2024年12月30日月曜日

  今年も明日で終わり。白笹稲荷神社に行ったら茅の輪が用意されてた。賽銭箱は拝殿の階段の手前に置かれて、初詣の準備も出来てた。
 芭蕉の時代には初詣はなくて、大晦日の大祓に神社にお参りに行くのが普通だったという。それに倣って茅の輪をくぐってきた。
 本殿拝殿の裏手にもお稲荷さんの小さな社がいくつかあって、写真はその一つ、これは、

 米買に雪の袋や投(なげ)頭巾 芭蕉

の句の投頭巾だろうか。ただ、四角い袋ではなく、よく見ると狐耳が作ってある。

 今年もいろいろやり残したことはある。
 結局西洋哲学の弱点は人類普遍と個々の人間は思考できても、民族という曖昧なものを思考できない、それが人権思想の行き詰まりの原因ではなかったかと思う。
 人間の個々の意識は直接人類普遍の遺伝的資質によって決定されるのではない。必ず生まれ育った文化を経由する。
 言語が良い例で、人間の言語能力は遺伝的に具わったものであるにせよ、実際には既存の言語に接することによって学習されるもので、幼少期の早い時期に全く言語の無い環境に置かれると、言語の習得そのものが困難になる。また、単一言語の環境で育つと外国語の習得に苦労することになり、二言語環境だとどちらか一方になりやすい。少数民族言語が失われやすいのもこの理由による。多言語環境だと多言語を習得できるが、そのような地域は世界的にはそれほど多くはない。
 言語に限らず、社会の様々な習慣も、生まれ育った社会で学習するもので、道徳意識が何らかの生得的なものであっても、実際はその文化の価値観によって形成される。
 個の形成は類から直接的に形成されるものではなく、その中間とも言える種によって媒介されて形成される。田辺元の「種の論理」をもう一度見直してみてはどうかと思う。
 個は類より発しながらも種に媒介されて具体化される。そして、個が日常的に接するのは種の価値観であり、それを介して人類普遍を学ぶ。
 個人の権利はいきなり地球連邦を作ることはないし、地球連邦なるものがあったとしても、単一の価値観を維持することはできず、必ず地域、職種、階級、言語集団、文化圏、宗教などの一定の交友範囲が存在する限り、独自の文化が形成される。それを許さないとなるといわゆるディストピアの状態になる。
 田辺哲学が衰退したのは、種の概念が明確に定義できないことと、人種(race)と安易に混同されたことが原因だろう。
 実際、民族という言葉ですら明確に定義することは難しい。例えば日本人を大和民族と定義しようにも、それは必ずしも血縁を意味しない。古代の帰化人から、文禄・慶長の役の時に日本に来た朝鮮人(チョソンサラム)、されに近代以降に日本に帰化した様々な外国人の血が、今の日本人には混ざっているし、今も多くの人が日本に帰化して日本人になっている。
 また民族は国境で定義することもできない。外国にも日本人は住んでいるし、日本にもたくさんの外国人が住んでいる。
 また日本国内においても文化は一元的なものではない。様々な地方文化があり、その地方の人の気質があり、方言がある。また職種による常識の違いなどもあり、より細かく言えば家風なるその家独自のものもある。文化は常に多元的で、外国文化の影響も少なからず受けている。
 民族というのは定義できないがそれでも何となく存在するという曖昧なもので、この定義困難から田辺元はそれを「無」と呼んだ。「陰陽不測是を神という」という易の言葉があるが、この「無」は神であり、天皇の場所でもある。わからないから、明確に存在が規定できないから無なのであって、文字通り「何もない」ということではない。不明瞭な曖昧な有であるがゆえに、「厳密な哲学」においては無と規定されているにすぎない。
 こうした曖昧さについて、西洋の理性は十分な思考をすることができなかった。それが人権思想を中途半端且つ、人間の正常な感情に反した過激なものにしてしまったと言って良いだろう。
 類と個との関係は民族とでもいうべき種を媒介にしていることについて、きちんと考察し、法体系に反映させる必要がある。それが人権思想を救う唯一の道ではないかと思う。
 類と種の関係は、類の持つ遺伝的資質が学習によって初めて発現するということで説明できる。類は多様な種において具体化される。
 類と個の関係は俺がつねづね「生存の取引」と呼んできたものに他ならない。人は一人では生きられない以上、常に周囲の人間と個別的で具体的な取引を繰り返しながら、自分の居場所を確保する。それは決して社会契約という形で一般化できるものではない。社会との契約ではなく、具体的に周囲の一人一人の人間との取引だからだ。社会のルールというのはこれの繰り返しによって形成される。それはパロールとラングの関係でもある。
 類と種との関係は、いわば深層言語と諸言語との関係で、種と個の関係は諸言語(ラング)と発話(パロール)の関係になる。
 ただ、古典言語学が想定したような普遍的なラングは存在しない。ただ反復される夥しい数のパロールを、それぞれの個々の脳が深層言語に基づいて解析してそれぞれ下した結論がラングであるにすぎない。それは魯迅の「もともと地上に道はない、人が歩けば道ができる」というのと同じで「もともと地上にラングはない、人が喋ればそこに言語ができる(人のパロールがラングになる)」にすぎない。
 言語は人の具体的な交流の範囲によって決定される。この交流が階層的であれば言語も方言・スラング・専門用語などに階層化する。そこに明瞭な理性的な統一があるわけではない。
 民族の文化や風習・習慣などもそこには理性的な統一などない。それは人と人との交流によって不断に形成され、更新され続けている。
 田辺元は歴史的現実を過去と規定して、個々の自由の前に冷酷に立ちはだかるものと考えていたが、これは正しくない。現実は不特定多数の多くの人々が思い描く過去であり現在であり未来である。他人が進もうとしている未来と自分が進もうとしている未来がぶつかり合う、それが現実に他ならない。そして、個の対立の解消は、面倒くさいことではあるが、その異なる未来を思い描く他人一人一人と不断に生存の取引を繰り返すことに他ならない。それが生きるということだ。陳腐な言葉だが「それが人生だ!」
 個々の生存の取引の繰り返しで、種が形成され、その種を通じで新たな世代の個々が育って行く。
 類と種の否定的関係は類が単独で種を構成できない以上、類は複数の種に分断され、それが国家を形成することで、ホッブスの言うリバイアサンとリバイアサンの戦いを生み出す。この対立が種による類の否定であり、人間の普遍的理性がこの種の分断を憎むことが類による種の否定になる。しかし、種は消去することはできないし、一つにすることもできない。
 種と個の否定的関係は、まず個が生まれ落ちた時、未熟な子供は周囲の人々との関係において圧倒的に不利な状況にあり、大人たちとの妥協の元でしか自我を形成できない。これが種による個の否定になる。これに対し、個は自己の欲求に従い、周囲の大人たちの間で生きる意志を示し、自分の生きる場所を確保しようと不断の生存の取引を繰り返す。これが個による種の否定になる。
 個々の生存の取引への強い欲求と衝動は、人類の類としての遺伝的資質に根拠を持つことから、個による種の否定は類に媒介される。それが唯一、種の分断を一つの類に繋ぐ力になる。人権の根拠はそこにあり、またそこにしかない。
 人権ができるのは種の持つ習慣の更新であり、破壊ではない。つまり人権思想は国境を破壊することはできないししてはならない。そこの間違いが今の世界を大きく混乱させている原因になっている。

