2026年1月10日土曜日

  昨日は伊豆の下田爪木崎の水仙を見に行った。これが三回目だが、これまでの二回は土肥桜を見た後、夕方近くになって時間もあまりなかったが、今回は真っすぐ御殿場から函南を経て天城越えのルートで下田へ行ったので、昼頃には着いた。
 今年は水仙が咲くのが早い。既に見頃になっていた。水仙に混じってツワブキも咲いてたし、灯台の方の道には椿も咲いていた。
 柱状節理のある海岸の方にも降りてゆき、爪木崎花園もゆっくりと回ったし、ブルー爪木の磯うどんも食べた。

 世界の方もいろいろ動いていて、ベネズエラの喜ぶ人たちの画像がネットを埋め尽くしたと思ったら、今度はイランの画像が流れてきて、中国もいろいろ断片的な情報が入ってくると、激動の時代に入ったかのようだ。令和の時代はコロナに始まり、そのあとウクライナやガザが火を噴いて、その頃からもう激動の時代は始まっていたが。
 昭和はよく「激動の昭和」という枕詞を付けて語られたが、昭和程ではないせよやはり激動の令和なのかもしれない。平成はそれに比べると戦後体制の安定期だった。
 今の世界というのは一口に戦後体制とは言うけど、イラン革命の時にイランとアメリカが対立した時、日本が石油欲しさにイランを助け、中国で天安門事件が起きた時にも西洋が制裁に動いてた時に日本が助けてその後の開放政策の恩恵を受けた。
 言ってみれば、イランと中国は今まで日本政府が守ってきたようなもので、それが高市政権になって急に梯子を外されたように孤立してしまった。
 二つの独裁国家を日本が育ててきたということはやはり恥ずべきことだろう。第二の冷戦の時代に中道を装って平和を取り持つ振りをしながら、結局この二つの独裁国家を甘やかしのさばらせてきた罪を日本は背負わなくてはならないし、これからの日本の西側復帰を以て償わなくてはならない。
 日本国内でも「中道」は公明党・創価学会の提唱するもので、そのさほど大きくない勢力が日本を動かしてたように、日本もまた世界なかでアメリカに寄生しながら公明党の様に振る舞っていたようなものだった。
 中国とロシアは第一の冷戦の時の切っても切れない縁があるし、イランもまたイスラム原理主義の総本山のようなものだ。この二つが崩壊するなら世界は大きく変わるに違いない。日本が育ててきて世界を混乱させたのだから、日本がこの二つを終わらせなくてはならない。そんな大事な一年になりそうだ。

2025年12月30日火曜日

 今日は箱根に行った。

 日本では今年は「情報戦争」がはっきりと形になって表れた年だったかもしれない。インターネットとスマホの普及で十年代から情報戦争は始まっていた。
 アメリカ・日本・ヨーロッパの自由主義圏とロシア・中国・イスラム原理主義の独裁国家圏とは既に前から第二の冷戦と呼ばれる状態にあったが、イスラム原理主義を除けばロシアも中国も少子化で少産少死の社会に入っていて、実際の戦争での人的消費は最小限に抑えなくてはならず、ロシアの場合は傭兵や罪人や少数民族や北朝鮮軍迄書き集めてでもロシア人の消費を最小限に抑えようとしている。
 中国が仮に台湾に武力行使をするにしても、昔みたいな漢民族を人海戦術で展開することは困難に違いない。だからこそ、中国は世界中の左翼勢力を使って情報戦で勝利し、あくまで戦わずして勝つことを考えている。
 マスコミと左翼政治家と学会と法曹界を手中に収め、十年代は日本でもツイッターデモを中心に攻勢に出て、安部首相の辞任から暗殺の成功、岸田・石破親中内閣の誕生、自民党の大敗に至るまで、中国側は情報戦を優位に進めてきた。ロシアのウクライナ侵攻の際にアメリカを中心とした多国籍軍が形成されなかったのも情報戦争の勝利で、西側の世論の分断に成功したからだ。
 ただ、派手にやり過ぎたのだろう。こうした情報工作は保守の側も自覚するようになり、対策を講じ、今年になってようやく反転攻勢に出た。こうした動きは世界とも連携している。トランプ政権の復活もまたその一例だ。ヨーロッパでも反移民・反イスラム原理主義の気運が高まっている。
 来年は情報戦争が更に激化することだろう。これが少産少死時代の第三次世界大戦と言っても良いのかもしれない。
 情報戦争は戦闘員と民間人の垣根がない。たとえその心算がなくてもネットで発信する一言一言が戦闘になる。少なからず誰もが関わらざるを得ないし、昨日までの隣人が敵味方になってもおかしくはない。既に家庭内で敵味方に分かれて冷戦状態になってる所も多いことだろう。
 多産多死の時代は命の値段も安く、戦争の日常化は普通のことだったが、少産少死の今はそれに代わって情報戦争が日常化している。
 分断などという生易しいものではない。中立を貫こうにも旗色不鮮明はかえって両方から攻撃されるリスクが高い。それでもこの混乱の後には新しい時代が来る。俺はそう信じる。時間は決して逆戻りすることはない。
 喩えて言えば幕末に尊王攘夷と佐幕開国が戦って尊王開国で決着するような、どっちが勝利するにしても、全く新しい時代になるに違いない。

