2024年5月16日木曜日

  二上貴夫先生は俳句の五つの型ということを言っているので、それを解説しておこう。

第一型 〇〇〇〇や+七五の型
 この形で句を作ろうとする時には、「や」の所を「に」「は」「が」「で」などの他の格助詞に置き換えて、それに続く文章を考えればいい。

例1 古池に蛙が飛び込む水の音がする
 こういうふに作ってから上五の格助詞を「や」に置き換えて、末尾や途中の助詞を省略すれば第一形になる。
完成例 古池や蛙飛び込む水の音 芭蕉

例2 名月の畳の上には松の影が映る
 同じように「の」を「や」に変えて、「は」と「が映る」を省略する。
完成例 名月や畳の上に松の影 其角

例3 種芋を花の盛りに売り歩く
 この場合はそのまま「を」を「や」に変えるだけでいい。
完成例 種芋や花の盛りに売り歩く 芭蕉

例4 花の雲は理屈なしに面白い
 この場合は「花の雲や理屈はなしに面白き」でも句になるが、倒置で「面白し」を上五に持って来て「面白や」にすることができる。
完成例 面白や理屈はなしに花の雲 越人

例5 夏草は昔のつわものどもの夢の跡のようだ
 「夏草や」にして「昔の」「のようだ」を省略する。
完成例 夏草やつわものどもの夢の跡

歴史
 切れ字の「や」は本来文末に来る疑問・反語の「や」を倒置法で前に持って来て、係助詞として用いた所に起源がある。
 「月はあらぬや」→「月やあらぬ」
 「春は昔の春ならぬや」→「春や昔の春なぬ」
 和歌では末尾を省略して体言止めで用いられることもあった。
 「うち出る浪は春のはつ花ならんや」→「うち出る浪や春のはつ花」
 特にこの「やーらん」の形は中世の連歌で多用された。
 「や」は疑問と反語の両義に取れる言葉で、その両義性から真偽のつかないものを主観的に疑いつつ肯定するという「治定」の意味で、発句にも多用されるようになった。
 もともと係助詞であるため、強調したい言葉の後に「や」を持ってくるのが基本になる。
 「古池に蛙が飛び込む水の音がする」の場合、蛙を強調したい時は、

 古池の蛙や飛び込む水の音

 飛び込むを強調したい時は、

 古池に蛙飛び込むや水の音

 水を強調したい時は、

 古池に蛙飛び込む水や音

 音を強調したい時は、

 古池に蛙飛び込む水の音や

と自在に移動させることができる。
 江戸後期になると、係助詞的な用法から独立して、詠嘆の用法が生じてくる。

 菜の花や月は東に日は西に 蕪村

 この用法の「や」は他の助詞に置き換えられないのでわかる。今日の関西方言の「や」もこの用法と言えよう。


第二型 上五+〇〇〇〇〇〇や+下五の型
 「や」という切れ字を使うと上五が強調されることになるが、これは中七を強調する型になる。
 これはたとえば、「古池や蛙飛び込む水の音」を「古池に蛙飛び込むや水の音」のような形で変換することもできるが、この用例はほとんどない。
 ほとんどは元の文章の上五の部分を末尾に持ってくる倒置形のものになる。
 たとえば「水の音」を強調しようとすると、「古池に蛙飛び込む水の音や」となっておさまりが悪いというので、「蛙飛ぶ水音聞くや古き池」と倒置させて用いる。


例1 衣更えで越後屋に衣さく音がするや
 倒置にして「越後屋に衣さく音がするや、衣更え」として、「がする」を省略する。
完成例 越後屋に衣さく音や衣更え 其角

例2 軒の栗の花は世の人の見付けぬ花や
 倒置にして「軒の栗の花」を末尾に持って行き、「花」が重複するので省略する。
完成例 世の人の見付けぬ花や栗の花 芭蕉

 こうした倒置型の場合は「や」に限らず、「か」「かな」「けり」「なり」「たり」「よ」「し(形容詞の終止形)」「む(ん)」「よ(命令の)」などの終止言となる切れ字は大体使えるので、応用範囲が大きい。

例3 最上川は五月雨を集めて早し
完成例 五月雨を集めて早し最上川 芭蕉

例4 初鰹は鎌倉を生きて出けむ
完成例 鎌倉を生きて出けむ初鰹 芭蕉

例5 柿食えば法隆寺の鐘が鳴るなり
 この場合は途中の「法隆寺」を倒置で上五に持ってくる。
完成例 柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺 子規


