2018年5月9日水曜日

 ドミノ倒しは日本では将棋倒しと呼んでいた。将棋の駒は立てることができるし、それを並べて倒す遊びは子供の頃よくやった。それに対しドミノの牌は日本の家庭ではほとん見られないし、私自身ドミノ牌を手にしたことがないし、どうやって遊ぶのかも知らない。
 ドミノの牌であれ将棋の駒であれ、次から次へと倒れていったとき、それを止めるのにはどうすればいいかというと、倒れてゆく先端に先回りし、今まさに倒れようとしているそれを止めて、立てるしかない。そして、次にそれに寄りかかっているのを立て、後ろに戻ってゆくしかない。
 核ドミノを止めるには、まず今まさに核開発を進めている国の核を、世界が協力してあらゆる圧力を掛けて止めるしかない。北朝鮮の核はどうやら世界各国の協力のおかげでもうすぐ実を結ぶのではないかというところまで来た。となると、次はイランの核ということになるだろう。おそらくイランの完全な非核化はイスラエルの非核化との取引になるだろう。
 今までの反核運動が実を結ばなかったのは、先端を止めずに最初の原因を作ったアメリカに核廃絶を促そうとしたからだ。ドミノ倒しの一番最初のドミノの牌を立て直したところで、ドミノ倒しは止まらない。子供でもわかることだ。
 以上、じじい放談で、これからが本題。「花で候」の巻の続き。

 十七句目

   道どほりさへなみだはらは
 立宿に胸のけぶりやふすぶらん  宗因

 「ふすぶ」は燻ぶと書き、煙がくすぶるという意味と嫉妬するという意味がある。
 傷心を癒すために旅に出たのだろうか。それでも嫉妬する心は胸の中でくすぶり続け、涙がちょちょぎれる。

 十八句目

   立宿に胸のけぶりやふすぶらん
 しんきはらせぬ萱茨のうち    宗因

 「萱茨」は「かやぶき」と読む。
 「しんき」は「辛気」であろう。「辛気臭い」という言葉は今でも使う。
 五行説では、木、火、土、金、水の五つのエレメントは様々の物の中に見られるとされている。色で言えば、木=青、火=赤、土=黄、金=白、水=黒となり、季節で言えば木=春、火=夏、土=土用、金=秋、水=冬となり、方角では木=東、火=南、土=中、金=西、水=北となる。(「五行配当表」で検索すると色々出てくる)
 さらに五味というのがあって、木=酸、火=苦、土=甘、金=辛、水=鹹(しおからい)となる。また、感情については五志というのがある。木=怒、火=喜、土=思、金=悲(憂)、水=恐(驚)。
 これで行くと辛気が金の属性を持つもので、憂鬱を引き起こす気のことだとわかる。
 前句の「立宿に」を仮定として、宿を発ったところでどうせ胸の嫉妬心はくすぶりつづけるだろう、とし、実際は萱葺屋根の粗末な家で悶々としている。
 五行説は芭蕉の発句などでも一つの隠し味になっている。たとえば、

 身にしみて大根からし秋の風   芭蕉

の句は、大根の白に、辛いという味、それに秋という季節がすべて金気で統一されている。

 十九句目

   しんきはらせぬ萱茨のうち
 月にしもお茶をかごとのすき心  宗因

 辛気と金気が出たところで季節は秋になり月を出す。
 前句の茅葺の家を茶室としたか。「かごと」は託言と書き、託(かこ)つこと、言い訳、口実、愚痴など、何かのせいにして自分をごまかすことをいう。
 名月の風流を口実に愛しい人を誘ったりして下心たっぷりでお茶室に入るも、なかなか思うように行かずかえって憂鬱になる。

 二十句目

   月にしもお茶をかごとのすき心
 たつた一筆おくる秋の夜     宗因

 茶の心といえば簡素をもととし、一枚の花びらに満開の花を想像するような省略の美を良しとする。恋文も長くてはいけない。あくまで簡潔な一言で表現する。ある意味俳諧の心にも通じる。