2024年12月27日金曜日

 今日で一年の句会が終わった。

 日常を綴れば年の瀬の早き

ということで、昨日の続き。
 9月は24日に南足柄の芙蓉を見に行き、25日に伊勢原の彼岸花を見に行った。29日はたばこ祭俳句大会で、その夜は祭りを見に行った。
 10月1日にも南足柄の芙蓉を見に行き、2日は山中湖の花の都公園に行った。7日は松田のコキアを見に行き、11日は平塚にコスモスを見に行った。16日は小田原フラワーガーデンの秋薔薇。
 18日は現代俳句協会の丹沢句会吟行会に行った。

 秋水を隠し盆地は石の湖
 秋霖やまだこれからの山の色

 19日は平塚市文化祭俳句大会。

 金木犀の空飛ぶ粉を幻視する
 高潮や深海を垣間見る思い

 27日は厚木市民文化祭俳句大会。

 街道を行けば窓皆秋灯す
 若き日は世にあらがうや葛紅葉
 交わらぬ二本のレール秋夕焼け

 11月2日は茅ケ崎市民文化祭俳句大会。

 曇天の向こうお日様冬用意
 いくさ後の世をいつか見ん秋惜しむ

 11月は7,8と続けて山中湖に紅葉を見に行った。
 12日の第三句会は蓑毛吟行会だった。

 山門の朱も薄れてや冬紅葉
 水音や熊出没の看板に
 個体差のある六地蔵ふ毛糸帽
 コスモスの枯れて明日の種を持つ

 13日は小田原にざる菊を見に行った。
 11月17日はなかい里山俳句大会。

 生という小さな島よ冬銀河
 山茶花の去り行くものの土を染む

 19日は3度目の山中湖で、28日は同じく山中湖の明神山に登った。
 その前の24日は秦野市文化祭俳句大会。

 富士山も鎮座まします冬うらら
 烏瓜藪を夕陽で満たすよに

 ここでこの年の俳句大会は終わり。
 12月は1日にやまきた駅前朝市を見てから河村城址に行った。
 2日は神宮外苑の銀杏を見に行った。久しぶりの東京。クリスマス市を見てからDJのいるクラフトビールの店へ行った。神宮の銀杏も無くなると思うと名残惜しくてって、無くなりません。デマには気を付けよう。
 4日は丹沢湖に行き、帰りに洒水の滝に寄った。
 16日には裾野の五龍の滝、清水町の柿田川公園、三島大社を見て回った。

