いわばノイズのある声が重視されたため、意図的に声を潰し非整数倍音が多く出る状態にしたところで、非整数倍音の量を調整する技術を学んだのではないかと思われる。邦楽だけでなく僧の声明の声もこのようにして作られる。
メタル系のボーカルでもしばしばクリアボイスとデスボイスを使い分ける人がいる。非整数倍音は意図的に調整できる。
裕福な生まれでありながら、あえて築地をくぐって雪の中に出てゆき、寒声の練習をするのは、芸事の道楽にのめりこんだからであろう。それを「おろか」と自嘲する。
四十六句目。
おろかさは寒声つかふ身の独り
うらるる娘里の落月 西鶴
江戸時代の人身売買は基本的に禁止されていた。それでは遊郭に売られた遊女たちは何だったのかというと、その多くは債務奴隷、つまり借金返済のためのものだったと思われる。いわゆる奴隷制度の奴隷ではない。
ウィキペディアによると、
「奴隷制度終焉以後の人身売買は一般に、自ら了承して身売りしたり(借金の返済、親族に必要な金銭の用立てなど)、親が子に強要したり、親が子の替わりに契約を行ったり、また既にその状態の人を売買(転売)することもあるが、誘拐などの強制手段や甘言によって誘い出して移送することも多数あり、広義には当人に気づかせないグループ詐欺的な方法を含むことがあるなど、多様な実体・本質と分野を含む用語である。」
とある。
この種の人身売買は近代に入っても戦後間もない頃までは合法的に行われていて、従軍慰安婦の多くもこうした債務奴隷だったと思われる。
飢饉で荒れ果てた村から、朝もまだ薄暗い落月の頃、娘は売られてゆき、寒声つかふ芸能の世界に入ってゆくのだろう。「おろかさは」はそんな過酷な世界に対して発せられる。
四十七句目。
うらるる娘里の落月
憂中の名残に汲ん秋の汐 瓠界
「憂中」は「うき仲」で恋に転じる。
謡曲『松風』からの発想か。『松風』では須磨も汐汲む海女の姉妹を残して在原行平が去っていくわけだが、本説を取る時はそのまんまではなく少し変える。ここでは娘が売られてゆくことで別れとなる。
四十八句目。
憂中の名残に汲ん秋の汐
雁に鷗に浦づくしまふ 才麿
謡曲『融』の趣向で逃げるか。後半の舞が見所の能だが、それを「浦づくし」と言ったか。
2018年3月30日金曜日
2018年3月29日木曜日
暖かい日が続いている。月も大分丸くなった。今はどこも夜は明るいが、昔だったら月の明かりだけの真っ暗闇で、そんななか幽かに見える桜が本当の夜桜だったんだろうな。
では「うたてやな」の巻の続き。
三十九句目。
人は火をけし火をともしけり
げぢげぢに妹がくろ髪からるるな 才麿
漫画なんかでよく科学者が出てきて、ボンと試験管が爆発すると、髪の毛が‥‥なんて場面を思い浮かべてしまうが、火も使い方を誤ると髪を焦がす。
『元禄俳諧集』新日本古典文学大系71の註には『和漢三才図会』の「按蚰蜒有毒如舐頭髮則毛脱昔以梶原景時比蚰蜒言動則入讒於耳爲害也」が引用されている。「按ずるに、蚰蜒毒有る如し、頭髮を舐(ね)ぶれば則毛脱る。」そのあとに「昔、梶原景時を以て蚰蜒に比す。言動則ち讒を耳に入れて害を為せば也。」と続く。梶原景時はウィキペディアによれば、「源義経と対立し頼朝に讒言して死に追いやった『大悪人』と古くから評せられている」とある。
じっさいにゲジゲジの毒で禿げることはないが、禿げるとゲジゲジに舐められたんだろうと言われたりしたのだろう。実際は火のせいでも、会話では敢えてからかってそう言うのはよくあることだ。
四十句目。
げぢげぢに妹がくろ髪からるるな
こひともいはず死果しよし 来山
愛しい男は結局打ち明けることもなく、何もないまま死んでしまった。前句の「くろ髪からるるな」を、出家したりするなよ、という意味に取り成す。
四十一句目。
こひともいはず死果しよし
盆池や面を見せぬ藻のうき葉 補天
前句の「こひ」を「鯉」のことにする。「盆池」は「まるいけ」と読む。庭の小さな池のこと。廃墟となって荒れ果てた池には藻がびっしりと茂り、鯉も死んでしまったのだろう。蛙の飛び込む音が聞こえてきそうだ。
四十二句目。
盆池や面を見せぬ藻のうき葉
けふも出がけに揃ふ小比丘尼 瓠界
この小比丘尼は遊女か。当時、熊野比丘尼、浮世比丘尼と呼ばれる遊女がいた。「盆池」は「血盆池地獄」の連想が働き、地獄絵を解説する本来の熊野比丘尼と縁がある。
四十三句目。
けふも出がけに揃ふ小比丘尼
物いはで気の毒の牛が角なるや 鬼貫
「牛の角を蜂が刺す」という諺は何も感じないことの例え。春を売る小比丘尼たちの物一つ言わない姿は、きゃっきゃと騒ぐ普通の娘たちと違って気の毒で、辛いことが多すぎて感覚が麻痺してしまったのだろうかと心配する。このあたりが鬼貫の「誠」か。今の援交少女にも通じるものがある。
四十四句目。
物いはで気の毒の牛が角なるや
築地くぐりし雪の足あと 万海
築地(ついじ)は屋敷の周囲にめぐらす屋根を瓦で葺いた土塀で、そこから転じて築地のある屋敷に住む公卿や堂上方をも意味する。
築地をめぐらした公卿の屋敷の門をくぐる牛車の牛が、雪の降る中でも「もう」とも言わず黙々と歩いてゆくのを気の毒だとする。
では「うたてやな」の巻の続き。
三十九句目。
人は火をけし火をともしけり
げぢげぢに妹がくろ髪からるるな 才麿
漫画なんかでよく科学者が出てきて、ボンと試験管が爆発すると、髪の毛が‥‥なんて場面を思い浮かべてしまうが、火も使い方を誤ると髪を焦がす。