 実際情報戦を展開しても、無血占領は難しい。
 段階としては、

 1,人権問題を軸として参政権と簡単な手続きでの居住権を認めさせ、その国に大量の人を送り込んで選挙で議席を獲得する。
 2,一定数の議席を獲得したなら、外国人に有利になるような政策を次々と打ち出して、固有の国民を住みにくくし、自発的な海外移住を促す。
 3,次に憲法を改正するか無力化し、外国政府による政治介入を可能にする。
 4,最終的には主権を放棄し国家を解体させる。

 ヨーロッパでは1や2の段階まで進んでいる国もあるが、日本はこの段階になる前に食い止めなくてはならない。
 

2025年12月17日水曜日

AI俳画
  それでは「甲戌紀行」の続き。最終回。

 日程は定かでないが和歌の浦から深日を経て紀州街道で大阪に出たのだろう。そこでさっそく住吉大社に参拝することになるが、神無月ではある。
 芭蕉の門人たちも10月8日に芭蕉の病気平癒祈願に訪れているが、其角が翠好大社を参拝したのはおそらくそれより前だろう。

   住吉奉納
 蘆の葉を手より流すや冬の海  其角

 大阪と言えば難波の葦だが、芦の葉を手より流すというのはよくわからない。
 
   堀川院御時、艶書のうたをうへのをのこともによませ給うて、
   歌よむ女房のもとともにつかはしけるを、
   大納言公実は康資王の母につかはしけるを、
   又周防内侍にもつかはしけりとききて、
   そねみたる歌をおくりて侍りけれは、つかはしける
 みつ潮にすゑ葉を洗ふ流れ芦の
     君をぞ思ふ浮きみ沈みみ
             大納言公実(千載集)

の歌に関係があるのか。
 そしてこの「甲戌紀行」は次の言葉で締めくくられる。

   十月十一日芭蕉翁難波に逗留のよし聞えければ、
   人々にもれて彼旅宅にたづまゐるゆゑ吟行半ばに止む。

2025年12月16日火曜日

  今日は世界遺産の韮山反射炉を見に行った。
 幕府が黒船が来る前から西洋との戦争になるかもしれないと、大砲を増産する計画を立てていたのは頼もしい。
 多分明治以降、薩長の印象操作で、幕府は無能で国際情勢を何も知らず、いきなり黒船が来て慌てて何が何だか分からず西洋の言いなりに開国したみたいに言われていたが、実際は長崎から西洋の情報は十分に得ていただろうし、黒船が来たあとの開国や通商条約締結も極めて現実的でベストな対応を取ったと思う。
 それでは征夷大将軍の「征夷」の名目が立たないと、幕末の志士たちの批判にさらされたら、早々に大政奉還を決めた。これも多分想定内だったのだろう。やるだけのことはやった。あとはおめーらで勝手にやってくれ、ってとこか。
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 それでは「甲戌紀行」の続き。
 おそらく4日に和歌の浦を見た後深日の浦に向かい、これは5日の朝ではないかと思う。

