2023年10月13日金曜日

  日本の男性アイドルの文化は結局のところジャニー北川さんの恩恵によるところが大きいし、その影響は韓流アイドルにも引き継がれていると思う。ロシアで韓流アイドルがゲイだと言われて排除されてるのも、ジャニさんに始まる男性アイドル文化が少なからず同性愛的な要素を含んでいるからではないかと思う。
 男の視点だと、男性アイドルは背が高くてマッチョな、男らしい男という方向に行きやすいのではないかと思う。そうではなく背が低くて「可愛い」男が案外女性に需要があるというのを見出したのは、ジャニさんが女性的な視点を持っていたからではないかと思う。
 日本にはソドムの歴史はない。源氏物語にも光源氏と頭の中将が二人で舞うシーンが紅葉賀巻のメインになっているし、江戸時代初期には衆道の相手も兼ねた若衆歌舞伎があって、それが禁制になったために今の野郎歌舞伎に落ち着いたが、それでも女形(おやま)にその名残をとどめている。
 戦後の芸能界でも美輪明宏さん、ピーターさん、カルーセル麻紀さんなどがテレビに出てお茶の間を賑わしていた。そうした中にジャニさんの存在もあった。

 それではX奥の細道の続き。

八月六日

今日は旧暦8月5日で、元禄2年は8月6日。小松。

立松寺に戻ってきた。今日は雨で一休みかな。
曾良は全昌寺でどうしてるかな。雨だから無理せずに一休みかな。

八月七日

今日は旧暦8月6日で、元禄2年は8月7日。小松。

今日はいい天気だ。觀生から誘いがあって、今日は興行できるかな。

觀生の家で皷蟾を交えて三吟を巻いた。発句はこの前多田八幡に奉納した句で、実盛の兜からそれが野に落ちてた姿を想像して、地面に虫が鳴いてたかなと、それを季語にした。謡曲実盛の首検分の台詞を引用して、