『元禄俳諧集』新日本古典文学大系71の註には『和漢三才図会』の「按蚰蜒有毒如舐頭髮則毛脱昔以梶原景時比蚰蜒言動則入讒於耳爲害也」が引用されている。「按ずるに、蚰蜒毒有る如し、頭髮を舐(ね)ぶれば則毛脱る。」そのあとに「昔、梶原景時を以て蚰蜒に比す。言動則ち讒を耳に入れて害を為せば也。」と続く。梶原景時はウィキペディアによれば、「源義経と対立し頼朝に讒言して死に追いやった『大悪人』と古くから評せられている」とある。
じっさいにゲジゲジの毒で禿げることはないが、禿げるとゲジゲジに舐められたんだろうと言われたりしたのだろう。実際は火のせいでも、会話では敢えてからかってそう言うのはよくあることだ。
四十句目。
げぢげぢに妹がくろ髪からるるな
こひともいはず死果しよし 来山
愛しい男は結局打ち明けることもなく、何もないまま死んでしまった。前句の「くろ髪からるるな」を、出家したりするなよ、という意味に取り成す。
四十一句目。
こひともいはず死果しよし
盆池や面を見せぬ藻のうき葉 補天
前句の「こひ」を「鯉」のことにする。「盆池」は「まるいけ」と読む。庭の小さな池のこと。廃墟となって荒れ果てた池には藻がびっしりと茂り、鯉も死んでしまったのだろう。蛙の飛び込む音が聞こえてきそうだ。
四十二句目。
盆池や面を見せぬ藻のうき葉
けふも出がけに揃ふ小比丘尼 瓠界
この小比丘尼は遊女か。当時、熊野比丘尼、浮世比丘尼と呼ばれる遊女がいた。「盆池」は「血盆池地獄」の連想が働き、地獄絵を解説する本来の熊野比丘尼と縁がある。
四十三句目。
けふも出がけに揃ふ小比丘尼
物いはで気の毒の牛が角なるや 鬼貫
「牛の角を蜂が刺す」という諺は何も感じないことの例え。春を売る小比丘尼たちの物一つ言わない姿は、きゃっきゃと騒ぐ普通の娘たちと違って気の毒で、辛いことが多すぎて感覚が麻痺してしまったのだろうかと心配する。このあたりが鬼貫の「誠」か。今の援交少女にも通じるものがある。
四十四句目。
物いはで気の毒の牛が角なるや
築地くぐりし雪の足あと 万海
築地(ついじ)は屋敷の周囲にめぐらす屋根を瓦で葺いた土塀で、そこから転じて築地のある屋敷に住む公卿や堂上方をも意味する。
築地をめぐらした公卿の屋敷の門をくぐる牛車の牛が、雪の降る中でも「もう」とも言わず黙々と歩いてゆくのを気の毒だとする。
2018年3月28日水曜日
桜(染井吉野)は散り始めた。満月までは何とか持って欲しい。
春は短くあっという間に去ってゆくから、せめてそれまでは心行くまで酔いしれよう。それが人生の花だ。他に大切なものなんてない。
昔から長いこと人を惑わしているのは、脳内快楽物質が作り出す光の体験だ。神を見ただの、宇宙と一体化しただの、絶対的な真理を体得しただの、悟りを開いただの、真の自我を見つけただの、そんなものはすべて脳内快楽物質の作り出す幻想にすぎない。そんな境地は薬中だって知っている。
一つの世界だの歴史の終焉だの、そんなものに命を賭ける価値もない。いつだって世界はあるがままに混沌としている。
とはいえ、夢に生き夢に死ぬのは昔から人の性なのかもしれない。本当は何もないんだよ。すべてはあるがままで、それ以上のものは何もないんだ。花もあれば月もある。花はくれない柳はみどり、それだけで素晴らしいじゃないか。
まあ、いずれにせよ一度きりの人生、無駄にしないようにね。
それでは「うたてやな」の巻の続き。
三十三句目。
秣をいるる賤に名のらせ
人々をよき酒ぶりにわらはして 瓠界
酒を飲むなら明るく飲みたいものだ。上機嫌で冗談なんか飛ばして、たまたまやってきた秣を背負った客人とも、名前を聞き出してはすぐに兄弟のように仲良くなる。そんなふうに酒を飲みたいものだ。
三十四句目。
人々をよき酒ぶりにわらはして
金乞ウ夜半を春にいひ延 西鶴
年の暮れだろうか、借金を取り立てに来た人に酒を振舞い、笑わせたりして、結局支払いは来年ということになる。西鶴得意の世間胸算用。
三十五句目。
金乞ウ夜半を春にいひ延
どれ見ても一かまへあるお公家たち 万海
江戸時代のお公家さんは石高も低く抑えられていた。一説には公家の九割は三百石以下だったともいう。家の構えは立派だが借金が溜まっている家も結構あったのだろう。
三十六句目。
どれ見ても一かまへあるお公家たち
戸渡る海へ舎利をなげいれ 補天
これは難しい。
『元禄俳諧集』新日本古典文学大系71の註には、「どなたを見ても一構えあるようなお公家たちが、瀬戸を渡る舟から海へ舎利を投げ入れている。」とあるが、実際そのような習慣があったのか、その辺の事情がわからない。
淳和天皇は京都大原野西院に散骨されたというし、藤原行成が母と母方祖父の遺体を火葬して鴨川に散骨したという例はあるようだが、そんなたくさんのお公家さんたちが舎利を海に撒くことがあったのか、よくわからない。
二裏、三十七句目。
戸渡る海へ舎利をなげいれ
雨ねがふ竜の都の例にて 西鶴
『元禄俳諧集』新日本古典文学大系71の註には、『拾遺往生伝』上三十八に「伝教大師が渡唐の際に、持っていた舎利を海中に投じて竜王に与え、悪風を止めさせた」という話があるという。
三十八句目。
雨ねがふ竜の都の例にて
人は火をけし火をともしけり 鬼貫
昔は山の上で盛大な焚き火を行い、竜神を怒らせて雨を降らせようという千把焚(せんばたき)がいたるところで行われていたという。この儀式がどれくらい昔まで遡れるのかはよくわからない。
鉦や太鼓で大きな音を立てて雨乞いするというのが江戸時代には多かったようだが、火を使った雨乞いの儀式があったとしてもおかしくはない。
春は短くあっという間に去ってゆくから、せめてそれまでは心行くまで酔いしれよう。それが人生の花だ。他に大切なものなんてない。
昔から長いこと人を惑わしているのは、脳内快楽物質が作り出す光の体験だ。神を見ただの、宇宙と一体化しただの、絶対的な真理を体得しただの、悟りを開いただの、真の自我を見つけただの、そんなものはすべて脳内快楽物質の作り出す幻想にすぎない。そんな境地は薬中だって知っている。