 その他、今年の句は鈴呂屋書庫の方にアップしてるけど、ここでもいくつか。

   述懐
 長らうや遠い光と霞む影
 残響よつちふる街の在りし日々
 苦き夜に糖分少しバレンタイン
 燕来て何思うシャッター閉じた街
 震えてた子猫見知らぬ部屋の隅
 蝶四羽おまいらどんな関係だ
 モノクロは煙の如し昭和の日
 町工場の鼓動はあるや五月闇
 脱水の音ごとごとと五月闇
 外は雨白い陶器にさくらんぼ
   ニコニコに続いてカクヨムも
 鯖落ちてかく詠む俳句いかならむ
   新生姜は秋の季な
 奪われぬ空の茜や新生姜
 砂煙あれは魔王の雷火かな
 白雨が塗りつぶすなり黒い雲
 抱き枕のイルカ跳ねるや熱帯夜
 眠れない頭に金魚回遊す
 金魚すくい濁世は灯り煌々と
 金魚一つ色なき水の揺らぎ哉
 火は命いつか煙の忘れ草
 扇風機の音に空飛ぶ夢を見た
 七夕の岸は果てない星の海
 灯籠の数よ我らは生きている
 灯籠か宇宙から見る地上の灯
 月は猫何食わぬ顔で見おろせり
 先を行く影もあるべし月天心
 鈴虫の羽のハートが震えてる
 ダム底の暗くて遠き野分哉
   声
 地震野分「生きろ」と闇に声がする
 露草は夜の光の名残かや
 赤とんぼ稲を守る機影の如く
 銀杏が踏まれ一日が始まる
 あれやこれ燻ぶる思い秋刀魚焼く
 秋暮れて静かに色を消す世界
 落日の海遥かにて林檎剥く
   アメリカ大統領選挙
 平和へとランプ灯すや冬の夜
 ムスリムの墓にも立つや狐の火
   桜の木の下に死体があるというなら
 帰り花されば燐火に匂うらん

2024年12月26日木曜日

 今日は沼津の大瀬崎に行った。
 風が強かったけど暖かかった。
 水仙やツワブキが咲いてた。
 辺りはダイビングの店が並び、ダイビングの人がたくさんいた。
 風雪に耐えたようなビャクシンの巨木がたくさんあり、大瀬神社にはなかなか古そうな江戸狛犬があった。
 岬の先に池があって鳥がたくさん鳴いていた。

 今年一年を振り返るということで、昨日の続きだが、7月4日には文化団体協議会の遠足で河口湖へ行った。囲碁団体の方の人が昼食の時に「美人の奥に河口湖」と言ったので、それに上五を付けて、

 ビール飲む美人の奥に河口湖

 7月6日は湘南平塚七夕まつり俳句大会に行った。

 空梅雨やいろいろ使う風呂の水
 旅人の汗五百年松並木

 7月19日は小田原城の蓮を見に行き、7月23日には伊勢原のいせはら塔の山緑地公園を散歩してから比々多神社に参拝し、8月2日には地元秦野の東田原の蓮を見に行った。
 3日は戸川公園の向日葵を見て、10日には座間の向日葵を見に行った。

2024年12月25日水曜日

  信仰の自由というのは、お互いに他の宗教を信じるものを尊重し合う所に成り立つもので、他の宗教を一切認めないばかりか暴力的な行動すらとるような宗教に「信仰の自由」を認めることはできない。
 ムスリムもその大半を占める世俗主義者に関しては信仰の自由は認められるべきだが、イスラム原理主義に信仰の自由を認めるわけにはいかない。これはキリスト原理主義でも同じだ。排他的な原理主義はそれ自体信仰の自由と矛盾する。

