2023年4月22日土曜日

 この世から戦争をなくす方法というのは原理的にはものすごく簡単だが、やるとなると途方もなく難しい。
 その簡単な答えというのは「人口に見合った生産力を持つ」というだけのことだ。
 近代以前の社会では人口を抑制する方法がなかった。戦後の先進諸国のみが高度成長と少子化が同時に起きて、戦後七十余年の平和な時代が訪れた。
 それを世界中に広めれば戦争はなくなる。簡単なようで難しい。
 そこに辿り着くことに絶望した新興国、つまりロシアがその望みを根底から破壊しようとしている。
 そして未だに人口も生産力も無視して、ただ富を平等に配分するだけで平和になると信じている糞どもが世界中にいる。

 「人口に見合った生産力を持つ」ということを転スラのジュラ・テンペスト連邦国を例に取るなら、この国の経済は基本的にジュラの大森林の開拓に依存するものだったため、人口増加で周辺の国々との接触を余儀なくされるや否や、戦争が避けらないものとなり、大虐殺を行った。
 「異世界のんびり農家」の場合も、経済的基盤は死の森の開拓に依存している。あのまま人口が増え続けて、死の森を開拓し尽くしてしまったらどうなるか、心配だ。

 マルクスは人口の問題に何の関心もなく、しかも資本論で拡大再生産を搾取だと断罪した。
それゆえマルクス主義は飢餓と粛清を生む危険思想となった。
にもかかわらず、ただ富を平等に配分するだけで平和になると信じている糞どもが世界中にいる。
 人口増えても生産力がなければ飢える。当たり前体操。

2023年4月21日金曜日

 ChatGPTは実際のところ平気で噓をつくし、嘘を指摘してもいろいろ言い訳して一向に改めようとしない。まあ、ある意味それも人間臭いけどね。
 多分AIは「無知の知」を認識できないのだろう。持っているデータが絶対的な真実であり、未知のものが存在するということを認識できてない。
 ネットで検索し得たデータをまず最初に回答して、そこで終わりにすれば良いものを、そのあと必ず余計なことを付け加えて、それがほとんど出鱈目だったりする。つまりここまでは知ってる、これ以上は知らない、という判断ができてない。
 知らないものを回答しようとするから、出来合いのデータをランダムに組み合わせて、一つの答えを捏造する。まあ、人間でも知らないのを認めたくない時に、こういう嘘をつく。それが仮説として成立する範囲ならいいが、残念ながら完全に出鱈目になる。知らないことに関して、ひょっとしたらこうかもしれないという仮説を立てることすらできない。
 無知の知を認識させるというのは、多分AI開発の上ではかなり困難な課題で、ネックになっているのだろう。
 AIが知らないということを認識し、知らないことに対して仮説を立てるまで行けたら、一気に信頼度が上がる。今のChatGPTは仕事でも学校でもはっきり行って「使えねぇー」。特に職場では情報流出の問題も指摘されているし、原則禁止で良いんじゃないかと思う。
 学校のテストやレポートや卒論で使ったとしても、稀に正解することもあるかもしれないが、ほとんどの場合落第するんじゃないかと思う。
 無知の知を知るというのは、論理の不完全性を認識することであり、AIのプログラム自体に、自らのプログラムが完全でないことをプログラムしなければならない。これがどういうことなのか、AIの開発者じゃないからわからないが、可能であるなら挑戦してほしい。
 逆に言えば無知の知を知るというのは人間ならではの高度な能力だということだ。