 二十一句目

   たつた一筆おくる秋の夜
 中立に長物がたりくり返し    宗因

 「中立(なかだち)」は仲を取り持つ人のこと。ここでは恋文の代筆でも頼んだのだろうか。依頼者はと自分の思いを長々ととりとめもなく語るばかりでまとめるのも面倒だから、一言だけ書いて相手に贈ってやる。
 この頃には花の定座が習慣化されていたが、発句に「花」があり、花は一つの懐紙に一本なので、ここでは出せない。これを忘れると宗祇法師のように名残の懐紙の花をこぼしてバランスを取ることになる。

 二十二句目

   中立に長物がたりくり返し
 いつか女房にしづのをだ巻    宗因

 「しづのをだ巻」は「倭文の苧環」という字を当てる。「倭文(しづ)」は中国から布が輸入される前に既に日本に存在していた古いタイプの織物のことをいう。「苧環(をだまき)」は麻糸を巻いた巻子(へそ)。難読語辞典

Weblio辞書の「三省堂 大辞林」には、「へそ【綜▼ 麻▽・〈巻子〉】績ぅんだ麻糸を環状に幾重にも巻きつけたもの。おだまき。」とある。
 しづのをだ巻は『伊勢物語』の、

 古のしづのおだまき繰りかへし
     昔を今になすよしもがな
             在原業平

の歌に詠まれている。
 「しづのをだ巻」から「繰りかへし」を導き出すなら掛けてには(あるいは歌てには)になるが、ここではただ「繰りかえし」の縁語で「しづのをだ巻」が出て来たにすぎない。「中立に長物がたりくり返しいつか女房にし」までが句の意味で、最後の「し」に「しづのをだ巻」を掛けた形になる。「まかせてちょんまげ」だとか「いただきまんもす」のようなもの。意味はない。
 仲を取り持ってくれる女に切々と思いを伝えてもらおうと長々と放しているうちに、結局その取り持ち女と結婚してしまったという話。故郷の女に毎日ラブレターを書いていたらその女が郵便屋と結婚してしまったみたいなもの。遠くにいる人よりいつも近くにいる人のほうが強い。

2018年5月8日火曜日

 今日も夕方から雨が強くなった。やはり肌寒い。
 飯舘村の道の駅で買った白狼というどぶろくを飲んだ。見かけは甘酒のようだが、なかなかの辛口の酒だった。白狼、タタール語だとaq bureになるのかな。
 それでは「花で候」の巻の続き、初裏に入る。

 九句目

   引よせ顔の見ゆる三味線
 はなれかねともども綱の舟遊び  宗因

 前句の三味線から川での舟遊びへと展開する。
 「ともども綱」は舟の船尾(艫:とも)にある船を繋ぐための「艫綱」に男女ともどもを掛けたもの。

 十句目

   はなれかねともども綱の舟遊
 川ほどふかきおもひなりけり   宗因

 舟遊びといえば川。「はなれかね」から「ふかきおもひ」と四手に付ける。

 十一句目

   川ほどふかきおもひなりけり
 君となら此酒樽も呑ほさん    宗因

 酒飲みの恋か。「川ほどふかき」は君への思いなのか酒への思いなのか。

 十二句目

   君となら此酒樽も呑ほさん
 一寸さきは名もたたばたて    宗因

 忍ぶ恋なのだろうけど、どうもバレそうになっているような。でもそれでもいい、浮名が立つならそれでもかまわない、といいながら酒を樽で飲む。こうなったら、毒を食らわば皿までというところか。

 十三句目

   一寸さきは名もたたばたて
 浅からぬ千話のあまりに指を切  宗因

 「千話」は痴話で、ここでは痴話喧嘩のことか。多分女が浮気や二股を疑われたのだろう。忠誠心を示すために指を切る。
 指を切るという行為は、近代ではやくざなどが罰として指を詰めさせたりするが、もとは忠誠心の証しとして、特にそれを疑われることがあったときに、忠誠心を示すために行われていたものであろう。
 ウィキペディアによれば、

