『竹取物語』は純然たるフィクションとは言え、モチーフの一部の中には当時の人の関心ごととかが反映されてたりするのは、ラブ・クラフトの『インスマウスの影』が少なからず侵略の歴史の記憶がアレンジされてるのと似た様なものだろう。
夢というのは外界の刺激が微妙に反映されるもので、弾丸の雨の降る中を逃げ回る夢を見て目が覚めたら雨が雨戸をバラバラ打ち付ける音がしていたとか、それに似ている。
斬られたる夢はまことか蚤の跡 其角
のようなものだ。
だから『竹取物語』は斬られた夢であっても、そこに蚤の跡を見いだすことはできる。
そもそもかぐや姫の登場は西施のような中国が他国を弱体化させるのに美女を送るという漢籍によって知った事件が反映され、日本の朝廷の貴族たちもたちまちかぐや姫にメロメロになって政治のことも放ったらかして注文の品物の工面に精を出す。あたかも竹取の翁は中国の工作員で、かぐや姫を使って日本の弱体化を図ったかのようだ。
そのかぐや姫も月へと帰って行く。そしてそのあと届くのが不老不死の仙薬だった。
中国の高級官僚もまた、怪しげな不老不死の仙薬で却って命を縮める者が多かった。大抵はヒ素が用いられていて、運が良ければ臨死体験をして神仙郷が拝めたに違いない。それが日本に入ってくるというのは一大事だし、実際に奈良時代に入って来ていたと思われる。
そんな記憶があるから、最後はその仙薬を富士山で燃やすことになる。それは永遠の命なんて欲しくないという日本人のいかにも日本人らしい宣言だった。それはイワナガヒメを捨ててコノハナサクヤヒメを選んだ日本の神話にも繋がる。
美女に関しても、日本人は絶世の美女にそんなに高い関心を持っていない。美人よりも可愛い女を好むし、その可愛さも人それぞれのヘキに応じて多様化している。少なくとも日本ではミス日本のことがほとんど話題にはならない。その国のミスを知らないというのは世界でも珍しい部類に入ると思う。
永遠の命と同様、絶世の美女など欲しくないというのもいかにも日本人らしいし、この二つがある限り日本は中国に負けることはないだろう。
秋天の不二や仙薬要らぬ国