2023年9月10日日曜日

  キリスト教文化圏の人からすると、日本のジャニーズ事務所への対応は奇異なものに映るかもしれないが、日本には同性愛そのものを犯罪としてきたソドム法の歴史がないし、聖書の「ソドムの罪」の物語も知らない。
 そういう文化では、男性の男性に対するレイプは存在しても、女性に対するレイプと比較すると軽微だと考えるのは自然だと思う。
 先ず男性と女性ではレイプの意味が大きく異なる。それは男性がばら撒く性として進化してきたのに対し、女性は選ぶ性として進化してきたことで、性的選択権の重みは男性と女性では大きく異なる。つまり、男性は女性に無理やり性交を迫られても、スキャンダルになるからヤバいとか、美人局ではないかとかいう懸念はあっても、それほど嫌ではないものだ。
 男の同性愛者、いわゆるゲイもまた不特定多数との性交を求める傾向があるが、これはノンケの男が見境なく女を求めるのと一緒で、男の遺伝子を持つものとしては自然な行動だ。そのため、ゲイの集団は特定のパートナーを持たなずに自由にしていることも多い。
 男にとって、カマを掘られることもまた、昔から名誉の問題として捉えられることが多かった。(これはキリスト教以前の古代ギリシャでもそうだという。)不名誉なことでプライドを傷つけられても、女性のレイプほどの命にかかわるような問題ではなかった。
 また、同性へのレイプには「血統に対する罪」も存在しない。女性へのレイプは洋の東西を問わず血統を汚すということと結びつけられ、重罪とされてきた。近代でも組織的なレイプによって民族の血統を抹消しようとする、民族浄化の一環としてしばしば行われている。
 西洋のソドミーは同性愛をのものが重罪であるところから、レイプはそのまま証拠隠滅のための殺人と結びつくことが多かったのではないかと思うが、日本ではそのような必要はなかった。
 日本のポルノではサド侯爵の小説のような虐殺を描くことがほとんどない。そこから、同性による強姦事件も、一般的にはそれほど深刻なものとは受け止められず、「カマ掘られちゃったよ」くらいで笑い話になることも多かった。

 それではX奥の細道の続き。

七月二十一日

今日は旧暦7月20日で、元禄2年は7月21日。金沢。

今日も晴れてる。
曾良はまた病気がぶり返して、高徹という医者の所に行った。
そういうわけで今日も曾良抜きで、北枝と一水と一緒に卯辰山の麓の寺に行った。句空という僧が隠棲していて、陶淵明に倣ってか柳の木があった。

卯辰山に登ると遠くに越の白嶺が見えた。残暑厳しい中で雪を被っていて白く涼しげだった。
この山を吉野の花に喩えた俊成卿の、

み吉野の花の盛りを今日見れば
   越の白嶺に春風ぞ吹く

の歌を思い出し、「こしの白嶺を国の花」と下七五が浮かび上五をどうしようかあれこれ考えたが、今一つ決まらなかった。「風かほる」も良さそうだが、これは夏の季語だ、今は秋だからな。

七月二十二日

今日は旧暦7月21日で、元禄2年は7月22日。金沢。

相変わらず暑い日が続く。曾良の病気は良くならず、今日はその高徹という医者の方から来てくれるという。今日の一笑の追善会の参加は無理かな。

一笑の追善会は朝飯が済んでから願念寺に集まって、法要が営まれた。午後から曾良も来て、暮に終わった。丿松さんお疲れ様でした。
追善の句。

塚も動け我泣声は秋の風 芭蕉

七月二十三日

今日は旧暦7月22日で、元禄2年は7月23日。金沢。

今日も晴れ。曾良の病気はだいぶ良くなった。今日一日しっかり休養すれば、明日は小松に向けて出発できると思う。
今日も雲口に誘われて、曾良抜きで宮ノ越を見に行く予定だ。内海で象潟ほどではないにせよ、景色の良い所だという。