「誓いだてに指を切らせた例として、井原西鶴の「武道伝来記」で泉川修理太夫が妻の不倫を疑い、「密夫なければ諸神誓文に五つの指を自ら離せ」といって、裸にし、指を断たせたことが見える。また吉原遊女が常連客に「一途であること」を示すために自分の小指を切って送ることがあった。ただしこの際に新粉(しんこ、米粉の餅)細工の作り物や、首切り役人から死体の指を調達して自分の指として送る例も見られた。売れっ子の花魁はその行為は「粋ではない」とし、「離れるなら離れればいい。身請けされる時にみっともない。」と決して行わなかった。身請けをされる見込みがない遊女は逆に必死になり、間男や惚れた男に誓いを立てていた。」

という。
 韓国ではデモなどのときに抗議のしるしとして指を切り落として投げつけるという。

 十四句目

   浅からぬ千話のあまりに指を切
 うかれ女なれどつよき心中    宗因

 「うかれ女」は遊女のこと。
 「心中」は「しんじゅう」で、心の中、胸の内を意味する「しんちゅう」ではない。心中(しんじゅう)というと、いまではほとんどいっしょに自殺するという意味でしか用いられないが、コトバンクの「デジタル大辞泉の解説」によれば、それとは別に、

 4 人に対して義理を守ること。
「―が立たぬと思ひ、親へ便りもせずに帰る」〈浄・歌念仏〉
 5 愛し合っている男女が指や髪を切ったりして、愛情の変わらないことを示すこと。また、その証(あかし)。
「女郎の―に髪を切り爪をはなち」〈浮・一代男・四〉

とある。義理の強さ、愛情の強さは義理と人情で矛盾しているようにも見える。むしろ忠誠心の強さと見た方がいい。

 十五句目

   うかれ女なれどつよき心中
 大磯に残るかたみのちから石   宗因

 これは本説による付け。
 大磯には「虎が石」ものがある。ウィキペディアによれば、

 「大磯町の延台寺に伝わる虎が石は、子宝祈願のため虎池弁財天を拝んだ山下長者の妻に与えられ、やがて夫妻は虎御前を授かった。虎の成長とともにこの石も成長し、祐成を賊の矢から防いだことで身代わり石とも呼ばれる。」

とのこと。
 祐成は『曽我物語』の曽我兄弟の兄のほうの曾我十郎祐成(すけなり)で、虎御前はその愛人だった。虎御前は遊女だったから「うかれ女」ともいえる。
 この場合の心中は祐成を守る気持ちということになる。
 蕉門では本説で付けるときは少し変えるが、ここではほぼそのまんまに展開している。

 十六句目

   大磯に残るかたみのちから石
 道どほりさへなみだはらはら   宗因

 大磯の力石は、通りがかりの旅人さえもはらはらと涙を流す。旅体に展開する。

2018年5月7日月曜日

 今日は雨。気温も下がった。
 それでは「花で候」の巻の続き。

 脇

   花で候お名をばえ申舞の袖
 夢の間よただわか衆の春     宗因

 前句の若衆歌舞伎の趣向からすれば、「舞の袖」を「若衆」で受けるのは必然といえよう。そして「花」と名乗るにふさわしく、夢のように過ぎてゆく短い春の今を輝くという決意を表している。
 これも日本人特有の死生観なのかもしれない。神話でイワナガヒメとコノハナサクヤヒメのどちらかを選べといわれたとき、ためらわずにコノハナサクヤヒメを選んだのが日本人だ。永遠の命なんて欲しくない。たとえ短い命でも花を咲かせたい。
 『竹取物語』でも不死の薬を富士山の名前に掛けて、富士山頂で燃やしてしまう。姫が居ないなら永遠に生きる意味などない。そうして不死の薬を燃やしたため、富士山はその後長いこと煙を吐き続けることになったとさ、となる。古代の富士山は常時噴煙を上げていたようだ。

