2023年10月14日土曜日

 それではX奥の細道の続き。

八月十四日

今日は旧暦8月13日で、元禄2年は8月14四日。敦賀へ。

昨日の雨も止んで、今日はよく晴れた。敦賀までの距離も考え、久しぶりに夜明け前に出発した。洞哉も一緒で、今夜は敦賀で月見ができるかな。

福井の街を出ると、また広い湿地帯があった。ここが俊成卿の、

夏刈りの芦のかり寝もあはれなり
  玉江の月の明けがたの空

の歌に詠まれた玉江だという。
月はまだ沈んでなかったが、ただ今は夏刈りをしないのか、芦が茂ってて、水に映る月は見れなかった。

月見せよ玉江の芦を刈ぬ先 芭蕉

玉江から少し行くと催馬楽に

浅水の橋のとどろとどろと
降りし雨の古りにし我を
たれぞこのなか人立てて
みもとのかたち消息し
訪ひに来るや さきんだちや

と歌われ、枕草子にも「橋はあさむつの橋」と言われた浅水橋があった。小さな橋だった。

この辺りでちょうど日の昇る明け六つなので「あさむつ」

あさむつや月見の旅の明ばなれ 芭蕉

日永嶽は北陸道の武生宿を出ると左に見えてくる。
今のところ晴れててこの山がはっきり見えてるから、今夜も、明日の名月も晴れますように。
日永というから、日が長く出ていますように。

あすの月雨占なはんひなが嶽 芭蕉

武生宿と今庄宿の間に湯尾峠がある。分水嶺ではなく小さな峠だが、そこに茶店があって疱瘡除けのお札が売られてた。
名月は里芋をお供えするので芋名月とも言うが、疱瘡の方のイモは特に名月とは関係ない。

月に名を包みかねてやいもの神 芭蕉

今庄宿に着くと目の前に燧山があった。木曾義仲の燧ケ城のあった所だ。

義仲の寝覚の山か月かなし 芭蕉

今庄宿から敦賀へ行く途中に木ノ芽峠があり、越の中山と呼ばれているという。
この峠を越えて降りてきた頃には月が登ってた。
西行法師の、

年たけてまた越ゆべきと思ひきや
   命なりけり小夜の中山

の歌を思いおこした。

はるばる松島象潟を回ってきて、生きてここまで戻れたんだなと思う。

中山や越路も月はまた命 芭蕉

敦賀に着くと出雲屋に宿を取って、さっそく気比明神に参拝した。
参道に白い砂が敷き詰められてたが、その昔遊行二世の他阿が、参道が元々沼地でぬかるんでるのを見て、自ら白い砂を運んできて敷いたという。

秋の夜の月も澄み渡ってるが、この砂もそれに劣らず澄み切ってる。

月清し遊行のもてる砂の上 芭蕉

昨今はいろんな国でその土地の何々百景とか作るのが流行りのようで、敦賀にもあるらしい。
金崎夜雨、天筒秋月、気比晩鐘、野坂暮雪、櫛川落雁、常宮晴嵐、清水帰帆。

ただ、気比神宮は煙ることなく空は澄み切っていて、後ろの天筒山の上に十四夜の月が明るく光る。

国々の八景更に気比の月 芭蕉

良い月見ができた。明日も晴れますように。

八月十五日

今日は旧暦8月14日で、元禄2年は8月15日。敦賀。

今日は朝から曇ってる。昨日の疲れもあって、まずは一休みだ。
午後になって晴れそうだったら、西行法師ゆかりの色の浜に行ってみたいな。でも宿の主人はこういう雲行きだと雨になると言ってる。

宿の主人が言った通り、夕方から雨になった。

名月や北国日和定なき 芭蕉

まあ、定めないのは月だけでないな。曾良が病気になったりしたし。まあ、おしなべて人生は定めないものだが。

八月十六日

今日は旧暦8月15日で、元禄2年は8月16日。敦賀。

今朝は晴れた。
昨日はあれから、雨が止んで月が出ないかと遅くまで起きて、宿の主人といろいろ話をした。
主人が言うに、金ヶ崎の戦いの時に海に沈んだ鐘は、その後引き上げようとしたけど海底で逆さになってて、吊り上げる時の取手となる竜頭が埋もれていたので、引き上げることができなかったという。

月いづく鐘は沈める海の底 芭蕉

また、敦賀は元々角鹿(つぬが)で、なんでも昔イルカの群れが打ち上げられて、その血が臭かったから「ちうら」といい、「つぬが」になったらしい。

イルカの肉はクジラ同様美味しく、これをもたらした御食津大神が気比大神になったって、この辺は曾良の専門だから、いたらうるさかっただろうな。

ふるき名の鹿角や恋し秋の月 芭蕉

天屋五郎右衛門という人の案内で、船に酒と肴を積んで色の浜へ向かった。もちろん洞哉も一緒。
色の浜は船で北の方へ行った所にあった。
敦賀の北の方に開いた入江に逆向きの南に開いた入江と小さな小島が重なり合い、見事な景観を生み出している。

