2023年8月26日土曜日

  芥川賞作家でも紙本を批判するとそんなにバッシングを受けるもんなのかな。まあ、俺なら何でも言える立場だし、紙の本を出してないし、どうせそんな話来るわけないからね。
 ここ何年紙の新刊本はほとんど買ってないし、ラノベはkindleで読んでるし、俳諧関係の電子化されてないものは大体古書を買っている。
 第一に紙の無駄。熱帯雨林が泣いている。大量に紙を消費する社会は、今どき時代遅れ。紙と鉄は使えば使うほど文明人なんて60年代くらいには言われてたけど、その頃若者だった爺さんが未だに大きな顔してるんだろうな。
 第二に紙の本は火や水などに弱い。図書館が火事になったり水害になったりしたら貴重な書籍が失われる。電子化しておけば安心。
 第三に紙の本は場所を取る。図書館だって本が溜まりすぎて困っていて困ってるんじゃないかな。時折あまり価値のない本を整理したりしては、得体の知れないプロ市民が騒いでるけど、電子化しておけば保管に場所を取らなくて済む。
 部屋に置いとくんだって紙の本は場所を食う。それに地震が来たら本棚から落ちてきて危ない。そんなに異世界転生したいのかい。
 そして第四に、かの芥川賞作家も指摘した通り、障害者に優しくない。読書のバリアフリーのためにも、特に分厚い学術書など、電子化を義務付けるべきだ。漫画やラノベは今でもスマホでも読めるからいいとして、専門書は例外なく電子化すべきだ。
 あと、匂いがいいとか言ってるきしょい連中は病院で治療した方が良いね。本馬鹿、本フェチは何とか障害とか病名を与えた方が良い。あっ、だと障害者になっちゃうから、バリアフリーの意味でそういう人たちに少量の紙の本を残さなくてはいけないね。
 アヘン中毒を直すに少量のアヘンを与え、徐々に減らしていくというの、日本もかつて台湾や満州なんかでやってたからね。

 それでは「鼻のあなや」の巻の続き。

二裏
三十七句目

   はづいて来たぞ千代の古道
 ふところへつつと押込松のかぜ

 「外す」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「外」の意味・読み・例文・類語」に、

 ① 取りつけたり、掛けたりしてあるものを取り去る。はまっている所から抜き出す。取り除く。また、比喩的に、ある人をその位置から追いやる。〔新撰字鏡(898‐901頃)〕
  ※宇治拾遺(1221頃)一「箭をはづして火とりて見るに」
  ② つかまえそこなう。とりそこなう。機会などをのがす。また、あやまつ。
  ※宇津保(970‐999頃)国譲上「忍びて御許につかうまつらん。それをさへはづさせ給ふな」
  ※日葡辞書(1603‐04)「モウシ fazzusu(ハヅス)」
  ③ ねらいをそらす。矢などを射て、的(まと)と違う方向にそらす。
  ※宇治拾遺(1221頃)七「三人ながら召されぬ。試みあるに、大かた一度もはづさず」
  ④ 衣服などを身から離す。脱ぐ。「えり巻きをはずす」
  ※虎寛本狂言・茶壺(室町末‐近世初)「一方の肩をはづいてふせって居ましたれば」
  ⑤ その場から離れる。席を去る。避ける。よける。また、相手の攻撃、思惑などをかわす。「席をはずす」
  ※玉塵抄(1563)一五「坊主の曾子が弟子をひきつれてその難をはついたぞ」
  ⑥ 品物などをかすめとる。ちょろまかす。
  ※浮世草子・日本永代蔵(1688)二「豊嶋筵(てしまむしろ)をはづし、はじめて盗心になって行に」
  ⑦ 思わず屁(へ)や尿(にょう)をもらす。失禁する。
  ※咄本・軽口腹太鼓(1752)二「椽先で屁をひとつはづした折ふし」
  ⑧ 遊女が、商売気を離れて心から客と情事にふける。とっぱずす。
  ⑨ 琵琶の左手の使い方の一つ。左手のある指で柱を押え、右手の撥(ばち)で弦をかき鳴らしてから、左手の指を柱から離す。
  ⑩ 能・狂言などのうたい方の一つ。曲の拍子や調子を変えたり、わざと型にはまらない節でうたう。また、本来の調子からずれて音を出す。〔わらんべ草(1660)〕
  ⑪ 将棋で、ハンデを付けるために、上位者が駒の一部を取り除く。
  ※咄本・軽口あられ酒(1705)五「将棋は何と。そうけいに片香車はづし候」

とある、先ほどは⑤の意味だったが、ここでは⑥の意味になる。いまだと「パクってきたぞ」といったところか。昔は懐に金などを入れていた。「千代の古道」に「松のかぜ」が付く。
 点あり。

三十八句目

   ふところへつつと押込松のかぜ
 かたみのあふぎこなたはわすれず

 懐から盗むのではなく懐へ形見の扇を差し入れるとする。
 形見の扇というと謡曲『班女』だろうか。

 「それにつき過ぎにし春吉田の何某殿、東へ御下りの時、わらはが方へお宿を召され、かの花子 にお酌を取らせ候が、何と申したる御事やらん、何某殿の扇と、花子が扇と取り替へて御下り候が、それより花子うつつなくなり、その扇にばかり眺め入り、扇さばくりのみをいたすに依り、皆人 花子がことを、班女と御呼び候。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.1791). Yamatouta e books. Kindle 版. )

のこの「扇さばくり」のことであろう。
 前句の「松のかぜ」を受けるなら謡曲『松風』になるが、松風が形見に貰ったのは、

 「この程の形見とて御立烏帽子狩衣を、残し置き給へども、これを見る度に、いや増しの思ひぐさ・葉末に結ぶ露の間も、忘らればこそあぢきなや。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.1563). Yamatouta e books. Kindle 版.)

とあるように烏帽子と狩衣だった。
 『松風』を意識しながら懐に入るものということで班女の扇を思い浮かべたのだろう。
 長点で「行平のゑみがほ思やられ候」とある。

三十九句目

   かたみのあふぎこなたはわすれず
 君すまば朝鮮国のはてまでも

 唐突に朝鮮国が出てきた感じがするが、豊臣秀吉の『三国地図扇』のことだろうか。
 点なし。

四十句目

   君すまば朝鮮国のはてまでも
 その鬼しやぐはんゆるせかよひぢ

 鬼しやぐはんは『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)によると、鬼舎官で加藤清正のことだという。
 舎官はよくわからないが、鬼の棲む家の官僚ということか。本来は旅館という意味。
 補給を考えずに突進しすぎたもんだから、退路を断たれて大変だったようだ。
 点あり。

四十一句目

   その鬼しやぐはんゆるせかよひぢ
 約束でゆけば極楽はるか也

 極楽へ行きたいけど鬼舎官が邪魔する。清正のことではなく、地獄の鬼の意味で用いる。
 鬼舎官は『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注に「狂言鬼物の常套句」とあるが、具体的な用例は示していない。
 長点だがコメントはない。

四十二句目

   約束でゆけば極楽はるか也
 釈迦はやりてと夕暮の空

 お釈迦さまは遊郭のやり手婆みたいなもんで、極楽へ行けると言いながら、いつになったら連れてってくれるやら。
 点なし

四十三句目

   釈迦はやりてと夕暮の空
 西方は十万貫目一いきに

 西方浄土は十万億の仏土を隔てた所にあるというが、それを十万貫目と金の単位にする。一文銭千枚が一貫だから、一両を四貫とすると、十万貫は二万五千両になる。これだけの大金を払えば西方浄土に行けるのか。お釈迦さまは王子でやり手だからそれくらいの金は持ってたのではないか、ということか。
 長点で「廿あまりに成かへり、此分限にて一いき有度候」とある。

