このまえ「クラーク『現れる存在』寸評」を鈴呂屋書庫にアップした。
社会も言語も自然生態系も基本的には個々の単純な行為の積み重ねで作られている。
人権をイデオロギーの戦いにしてはならない。人権は社会を成り立たせる最も基本的な「生存の取引」としての、個別の戦いにゆだねなくてはならない。
社会というのはどんな複雑なものであっても基本的に個々の生存の取引の積み重ねだからだ。
人権が思想となり、原理原則で身動きが取れなくなれば、社会は崩壊し必ず虐殺が起る。
すべては単純なものの積み重ねでできているというのは、たとえば一つ一つは単純な動きしかしないニューロンが、膨大な数集まれば大変な仕事をするようなものだ。
言葉も基本的には他人の発話の記憶と自分自身の記憶とを結びつけて新たな発話をするという、その単純なくり返しにすぎない。いわゆる公共の言語なるものは存在しない。
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