 風になびく富士の煙の空に消えて
     ゆくへもしらぬわが思ひかな
               西行法師

と歌にも詠まれた。

 第三

   夢の間よただわか衆の春
 付ざしの霞底からしゆんできて  宗因

 「付ざし」は『連歌俳諧集』の注に「親愛の情を示すために、口を付けた盃

または吸いつけた煙管を相手に与えること。」とある。
 「霞」は酒の異名だという。今でも濁った酒のことを「かすみ酒」というが、当時の酒は大体濁っていた。

 花に浮世我飯黒く酒白し    芭蕉

の句は天和三年(一六八三年)で、これよりはかなり後。
 「しゆんできて」は凍みてきてということ。前句の「夢の間」を人生が夢だということではなく、単に酒が回ってきて夢見心地の間という意味に取り成される。米米クラブの「オン・ザ・ロックをちょうだい。」を思わせる。

 四句目

   付ざしの霞底からしゆんできて
 手と手まくらをかはすとはなし   宗因

 打越の若衆を離れるため、ここでは男女のこととすべきであろう。
 「かはすとはなし」は「かはすとはなくかはす」で結局交わすのだろう。

 五句目

   手と手まくらをかはすとはなし
 しのばれぬ昼のやうなる月の夜に  宗因

 前句を交わさない意味に取り成したか。秋に転じ、ここに初表の月を出す。

 六句目

   しのばれぬ昼のやうなる月の夜に
 露にぬれものほほかぶりして    宗因

 「ぬれもの」の用例として、『連歌俳諧集』の注は『好色伊勢物語』(江戸前期、作者不詳)を引用している。

 「ぬれもの、いろ好む女をもいひ、すぐれた姿をもいふ。ぬれもの、しなものといふも同じ詞なり。吉弥といふ女方をほめていひ出したる詞とぞ」

 「月」に「露」は付き物ということで、露から「ぬれもの」を言い興す。なかなか色好みのいい女がいるというので、昼のような月夜でもほっかむりした男がやってくる。

 七句目

   露にぬれものほほかぶりして
 霧ふかき出格子に立門に立    宗因

 前句が夜這いのような情景だったのに対し「出格子」を出すことで遊郭になる。こういうところに出入りする男は、誰だかわからないように顔を隠す。

 八句目

   霧ふかき出格子に立門に立
 引よせ顔の見ゆる三味線     宗因

 三味線が遊女歌舞伎で取り入れられていたから、その遊女歌舞伎が禁じられ、遊女達が吉原などの遊郭に閉じ込められるようになっても、三味線はそこでも遊女達の芸だった。三味線と端唄で人を引き付け、客を誘う。

2018年5月6日日曜日

 昨日は飯舘村の虎捕山津見神社を見た後、南相馬市小高区のフルハウスで行われた角田光代さんの源氏物語の朗読会に行った。
 正直まだ角田源氏は読んでないし、その内容については今は何も言えない。ただ、明石帰りになってしまった私としては、その翻訳作業の大変さは理解できる。自分のはあくまで趣味の訳だが、商品として出版するとなると、また別の苦労もある。監修の人が付いているから、ほぼ今の定説に基づいた源氏物語の無難な解釈で訳されていることは想像できる。それをどうわかりやすく面白く盛り上げるかが苦心するところだろう。
 面白いと思ったのは、いくつかの有名な訳の書き出し部分を比較した時のアーサー・ウェイリー訳だった。そのとき聞いた日本語訳への再訳は正確に思い出せないので、ネットで調べたら英語のが出てきた。

 "At the Court of an Emperor(he lived in matters not when)there was among the many gentlewomen of the Wardrobe and Chamber one,

 そうこの「he lived in matters not when」の部分だ。「彼がいつ生きたかは問題でない」という突き放した言い方が面白かった。これがこやん源氏の「何天皇の時代だったかなんてのはどうでもいいことです。」とちょっと似てるかななんて、まあそれこそどうでもいいことだけど。
 私の場合は単に当時はまってた竜騎士07さんの『うみねこのなく頃に』の影響で、「いずれの御時にか」が、これは本当にあった話ではなくあくまで虚構だという宣言の役割もあったのではないかと思って、そう訳しただけだった。
 こやん源氏はできる限り北村季吟の『湖月抄』に基づき、あえて国学や近代の解釈と違う源氏を訳そうと試みたもので、一種の実験というか遊びの訳なので、角田さんには見られたくない。
 いつもはラノベばかりで現代文学をほとんど読まない私としては、正直フルハウスはアウェーな感じだったが、並んでる本の中に白鳥士郎さんの『りゅうおうのおしごと』があったのでちょっと嬉しかった。
 店主の柳美里さんも実物をみる事が出来た。横浜からでも片道四時間の遠い所だけど、北海道から来たという人もいて、あらためてその集客力の凄さに驚いた。この店が福島の復興に寄与することを願わずにはいられない。
 行きは四時間、帰りは六時間、ずっと運転して疲れたのか、今日は少々調子が悪い。そういうわけで「花で候」の巻の続きは明日の心だ。

