2023年1月23日月曜日

 昨日は旧正月。昨日から俳諧は春になる。
 大寒波が来ると言ってるけど、今年は梅の咲くのが早いから、案外その先は暖かいのかな。去年は梅が咲くのが遅かった。
 まあ、コロナもどうやら五類引き下げになり、大コロナ時代も終わりということで、あとはロシアが早く負けて楽になってくれればいいね。
 Twitterで早々と今年一年の漢字なんてやってたけど、「決」がいいね。コロナにもロシアにも早く決着をつけて、マルクスの亡霊や原理主義の迷妄にも決着をつけて、世界平和を取り戻したいものだ。
 鈴呂屋は平和に賛成します。

 それでは『六百番俳諧発句合』の続き。

百三十八番
   左   桜海苔 加藤 治尚
 遠干潟あまの枝折や桜海苔
   右勝  花   松尾 桃青
 先しるや義竹が竹にはなの雪
 左のあまの枝折心ゆかず候歟。干潟にみだれ桜のり枝折とみるまに汐みちなば舟さす棹のさしていづくとかあるべきや。右義竹か竹に花の雪とは一よ切にも花ちりたると吹曲の篠や覧。よだれまじりのはなの雫さもこそあらめ。海士のしほりよりはまさるべく候。

 桜海苔は紅藻類で、コトバンクのデジタル大辞泉にはオキツノリとあり、精選版 日本国語大辞典には米海苔(ムカデノリ)とあって、一定していない。おそらく紅藻類で食用とされるものを指していたのであろう。トサカノリやムカデノリは今日でも食用とされている。
 治尚の句は干潟に桜海苔が落ちていたら、それは海女がこっちへ来てと残していった枝折だ、というもの。まあ、海藻はしばしば女性の陰毛の譬えとして用いられるもので、そうなると干潟も比喩ということになる。
 まあ判にあるように、そこに船の「棹」を刺してと完全にシモネタだ。
 桃青の句の義竹は宜竹(ぎちく)という尺八や一節切を作った名工で、一節切は遊郭で小唄などの伴奏でも用いられていた。それに「花の雪」なら普通に風流だが、上五の「先しるや」が「汁」で「はな(鼻)」と縁語になっていて、花水まみれの一節切という落ちになる。この落ちはなくてもよかったか。
 判も「よだれまじりのはなの雫さもこそあらめ。海士のしほりよりはまさるべく候。」となる。シモネタ対決を何とか制した桃青さん。

百六十六番
   左持  新茶  延沢破扇子
 古茶壷や昔忘れぬ入日記
   右   時鳥  松尾 桃青
 またぬのに菜売に来たか時鳥
 左右茶つぼたとひ入日記とありとも右茶のななるべければ新茶といふ題に落題なるべし。
 右菜うりにきたりといへる郭公の折にもあらずすべて心得がたし。左右みな難あれば可為持。

 入日記はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「入日記」の解説」に、

 「① 荷送りする商品に添えて入れる内容明細書。商品の在中目録。入帳(にゅうちょう)。
  ※親元日記‐寛正六年(1465)五月五日「仍長唐櫃一請取之随入日記如此一通同整之」
  ② 金銭の収支、物品の出入りなどを日ごとに記しておく帳簿。いりにっき。
  ※俳諧・玉海集(1656)四「年の内の梅の暦やいれ日記〈頼永〉」

とある。
 古い茶壷に仕入れ値を忘れないように明細書を入れて残しているという句だが、題が「新茶」というのは確かにおかしい。
 桃青の句は、ホトトギスは待っていてもなかなか来ないのに、菜売は待ってないのに明け方になるとやってくるというものだが、ホトトギスは夏のもので菜売は冬のものだから季節が合わない。
 よって「左右みな難あれば可為持」。
 なお、百五十番から夏の句になり、判者も季吟に替わる。

百九十四番
   左勝  時鳥     露沾
 一夢や千万人のほととぎす
   右   端午  松尾 桃青
 あすは粽難波の枯葉夢なれや
 左は杜牧之が阿房宮賦の詞より一こゑや千万人の心とふくめて一唱万嘆の所あり。
 右は西上人のかにはの春を俤にしてあすのかれはを想像たるもえ思ひよるまじき句体ながら猶左のたけたかきには及まじくや。