四十四句目

   西方は十万貫目一いきに
 入くる入くるおらんだ船が

 前句の西方をオランダとして、オランダ貿易の船は十万貫もの大取引のためにやって来るとする。
 点あり。

四十五句目

   入くる入くるおらんだ船が
 早飛脚武州をさして時津風

 時津風はタイミングよく吹く追風で、オランダ船が思ってより早く来たので、その知らせを持って早飛脚が江戸城を目指して走る。
 もっとも一人で走るのではなく、リレー形式ではあるが。
 点あり。

四十六句目

   早飛脚武州をさして時津風
 御譜代家とてひかる月の夜

 早飛脚はリレー形式で、交替で夜も走る。東海道を三日で走ったと言われている。約五百キロの道のりを七十二時間で走ったとしたら、時速七キロだから、それほど全力疾走してたわけでもないのだろう。昔の人は歩くのは得意だったけど、そんなに日頃走るという習慣がなかったから、走るのは一般に苦手だったとも言われている。
 今の駅伝ランナーは時速二十キロで走るから、理論的には二十五時間で走れることになる。
 前句の早飛脚を御譜代家からの飛脚とする。
 点なし。

四十七句目

   御譜代家とてひかる月の夜
 鬢つきも出頭はげに秋のいろ

 出頭はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「出頭」の意味・読み・例文・類語」に、

 「[一] ある場所へ本人が自分で出ること。役所や集まりなどに出向くこと。
  ※実隆公記‐文明七年(1475)正月五日「今日不出頭無事」
  ※浮世草子・国姓爺明朝太平記(1717)一「偽りかざる事を天性と得たるえせものなれば、〈略〉上にも下にも出頭(シュットウ)して、傍輩にもよく押親(おししたしみ)」
  [二] 他よりまさっている状態をいう。出頭一。出頭第一。
  ① 頭を出すこと。他にぬきんでていること。抜群。
  ※狂雲集(15C後)行脚「一箇出二頭天外一看、須彌百億草鞋埃」 〔魏志‐呂布伝・注〕
  ② 立身出世すること。また、その人。
  ※塩山和泥合水集(1386)「尊貴を帯せず出頭を存せずして或は辞し去って跡を深山にかくし」
  ※仮名草子・浮世物語(1665頃)一「主君の気に入りて、知行を取り、しゅっとうしける程に」
  ③ 要路にあって政務に当たること。主君の傍にあって、政務やさまざまな要務にあずかる役職。また、その人。
  ※甲陽軍鑑(17C初)品一一「叔父や従弟などの出頭を笠にきて」
  ④ 主君から特別の寵愛を受けていること。また、その人。
  ※浮世草子・武家義理物語(1688)四「御寐間ちかふめされ出頭(シュットウ)時を得て。人もうらやむ仕合(しあはせ)なるに」

とある。前句の御譜代家から③や④の人物とするが、鬢付が禿げていることで月夜に頭を手からしていて、これが本当の月代。
 点あり。

四十八句目

   鬢つきも出頭はげに秋のいろ
 露のしのはらたてふとふせうと

 前句の「出頭」を篠原の笹の上に頭が出て、ということにしたか。立てば月が出たみたいに見え、伏せれば篠原の露に濡れて秋の色になる。
 点あり。

四十九句目

   露のしのはらたてふとふせうと
 鑓持は花の安宅の関越て

 謡曲『安宅』では義経や弁慶の一団が山伏に扮して安宅の関を越えようとするが、ここではそれと関係なく、武装した一団が安宅関を通過したのであろう。
 先頭を行く槍持ちは文字通りの意味での「露払い」で、篠原の露を打ち払って後から来る主人が濡れないようにする。
 背の高い篠原の笹は立っては上の方を払い、かがんでは下の方の露を払う。
 長点だがコメントはない。

五十句目

   鑓持は花の安宅の関越て
 きのふも三人出がはる小もの

 謡曲『安宅』では義経弁慶の一団が来る前に、

 「太刀持 用のかはなおしやつそ。昨日も山伏を三人斬つてかけて候。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.3104). Yamatouta e books. Kindle 版. )

とある。
 ここでは出替りの物を三人、とする。
 第四百韻の「十いひて」の巻十八句目にも、

   客僧は北陸道に拾二人
 きのふも三度発るもののけ

と安宅関ネタがあった。
 長点だがコメントはない。

2023年8月25日金曜日

  それでは「鼻のあなや」の巻の続き。

二表
二十三句目

   まへ髪ごそり少年の春
 親のあと踏では惜む雪消て

 親の後をついて歩いてた少年は、親の付けた雪の足跡の上をたどることができるが、元服して月代を剃って一人前になると、もはや親の足跡をたどることはできない。まるで雪が消えてしまったみたいだ。
 長点で「いかほどの知行職にも器量之仁」とある。
 知行(ちぎょう)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「知行」の意味・読み・例文・類語」に、

 「① 事務をとること。職務を執行すること。
  ※貞信公記‐抄・天暦二年(948)正月一日「被レ奏二彼院事長者知行之由一」
  ② 平安時代、知行国制によって特定の国を与えられ、国務をとり行なうこと。→知行国。
  ※山槐記‐治承三年(1179)正月六日「同女房衝重廿前〈丹後守経正朝臣、件国内大臣知行〉」
  ③ 古代末・中世、田畑山野などの所領を領有して耕作し収穫をあげるなど、事実的支配を行なうこと。また、その支配している土地。→知行制。
  ※平家(13C前)三「太政入道、源大夫判官季貞をもて、知行し給べき庄園状共あまた遣はす」
 ④ 近世、幕府や藩が家臣に俸祿として土地を支給したこと。また、その土地。領地。采地。→知行取・知行割。
  ※寸鉄録(1606)「大臣は、知行などは過分にとりながら、主人をよそにしてかまはずして」
  ※夜明け前(1932‐35)〈島崎藤村〉第一部「水野筑後は二千石の知行(チギャウ)といふことであるが」
  ⑤ 俸祿や扶持。
  ※浮世草子・傾城色三味線(1701)大坂「野郎にかぎらず、知行(チギャウ)とらぬほどのものは皆あはぬはづ也」
  ⑥ ⇒ちこう(知行)」

とある。④や⑤の貰える職ということか。職人は親の跡をそのまま行けるが、武家の臣下の道は親の跡を追うばかりでなく、自分で道を開かなくてはならない。

二十四句目

   親のあと踏では惜む雪消て
 死一倍をなせ金衣鳥

 「死一倍」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「死一倍」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘名〙 親が死んで遺産を相続したら、元金を倍にして返すという条件の証文を入れて借金すること。また、その借金や証文。江戸時代、借金手形による貸借は法令で禁止されていたが、主として大坂の富豪の道楽むすこなどがひそかに利用した。しいちばい。
  ※俳諧・大坂独吟集(1675)下「死一倍をなせ金衣鳥 耳いたき子共衆あるべく候 呉竹のよこにねる共ねさせまひ〈由平〉」