宮ノ越を見た。なるほど景色は良いが、今日も暑い。アイの風で涼んだ象潟とはやはり違う。
とはいえ、外海の浜に来た時、冠石で詠んだ、

小鯛挿す柳涼しや海士が妻
  北にかたよる沖の夕立

の句を思い出した。

小春「前句が夏だから、秋の初めの夕暮れに転じようかな。秋に転じるなら月、初めだから三日月をあしらっておこうか。」

  北にかたよる沖の夕立
三日月のまだ落つかぬ秋の来て 小春

雲口「七月の初めというと、重陽の開花に間に合うように菊の摘心をしなくてはな。」

  三日月のまだ落つかぬ秋の来て
いそげと菊の下葉摘みぬる 雲口

北枝「菊の摘心の作業をするために羽織を脱いでおいたら、草の露で濡れてしまった。」

  いそげと菊の下葉摘みぬる
ぬぎ置し羽織にのぼる草の露 北枝

牧童「羽織を脱ぐというと相撲かな。ただ秋が三句続いたので、相撲という季語は入れずに、土俵を表す四方の柱にしておこう。」
  ぬぎ置し羽織にのぼる草の露
柱の四方をめぐる遠山 牧童

夕方に牧童と紅爾が来て、もう少しここに留まって欲しいと言われた。
曾良が言うには、高徹は悪い医者ではないが、できれば早く伊勢長島まで行って、馴染みの医者の所に行きたいとのこと。
そう言うわけで明日は予定通り出発することにした。

七月二十四日

今日は旧暦7月23日で、元禄2年は7月24日。金沢を出る。

今日もまた良い天気で、曾良も馬に乗って移動できる程度に回復した。
小春、牧童、乙州も街外れまで、送ってくれた。
雲口、一泉はもう少し先まで来てくれるという。

小春「名残惜しいですね。ここに来た日に一泊してくれたことは一生の思い出です。同じ蚊帳の中に寝たなんて自慢です。」

寝る迄の名残なりけり秋の蚊帳 小春

芭蕉「あの日はお盆で満月だったけど、一笑の死を知らされて、せっかくの月も庇を閉ざしたような気分になってしまったな。」

  寝る迄の名残なりけり秋の蚊帳
あたら月夜の庇さし切 芭蕉

曾良「月夜なのに庇を閉ざすといえば嵐ですね。」

  あたら月夜の庇さし切
初嵐山あるかたの烈しくて 曾良

北枝「私はこれから一緒に小松に行って、しばらく芭蕉さんのお供をさせていただきます。では、前句の嵐で増水した水に流されて魚が川の縁の外に出てしまった。」

  初嵐山あるかたの烈しくて
江ぶちのり越ス水のささ魚 北枝

今日は旧暦7月23日で、元禄2年は7月24日。金沢を出る。

雲口や一泉とは野々市で別れた。餞別の餅や酒を貰った。曾良のこともあるし、途中休憩しながらゆっくり行こう。

まだ日も高いうちに小松に着いた。竹意がここまで一緒に着いてきてくれて、近江屋という宿を紹介してくれたので、今日は曾良が走り回ることもなかった。北枝も一緒に泊まる。

七月二十五日

今日は旧暦7月24日で、元禄2年は7月25日。小松。

今日も良い天気だ。曾良の病気のこともあって、容態の良い時に一刻も早く伊勢長島へと思ってたが、例によって小松の俳諧好きが集まってきて、北枝にもう少し留まるように頼まれた。
曾良も了解し、立松寺で泊めてくれるというので、そっちに移動する。

多田八幡へ詣でて、実盛の甲冑や木曽願書を見た。木曽願書といえば須賀川の興行で、

  梓弓矢の羽の露をかはかせて
願書をよめる暁の声 芭蕉

ってネタにしたっけ。このあと山王神社の神主さんに呼ばれて、そこで興行する。

山王神社での興行。
芭蕉「では小松という地名に掛けて、松風だと蕭々として凄まじく聞こえるけど、ものが小松なだけにしおらしい音しか出なくて、自分も曾良も本調子ではなく、句のしおらしさもご容赦願おう。」