 露沾は磐城平藩の殿様内藤風虎の次男で、芭蕉とはこの後も長い付き合いになり、『笈の小文』では旅のスポンサーの紹介として、

 「時は冬よしのをこめん旅のつと
 此の句は露沾(ろせん)公より下し給はらせ侍りけるを、はなむけの初(はじめ)として、旧友、親疎、門人等、あるは詩歌文章をもて訪(とぶら)ひ、或は草鞋の料を包みて志を見す。かの三月の糧(かて)を集るに力を入れず、紙布(かみこ)・綿小(わたこ)などいふもの、帽子(まうす)・したうづやうのもの、心々に送りつどひて、霜雪の寒苦をいとふに心なし。あるは小船をうかべ、別墅にまうけし草庵に酒肴携へ来りて、行衛(ゆくへ)を祝し、名残をおしみなどするこそ、故ある人の首途(かどで)するにも似たりと、いと物めかしく覚えられけれ。」

と一文を記している。
 まあ主催者の息子ということで勝負は見えている感じもする。
 露沾の句は、杜牧の『阿房宮賦』の、

 「鼎鐺玉石,金塊珠礫,棄擲邐迤,秦人視之,亦不甚惜。嗟乎!一人之心,千萬人之心也。」

を踏まえたもので、秦の始皇帝が建てたという阿房宮は三百里(中国の里は一里約四百メートルなので約百二十キロ)に渡る巨大な宮殿で、そこに諸国から巻き上げてきた膨大な数の宝は、見向きもされないままガラクタのように積み上げられていた。
 秦の始皇帝のこの贅沢を千万人が真似するということだが、ここではホトトギスの一声は千万人が感銘するという意味に用いる。
 一方、桃青の句は、

 津の国の難波の春は夢なれや
     葦の枯葉に風わたるなり
             西行法師

の歌を踏まえたもので、粽は笹を使うものが多いが芦の葉で包んだ葦粽というのものあった。
 難波の春の芦の若葉も刈り取って干されて、やがては粽を包むのに用いられる。
 西行法師の歌を本歌に取りながら、芦の葉の哀れさを更にそれが粽になる哀れさへ一段摺り上げて作る芭蕉の得意のパターンではあるが、相手が悪かった。「猶左のたけたかきには及まじくや」と、確かに露沾の句はストレートで力強くはある。

二百二十二番
   左   祇園会 望月 千春
 山山をかきて出たり祇園会
   右勝  五月雨 松尾 桃青
 五月雨や龍灯あぐる番太郎
 左の山々の文字発句度々に出て不珍やあらん。
 右五月雨の海をなしたる風情俳諧体によくいへり。可為勝。

 祇園御霊会は京の祇園社(八坂神社)の祭りで、山鉾巡業で知られている。
 次から次へとやってくる山鉾を「山々をかきて出たり」とするが、このネタは京の季吟にとっては特に新しいものではなく、町の人が皆冗談に言うありきたりなものだったのだろう。
 桃青の句の番太郎はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「番太」の解説」に、

 「① 江戸時代、町村で治安を守り、警察機構の末端を担当した非人身分の番人。平常は、番人小屋(番屋)に詰め、町村内の犯罪の予防、摘発やその他の警察事務を担当し、番人給が支給されていた。番非人。番太郎。番子。
  ※俳諧・当世男(1676)秋「藁一束うつや番太が唐衣〈見石〉」
  ② 特に、江戸市中に設けられた木戸の隣の番小屋に住み、木戸の番をしたもの。町の雇人で、昼は草鞋(わらじ)、膏薬、駄菓子などを売り内職をしていた、平民身分のもの。番太郎。番子。
 ※雑俳・柳多留‐二二(1788)「番太がところで一トどら御用うち」

とある。非人身分のものが警察官のような仕事につくのは江戸時代では普通のことだった。交番のお巡りさんの前身のようなものかもしれない。龍灯を灯して回るのも番太郎の仕事だったのだろう。
 龍灯はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「龍灯」の解説」に、

 「① 深夜、海上に点々と見られる怪火。龍神が神仏にささげる灯火といい伝え、各地の神社に伝説があるが、特に九州の有明海や八代海で、盆の前後や大晦日(おおみそか)に見られるものが有名。蜃気楼現象で、漁火の光の異常屈折現象といわれる。不知火(しらぬい)。《季・秋》
  ※三国伝記(1407‐46頃か)六「龍燈は浪をき来て海上に浮んで熖々たり」
  ② 神社に奉納する灯火。神社でともす灯火。神灯。
  ※歌謡・淋敷座之慰(1676)地蔵の道行「齢久しき白髭の、宮居もあれに立給ふ。りうとうの光りまし、御殿を照させ給ひける」