とある。
 前句を親が亡くなってその跡目を相続した所、当てにしていた財産は雪のように消えたばかりか、借金を倍にして返せということになっている。
 金衣鳥は鶯の別名で、前句の「雪消て」を受け、金の話だから鶯ではなく金衣鳥にする。
 『談林十百韻』の「いざ折て」の巻六十三句目の、

   あらためざるは父の印判
 借金や長柄の橋もつくる也    一朝

の句も死一倍の句と思われる。親の遺産を当てにして借金しまくって遊んでたが、親父の遺書をきちんと把握してなかったので、長柄の橋も尽きてしまった、という意味。
 点ありで「耳いたき子共衆あるべく候」とあり、俳諧に金をつぎ込んでる親を持つ子がいたら、耳の痛い話だ。

二十五句目

   死一倍をなせ金衣鳥
 呉竹のよこにねる共ねさせまひ

 鶯に呉竹は、

 世にふれば言の葉茂き呉竹の
     うきふしごとに鶯ぞなく
             よみ人知らず(古今集)

の歌があり、「死一倍をなせ(借金を返せ)」の声はまさに辛い時に聞く辛い言葉だ。
 「横に寝る」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「横に寝る」の意味・読み・例文・類語」に、

 「① 体を横にして寝る。横臥する。横になる。
  ※俳諧・誹諧独吟集(1666)上「月にのむ茶の子の腹も更る夜に 横にねられぬ老ぞ肌さむ」
  ② 返済、支払、納入などをしないでいる。特に、借りたものを返さないでいる。
  ※浮世草子・懐硯(1687)四「皆済時には横(ヨコ)に寝(ネ)て幾度か水籠に打こまれ」
  ③ 横領する。非道なやり方で取りあげる。ゆすり取る。
  ※浮世草子・諸国武道容気(1717)二「又しては養子をし、難を付て退出し、敷銀をよこにねて」

とある。この場合は②の意味で、踏み倒そうにも許してくれない。
 点あり。

二十六句目

   呉竹のよこにねる共ねさせまひ
 ふるき軒端につよきつつぱり

 「つつぱり」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「突張」の意味・読み・例文・類語」に、

 「① つっぱること。ものを押しあてて支えること。つっかい。
  ※俳諧・桃青門弟独吟廿歌仙(1680)巖翁独吟「長天も地につきにけり庭の雪 氷のはしら風のつっばり」
  ② 物を支えるために立てる棒や柱など。つっかい棒。
  ※日葡辞書(1603‐04)「Tçuppariuo(ツッパリヲ) カウ」
  ③ 青少年などが虚勢をはって、不良じみた態度をとったり、目立ったかっこうをしてみせること。→つっぱる(一)③。「つっぱりグループ」
  ※TV局恥さらしな日記(1984)〈村野雅義〉オン・エア「たとえ、暴走族であろうと、ツッパリ娘であろうと」
  ④ 相撲で、両腕を同時または交互に伸ばして、平手で相手の胸や肩を突くこと。〔相撲講話(1919)〕」

とある。
 軒端を支えている呉竹の柱のことであろう。おかげで家が倒れそうで倒れない。
 長点だがコメントはない。

二十七句目

   ふるき軒端につよきつつぱり
 乱以後もかはらで住る月更て

 これは、

 人住まぬ不破の関屋の板びさし
     荒れにし後はただ秋の風
             藤原良経(新古今集)

であろう。
 保元・平治の乱以降の乱世への嘆きを不破の関屋に託した歌だが、ここでは強いつっかえ棒があるので国が乱れてもまだ住んでいて、澄める月を見ている、とする。
 点なし。

二十八句目

   乱以後もかはらで住る月更て
 子をさかさまに老が身の秋

 「さかさま」は逆縁という意味にも取れるが、この場合は乱世の下克上で子の方が偉くなって自分は隠居させられているという意味か。
 長点で「珍重珍重」とある。手紙などの言い回しで、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「珍重」の意味・読み・例文・類語」の、

 「③ (━する) 自分を大切にすること。自重すること。書簡などに用いて、相手に自重自愛をすすめる語。
  ※性霊集‐三(835頃)与新羅道者化来詩「入京日、必専候、面披レ未レ聞、珍重珍重、高雄寺金剛道場持念沙門遍照金剛状上、暮春十九日」 〔王僧孺‐与何炯書〕」

の意味に、

 「④ (形動) 和歌・連歌や俳諧などで用いるほめことば。非常にすぐれていること。また、その作品につける評語。俳諧の評点としては、長点と平点の中間の点とされた。
  ※宗尊親王三百首(1260頃)「故郷のよしのの山は雪消てひとひもかすみたたぬ日はなし 只此等之躰にこそ、歌は候へきと承候しか。尤珍重候」

の意味を掛けたものであろう。

二十九句目

   子をさかさまに老が身の秋
 ながらへてあられうものか露の間も

 ここで「さかさま」を逆縁に取り成して、息子に先立たれ、このまま永らえるのも物憂い、とする。
 点なし。

三十句目

   ながらへてあられうものか露の間も
 八重のしほぢを推量せられよ

 「八重の汐路」は幾重にも波の重なる海路ということで、果てしない海の旅路のことを言う。和歌でも謡曲でも用いられる。
 推量はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「推量・推諒」の意味・読み・例文・類語」に、

 「① 何かを手がかりにして、事情や心中などをこうだろうと想像すること。推察。推測。
  ※田氏家集(892頃)中・独坐懐古「暗記徐来長置レ榻、推量鐘対欲レ鳴レ琴」
  ※虎明本狂言・お茶の水(室町末‐近世初)「何しにきたとは大かたすいりゃうさしめ」
  ※病院の窓(1908)〈石川啄木〉「母が親(みずか)ら書く平仮名の、然も、二度三度繰返して推諒しなければ解らぬ手紙!」

とある。
 これから八重の汐路に赴くとあらば、永らえることなんでできはしない、というこどだが、謡曲『現在俊成』の、

 「シテ 世・鎮まつて勅撰の御沙汰あらばその時は、
  地   御身こそ八重の汐路に沈むとも、八重の汐路に沈むとも、藻汐草かき集めたる年来の、詠歌はその儘に、都の春に留めなん。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.3243). Yamatouta e books. Kindle 版. )

の場面だろうか。
 点あり。

三十一句目

   八重のしほぢを推量せられよ
 酢醤油もろこしかけて生肴

 刺身はかつては膾にしていたが、酢だけでなく醤油混ぜて酢醤油にするのはこのことの関西の食べ方なのだろう。
 関東ではまだ醤油は普及してないが、この食べ方はきっと中国でもそうに違いないということか。
 点なし。

三十二句目

   酢醤油もろこしかけて生肴
 けふぞ我せこはな鰹をかけ

 「もろこし」に「けふぞ我せこ」は、

 唐人の船を浮かべて遊ぶてふ
     けふぞ我がせき花鬘せよ
             大伴家持(新古今集)

によるもので、花鬘を花かつおにする。
 鰹節も関西では普及してたが、江戸に広まるのは元禄の頃になる。
 花鰹は松永貞徳の『俳諧御傘』に、「正花を持也。春にあらず、生類にあらず。うへものに嫌べからず。」とある。正花ではないが、花の定座で正花同様に扱うことができるが、ここでは四十九句目に花の句があるので、正花とはしていない。同じように「正花を持」ものに、花嫁、花入れ、花火、絵にある花などがある。
 長点だがコメントはない。

