久しぶりに何か書こうということで、切れ字の話でも。
俳句の前身となる連歌や俳諧の発句は、575の短い文章を、先に何かが続くような感じのしない、一句だけで言い切るように響くようにするにはどうすればいいか、古人が様々な工夫をするうちに、この言葉を使うと一句として切りやすいといういくつかのものを見つけ出してきた。
それが「切れ字」と呼ばれるものとなった。
たとえば、
古池に蛙飛び込む水の音
だと、古池に飛び込んだ水の音が一体何なのか、それからどうなったのか、後ろに何か続くような感じが残る。これを、
古池や蛙飛び込む水の音 芭蕉
とすると、一句として完結したような印象を受ける。
これがなぜなのか、様々な切れ字の用例の説明を加えながら、切れ字というのがなぜ「切る」働きをするか、見て行くことにする。
初めに少し大雑把なことを言うなら、俳句の575が一つの文章として完結するには、
主語+述語+終止言
の形が望ましい。
実際には主語の省略や述語の省略、終止言も省略も頻繁に起きるが、基本的にはこの形が一句として完結した印象を与える。
例として挙げるなら、
道の辺の木槿(主語)は馬に喰はれ(述語)けり(終止言) 芭蕉
海暮れて鴨の声(主語)ほのかに白し(述語・終止言) 芭蕉
春の海(主語)ひねもすのたりのたり(述語)哉(終止言) 蕪村
鶏頭(主語)の十四五本もありぬ(述語)べし(終止言) 子規
など、これらは主語・述語・終止言が省略されずに一句になっている。
この場合の終止言「けり」「し(文語形容詞の語尾)」「哉」「べし」はいずれも古来切れ字とされている。そのため、
主語+述語+切れ字
と言い換えてもいい。これが本来俳句の一番基本的な型であり、二上貴夫先生の俳句の五型を語るうえでも、その基本となる型であるため、私はこれを「ゼロの型」あるいは「第ゼロ型」と呼ぶ。
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