   ふけゐのうらに出たれば
   大網引馬夫駕籠のもの
   従者まじりに走りつきて
   力を添てとよみけるに
 魨ひとつとらへかねたる網引哉  其角

 魨はフグで、深日の浦でも取れたのだろう。

2025年12月15日月曜日

  西洋で自然保護運動が起きたのは、かつて西洋人が徹底的に自然を破壊してしまったから。
 西洋でLGBT解放運動が起きたのは、かつて西洋人が同性愛を宗教的な罪であるだけでなく、犯罪として処罰していたから。
 西洋で人種差別撤廃運動が起きたのは、かつて西洋人が黒人を奴隷にしたから。
 西洋がレイシズムに厳しいのも同じことで、西洋人が家畜の血統管理を人間にも適用した生粋のレイシストだったから。
 日本人は西洋文明を受け入れて名誉白人になったが、これらの歴史とは無縁なんで、一緒にしないでほしい。

 大体人権大国というのは人権が最も蹂躙されてた国だ。そのため法律が増えてっただけだ。
 老子の言葉にもある。「大道廃れて仁義あり。」老子は楚人だったから、長江文明の大道が廃れて黄河文明の仁義が持ち込まれたのを苦々しく思ってたに違いない。日本も長江文明の末裔。人権には然のルールがあるので、西洋のような法整備を必要としない。

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 それでは「甲戌紀行」の続き。

   帰望
 和歌はみつふけゐの月を夜道哉  晋子

 ふけゐは和泉国の吹飯の浦で、今も深日(ふけ)という地名が残っている。かつては「ふけゐ」だったのだろう。「ゐ」と「ひ」の違いは微妙だったから、「ふけひ」から深日の表記になったか。和歌の浦の一山越えた北側になる。
 「和歌はみつ」は、

 若の浦に潮満ち来れば潟をなみ
     葦辺をさして田鶴鳴き渡る
             山部赤人(続古今集)

の「満つ」であろう。加太淡島神社に寄っているので、海沿いのルートの大川峠越えルートで吹飯に入ったと思われる。和歌の浦に潮が満ちるのを「見つ」に掛けて、前を見れば深日の浦に月が見える。

2025年12月14日日曜日

  昨日はチェンソーマンの映画のことを描いたから、今日はわたなれ(わたしが恋人になれるわけないじゃん、ムリムリ!(※ムリじゃなかった!?))のことも書いてみようか。
 作者のみかみてれんさんは「女同士とかありえないでしょと言い張る女の子を、百日間で徹底的に落とす百合のお話」のような性描写のあるガチレズ作品を書いている人で、わたなれはそれを抑えた形でレズビアンがノンケの女の子れな子を落とすという所が基本にあったのではないかと思う。
 クインテットの五人の中でレズビアンは真唯と紫陽花の二人。真唯はタチで紫陽花はネコだが、この二人がくっついたら二人だけ孤立してクインテットは壊れることになるし、この二人は基本的にはくっつかない。そのためれな子が共通の落す目標になる。
 れな子のキャラは基本的にはよくあるハーレム展開の男主人公の特徴を引き継いでいる。お人好しで人には好かれるが優柔不断で誰も選べない。真唯と紫陽花とは親友にはなりたいがネコにもタチにもなれないが何となくどっちの素質もありそうというところで留まっている。
 男のアニメファンは男のハーレムは許容しても、女のハーレムに不寛容な所があるのだろう。そこから真唯のセリフだった「れな子が悪い」が流行語になり、集英社の四大ヴィラン(鬼滅の刃の猗窩座、呪術廻戦の夏油、あとチェンソーマンの誰か忘れた)になってしまった。
 「れな子が悪い」は冗談で言っている部分もあって、心底悪いと思っている人はいないとは思う。レズビアンとして目覚めてない以上はどちらかを選ぶことはできないし、他にも女の親友が欲しいと思うのは悪いことではない。そこの揺れ動きの面白さが男主人公のハーレム展開みたいに展開するのが、この作品の一番の魅力となっていると思う。
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 日本語の「百合(Yuri)」という言葉はレズとシスターフッドの曖昧な境界の上に成り立つ概念で、その曖昧さがこの物語の魅力を引き立てている。

