クラークさんの哲学がロボット哲学だというのは、ハイデッガー的な日常性・平均性の中に、実際に生きて生活している人の様々な痛みというのがどこにもないからだ。環境世界(Umwelt)との関わりは少なからず痛みを伴う。それがないのはロボットだ。
人権思想もまた、生きてゆく上で避けて通ることのできない心の痛みを、あってはならないものとして、痛みのない世界を作ろうとしている。それが人間と言えるのか。
救命ボートに定員があって全員が乗れないとわかった時、何を差し置いても自分が助かりたいのは人情だ。これにたいして全員が助かる権利があるというのが人権思想だ。
人権思想は全員が助かれる状態の時には機能する。
今の世界では金持ちがちょっと我慢をすればみんな幸せになれるのではないかと思うかもしれない。だがそれによって効率が優先されなくなり、生産性を下げてしまえば、地球の定員がそれだけ減ってしまう。飢餓と粛清の嵐がやってくる。
誰もが生きたいし幸せになりたいというその人情は当然のことだ。ただ、状況に応じた限界は認識すべきだ。独裁による杓子定規な人権の制限ではなく、個々の生存の取引にゆだねた方が、柔軟な対応ができて、結果的に多くの人が満足できる社会が作れる。
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