一つの世界だの歴史の終焉だの、そんなものに命を賭ける価値もない。いつだって世界はあるがままに混沌としている。
とはいえ、夢に生き夢に死ぬのは昔から人の性なのかもしれない。本当は何もないんだよ。すべてはあるがままで、それ以上のものは何もないんだ。花もあれば月もある。花はくれない柳はみどり、それだけで素晴らしいじゃないか。
まあ、いずれにせよ一度きりの人生、無駄にしないようにね。
それでは「うたてやな」の巻の続き。
三十三句目。
秣をいるる賤に名のらせ
人々をよき酒ぶりにわらはして 瓠界
酒を飲むなら明るく飲みたいものだ。上機嫌で冗談なんか飛ばして、たまたまやってきた秣を背負った客人とも、名前を聞き出してはすぐに兄弟のように仲良くなる。そんなふうに酒を飲みたいものだ。
三十四句目。
人々をよき酒ぶりにわらはして
金乞ウ夜半を春にいひ延 西鶴
年の暮れだろうか、借金を取り立てに来た人に酒を振舞い、笑わせたりして、結局支払いは来年ということになる。西鶴得意の世間胸算用。
三十五句目。
金乞ウ夜半を春にいひ延
どれ見ても一かまへあるお公家たち 万海
江戸時代のお公家さんは石高も低く抑えられていた。一説には公家の九割は三百石以下だったともいう。家の構えは立派だが借金が溜まっている家も結構あったのだろう。
三十六句目。
どれ見ても一かまへあるお公家たち
戸渡る海へ舎利をなげいれ 補天
これは難しい。
『元禄俳諧集』新日本古典文学大系71の註には、「どなたを見ても一構えあるようなお公家たちが、瀬戸を渡る舟から海へ舎利を投げ入れている。」とあるが、実際そのような習慣があったのか、その辺の事情がわからない。
淳和天皇は京都大原野西院に散骨されたというし、藤原行成が母と母方祖父の遺体を火葬して鴨川に散骨したという例はあるようだが、そんなたくさんのお公家さんたちが舎利を海に撒くことがあったのか、よくわからない。
二裏、三十七句目。
戸渡る海へ舎利をなげいれ
雨ねがふ竜の都の例にて 西鶴
『元禄俳諧集』新日本古典文学大系71の註には、『拾遺往生伝』上三十八に「伝教大師が渡唐の際に、持っていた舎利を海中に投じて竜王に与え、悪風を止めさせた」という話があるという。
三十八句目。
雨ねがふ竜の都の例にて
人は火をけし火をともしけり 鬼貫
昔は山の上で盛大な焚き火を行い、竜神を怒らせて雨を降らせようという千把焚(せんばたき)がいたるところで行われていたという。この儀式がどれくらい昔まで遡れるのかはよくわからない。
鉦や太鼓で大きな音を立てて雨乞いするというのが江戸時代には多かったようだが、火を使った雨乞いの儀式があったとしてもおかしくはない。
2018年3月27日火曜日
今日は半月よりやや膨らんだ月が見えた。やはり若干朧になっている。桜の花に月。満月は土曜日だそうだ。
昨日の続きだが、多種多様な人間が集まると、物の見方や考え方の違いから、いろいろ誤解が生じたり、利害がぶつかり合ったりして必ずいさかいが耐えないもので、そうやって罵りあいながらも何となく秩序が保たれている、そういうカオスな世界が作られる。
ただ、そういう人と人とのぶつかり合いや小さな誤解やいさかいで傷つけあうのに耐えられない人というのもいて、単一の価値観や一つの思想に支配された一つの世界を求める人というのは、多分そういう弱さによるのではないかと思う。
2チャンネルのようなカオスな世界を嫌い、フェイスブックやツイッターで、似たり寄ったりの考えの人間だけで集まって、そこだけの仲間内の常識で生きている。フェイクニュースに振り回される人というのはそういう人なのだろうと思う。
それは異質なものを受け入れられない、人間的な弱さなのだろう。
多様性を受け入れるというのは、多少なりとも傷つくことを恐れない強さが要求される。
それでは世間話もこのへんにして、「うたてやな」の巻の続き。
二十九句目。
歌書まよふ秋の碓
捕れ来て田舎の月も白けれど 鬼貫
片田舎で囚われの身となって、月明かりで辞世の歌でも書こうとしたのか。ただ、何分田舎のことなので、書き付けようにも紙も筆もない。石臼に刻み付けようかどうかと迷う。
「白」は「しるし」ではっきりと見えるけどという意味。
三十句目。
捕れ来て田舎の月も白けれど
朔日ながら膾せぬ家 万海
「朔日(ついたち)」は新月の日で、一ヶ月の始まり。「おついたち」と言って商家ではお粥や膾で商売繁盛を祈願したという。
前句の月に朔日を付けるのは違え付けで、満月と新月を対比させ、名月は見えても朔日の膾はないとする。逃げ句と見ていいだろう。
三十一句目。
朔日ながら膾せぬ家
黒餅をふたつならべて旗印 来山
「黒餅(こくもち)」は白字に黒い丸を描いた家紋で、「石(こく)持ち」に通じるというので好まれたという。黒田官兵衛が用いていたことでも知られている。黒餅を二つ重ねた紋は「重ね餅」という。
前句の「膾せぬ家」を武家としたのだろう。
三十二句目。
黒餅をふたつならべて旗印
秣をいるる賤に名のらせ 才麿
秣というと、芭蕉の『奥の細道』の旅の途中、黒羽の桃翠宅での興行の発句、
秣おふ人を枝折の夏野哉 芭蕉
の句も思い浮かぶ。田舎の方の名家なのだろう。
昨日の続きだが、多種多様な人間が集まると、物の見方や考え方の違いから、いろいろ誤解が生じたり、利害がぶつかり合ったりして必ずいさかいが耐えないもので、そうやって罵りあいながらも何となく秩序が保たれている、そういうカオスな世界が作られる。