2018年5月4日金曜日

 薔薇の花もあちこちで咲いて、すっかり気分は夏のようだが、まだ旧暦では弥生の十九日。春はまだ終らない。
 きょうは御近所を散歩して、一万歩ほど歩いた。最近はガラ携といえども万歩計が付いてたりする。グーグルマップにも載り、最近はすっかり有名になった花桃の丘も青葉が茂り、その脇では馬がひひらいでいた。
 「宗祇独吟何人百韻」を読み終えたが、まだ春が余っているということで、同じ『連歌俳諧集』(日本古典文学全集、金子金次郎、暉峻康隆、中村俊定注解、1974、小学館)にある、宗因の独吟百韻「花で候」の巻でも読んでみようかと思う。
 この百韻は恋をテーマにした恋百韻で、以前小生の唯一の著書である『野ざらし紀行─異界への旅』(ゆきゆき亭こやん、二〇〇〇、東京図書出版会)のなかで、「宗因は『西翁十百韻』恋俳諧「花で候」の巻のような、恋の句だけで百韻を作るほどの、恋句の達人であり」と書いたことがあった。なお、この『野ざらし紀行─異界への旅』は若干書き直して、鈴呂屋書庫で公開している。
 この「花で候」の巻は寛文十一年(一六七一年)に高滝以仙撰の『落花集』全五冊の内の一冊『宗因十百韻』に収められていて、後に延宝元年(一六七三年)に『西山宗因千句』(内題『西翁十百韻』)として再刊されている。談林俳諧がまだ江戸に来る前の上方で盛り上がっているときに作られたものだ。
 西山宗因は加藤清正の家臣西山次郎左衛門を父とする。里村昌琢のもとで連歌を学び、本来は連歌師だった。
 さて、その「花で候」の巻の発句を見てみよう。

 花で候お名をばえ申舞の袖   宗因

 お名前はと聞かれれば「花で候」と答える。本当の名前は「え申すまい」ということで、「舞」と掛けて「え申舞の袖」となる。
 連歌も俳諧も雅号で呼び合う仲で、いわば匿名の世界だ。匿名で身分素性を隠すことで、身分を越えて平等になる事が出来る。花の下で身分の別なく酒を酌み交わすように、日本では昔から雅号という一種の匿名性が身分を越えた自由な発言を得る手段とされてきた。その伝統は今日のSNSでフェイスブックが日本で苦戦している原因ともいえよう。
 日本では本名だと組織での立場や何かに拘束され、なかなか自由な発言がしにくく、ただ組織から与えられた決められた建前を言うばかりになる。だから、実名よりも匿名のほうがその人間の本音が語られるものとして信用される所がある。実名で語ることはただ組織の立場でそう言わされているだけの嘘ばかり、というのが今でも日本の社会の実情だ。
 この発句には長い前書きがついている。

 「いづれの時、いかなる人にか、難波堀江のよしあしにもつかず、男にもあらず、法師にもあらず、住る所もたしかならぬ翁ありけり。春の日の長あくびなるつれづれに、うとうとありきのうとからぬ友もがなと打ながめつつ行に、歌舞伎とかやよせ太鼓のてろつく天も花に酔る心ちして、鼠戸くぐりあへず、のけあみ笠のあけほんのりと見まゐらせ奉れば、打あぐる和歌の御声、親たれさまぞ御名をばえ申まいよのと、そぞろ詞のさまざまに、うつつなの身や、よしよし夢の間よ、ただしゆんできた物を。」

