2024年10月30日水曜日

  人口論を考える際、まず人口論というのは、経済を考える際に人口の視点を導入するということであって、マルサスが何を言ったかなんてことは重要ではない。
 これに対して、人口論を拒否する論者はマルサスの発言を大きく取り上げて、支配者階級のイデオロギーだという理由で経済に人口の視点を持ち込むことを全否定する。
 アセモグル他の「技術革新と不平等の1000年史」も結局その手の本だ。はっきり言ってこれがノーベル賞だなんて呆れてものも言えない。

 人口が増加するのは農民が無知蒙昧で無計画に子供を作った結果ではない。まずこれが大事。
 そもそも一般的に前近代の社会では子供は点からの授かり物であり、どんなに毎日せっせと励んだ所で子供ができない場合もあるし、たった一回の過ちで出来ることもある。
 今日でもこのコントロールは難しいというのに、有効な避妊の知識のなかった時代に生まれてくる子の数をコントロールすることはほとんど不可能に近かった。
 それとともに前近代の社会では乳幼児の死亡率が高く、生まれてきた子供が確実に成人まで生きられるという保証はなかった。
 家督を維持するには確実に一人は子孫を残さなくてはならないが、だからと言って一人産めば足りるというものではない。死亡率の低い現代であれば一人っ子でも十分となるが、前近代ではいつ死ぬかわからない子供を一人しか作らないというわけにはいかなかった。死んだ時のためのスペアを常に必要としていた。
 もちろん子供が一人生き残っても、結婚相手がいないのではしょうがない。女児がどこかで生れてなくては、跡取り息子は子孫を残すことができない。女児は家同士で交換し合わなくてはならないから、家督を確実に子孫を残すためには、死亡率ゼロとして二人、死亡率が50%なら四人産まなくてはならない。実際はもっと確実に子孫を残そうとしたならそれ以上生まなくてはならなかっただろう。出生率は4以上必要ということだ。出生率が2で良いのは死亡率が限りなくゼロに近いことを前提にしての話だ。
 こうした世界では、運不運があっても確実に子孫を残せるように、死ぬ数よりも常に多めに子孫を残そうとする。これは階級に関係なく、多かれ少なかれ残すべき財産を持つ者すべてに当てはまる。
 古事記に黄泉の国の神の伊弉冉尊が一日千人を殺すと言った時、伊弉諾尊はなら千五百人の子供を作ればいいと返したように、常に死ぬ数よりもはるかに多い数の子を作ろうとする。これは保険を掛けるという意味では自然なことだ。
 だから、人口の増加は農民や下層階級に限ったことではなかった。上流階級でも常に人口は増加してたはずだが、ただ上流階級には定員があった。領土の拡大や新たな農地の開墾がなければ領主の数を増やすわけにはいかないのは当然のことだ。そんなことしたら支配者階級全体が貧困化することになる。
 だから、支配者階級には常に熾烈な権力闘争があり、敗者は殺されるか没落するしかなかった。支配者階級だって人口は増える。だから必死になって荘園開発もするし、その一方で他人の年を奪う侵略行為も常態化していた。特に侵略ということになると、当然ながら殺し合いになり、結局適正な人口に維持されることとなった。
 内部での権力闘争に敗れて没落するか、外部との戦争で命を落とすか、そのどちらかがあって支配者階級の人口も調整されてた。そうでなかったなら国中王様だらけになってしまっていただろう。

 少子化というのは近代の豊かさと医療水準の高さから、生まれてきた子供のほとんどが成人まで生きられるようになって、跡取り息子の死んだ時の保険を掛ける必要がなくなったことに加え、賃金労働者の家庭が非常に多くの割合を占めるようになって、家督という概念がなくなったことも影響している。
 現代人の多くは子孫を残すためでなく、ただ自分の人生が幸せで豊かなものであればそれでいいと思って生きている。子供はいつの間にか自分の幸福を脅かす邪魔っけな存在になってしまったわけだ。
 少子化はある程度の近代化を成し遂げた社会ではほぼ例外なく起きている。少子化の原因はその国の政策の失敗ではなく、近代化そのものの内にある。少子化を克服したなんて話を聞いてみても、出生率を2まで回復させれば万々歳の状態だ。間違っても4以上になることはない。

 アセモグル他の「技術革新と不平等の1000年史」上の43%の所にこうある。

 「1100年から1300年のあいだに一人当たりの農業生産性は15%上昇したと見積もられる」
 「1100年に220万前後だったイングランドの人口は、1300年には500万にまで増えていたのである」
 「都市人口は1100年から1300年までのあいだに20万人から約100万人へと増加していた」