ただ、そういう人と人とのぶつかり合いや小さな誤解やいさかいで傷つけあうのに耐えられない人というのもいて、単一の価値観や一つの思想に支配された一つの世界を求める人というのは、多分そういう弱さによるのではないかと思う。
2チャンネルのようなカオスな世界を嫌い、フェイスブックやツイッターで、似たり寄ったりの考えの人間だけで集まって、そこだけの仲間内の常識で生きている。フェイクニュースに振り回される人というのはそういう人なのだろうと思う。
それは異質なものを受け入れられない、人間的な弱さなのだろう。
多様性を受け入れるというのは、多少なりとも傷つくことを恐れない強さが要求される。
それでは世間話もこのへんにして、「うたてやな」の巻の続き。
二十九句目。
歌書まよふ秋の碓
捕れ来て田舎の月も白けれど 鬼貫
片田舎で囚われの身となって、月明かりで辞世の歌でも書こうとしたのか。ただ、何分田舎のことなので、書き付けようにも紙も筆もない。石臼に刻み付けようかどうかと迷う。
「白」は「しるし」ではっきりと見えるけどという意味。
三十句目。
捕れ来て田舎の月も白けれど
朔日ながら膾せぬ家 万海
「朔日(ついたち)」は新月の日で、一ヶ月の始まり。「おついたち」と言って商家ではお粥や膾で商売繁盛を祈願したという。
前句の月に朔日を付けるのは違え付けで、満月と新月を対比させ、名月は見えても朔日の膾はないとする。逃げ句と見ていいだろう。
三十一句目。
朔日ながら膾せぬ家
黒餅をふたつならべて旗印 来山
「黒餅(こくもち)」は白字に黒い丸を描いた家紋で、「石(こく)持ち」に通じるというので好まれたという。黒田官兵衛が用いていたことでも知られている。黒餅を二つ重ねた紋は「重ね餅」という。
前句の「膾せぬ家」を武家としたのだろう。
三十二句目。
黒餅をふたつならべて旗印
秣をいるる賤に名のらせ 才麿
秣というと、芭蕉の『奥の細道』の旅の途中、黒羽の桃翠宅での興行の発句、
秣おふ人を枝折の夏野哉 芭蕉
の句も思い浮かぶ。田舎の方の名家なのだろう。
2018年3月26日月曜日
旧暦だと二月十日。天気のいい日が続きそうなので、今年は満開の花と満月との共演が見られそうだ。ただ、南の方には早くも台風がって話もある。
マスコミはネット上のフェイクニュースのことを問題にするが、引き合いに出される例はたいていアメリカの大統領選のことで、実際日本ではそんなにフェイクニュースは深刻な問題になっていない。
思うにフェイクニュースというのはフェイスブックのシステム的な問題ではないかと思う。つまり似たり寄ったりの考え方の人間をつないでしまうため、そうした人たちに受けの良い偽ニュースを流すと簡単に食いつく、というのが問題なのではないかと思う。日本ではフェイスブックは商用以外ではほとんど活用されていない。
ツイッターも似たような性格がある。日本で飛び交うデマはたいていツイッターで拡散されている。
日本には2ちゃんねる(正確には今は「5ちゃんねる」になっている)という匿名の掲示板があり、ここではネトウヨもパヨクもそのほかいろいろな考えの人たちも区別なく書き込み、玉石混交のカオスな世界を形作っているが、こういうところだと、右がデマを流すと左が躍起になってその嘘を暴こうとし、左がデマを流すと右が躍起になってその嘘を暴こうとするから、結局どちらのデマもすぐばれてしまう。
むしろ日本で問題なのはマスコミの偏向や印象操作の方で、ネット上のフェイクニュースはほとんど問題になっていない。海外の人は参考にして欲しい。
さて、世間話はこれくらいにして、「うたてやな」の巻の続き。
二表に入る。二十三句目。
常盤の松に養子たづぬる
根なし草根の出来けるは豊にて 才麿
松に根なし草を付けるが、この「根なし草」は比喩で、今日でもよく用いられる言葉だ。要するに職業が定まらない状態を言う。職業が定まらないと、住所も定まらなくなることが多い。浮き草稼業というわけだ。
その根なし草に根が出来るとなれば、それはようやく実を落ち着けられるような定職が見つかったということだろう。牢人だったら仕官が決まったということか。
定職に着けば経済的にも安定し、女房も見つけ、次は跡取り息子が欲しくなる。まあ、常盤の松のような職場の長老に相談でもしてみようか、というところか。
二十四句目。
根なし草根の出来けるは豊にて
いつも曇ぬ国ぞしりたき 鬼貫
伊丹から大阪に出てきた鬼貫さんは、ちょうど士官の口を探していたところで、だが中々現実は甘くなかったのだろう。そんな自分の境遇を茶化して、こんな句にしちゃうあたりはさすが洒落てる。自分が仕官できないのは、世の中が曇っているからとでも言いたげだ。
とはいえ、句の表向きの意味は逆で、いつも晴れてたら旱魃になって草も木も枯れてしまうから雨は必要。根の出来るのは曇って雨が降るおかげ。曇るから豊かになれる。曇らぬ国なんてあるわけないし、あるなら知りたいものだ、という意味になる。
二十五句目。
いつも曇ぬ国ぞしりたき
難儀なる風の千島に住馴て 西鶴
『元禄俳諧集』新日本古典文学大系71の註は、
胡沙吹かばくもりもぞするみちのくの
えぞには見せじ秋の夜の月
西行法師(夫木抄)
を引いているが、西鶴は談林の王道を守って律儀に證歌を引くので、おそらくこれで間違いないだろう。
胡沙は今ではアイヌ語のホサ(息)ではないかと言われているが、この時代はおそらく字の通り「胡(西域の国)」の沙(砂)ではなかったかと思う。モンゴルの砂嵐で蝦夷の人は名月が見えないとは、当時の地理認識の混乱振りがわかる。
千島については、
あたらしや蝦夷が千嶋の春の花
ながむる人もなくて散ちなむ
滋円(拾玉集)
など、正確な位置はどうだか知らないが、都の人にもその存在は知られていた。