とあり、本来は②の灯籠を灯して回るもので愛宕灯籠のことと思われるが、判辞の「五月雨の海をなしたる風情」は五月雨の中の愛宕灯籠を、さながら海の龍神の灯す龍灯のようだとして勝ちとする。

2023年1月22日日曜日

 それでは『六百番俳諧発句合』の続き。今日は秦野市俳句協会の句会の日だったのでちょっと少なめに。

八十二番
   左   猫妻恋 長坂 守常
 妻恋やねしみをあけて猫の皮
   右勝  同   松尾 桃青
 猫のつまへつゐの崩れよりかよひけり
 左猫は傾城の後身と申はふ違所なし。三線の皮と成てむかしは三筋町今は三やの夕人待ねしみ撥にてもまねくは知音と云物やらん。右のへついの崩れより通らば在原ののらにや。よひよひことにうちもねうねうとこそ啼らめ。いづれもおとらぬ唐猫なれども妻恋の物語につきて右をかちとす。

 守常の句の「ねしみ」は享保の頃の『今様職人尽百人一首』の琴三味線師の歌に、

 かざりよく渡せる弦のおく琴は
     したてて見ればよきねじみなり

の用例がある。
 「ねじみ」は今のところ謎だが、津軽三味線では「音締め」と「音澄み」があって、音締めはギターでいうハーモニクス、音澄みはカッティングのことらしい。「あけて」が「上げて」なら単に音色のことなのかもしれない。
 守常の句は、妻恋に鳴いてた猫が今は吉原の三味線になって客を招いている、という意味であろう。任口の評は音色に掛けて「知音(友)」を招くと洒落ている。
 桃青の句は『伊勢物語』第五段の、

 「むかし男ありけり。東の五条わたりにいと忍びていきけり。みそかなる所なれば、門よりもえ入らで、わらはべの踏みあけたる築地ついひぢのくづれより通ひけり。」

という築地の崩れた所から男が通ってきて、結局バレちゃう話を踏まえている。
 猫も恋の季節になるとどこからともなく通ってくるが、猫はよく竃で暖を取ったりするから、灰だらけになっていて、さては竃の崩れていて入れる隙間から入って来たに違いない、とする。
 それを任口は「在原の野良にや」として、「妻恋の物語につきて右をかちとす」と出典となる物語が良く生かされているとして、桃青の勝ちとする。

百十番
   左持  出替  前川 由平
 出がはりの水しは井筒の女かな
   右   上巳  松尾 桃青
 竜宮もけふの鹽路や土用干し
 左右同じほどか勝負までもなし

 「水し」は「水仕(みづし)」のことか。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「水仕」の解説」に、

 「〘名〙 (「御厨子」を「水仕」と解したところから) 台所で、煮炊き、水汲み、食器洗いなどをすること。水仕事をすること。また、それをする下女。水仕女。
  ※説経節・をくり(御物絵巻)(17C中)一〇「さて百人のながれのひめがありけるが、そのしものみづしはの、十六人してつかまつる」
  ※人情本・花筐(1841)五「先非を悔ひ歎き、たとへ炊業(ミヅシ)の業をしても」」

とある。雇われて炊事している女は、確かに井戸の側にいつもいそうだ。
 桃青の句も「上巳」という題だが、唐突に竜宮の塩路が出てくるかよくわからないし、土用干しは夏で季節が違う。
 多分上巳に供える海産物が竜宮の塩路みたいで、その頃が新月に近い大潮だから、水も引いて竜宮が土用干しされているみたいだ、ということなのだろう。
 どちらとも意味が取りにくい句で、それで引き分けになった感じもする。判定がどこか投げやりだ。

2023年1月21日土曜日

  さて、それでは予告通り、磐城平藩の殿様、内藤風虎の企画した『六百番俳諧発句合』(延宝五年)を見ていくことにしよう。テキストは『俳諧句合集』(明治三十二年刊、博文館)を用い、ネット上の檀上正孝さんの「『六百番俳諧発句合』の研究─内藤家所蔵「稿本」の紹介をかねた若干の考察─」も参考にしてゆく。
 判者は任口、季吟、維舟の三名で、任口は芭蕉の『野ざらし紀行』の旅でも訪ねて行った伏見西岸寺の住職で、季吟と共に伊賀にいた頃からの交流があったのではないかと思われる。
 季吟は言わずと知れた芭蕉の師匠とも言うべき人だ。談林の平俗に流されず、古典の心を重視した姿勢は季吟から学んだものであろう。
 維舟は松江重頼の別号で御年七十五歳の重鎮だ。
 『六百番俳諧発句合』は六十人の参加者が左右三十人づつに分かれて、それぞれ二十番勝負を行うもので、桃青は右だから左の作者三十人の内二十人と当たることになる。
 句合は本来は順位をつけるものではないが、仮にサッカーの勝ち点に倣って点数を付けて行くとするとこうなる。勝=3、良持=2、持=1、負=0で計算してみた。
 言水VS久明は勝負保留になっているが、これも持として計算する。