三十三句目

   けふぞ我せこはな鰹をかけ
 恋衣おもひたつ日を吉日に

 「思い立ったが吉日」というのは今でもよく言われる。愛しい男の花鰹かけて食べるのを見て結婚を思い立つ。
 長点で「折から節小袖の用意大悦大悦」とある。節小袖は正月などに着る晴着だが、そこから「花衣」を連想させて花鰹に掛けたのだろう。花衣は正花になる。

三十四句目

   恋衣おもひたつ日を吉日に
 あしにまかせてかのが行末

 「おもひたつ」を旅の「たつ」に掛けて、愛しい男を追いかけて旅に出る。
 点なし。

三十五句目

   あしにまかせてかのが行末
 ててめにはかくせ嵯峨野のかた折戸

 「てて」は父」のこと。嵯峨野の片折戸は『平家物語』の「小督は嵯峨のへんに、かた折戸とかやしたる内にありと申もののあるぞとよ」で、清盛の権勢を恐れて嵯峨野に隠棲した小督の局とする。
 点なし。

三十六句目

   ててめにはかくせ嵯峨野のかた折戸
 はづいて来たぞ千代の古道

 嵯峨野に千代の古道は、

   仁和のみかと、嵯峨の御時の例にて、
   せり河に行幸したまひける日
 嵯峨の山みゆきたえにしせり河の
     千世のふるみちあとは有りけり
              在原行平(後撰集)

で、父親の目をだまして来たぞ、嵯峨野のこの片折戸に、となる。
 「はづして」を「はづいて」とイ音便にする例は『平家物語』にある。
 点あり。

2023年8月24日木曜日

  中国が水産物の輸入停止なんていっても、あの国の人は意外に国家への忠誠心ないからな。密猟が増えそうだし、福島産の魚介でも裏で産地偽装して、いくらでも買ってくれるんじゃないかな。
 何度も異民族に征服されてる国だし、国がなくても親族の結束があれば、何てことない人たちなんじゃないかと思う。中国人が集まればそこが中国になるみたいな。

 それでは「鼻のあなや」の巻の続き。

初裏
九句目

   其外悪魚鰐のかるくち
 火々出見の尊も腹をかかへられ

 彦火々出見の尊(ひこほほでみのみこと)は山幸彦という名でも知られている。兄の海幸彦の釣り針を無くして海神の宮を尋ねてその釣り針を見つけ出しが、そのまま海神の娘の豊玉姫を娶ってしばらくそこで過ごした。
 豊玉姫はもちろんのこと、そこにいたサメたちの軽口俳諧も楽しくて、帰りたくなくなったのだろう。
 長点で「神代のかる口もこれにはよもや」とある。この句は神代の軽口俳諧よりも面白いということか。

十句目

   火々出見の尊も腹をかかへられ
 いま人倫に疝気もつぱら

 前句の「腹をかかへられ」を腹痛として、神代の神様も腹痛に苦しんだのだから、今の人々が疝気に苦しむのももっともなことだ、とする。
 疝気はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「疝気」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘名〙 漢方で疝は痛の意で、主として下腹痛をいう。疝病。疝気病。あたばら。せん。
  ※大山寺本曾我物語(南北朝頃)一「居易がせんき思ひ出でられたり」
  ※浄瑠璃・鑓の権三重帷子(1717)上「此方は腰をお引きなさるるが疝気でも起ったか」 〔史記‐倉公伝〕
  [補注]下腹部一帯の痛みを広く指すため、諸症状に適用され、俗間で男性特有の陰嚢・睾丸の病とされた。患部が特定できないため「疝気の虫」のせいにされたりもした。」

とある。
 『去来抄』には「夕涼み疝気おこしてかへりけり」の句を去来が作って芭蕉に笑われたエピソードが記されている。
 長点で「つたへをかれたる末世の病にこそ」とある。

十一句目

   いま人倫に疝気もつぱら
 だいだいもうけがたき世を身にうけて

 人として生まれてくることは滅多にないことで、「受けがたき人身を受け」と仏教では言う。
 それを人は代々子孫をもうけて今に至るまで命を繋いできたわけだが、その「代々」に柑橘類のダイダイを掛けて、代々の薬効を受けることができるのも有り難いことだ、とする。
 正月に飾るダイダイも代々子孫が栄えますようにという意味だというから、掛詞としては自然だ。
 ダイダイの薬効はコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ) 「ダイダイ」の意味・わかりやすい解説」に、

 「果皮を乾燥したものを橙皮(とうひ)といい、リモネンを主とする精油、苦味質、ヘスペリジン、ビタミンA・B・Cなどを含み、食欲を増進する作用がある。このため、芳香性健胃剤として消化不良などの治療に用いられるほか、苦味チンキの原料の一つとされる。落下した未熟果実のうち薬用に供するものを欧米では未熟橙実(とうじつ)Aurantii Immaturi Fructusというが、漢方では未熟果実の小さいものを枳実(きじつ)、やや大きいものを枳殻(きこく)と称する。未熟なものほど苦味質が多く、苦味が強いので、消化を促進する作用はいっそう強力となるため、これらは苦味健胃剤として食滞(消化不良)、胃部のもたれ、胃痛、胸痛などの治療に用いられる。ナツミカン、温州(うんしゅう)ミカンなどの未熟な果実も枳実と称して同様に用いる。
[長沢元夫 2020年10月16日]」

とある。
 点なし。

十二句目

   だいだいもうけがたき世を身にうけて
 吹矢の先にかかる秋風

 人間に生れるのも稀だと言われているのに、代々狩猟を生業とする家に生まれてしまった、ということか。吹き矢は小動物や鳥などを狩るのに用いる。
 貞享二年春の「何とはなしに」の巻二十五句目に、

   花幽なる竹こきの蕎麦
 いかに鳴百舌鳥は吹矢を負ながら 芭蕉

の句もある。
 点あり。

十三句目

   吹矢の先にかかる秋風
 散露のこまかな所御らんぜよ

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注は吹き矢の見世物としているが、この時代にあったかどうかはよくわからない。楊弓による射的場である矢場が広まるのは元禄の頃ではないかと思う。
 前句の秋風から、吹き矢の命中することを露を散らすと表現したというのは間違いないだろう。ただ、どういうシチュエーションを意図したのかというと、見世物であれを射って見せようという場面なのかもしれないし、ただ吹き矢の腕を自慢したい人のセリフなのかもしれない。
 点ありで「よき所ねらはれ候」とある。秋風に吹き散るのイメージと吹き矢の命中のイメージとを重ね合わせた「狙い」は秀逸といえよう。

十四句目

   散露のこまかな所御らんぜよ
 月をそむいてしはひこころね

 「しはし」はケチという意味。前句の「散露」を露銀での支払いの場面とし、月の光を遮ってよく見えないようにしながら支払うあたり、何か胡麻化されそうだ。
 露銀は豆板銀のことで、コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ) 「豆板銀」の意味・わかりやすい解説」に、

 「江戸時代の銀貨。小玉(こだま)銀、小粒(こつぶ)ともいう。秤量(ひょうりょう)貨幣で、形は丸い小塊。重さは5匁(18.75グラム)前後のものが多いが、1匁(3.75グラム)から10匁(37.5グラム)内外まで一定していなかった。豆板銀は銀座において、丁銀(ちょうぎん)と同じ品位でつくられ、「常是(じょうぜ)」「宝」および大黒(だいこく)像のうち一つが極印(ごくいん)として打たれた。豆板銀は丁銀の補助的役割を果たし、丁銀が封包(ふうづつみ)されるとき、その定量を満たすのに利用された。のちに計数貨幣の五匁銀、二朱銀、一朱銀がつくられると、通貨としての重要性が失われた。
[滝沢武雄]」