胡沙の吹く千島に住み慣れれば、月が曇って見えないのが当たり前で、「いつも曇ぬ国ぞしりたき」と付く。
二十六句目。
難儀なる風の千島に住馴て
我女房に逢もうるさや 来山
前句を比喩にして、千島のように難儀な風(習慣)のある家に住み慣れて、自分地の女房に逢うのも一々面倒だ、と付く。
「うるさし」はかつては面倒だという意味で、今のうるさいは「かしまし」だった。古語辞典によると心(うら)狭(さ)しが語源だという。「あいつは俳諧にはうるさい」という場合は、薀蓄が止まらなくて五月蝿いのではなく、本来は俳諧という狭いところに心を入れ込んでいる、というような意味だったのだろう。
二十七句目。
我女房に逢もうるさや
鼠尾草は泪に似たる花の色 補天
「鼠尾草」は「みそはぎ」と読む。鼠尾草で検索すると中国語が出てくる。現代中国ではSalvia officinalis(Sage)とあるからセージのことを指す。百度百科には、Salvia japonica Thunbとある。これはアキノタムラソウを指す。これに対しミソハギはLythrum anceps。ただ見掛けは似ている。
ミソハギは盆花とも言われていて、旧盆のころに咲く。そこから、前句の女房を死んだ女房とし、お盆に帰ってくるとはいっても逢うのは心苦しいという意味に取り成す。
二十八句目。
鼠尾草は泪に似たる花の色
歌書まよふ秋の碓 瓠界
「碓」は「からうす」と読む。「碓氷峠」の「うす」。
『元禄俳諧集』新日本古典文学大系71の註には「『秋の暮』なら歌になるが『秋の碓』では歌になりにくい。どのように詠んだらよいか。」とある。ただ、「碓」と「暮」とでは違いすぎるので「雁」とした方が良いのではないか。草書だとかなり似ている。
この場合は秋の雁と書こうとして「雁」と「碓」の違いがわからなくなった、という意味ではないかと思う。
鳴き渡る雁の涙や落ちつらむ
物思ふ宿の萩の上の露
よみ人しらず(古今集)
が本歌か。
マスコミはネット上のフェイクニュースのことを問題にするが、引き合いに出される例はたいていアメリカの大統領選のことで、実際日本ではそんなにフェイクニュースは深刻な問題になっていない。
思うにフェイクニュースというのはフェイスブックのシステム的な問題ではないかと思う。つまり似たり寄ったりの考え方の人間をつないでしまうため、そうした人たちに受けの良い偽ニュースを流すと簡単に食いつく、というのが問題なのではないかと思う。日本ではフェイスブックは商用以外ではほとんど活用されていない。
ツイッターも似たような性格がある。日本で飛び交うデマはたいていツイッターで拡散されている。
日本には2ちゃんねる(正確には今は「5ちゃんねる」になっている)という匿名の掲示板があり、ここではネトウヨもパヨクもそのほかいろいろな考えの人たちも区別なく書き込み、玉石混交のカオスな世界を形作っているが、こういうところだと、右がデマを流すと左が躍起になってその嘘を暴こうとし、左がデマを流すと右が躍起になってその嘘を暴こうとするから、結局どちらのデマもすぐばれてしまう。
むしろ日本で問題なのはマスコミの偏向や印象操作の方で、ネット上のフェイクニュースはほとんど問題になっていない。海外の人は参考にして欲しい。
さて、世間話はこれくらいにして、「うたてやな」の巻の続き。
二表に入る。二十三句目。
常盤の松に養子たづぬる
根なし草根の出来けるは豊にて 才麿
松に根なし草を付けるが、この「根なし草」は比喩で、今日でもよく用いられる言葉だ。要するに職業が定まらない状態を言う。職業が定まらないと、住所も定まらなくなることが多い。浮き草稼業というわけだ。
その根なし草に根が出来るとなれば、それはようやく実を落ち着けられるような定職が見つかったということだろう。牢人だったら仕官が決まったということか。
定職に着けば経済的にも安定し、女房も見つけ、次は跡取り息子が欲しくなる。まあ、常盤の松のような職場の長老に相談でもしてみようか、というところか。
二十四句目。
根なし草根の出来けるは豊にて
いつも曇ぬ国ぞしりたき 鬼貫
伊丹から大阪に出てきた鬼貫さんは、ちょうど士官の口を探していたところで、だが中々現実は甘くなかったのだろう。そんな自分の境遇を茶化して、こんな句にしちゃうあたりはさすが洒落てる。自分が仕官できないのは、世の中が曇っているからとでも言いたげだ。
とはいえ、句の表向きの意味は逆で、いつも晴れてたら旱魃になって草も木も枯れてしまうから雨は必要。根の出来るのは曇って雨が降るおかげ。曇るから豊かになれる。曇らぬ国なんてあるわけないし、あるなら知りたいものだ、という意味になる。
二十五句目。
いつも曇ぬ国ぞしりたき
難儀なる風の千島に住馴て 西鶴
『元禄俳諧集』新日本古典文学大系71の註は、
胡沙吹かばくもりもぞするみちのくの
えぞには見せじ秋の夜の月
西行法師(夫木抄)
を引いているが、西鶴は談林の王道を守って律儀に證歌を引くので、おそらくこれで間違いないだろう。
胡沙は今ではアイヌ語のホサ(息)ではないかと言われているが、この時代はおそらく字の通り「胡(西域の国)」の沙(砂)ではなかったかと思う。モンゴルの砂嵐で蝦夷の人は名月が見えないとは、当時の地理認識の混乱振りがわかる。
千島については、
あたらしや蝦夷が千嶋の春の花
ながむる人もなくて散ちなむ
滋円(拾玉集)
など、正確な位置はどうだか知らないが、都の人にもその存在は知られていた。
胡沙の吹く千島に住み慣れれば、月が曇って見えないのが当たり前で、「いつも曇ぬ国ぞしりたき」と付く。
二十六句目。
難儀なる風の千島に住馴て
我女房に逢もうるさや 来山
