2023年10月12日木曜日

  ノーベル賞を受賞したゴールディンさんの「なぜ男女の賃金に格差があるのか」を途中まで読んだ。
 ゴールディンさんはピルの解禁を過大評価しすぎてるように思う。日本ではピルは解禁されなかったが、やはり七十年代の中頃から結婚年齢の上昇が見られ、今では男は三十、女は二十八くらいになっている。
 七十年代前半くらいは大体女は二十四が適齢期と言われ、二十六にもなると「売れ残り」と言われてた。日本では中ピ連が話題にはなってたが、日本の西洋かぶれの活動家にありがちな、スローガンばかりで現実から遊離してて、今でもそうだが笑い者になるだけだった。今でもフェミは嫌われてる。アメリカで流行ってることの鸚鵡返しで、現実的な提案を何一つしないからだ。アメリカのウーマンリブもそうだったのかもしれないけど。
 ピルが解禁されなくても、生涯のキャリアを持ちたいという欲求が女性に起これば、自然に結婚時期は遅れるものだと思う。
 子どもが出来ての予期せぬ結婚を防ぐには、必ずしもピルは必要としない。七十年代前半の、ヒッピー文化のフリーセックスは急速に廃れていったし、むしろ八十年代以降性的モラルが強化される傾向あったんではないかな。アメリカでも未成年のヌードが禁止されたし。
 日本では特にオタクの間での処女崇拝が強化されていって、日本のエンタメ・コンテンツにも影響を与えている。
 俺も早く結婚した第三グループの最後の世代だから、第四グループ以降の変化は正直ついていけないところがある。

 それではX奥の細道の続き。

八月一日

今日は旧暦7月30日で、元禄2年は8月1日。山中温泉。

天気の良い日が続くが、曾良は療養に専念し、温泉に入っている。
自分は北枝と久米之助に俳諧の指導をしたりしながら過ごした。
近くの黒谷橋の辺りを散歩した。

八月二日

今日は旧暦8月1日で、元禄2年は8月2日。山中温泉。

そういえば昨日は八朔だっけ。こういう浮世離れした温泉宿ではよくわからない。
街道から離れてるけど、朝早く旅立つ人の馬が出て行く。

  轡ならべて馬のひと連
日を経たる湯本の峰も幽なる 斧卜

ってこの前の興行の句があったな。

八月三日

今日は旧暦8月2日で、元禄2年は8月3日。山中温泉。

今日は久しぶりに雨が降った。降ったり止んだりの天気だ。
久米之助に俳号をつけてやろうと思った。今までも身内に桃隣、桃印がいて、黒羽では桃翠桃雪桃里がいるからな。やはり桃の一字で桃妖にしようかな。

詩経に桃夭という詩があったからな

桃之夭夭 灼灼其花
之子于帰 宜其室家

少年だけど婚期の少女のような美しさということで、まあそのまんまではなく妖の字に変えておくけどね。

桃妖も北枝も俳諧の筋がいいのは、この地に安原貞室がいたせいなんだろうな。貞室というと、

これはこれはとばかり花の吉野山

の句は知らない人がいないくらい有名だし、その人がこの地で点料を取らずに指導してたというからな。

貞門の指導を受けた人は古典の素養がしっかりしてる。桃妖の祖父もその教えを受けた一人で、それがある程度桃妖にも受け継がれてるのだろう。

昔貞室が少年の頃ここに来て、俳諧のことで難じられて、京で貞徳の門に入ったのが、貞室とこの土地の縁の元となったという。
小松でしつこく引き止められるくらい俳諧が盛んなのもそのせいだろう。

それも世吉や五十韻など、速吟ができるのが、これまで回ったみちのくとは違うなと思う。
貞室は寛永9年に亡母追悼百韻を重頼に難じられたが、この時は毅然とやり返して、その論戦は語り草になってる。
もっともその重頼さんにはお世話になってるから、そこはなんとも言えない。

昔お世話になった師匠さんでも、重頼さんや任口さんはすでに鬼籍で、季吟さんは存命とは聞くが、長いことご無沙汰している。俳諧より古典の注釈書に専念してるようだし。
まあ、俳諧という所もやたら絡んでくるやつっているからな。桃妖も負けるな、だな。