風虎 56  虎竹 36  野双 32  正立 39  紫塵 29  吟松 26
行林 31  研思 18  保俊 30  千之 27  幽山 33  宗旦 34
忠知 30  春良 28  万年子23  如白 21  似春 34  元好 27
千春 33  露沾 52  破扇子32  治尚 23  由平 34  守常 23 春澄 39  露幽 23  松寸 30  正藤 27  久友 23  言水 21

曲言 30  林元 24  三昌 20  衆下 26  紀子 15  方格 18
久明 20  塵言 32  正成 17  朝徹子31  好元 18  酔鶯 23
繁常 16  重安 21  一欠 27  友也 24  木子 25  意朔 33
信章 22  幽明 21  以仙 22  従古 21  如流 13  勝政 18
泰徳 24  桃青 33  由可 23  初知 22  有安 23  聞也 16

 順位はこのようになる。

1.風虎 56
2.露沾 52
3.正立 39
3.春澄 39
5.虎竹 36
6.宗旦 34
6.似春 34
6.由平 34
9.幽山 33
9.千春 33
9.意朔 33
9.桃青 33
13野双 32
13破扇子32
13塵言 32
16行林 31
16朝徹子31
18保俊 30
18忠知 30
18松寸 30
18曲言 30
22紫塵 29
23春良 28
24千之 27
24元好 27
24正藤 27
24一欠 27
28吟松 26
28衆下 26
30木子 25
31林元 24
31友也 24
31泰徳 24
34万年子23
34治尚 23
34守常 23
34露幽 23
34久友 23
34酔鶯 23
34由可 23
34有安 23
42信章 22
42以仙 22
42初知 22
45如白 21
45重安 21
45幽明 21
45従古 21
45言水 21
50三昌 20
50久明 20
52研思 18
52方格 18
52好元 18
52勝政 18
56正成 17
57繁常 16
57聞也 16
59紀子 15
60如流 13

 こうやって見ると主催者の風虎・露沾の親子は別格として、桃青(芭蕉)の9位は堂々たる成績といえるだろう。信章(素堂)は42位。言水は45位だった。
 六百番全部読むのはなかなか大変なので、まずは桃青の登場する所を見てゆくことにする。

二十六番
   左持  元日  矢吹 路幽
 万歳のこゑのうちにや君がはる
   右   門松  松尾 桃青
 門松やおもへば一夜三十年
 左の内にや右の一夜同じさまにうたれきこころばへは持とす。

 芭蕉が三十になったのは寛文十三年のことで、句合の為に二十句提出する際には、全部が描きおろしではなく、旧作も混ざっていたのだろう。
 正月になれば一つ年を取るので、大晦日から元旦にかけて一夜明ければ三十歳になっているとすれば普通のことだが、「一夜三十年」というと一瞬一夜にして三十年が経過したみたいな印象を与える。えっと思わせて、ちょっと考えて「何だ三十になったってだけか」となる考え落ちと言って良いだろう。
 路幽の句は角付け芸人の万歳がやって来て、その声に春が来たのを感じるというものだが、これも「万歳」と最初に切り出すことで一万歳とまではいかなくても長寿を連想させ、ちょっと考えて、「そっちの万歳か」と落ちになる。
 ありきたりな歳旦の趣向に一工夫という点ではこの二句は似ていて甲乙つけがたい、という任口さんの判断であろう。

五十四番
   左勝  水掛祝 青木 春澄
 きのふこそ寒こりみしか水あみせ
   右   霞   松尾 桃青
 大比叡やしの字を引て一かすみ
 左きのふこそ寒垢離行者の床も新まくらの夜床明るわびしき水あみせも慚愧懺悔六恨清浄殊に清め所あるべく候。右のしの字文字は直して心横へ引たるにや愚なる者悟りかたし人皆発明せずは黒闇地獄に堕在々々寒垢離こそ清からめ。

 春澄は翌延宝六年秋、松島から京へ帰る途中に江戸に立ち寄って、「のまれけり」の巻、「青葉より」の巻、「塩にしても」の巻の三吟を似春とともに巻いている。
 延宝九年刊信徳編の『俳諧七百五十韻』に参加し、その時の、