第三型 下五を「かな」で止める型
 これは倒置を含まず、上から下へすらすらと読み下せる場合と、倒置によって強調したいものを末尾に持ってくる場合がある。

例1 木の下では汁も鱠も桜になるのだろうか
 これは前者の例で、「なるのだろうか」は主観的な肯定で、治定の「かな」で止まる。そのほか不要な言葉を省いて行く。
完成例 木の下に汁も鱠も桜かな 芭蕉

 (「かな」は関西方言の「がな」の形で今も名残を留めている。標準語の「かな」は完全に疑問の言葉で、語尾を上げて用いているが、かつては治定の言葉で、語尾を上げずに用いてたと思われる。)

例2 枯野ではカマキリは尋常に死ぬ
 「尋常に死す」は今日だと「普通に死ぬ」に近い。動詞「死ぬ」を連体形にすることで、「枯野」を後ろに持って来て、「かな」で止める。
完成例 かまきりの尋常に死ぬ枯野かな 其角

(ただし、古語の「死ぬ」は本来ナ行変格活用で連体形は「死ぬる」だったが、江戸時代の俗語では今日のように「死ぬ」で連体形になってたと思われる。)

下五に季語が来ない例としては、

例3 蔦植えて竹四五本のあらし哉 芭蕉
例4 しのぶさへ枯れて餅かふやどり哉 芭蕉

などの例がある。

 「かな」は「か」に通うということで、

 木枯らしに二日の月の吹き散るか 荷兮
 木枯らしに浅間の煙吹き散るか 虚子

の例もある。


第四型 上五に季語を持って来て、末尾を「けり」で止める型。
 この句形は芭蕉の時代には稀で、近代俳句に多い。芭蕉の時代の「けり」は中七に用いて第二型で用いることが多い。「道の辺の槿は馬に食れけり 芭蕉」の句は有名だが、上五に季語を用いず、倒置も省略もなく、第三型で「かな」の代りに「けり」を用いたような句形になっている。

例1 明け方のホトトギスが鳴く頃、吉原では暁傘を買わせて追い出そうとする
 かなり思い切った省略と倒置によって、「ホトトギス」「暁傘を買わせ」だけを残して「けり」で結ぶ。
完成例 時鳥暁傘を買せけり 其角

例2 赤とんぼが飛ぶ筑波の空に雲もなかりけり
 これも思い切った省略による句。
完成例 赤とんぼ筑波に雲もなかりけり 子規


第五型 体言止めの上五に季語を入れる。
 第四型に似ているが、「けり」に拘束されないのが異なる。この形は芭蕉の時代にも見られるが、上五の体言止めは格助詞の省略で説明できるものが多い。

例1 初真桑を四つに割らんや輪に切らんや
 「初真桑を」の「を」を省略して、「や」を倒置で「四つにや」とする。
完成例 初真桑四つにや割らん輪に切らん 芭蕉

例2 カキツバタは畳へ水はこぼれても
 「こぼれても」の後に何が省略してるかは不明だが、これは其角の得意とするパターンで、特に何とは限定せずに、状況に応じて読者の頭の中でピタッと当てはまる場面があることを期待しての句だ。「あれ聞けと時雨来る夜の鐘の声 其角」の「あれ」が特に何とは言ってないのと同じ。格助詞「は」の省略。
完成例 かきつばた畳へ水はこぼれても 其角