 人間が嘘をつくのは無知の知を知らないからではなく、無知を認めたくないからだ。
 ここで一つ問題なのは、真理は人間が主体的に作ることができるという左翼の間にある一つの哲学だ。
 真理はイデオロギーであり、特定の階級が自らを正当化するために真理を作るという所から来ているが、真理が自由に任意に作ることができるなら、それが真理なのかどうかという問いは存在しないことになる。真理だと言えば真理になる。俺が真理だ、階級が真理だというだけで、それが間違ってるかもしれないという可能性を思考できなくなる。
 今の左翼が陥ってるのは、結局自らの革命のための方便でついてきた嘘ですら、真理は主体的に作るものだという哲学によって無条件に真実になってしまい、過去についた嘘の過ちを認めることができないばかりか、結果的に嘘に嘘を積み重ねていくことになる。まるでChatGPTだ。
 そもそも共産主義者というのは革命を起こして革命憲法を作るという人たちなんで、それが護憲を言うのは、戦後長いこと日本の大衆に護憲ムードがあって、人気取りのためにすぎなかったはずだ。この時点で既に左翼は嘘をついていた。
 護憲を正当化するために、軍国主義の復活を防ぐということと米帝の世界征服の手先になると言い続け、政府自民党が常にこれを企んでると宣伝し続けてきた。ここで最初の嘘にもう一つの嘘を重ねた。
 この嘘がバレるのが恐くて、更にもう一つの嘘を重ねた。それが統一教会陰謀論だ。ついこの間まで安部元首相が戦争を起こそうとしてると言ってたのに、実は安倍元首相は統一教会に操られてたなんて言い出した。ここまで嘘を重ねるとシュールだ。
 日本共産党は民族自決の立場に立つ以上は、日本という国を守ることに責任を持たなくてはならない。だが本来革命憲法を作るはずが、大衆迎合で護憲に回ってしまったため、矛盾が生じている。
 もとより日本共産党が独自の軍隊を持っているわけではない。侵略を受けたら国を守るのは自衛隊しかないのは分っているはずだ。だから、非常時には自衛隊も利用するというのは当然だ。ただ、違憲だが利用するというこの矛盾は避けられない。
 多分、共産党内でもこの辺りはかなりもめていて、それがあの除名騒動になったのではないかと思う。
 他の永久革命系の左翼は基本的に国を守らずに逃げることを奨励する。日本での革命運動から亡命国や他国支配下での革命運動に移行するだけで、革命運動は継続できると考えている。
 台湾有事に関しては米国の世界征服というのが根底にあるため、台湾有事への介入は事実上の中国侵略ということにされている。
 台湾有事は自由主義のやむを得ない防衛ではなく、あくまで任意に始める侵略戦争であるという前提があるから、そこからアメリカは直接手を下さずに、日本に代りに戦ってもらおうとしているという妄想が生じている。
 彼らは自分たちの長年の活動の中で作り上げてきた思想が無条件に真理になっていて、それを疑うことができなくなっている。ただ、人間だからいつかはそれに気づく。ただそれは今のところ除名や粛清という形での離脱しかならない。

2023年4月20日木曜日

 今年はたくさん花見ができた。
 一月十二日の大井町の水仙に始まり、寄の蝋梅、吾妻山の菜の花、一月二十八日には土肥桜を見に行った。途中の山には前日の雪が残っていた。

 蝋梅の雫に溶ける霙かな
 雪残る道をはるばるとひ桜

 そのあと二月四日に熱海桜を見に行った。桜まつりの猿回しが復活していた。

 久しぶりに熱海桜の猿回し

 二月六日には曽我梅林、十七日には小田原フラワーガーデンの梅、二十日は西平畑公園の河津桜、三月には南足柄市の春めき桜を三回見に行った。
 他にも水無川沿いのおかめ桜、白泉寺の枝垂れ桜、寄の枝垂れ桜、弘法山の桜、そして千村の八重桜に泉蔵寺のチューリップ。

 飛び込むやかはづ桜の紅の海
 おかめ桜空は二ノ塔三の塔
 枝垂れ桜無数のアーチ降りそそぐ
 夜桜に適度な闇を俺にくれ
 いにしへの言葉も添うや八重桜
 遊ぶ子の声たのもしやチューリップ

 四月四日は山梨の桃も見に行った。

 人の血よさわげよ笑え桃の花

 名所ではないけど、国道246の道路脇の菫、

 国道の脇も何やら菫咲く

 谷津湧水の山吹、

 山吹や秦野も名水の里なれば

 よねやま公園の藤、

 藤咲いて心の鬼も消えればな

 吾妻山のツツジ、小田原城の御感の藤も見て、今年も花見のシーズンもこれで大体終わり。

 八重桜葉に埋もれて静まりぬ

2023年4月19日水曜日

 今日は南足柄市の祥龍山金剛寺の牡丹を見に行った。今年は咲くのが早くて、ピークを逃してしまったようだ。花は何とか切らずに残しといてくれたようで、来年はもう少し早く見に来よう。八重桜の頃に来るくらいでちょうどいいのか。