 鳫にきけいなおほせ鳥といへるあり 春澄

の句に応じるように、『俳諧次韻』に、

 春澄にとへ稲負鳥といへるあり  其角

を発句とする百韻が収められている。
 その春澄の句は、昨日寒中に冷水を浴びて身を清める寒垢離をしている人を見たから、俺も水浴びしよう、という句。
 これに対し芭蕉の句は仮名草子『一休ばなし』のネタで、大文字で長々と書けと言われて一文字「し」を書いたという話から、比叡山は霞も「し」の字にたなびくとする。
 ただ、「し」の字は縦に線を引くものだが、霞は横にたなびくので無理がある。「心横へ引たるにや愚なる者悟りかたし」と読むほうも意味がすぐに分からない。桃青の負け。

2023年1月20日金曜日

 今日は二宮の吾妻山公園に行った。平日だけどとにかく人が多かった。
 菜の花は盛りでウサギが一羽と猫のチャミちゃんがいた。
 そのあと知足寺の曽我兄弟の墓へ行った。


 今日『俳諧句合集』(明治三十二年刊、博文館)が届いたので、明日から『六百番俳諧発句合』を読んでみようと思う。
 Twitterでは「磐城平藩の殿様が六百番俳諧発句合を企画したとき‥‥」とか書いていたけど、実際芭蕉の句がどういう勝負で、勝ったのか負けたのか、どういう判定だったのか見てみたくなった。

2023年1月17日火曜日

 今日は寄(やどりき)の蝋梅を見に行った。
 蝋梅は五分咲くらいだったが、木によってはほぼ満開のものもあった。
 曇っていて途中少しの間霙がふった。

 蝋梅の雫に溶ける霙かな

 鹿のシチューを食べた。

 

 経晢草稿をここまで読めば、マルクスがどこでしくじったか明らかだろう。
 交換価値が需要と供給の関係で決まることを知ってたにも関わらず、それで経済学を新たに作り直そうとせず、古典経済学の権威に引きずられてしまった時点ですでにアウトだった。
 しかも古典経済学の労働価値説は一つの作業仮説だったにも関わらず、それを一つの哲学にしてしまう愚を犯した。
 労働価値説はいかなる労働をも等価にすることで、互いに足を引っ張り合い、人々を貧困に縛り付けるものだったにも関わらず、それを人間の本来あるべき姿としてしまったことで、マルクス主義はその意図に反して労働者に飢餓と粛正をもたらす哲学となり、資本論は史上最悪のトンデモ本となった。

2023年1月16日月曜日

 経哲草稿の続き。

 「労働の生産物の全体は、なりたちからしても概念的に考えても労働者に属すべきものだ、と国民経済学者は言う。が、同時に、現実には生産物のごくわずかの、必要最小限の部分しか労働者のものになっていない、とも言う。」

 これま「国富論」を見て来た時にいった通り、労働価値説は労働者の必要最小限の物資の価値と労働時間が等しいという前提に立っているから当然のことだ。
 なぜそうなるかについては、交換価値が農民がぎりぎり食っていける生活物資に合わせて商工業者や芸能などの商品やサービスの交換レートが決まるからだ。つまりこれらの人々すべてが平均的に暮らせるように相互抑制することによって、労働者の取り分が必要最小限の物資と等価になるように定まっているからだ。
 これは資本主義の発達する前からそうであり、また資本主義によって工業生産性が上がったにもかかわらずその水準が維持されていることを意味する。

 「人間としてではなく労働者として生存するのに必要な部分しか、いいかえれば、人類を生み育てるのではなく、労働者という奴隷階級を生み育てるのに必要な部分しか、かれに属さない、と言う。」