 今日紹介した五つの型は自分もちゃんと使ってる。

第一型
 蝋梅や閉じた月日の溶け始め

第二型
 尺八は浄土の風や実朝忌

第三型
 百円でエコバッグ濡らすレタスかな

第四型
 八重桜散るというより埋もれけり

第五型
 蜃気楼知らぬ工場知らぬ塔


 俳句の添削の弊害と言うのは、例えば芭蕉の古池の句でも、直そうと思えばいろんな形が作れることだ。

 「や」の位置を変えるだけで、
 古池や蛙飛び込む水の音
 古池に蛙飛び込むや水の音
 古池に蛙飛び込む水や音
 古池に蛙飛び込む水の音や

 「や」を「哉」に変換をすると、

 古池に蛙飛び込む水音(みおと)哉

とできなくもない。
 倒置にすれば、

 水音や蛙飛び込む古き池
 水音は古池に飛ぶ蛙哉
 古池に飛び込む蛙水の音
 古池に水音蛙飛び込みぬ

などいくらでも直せる。
 実際、貞享三年刊西吟撰『庵桜』では、

 古池や蛙飛ンだる水の音 桃青

の形で掲載された。
 どんな句でも直そうと思えばいくらでも直せるんで、ある程度芯のある作者なら、どの形がベストか自分で判断するが、初心の者はそれがわからないから、師匠の言うなりになってしまい、これを句を作る度にやられると、大抵は心を折られてゆく。


 発句には「切れ」が必要だということから「切れ字」というのがあるわけだが、この「切れ」についても混乱した議論が多い。
 簡単に言えば、一句として独立した趣向を立てているかどうかで、文法とは何の関係もない。切れを文法で説明しようとしてる人が昔から多いが、どうやっても無理がある。
 今日上げた「例」はすべて独立した趣向となってることに注意。

 例えば藤原定家の有名な歌の上句、

 見渡せば花も紅葉もなかりけり

 「けり」と言う切れ字が入っているが、これでは発句にはならない。花も紅葉もないというだけで、だから何なんだという句にしかならない。

 明石潟花も紅葉もなかりけり

なら発句になる。
 実際にも、

 西行庵花も桜もなかりけり 子規

の句がある。

逆に、

 古池の蛙び込む水音に

は趣向としては「古池や蛙飛び込む水の音 芭蕉」と一緒だが、これも発句にはならない。
 最後の「に」の後に何か続く感じがして、一句として独立してないからだ。

 切れ字は本来句の独立性を出すための便利な道具であって、これを使ったから発句になるわけでもなければ、これがないから発句にならないわけでもない。
 中世の連歌書にも切れ字があっても切れない例、切れ字がなくても切れる例が紹介されている。

 切れ字の使い方は文法的に合理的に説明できないため、長いこと連歌師や俳諧師の口伝とされてきた。おそらく明治の旧派までは受け継がれてきたのだろう。
 正岡子規はそれを受け継いでいなかったし、ただ切れ字は終止言とだけ言って、それ以上の議論を禁じたため、近代俳句は切れてなくてもOKということになった。

2024年5月3日金曜日

  Kindle ダイレクト・パブリッシングの方の『源氏物語』は販売を停止してます。

 今カクヨムの方で『女房語り、超訳源氏物語』を掲載してまするが、これは登場人物に勝手に名前を付けて分かり易くしていて、名前を付けてない修正版を『鈴呂屋書庫』の方にアップしてます。

2024年4月5日金曜日

 

 この頃は俳句よりも源氏物語の方がメインになってしまっている。
 源氏物語の胡蝶巻を鈴呂屋書庫にアップしたのでよろしく。
 また、カクヨムの方でもこれまでの現代語訳源氏物語に分かり易いように登場人物に名前を付けてみたり、女房語りの雰囲気を出すために若干のフィクションを加えて見たりしている。

 源氏物語は最古のラブコメで、ハーレム展開だけでなく、曇らせ展開の元祖でもあるのではないのか。

 今年は染井吉野の咲くのが遅く、雨が多いので花見にもなかなか行けない。その中で四月二日には午前中秦野市蓑毛の淡墨桜を見に行って、午後は松田町寄(やどりき)の萱沼の枝垂桜を見に行った。途中、弘法山にも寄った。写真は淡墨桜。
 三日は一日雨だったが車で松田町のチェックメイト・カントリークラブという松田山の上にあるゴルフ場へ上る道を車で走ってみた。ここも桜並木が続いて花のトンネルのようになっている。
 四日は秦野の桜道とカルチャーパーク、水無川沿いを散歩した。染井吉野は五分咲き程度で、曇ってて途中雨も少し降った。
 今日も一日雨でどこへも行ってない。
 まあ、今年も染井吉野以外の桜はたくさん見た。
 土肥桜、熱海桜、河津桜、おかめ桜、玉縄桜、春めき桜。桜も多様性の時代だ。