 それで、今年一年を振り返るということで昨日の続き。
 4月2日の午前中は蓑毛の淡墨桜を見に行った。

 雨雲の淡墨散らす桜かな

 午後から寄(やどりき)の方を散歩して萱沼の枝垂桜を見た。
 6日の午前中は寄(やどりき)の土佐原の枝垂桜を見たがまだ早かった。午後は秦野白泉寺の枝垂桜を見た。

 桜枝垂れて墓は沈黙するのみぞ
 
 7日は震生湖と弘法山の桜を見て、8日も弘法山に行った。9日、土佐原の枝垂桜は今度こそ満開だった。
 14日は千村の八重桜を見てから頭高山に登った。17日は南足柄の金剛寺の牡丹を見に行った。25日には小田原城の御感の藤を見に行った。そのあとまた金剛寺の牡丹を見に行った。

 牡丹の雨に儚き重さかな

 29日は茅ケ崎大岡越前祭俳句大会に行った。

 葛若葉その勢いの火の如く
 しがらみも古郷の香よ春の風

 5月10日は小田原フラワーガーデンの薔薇を見に行った。

 憂鬱の文字忘れけり薔薇の園

 11日は秦野カルチャーパークの薔薇を見に行った。
 20日は鎌倉吟行俳句大会に行った。

 若葉雨光は古き代の仏
 平家池四を世にかえて蓮若葉

 24日、山梨の芦川のすずらんを見に行った。
 25日は厚木市新緑俳句大会に行った。

 ソーラーの黒も埋めて若葉哉
 画眉鳥の声の隙間や時鳥

 29日は小田原城の花菖蒲を見に行き、そのあとまた小田原フラワーガーデンへ行った。薔薇だけでなく、睡蓮も咲いていて、ここでも花菖蒲が咲いていた。
 6月4日は二宮の花菖蒲を見に行き、12日は下田の紫陽花を見に行った。

 紫陽花は青ければ地球のようだ
 紫陽花の最後は土の色になる

 14日は開成の紫陽花を見に行った。
 この頃は千村の蛍を何度も見に行った。

 目には蛍山ほととぎす真竹の子
 網膜にゆっくり回る蛍哉
 蛍舞う後ろの森は鳥の声

2024年12月24日火曜日

 はぴほりー。
 近頃AIを使ったお絵かきにはまっていて、XAI俳画なるものをアップしている。今日はクリスマスなのでこれ。

 はぴほりや耶蘇の首相のいる国に

 あと、野ざらし紀行のAI俳画も鈴呂屋書庫の方にアップしてるのでよろしく。

  今年は秦野市俳句協会の事務局長になった上に神奈川県俳句連盟の役員になったこともあって、なかなかじっくりと俳諧の研究をする暇もなくなって、鈴呂屋俳話の方も2月で止まってしまって、そこから先はたまにあまり俳句に関係のないことを書いてきたりする程度になってしまった。
 忙しさという意味では、働いてた頃の方がはるかに忙しかったんだけど、一度毎日がホリデーになってしまうと、現役時代の生活リズムに戻すほどの忙しさでもなく、つい怠惰な日常のとっぷり浸かることになってしまった。来年は少しは元のリズムに戻したい。
 2月以降、いろいろなことがあった。
 39日には「おおいゆめの里俳句大会」に行った。こ年一年いろんな神奈川県西南部の俳句大会を回るその始まりだった。これから一年、おおむね一点取れるかどうかというゲームをしてきたわけだが、この日の俳句は、

 太陽のたわわな枝やミモザの日

 ちょうどミモザの季節だった。「月曜日のたわわ」が話題になってのはその1カ月後の44日の新聞広告で、いわゆるツイフェミが噛み付いてきたが、それとは関係なかった。ただミモザの日は女性の日ということで「たわわ」からの連想は狙ったものだった。
 315日には南足柄の春めき桜を見に行った。16日は戸川公園の白木蓮を見に行った。18日は蓑毛のミツマタを見に行った。