 前にも言ったが、小作と農奴との境界は契約の有無であり、契約によって働くか強制によって働くかの違いだと言った。
 いずれにせよ、他に生存手段がないのであれば、この違いはそれほど重要ではない。基本的には生存と引き換えに服従するだけのことだ。
 この生存の取引は、原始贈与社会の段階から、生存に必要な最低ラインに抑制されていた。冷たい社会では出る杭は打たれる式の相互抑制によって最低ラインに保たれ、熱い社会では灌漑農法によって農地を管理する支配者階級が誕生することで、それとの契約かあるいは隷属によって最低ラインが敷かれることになる。
 基本的には人間は社会なしでは生きられないため、自らの生存を社会と取引しなくてはならない。そこに立ちふさがるのは常に出る杭は打たれる式の平均化であり、それが人を最低限の生活に縛り付けている。
 それは契約であれ隷属であれ同じことだ。契約の場合は契約解除された場合、両義的な意味でのフリーになる。つまり自由であり同時にクビだ。それで生活の当てがあればいいが、なければ餓死だ。
 奴隷の場合も同じく、奴隷解放は事実上のクビだ。自由人として生きてゆける当てがあればいいが、なければ餓死だ。
 自由は契約の解除であり、日本でも野球の選手の場合は「自由契約」という言葉を用いる。それは生存の取引の解除だ。人は生存を担保にして自分の自由を捨てて社会の一員になる。だから人生に何か希望が持てるとしたら、それは自由になることではなく、契約を有利に更新することだ。
 生存の首根っこを社会に握られ、生殺与奪権を与えている限り、基本的に資本主義だろうが社会主義だろうがそこに自由なんてものはない。
 だからこそ社会主義がこの問題を解決できたのかどうかは問われなくてはならない。資本家が国家の指導体制に取って代わっただけでは、労働者の生活は変わらないどころか、むしろ効率の悪い経営によって悲惨なことになるだけだ。
 マルクスのここでの問題提起が間違っていたとは思わない。ただ、本当の意味での解決策を見出せたかどうかが問題だと言ってもいい。当時の古典経済学やヘーゲル哲学で答えが出せたのか。それはまだとても科学的と言えるようなものではなく、結局ユートピア社会主義のページ数を増やしただけではなかったか。

 「国民経済学者は、すべてが労働によって買われ、資本は蓄積された労働以外のなにものでもない、と言うが、同時に、労働者はすべてを買うことができるどころか、自分自身と自分の人間性を売らねばならない、と言う。」

 これも当然だ。すべてを買うということはすべてが売られているということだ。自分自身と自分の人間性を売ることで、自分自身の生存そのものを買っているのだ。

 「なまけものの地主の手にする地代が、大抵は農業生産物の三分の一に達し、勤勉な資本家の利潤が金利の二倍にもなるというのに、労働者が受け取る余剰分は、せいぜいのところ、四人の子どものうち二人は飢えて死ぬしかない、という程度なのだ。」

 この「四人の子どものうち二人」がどこから導き出された数字かは分らないが言い得て妙だ。つまり四人の子どものうち二人死ぬことで人口は一定に維持される。
 四人の子どもが四人育ったのでは人口爆発が起こる。それを今日では最初から出産する子供の数を二人以下にするということで解決していると言って良い。
 労働者がそうであるなら、事情は農村でも同じだろう。四人の子どもがいれば一人は嫡男で、一人は他の嫡男の所に嫁に行く。後の二人はというと、男は都会で労働者を目指し、女は娼婦になるのかもしれない。労働者を目指す男は労働者の息子と激しい競争にさらされることになる。

 「国民経済学者によれば、唯一、労働によってこそ人間は自然生産物の価値を高めることができるし、労働こそが活動する人間の財産なのだが、同じ国民経済学の言うところでは、たんに特権をあたえられたというだけの無為の神々である地主と資本家が、至る所で労働者の上に立ち、労働者に掟を押しつけてくるのだ。」

 これは地代と資本益を領主と経営者の給与と混同している。だが、この混同こそが後の「資本論」の最大の失敗に繋がるものだ。
 領主は領主が食ってゆくための取り分とは別に領土を守るためのストックを必要とする。領土は絶えず侵略の恐怖にさらされるし、飢饉がきて農民がみんな餓死したら自分も餓死することになるから、それへの備えもしなくてはならない。また、領主の上にはさらに国王がいて、あるいはその上に更に皇帝がいる場合もある。そうした者の庇護を受けるためにも、それなりの交際費を支出しなくてはならない。
 つまり資本益の中から自分の生活のための取り分を取ったら、あとはいざという時に備えて内部留保する必要が生じる。
 確かにその生活のための取り分は、農民や労働者とは比べ物にならないほど贅沢だったかもしれない。その多くは前述の交際費に消えることになる。
 領主も資本家も自らの経営能力を絶えずアピールする必要がある。そのために自分たちがいかに人の羨望を集める力があるかを競わなくてはならない。
 無能と判断されれば、領主は所領を巻き上げられ、資本家はお得意様を他の資本家に奪われることになる。彼らは何もせずに無為の神々でいるのではない。神々にふさわしい消費を要求されていると言った方が良い。
 特に近代の資本主義では、資本益は常に市場調査や商品開発や技術革新に投資しなくてはならず、その上で業務拡大や新規事業に更なる投資をしなくてはならない。そしてそれを引いた余りの中から経営者の賃金と株主への配当が支払われることになる。
 剰余利益がすべて資本家の懐に入っているわけではない。ましてその剰余利益をすべて労働者に還元してしまったら、資本家は事業を維持することすらできない。前近代の貧しさへ逆行してゆくだけだ。