 山を越え土肥か熱海か早桜
 島の浮く熱海穏やか早桜
 プレートは知らない家族花の幹
 桜咲く廃工場の追憶に

 桜以外の花もたくさん見た。

 柴犬のわけ入る土手よ水仙花
 蝋梅や閉じた月日の溶け始め
 蝋梅や琥珀は虫の眠れるを
 梅一輪一番星を見たような
 漆黒の中の光や雨の梅
 富士の白雲の白きや梅の白
 十郎やなべてこの世の花の兄
 太陽のたわわな枝やミモザの日
 金鉱か杉こもれ日のミツマタは

 俳句は俳句をやってる人にしかわからないっていう人がいるが、俳句をやってる人にしかわからない俳句は、所詮駄目な俳句だと思う。
 要するに、一般人に分らないような独りよがりの俳句しか作れない人の言い訳で、仲間内だけで固まって、互いに評価し合って、互いに句集を只配りし合って、そんなんで満足してるような俳人は、所詮仲間内でしかわからない俳句しか作れない。
 そういう閉鎖性を打ち破らないことには俳句に未来はない。
 そういうわけで、秦野市俳句協会のホームページの方もよろしく。

2024年3月20日水曜日

 

 また長いこと休んでしまった。
 一昨日は蓑毛のミツマタの群生地を見に行った。
 春めき桜も、しばらく寒い日が続いて遅くなったがようやく見頃になっている。
 現代語訳源氏物語の玉鬘巻を鈴呂屋書庫にアップしたのでよろしく。
 あと秦野市俳句協会のホームページも順次更新し、山麓427号のPDFもアップしてるのでよろしく。



2024年2月29日木曜日

  芭蕉さんの「句調はずんば舌頭に千囀(せんてん)せよ」という言葉は『去来抄』「同門評」の句の語順の問題を論じた文脈で登場する。
 ともすると「読書百遍意おのづから通ず」的な精神論にもなりがちだが、全く未知の言語ならいざしらず、辞書や文法知識や様々な情報があれば百回読まなくても、労力を節約することができる。
 近代の人だと、百囀なんて言われると、早口で何度も唱えて澱みなく発音できれば良いようなイメージがあるかもしれないが、むしろ句をできる限りゆっくり発声した方が良い。
 そして目の前で聞いてる人を想像すると良い。
上五を読んで、間を作って次に何が来るか期待させて、果たして聞いてる人は次に

 何を期待するか。
 次の中七で期待通りに盛り上がるか。
 最後の下五できちんと落ちが決まるか。

 それくらい計算しないといけないということで、無駄に百回唱えたところで何の意味もない。
 たとえば、

 うらやまし思い切るとき猫の恋 越人

の句も、元は「思い切るときうらやまし」で、これでは「ひがみたる」ということで直したという。
 意味的には、猫の恋(は)思い切る時うらやまし、だから

 猫の恋思い切る時うらやまし

 でも良さそうだし、口の中で何度も呟いても問題はなさそうだが、前に人がいて、ゆっくりと読み上げて聞かせることを想像してみると良い。尻つぼみな感じは否めないだろう。
 この句は、

 うらやまし
 えっ、何が羨ましいんや?

 思い切る時
 思い切るいうたら苦しいもんやろ、何でうらやましいんや?

 猫の恋
 あ、なるほど

と、この聞かせ方が大事。
 越人も流石に落ちを最初に言うなんてことはなかったが、あと一歩だった。
 「句調(ととの)はずんば舌頭に千囀せよ」というのはこういうこと。
 「調う」という言葉のこの使い方は、ねずっちの謎かけの「ととのいました」という時と同じ用法と考えても良い。

 猫の恋思い切る時うらやまし

は調ってない。
 こういう語順の整え方は其角さん(晋子)も上手い。

 切られたる夢は誠か蚤の跡 其角

 切られたる
 えっ、そりゃ大変やな

 夢
 何だ夢か

 はまことか
 えっ、ほんまに切られたん?