 それでは「甲戌紀行」の続き。

   玉津島にまゐりて
 御留守居に申置くなりわかの浦  其角

 3日に紀ノ川を下り、4日には和歌の浦や紀三井寺などを回ったと思われる。このあと其角が大阪で芭蕉と再会する11日まで日付の記述はない。
 神無月だから玉津嶋神社の神様もお留守。

2025年12月13日土曜日

  「チェンソーマン レゼ編」は日本だけでなく海外でも好評だという。建前やポリコレや人権思想だのそんなもの抜きに、本音で生きて戦って平和を守ろうとする人たちは、今の時代どこの国でも求めているものではないかと思う。
 今の世界だったらともすると、悪魔と話し合って仲良くできないかだとか悪魔を差別するなだとか言い出すやつもいかねないそ、ビルが壊れれば誰が保証すんだって話にもなる。銃の悪魔に勝てないなら白旗上げて、戦うのを止めれば死ぬ人もいなくなるなんて、そんなこと真面目に言い出すやつはいくらでもいる。
 デンジは昭和生まれで貧しかった時代の最後の方の記憶をかろうじて持っている俺としては、今でこそ珍しいが昭和じゃ普通だったなという感じのキャラだ。
 戦前は義務教育も尋常小学校までだったし、終戦後の混乱期には親の居ない子供もたくさんいた。親の愛も知らず、ただ搾取されるだけの毎日で、それでも生きていければいいという中で、西洋の映画の朝食シーンには誰もが憧れたものだ。
 飯を食いたい。女が欲しい。それをかなえてくれるならやくざの鉄砲玉にでも喜んでなるような人はたくさんいた。奴隷のような絶対服従の組織でも生きていられるだけで幸せだった。それが昭和の時代だった。
 多分昭和の日本だけじゃない。世界中どこでも貧しい人達はそうやって生きていると思う。だからデンジの生き方には世界中の人が共感できるんだと思う。
 まあ、悪い面もあるけどね。そうやって食うことと女を抱くことにしか興味を持てなかった人たちが、ひとたび豊かになり社会的成功を勝ち取っても、大人になって飯が酒に変るだけで、銀座のクラブや赤坂の料亭で豪遊するのがステータスになって、あの世代のオヤジは簡単に中国のハニトラに引っ掛かる。デンジがレゼに惹かれたみたいに、やばいとわかっていながらはまってってしまうんだろうな。
 ハリウッドもヨーロッパ映画も小難しいこと言わずに、こういう本音で生きる人間のドラマを作ってほしい。そうしないと、そのうち日本のアニメに完全に席巻されてしまうよ。今の日本がそうだから。

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 それでは「甲戌紀行」の続き。

   紀の川いく瀬もあり
   三日月の流るゝを
 たづか弓矢をつく船やみかの月  其角

 翌10月3日、高野山を出て紀ノ川を下り、和歌の浦に向かう。西へ向かうので、夕暮れには行き先に三日月が見えて、その光が川に映し出される。
 「たつか弓」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「手束弓」の解説」に、

 「〘名〙 手に握り持つ弓。たつかの弓。
  ※万葉(8C後)一九・四二五七「手束弓(たつかゆみ)手に取り持ちて朝狩に君は立たしぬたなくらの野に」
  ※散木奇歌集(1128頃)恋下「つくつくと思ひたむればたつかゆみかへる恨みをつるはへてする」

とある。軍事用の長弓ではなく、狩猟用の座って射れるような小さな弓ではないかと思う。
 三日月が弓のようで、その下の光る浪が沢山の矢のように見える。