2025年7月7日月曜日

  おとといの切れ字の話の続き。

 他の切れ字の場合はその切れ字を受けている上の言葉も倒置にする必要があるし、この操作は「や」でもできる。

 かなしまむや墨子芹焼を見ても猶 芭蕉

の場合は「墨子芹焼を見ても猶かなしまむや」の倒置であることがすぐわかる。「や」だけでなくその上の文まで倒置にする例は、特に中七に「や」を持ってくる句に多い。

 世の人の見付ぬ花や軒の栗 芭蕉
 (軒の栗は世の人の見付ぬ花や)
 ともかくもならでや雪のかれお花 芭蕉
 (ともかくも雪の枯れ尾花にはならでや)

 こういう倒置は他の切れ字でも頻繁に行われる。


3,「か」という切れ字

 「か」は「かな」に適うという。

 木枯らしに二日の月の吹き散るか 荷兮
 木枯らしに浅間の煙吹き散るか 虚子

は「吹き散るかな」と切るべき所を字数の関係で「か」で止めている。

 ほろほろと山吹ちるか瀧の音 芭蕉

 この句も山吹が散っていることに疑問を呈するのではなく、滝の音とともに山吹も散っているかのようだと、主観的に治定する「か」で字余りを気にしないなら、

 ほろほろと山吹散るかな滝の音

としても良いところだ。

 草枕犬も時雨るかよるのこゑ 芭蕉

 同じ治定の言葉に「や」もあるから、「時雨るや」でも良さそうな感じがするが、「か」の方が疑問の用法で多用されるために、疑問の強い治定、主観性を強調したい治定の場合は「か」を用いているように思える。
 稀だが、「かや」というのも用いられる。

 一里はみな花守の子孫かや 芭蕉

 これは花守の子孫だという伝承に対して、本当かどうかわからないがこの土地に敬意を評して信じておくべきだ、みたいなニュアンスが感じられる。この場合の「かや」も「かな」よりも疑いの強い治定と見て良いだろう。治定するにしても、まさかそんなことがあるのかみたいな驚きを伴う時には「かな」では弱い。
 「か」はもちろん疑問にも用いられる。

 切られたる夢はまことか蚤のあと 其角

 夢は外界の影響を受けるというのはよく言われる。戦地で弾丸の中を逃げ惑う夢を見て目が覚めたら、大粒の雨がトタン屋根をバラバラ打ち付けていた、なんて話も聞く。
 この句の場合切られた夢を見てはっと目を覚まし、切られた箇所を確認すると、そこに蚤に喰われた跡があって、「本当だったか」というわけだが、勿論ここは「本当だった」と治定するわけではない。夢は夢、幻は幻だ。
 この句の場合も「夢はまことや」としてしまうと、蚤の跡を見つけた時の驚きが伝わってこない。

 「か」は「や」と同様係助詞でも用いられるが、「や」のような助詞だけでの自在な倒置は行われない。上にくる言葉ごと倒置するのが常だ。少なくとも、

 木枯らしに二日の月の吹き散るか 荷兮

の句で、

 木枯らしか二日の月の吹き散る
 木枯らしに二日か月の吹き散る
 木枯らしに二日の月か吹き散る

という操作はできない。「や」であれば、

 木枯らしや二日の月の吹き散る
 木枯らしに二日や月の吹き散る
 木枯らしに二日の月や吹き散る

という操作は可能だ。

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