 蚤の跡
 あ、なるほど

 実際は百回囀(ツイット)しなくても、無詠唱でできればそれに越したことはない。
 「千囀(せんてん)」はしばしば「千転」と表記され、千回口の中で転がすことだと説明されることもある。確かに早稲田大学所蔵の文政期の写本には口篇はなくて、転になっているが、千回転がすでは意味が通らないので千回囀(さえず)るの間違いだろう。杜牧の詩に「夏鶯千囀弄薔薇」の用例がある。
 囀るという言葉は源氏物語玉鬘巻でも、大夫の監の言葉が訛りがひどくて意味がわからない様子を表すのにも用いられていて、鳥の囀りは無駄に長々と訴えることを揶揄するときにも用いられるが、囀りは本来繁殖期の求婚の声だからその意味でも玉鬘巻の用法は適切だ。囀りは相手に聞かせるもので、呟きではない。
 英語のツイットは辞書を見ると、なじる、あざける、しつこい批評または文句で困らせる、とか何かろくな意味はないが、実際ツイッターの実態を見るとなるほどと思う。Xになってだいぶ良くなった。ツイッターがXになった時に詠んだ句をもう一度。

 囀るなお前はもはや鳥じゃない

 それでは「雑談集」の続き。

 「山川といふ通称七年に及びぬれどもいまだ顔だに見合せぬに、志し他なく予が一癖をうつしければ尋常の反古も捨ず、はしりがき物しけり。彼花つみといふ集はやとひて清書なさしむ。又仮初に思いよりし句ともいかがなど問ひかはせば、古詩古歌の縁に叶へるも筆まめに引出ける。其力を強ひ此集にはげめかしといへば、勤めて閑かならず。それかやとより、我宿迄も心遥かにこそと折ふしの文緒は絶えずかしこといへる。同じく志シあり。

 凩よいつたたけども君が門     山川
   火燵へぐすと起臥の楽     角
 傘をかりて返さぬ雪はれて     渓石
   在所も近く薺うつなり     山川
 傀儡の肩にかけたるおぼろ月    かしこ
   馬にのせては狐うららく    仝

 鏡を形見といへる重高の歌にや。装束つくろひて鏡の間にむかへるに、

 親に似ぬ姿ながらもこてふ哉  実生 沾蓬」(雑談集)

 山川は寺村山川(てらむらさんせん)で、コトバンクの「デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「寺村山川」の解説」に、

 「?-? 江戸時代前期の武士,俳人。
  伊勢(いせ)津藩士。榎本其角(きかく)(1661-1707)の門人。通称は弥右衛門。」

とある。七年来の弟子というから、天和の終わり頃からの弟子なのだろう。天和三年刊其角編の『虚栗』にその名はなく、貞享四年刊其角編の『続虚栗』には、

 草まくら薺うつ人時とはん     山川
 子の泣てしばし音やむ砧哉     同

の句が見られる。他に嵐雪編元禄三年刊『其袋』、其角編元禄三年刊『いつを昔』、路通編元禄四年刊『俳諧勧進牒』などにもコンスタントに入集している。
 其角の弟子として活躍していながら、「いまだ顔だに見合せぬ」という状態だったようだ。直接教えを受けなくても、其角の書いたものを何一つおろそかにせずに勉強したようだ。
 それが認められて、其角編元禄三年刊『華摘』の清書を務めることとなった。
 ここに記された表六句は特に『華摘』にあるものではない。
 発句。

 凩よいつたたけども君が門     山川

 君が門は其角門のことであろう。会いに行こうとするといつも留守で、なかなか会えなかったということだろうか。会いに行っても凩だけが吹いている。
 脇。

    凩よいつたたけども君が門
 火燵へぐすと起臥の楽       其角

 「ぐすと」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「ぐすと」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘副〙 いいぐあいにすっかりはいったり、また、円滑に抜け離れたりするさまを表わす語。すっぽり。するり。
  ※名語記(1275)五「かしらや、又、さしいでたる物を、くすとひきいるなどいへる、くす如何」
  ※咄本・鹿の子餠(1772)比丘尼「菖蒲革染をぐすとぬぎかへ、ぬっと二階へあがり」

とある。発句を家の中にいて木枯らしが戸を叩くという意味に取って、寒い日は火燵に出たり入ったりと一人気楽に過ごす。

 応々といへどたたくや雪のかど   去来

の句はもう少し後になる。去来の句は戸を叩く音がしても生返事するだけで出て行かないという「あるある」だが、ここでは起臥とあるから、木枯らしの戸を叩く音に、一応起き上がって確かめには行くのだろう。
 留守中に来たという知らせを聞いて、会えなくて残念だったという気持ちも暗に込められているのだろう。戸を叩いたなと思ったらもういなかった、という意味で。
 第三。