桃の木の其葉ちらすな秋の風 芭蕉

八月四日

今日は旧暦8月3日で元禄2年は8月4日。山中温泉。

あれから雨が降ったり止んだりが続いている。
ようやく伊勢長島から若い者がこちらに到着した。明日は曾良とお別れだ。
曾良は伊勢長島に向かい、自分は小松に戻ってもう少し俳諧を楽しもうと思う。

曾良が伊勢長島に行くことが決まったので、午後から北枝と三人で餞別興行をすることになった。
桃妖も執筆で参加できれば勉強になると思ったけど、宿の方が忙しいとのこと。とりあえず北枝がメモを取っておいてくれるこのになった。

北枝「では曾良さんが明日馬に乗って、故郷同然の伊勢長島に行ってしまうということで、そんな曾良さんのイメージに、秋に南に渡って行く燕のイメージを重ね合わせて、燕を追いかけるように、という意味で。」

馬かりて燕追行別れかな 北枝

曾良「これから幾つも山を越えての帰り道になります。山の峠の曲がり目にはきっと秋の草花も咲くことでしょう。」

  馬かりて燕追行別れかな
花野に高き山のまがりめ 曾良

芭蕉「花野を馬でゆくなら、『花野みだるる』の方がいいかな。咲き乱れるとも言うし。では、その花野を相撲で踏み荒らして乱すと言うことにして、月夜の相撲にしようか。」

  花野みだるる山のまがりめ
月はるる角力に袴踏ぬぎて 芭蕉

芭蕉「月はるるは景だが、月よしとだといかにも『さあやるぞ』って感じで良いかな。」
北枝「なら、相撲をしてて喧嘩になって、刀に手をかけるってあるよね。周囲に止められて、『なに、刀が勝手に滑っただけだ』ってことで収める。」

月よしと角力に袴踏ぬぎて
鞘ばしりしを友のとめけり 北枝

芭蕉「ここで人倫を出してしまうと次の次の句で制約がかかるし、鞘走りが複数の人間のいる場面に限定されて、展開が重くなる。『やがてとめけり』で良いんじゃないか?」

曾良「一人の場面でもいいなら、すわっ、曲者!って刀に手をかけたら、という展開にできますね。」

  鞘ばしりしをやがてとめけり
青淵に獺の飛こむ水の音 曾良

芭蕉「何だか古池に蛙が飛び込んだみたいだな。まあ、あの句も思わぬ音にハッとする場面ではあるが、それを『曲者!』に?青淵でなくても二、三匹でいいんじゃない?」
曾良「いや、これはパロディだから面白いんだし、二、三匹じゃ緊張感ないでしょう。」

芭蕉「まあ、そうだな。だったら青淵だと深山に限定されるし、山類で応じるか。」

  青淵に獺の飛こむ水の音
柴かりたどる峰のささ道 芭蕉

芭蕉「たどる、かよふ、何か盛り上がらないな。まあ、びっくりしてだと打越と被っちゃうけど、ここは俳諧らしく取り囃して、柴かりこかすにしておくか。」

北枝「なるほど、柴かりこかすだと、柴刈がコケるのではなく、柴を刈りこかすとも取りなせる。なら柴刈は山賤でなく、山奥の小さな寺に隠棲する僧にしよう。」

  柴かりこかす峰のささ道
松ふかきひだりの山は菅の寺 北枝

芭蕉「松深きだと松の下生えを刈り払って山が荒れないようにすれば、秋には松茸も取れると、それは理屈だが、ここは何かもっと厳しい所にしたいな。たとえば霰降るとか。」
曾良「なら山は遠くに見えてそっちには寺があるとできますね。平野の街道の風景に転じましょう。」

霰降るひだりの山は菅の寺
役者四五人田舎わたらひ 曾良

芭蕉「この前市振で遊女に会ったしな。ドサ回りの役者もいいけど、田舎わたらいの遊女にすれば花があるし、恋を仕掛けられる。遊女四五人。」

芭蕉「宿の部屋の腰張の部分なんかによく落書きがしてあって、結構伝言板代わりに利用している人もいるし、いろいろなローカルな情報があって面白い。田舎わたらいの遊女も、そこに愛しい人の名を見つけたりするのかな。」