とある。主に上方で用いられた。
 点あり。

十五句目

   月をそむいてしはひこころね
 つきあひも鳴音淋しきむしの声

 「つきあひ」とあえて平仮名にしてるのは、月末から月初めにかけての「月間(つきあひ)」に掛けているであろう。「付き合いも無く」に「月間も鳴く」を掛けている。
 月のない夜に鳴く虫の声は淋しく、しみったれた感じがする。月の夜だと賑やかなのに、という風情に、人付き合いの悪い男を掛けている。
 点なし。

十六句目

   つきあひも鳴音淋しきむしの声
 穢多が軒ふる霜の朝風

 穢多同士は穢多村や部落に固まって住んでるが、余所との交流はほとんどなく、隔離されている。
 点なし。

十七句目

   穢多が軒ふる霜の朝風
 つなぬきの革を葎やとぢぬらん

 「つなぬき」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「綱貫」の意味・読み・例文・類語」に、

 「① =つらぬき(貫)①
  ※曾我物語(南北朝頃)六「愚痴暗蔽のつなぬきはき、極大邪見の鎧に、誹謗三宝の裾金物をぞうちたりける」
  ② 牛の皮で作り、底に鉄の釘を打ったくつ。つなぬきぐつ。《季・冬》 〔俳諧・大坂独吟集(1675)〕」

とあり「つらぬき」は「精選版 日本国語大辞典 「貫・頬貫」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘名〙 (動詞「つらぬく(貫)」の連用形の名詞化)
  ① 皮革製の浅沓(あさぐつ)。縁に貫緒(ぬきお)を通して、足の甲の上で引き締めて結ぶところからいう。貫緒のくくりから、巾着沓(きんちゃくぐつ)とも。つなぬき。〔江家次第(1111頃)〕

  ※源平盛衰記(14C前)三五「大将軍義経は熊皮の頬貫(ツラヌキ)をき」
  ② 雨や雪の日に用いた、皮革製のくつ。つなぬき。
  ③ 水田の作業をするときに用いた猪の皮などで作ったくつ。田沓(たぐつ)。」

とある。
 日本皮革産業連合会の「皮革用語辞典」には、

 「江戸中期以降の関西にのみ普及した革製の巾着沓<きんちゃくくつ>を指す。革の甲側足首周囲に何カ所かの穴を開けてひも(綱縄)を通し、これを絞り締めるようにして履く。貫き緒を通すところから名前がつけられたとの説が有力である。」

とある。紐を貫いて足に固定する、その紐の代りに葎の蔓を使うということか。前句の「軒ふる」を受けて貧相な感じに作る。
 長点で「扨もよき細工にて候」とある。この句もまた穢多村の人の機転に比すべきものということであろう。

十八句目

   つなぬきの革を葎やとぢぬらん
 下樋の水をはこぶ六尺

 葎の中を綱貫を履いて、下樋から汲んできた水を運ぶ人足とする。
 下樋はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「下樋」の意味・読み・例文・類語」に、

 「① (「したひ」とも) 水を引くために地中に設けた樋(とい)。
  ※古事記(712)下・歌謡「あしひきの 山田を作り 山高み 斯多備(シタビ)を走(わし)せ」
  ※光悦本謡曲・三輪(1465頃)「下ひの水をとも、こけに聞えてしづかなる、此山住ぞさびしき」
  ② 琴の腹部、すなわち甲と裏板との間の空洞の部分。
  ※万葉(8C後)七・一一二九「琴取れば嘆き先立つけだしくも琴の下樋(したび)に妻やこもれる」

とある。簡易水道のようなものであろう。
 六尺はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「六尺・陸尺・漉酌」の意味・読み・例文・類語」に、

 「① 貴人の駕籠を担ぐ人足。また、雑役夫、下僕の称。〔日葡辞書(1603‐04)〕
  ※評判記・色道大鏡(1678)一四「婦人歩行のしりへに、六尺(ろくシャク)・小者などに物もたせてつれゆく事」
  ② 雑貨品を売り歩く行商人。〔日葡辞書(1603‐04)〕
  ③ (「漉酌」とも書く) 造り酒屋の下男。〔文明本節用集(室町中)〕
  ※歌謡・松の葉(1703)三・いけだ「池田伊丹の六しゃく達は、昼は縄おび縄だすき、夜は綸子の八重まはり」
  ④ 棺担ぎ棒。また、棺を担ぐ役目をいう。
  ⑤ 江戸時代、駕籠舁(かごかき)をはじめ、賄方(まかないかた)・掃除夫など雑役人の総称。江戸幕府では紅葉山御高盛六尺二〇人・御賄六尺三八八人・御風呂屋六尺一二人など頭とも数百人の六尺を抱え、それぞれに役米・金、役扶持を給した。」

六尺棒で物を運ぶところから来た名称であろう。
 点あり。

十九句目

   下樋の水をはこぶ六尺
 山陰に半季先よりすみ衣

 半季はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「半季」の意味・読み・例文・類語」に、

 「① 各季節の半分。
  ② 一年の半分。半年。半期。
  ※浮世草子・世間娘容気(1717)五「半季(ハンキ)の買がかりを算用して」
  ③ 江戸時代、奉公人の雇用期間を三月五日と九月五日からの向こう半年間と区切って奉公すること。また、その期限。半季勤。半季奉公。
  ※俳諧・大坂独吟集(1675)下「山陰に半季先よりすみ衣 二月二日に松の木ばしら〈由平〉」

とある。
 先は今では未来のことも先というが、元々は過去のことだったか。今下樋の水を運んでる六尺も半季方向に入る前は墨染の衣を着た隠遁僧だった。

 岩間閉じし氷も今朝は解け初めて
     苔の下みづ道求むらむ
            西行法師(新古今集)

の歌を詠んだ西行法師さんだろうか。罪荷をあえて習うか。
 点なし。

二十句目

   山陰に半季先よりすみ衣
 二月二日に松の木ばしら

 二月二日は出替りの日。出替りはコトバンクの「世界大百科事典 第2版 「出替り」の意味・わかりやすい解説」に、

 「半季奉公および年切奉公の雇人が交替あるいは契約を更改する日をいう。この切替えの期日は地方によって異なるが,半季奉公の場合2月2日と8月2日を当てるところが多い。ただし京坂の商家では元禄(1688‐1704)以前からすでに3月と9月の両5日であった。2月,8月の江戸でも1668年(寛文8)幕府の命により3月,9月に改められたが,以後も出稼人の農事のつごうを考慮したためか2月,8月も長く並存して行われた。」

とある。
 「かしらは猿」の巻三十六句目に、

   爰に又はたち計のおとこ山
 三月五日たてりとおもへば

の句があり、宗因の評に「近日に罷成候」とあったから、二月二日から三月五日に変わったのは大阪でも寛文の終わり頃だったのだろう。
 ここでは半季前の二月二日に奉公をやめて出家して、松の柱の庵に暮らすことになる。
 点なし。

二十一句目

   二月二日に松の木ばしら
 旅芝居花のさかりにとてもなら

 前句の松の木ばしらを舞台の設営とする。「とても」は「どうしても」の意味で、何が何でも花の盛りまでに舞台を完成させたいというので、二月二日に柱を立てる。
 長点でコメントはない。