あなむざんやな冑の下のきりぎりす 芭蕉

觀生「まさに虫の息というところか。霜枯れに草には鳴く虫の声も弱ってゆく。」

  あなむざんやな冑の下のきりぎりす
ちからも枯し霜の秋草 觀生

皷蟾「晩秋の草原は河原でしょうな。丘の麓の川縁で渡し守が月明かりで綱を撚っているといったところでしょうか。」

  ちからも枯し霜の秋草
渡し守綱よる丘の月かげに 皷蟾

芭蕉「なら、その渡し守の居所がそこにある。仮小屋だけど住めば屋敷のようなもの。」

  渡し守綱よる丘の月かげに
しばし住べき屋しき見立る 芭蕉

觀生「見立てというからね。そのしばしの屋敷は実は唐傘を屋敷に見立ててるだけだったりして。」

  しばし住べき屋しき見立る
酒肴片手に雪の傘さして 觀生

皷蟾「雪の笠というと、一輪開いた冬の梅のようでもありますな。ここは見立てではなく、雪の寒梅を見ながら酒を飲むとしましょう。」

  酒肴片手に雪の傘さして
ひそかにひらく大年の梅 皷蟾

芭蕉「梅というと立派な庭園で水が流れてて、大晦日に咲いた梅は2日になるともう散って流れて来て、薄墨を流したような色になる。」

  ひそかにひらく大年の梅
遣水や二日流るる煤の色 芭蕉

觀生「煤の色を文字通り煤が流れて来た色として、煤の出るような安い油を使ってるのが隣にばれて恥ずかしい。」

  遣水や二日流るる煤の色
音問る油隣はづかし 觀生

皷蟾「油売りはいろんな家を回ってはそこで噂話をして、油売ってたりするもんですな。そんな人に恋文なんぞ見られたら、そりゃあ恥ずかしい。」

  音問る油隣はづかし
初恋に文書すべもたどたどし 皷蟾

芭蕉「初恋でたどたどしい手紙を恥ずかしそうに届けてねなんて頼まれたりしたら、使いの僧の方が惚れちまうな。」

  初恋に文書すべもたどたどし
世につかはれて僧のなまめく 芭蕉

觀生「僧もひそかに湯女のいる風呂屋に提灯持って通ったりする。」

  世につかはれて僧のなまめく
提灯を湯女にあづけるむつましさ 觀生

皷蟾「湯女の所に風呂屋で使う提灯を納品しますと、お礼に温泉玉子なんか貰えると嬉しいですね。」

  提灯を湯女にあづけるむつましさ
玉子貰ふて戻る山もと 皷蟾

芭蕉「玉子というと煮て食うもので、納豆汁に玉子があれば言うことはない。納豆はお寺で冬に作って配るもので、それを叩いて細かくして納豆汁にする。これがまた旨い。」

  玉子貰ふて戻る山もと
柴の戸は納豆たたく頃静也 芭蕉

觀生「正月準備の頃かな。茅の輪にする竹を取りに行く。ただ季語は露にして秋に転じておこう。月の定座も近いし。」

  柴の戸は納豆たたく頃静也
朝露ながら竹輪きる薮 觀生

皷蟾「竹を取るところでは、同じ竹でモズを取る若者なんかもおりますな。捕まえたモズの目を縫い付けて竹の上に縛り付けて、その鳴き声に釣られて寄ってきたモズを獲るなんて、可哀想なことをするもんです。」

