2025年12月13日土曜日

  「チェンソーマン レゼ編」は日本だけでなく海外でも好評だという。建前やポリコレや人権思想だのそんなもの抜きに、本音で生きて戦って平和を守ろうとする人たちは、今の時代どこの国でも求めているものではないかと思う。
 今の世界だったらともすると、悪魔と話し合って仲良くできないかだとか悪魔を差別するなだとか言い出すやつもいかねないそ、ビルが壊れれば誰が保証すんだって話にもなる。銃の悪魔に勝てないなら白旗上げて、戦うのを止めれば死ぬ人もいなくなるなんて、そんなこと真面目に言い出すやつはいくらでもいる。
 デンジは昭和生まれで貧しかった時代の最後の方の記憶をかろうじて持っている俺としては、今でこそ珍しいが昭和じゃ普通だったなという感じのキャラだ。
 戦前は義務教育も尋常小学校までだったし、終戦後の混乱期には親の居ない子供もたくさんいた。親の愛も知らず、ただ搾取されるだけの毎日で、それでも生きていければいいという中で、西洋の映画の朝食シーンには誰もが憧れたものだ。
 飯を食いたい。女が欲しい。それをかなえてくれるならやくざの鉄砲玉にでも喜んでなるような人はたくさんいた。奴隷のような絶対服従の組織でも生きていられるだけで幸せだった。それが昭和の時代だった。
 多分昭和の日本だけじゃない。世界中どこでも貧しい人達はそうやって生きていると思う。だからデンジの生き方には世界中の人が共感できるんだと思う。
 まあ、悪い面もあるけどね。そうやって食うことと女を抱くことにしか興味を持てなかった人たちが、ひとたび豊かになり社会的成功を勝ち取っても、大人になって飯が酒に変るだけで、銀座のクラブや赤坂の料亭で豪遊するのがステータスになって、あの世代のオヤジは簡単に中国のハニトラに引っ掛かる。デンジがレゼに惹かれたみたいに、やばいとわかっていながらはまってってしまうんだろうな。
 ハリウッドもヨーロッパ映画も小難しいこと言わずに、こういう本音で生きる人間のドラマを作ってほしい。そうしないと、そのうち日本のアニメに完全に席巻されてしまうよ。今の日本がそうだから。

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 それでは「甲戌紀行」の続き。

   紀の川いく瀬もあり
   三日月の流るゝを
 たづか弓矢をつく船やみかの月  其角

 翌10月3日、高野山を出て紀ノ川を下り、和歌の浦に向かう。西へ向かうので、夕暮れには行き先に三日月が見えて、その光が川に映し出される。
 「たつか弓」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「手束弓」の解説」に、

 「〘名〙 手に握り持つ弓。たつかの弓。
  ※万葉(8C後)一九・四二五七「手束弓(たつかゆみ)手に取り持ちて朝狩に君は立たしぬたなくらの野に」
  ※散木奇歌集(1128頃)恋下「つくつくと思ひたむればたつかゆみかへる恨みをつるはへてする」

とある。軍事用の長弓ではなく、狩猟用の座って射れるような小さな弓ではないかと思う。
 三日月が弓のようで、その下の光る浪が沢山の矢のように見える。

2025年12月12日金曜日

 
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 今日は今年やり残したことということで「チェンソーマン レゼ編」を見に行った。

 それでは「甲戌紀行」の続き。

   高野山
 卵塔の鳥居やげにも神無月   其角

 10月1日に吉野から高野山へ船で移動したと見た方がいい。徒歩や馬だと移動に丸一日かかりそうだが、川を船で下ったなら、西河を見てから夕暮れに高野山までたどり着くこともできただろう。
 2日は高野山を見て回り、三日には和歌の浦へ向かう。ここははっきりと船に乗ったとわかる。
 卵塔は無縫塔ともいう卵型の墓で僧の墓に多い。
 お墓の入口に鳥居があるにもかかわらず、その先は卵塔ばかりだと、なるほど神無月だ、ということになる。

2025年12月11日木曜日

  今の時代、テレビを見てる人とネットを見てる人は違う世界線にいる。

テレビ派
 高市さんが日本初の女性首相になったけど、いきなりワークバランスを無視して働けだなんてとんでもないことを言いだした。
ネット派
 日本初の女性首相の誕生で、これからバリバリいろんなことをやってくれそうで楽しみだ。