 1100年にには200万人の農民で都市人口を入れた220万を養っていたとして、生産性が15%向上したとしても253万人しか養えない。
 仮に耕地面積と農業人口が倍に増えたとすれば400万の農民で養えるのは506万人になる。400万の農民が106万人の都市人口を養うことになる。
 これでも農民の生活はこれまでと同じで豊かにはならない。まして耕地面積が倍まで増やすことができなかったとしたら、悲惨なことになる。
 新たな農地開発に、さぞかし貴族や聖職者たちは忙しく働き回ったことだろう。
 しかしこの本はそういう見方をしない。
 人口増加の圧力にさらされる。→支配者階級はそのため絶えず農地の開墾のために余剰人口を搔き集めて働かせなくてはならなかったし、その一方では領土拡大のために戦争に明け暮れることにもなった。→その結果農民は生産性の向上と引き換えに農地開墾の労働に駆り出され、その結果ある数のあぶれ者は新しい農地を手にできただろう。→それでもあぶれてしまう者は都市に流れ込み、商工業を発展させ、それが技術革新につながり生産性の向上をもたらすことになった。
 アセモグル他の「技術革新と不平等の1000年史」はこの物語をひっくり返して逆から読もうとする。
 つまりまず悪い権力者がいた。というより権力者というのは悪者に決まっているということが前提されている。→権力者は私利私欲のために生産性の向上を掲げ、農民を騙して開墾作業を行わせた。→それでもあぶれた者は都市に追いやり、そこで死ぬまでこき使った。→結果生産性の向上の有用なアイデアも権力者と富ませただけで、貧しいものはますます貧しくなった。こういう物語に作り替える。これはマルクス以来延々と繰り返されてることだ。
 農民にも定員があるが、自分たちにも定員がある。だから支配者階級も必死だった。別にのうのうと富を貪って優雅な暮らしをしていたわけではない。豪華な城や衣装やご馳走は権力闘争のライバルに自分の実力を見せつけるためのものであって、そのために裏では権謀術数の限りを尽くしていたに違いない。のんびりとする余裕なんてものはなかったはずだ。

 土地が無限にあって人口が増えても労せずに農地を広げることができたなら、15%の生産性の向上は農民を豊かにできたかもしれない。あるいはアメリカの開拓時代ならこうしたカウボーイの経済学が可能だったかもしれない。
 だがイングランドのような狭い島国で人口が2.5倍に増えたら、そりゃ地獄を見る他ない。
 生産性が向上しても、その分人口が増えて帳消しになるため、一人当たりの労働者の生産物の価値は結局変わらない。その労働者がかろうじて生きて行ける量に固定される。
 これを定数とするところに労働価値説が誕生したのではないかと思う。
 アセモグル他の「技術革新と不平等の1000年史」上の47%にこうある。

「18世紀末にマルサスがその持論を練っていたころ、すでにイングランドの人口ばかりでなく実質所得も数世紀前からの上昇傾向にあり、飢饉や疫病が必然的に生じる兆候はまるでなかった」

 資本主義の拡大再生産が機能し始めた頃にはトリクルダウンが生じて、労働者の生活は改善され始めていた。

「中世のあいだに新しいテクノロジーによって生じた余剰を食いつぶしていたのが子供を生みすぎる貧民層だけでなく、各種の贅沢品や立派すぎる大聖堂にうつつを抜かす貴族階級とキリスト教会でもあったと知られている」

これも当然で、子供を生みすぎるのは貴族も一緒だし、貴族にも定員があるから没落するものもいる。それに彼らもまた人口増加に対応すべく無茶な農地開墾に奔走して疲弊していたはずだ。 支配者階級も人口増加に悩まされていたし、教会も同じだということをこの本は認めている。
 日本の寺から推測するに、教会もまた支配者階級の余剰人口の受け皿になっていたと考えられる。家督を継ぐ長男は家に残しても、余剰となる次男三男はこうした宗教施設に押し込むというのは、洋の東西問わずあったと思われる。このことが無用な家督争いを避けることでもあった。
 しかしそうなるとまた膨大な数の貴族・武家の子孫を引き受けなくてはならなくなるから、宗教施設とは言え、とても寄付だけでは賄いきれず、所領を持ち、その余剰な人員を使って産業を興す努力が行われることになる。

   薬手づから人にほどこす
 田を買ふて侘しうもなき桑門   芭蕉

の句のように、西洋の教会もまた一方では病気の人に薬を施したりしてただろうけど、その一方では所領を経営し、薬の生産も行ってたに違いない。そこでは当然多くの人が働いてたことだろう。
 生産性の向上は人口増加に抵抗するためにやむをえずそうせざろうえなかったはずだった。もしそれとは他の道があるとしたら、必然的に生じて来る余剰人口を別の方法で減らすことになっていただろう。

