2024年8月27日火曜日

  ジョン・レノンが「イマジン」という曲をリリースしたのは1971年のことで、既に半世紀以上前のこととなる。

 あの頃は国境のない世界というのはイマジネーションの中の世界のもので、そこに戦争も争いごともない平和な世界を夢見ていた。

 だが半世紀たった今、実際には国境は無くなってないものの、世界中の人権団体が様々な形でその世界を実現しようとしてきた結果、様々な困難な現実も見えてきた。

 そもそも国境がないということは、軍隊が自由にどこの国にでも行けるということになる。実際ロシアはウクライナを侵略したし、返り討ちに合ってひどい目にあってるもののハマスもイスラエルに侵攻した。

 そして、国際世論は決して一致団結して侵略にノーということはなく、それぞれの立場から意見はバラバラに分かれていった。

 国境を自由に越えられるのは軍隊ばかりではない。犯罪者もまた同じだ。移民や難民を装った不法入国者が世界の治安に恐怖を与えている。

 国境がないということは法律もまた国境を越えてくる。イスラム原理主義者は居住する国の法律に従うこともなく、イスラム法に従う。

 明文化された法律だけでなく、様々な国の慣習法も国境を越えて、一つの地域に複数の法律が併存する状態になった。これでは何が犯罪なのか人によって解釈が異なり、事実上の無法状態に陥ってる。

 喩えて言えば、車が右を走ったっていいじゃないか、俺の国ではそうなんだ、ってことで道路が無秩序になるようなもので、別にそのせいというわけではないけど、最近は逆走する車が多い。

 ひとたび無法状態に陥ると、暴力が社会を支配する。

 昔は任侠と呼ばれるような人たちがいて、非力なものはそれに頼って生活していたが、いまは人権団体が任侠の代りになっている。彼らも国の法律を尊重せずに、独自の価値観で暴力的な実力行使を繰り返して、社会に恐怖を与えているが、同時に弱者はそれに頼って生活している。

 パリオリンピックでもジョン・レノンの「イマジン」が流れていたが、国境のない世界の現実はもうかなり具体的にイメージできるようになっている。そこは結局秩序の破壊され、暴力が支配する世界なのは明らかだ。国が暴力を抑えてくれないなら、誰がその暴力を抑えるというのか。


 Imagine there's no countries

 殺人は野放しで取り締まる理由もないし

 死んでも宗教的な救済もない

 Imagine all the people

 混沌の中に生きてることを


 ハリスがアメリカの大統領になることで、この世界は完成に近づいてゆくことだろう。