  朝露ながら竹輪きる薮
鵙落す人は二十にみたぬ顔 皷蟾

芭蕉「モズを獲るのは殺生人と呼ばれる人たちで、河原に縁のある者。真如の月のもとで成仏できると良いな。」

  鵙落す人は二十にみたぬ顔
よせて舟かす月の川端 芭蕉

觀生「月夜には釜を抜かれるというけど、河原の者は鍋も持ってなさそうだな。ここでは花もないということで花に持ってっていいかな。」

  よせて舟かす月の川端
鍋持ぬ芦屋は花もなかりけり 觀生

皷蟾「鍋もないほど貧しい芦葺きの家に住んでますのは、いくさが続いたせいでしょうな。そこら辺にはまだ野ざらしの白骨が残ってたりしましてな。」

  鍋持ぬ芦屋は花もなかりけり
去年の軍の骨は白暴 皷蟾

芭蕉「時は戦国時代ということで、この頃の薮入りは奉公人の帰省ではなく、嫁が実家に帰る日だったという。」

  去年の軍の骨は白暴
やぶ入の嫁や送らむけふの雨 芭蕉

觀生「帰省の日で久々に親に会うんだったら、特別に髪を洗ったりする。」

  やぶ入の嫁や送らむけふの雨
霞にほひの髪洗ふころ 觀生

皷蟾「思いがけぬ所で仏像が発見されたりしますと、吉祥だということで御所に献上されたりしますな。正月の髪を洗う頃、めでたいものです。」

  霞にほひの髪洗ふころ
美しき仏を御所に賜て 皷蟾

芭蕉「では御所を碁所に取り成して、仏像の御利益で連戦連勝。」

  美しき仏を御所に賜て
つづけてかちし囲碁の仕合 芭蕉
甘柿舎鈴呂屋こやん

觀生「碁の試合(しあはせ)を幸せに取り成して、勝利が続いて大金を手にした所で、正月には大勢の人に餅を振る舞う。」

  つづけてかちし囲碁の仕合
暮かけて年の餅搗いそがしき 觀生

皷蟾「正月といえばかぶら寿司ですな。能登の志賀の方の名物です。」

  暮かけて年の餅搗いそがしき
蕪ひくなる志賀の古里 皷蟾

芭蕉「古里といえば陶淵明の田園の居に帰る。狗吠深巷中 鶏鳴桑樹巓で、犬の声がする。」

  蕪ひくなる志賀の古里
しらじらと明る夜明の犬の声 芭蕉

觀生「犬というと墓場にいたりして不気味なものだ。ここは謡曲舎利のイメージで、舎利が盗まれたので僧が祈ると韋駄天が現れて取り返してくれる。」

  しらじらと明る夜明の犬の声
舎利を唱ふる陵の坊 觀生

皷蟾「舞台は都の泉湧寺ですな。名前の通り泉が湧く所ですので、筧を作ってそれを引いてきましょうか。」

  舎利を唱ふる陵の坊
竹ひねて割し筧の岩根水 皷蟾

芭蕉「苗代水かなと思ったけどここは夏にして田植えの頃の水にしておこう。水だけでなく早苗も貰う。」

  竹ひねて割し筧の岩根水
本家の早苗もらふ百姓 芭蕉

觀生「貰った早苗はねこに乗せて運ぶもので、ここでは乳母車にしておこう。子連れで苗を貰いに行って、苗を乗せたら赤子は本家に預けて行く。」

  本家の早苗もらふ百姓
朝の月囲車に赤子をゆすり捨 觀生

皷蟾「子を連れての仇討ちの旅ですな。かたきの人相書きを見ながらこの秋も本懐を遂げられず、悲しいもんです。」

  朝の月囲車に赤子をゆすり捨
討ぬ敵の絵図はうき秋 皷蟾


八月十一日

今日は旧暦8月10日で、元禄2年は8月11日。小松。

今日も良い天気だ。小松の滞在も長くなったが、今日の昼頃にはここを発って全昌寺に向かう。
一人でというわけにもいかないので、北枝が同行してくれる。福井からは洞哉という人が同行してくれるという。敦賀から先は曾良が手配してるらしい。

北枝と二人で今夜は全昌寺に泊まる。5日には曾良が泊まって、

終宵秋風聞や裏の山 曾良

の句を残して行った。西側が山に面している。
曾良は7日にここを発ったので、明日ここを経てば五日遅れということか。

八月十二日

今日は旧暦8月11日で、元禄2年は8月12日。全昌寺を出る。

朝、福井に向けて出発する時、若い僧が揮毫をせがんできた。只というわけにはいかない。
寺に泊まった時は出る時に掃除するのが慣わしだが、それを代わりにやってくれるなら考えてもいいぞ。

庭掃て出ばや寺に散柳 芭蕉

よし、取引成立だ。

吉崎の入江は大きな干潟で、ここを船で渡って海側の汐越しの松を見た。西行法師が、

よもすがら嵐に波をはこばせて
   月をたれたる汐越の松

と詠んだ所だ。今は昼だし、こういう干潟の風景は象潟以来何度も見てきたな。

象潟の楽しかった思い出が蘇ってきてしまって、なんか上手く句にならないな。名月だったらまた違ってたかもしれない。

松岡という所で洞哉と落ち合った。ここで北枝ともお別れだ。扇子に、

物書いて扇子へぎ分くる別れ哉 芭蕉

と書いて渡した。実際に引き裂いたりはしてない。

今日は洞哉の家に泊まる。昨日まで天気が良かったが、今日は曇ってて月が見えない。それにもっきり涼しくなった。

八月十三日

今日は旧暦8月12日で、元禄2年は8月13日。福井。

今日は雨。一日ここで休んでいこう。
明後日が十五夜だし、これから敦賀へ向かうが、どこでお月見すると良いか尋ねてみようと思った。
まあ、福井にももう通り過ぎたが汐越の松もあるし、福井に引き止められそうだな。

名月の見所問ん旅寝せむ 芭蕉

今日は一日雨で、月見もできそうになく、ただ洞哉といろいろ世間話をして過ごした。
洞哉という老人は寛文の頃に活躍した人で、そういえば伊賀にいた頃名前は耳にしていた。その後の俳諧の流れにはついてゆけず、静かに妻と二人で隠居暮らしをしてる。

小さな庭で夕顔やヘチマを育て、鶏頭の花が咲き、コキアは勝手に生えてきたものか。一見草に埋もれているようでも、しっかり手入れはされている。
昨日はたまたま松岡の知り合いのところに行ってて、そこで会うこととなった。

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