テレビ派
 トランプ来日ではみっともなく媚を売りまくって、結局日本じゃ女は男に媚びなきゃ偉くなれないんだな。
ネット派
 トランプ来日で日本の復活と日米同盟の強固さを世界にアピールできた。

テレビ派
 台湾有事になったら日本はそれを口実に自衛隊を派遣して、本格的に中国と戦争をする気のようだ。
ネット派
 台湾有事になったら自衛隊を出してでも日本を守ってくれる。中国相手に一歩も引かない姿勢は本当に頼もしい。

テレビ派
 台湾有事発言で高市首相はトランプにも怒られるし、G20では中国に完全に無視されて日本は孤立した。
ネット派
 台湾有事発言ではトランプも北京を攻撃するなどの発言を引き出せたし、G20ではメローニさんとも仲良くなって、中国包囲網ができた。

テレビ派
 高市の台湾有事発言で、日本の観光業は大打撃を受けたし、中国でのコンサートなども続々中止になってミュージシャンたちも怒っている。
ネット派
 台湾有事発言への報復は中国人の観光業者が打撃を受けただけで、観光地はマナーの悪い中国人がいなくなってむしろ喜んでいる。中国でのイベント中止は中国のファンも怒っていて逆効果だ。

テレビ派
 立憲民主党の力で政府もやっと重い腰を上げて、ガソリンの暫定税率廃止を勝ち取った。
ネット派
 高市首相になって石破がやらなかったガソリンの前提税率廃止がやっと実現した。

テレビ派
 中国軍が通常の演習をやっている所に、自衛隊がしつこく付きまとってえらく怒っている。高市政権は中国侵略の口実を作ろうとしてるのか。
ネット派
 中国軍の経済水域侵入が常態化していて、自衛隊機にレーダー照射をした。それに対して中国は苦しい言い訳をしている。

テレビ派
 ガザとウクライナは何も解決してないし、トランプも高市も戦争を起こそうとしている。このままいけば第三次世界大戦になって、人類滅亡の悲惨な未来しか見えない。
ネット派
 ガザやウクライナも解決に向かって動き出したし、未来に希望が持てる年になった。

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 それでは「甲戌紀行」の続き

   西河のたきにて
 三尺の身をにじかうのしぐれ哉  晋子

 西河は吉野の東側の音無川の流れる谷で、蜻蛉(せいれい)の滝があり、芭蕉も貞享五年の『笈の小文』の旅で訪れて、

 ほろほろと山吹散るか滝の音   芭蕉

の句を詠んでいる。
 「三尺の身」は、いくら何でも其角が身長僅か一メートルってことはない。三尺は三尺頭巾のことか。落差50メートルの滝が巻き上げる水しぶきが時雨のようだ。

2025年12月10日水曜日

  そろそろこの一年振り返っちゃおうかな、なんて季節にもなった。

 気持ち的に眼下は崖の初日哉

なんてこのまま世界はどうなってしまうかという不安の中で一年が始まったけど、トランプさんの大統領就任から急に流れが変わり、日本でも初の女性首相の誕生といろいろ希望の見える年になった。
 世界的に戦後ベビーブーマーの時代が終わって世代交代が始まったと見て良いのだろう。トランプさんはともかくとして、高市さんは初めて俺より年下の首相(二ヶ月違い)になったし、他の大臣の年齢も年下が多くなった。
 戦後のベビーブーマーは日本では「戦争を知らない子供たち」とも呼ばれたけど、戦争の恐怖ばかりを植え付けられ、戦争に至った歴史を正しく知らされてなかったし、戦争になるだとかホロコーストが起きるだとか言われると過剰に反応して、結果的に自虐的な政策を繰り返して今の混乱を生む元になった。
 そういうわけで昨日の句会の句は、

 まだ残る黄葉にあしたが光る

となった。

 今年のアニメはAve Mujicaに始まった。ただ、これだけ見ても話が繋がらないから、その前のMyGO!!!!!も見ることになった。春アニメは機動戦士Gundam GQuuuuuuXでこれも元ネタが知りたくて初代ガンダムを見ることになった。夏アニメはタコピーの原罪とわたなれ(わたしが恋人になれるわけないじゃん、ムリムリ!(※ムリじゃなかった!?))。今やってる秋アニメはさいひと(最後にひとつだけお願いしてもよろしいでしょうか)。わたなれの映画も見に行って楽しい一年だった。