 金鉱か杉こもれ日のミツマタは

 ミツマタは鹿が食わないという。
 21日にも春めき桜を見に行った。
 
 桜咲く廃工場の追憶に
 
 31日は千村のチューリップを見に行った。今年は生育が悪くて背が低かった。

2024年12月18日水曜日

 今年ももう残り少なくなってきた。
 ロシアのウクライナ侵略から世界はどうなってしまうのかと不安だったけど、ようやく希望が見えてきた気もする。
 マスコミの衰退、ネットの台頭は人権思想と国境なき世界の安易な理想を退けて、現実的な解決に向かわせる。二十世紀の社会主義の壮大な実験が飢餓と粛清の嵐で終っていったように、二十一世紀の人権思想も治安の崩壊と侵略行為への無力から、終わって行こうとしている。
 国境なき世界は結局犯罪者とテロ組織と軍隊に移動の自由を与えるだけだった。
 以前、詩人会議という共産党系の組織にいた頃、社会主義国家は失敗に終わった。社会主義はどう変わらなければいけないのかという話を聞いて、NGO社会主義と答えたことがあった。
 つまり資本主義の自由競争の原理の範囲内で、社会主義は国家を指向するのではなく、むしろ独立採算の企業体として一般企業と競争しながら、様々な問題を解決する可能性を思い描いたわけだが、実際の共産主義者の生き残りはNGO社会主義ではなくNPO社会主義に留まった。
 経済的に独立した組織として自由競争の真っただ中に飛び込む勇気もなく、ただ国家や自治体の公的資金をチューチューして、行政の委託を受けることで行政を乗っ取って行くという方法を取るようになった。
 その一方で新しい資本主義は、企業が社会の諸問題を解決することで、持続可能な資本主義を目指すように変わっていった。その際、マスコミの世論操作によって、企業は大きく左翼寄りに引っ張られてゆくことになった。
 NPO社会主義は国家のような集中的な組織ではなく、分散的なネットワーク型の組織であるため、その中心はわかりにくい。ただ、多くの社会主義的組織とマスコミと官僚と司法が緩やかに結びつきながら、社会を誤った誤った方向に導いていった。
 トランプさんが言うディープステートとの戦いは、Qアノンのような一部の極端な陰謀説の主張と意図的に混同されるようにマスコミは導いてきたが、現実のディープステートはそのような影の支配者がいるわけでなく、ただ市民運動と称する似せ市民、プロ市民のネットワークが存在するだけだった。
 これらのネットワークは中国やロシアやイスラム原理主義との親和性も高く、国連でも力を持っている。そのネットワークが今ようやく綻びはじめてきた。
 実際の選挙による民意とは違ったところで暴力的に圧力をかけて来るこれらのネットワークが、国家や自治体の予算を吸い取り、直接選挙の及ばない司法権に巣くっていることに、ようやくネット民たちが気付き始めた。
 まだ、ネット民の力は弱々しい。しかし、ゆっくりと確実にNPO社会主義の時代を終わらせてゆくことだろう。
 国境は無くならないし無くすべきではない。多文化の共存は棲み分けが不可欠であり、一つの地域に複数の矛盾するルールはあってはならない。それはただ無秩序と治安の悪化、そして他国の侵略への脆弱性にしかならないことはもう十分わかったはずだ。国境は守らなければ守れない。

 また、経済にもようやく明るい兆しが見えてきた。かつてのモータリゼーションやエレクトリゼーションが生活を一変させ、それから半世紀遅れてIT革命が生活を一変させたように、次の変化がようやく見えてきた。間違いなく次に来るのはAI革命だろう。
 モータリゼーションやエレクトリゼーションは大量生産大量消費の時代を生んだ。その幻影に縛られて高度成長の夢よもう一度と願ってきたいわゆる戦後ベビーブーマーも、さすがに年には勝てない。
 地球レベルで進行している少子化の前には労働者の限界生産性を高めるバンドワゴンなんてのは時代錯誤の妄想にすぎない。生産性の向上によって少ない人口で十分な生産力を確保する、雇用を増やさないイノベーションが不可欠だ。それをやらなければ移民の争奪戦になる。
 少子化の時代には移民の確保も困難になるし、優良な移民はもはや望めない。どこの国でもいる食いつめ者、アウトロー、過激派など、その国にいられない人間が国境をまたいでやって来るだけだ。優良な移民が欲しかったら、ロシアのように他国を侵略して拉致してこなくてはなるまい。それが少子化時代の戦争だ。
 そんななかでAIは救世主になる。今のAIはせいぜい絵を描くことに役に立ってるくらいだが、AIは使えば使うほど学習して進化を続ける。今は無知で嘘つきなAIもこれからどんな進化を遂げるのか、想像もつかないほどの大きな可能性を持っている。
 当然、こうした新技術に対して、社会主義者はお約束のようにラッダイト運動を起こしている。ただ、人間が生産物によって生活している以上、生産性の向上は必ず人を豊かにする。
 技術の恩恵はそれをまっ先に採用した者が多くの恩恵を受けるのは当然のことであり、それを頑なに拒む者は貧しいまま取り残されるのも当然のことだ。だからと言って新技術を破壊しても、彼らは豊かにはなれない。全体が今まで通りの貧しさに留まるだけだ。
 社会主義者のイノベーションへの抵抗は今後も続くだろうし、マスコミ、官僚、司法などと連携して無理ゲーのように国民の前に立ちはだかるかもしれないが、ネットはそれを乗り越える武器となる。それが今の唯一の希望だ。