前句を比喩にして、千島のように難儀な風(習慣)のある家に住み慣れて、自分地の女房に逢うのも一々面倒だ、と付く。
「うるさし」はかつては面倒だという意味で、今のうるさいは「かしまし」だった。古語辞典によると心(うら)狭(さ)しが語源だという。「あいつは俳諧にはうるさい」という場合は、薀蓄が止まらなくて五月蝿いのではなく、本来は俳諧という狭いところに心を入れ込んでいる、というような意味だったのだろう。
二十七句目。
我女房に逢もうるさや
鼠尾草は泪に似たる花の色 補天
「鼠尾草」は「みそはぎ」と読む。鼠尾草で検索すると中国語が出てくる。現代中国ではSalvia officinalis(Sage)とあるからセージのことを指す。百度百科には、Salvia japonica Thunbとある。これはアキノタムラソウを指す。これに対しミソハギはLythrum anceps。ただ見掛けは似ている。
ミソハギは盆花とも言われていて、旧盆のころに咲く。そこから、前句の女房を死んだ女房とし、お盆に帰ってくるとはいっても逢うのは心苦しいという意味に取り成す。
二十八句目。
鼠尾草は泪に似たる花の色
歌書まよふ秋の碓 瓠界
「碓」は「からうす」と読む。「碓氷峠」の「うす」。
『元禄俳諧集』新日本古典文学大系71の註には「『秋の暮』なら歌になるが『秋の碓』では歌になりにくい。どのように詠んだらよいか。」とある。ただ、「碓」と「暮」とでは違いすぎるので「雁」とした方が良いのではないか。草書だとかなり似ている。
この場合は秋の雁と書こうとして「雁」と「碓」の違いがわからなくなった、という意味ではないかと思う。
鳴き渡る雁の涙や落ちつらむ
物思ふ宿の萩の上の露
よみ人しらず(古今集)
が本歌か。
2018年3月24日土曜日
今日の暖かさで桜も一気に開いた。都内は満開になったという。ただ、標本木が80パーセント咲けば満開というらしい。
近所もこの前開花したと思ったらあっという間に五分から七分咲きになり、
世の中は三日見ぬ間に桜かな 蓼太
とはよく言ったものだ。
では「うたてやな」の巻の続き。
十九句目。
火に焚て見よちりの世の花
さびしきに喰てなぐさむ土筆 瓠界
前句の「火に焚て」は夜桜ではなく火を焚いて暖を取りながらの食事の風景になる。「さびしき」は山奥での隠棲の寂しさで、最初は塵の世が嫌になって出家して山に籠るのだが、しばらく暮らすと憂き思い出がだんだん美化され、懐かしくなり、寂しくもなる。
憂き我をさびしがらせよ閑古鳥 芭蕉
の句は、この一年後に芭蕉が詠む句だが、中世の『水無瀬三吟』には、
山深き里や嵐におくるらん
慣れぬ住ひぞ寂しさも憂き 宗祇
の句もある。もともと世間の憂鬱からのがれるための隠棲で、最初は憂きがまさり、段々寂しさに変わってゆく過程は不易と言ってもいいのだろう。
土筆はここでは「つくづくし」と読んで五文字にする。元禄二年の『阿羅野』に、
すごすごと親子摘けりつくづくし 舟泉
すごすごと摘やつまずや土筆 其角
すごすごと案山子のけけり土筆 蕉笠
土橋やよこにはへたるつくづくし 塩車
川舟や手をのべてつむ土筆 冬文
つくづくし頭巾にたまるひとつより 青江
という一連の「つくづくし」の句がある。「すごすごと」は今でいうと「黙々と」という感じか。
さて、瓠界の句の意味だが、隠棲の寂しさは土筆を食べると故郷で子供の頃摘んだ土筆のことを思い出して、慰められた気分になる。火を焚いて食事をしていると、桜がほのかに見えて浮世の桜を思い出す。というところか。
二十句目。
さびしきに喰てなぐさむ土筆
獺のまつりの魚を拾はん 補天
困ったことに「獺祭」で検索すると日本酒の銘柄ばかりが出てきてしまう。「獺祭 出典」で検索するとコトバンクが出てくる。その「デジタル大辞泉の解説」には、
1 《「礼記」月令から》カワウソが自分のとった魚を並べること。人が物を供えて先祖を祭るのに似ているところからいう。獺祭魚。おそまつり。うそまつり。
2 《晩唐の詩人李商隠が、文章を作るのに多数の書物を座の周囲に置いて参照し、自ら「獺祭魚」と号したところから》詩文を作るとき、多くの参考書を周囲に広げておくこと。
とある。正岡子規も獺祭書屋主人を名乗り、「獺祭書屋俳話」を書いた。この鈴呂屋俳話もそのオマージュである。
前句の寂しさに土筆を食う人物を隠逸の文士と見て、獺祭のように本をたくさん広げていると付ける。蕉門の「位付け」に似ている。ただ、土筆は川原に多く見られるので、川獺と縁がある。
二十一句目。
獺のまつりの魚を拾はん
儒といはれたる身のいそがしさ 万海
「儒」は「ものしり」と読む。「ものしり」は今日のようないろいろなことを知っている人という意味もあるが、祈祷師や占い師を指して言うこともあった。「儒」も元の意味は雨乞いをする人だという。占い師として名が立つと次々に占って欲しいという人がやってきて大忙し。いろいろな占いの書物を広げては、この人にはこれを、あの人にはこれをと書物を見ながら占う。
二十二句目。
儒といはれたる身のいそがしさ
常盤の松に養子たづぬる 西鶴
古今集の、
常磐なる松のみどりも春くれば
今ひとしほの色まさりけり
源宗于朝臣
の歌を踏まえ、常盤の松の「見取り(多くの中から選び取ること)」を養子探しとする。占い師も忙しくて養子を取って手伝わせたい所か。
近所もこの前開花したと思ったらあっという間に五分から七分咲きになり、
世の中は三日見ぬ間に桜かな 蓼太
とはよく言ったものだ。
では「うたてやな」の巻の続き。
十九句目。
火に焚て見よちりの世の花
さびしきに喰てなぐさむ土筆 瓠界