 和歌連歌で盛んに用いられてきた掛詞の技法が駆使された戯文で、難波の芦に掛けて難波の「良し悪し」としたり「春の日永」に掛けて「長あくび」を導き出したりする。
 当時流行していた歌舞伎踊りの客寄せのための寄せ太鼓のテンテンテロテロと鳴り響くところから「天も花に酔る心ち」を導き出し、芝居小屋の鼠戸(鼠木戸)に和歌(小唄)の声が聞こえてくれば、さぞかし立派な親を持っていることだろう親は誰だと言うにも名は言えないという。それを受けて、発句は歌舞伎踊りを舞う若衆の「お名をばえ申舞の袖」の詞をそのまま言い下すことになる。
 初期の歌舞伎は歌舞伎踊りで、最初は男娼の舞う若衆歌舞伎と遊女の舞う遊女歌舞伎とがあったが、寛永六年(一六二九年)ごろから遊女歌舞伎は禁止されて廃れて行き、若衆歌舞伎の流れがやがて元禄の頃に市川団十郎などによって今の姿に発展していった。芭蕉其角両吟の「詩あきんど」の巻八句目に、

   恥しらぬ僧を笑ふか草薄
 しぐれ山崎傘(からかさ)を舞  其角

とあるのも若衆歌舞伎をイメージしている。

2018年5月3日木曜日

 今日は午前中雨が降った。そのまま一日今日はお篭り。たまの休みだからこれもまたいい。
 「宗祇独吟何人百韻」ついに挙句に。さあ挙句の果てに何がある。

 九十五句目

   山こそ行衛色かはる中
 つれもなき人に此の世を頼まめや 宗祇

 宗牧注
 人ハ難面(つれなき)物なれども、世はさハあるまじきほどに、難面き人のやうに世は頼まじと也。
 周桂注
 世ハあだなる物なれバ、人のごとくつれなくハあらじと也。たのみはつべき此世ならねバ、行末ハ山居もしつべき心にや。

 「つれもなき」は「つれなき」を「力も」で強調した形。「つれなきも」の倒置だが、連体形が「ひと」を受けるため「つれなきも人」にも「つれなき人も」でもおかしいので、「つれもなき人」に落ち着く。
 「此の世を頼む」というのは、自分は世を捨てるという意味で、前句の「山こそ行衛」が出家の意味に取り成される。
 色変わりつれなくなった人に、あなたは現世で生きて行きなさい、私は出家します、という意味になる。

 九十六句目

   つれもなき人に此の世を頼まめや
 しぬる薬ハ恋に得まほし     宗祇

 宗牧注
 此世を憑ても甲斐なければ、毒薬にても死せんと也。
 周桂注
 恋ハくるしき物なれバ、しにたしと也。

 「死ぬる薬」は『源氏物語』総角巻に、

 恋ひわびて死ぬる薬のゆかしきに
     雪の山にや跡を消なまし

の歌の用例がある。「雪の山」は『竹取物語』の富士山で「不死」の薬を焼いて限りある命を受け入れたことをイメージしたものといわれている。
 ここではそれとは関係なく、自殺願望の句となる。前句の「や」を反語に取り成すと心中ということになるが、いずれにせよ病んだ句だ。江戸時代の心中ものを経て、今日のヤンデレにつながっているのかもしれない。

 九十七句目

   しぬる薬ハ恋に得まほし
 蓮葉の上を契りの限りにて    宗祇

 宗牧注
 一蓮同生の契をいそぐ心にや。
 周桂注
 後ハ蓮台にあらんほどに、死たきと也。

 「蓮台の上の契り」は『源氏物語』鈴虫巻の、

 蓮葉を同じ台(うてな)と契りおきて
     露の分かるる今日ぞ悲しき

に見られるが、この場合は契りも空しく離れ離れになるというもの。これに対し、宗祇の句はやはり心中をほのめかす展開になっているが、無理心中ではなく同意の下での心中を願う展開になる。