2024年10月30日水曜日

  人口論を考える際、まず人口論というのは、経済を考える際に人口の視点を導入するということであって、マルサスが何を言ったかなんてことは重要ではない。
 これに対して、人口論を拒否する論者はマルサスの発言を大きく取り上げて、支配者階級のイデオロギーだという理由で経済に人口の視点を持ち込むことを全否定する。
 アセモグル他の「技術革新と不平等の1000年史」も結局その手の本だ。はっきり言ってこれがノーベル賞だなんて呆れてものも言えない。

 人口が増加するのは農民が無知蒙昧で無計画に子供を作った結果ではない。まずこれが大事。
 そもそも一般的に前近代の社会では子供は点からの授かり物であり、どんなに毎日せっせと励んだ所で子供ができない場合もあるし、たった一回の過ちで出来ることもある。
 今日でもこのコントロールは難しいというのに、有効な避妊の知識のなかった時代に生まれてくる子の数をコントロールすることはほとんど不可能に近かった。
 それとともに前近代の社会では乳幼児の死亡率が高く、生まれてきた子供が確実に成人まで生きられるという保証はなかった。
 家督を維持するには確実に一人は子孫を残さなくてはならないが、だからと言って一人産めば足りるというものではない。死亡率の低い現代であれば一人っ子でも十分となるが、前近代ではいつ死ぬかわからない子供を一人しか作らないというわけにはいかなかった。死んだ時のためのスペアを常に必要としていた。
 もちろん子供が一人生き残っても、結婚相手がいないのではしょうがない。女児がどこかで生れてなくては、跡取り息子は子孫を残すことができない。女児は家同士で交換し合わなくてはならないから、家督を確実に子孫を残すためには、死亡率ゼロとして二人、死亡率が50%なら四人産まなくてはならない。実際はもっと確実に子孫を残そうとしたならそれ以上生まなくてはならなかっただろう。出生率は4以上必要ということだ。出生率が2で良いのは死亡率が限りなくゼロに近いことを前提にしての話だ。
 こうした世界では、運不運があっても確実に子孫を残せるように、死ぬ数よりも常に多めに子孫を残そうとする。これは階級に関係なく、多かれ少なかれ残すべき財産を持つ者すべてに当てはまる。
 古事記に黄泉の国の神の伊弉冉尊が一日千人を殺すと言った時、伊弉諾尊はなら千五百人の子供を作ればいいと返したように、常に死ぬ数よりもはるかに多い数の子を作ろうとする。これは保険を掛けるという意味では自然なことだ。
 だから、人口の増加は農民や下層階級に限ったことではなかった。上流階級でも常に人口は増加してたはずだが、ただ上流階級には定員があった。領土の拡大や新たな農地の開墾がなければ領主の数を増やすわけにはいかないのは当然のことだ。そんなことしたら支配者階級全体が貧困化することになる。
 だから、支配者階級には常に熾烈な権力闘争があり、敗者は殺されるか没落するしかなかった。支配者階級だって人口は増える。だから必死になって荘園開発もするし、その一方で他人の年を奪う侵略行為も常態化していた。特に侵略ということになると、当然ながら殺し合いになり、結局適正な人口に維持されることとなった。
 内部での権力闘争に敗れて没落するか、外部との戦争で命を落とすか、そのどちらかがあって支配者階級の人口も調整されてた。そうでなかったなら国中王様だらけになってしまっていただろう。

 少子化というのは近代の豊かさと医療水準の高さから、生まれてきた子供のほとんどが成人まで生きられるようになって、跡取り息子の死んだ時の保険を掛ける必要がなくなったことに加え、賃金労働者の家庭が非常に多くの割合を占めるようになって、家督という概念がなくなったことも影響している。
 現代人の多くは子孫を残すためでなく、ただ自分の人生が幸せで豊かなものであればそれでいいと思って生きている。子供はいつの間にか自分の幸福を脅かす邪魔っけな存在になってしまったわけだ。
 少子化はある程度の近代化を成し遂げた社会ではほぼ例外なく起きている。少子化の原因はその国の政策の失敗ではなく、近代化そのものの内にある。少子化を克服したなんて話を聞いてみても、出生率を2まで回復させれば万々歳の状態だ。間違っても4以上になることはない。

 アセモグル他の「技術革新と不平等の1000年史」上の43%の所にこうある。

 「1100年から1300年のあいだに一人当たりの農業生産性は15%上昇したと見積もられる」
 「1100年に220万前後だったイングランドの人口は、1300年には500万にまで増えていたのである」
 「都市人口は1100年から1300年までのあいだに20万人から約100万人へと増加していた」