前句の「火に焚て」は夜桜ではなく火を焚いて暖を取りながらの食事の風景になる。「さびしき」は山奥での隠棲の寂しさで、最初は塵の世が嫌になって出家して山に籠るのだが、しばらく暮らすと憂き思い出がだんだん美化され、懐かしくなり、寂しくもなる。
憂き我をさびしがらせよ閑古鳥 芭蕉
の句は、この一年後に芭蕉が詠む句だが、中世の『水無瀬三吟』には、
山深き里や嵐におくるらん
慣れぬ住ひぞ寂しさも憂き 宗祇
の句もある。もともと世間の憂鬱からのがれるための隠棲で、最初は憂きがまさり、段々寂しさに変わってゆく過程は不易と言ってもいいのだろう。
土筆はここでは「つくづくし」と読んで五文字にする。元禄二年の『阿羅野』に、
すごすごと親子摘けりつくづくし 舟泉
すごすごと摘やつまずや土筆 其角
すごすごと案山子のけけり土筆 蕉笠
土橋やよこにはへたるつくづくし 塩車
川舟や手をのべてつむ土筆 冬文
つくづくし頭巾にたまるひとつより 青江
という一連の「つくづくし」の句がある。「すごすごと」は今でいうと「黙々と」という感じか。
さて、瓠界の句の意味だが、隠棲の寂しさは土筆を食べると故郷で子供の頃摘んだ土筆のことを思い出して、慰められた気分になる。火を焚いて食事をしていると、桜がほのかに見えて浮世の桜を思い出す。というところか。
二十句目。
さびしきに喰てなぐさむ土筆
獺のまつりの魚を拾はん 補天
困ったことに「獺祭」で検索すると日本酒の銘柄ばかりが出てきてしまう。「獺祭 出典」で検索するとコトバンクが出てくる。その「デジタル大辞泉の解説」には、
1 《「礼記」月令から》カワウソが自分のとった魚を並べること。人が物を供えて先祖を祭るのに似ているところからいう。獺祭魚。おそまつり。うそまつり。
2 《晩唐の詩人李商隠が、文章を作るのに多数の書物を座の周囲に置いて参照し、自ら「獺祭魚」と号したところから》詩文を作るとき、多くの参考書を周囲に広げておくこと。
とある。正岡子規も獺祭書屋主人を名乗り、「獺祭書屋俳話」を書いた。この鈴呂屋俳話もそのオマージュである。
前句の寂しさに土筆を食う人物を隠逸の文士と見て、獺祭のように本をたくさん広げていると付ける。蕉門の「位付け」に似ている。ただ、土筆は川原に多く見られるので、川獺と縁がある。
二十一句目。
獺のまつりの魚を拾はん
儒といはれたる身のいそがしさ 万海
「儒」は「ものしり」と読む。「ものしり」は今日のようないろいろなことを知っている人という意味もあるが、祈祷師や占い師を指して言うこともあった。「儒」も元の意味は雨乞いをする人だという。占い師として名が立つと次々に占って欲しいという人がやってきて大忙し。いろいろな占いの書物を広げては、この人にはこれを、あの人にはこれをと書物を見ながら占う。
二十二句目。
儒といはれたる身のいそがしさ
常盤の松に養子たづぬる 西鶴
古今集の、
常磐なる松のみどりも春くれば
今ひとしほの色まさりけり
源宗于朝臣
の歌を踏まえ、常盤の松の「見取り(多くの中から選び取ること)」を養子探しとする。占い師も忙しくて養子を取って手伝わせたい所か。
2018年3月23日金曜日
桜は都内で五分咲き、このあたりでは三分咲きといったところか。
昼間も時折ポツリポツリと気象庁の記録に残らないような雨が降ったし、夜になると本降りになった。
それでは「うたてやな」の巻の続き。
十一句目。
常は橋なき野はづれの川
ぼとぼとと楮たたいて濁す水 補天
楮(こうぞ)は和紙の原料で、和紙を作るにはいくつかの過程があり、ネットで調べれば詳しく載っている。刈り取った楮をまず蒸して、皮を剝ぐ。この剝いだ皮のほうを使う。皮を干し、再び煮てから水に晒して不純物を取り除く。こうして綺麗になった皮の黒い部分を取り除き、再び煮込んで水に晒し、さらに不純物を取り除く。それから叩いてほぐし、それに水とトロロアオイから作ったネリを加えて漉いて紙にする。
「ぼとぼとと楮たたいて」というのはこの叩いてほぐす過程をいう。ただ、叩くだけでは水が濁らないので、その前の工程の水に晒して不純物を取り除く過程で水が濁っていたのだろう。
橋のない野のはずれの川では、こういう作業が行われていることもあったのだろう。
十二句目。
ぼとぼとと楮たたいて濁す水
むなしくさげてかへるもんどり 来山
「もんどり」はここでは漁具のことで、網に漏斗状の入口があり、入ったら出られなくなる罠のことをいう。
製紙作業で水が濁って魚が逃げてしまったのか、仕掛けたモンドリは空っぽで、むなしく下げて帰る。
十三句目。
むなしくさげてかへるもんどり
我宿の菊は心の節句なる 西鶴
菊の節句だから、これは九月九日の重陽の句だろう。菊の酒を飲んだりする。酒を飲む以上、肴も必要で、それでもんどりを仕掛けて魚を取ろうとしたのだろう。
「節(せち)」には今日でも正月料理を「御節(おせち)」というように、ご馳走の意味もある。我が宿では菊の酒さえあればご馳走は心の中だけで十分だ、とちょっと強がって言っているのだろう。
十四句目。
我宿の菊は心の節句なる
こがるるかたに三ヶ月の端 瓠界
菊はここでは娘の名前で「お菊さん」。「節句」も比喩で、心は節句のようにはしゃいでるという意味に取り成し、恋に転じる。
「菊」は秋の季語なので、ここで秋の季語を入れなくてはならないから三日月を出す。前句の重陽を捨てているので九日の月でなくてもいい。愛しい人はあの三日月の方向、つまり西の方にいるのだろう。
菊を娘の名に取り成すというと、『炭俵』の「むめがかに」の巻に、
御頭へ菊もらはるるめいわくさ
娘を堅う人にあはせぬ 芭蕉
の句があるが、これは元禄七年の春なので、この「うたてやな」の巻が元禄三年の春だから四年早い。こういう取り成しはよくあったのかもしれない。