 「国民経済学者によると、労働こそが物の唯一・不動の価格であるのに、労働の価格ほど偶然に左右され、大きな変動にさらされるものはない。」

 これで分ったと思うが、マルクスは労働価値説を富を分析するための便宜的な尺度ではなく、形而上学的な命題として捉えていた、その証拠といっていいだろう。
 労働の価格が労働者の最低限必要な生活物資の価格であることで、労働価値説が成立する。大きな変動にさらされるとしたら、それは労働者がそれ以上の配分を受けるようになった時だ。つまり、資本主義の発達によって労働者への給与が上がり、農村との格差ができた時、同じ労働者でも大きな差が生じることになる。いわゆる能力給が導入されれば、そこには出る杭は打たれる式の相互抑制が効かなくなる。だがそれは労働者の地位が上がったからで喜んだ方がいい。
 これに対して社会主義は逆に労働者の賃金を農村の平均に縛り付けるしかなくなる。「我々がお百姓さんより多く貰ったんでは失礼だ」ということになる。

 「分業は労働の生産力を高め、社会の富と品位を高めるものなのに、その分業が労働者を貶めて機会にしている。」

 そんなことはない。労働者は最初から機械だ。
 ただすべての工程をこなす機械から、一つのことを専門に行う機械になったにすぎない。
 すべての行程をこなすことに人間としての喜びがあるかどうかは、ただその人の人生観によると言って良い。
 昔の画家はまず絵の具を作る所から始まり、自分の納得のゆく絵具を自分で開発してから絵の制作に入っていた。
 その過程を専門の絵具職人に代わってもらった時、画家はただ絵を描くだけの機械になり下がったのだろうか。
 あるいは漫画家が一つのプロダクションを作って、漫画家は作品のネーム作りに専念し、原稿の制作をアシスタントがするようになったとき、漫画家はネーム製造機になったのだろうか。
 労働者は分業で機械になったのではない。自営業から雇用労働者になった時点で既に機械になっている。
 ならば社会主義になれば画家や漫画家は機械ではなくなるのだろうか。逆だろう。国家に命じられた物しか描けない作画機械になり下がるだけだ。

 「国民経済学者によると、労働者の利害はけっして社会の利害と対立しないのに、社会は常に労働者の利害と対立している。」

 これも一つ言うなら、対立してるのは「社会」だろうか。労働者と資本家が対立しているというならわかるが、何で社会と対立するのだろうか。資本家=社会なのだろうか。
 敵が資本家であれば、労働者が豊かになるには資本家と対峙して、雇用契約を改善してゆけば済むことになる。つまり後のマルクス主義者の言う「組合主義」であり、資本主義の枠内での「修正主義」ということになる。
 これに対してマルクス主義者は社会そのものを転覆させなくては駄目だと考える。
 革命至上主義は今の日本共産党もそうだ。すべての社会問題は個々の解決の道を探るのではなく、初めに革命ありきであり、すべての不満を革命のただ一点へと誘導する。逆に言えば革命なしに勝手に解決することを許さない。
 その違いが既にこの一文に現れている。

2023年1月15日日曜日

  昨日からどんより曇っていて雨が降ったりやんだりしている。気温も朝の冷え込みがなく、春めいてきている。

 労働価値説は基本的には一定時間働いている限り定数であり、生産性に影響されることがない。
 今のマルクス主義者が生産性という言葉を忌み嫌うのも、それを考えれば納得できる。
 生産性がどれだけ低下しようと、それによって労働の価値が下がることはない。だから同じように報酬が与えられるべきだということになる。
 生産性が低下すれば実際には確実に物が不足するわけだが、それは誰かが搾取しているからで、そいつを見つけ出して粛正しろということになる。
 また、この価値は通貨供給に左右されることもない。物が不足して物価が上がれば、その分通貨供給を増やせば良いということになる。
 国家は物が買えるようになるまで無制限に通貨供給を増やすことができる、というわけだ。もっとも、通貨が増えたから物が増えるわけではないが。
 逆に人口の増加はそれだけ総労働時間が増えることになるから、人口は増えれば増えるほど国家は潤うという理屈になる。少子化は国を貧しくする、国家の失政だ、と糾弾することになる。
 ここまで言えば、労働価値説のどこが問題かがわかるだろう。
 つまり労働時間は生産を保証しないということだ。生産物がなければ人は生きられないのに、労働時間はそれを保証しない。飢餓と粛清へまっしぐらだ。
 なら人の豊かさは何で決まるかというと、それは生産性だ。
 短時間の労働で効率よく生きてゆくのに必要な物資が手に入れば、それは裕福だと言って良いだろう。