 1100年にには200万人の農民で都市人口を入れた220万を養っていたとして、生産性が15%向上したとしても253万人しか養えない。
 仮に耕地面積と農業人口が倍に増えたとすれば400万の農民で養えるのは506万人になる。400万の農民が106万人の都市人口を養うことになる。
 これでも農民の生活はこれまでと同じで豊かにはならない。まして耕地面積が倍まで増やすことができなかったとしたら、悲惨なことになる。
 新たな農地開発に、さぞかし貴族や聖職者たちは忙しく働き回ったことだろう。
 しかしこの本はそういう見方をしない。
 人口増加の圧力にさらされる。→支配者階級はそのため絶えず農地の開墾のために余剰人口を搔き集めて働かせなくてはならなかったし、その一方では領土拡大のために戦争に明け暮れることにもなった。→その結果農民は生産性の向上と引き換えに農地開墾の労働に駆り出され、その結果ある数のあぶれ者は新しい農地を手にできただろう。→それでもあぶれてしまう者は都市に流れ込み、商工業を発展させ、それが技術革新につながり生産性の向上をもたらすことになった。
 アセモグル他の「技術革新と不平等の1000年史」はこの物語をひっくり返して逆から読もうとする。
 つまりまず悪い権力者がいた。というより権力者というのは悪者に決まっているということが前提されている。→権力者は私利私欲のために生産性の向上を掲げ、農民を騙して開墾作業を行わせた。→それでもあぶれた者は都市に追いやり、そこで死ぬまでこき使った。→結果生産性の向上の有用なアイデアも権力者と富ませただけで、貧しいものはますます貧しくなった。こういう物語に作り替える。これはマルクス以来延々と繰り返されてることだ。
 農民にも定員があるが、自分たちにも定員がある。だから支配者階級も必死だった。別にのうのうと富を貪って優雅な暮らしをしていたわけではない。豪華な城や衣装やご馳走は権力闘争のライバルに自分の実力を見せつけるためのものであって、そのために裏では権謀術数の限りを尽くしていたに違いない。のんびりとする余裕なんてものはなかったはずだ。

 土地が無限にあって人口が増えても労せずに農地を広げることができたなら、15%の生産性の向上は農民を豊かにできたかもしれない。あるいはアメリカの開拓時代ならこうしたカウボーイの経済学が可能だったかもしれない。
 だがイングランドのような狭い島国で人口が2.5倍に増えたら、そりゃ地獄を見る他ない。
 生産性が向上しても、その分人口が増えて帳消しになるため、一人当たりの労働者の生産物の価値は結局変わらない。その労働者がかろうじて生きて行ける量に固定される。
 これを定数とするところに労働価値説が誕生したのではないかと思う。
 アセモグル他の「技術革新と不平等の1000年史」上の47%にこうある。

「18世紀末にマルサスがその持論を練っていたころ、すでにイングランドの人口ばかりでなく実質所得も数世紀前からの上昇傾向にあり、飢饉や疫病が必然的に生じる兆候はまるでなかった」

 資本主義の拡大再生産が機能し始めた頃にはトリクルダウンが生じて、労働者の生活は改善され始めていた。

「中世のあいだに新しいテクノロジーによって生じた余剰を食いつぶしていたのが子供を生みすぎる貧民層だけでなく、各種の贅沢品や立派すぎる大聖堂にうつつを抜かす貴族階級とキリスト教会でもあったと知られている」

これも当然で、子供を生みすぎるのは貴族も一緒だし、貴族にも定員があるから没落するものもいる。それに彼らもまた人口増加に対応すべく無茶な農地開墾に奔走して疲弊していたはずだ。 支配者階級も人口増加に悩まされていたし、教会も同じだということをこの本は認めている。
 日本の寺から推測するに、教会もまた支配者階級の余剰人口の受け皿になっていたと考えられる。家督を継ぐ長男は家に残しても、余剰となる次男三男はこうした宗教施設に押し込むというのは、洋の東西問わずあったと思われる。このことが無用な家督争いを避けることでもあった。
 しかしそうなるとまた膨大な数の貴族・武家の子孫を引き受けなくてはならなくなるから、宗教施設とは言え、とても寄付だけでは賄いきれず、所領を持ち、その余剰な人員を使って産業を興す努力が行われることになる。

   薬手づから人にほどこす
 田を買ふて侘しうもなき桑門   芭蕉

の句のように、西洋の教会もまた一方では病気の人に薬を施したりしてただろうけど、その一方では所領を経営し、薬の生産も行ってたに違いない。そこでは当然多くの人が働いてたことだろう。
 生産性の向上は人口増加に抵抗するためにやむをえずそうせざろうえなかったはずだった。もしそれとは他の道があるとしたら、必然的に生じて来る余剰人口を別の方法で減らすことになっていただろう。