 岸田首相襲撃事件の直後だが、千葉で「被選挙権年齢引き下げ訴える若者たち」というニュースがあった。こういうきちんと合法的な活動する人達がいるというのに、テロでもってそれを訴えるあの犯人は、こういう人たちの善意をも踏みにじるものだ。
 あの犯人が政治的な主張をあれこれ持ち出すことで、一番迷惑しているのは同じ主張を持つ真面目な人たちだ。
 まあ、山上の時みたいに、マスコミまでがテロリストに便乗して何てことは、さすがに今回はないとは思うが、テロリストを利用するというのは自らの主張がテロであることを認めることだ。
 山上の場合はマスコミや左翼は二つ大きな間違いを犯した。一つは昔の統一教会と今の平和家庭連合とを一緒くたにしたこと。もう一つは統一教会の影響力を極度に誇張して、あたかも統一教会が日本の政治をあやつってたみたいな陰謀論にしてしまったこと。まあ、あいつらの辞書に反省の文字はないと思うが。
 旧統一教会、つまり勝共連合時代の統一教会は、反共という点で自民党が戦略的同盟関係を結ぶ理由はあったし、反共という点では似通った主張をしていても何ら不思議はないが、それをたかだかちんけな宗教団体が国家を裏で操るだとか、常識ある人はみんなあきれている。

 この頃のマスコミはちょっと前にはやってネット上の炎上商法の真似をしてるんじゃないかと思う。ネットが静かになったのに、マス護美だけが空騒ぎをしている。
 大阪IRの動画も内閣府の性暴力被害予防のポスターもTwitterや2ちゃんねるを見る限り、ほとんど問題になっていない。以前はよくトレパク疑惑でネットで炎上して、それがマスコミに取り上げられるということがあったが、今回はマスコミだけが騒いでネットは静かなものだ。だいたい作風が似ているというだけでの回収は明らかな行き過ぎだ。

2023年4月18日火曜日

 今日は小田原城の御感の藤を見に行った。富士はすっかり見頃になっていて、鳥よけのネットも外されていた。
 藤棚は他にも御茶壺曲輪と報徳二宮神社の裏にもあった。
 御茶壺曲輪の藤には鳩が二三羽集まって、富士の花をついばんでいたので、そのために鳥よけネットをしてたというのが分った。梅や桜はメジロやムクドリが寄ってくるが、藤は鳩が来る。
 近くの柳屋ベーカリーでアンパンを買い、その向かい側には南十字という本屋があった。その隣の箱根口ガレージ報徳広場に昔の小田原市電の車両が置いてあった。空色と黄色のウクライナカラーで、ウクライナを応援するメッセージが書かれていた。早く勝利して戦争を終わらせてほしいし、そのための協力を世界の国は惜しまないでほしい。鈴呂屋は平和に賛成します。

 それでは猿蓑の俳諧。ツイッター版の「梅若菜」の巻。

元禄4年1月、乙州江戸下向の時の餞別興行。

芭蕉「では乙州君の旅の無事を祈って。梅が咲いて若菜摘みをするこの時期に、丸子宿のとろろ汁が食えるとは羨ましいぞ。」

梅若菜まりこの宿のとろろ汁 芭蕉


元禄4年春、乙州餞別興行脇。
乙州「丸子宿のとろろ汁、食えると良いな。笠もこの日のために新調したし、行ってくるね。」

  梅若菜まりこの宿のとろろ汁
かさあたらしき春の曙 乙州


元禄4年春、乙州餞別興行第三。
珍碵「新しい笠。それは田植えの晴れ着の笠にできる。ここに雲雀を鳴かせて、土を運ぶ百姓を、と直に描かずに、頃なれやと匂わす。うん、完璧。