十五句目。
こがるるかたに三ヶ月の端
虫はなせそれも泪の夜物ぞや 鬼貫
前句を逢いたくても逢いにいけない箱入り娘の句にして、同じ籠に囚われている鈴虫か何かに同情して、放してやれと言う。虫も「泣く」ように私と同じ夜に鳴いている者だから。
十六句目。
虫はなせそれも泪の夜物ぞや
とへどもこひをしらぬ木法師 万海
前句の「虫はなせ」を「虫放せ」ではなく「虫は何故(なぜ)」に取り成して、虫は何で泣いているのかと法師に問いかける。虫も恋して、雄が雌を引き寄せるために鳴いているのだが、恋に疎い木石のような心の法師は答に窮する。
十七句目。
とへどもこひをしらぬ木法師
鉈かりに行まい筈が近隣 来山
「木」に「鉈」の縁で付ける。鉈を借りに、普通なら行くはずのない近隣の家に行く。前句の「とへども」は「問えども」から「訪えども」に取り成され、木法師のもとを尋ねるのだが、恋を知らぬ木法師だったとなる。
十八句目。
鉈かりに行まい筈が近隣
火に焚て見よちりの世の花 才麿
これは「夜桜」のことか。鉈を借りに行く予定ではなかったが、薪を準備して夜に火を焚けば、闇の夜の花も見える。塵の世は闇ということで「塵の世の花」は「闇の花」ということか。
ただ、江戸時代には一般的には火を焚いて夜桜を観賞する習慣はなかった。それだけに満開の桜と満月が重なる日は貴重だったが、滅多に花と月が揃うことはなかった。
夜桜が本格的に広まったのは戦後の電気の普及のおかげといえよう。
昼間も時折ポツリポツリと気象庁の記録に残らないような雨が降ったし、夜になると本降りになった。
それでは「うたてやな」の巻の続き。
十一句目。
常は橋なき野はづれの川
ぼとぼとと楮たたいて濁す水 補天
楮(こうぞ)は和紙の原料で、和紙を作るにはいくつかの過程があり、ネットで調べれば詳しく載っている。刈り取った楮をまず蒸して、皮を剝ぐ。この剝いだ皮のほうを使う。皮を干し、再び煮てから水に晒して不純物を取り除く。こうして綺麗になった皮の黒い部分を取り除き、再び煮込んで水に晒し、さらに不純物を取り除く。それから叩いてほぐし、それに水とトロロアオイから作ったネリを加えて漉いて紙にする。
「ぼとぼとと楮たたいて」というのはこの叩いてほぐす過程をいう。ただ、叩くだけでは水が濁らないので、その前の工程の水に晒して不純物を取り除く過程で水が濁っていたのだろう。
橋のない野のはずれの川では、こういう作業が行われていることもあったのだろう。
十二句目。
ぼとぼとと楮たたいて濁す水
むなしくさげてかへるもんどり 来山
「もんどり」はここでは漁具のことで、網に漏斗状の入口があり、入ったら出られなくなる罠のことをいう。
製紙作業で水が濁って魚が逃げてしまったのか、仕掛けたモンドリは空っぽで、むなしく下げて帰る。
十三句目。
むなしくさげてかへるもんどり
我宿の菊は心の節句なる 西鶴
菊の節句だから、これは九月九日の重陽の句だろう。菊の酒を飲んだりする。酒を飲む以上、肴も必要で、それでもんどりを仕掛けて魚を取ろうとしたのだろう。
「節(せち)」には今日でも正月料理を「御節(おせち)」というように、ご馳走の意味もある。我が宿では菊の酒さえあればご馳走は心の中だけで十分だ、とちょっと強がって言っているのだろう。
十四句目。
我宿の菊は心の節句なる
こがるるかたに三ヶ月の端 瓠界
菊はここでは娘の名前で「お菊さん」。「節句」も比喩で、心は節句のようにはしゃいでるという意味に取り成し、恋に転じる。
「菊」は秋の季語なので、ここで秋の季語を入れなくてはならないから三日月を出す。前句の重陽を捨てているので九日の月でなくてもいい。愛しい人はあの三日月の方向、つまり西の方にいるのだろう。
菊を娘の名に取り成すというと、『炭俵』の「むめがかに」の巻に、
御頭へ菊もらはるるめいわくさ
娘を堅う人にあはせぬ 芭蕉
の句があるが、これは元禄七年の春なので、この「うたてやな」の巻が元禄三年の春だから四年早い。こういう取り成しはよくあったのかもしれない。
十五句目。
こがるるかたに三ヶ月の端
虫はなせそれも泪の夜物ぞや 鬼貫
前句を逢いたくても逢いにいけない箱入り娘の句にして、同じ籠に囚われている鈴虫か何かに同情して、放してやれと言う。虫も「泣く」ように私と同じ夜に鳴いている者だから。
十六句目。
虫はなせそれも泪の夜物ぞや
とへどもこひをしらぬ木法師 万海
前句の「虫はなせ」を「虫放せ」ではなく「虫は何故(なぜ)」に取り成して、虫は何で泣いているのかと法師に問いかける。虫も恋して、雄が雌を引き寄せるために鳴いているのだが、恋に疎い木石のような心の法師は答に窮する。
十七句目。
とへどもこひをしらぬ木法師
鉈かりに行まい筈が近隣 来山
「木」に「鉈」の縁で付ける。鉈を借りに、普通なら行くはずのない近隣の家に行く。前句の「とへども」は「問えども」から「訪えども」に取り成され、木法師のもとを尋ねるのだが、恋を知らぬ木法師だったとなる。
十八句目。
鉈かりに行まい筈が近隣
火に焚て見よちりの世の花 才麿
これは「夜桜」のことか。鉈を借りに行く予定ではなかったが、薪を準備して夜に火を焚けば、闇の夜の花も見える。塵の世は闇ということで「塵の世の花」は「闇の花」ということか。
ただ、江戸時代には一般的には火を焚いて夜桜を観賞する習慣はなかった。それだけに満開の桜と満月が重なる日は貴重だったが、滅多に花と月が揃うことはなかった。
夜桜が本格的に広まったのは戦後の電気の普及のおかげといえよう。
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