   火燵へぐすと起臥の楽
 傘をかりて返さぬ雪はれて     渓石

 第三は発句を離れて大きく展開する。傘は「からかさ」。旅の時に被る「笠」ではなく、柄のある傘を区別してそう呼んだ。
 雪が降ったので傘を借りて帰り、そのままだった傘を、雪が晴れたので返しに行く。
 四句目。

   傘をかりて返さぬ雪はれて
 在所も近く薺うつなり       山川

 再び山川の句となる。場面を田舎に転じ、雪の晴を正月の七草の頃とする。
 「精選版 日本国語大辞典 「薺打つ」の意味・読み・例文・類語」に、

 「陰暦正月七日の前夜から早朝にかけて、摘んできた春の七草を刻む。《季・新年》
  ※俳諧・青蘿発句集(1797)春「薺うつ遠音に引や山かづら」

とあり、七草叩きともいう。ナズナを刻む時にそのリズムに合わせて七草歌を歌うが、拍子が各々自分の叩く拍子なため、合ってなかったりする。

 君がため春の野に出でて若菜摘む
    我が衣手に雪は降りつつ
               光孝天皇(古今集)

の歌の縁で雪と薺は付け合い。
 五句目。

   在所も近く薺うつなり
 傀儡の肩にかけたるおぼろ月    かしこ

 傀儡はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「傀儡」の意味・読み・例文・類語」に、

 「① 人形の一種。歌などに合わせて踊らせるあやつり人形。かいらい。〔新訳華厳経音義私記(794)〕
  ② 「くぐつまわし(傀儡回)」の略。〔色葉字類抄(1177‐81)〕
  ③ (くぐつまわしの女たちが今様などを歌い、売春もしたところから) 舞妓や遊女。あそびめ。くぐつめ。てくぐつ。
  ※殿暦‐長治元年(1104)七月七日「今日不二出行一、密々にくくつにうたうたはす」
  [語誌]→「くぐつ(裹)」の語誌」

とある。正月にはこうした芸人も回って来たりしてたのだろう。
 六句目。

   傀儡の肩にかけたるおぼろ月
 馬にのせては狐うららく      かしこ

 「かしこ」は合略仮名で表記されている。其角・嵐雪などの集に見られる名だ。二句続く。
 「うららく」は麗(うらら)の動詞化であろう。春の季語になる。狐は近代では冬の季語だが、この時代は無季。馬と狐は稲荷様(お狐様)の初午で縁がある。初午は旧暦二月の最初の午の日で、その縁日には傀儡師がやってきて興行したりしたのだろう。

2024年2月24日土曜日

 
 今日は雨も上がり、時折晴間も出たので、四十八瀬川から戸川公園を経て水無川の方まで散歩した。
 戸川公園の河津桜も満開で、梅もまだまだ満開の見頃だった。
 水無川沿いの道はおかめ桜が咲き始めていた。
 丹沢の山は雲がかかってたが、雪が残っていた。

 それでは「雑談集」の続き。

 「正木堂鳥跡はむかし遊女あまた持ちて栄えけり。かかるいとなみあるべきことにもおもはずとて、所を去りけれども、なましひに高尊の席をたたれ、遊人もしひて交りをゆるさずなりにければ、後するがの国にしれる人とひ行きけれども、たのもしからずものしければ、有りつらへる世中をとかくもてあつかへる心にやなりけん。凩の森なるかたはらの池に身を投げ侍るそのほとりに茶酌にたんざくを付けて、

 とめこかし茶酌の雫雪の跡     鳥跡

 今は十とせにも成りぬべし。心をとけたる一句のさまいやしき人果には生まれながら、たふとき道に身をまかせけるも讃仏乗の因なるべし。」(雑談集)

 正木堂鳥跡は遊女屋の主人、いわゆる「轡(くつわ)」だったのだろう。『虚栗』のら其角・千之両吟歌仙「偽レル」の巻十九句目に、

   松ある隣リ羽かひに行
 百千鳥轡が仕着せ綺羅やかに    其角

の句がある。(轡には下級遊女の轡女郎の意味もあるが、ここでは遊女屋の主人が遊女を綺麗に着飾らせるという意味。)
 この轡はネット上の今西一さんの『芸娼妓「解放令」に関する一考察』によると、穢多に準ずるものとして差別され、遊女町以外で家を構えることが禁止されてたという。
 正木堂鳥跡はこうした轡であるとともに俳諧風流の徒でもあった。延宝九年刊言水編『東日記』に、