  かさあたらしき春の曙
雲雀なく小田に土持頃なれや 珍碵


元禄4年春、乙州餞別興行四句目。
素男「春だから何かお祝いっすね。しとぎを神様にお供えして、そのお下がりをみんなで食うってどうっすか。」

  雲雀なく小田に土持頃なれや
しとぎ祝ふて下されにけり 素男


元禄4年春、乙州餞別興行五句目。
乙州「せっかくのしとぎも歯が痛くて食えない。そんな奴一人くらいいてもおかしくないよね。」

  しとぎ祝ふて下されにけり
片隅に虫歯かかへて暮の月 乙州


元禄4年春、乙州餞別興行六句目。
芭蕉「せっかくのご馳走なのに、一人は虫歯で食べられず、その上二階の客帰ってしまう。悲しい夕暮れの月。」

  片隅に虫歯かかへて暮の月
二階の客はたたれたるあき 芭蕉

初裏

元禄4年春、乙州餞別興行七句目。
素男「いわゆる『鶉発ち』っすね。いつもさっさと帰っちゃう奴。鶉を放したみたいにすぐドロンする奴、いるよな。」

  二階の客はたたれたる秋
放やるうづらの跡は見えもせず 素男


元禄4年春、乙州餞別興行八句目。
珍碵「うむ。比喩にしたのを実景に取り成せってゆうんだな。良かろう。稲を秋風が、と秋は打越にあるから『力なき風』にして式目をかわす。」
  
  放やるうづらの跡は見えもせず
稲の葉延の力なきかぜ 珍碵


元禄4年春、乙州餞別興行九句目。
芭蕉「力なき風は何か不安な胸のうち騒ぐ感じがするな。なら発心して初めての旅の不安、西行法師の『鈴鹿山うき世をよそにふり捨てて』だな。」

  稲の葉延の力なきかぜ
ほつしんの初にこゆる鈴鹿山 芭蕉


元禄4年春、乙州餞別興行十句目。
乙州「発心したばかりだと、みんな法名を知らないから、知り合いに会ったら『内蔵頭(くらのかみ)じゃないか、出家したんか』って呼び止められる。」

  ほつしんの初にこゆる鈴鹿山
内蔵頭かと呼声はたれ 乙州


元禄4年春、乙州餞別興行十一句目。
珍碵「内蔵頭は武将にもよくある名だ。ううむ、これは合戦で敵に見知らぬ武将がいて、あれは誰だだな。関ヶ原合戦の東軍に着くかと見えて西軍に着いた小西行長の軍で箕の手形の陣形。これしかない。」

  内蔵頭かと呼声はたれ
卯の刻の箕手に並ぶ小西方 珍碵


元禄4年春、乙州餞別興行十二句目。
素男「うわっ、ここまで克明に設定されちまうと、展開できないっすよ。ありきたりな松の景色を付けて、ここは軽く流させてもらうっす。」

 卯の刻の箕手に並ぶ小西方
すみきる松のしづかなりけり 素男


元禄4年春、乙州餞別興行十三句目。
乙州「結局昨日は十二句目で終わってしまって、芭蕉さんも珍碵も今日はいない。京から去来と加生が来た。それにどうして姉貴が来てんの?まあいい。撰集抄の信濃佐野渡禅僧入滅之事の本説。」

  すみきる松のしづかなりけり
萩の礼すすきの礼によみなして 乙州


元禄4年春、乙州餞別興行十四句目。
智月「そう嫌な顔しないのよ。それにお義母さんと呼びなさい。松の木の下で成仏した老僧にお世話になったって礼をする、いい句ね。では萩の原っぱだからモズの一声の雀が逃げてくとしましょう。」

  萩の礼すすきの礼によみなして
雀かたよる百舌鳥の一声 智月


元禄4年春、乙州餞別興行十五句目。
凡兆「モズの一声はモズが射られたってことでいいよな。逃げる雀に『ああ、俺っていつまでこう殺生の仕事をするんだ』何て思うと、心まで寒くて、真如の月の下、懐で手を温める。」

  雀かたよる百舌鳥の一声
懐に手をあたたむる秋の月 凡兆


元禄4年春、乙州餞別興行十六句目。
乙州「あっ去来さんは花を持ってもらうので、先行きます。前句の懐に手を入れた人、狩人から漁師に転じておきましょう。海の景色で思い切って花に行ってね。」

  懐に手をあたたむる秋の月
汐さだまらぬ外の海づら 乙州


元禄4年春、乙州餞別興行十七句目。
去来「外海か。文禄の役かなあ。朝鮮って桜あったっけ。いやこれはまだ名護屋城で待機してるということでいいよね。」

  汐さだまらぬ外の海づら
鑓の柄に立すがりたる花のくれ 去来


元禄4年春、乙州餞別興行十八句目。
凡兆「よっしゃ。これは和漢朗詠集の桃李不言春幾暮、煙霞無跡昔誰栖だな。ただ昔の棲家の跡形もなしじゃ何だから、からし菜だな。ピリッと美味しいからし菜、食っちゃった跡にしよう。」