西行法師の、

汐染むるますほの小貝拾ふとて
   色の浜とは言ふにやあるらむ

の歌でも知られている。
砂浜に砕けた貝殻は小萩が散ったみたいで、壊れてない貝は盃のようだ。

小萩ちれますほの小貝小盃 芭蕉

ようやく色の浜に月が昇った。
「ますほ」は真蘇芳色をしてるところからその名があり、紅葉の色に見立てられるが、血の色だという人もいる。稀に月もこの色になる。

衣着て小貝拾はんいろの月 芭蕉

浜辺の月というと源氏物語の須磨巻も思い浮かぶ。この北の海の渺漠としたうら寂しさはそれにも勝る。

寂しさや須磨にかちたる浜の秋 芭蕉

八月十七日

今日は旧暦8月16日で、元禄2年は8月17日。敦賀。

今日も良い天気だ。
昨日はあれから近くの本隆寺に泊まった。9日には曾良も来てたようだ。手紙も置いてあった。
敦賀の出雲屋の手配も、天屋の船の手配もみんな曾良がやってくれたんだ。病人なのに律儀な奴だ。
洞哉が昨日の句を書いて寺に奉納した。

本隆寺の日蓮御影堂を拝んでから、船で出雲屋へ戻ると、路通がいた。昨日の夕方に到着して入れ違いになったようだ。
近江粟津の家にいたところ、13日に彦根から曾良の手紙を受け取って、急いで来てくれた。

八月十八日

今日は旧暦8月17日で、元禄2年は8月18日。敦賀。

今日は雨。もう1日ここで休んでいこう。
一昨日の路通の敦賀到着の時の句があった。

目にたつや海青々と北の秋 路通

八月十九日

今日は旧暦8月18日で、元禄2年は8月19日。敦賀を出る。

今朝は晴れた。1日遅れになったが洞哉は福井へ、自分たちは長浜へ向けて夜明け前に旅だった。
いずれにせよ長い馬旅だ。曾良が一両置いていってくれたので、路通と一緒に乞食行脚する必要はなさそうだ。

塩津で琵琶湖が見えた時は、帰ってきたというのを実感した。
路通が北へ山一つ隔てた所にある余呉の湖の話をしてくれた。沢山の鳥が集まるというので、結局寄り道して余呉の湖を見て、長浜まで行かずに、木之本宿に宿を取った。

路通「毎度。路通でやんす。
余呉の湖の鳥もまだ季節が早いのか、まだ眠ってるかのように静かでやんすね。

鳥どもも寝入てゐるか余呉の湖 路通

あれ、これは季語は?水鳥の句だから冬だって師匠は言ってたでやんす。」

八月二十日

今日は旧暦8月19日で、元禄2年は8月20日。木之本を出る。

今日も天気が良く、ここから大垣まで一気にに行けなくもないが、ゆっくり行くことにしよう。
それにしても路通は天然でよくわからないが、時々凄い句を作るからな。阿羅野の次の撰集のことも考えなくちゃ。

日が高くなってからゆっくり出発して、北国脇往還の方を通った。小谷城のあった小谷宿、伊吹山を真近に見る春照宿を経て、中山道の関ヶ原宿に着いた。
今日はここに宿を取って、大垣に手紙を書くことにしよう。
長い旅ももうすぐ終わりだ。

八月二十一日

今日は旧暦8月20日で、元禄2年は8月21日。大垣着。

今日も天気が良く、日も高くなってから関ヶ原を出て、昼には大垣に着いた。如行や宮崎家の人たちなど、大垣のすぐに集まれる人たちが宿場の入り口まで迎えに来ていた。

胡蝶の夢なんて言うが、死んで胡蝶になることもなく、元の青虫のまま帰って来れた。
ふと思ったんだが、荘周が胡蝶になったと言うけど、いきなり蝶になるんじゃなくて、まずは青虫に生まれて蛹になって蝶になるんだよな。

胡蝶にもならで秋ふる菜虫哉 芭蕉

如行「そうかそうか。青虫さんか。ここには貧しい秋茄子しかなくて残念ですが、くつろいでいってください。」

  胡蝶にもならで秋ふる菜虫哉
種は淋しき茄子一もと 如行

曾良も無事に伊勢長島に帰って、今も療養中だという。伊勢の式年遷宮には一緒に行けるかな

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