 更にけふ田毎の月よ段目鑑     鳥跡

の句がある。
 ある時、「かかるいとなみあるべきことにもおもはず」と自らの商売を恥じて、足を洗おうとする。「所を去りけれども」というのは遊郭の外に出るということか。遊郭の外に住むことを禁じられた者が出たらどうなるかという話だ。
 「高尊の席」はよくわからない。出家してお寺に入るとかそういうことか。遊郭で遊んでいた人たちも現役時代には親しくしていた人たちだったのだろうけど、相手にしてくれなかった。
 駿河の知人を頼っても断られ、行くところがなくなって、ついに「池に身を投げ侍る」となった。
 茶杓に短冊を付け、そこに、

 とめこかし茶酌の雫雪の跡     鳥跡

の辞世を記した。
 なぜ茶杓なのか、一つの推測だが、竹細工など賤民の仕事だったことから、住む所もないまま竹を削って茶杓を作って売って、何とか食いつないでたということか。
 冬になると野宿は辛い。雪が降れば凍死する危険が大きい。そこでもはやこれまでと観念したのだろう。雪にあっては我が命も茶杓で掬える僅かな雫のようなもの。それが最後の言葉だった。
 「今は十とせにも成りぬべし」と元禄四年(一六九一年)から十年前の出来事だったようだ。一六八一年は延宝九年のことで、『東日記』の出た年でもある。多分其角の門人というわけでもなく、噂に聞く程度の人だったため、自ら助けてあげるということもなかったのだろう。
 罪深き職業から足を洗おうとしても決して報われることはないこうした厳しい身分社会の不条理に、せめて死後の仏の加護祈るだけだった。「讃仏乗の因」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「讚仏乗」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘名〙 仏語。一切の衆生をことごとく成仏させる一乗真実の教法を賛嘆すること。仏乗を賛嘆すること。
  ※とはずがたり(14C前)三「ありし文どもを返して、ほけきゃうをかきゐたるも、さんふつせうのえんとはおほせられざりしことの」 〔白居易‐香山寺白氏洛中集記〕」

とある。一切の衆生が成仏できるのなら、鳥跡も成仏できたことであろう。

2024年2月23日金曜日

 今日も雨。雪にはならなかった。
 それでは「雑談集」の続き。

 「加州金沢の一笑はことに俳諧にふけりし者也。翁行脚の程お宿申さんとて遠く心ざしをはこびけるに、年有りて重労の床にうち臥しければ、命のきはもおもひとりかたるに、父の十三回にあたりて、歌仙の俳諧を十三巻孝養にとて思ひ立ちけるを、人々とどめて息もさだまらず。
 此願のみちぬべき程には其身いかがあらんなど気づかひけるに、死すとも悔なかるべしとて、五歌仙出来ぬれば、早や筆とるもかなはず成りにけるを、呼(カタイキ)になりても、猶ほやまず、八巻ことなく満足して、たれを我が肌にかけてこそさらに思ひ残せることなしと、悦びの眉重くふさがりて、

 心から雪うつくしや西の雲     一笑

 臨終正念と聞えけり。」

 加州一笑とあえて断らなくてはならないのは、尾張国津島にも一笑がいて、『阿羅野』でも加賀一笑、津島一笑と表記されていて、

 元日や明すましたるかすみ哉    一笑
 いそがしや野分の空に夜這星    同
 火とぼして幾日になりぬ冬椿    同

の三句が加賀一笑の句になる。その他時代は遡るが、芭蕉がまだ伊賀で宗房だった頃の伊賀にも一笑がいる。俳諧というのは本来人を笑わせるものだったから、破顔一笑ということで一笑の号を名乗る人があちこちにいたのかもしれない。
 (なお、底本としている『其角全集』大野洒竹編纂校訂、明治三十一年、博文館は「和州」と書き誤っている。早稲田大学図書館所蔵の『雑談集』を見ると「加」の文字のカの上に点があり、紛らわしい。)
 その一笑は芭蕉の『奥の細道』の旅の前年、元禄元年十二月に亡くなった。ただ、それ以前に、加賀へ来ることがあったら是非我が家に泊っていってくれと芭蕉にも伝えていて、其角もそのことを知っていたようだ。
 芭蕉は象潟で引き返すときに、もっと北へと、津軽や蝦夷も見て見たいという思いを我慢し、失意のまま北陸の海岸線の単調な道を猛暑の中、馬にも乗れずに歩き続け、その時は加賀まで行けば一笑に会えるということを心の支えとしていたのだろう。
 「重労」は早稲田大学図書館所蔵のを見ると「シウロウ」とルビがある。「労」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「労」の意味・読み・例文・類語」に、