  鑓の柄に立すがりたる花のくれ
灰まきちらすからしなの跡 凡兆

二表

元禄4年春、乙州餞別興行十九句目。
正秀「ちょっくら乱入させてもらうぜ。ここは畑の灰が飛んできて迷惑しているお坊さんだ。写経しようとしたら灰が飛んできて紙の上がざらざらだ。ちょうど良い。休んで花見をするのも悪くない。」

  灰まきちらすからしなの跡
春の日に仕舞てかへる経机 正秀


元禄4年春、乙州餞別興行二十句目。
去来「何だったんだ、突然。ええと、これは和尚さんではなく小坊主にできそうだなあ。いつものお供の代わりで、修行の方も適当で、精進料理じゃ物足りなくてどこかへ食いに行くってとこかなあ。

  春の日に仕舞てかへる経机
店屋物くふ供の手が張り 去来


元禄4年春、乙州餞別興行二十一句目。
芭蕉「何だ京の連中は途中で放り出して、手替わり感覚で困ったな。続きは伊賀の連中に任せよう。」
半残「承知。手替わりを人と違うという意味に取り成して進ぜよう、」

  店屋物くふ供の手がはり
汗ぬぐひ端のしるしの紺の糸 半残


元禄4年春、乙州餞別興行二十二句目。
土芳「そういえば恋が出てないな。汗拭いは冷や汗たらたらでやってきた夜這い男にしよう。鶏が鳴いたからバレる前に慌てて帰ってゆく。まあ鶏のような奴だ。いろんな意味で。」

  汗ぬぐひ端のしるしの紺の糸
わかれせはしき鶏の下 土芳


元禄4年春、乙州餞別興行二十三句目。
半残「後朝でござるな。伊勢物語の陸奥の田舎女『きつにはめなでくだかけの(狐に食わすぞ糞にわとり)』にして進ぜよう。」

  わかれせはしき鶏の下
大胆におもひくづれぬ恋をして 半残


元禄4年春、乙州餞別興行二十四句目。
土芳「執着の強い恋か。濡れ落ち葉のようなもんだな。濡れた紙にしておこうか。ひっついて離れない。」

  大胆におもひくづれぬ恋をして
身はぬれ紙の取所なき 土芳


元禄4年春、乙州餞別興行二十五句目。
半残「貼り付けた紙が剥がれないんでござるな。なら小刀で削って進ぜよう。と言っても無骨な蛤刃の小刀ではうまく削れんな。」

  身はぬれ紙の取所なき
小刀の蛤刃なる細工ばこ 半残


元禄4年春、乙州餞別興行二十六句目。
園風「では拙者も一句。細工箱は小刀入れということにして、それを持ってきて正月の恵方棚を拵えるというのは如何か。」

  小刀の蛤刃なる細工ばこ
棚に火ともす大年の夜  園風


元禄4年春、乙州餞別興行二十七句目。
猿雖「では、源氏物語の須磨での年越しとして恋に行きましょうか。良清の朝臣が明石の入道の娘を思い出して手紙とか書いてましたが、け帰ってくるのは入道の手紙。」

  棚に火ともす大年の夜
ここもとはおもふ便も須磨の浦 猿雖


元禄4年春、乙州餞別興行二十八句目。
半残「須磨の浦でござるか。こういう漁村では昔ながらに肩衣を胸のところでビシッと合わせているでござる。」

  ここもとはおもふ便も須磨の浦
むね打合せ着たるかたぎぬ 半残


元禄4年春、乙州餞別興行二十九句目。
園風「古くて貧乏臭いものといえば、胸を塞いだ肩衣に壊れた扇子。今はみんな団扇を使うが、古い扇子の柄のところが壊れて縛ってあったりする。

  むね打合せ着たるかたぎぬ
此夏もかなめをくくる破扇 園風


元禄4年春、乙州餞別興行三十句目。
猿雖「うん。だったら魚醤やな。瀬戸内海の夏の油の乗ったイカナゴで作る魚醤を仕込む。あっそう言えば二の表の月をこぼすわけにはいかないんな。ぎりぎりだが月を出さないと。」