 猿を聞く人捨子に秋の風いかに  芭蕉

ということになる。江戸時代は捨て子が常態化していた。これによって江戸時代を通じて大きな人口変動が抑えられていた。もちろんその一方では新田開発も行われたし、農業の技術革新も行われていた。ただ、中世のイングランドでも日本の江戸時代でも、その効果は限定的で、焼け石に水と言っても良かったかもしれない。

 アセモグル他の「技術革新と不平等の1000年史」は基本的に人口論の視点が決定的に欠落している。
 出生率が低下して人口減少が予想されるのに、何で労働者の限界生産性を高める必要があるのか。そんなことしたら人手不足になる。それで不法移民を入国させることに躍起になっているのだろうか?
 技術が進歩すると格差が広がり人々が貧しくなるというのは真実ではあり俺もそれを否定するつもりはない。
 注意しなくてはならないのは、その貧しさは相対的なものだということだ。
 それはマラソンのようなもので、走れば走るほどトップとビリの差は広がってゆく。でもビリを走ってる人も確実に前へ進んでいるのを忘れてはならない。
 もちろん「技術革新と不平等の1000年史」は技術革新が全体の生活の底上げをしたことを否定しているわけではない。ただ何ら富の配分に配慮されなければの仮定の話をしている。例えるならコロナ対策が全くなされなかったらどれだけ死んでたかのような。対策の必要を説く所に重点を置く。
 例えて言えば、ルールのないマラソンなら、先行するランナーは勝つために後続へのあらゆる妨害を行い、走れなくしてただろう、だから競走を公正に行うために競技のルールを定める必要があったと、そういう話だ。ただ、そこでは必要以上に勝者を悪者に仕立て上げている。まるでスポーツマンシップに則った競技者が一人もいないかのような言い草だ。
 問題なのは、こうしたルールの制定するにしても、そこには権力が存在するということだ。このような民衆全体のための権力はミシェル・フーコーが「監獄の誕生」で語ったような集中監視型のシステムであってはならないことはこの本にも書いてあることだ。つまり二十世紀に誕生した社会主義国家のようなシステムであってはならない。
 日本がよく最も成功した社会主義国家だと言われるのは、日本の社会には最高指導者が存在しないばかりか、目立った有力な指導者も存在しない完璧な相互監視型社会主義だからで、失敗した社会主義はどれも最高指導者のいるパノプティコン型社会主義だったからではないのか。
 パノプティコンのような集中型管理システムに対抗できるのは相互監視システムではないかと思う。日本が西洋のようにならないのは、相互監視システムがうまく機能して集中型管理を抑えてるからではないか。
 人口の減少に加えて資源の節約やゴミを減らすなどの環境圧力が強まった現代にあって、かつての大量生産大量消費をもたらすようなバンドワゴンは無理だし、労働者の限界生産性にこだわる理由もわからない。その無理をやれば移民の増加と地球環境の悪化が同時に起きるが、それがリベラルの認識なのか。
 今はまだ貧しく紛争に明け暮れてるフロンティアの国々がたくさんあるから、しばらくは移民には困らないかもしれない。しかし、かれらも政情が落ち着いて近代化が軌道に乗ったなら、当然ながら少子化するし、その少子化の中で自分の国の労働力を確保しなくてはならなくなる。そのため、移民を外に出す余力はなくなる。
 少子化が世界に広まった時、あくまで労働者の限界生産性にこだわり、労働者の数を増やそうとするなら、戦争になるだろう。多産多死時代の戦争は溢れる人口を養うための領土を奪い合う戦いだったが、少子化時代の戦争は労働力を得るために人間をさらって奴隷化する戦いになる。ウクライナではすでに多くの人々がロシアに連れ去られている。人口を考慮しない経済学では、いつか世界的に限られた人口の奪い合いが生じるであろう。
 技術革新は少ない人口でも十分な生産能力を維持するために必要なものだし、成長のためには地球環境やマイノリティの多様な消費などへ向けた新たな産業を起こせば良い。日本はその方向に向かってるし、甘利・安倍・麻生三氏によって開かれ、岸田前首相に引き継がれた「新しい資本主義」の方向性は基本的に正しかったと思う。
 その安倍さんは殺害され、甘利さんも今回の選挙で落選した今、果たしてこの方向性が維持できるのかどうか不安ではある。これまでの自民党政権ではまだ抑制されながら行われていた外国人労働者の受け入れが、この先管理されない見境の無い不法入国者を許すことになり、欧米並みの治安の悪化が起きるのではないかと心配してるのは俺だけではない。ネット上にたくさんの声が存在する。西洋の間違った経済学は阻止しなくてはならない。

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