二十二句目

   旅芝居花のさかりにとてもなら
 まへ髪ごそり少年の春

 風紀を乱すというので前髪のある若衆姿ではだめで、どうしても興行したけりゃ野郎歌舞伎にしろということか。
 点なし。

2023年8月23日水曜日

  ラノベと純文学の違いは何かと考えるに、ラノベは基本的にはヒロイズムで、主人公は憧れるもので感情移入できるかどうかはそれほど問題にならない。
 これに対して純文学はクズを描くもので、いかにもクズな人間の弱さをさらけ出して、読者はそれに感情移入して、自分だけじゃないんだという安心感を得るものなんだと思う。
 ラノベでもクズな主人公はいるが、ただ特殊な能力を発揮して人を救ったりして賞賛を得ていくうちに、ヒーローへと成長してゆくという上昇志向の強さが大きな特徴ではないかと思う。
 トロッコ問題に喩えるなら、五人であれ一人であれ誰も犠牲にはできないとばかりに、力技でトロッコを脱線させてみんなを救うのがラノベで、どちらも選べないと言ってうじうじ悩んでるうちになぜかどちらも死んでしまい、ずっと後悔と罪の意識に苦しみ続けながら生きて行くというのが純文学ではないかと思う。

 それでは大坂独吟集から、第六百韻。
 由平独吟百韻「鼻のあなや」の巻(宗因編『大阪独吟集』より)

発句

  くさめを誘ふ夜寒のあらし、何としてかはし
  のがんといひもあへねば、煮豆腐うり是へを
  そしと夕なみの、所もところ松がはな、はぢ
  けば落る血のなみだの 白川よぶねにはあら
  で、淀の河づらしかめて、かくおもひよりぬ
               舟夕子 由平
 鼻のあなや紅くくる唐がらし

 新大陸から来た唐辛子は瞬く間に世界中に広まって行き、日本でも唐辛子の未知の辛さは南蛮とも呼ばれ、流行することになった。
 とはいえ料理一般に用いられることはなく、薬味として用いられたり、青唐辛子は味噌と混ぜて南蛮味噌として用いられた。
 唐辛子に含まれるカプサイシンは血流を良くして体を温める作用があり、秋の夜寒に好まれた。
 前書では、夜寒を凌ごうと思ってると煮豆腐売りがやってくる。この頃大阪で売られていた煮豆腐がどのようなものだったかはよくわからないが、唐辛子で味付けした辛いものだったと思われる。
 「所もところ松がはな」は『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注に西区千代崎町の寺島が松ヶ鼻と呼ばれてたという。
 淀川から分れた大川が中之島の先で安治川と木津川に分れ、その木津川を下ると、かつて東に並行してあった百間堀川と交わる地点があり、その地点で木津川も二つに分かれて川がH状になる、その南側の中州の北端に松の名木があり、そこが松ヶ鼻、その中州は松島と呼ばれていた。ここに松ヶ鼻の渡しがあり、東側が新町通りになる。
 当時の煮豆腐は激辛だったのか、鼻が真赤になり、涙が出てくるのを、「松がはな、はぢけば落る血のなみだの 白川よぶねにはあらで」と掛けて、発句に繋がる。
 「紅くくる」は言わずと知れた、

 ちはやぶる神代も聞かず竜田川
     からくれなゐに水くくるとは
             在原業平(古今集)

の歌によるもので、真っ赤になった鼻の穴に涙の水くくるとは、となる。
 長点で「おなじ紅も染やうにて新らしくこそ」とある。唐辛子の鼻の紅は新味があった。


   鼻のあなや紅くくる唐がらし
 夕日こぼるるすりこぎの露

 擂鉢の唐辛子も赤いし、その唐辛子に染まる鼻の紅も夕日が照らしたみたいだ。こぼれる露は唐辛子を擦った時の水分であると同時に、そのときの鼻水であろう。
 長点で「飛鳥井殿の夕日もきえ可申候」とある。飛鳥井殿の夕日というと、この歌だろうか。

 夕日さす裾野の末にわくる露
     うつる香袖に匂ふ浮橋
             飛鳥井雅経(明日香井集)

第三

   夕日こぼるるすりこぎの露
 古筆の先より秋の雨はれて

 古くなった筆が毛が抜けて擂粉木みたいだ、ということか。筆の先から滴る露を擂粉木の露として、前句の「夕日こぼるる」に「秋の雨はれて」とする。

 秋の雨はれて夕日のこぼるれば
     古筆の先より擂粉木の露

とすればわかりやすい。
 点あり。

四句目

   古筆の先より秋の雨はれて
 飛ゆく鴈をみちの記の末

 これも「古筆の先より」「道の記の末」と付いて、「秋の雨はれて」を「飛びゆく鴈」で受ける。道の記というと宗祇の『筑紫道記』も思い浮かぶ。
 点なし。

五句目

   飛ゆく鴈をみちの記の末
 それの年のその比そこの月の景

 「それの年の」は紀貫之の『土佐日記』の冒頭の有名な「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。」の後の部分の「それの年のしはすの二十日あまりの一日の、」を拝借して、前句の「みちの記」の書き出しとしたか。
 「飛ゆく鴈」に「月の景」が付く。
 言葉の続き具合が後の、

 見渡せば詠れば見れば須磨の秋 桃青

の句を思わせる。
 点ありで、「貫之が筆の跡めづらしく候」とある。確かに「男もすなる」の書き出しと「むまのはなむけ」は有名だが、その間の文章はあまり引用されない。

六句目

   それの年のその比そこの月の景
 聞たやうなる松風の声

 月に松風は、

 琴の音を雪にしらふときくゆなり
     月さゆる夜の峰の松風
             道性法親王(千載集)
 ながむればちちに物思ふ月にまた
     我が身ひとつの峰の松風
             鴨長明(新古今集)

などの多くの歌に詠まれている。あの時のあの月を思い出してごらんなんて言われると、何となく松風の声も聞いたような気になる。そんなあやふやな記憶で発心したりして。
 点なし。

七句目

   聞たやうなる松風の声
 等類はのがれがたしや磯のなみ

 前句の「聞たやうなる」を松風の声の歌がどこかで聞いたような、という意味に取り成し、その上磯の波となると、これは等類だということになる。
 松風に磯の波といえば、

 春のたつ磯辺の波は高砂の
     尾上に通ふ峰の松風
            藤原範宗(建保名所百首)

だろうか。この歌は『歌枕名寄』にも「春やたつ磯辺の波や」の形で収録されている。
 似たような名所の歌に、

 こゆるぎの磯の松風おとすれば
     夕波千鳥たち騒ぐなり
            源通親(夫木抄)
 たかしやまつなき方の松風や
     麓の浦の磯波の声
            飛鳥井雅有(夫木抄)
 夏の夜をあかしの瀬戸の波の上に
     月吹きかへせ磯の松風
            藤原良経(夫木抄)

などの歌がある。海の名所に磯の波と松風を詠んだ歌はこの他にも多数ある。
 点なし。

八句目

   等類はのがれがたしや磯のなみ
 其外悪魚鰐のかるくち

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注は謡曲『海人』の、

 「かくて竜宮に到りて、宮中を見ればその高さ、三十丈の玉塔に、かの玉を籠め置き、香花を供 へ守護神に、八竜並み居たりその外悪魚鰐の口、逃れ難しやわが命。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.4167). Yamatouta e books. Kindle 版. )

を引いている。
 悪魚はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「悪魚」の意味・読み・例文・類語」に、