  遊女四五人田舎わたらひ
こしはりに恋しき君が名もありて 芭蕉

芭蕉「腰張の伝言板は旅をしてる人はすぐわかるけど、知らない人は分らないかな。落書きの方がわかりやすいか。」
北枝「お寺にも落書きがあったりする。巡礼の記念みたいに名前を書いていったりして。愛しい人の名があると、別れた後順礼の旅に出たんだなと思って、女も出家はしなくても、肉食を断ったりする。」

  落書きに恋しき君が名もありて
髪はそらねど魚くはぬなり 北枝

曾良「魚は殺生だから可哀想だと言いますが、植物だって生きてるのに植物は何で良いのか、その辺はよくわかりませんね。蚕から絹を取るのは殺生だからと言って、当麻寺の中将姫は仏様の蓮台の蓮の茎を刈り取って、そこから糸を取って曼荼羅を折ったと言いますが。」

  髪はそらねど魚くはぬなり
蓮のいととるもなかなか罪ふかき 曾良

芭蕉「本説の句の後は中将姫から離れなくてはならないのが難しい。蓮の糸は何かその家の代々続く習慣として、贅沢を禁じて来たというのがいいかな。」

  蓮のいととるもなかなか罪ふかき
四五代貧をつたへたる門 芭蕉

芭蕉「おっと、四五代はさっきの遊女四五人と被ってた。先祖の貧にしよう。」

北枝「この辺で月を出した方が良いのかな。その門は祭りを執り行う上代で、頑固な人だったから代々の貧を改めることもない。」

  先祖の貧をつたへたる門
宵月に祭りの上代かたくなし 北枝

芭蕉「みんなが浮かれてる宵月に、頑として加わらないというと、普通に付き合いの悪い感じだね。有明に早起きして厳粛に祭りを執り行う、そういう人柄の方が良いかもしれない。有明にしよう。」
曾良「有明の祭の儀式といえばこれですな。」

  有明に祭の上代かたくなし
露まづはらふ猟の弓竹 曾良

芭蕉「狩といえば殺生だからね。露は涙に通じるし、露を散らすのは秋風。殺生の悲しさに狩に付き従った子供も無言で涙する。」

  露まづはらふ猟の弓竹
秋風はものいはぬ子もなみだにて 芭蕉

北枝「これは秀逸だな。」
芭蕉「いやいや君たちの句もこれに劣るものではない。」
北枝「涙だと、哀傷に展開するのが良いかな。」

  秋風はものいはぬ子もなみだにて
しろきたもとのつづく葬礼 北枝

曾良「花の定座ですね。白き袂に桜の花の白のイメージを重ねまして、『あおによし奈良の都は咲く花の』にしましょうか。」

  しろきたもとのつづく葬礼
花の香に奈良の都の町作り 曾良

「奈良の都だと、時代設定が古代になってしまうから、ここは『奈良はふるきの』にしておこうかな。
古今集の奈良伝授は饅頭屋伝授で、堺伝授は形だけ箱を渡す箱伝授になった。いにしえの和歌の道も箱に残ってるだけだし、紹巴の連歌の伝授にも架空の箱伝授があったことにしようか。」

  花の香に奈良はふるきの町作り
春をのこせる玄仍の箱 芭蕉

北枝「玄仍の箱は何か浦島の玉手箱みたいなものとして、水辺に転じようか。難波の浜で三月上巳の潮干狩りで貝を取る。」

  春をのこせる玄仍の箱
長閑さやしらら難波の貝多し 北枝

芭蕉「大阪だったらいろいろ手の込んだ料理をしそうだし、貝尽くしというのはどうだ。」
曾良「そうですね。大阪商人なら貝尽くしを食って、銀の小鍋で鴨と一緒に芹焼きにしたり、豪勢でしょうね。」