 猿を聞く人捨子に秋の風いかに  芭蕉

ということになる。江戸時代は捨て子が常態化していた。これによって江戸時代を通じて大きな人口変動が抑えられていた。もちろんその一方では新田開発も行われたし、農業の技術革新も行われていた。ただ、中世のイングランドでも日本の江戸時代でも、その効果は限定的で、焼け石に水と言っても良かったかもしれない。

 アセモグル他の「技術革新と不平等の1000年史」は基本的に人口論の視点が決定的に欠落している。
 出生率が低下して人口減少が予想されるのに、何で労働者の限界生産性を高める必要があるのか。そんなことしたら人手不足になる。それで不法移民を入国させることに躍起になっているのだろうか?
 技術が進歩すると格差が広がり人々が貧しくなるというのは真実ではあり俺もそれを否定するつもりはない。
 注意しなくてはならないのは、その貧しさは相対的なものだということだ。
 それはマラソンのようなもので、走れば走るほどトップとビリの差は広がってゆく。でもビリを走ってる人も確実に前へ進んでいるのを忘れてはならない。
 もちろん「技術革新と不平等の1000年史」は技術革新が全体の生活の底上げをしたことを否定しているわけではない。ただ何ら富の配分に配慮されなければの仮定の話をしている。例えるならコロナ対策が全くなされなかったらどれだけ死んでたかのような。対策の必要を説く所に重点を置く。
 例えて言えば、ルールのないマラソンなら、先行するランナーは勝つために後続へのあらゆる妨害を行い、走れなくしてただろう、だから競走を公正に行うために競技のルールを定める必要があったと、そういう話だ。ただ、そこでは必要以上に勝者を悪者に仕立て上げている。まるでスポーツマンシップに則った競技者が一人もいないかのような言い草だ。
 問題なのは、こうしたルールの制定するにしても、そこには権力が存在するということだ。このような民衆全体のための権力はミシェル・フーコーが「監獄の誕生」で語ったような集中監視型のシステムであってはならないことはこの本にも書いてあることだ。つまり二十世紀に誕生した社会主義国家のようなシステムであってはならない。
 日本がよく最も成功した社会主義国家だと言われるのは、日本の社会には最高指導者が存在しないばかりか、目立った有力な指導者も存在しない完璧な相互監視型社会主義だからで、失敗した社会主義はどれも最高指導者のいるパノプティコン型社会主義だったからではないのか。
 パノプティコンのような集中型管理システムに対抗できるのは相互監視システムではないかと思う。日本が西洋のようにならないのは、相互監視システムがうまく機能して集中型管理を抑えてるからではないか。
 人口の減少に加えて資源の節約やゴミを減らすなどの環境圧力が強まった現代にあって、かつての大量生産大量消費をもたらすようなバンドワゴンは無理だし、労働者の限界生産性にこだわる理由もわからない。その無理をやれば移民の増加と地球環境の悪化が同時に起きるが、それがリベラルの認識なのか。
 今はまだ貧しく紛争に明け暮れてるフロンティアの国々がたくさんあるから、しばらくは移民には困らないかもしれない。しかし、かれらも政情が落ち着いて近代化が軌道に乗ったなら、当然ながら少子化するし、その少子化の中で自分の国の労働力を確保しなくてはならなくなる。そのため、移民を外に出す余力はなくなる。
 少子化が世界に広まった時、あくまで労働者の限界生産性にこだわり、労働者の数を増やそうとするなら、戦争になるだろう。多産多死時代の戦争は溢れる人口を養うための領土を奪い合う戦いだったが、少子化時代の戦争は労働力を得るために人間をさらって奴隷化する戦いになる。ウクライナではすでに多くの人々がロシアに連れ去られている。人口を考慮しない経済学では、いつか世界的に限られた人口の奪い合いが生じるであろう。
 技術革新は少ない人口でも十分な生産能力を維持するために必要なものだし、成長のためには地球環境やマイノリティの多様な消費などへ向けた新たな産業を起こせば良い。日本はその方向に向かってるし、甘利・安倍・麻生三氏によって開かれ、岸田前首相に引き継がれた「新しい資本主義」の方向性は基本的に正しかったと思う。
 その安倍さんは殺害され、甘利さんも今回の選挙で落選した今、果たしてこの方向性が維持できるのかどうか不安ではある。これまでの自民党政権ではまだ抑制されながら行われていた外国人労働者の受け入れが、この先管理されない見境の無い不法入国者を許すことになり、欧米並みの治安の悪化が起きるのではないかと心配してるのは俺だけではない。ネット上にたくさんの声が存在する。西洋の間違った経済学は阻止しなくてはならない。