 「① 人畜に害を与える魚。猛魚。
  ※謡曲・海人(1430頃)「そのほか悪魚、鰐(わに)の口、逃(のが)れがたしや我が命」
  ② とくに「さめ(鮫)」の異称。
  ※雑俳・柳多留‐一五(1780)「すりばちへ悪魚を入れるかまぼこ屋」

とある。「わに」も出雲の方ではサメのことをそう呼ぶらしく、神話に出て来る鰐もサメではないかと言われている。となると、悪魚と鰐は等類になる。
 「かるくち」は西鶴(この頃は鶴永)が得意とした速吟俳諧だが、この頃の談林俳諧一般をいう言葉でもある。磯の波に悪魚鰐の口を開けたような軽口俳諧は当世流行で似たり寄ったりの物が多いということか。まあ、ニタリという尾びれの長いサメもいることだし。
 長点で「観世が音局聞心ちし候」と、観世流の謡曲の一節が聞こえてきそうだと評している。当時の軽口俳諧は謡曲の言葉を多用したのもその特徴の一つになっている。

2023年8月20日日曜日

  それでは「軽口に」の巻の続き、挙句まで。

名残裏
九十三句目

   苔のむすまでぬかぬわきざし
 うで香や富士の煙の立次第

 うで香はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「腕香」の意味・読み・例文・類語」に、

 「① 僧侶、修験者などの荒行(あらぎょう)の一つ。腕の上で香をたき、その熱さに耐える修行。
  ※蔭凉軒日録‐延徳元年(1489)一一月一九日「今夜后板於二法堂一焼二腕香一」
  ② 近世のもの貰いの一種。腕に刃物をたてたり、苦行のまねをして米、銭を乞うたり、また、膏薬の類を売ったりした。」

とある。この場合は①か②かはわからない。腕の上に香を富士山のように山にして燃やし、その煙が立つとじっと熱さに耐えている。
 前句を腕に脇指を突き刺した状態で抜こうともしないと取り成して、痛みと熱さと両方に耐える。
 点あり。

九十四句目

   うで香や富士の煙の立次第
 ならびに料足あしたかの山

 富士山の傍には愛鷹山があって、あしらいになる。ここでは腕に富士山のような香を焚く芸人として、その投げ銭は愛鷹山のようにうず高く積まれる。
 点なし。

九十五句目

   ならびに料足あしたかの山
 はなれ駒九十九疋やつづくらん

 はなれ駒は放し飼いの馬のことだが、ここでは一貫の駒引銭から一枚放れた銭とする。駒引銭はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「駒牽銭・駒引銭」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘名〙 江戸時代、民間製作の絵銭の一種。表面に手綱を引かれた馬の図が鋳出されていて、えびす、大黒などの絵銭とともに日本絵銭の代表的なもの。江戸時代の銭貨鋳造所の「銭座」で数取りのしるしに普通銭貨一〇〇枚に一枚の割で特製したものとする説は誤りで、すべて民間で鋳造されたもの。こまひきぜに。こません。こまひき。」

とある。一枚使えば残りの九十九疋も結局次々と出て行ってしまう。今の一万円札も一度くずすとあっという間になくなるようなもの。
 点あり。

九十六句目

   はなれ駒九十九疋やつづくらん
 あとのまつりにわたる神ぬし

 今日では相馬の野馬追くらいしか残ってないが、かつては馬の放牧をやってたところではあちこちで似たような祭りがあったのかもしれない。
 ただ、気を付けないと馬がみんな逃げて行ってしまい、後の祭りになる。
 相馬の野馬追もかつては五月に行われいたというから、加茂の競馬と同根なのかもしれない。放牧馬の見本市的なものがあったのかもしれない。
 点あり。

九十七句目

   あとのまつりにわたる神ぬし
 素麺も白木綿なれやゆでちらし

 この場合は前句は単に「祭りの後に神主に渡る」の意味になり、白木綿(しらゆう)のような素麺が茹で上がって神主のもとに渡される。
 白木綿はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「白木綿」の意味・読み・例文・類語」に、

 「① 白いゆう。楮(こうぞ)の皮をさらしたりして白い紐(ひも)状にしたもの。幣帛(へいはく)として榊(さかき)、しめなわなどにつける。
  ※詞花(1151頃)冬・一五七「くれなゐに見えしこずゑも雪降ればしらゆふかくる神なみの杜(もり)〈藤原忠通〉」
  ② 植物、浜木綿(はまゆう)をいう。〔俳諧・類船集(1676)〕」

とある。
 点なし。

九十八句目

   素麺も白木綿なれやゆでちらし
 茶屋もいそがし見せさし時分

 「見せさし時分」は店鎖頃(みせさしごろ)のことであろう。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「店鎖頃」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘名〙 店の表戸や錠などをしめる頃。店を閉じる時分。みせさしじぶん。みせさしどき。
  ※浄瑠璃・冥途の飛脚(1711頃)上「待つ日も西のもどり足みせさし比に成りにけり」

とある。
 閉店前の忙しさに茹でた素麺も茹で散らかした状態になっている。
 点なし。

九十九句目

   茶屋もいそがし見せさし時分
 花のなみ伏見の里をくだり舟

 伏見に花見に来た大阪人は、茶店が閉店になる夕暮れ時に、一斉に船に乗って川を下って帰って行く。
 伏見の醍醐寺は嵯峨天皇もお花見した場所で、古くからの花見の名所だった。江戸に飛鳥山公園のできるまでは花見は公園ではなく寺社でするのが普通で、江戸なら寛永寺、京なら清水寺など、多くの群衆が訪れた。
 点あり。

挙句

   花のなみ伏見の里をくだり舟
 あげ句のはては大阪の春

 「挙句の果て」という慣用句は連歌の挙句から来た言葉だが、挙句をこの諺に掛けてこう用いるの誰でも思いつきそうだが、まあ、最初にやったものが勝ちというところか。伏見から川をくだるのだから、最後は大阪に着くのは間違いない。
 長点で、「天満橋八軒屋なりと吟じあげ句、南無天神ばしにひびきて、感応うたがひなくこそ」とある。
 前書きの「あかつきのかね八軒屋の庭鳥におどろき侍る」に応じて、八軒屋で吟じ上げるに挙句を掛けて、その吟は大阪天満宮に響いて天神様を感応させること間違いない、と結ぶ。
 八軒家浜船着場のあった場所は今の天満橋と天神橋の間にある。
 このあと、