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 それでは「甲戌紀行」の続き。

   世尊寺
   こよひだれすずふく風と
   よまれたる所といふに、
   月ならばなどおもひやられ
 頼政の月見所や九月尽      晋子

 世尊寺は吉野の奥の上千本の上にあった寺で、明治の廃仏毀釈で廃寺になり、「吉野三郎」と呼ばれる梵鐘のみが今でも残っている。
 源頼政は、

 今宵たれすずふく風を身にしめて
     吉野の嶽たけに月を見るらむ
              源頼政(新古今集)

の歌がある。

2025年12月9日火曜日

 
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 今日の句会の句。

 何言ったの木枯しに問い返す
 日は西へそして師走の街灯り
 まだ残る黄葉にあしたが光る
 冬日射す城の白壁帰り道

 それでは「甲戌紀行」の続き。

 9月28日に奈良を出て、多武峰から細峠を越えて吉野に到着する。そして、29日に吉野の名所を回ることになる。

   廿九日よしのの山ふみす。
   白雲峯に重り煙雨谷をうつんて山賤の家所々にちひさく、
   西に木を伐ル音東にひびき院々のかねの声心の底にことふ
   寒雲繍盤石といふ句におもひよせて
 高取の城の寒さよよしの山    晋子

 高取城は日本三大山城の一つとも言われ、標高583メートルの山の上に天守閣が築かれている。芭蕉も元禄三年の「月見する」の巻二十九句目に、

   随分ほそき小の三日月
 たかとりの城にのぼれば一里半  芭蕉

の句を付けている。天守まで辿り着く頃には日が暮れてしまう。
 其角のこの句は許六の『俳諧問答』にも、

 「高取の城の寒さやよしの山
といふも、『ふる里寒し』の下心也。ふる里よりハ、めの前の高取寒しといへる事也。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.187)

とある。この「寒さ」は、

 みよし野の山の秋風さ夜ふけて
     ふるさと寒く衣うつなり
              参議雅経(新古今集)

の歌による、というわけだ。
 まだ9月だけど「寒さ」で冬の句としているが、この歌を思い浮かべるならまだ秋の情になる。

2025年12月8日月曜日

 
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 「隨縁紀行」と「甲戌紀行」をまとめたものを鈴呂屋書庫にアップしたのでよろしく。題して「其角、鶴時雨」

 それでは「甲戌紀行」の続き

 松陰の硯に息をしぐれかな    晋子

 二上山当麻寺奥院には今も平家物語に由来が登場するという松蔭硯が残されている。楕円形の硯なので、それを馬の蹄に見立てて箱が作られたようだ。当麻寺のホームページの画像では、箱の外側はよく分らなかった。
 硯は息を吹きかけてみて湿ると良い硯だという。松陰硯は良い硯だから、さぞかし息を吹き替えたなら時雨のようになるだろう。
 27日は二上山当麻寺を出ると一度奈良に戻り、そこで一泊したと思われる。28日はふたたび三輪を通って談山神社、多武峰、細峠を経由して吉野に向かう。

2025年12月6日土曜日

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  「甲戌紀行」の続き。

 9月26日は法華寺を経由して当麻寺へ行ったと思われる。

   当麻寺奥院にとまりて
 小夜しぐれ人を身にする山居哉  其角

 「人を身にする」は「人を思うは身を思う」を縮めた形か。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「人を思うは身を思う」の解説」に、

 「他人に情をかければ、やがては自分のためになるという意。情は人のためならず。
  ※北条氏直時代諺留(1599頃)「人を思ふは身を思ふ。人を憎むは身を憎む」

とある。時雨が来た時には人を雨宿りさせる人情が、廻り廻って自分が時雨にあった時にも帰って来る。

 世にふるもさらに時雨の宿り哉  宗祇

の句を踏まえたものであろう。
 時雨は冬の季語ではあるが、和歌では紅葉を染める雨として晩秋に詠むことも多い。まだ9月ではあるが、時雨に関しては厳密に10月からということはなかったのだろう。有名な、

 初しぐれ猿も小蓑をほしげ也   芭蕉

の句も9月の終りに詠まれている。