 九十八句目

   蓮葉の上を契りの限りにて
 ちるや玉ゆら夕立の雨     宗祇

 宗牧注
 納涼の仕立也。夕だちの雨といふ事、歌には見えずと也。
 周桂注
 すずしき心也。夕立の雨、古き歌ニおほくはみえぬにや。万葉に、夕立の雨打ふれバ春日野の尾花が上の白露おもほゆ。風雅集ニ、後鳥羽院、かた岡のあふちなみよりふく風にかづかづそそぐ夕立の雨。されども、夕立の雨このむまじき詞也。時雨の雨にハかハりたり。夕だつといはば、雨となくてハすべからず。新古今に、水うみの舟にて夕立の立ぬべき由申けるをききて、かきくもり夕だつ浪のあらけれバうきたる舟ぞしづ心なき。此歌ハ、夕だつ浪に夕立をそへたるなるべし。新拾遺、折しかんひまこそなけれおきつ風夕だつ浪のあらき浜荻、家隆。玉葉集ニ、夏風と云題ニ、夏山の梢の木々を吹かへし夕だつ風の袖にすずしき。

 周桂の注は「夕立」の用例についてかなり詳しく説明している。最初の「万葉に」の歌は、

 夕立の雨うち降れば春日野の
     尾花が上の白露思ほゆ
         詠み人知らず(万葉集二一六九、)
 夕立の雨うち降れば春日野の
     尾花が末(うれ)の白露思ほゆ
         小鯛王、更の名は置始多久美(万葉集、三八一九)

と二首重複している。

 かた岡のあふちなみよりふく風に
     かづかづそそぐ夕立の雨
           後鳥羽院(風雅集四〇四)

 この二首を挙げて、まず「夕立の雨このむまじき詞也。」という。「夕だつといはば、雨となくてハすべからず。」というように夕立だけで雨の意味になるから、「夕立の雨」は同語反復だというのだろう。「夕立」は『応安新式』の一座一句物のところにあるので「夕立」自体は使ってはいけない言葉ではない。
 「時雨の雨にハかハりたり。」とあるのは、時雨が一座二句物で、秋冬それぞれ一句づつになっているが、八十五句目に冬の時雨が出ているので、秋の句にしなくてはならなくなる。九十四句目の秋から三句しか隔ててないのでここでは出せない。

 かきくもり夕立つ波の荒ければ
     浮きたる舟ぞしづ心なき
           紫式部(新古今集・羈旅歌)
 をりしかんひまこそなけれ沖つかぜ
     夕たつ波のあらき浜荻
           藤原家隆(新拾遺)
 夏山の梢の木々を吹かへし
     夕だつ風の袖にすずしき
           権中納言兼季(玉葉集)

 この「夕だつ」は夕べに立つ浪や風を詠んだもので、夕立の歌ではない。
 「たまゆら」は「玉響」で玉と玉がこすれる幽かな音から、わずかなという意味になる。ここでは雨露の玉と掛けて用いられる。
 蓮葉の上を契りの契りも夕立に雨露がはじけるようなあっという間のこと、という、人の一生も一日花のムクゲの命もどちらも長い雨中の時間の中では一瞬のことという達観した句となる。
 そろそろ挙句に向って、「解脱」を意識しだしたか。

 九十九句目

   ちるや玉ゆら夕立の雨
 雲風も見はてぬ夢と覚むる夜に  宗祇

 宗牧注
 夕立のしたる風雲、跡もなくなりたるは、見はてぬ夢なり。
 周桂注
 夕だちのあらきも夢也。あとなき心也。

 夕立の雨のあっという間に去ってゆくように、我が一生の波乱万丈の雲風も、所詮は見果てぬ夢だと悟る夜にと、「覚むる」に単に夜の眠りから覚めるだけでなく、寓意を持たせている。

 挙句

   雲風も見はてぬ夢と覚むる夜に
 わが影なれや更くる灯      宗祇

 宗牧注
 有か無かに更たる灯也。
 周桂注
 身の老たる心を深夜の燈にたとへたるなるべし。

 この世は結局一時の夢と悟り目覚めた時、自分の影は油のかすれた灯のように影が薄くなってゆく。燃え盛る炎はくっきりした影を作るが、火が弱まれば影も薄くなる。こうして火が消えたように、この私も世を去る日は近いのだろう、と弟子達への遺言にこの百韻を残す。