しほらしき名や小松ふく萩芒 芭蕉

皷蟾「山王神社の神主です。小松吹く程度のしおらしい風くらいが、萩芒の露も散らなくて、月夜には月の光でキラキラしてちょうどいいですね。」

  しほらしき名や小松ふく萩芒
露を見しりて影うつす月 皷蟾

北枝「名月ではなく盆の月にしようか。それも遠くから盆踊りの音を聞くと、低い太鼓の音だけで、これも寂しいものだけど。」

  露を見しりて影うつす月
躍のおとさびしき秋の数ならん 北枝

斧卜「遠くで聞く盆踊りというと、自宅で留守番かな。芦の網戸を訪う人もない。」

  躍のおとさびしき秋の数ならん
葭のあみ戸をとはぬゆふぐれ 斧卜

塵生「誰も来ず戸を閉ざすのは雪でしょう。ここの冬は雪が深くて。」

  葭のあみ戸をとはぬゆふぐれ
しら雪やあしだながらもまだ深 塵生

志格「雪で一面真っ白な所に真っ黒なカラスをあしらっておこうか。嵐の風で飛ばされたのか、カラスが集まる。」

  しら雪やあしだながらもまだ深
あらしに乗し烏一むれ 志格

夕市「嵐が来たんで漁船が戻ってきたら、カラスの群れが魚を取りに来て、それを追っ払おうと何かないかと見たら、磯に矢が落ちてた。」

  あらしに乗し烏一むれ
浪あらき磯にあげたる矢を拾 夕市

到益「磯に矢というと矢の雨が降ったのかな。臼杵湾の洲崎岩ヶ鼻の八坂神社は大友宗麟の弾圧を受けた。」

  浪あらき磯にあげたる矢を拾
雨に洲崎の岩をうしなふ 到益

觀生「海辺に鳥居が立ってる神社って、結構本殿は海岸から遠かったりする。なかなか火の灯る所に辿り着けない。」

  雨に洲崎の岩をうしなふ
鳥居立松よりおくに火は遠く 觀生

曾良「神社で火を焚くというと、乞食に物を食わせてやろうと炊き出しをやってたんでしょうね。」

  鳥居立松よりおくに火は遠く
乞食おこして物くはせける 曾良

北枝「蝉が飛んで来て笠に当たって来たんで、乞食が目を覚ましたんでしょう。眠ったままなら通り過ぎようと思ったけど、まあ何か食わせてやろうか。」

  乞食おこして物くはせける
夏蝉の行ては笠に落かへり 北枝

芭蕉「夏の暑い盛りは喉が渇くと気分も悪く意識も朦朧として倒れたりもする。生水はお腹壊すからお湯がいいんだが、唐茶だったらもっと良いな。唐茶はお茶の葉を鍋で炒ってから揉んで作る。」

  夏蝉の行ては笠に落かへり
茶をもむ頃やいとど夏の日 芭蕉

斧卜「お茶を揉んでたら夕立で山伏が雨宿りに来る。」

  茶をもむ頃やいとど夏の日
ゆふ雨のすず懸乾にやどりけり 斧卜

北枝「その山伏というのは何でも一言多くて、雨宿りをした家の子供を褒めてやるんだが。」

  ゆふ雨のすず懸乾にやどりけり
子をほめつつも難すこしいふ 北枝

皷蟾「お侍さんは人の生死を預かる仕事ですから、子供も厳しく育てますね。ただ、いきなり叱りつけるのではなく、褒めてから叱る。これ大事ですね、」

  子をほめつつも難すこしいふ
侍のおもふべきこそ命なり 皷蟾

觀生「かつては命を張って戦ってたお侍さんも、こういう平和な時代で晩年を迎えて、算盤を習う。」

  侍のおもふべきこそ命なり
そろ盤ならふ末の世となる 觀生

志格「平和で商業が発展して豊かなのは良いことだ。月の定座だし、涙することがあっても月は豊の光。」

  そろ盤ならふ末の世となる
泪にさす月まで豊の光して 志格

夕市「中秋の名月は芋名月で、ここは十三夜の栗名月にしようか。今年も栗は豊作。」

  泪にさす月まで豊の光して
皮むく栗を焚て味ふ夕市

午後雨が降ったがすぐに止んだ。俳諧の方はみんな乗って来たのかまだまだ続きそうで、ここに泊まることにした。

0 件のコメント:

コメントを投稿