  此夏もかなめをくくる破扇
醤油ねさせてしばし月見る 猿雖

二裏

元禄4年春、乙州餞別興行三十一句目。
土芳「何か明石の貧乏ネタから抜け出せんな。人物を出して何とか展開してもらわないと。」

  醤油ねさせてしばし月見る
咳声の隣はちかき縁づたひ 土芳


元禄4年春、乙州餞別興行三十二句目。
園風「老人ですな。でしたら老夫婦で、長年連れ添ってきて、でも相変わらずクソ真面目な人やなあ、って如何かと。」

  咳声の隣はちかき縁づたひ
添へばそふほどこくめんな顔 園風


元禄4年春、乙州餞別興行三十三句目。
芭蕉「やめやめ。どうにも田舎臭くて、残りは京に行って何とかする。江戸から嵐蘭も来るというし。」
嵐蘭「よっしゃ。黒面な職人といえば会津漆器。」

  添へばそふほどこくめんな顔
形なき絵を習ひたる会津盆 嵐蘭


元禄4年春、乙州餞別興行三十四句目。
史邦「会津は寒い所と聞いてます。でしたら竹で作ったスケート靴で猪苗代湖をすーいすーいと、というのを言外にして、薄雪の割下駄としておきましょう。

  形なき絵を習ひたる会津盆
うす雪かかる竹の割下駄 史邦


元禄4年春、乙州餞別興行三十五句目。
野水「ども、野水です。では花の定座、光栄至極です。割下駄は八ツ割下駄てことにして、結局今年も旅に出ずに、自宅で花の季節を迎えたとしましょう。」

  うす雪かかる竹の割下駄
花に又ことしのつれも定らず 野水


元禄4年春、乙州餞別興行挙句。
羽紅「おとめちゃんでーす。さほちゃんはいつまでも姫のまんまで彼氏いないのかしら。奈良のさほ山をにしきにそめて、ことしも春風ふかせて、めだたく一巻おわりまーす。」

  花に又ことしのつれも定らず
雛の袂を染る春風 羽紅

2023年4月17日月曜日


 今日は二宮の吾妻山にツツジを見に行った。
 全体としては大きな木の下など日陰になっている木が多くて、まだ咲いてない木や咲き初めの木も多かったが、海の見える斜面の辺りの木は日当たりも良く、見頃になっていた。
 菜の花の頃と比べると人も少なかった。

2023年4月16日日曜日

 
 今日は渋沢の丹沢祭を見に行った。ブラスバンドのパレード、山伏の法螺貝、御輿などがあった。メイン会場にはステージがあり、沢山の屋台が並んでいた。

 夾竹桃さんの戦国小町苦労譚を読み始めたが、最初の方に信長のような目上の人を諱で呼んではいけないというのがあった。
 本名で呼ぶことを嫌う習慣は結構世界中普遍的にあって、英語圏でも略称を用いるのが普通で、本名を言うと慇懃無礼な感じになる。
 現代日本でも親しい間柄を示すのにあだ名を用いる。あだ名がないというのはある意味ボッチの証で、ぼっち・ざ・ろっくでは「ボッチちゃん」というあだ名がついたことでボッチでなくなるという逆説が用いられている。
 そうなると逆に謎なのは、初期の貞門俳諧ではなぜ俳号ではなく名乗りが用いられたのかということだ。
 芭蕉も「貞徳の涎をねぶる」なんていう時には貞徳だが、敬意をはらう時は長頭丸を用いる。
 芭蕉の時代の俳諧師は、俳号で呼ぶことも諱と同様慇懃無礼な印象を与えたのかもしれない。
 其角を晋子と呼び、支考を盤子と呼ぶのもそれだし、桃青を芭蕉と呼ぶもの凡兆を加生と呼ぶのもそれなのかもしれない。
 ただ、膳所の正秀だけは、代々受け継がれた名乗りに愛着があるのか、正秀を用いている。
 アメリカの人権団体があだ名を禁止しようというのは、親しい間柄を作るということが親しい人と親しくない人との差別を生むという論理によるもので、親友を作ることを禁ずるのと同じ理屈。はっきり言って糞だ。それこそ集団結婚の発想だ。
 日本は古代から名前ではなく官職名で呼ぶ習慣があり、源氏物語でも登場人物のほとんどは官職名で呼ばれている。本名で呼ばれるのは惟光、良清の二人でいずれも源氏の随身。
 江戸時代は実際の職名とは異なる実体のない官職名で呼び合うようになったが、現代の日本の職場では相変わらず部長だの課長だの職名で呼ぶのが常態になっている。