 「⑥ =ろう(癆)」

とあり、精選版 日本国語大辞典 「癆」の意味・読み・例文・類語には、

 「① やせ衰えること。また、その病気。
  ② 薬物に中毒すること。薬物にかぶれること。また、その薬物の毒。〔説文解字‐七篇下・疒部〕
  ③ =ろうがい(労咳)〔改正増補和英語林集成(1886)〕」

とある。はっきりとはわからないが、ここでいう重労は重病ということでいいのだろう。
 その一笑はいつ死ぬともわからない状態にあって、父親の十三回忌供養のために、歌仙十三巻を奉納したという。
 十三巻満尾して、臨終の時の句が、

 心から雪うつくしや西の雲     一笑

だった。旧暦十二月の金沢は雪が降り、その美しい雪景色に、雪をもたらす雲もまた西方浄土からやって来るかのように見えたのだろう。

 「翌年の秋、翁も越の白根をはるかにへて丿松が家に其余哀をとぶらひ申されけるよし、

 塚もうごけ我泣く声は秋の風    翁
 常住の蓮もありやあきの風     何處
 我ばかり啼せて秋の石仏      乙州
 月すすきに魂あらば此あたり    牧童
 つれ啼きに我は泣すや蝉のから   雲口」

 そして翌年の七月十五日、芭蕉は倶利伽羅峠を越えて金沢に辿り着く。そこで金沢の大勢の人たちに迎えられて、一笑の死も知らされる。芭蕉も旅の疲れが出るが、曾良も体調を崩して療養が必要になる。
 お盆明けの七月二十日には一泉の家でようやく俳諧興行をして、

 残暑暫手毎にれうれ瓜茄子     芭蕉

の発句を詠むが、これもお盆に備えていた瓜茄子のお下がりを頂きましょうという句であろう。
 七月二十二日に一笑の兄の丿松(べっしょう)のもとに願念寺で追善法要が営まれた。子の語句はその時の追善の句になる。

 塚もうごけ我泣く声は秋の風    芭蕉

 『奥の細道』でも知られた有名な句で、説明も不要であろう。

 常住の蓮もありやあきの風     何處

 何処は大阪の上人でこの時金沢に来ていた。
 「常住」は仏教用語では過去現在未来変わることなく永遠に存在することを言い、無常の反対語になる。常住とはいわば仏であり、仏法でもある。秋風は季節の移ろいの無常を告げるけど、そこには仏様の台座の常住の蓮もあることでしょう、という意味であろう。

 我ばかり啼せて秋の石仏      乙州

 乙州は近江大津の人だが、この時加賀に滞在していた。この句も説明は不要であろう。

 月すすきに魂あらば此あたり    牧童

 牧童は北枝の兄で、北枝の方は曾良が病気で先に帰ったあと、福井まで芭蕉を送っていった。
 薄はその姿から手招きするという意味があり、お盆に返ってきた一笑の魂も、まだこの辺りに留まっているのかな、ということか。月は真如の月の意味もあり、薄に招かれた魂は月の光で成仏する。

 つれ啼きに我は泣すや蝉のから   雲口

 雲口は金沢の人で、この追善法要の翌日には芭蕉を宮ノ越に誘っている。北枝・牧童・小春も同行しているが、曾良はまだ病気が治ってなかったようだ。
 「つれなし」に「啼く」を掛けて、蝉の鳴き声に我も釣られて啼くということか。蝉の抜け殻は、魂が抜けて天に飛び立つという意味で、死を象徴する。
 曾良は病気で追善法要に参加しなかったが、

 玉よそふ墓のかざしや竹の露    曾良

の句を奉納している。竹の露の玉を魂になぞらえて、墓の挿頭とする。神道家だけあって、仏教色がない。