 余談だが、今日のように労働市場がグローバル化すれば、たとえ国内が少子化で労働者が不足したとしても、まだ人口増加が続いてる国からいくらでも労働力の供給を受けられる。
 これが先進諸国の給与が伸び悩んでいる最大の原因だ。
 欧米は大量の移民を入れているから、数字の上では移民の給料が上がるので、給与水準が上がっているように見える。それはこれまで安くこき使ってた移民が元からいる国民のレベルに近づいただけで、元からいる国民が豊かになったわけではない。日本も実質的にはかなりの数の外国人労働者を受け入れている。
 もう一つは外国人労働者を現地で雇用するというもので、工場ごと海外に移転させるやり方だ。工場が移転すれば国内の雇用がその分減るから、国内労働力の過剰につながる。
 つまり、先進国がいくら少子化しても、世界全体の人口が増え続けている限り、その効果は限定的ということだ。人口増加地域の労働者が大量に流入するかそれを雇用するために工場が出て行くことが繰り返される限り、我々はまだ多産多死の時代を生きていることになる。基本的にこの問題の解決は地球全体の少子化によって地球全体の人口増加圧力がなくなるまで無理ということになる。

 ロシア自体はそれほど人口増加の圧力にさらされていないし、中国の人口も頭打ちになっているから、ウクライナ侵略は人口増加による古典的な戦争ではないし、中国の少数民族弾圧や香港・台湾の問題も人口増加によるものではない。
 ただ、人口増加の国々にわだかまる反西洋文明の動き、特にイスラム原理主義が顕著だが、こうした人たちの支持を得られ、国連を制することができるということが、暴挙への歯止めをなくしていると思われる。
 それに加えて、先進諸国のマルクス主義者の残党の支持も得られれば、西側諸国のウクライナや台湾への支援の大きな足かせになる。それだけでなく、西洋のキリスト教原理主義もイスラム原理主義と同様、かつての社会主義に取って代わろうとしている。プーチンもロシア正教会の支持を受けている。こうした人たちが侵略戦争を支持してくれるという戦略的な読みがある。
 明確な必然性がないから、ロシアや中国の国内世論が侵略戦争に熱狂しているわけではない。ただ独裁政治であるが故に反乱には至らないという、もう一つの戦略的な読みがある。実際には必然性がないという油断が虚を突かれる結果となった。戦争は必然性がなくても独裁者の意志があれば起こせる。
 基本的には全世界が十分な生産性向上を成し遂げ、少子化で人口増加圧から解放されるまで、資本主義への不満はくすぶり続け、それがマルクス主義やイスラム原理主義、キリスト原理主義と結びついて、生産性を無視した文明破壊で問題が解決できるかのような幻想を与え続けることになる。
 ウクライナ戦争はプーチン一人が起こしている戦争ではない。世界には何億人ものプーチンがいる。そのプーチンの条件はこうだ。

1,世界は一つになるべきだと思っている。
2,民主主義は衆愚政治であり、優秀な指導者による哲人独裁が必要だと思っている。
3,貧しくても幸せならいいと思っている。

 1は世界を一つにするための、いわば「世界征服」のための侵略戦争を容認する。また、グローバル経済が世界を一つにしているのをアメリカ世界侵略と認識していて、それに対抗するための侵略戦争は「良い侵略戦争」だという認識を生み出す。
 2は当然ながら独裁を肯定し、独裁者の判断一つで侵略戦争を起こせると考えている。
 3は経済を破壊しても構わないという思想を生み出す。人々が貧しくなり飢餓に陥ろうとも、1と2を貫く。
 こうした人たちは必ず侵略と独裁と飢餓を正当化する。
 この三つを唱える人は警戒するだけでなく断罪する必要がある。それは平和と民主主義を守るための戦いであり、世界が戦乱と飢餓で破滅するのを防ぐための戦いだ。
 ただ、その一方で我々は未だ多産多死のマルサス的状況から抜けられない人たちへの援助を惜しんではならない。
 彼らにいきなり先進国と同様の人権意識を押し付けるのではなく、まず経済成長を助けて、「衣食足りて人権を知る」を体験させなくてはならない。