2018年5月1日火曜日

 マイノリティーがいじめに遭うと、人権思想に藁をもすがる思いになるのかもしれない。ただ、私のような日本人で男で健常者でノン気という絵に描いたようなマジョリティーだと、いじめに遭っても自分が悪いということにしかならない。
 実際小学校の間はずっといじめられてた記憶がある。今となっては詳しいことは思い出せないから、たいしたことではなかったのかもしれないが、少なくともクラスでは問題児として扱われ、親切にも学級裁判まで開いてくれ、何とか更生させようとみんなで話し合ってくれた。
 そんな中で、いつしか正義だとか建前道徳だとかを信じなくなり、カミュやフーコーに傾倒してゆくことになった。それが今の自分の原点となっている。
 多分、ネトウヨと呼ばれる人たちの多くにも似たような体験があって、何らかの形で西洋的な人権思想への失望というのがあるのではないかと思う。
 いじめや差別をなくすのに、私は法整備で対応するという西洋的な考え方には懐疑的だ。それは結局警察や機動隊といった暴力装置で押さえつけているだけだからだ。ヘイトスピーチやヘイトクライムといった行動に移せば逮捕されるとしても、心に思い描くだけでは罪にならない。だからみんな結局心に思っても我慢しているだけで、何かの弾みで権力の空白が生じれば抑えていたものが一気に爆発する。
 西洋的な方法は旧ユーゴスラビアでも失敗したし、EUも今やかなり怪しくなっている。
 日本はもとより、世界には色々な文化圏があり、そこでも当然いじめや差別はあるのだから、その文化独自の対処法があると思う。西洋的な方法を一方的に全ての国に押し付けるのではなく、それぞれの文化圏での方法を発信し合って、駄目なものは自然と廃れ、良いものが生き残っていくようにすればいい。「多様性」というのはそのためにあるのだと思う。
 それでは「宗祇独吟何人百韻」の続き。

  九十一句目

   はやくの事を泪にぞとふ
 物毎に老は心の跡もなし    宗祇

 宗牧注
 老耄のこころ也。
 周桂注
 万端忘却の上にも、涙ばかりハ昔にかハらぬ物也。昔をとハんあひてにハ、心あひたる歟。

 これは前向性健忘であろう。新しいことが覚えられず、「心の跡もなし」だが、「はやくの事」は思い出せるし、涙する。

 九十二句目

   物毎に老は心の跡もなし
 めで来し宿は浅茅生の月    宗祇

 宗牧注
 月をめでこし宿ハ、浅茅原と荒たる也。
 周桂注
 よろづ忘却の上にも、月バかりハ誠にめでつべくこそ。

 一句は倒置で、「月をめで来し宿は浅茅生で、物毎に老は心の跡もなし」となる。
 歳取ると物もなかなか片付けられなくなるし、庭の手入れも行き届かなくなり、チガヤなどが生い茂る。

 名残裏
 九十三句目

   めで来し宿は浅茅生の月
 野辺の露袖より置きや習ふらん 宗祇

 宗牧注
 聞えたる体也。
 周桂注
 露は野べよりをく物なれど、我思のあまりに、袖よりをくらんと也。野べの露ハ色もなくてやこぼれつる袖より過る荻の上風。

 引用されている歌は、

 野辺の露は色もなくてやこぼれつる
     袖より過ぐる荻の上風
             慈円(新古今集)

 句の方は、野辺の露も袖に置いた涙の露に習ったのだろうか、となり、その涙のわけを前句の浅茅生の荒れた宿とする。

 九十四句目

   野辺の露袖より置きや習ふらん
 山こそ行衛色かはる中    宗祇

 宗牧注
 うつろふ袖のゆく衛ハ、山野なるぞといふ心也。
 周桂注
 我中も山とおなじく色かハるとなり。

 山の紅葉は露の色に染まり変わってゆく。前句の袖の露の理由を、山が露をうけて紅葉に変わってゆくように、二人の仲も色あせてゆくからだとする。恋に転じる。