  長閑さやしらら難波の貝づくし
銀の小鍋にいだす芹焼 曾良

二十句目まで終わった所で夕食にして、そのあと曾良は疲れたと言って寝てしまったため、北枝とさしで続きをやった。
芭蕉「芹焼か。なら冬だな。囲炉裏端でのんびり芹焼を作って、煮えるのを手枕して待つ。」

  銀の小鍋にいだす芹焼
手枕におもふ事なき身なりけり

芭蕉「これじゃ普通過ぎて面白くないよな。何か良い取り囃しがあると良いが。」

手まくらに軒の玉水詠め侘

芭蕉「まあ、こいふに景色を一つ加える手もある。北枝だったらどうする?」
北枝「手枕の情景で面白くするんでしょ。」

手枕によだれつたふてめざめぬる

芭蕉「ははは、ありそうだな。まああまり綺麗でないし、それにキャラが馬鹿そうな奴に限定されて展開がしにくい。」
北枝「それなら。」

てまくらに竹吹わたる夕間暮

芭蕉「囲炉裏の火加減を竹で吹いて調整するのに手枕は無理がないか?ここはもっと何気ない軽いあるあるで。」

  銀の小鍋にいだす芹焼
手まくらにしとねのほこり打払ひ 芭蕉

北枝「なるほど手枕で居眠りしようと思って、手が痛くならないように座布団の埃を払って、そこに敷く。これなら女でも良いってことか。遊郭で客を待ってる遊女を覆面してやってきた客が品定めする。」

  手まくらにしとねのほこり打払ひ
うつくしかれと覗く覆面 北枝

芭蕉「男女ネタから衆道ネタにするのはお約束かな。寺に出入りする薫物売りは若衆で、編笠を覆面にして、男なのに振袖を着たりするが、ここでは古風に継ぎ小袖で。」

  うつくしかれと覗く覆面
つぎ小袖薫うりの古風也 芭蕉

芭蕉「両吟だからここは二句づつ行こう。古風な薫物売りに古風な別の職業を対比させてみようか。ぎりぎりで禁中に出入りできる非蔵人が重陽の菊を育てて売りに来る。」

  つぎ小袖薫うりの古風也
非蔵人なるひとのきく畠 芭蕉

北枝「これは前句の寺の場面から離れるために、あえて異なる職業を対句的に並べる、いわゆる迎え付けをしたわけだ。」
芭蕉「いかにも。」

北枝「重陽だったらご馳走にシギとかを食うけど、シギといえば西行法師の鴫立沢の秋の夕暮れを思い起こして、なんか寂しげだ。」

  非蔵人なるひとのきく畠
鴫ふたつ台にのせてもさびしさよ 北枝

芭蕉「なかなかいい展開だ。」
北枝「ここで台を題に取り成して、発句の題が鴫二羽で寂しげなので、脇は三日月をあしらう。」

  鴫ふたつ台にのせてもさびしさよ
あはれに作る三日月の脇 北枝

芭蕉「あっなるほど、その手で来たか。
そうだな、『三日月の脇』を三日月の見えるその脇でって感じで野宿にしようか。出家して最初の旅の草枕。」

  あはれに作る三日月の脇
初発心草のまくらに旅寝して 芭蕉

芭蕉「取り囃しもなくて凡庸な句になったが、一巻に一句くらいはこういう句もあるもんだな。
初発心といえば西行法師法師のように、京を出たら鈴鹿の山を越えて、まずは伊勢参りかな。」

  初発心草のまくらに旅寝して
小畑もちかし伊勢の神風 芭蕉

北枝「では伊勢の有り難さを引き立てるべく、疫病の流行も治ってと違え付けで。」

  小畑もちかし伊勢の神風
疱瘡は桑名日永もはやり過 北枝

芭蕉「違え付けの見本のようだな。」
北枝「疱瘡が流行ったけど、薬になる枇杷の葉がちょうど次々と芽吹いて、その葉を煎じて何とか凌いだ。」

  疱瘡は桑名日永もはやり過
雨はれくもる枇杷つはる也 北枝

芭蕉「一雨ごとに、でいいんじゃない。」

芭蕉「つはるは盛りになるという意味だったね。ここでは枇杷を琵琶に取り成して、雨の中、華やかに琵琶を掻き鳴らすということで、仙女の琵琶にしてみようか。琵琶の音に枇杷が育ってゆく。

  一雨ごとに枇杷つはる也
細ながき仙女の姿たをやかに 芭蕉

北枝「なるほど、一巻にもう一つ山場の欲しい所に仙女か。恋ではないし、神祇でも釈教でもない。」
芭蕉「仙女といえば機織りだね。ここは織るのではなく茜染めにしよう。」

  細ながき仙女の姿たをやかに
あかねをしぼる水のしら波 芭蕉

北枝「これは流血に取り成せと言ってるようなものだな。何か本説で、宇治川合戦じゃベタだから、その前の以仁王の挙兵で宇治川で押し返される場面にしようか。仲綱はここを逃れて平等院で死ぬんだっけ。」

  あかねをしぼる水のしら波
仲綱が宇治の網代とうち詠め 北枝

芭蕉「お見事。仙女から合戦への展開。この一巻の飾りとなったな。」
北枝「ここは逃げ句で、前句を仲綱で名高い宇治の網代ですねと使いの者の挨拶にする。」

  仲綱が宇治の網代とうち詠め
寺に使をたてる口上 北枝

芭蕉「花の定座だからな。寺に使いが来たというのは花見の誘いで間違いないな。朝の鐘を撞いたら、今日はもう何もせずに一日遊びましょう。早くしないと花は散っちゃいますよ、ってとこかな。」

  寺に使をたてる口上
鐘ついてあそばん花の散かかる 芭蕉

芭蕉「『散らば散れ』というのもありかな。いやそれじゃ禅問答だ。普通に花の散る前に花見ができたのを喜んで、北枝とこの一巻を満尾できたことにも感謝を込めて。」

  鐘ついてあそばん花の散かかる
酔狂人と弥生くれ行 芭蕉

八月五日

今日は旧暦8月4日で、元禄2年は8月5日。山中温泉。

夜中の雨は止んだが、朝から曇ってる。
昼頃ここを出て小松に向かうが、途中那谷までは曾良も一緒だ。そこから曾良は全昌寺に向かう。
あと、桃妖ともお別れだ。

湯の名残今宵は肌の寒からむ 芭蕉

温泉に入れないって意味だからね。

出発の時が来た。曾良もこの山中温泉に名残を惜しんで、

秋の哀入かはる湯や世の景色 曾良

とまるでこの世の名残の景色を惜しんでるかのようだ。
さすがにさっきの句を並べるのは恥ずかしので、作り直した。

湯の名残り幾度見るや霧のもと 芭蕉

霧のかかってるのを見ると、温泉の湯気の向こうに桃妖がいるようなイメージを、あくまで言葉の裏に隠しておいた。

那谷に着いた。ここで曾良ともお別れだ。
学者で顔も広く、その土地の有力者にも取り次いでくれたして、本当に有能な男だ。博識で古代の道にも詳しいし、朱子学も分かりやすく解説してくれた。おかげで蕉門の理論付けができそうだ。

でも、象潟でもっと北へ行きたいと言った時に止めたのは、きっと二十年に一度の伊勢神宮の式年遷宮に行きたかったからだな。
だからどのみち生きていれば伊勢で会うことになるんだろうな。あんなに遷宮祭を楽しみにしてたからな。まあ、とにかく死ぬなよ。

今日よりや書付消さん笠の露 芭蕉

曾良「まあ、途中で病で動けなくなったとしても、その時は師匠が後からどのみち通ると思うと心強いです。倒れても、そこが花野なら誰かが来てくれる。」

跡あらん倒れ臥すとも花野原 曾良

曾良と別れてから北枝と一緒に那谷寺を見て回った。奇岩が多く、それも透き通るように白かった。
折から秋風が吹いて、秋もまた五行説では白だが、目にはさやかに見えない秋風は完全に透き通っていた。

石山の石より白し秋の風 芭蕉

小松に着いた。かねてから呼ばれていた生駒万子のところに行った。加賀藩の武士で立派な屋敷に住んでた。

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