 「愚墨六十句
     長十九

 ほととぎすひとつも声の落句なし

 とや申べからん。是こそ俳諧の正風とおぼゆ
 るはひがこころへにやあらん。しらずかし。
      西幽子(さいゆうし)判」

と結ぶ。これこそ俳諧の正風と持ち上げておきながら最後て「しらずかし」と結ぶ辺りは、今の「知らんけど」に受け継がれている大阪人のユーモアといえよう。

2023年8月19日土曜日

  悪の起源ということがXでも話題になっていたが、朱子学で言えば孟子の性善説の根拠とされる四端の心が何で悪に変わるかという問題になる。それは流れる水を堰き止めれば逆流するような、という説明があったような気がするが、昔学校で習ったことなので、もう一度読み返す必要があるかもしれない。
 ただ、何が善かという時に、必ず生命を基準にしてるんではないかと思う。つまり生命のない宇宙空間に善は存在するかというと、それを考えることは難しい。一種の擬人化として、ビッグバンによる宇宙の誕生は善で、最終的にそれが熱死に至るならそれは悪なのかもしれない。ただここでも春に万物が生じるのを喜び、秋に止むのを悲しむの延長のように思える。
 生命=善、死=悪はおそらく全体としては正しいのだろう。個別的にはより多くの命を救うために死ぬのは善という逆転はあるかもしれない。また多くの命を救うために殺すのも善という逆転はあるかもしれない。
 ところで宇宙の大半は広大な死の世界で、生命が或る種奇跡と呼べる現象であるなら、宇宙全体は概ね悪で、その中の例外的な命が善ということになるのか。
 宇宙は生と死を包括してるものだから、それ自身は善でも悪でもあるし、それらをすべて包み込んでいる。そしてその宇宙が生命を誕生させたのなら、そして死すべき運命を与えたのなら、宇宙は善悪を越えたものということになる。
 つまり、仮に全知全能の神が存在するなら、それは善も悪も含んた善悪を越えた存在だということになる。
 しかもこの神は生命が他の生命を殺して食うことでしか存続できないものとしたなら、明らかに悪は生命の創造そのものの内にあることになる。
 我々の意識は、それがたとえ神性に通じる理性だとしても、この理性そのものが他の生き物を殺して食うことによって成り立っている。しかも食料は無限に存在せず、人は絶えず人口の過剰によって人間同士でもまた殺し合ってきた。
 人間は欠陥生物だというが、人間に限らずすべての生物は食物連鎖の中にあるだけでなく、絶えず個体数過剰の中で同種同志て争うことが宿命づけられている。ならば、悪は神が生命を想像した時点既に存在してたと言わざるを得ない。
 多神教であるならば、神が何らかの悪意があって悪を想像したと考える必要はない。神様もまた互いに争い、その争いは人間の争いや他の生物の争いとはまた違う、神にしか理解できない、人知を越えた争いにすぎないからだ。悪は最初からこの混沌とした世界の内に内在してたと考えるしかない。
 「性は善である」という時の「性」は朱子学では理とも誠とも呼ばれるものだが、その根源が緯ではなく経、つまり時間に対して開かれていて、時間を認識し、物事の順序や因果を思考することから生じるものであるなら、意識そのものが善だということになる。ただ、その意識は実際の気の世界の中で生きて行く限り、生きるための争いが不可欠になり、そこに悪が生じる。悪は「気」の側に存在するということになる。
 基本的に生命が殺すことなしに生きられないという時点で、既に悪は存在している。その悪の根源は自然に存在してるのか、造物主が仕組んだのかというだけの違いにすぎない。仕組んだのであればそれは「試練」と考えるのが適切であろう。造物主は殺し合いのゲームとしての生命の世界を創造し、そこでの戦い方を見ながら天国行きと地獄行を判定しているだけのことだ。
 それが何ら意図されない自然のゲームであるにしても、ただ報酬としての天国と地獄がないだけで、実際にやるべきことは変わらない。ただ報酬は自分で満足できるかどうかの問題になるだけのことだ。
 いずれにせよ生命が存在する限り、我々がその生命を意識する限りにおいて、悪が存在し、そこから抜け出したいという思いがひと時の善を生み出すにすぎない。時雨の中の宿りのような。それを見出すのが風雅の誠と言って良い。
 あと、X奥の細道六月分を鈴呂屋書庫にアップしたのでよろしく。

 それでは「軽口に」の巻の続き。

名残表
七十九句目

   風呂屋の軒をかへるかりがね
 行灯のひかりのどけき天のはら

 「ひかりのどけき」は、

 久かたの光のどけき春の日に
     しづ心なく花の散るらむ
             紀友則(古今集)

だが、ここでは行灯だから夜になり、夜の風呂屋の軒の上の空に雁が帰って行く。
 特に本歌というのではなく、ただ言葉としてそのまま用いている。
 点なし。

八十句目

   行灯のひかりのどけき天のはら
 ふりさけ見れば淀のはしぐゐ

 「ふりさけ見れば」は、

 天の原ふりさけ見れば春日なる
     三笠の山に出でし月かも
              阿倍仲麻呂(古今集)

だが、特に本歌というわkではない。ただ遠くに淀の橋杭がみえる。
 淀川にはかつて古代に作られた長柄の橋があり、

  難波なる長柄の橋もつくるなり
     今はわが身を何にたとへむ
              伊勢(古今集)

の歌は『談林十百韻』「いざ折て」の巻六十三句目にも、

   あらためざるは父の印判
 借金や長柄の橋もつくる也    一朝

とネタにされている。その長柄の人柱伝説は今は廃曲だが謡曲『長柄』にもなっていた。
 点あり。

八十一句目

   ふりさけ見れば淀のはしぐゐ
 かうぶりの声も跡なき夕まぐれ

 淀川の河口域は蝙蝠の声もない。もっとも、蝙蝠の声は人には聞こえないものだが。

 うらさびて鳥だに見えぬ島なれば
     このかはほりぞ嬉しかりける
              和泉式部(夫木抄)

の歌があるだけに、いっそう淋しげだ。
 点なし。

八十二句目

   かうぶりの声も跡なき夕まぐれ
 みみづくさはぐ萩の下露

 日が暮れると蝙蝠も見えなくなり、ミミズクが鳴き出す。

 秋はなほ夕まぐれこそただならね
     荻の上風萩の下露
              藤原義孝(和漢朗詠集)

の、特に下句のフレーズはかつてはよく知られたものだった。「夕まぐれ」に「萩の下露」で応じ、蝙蝠にミミズクを付ける。
 点なし。

八十三句目

   みみづくさはぐ萩の下露
 野の色もあかい頭巾やそほぐらん

 木菟引(ずくひき)というミミズクを囮にした猟があり、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「木菟引」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘名〙 ミミズクをおとりとして小鳥を黐竿(もちざお)でとらえること。昼間目の見えないミミズクをつつこうとして他の鳥が近づくのを利用して、捕獲するもの。木菟落(ずくおとし)。《季・秋》
  ※俳諧・桜川(1674)冬二「づく引、耳つくやひき野のつつらくる小鳥〈如白〉」

とある。『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注によれば、この時の囮のミミズクに赤い頭巾を被せるのだという。張子のミミズクが赤いのもそのためか。
 前句のミミズクを囮のミミズクとする。
 点なし。

八十四句目

   野の色もあかい頭巾やそほぐらん
 木やりで出す山のはの月

 「木やり」は木遣唄でコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ) 「木遣唄」の意味・わかりやすい解説」に、

 「日本民謡分類上、仕事唄のなかの一種目。重い物を移動させるおりの唄の総称で、また曲目分類上の一種目にもなっている。「木遣」とは、文字どおり木、すなわち材木を大ぜいで力をあわせて移動させることであるが、それから転じて、重い物を人力を結集して動かすときの唄はすべて「木遣唄」とよばれるようになった。その発生は古く、日本民謡の仕事唄の原点と思われるが、古くは掛け声とか囃子詞(はやしことば)とよばれるだけのものであったと推測される。ところが社寺建立などのおり、建築用材を氏子や檀家(だんか)の人々が曳(ひ)く場合、全員の力を結集するため、神官や僧侶(そうりょ)が社寺の縁起を唄にして、綱を曳く人々に説いて聞かせ、掛け声の部分で綱を曳かせる方法をとり始めた。これが「木遣口説(くどき)」である。この唄は、和讃(わさん)の七五調12韻や御詠歌の七七調14韻を必要なだけ繰り返していく形式と曲調を母体にしたものらしく、発生は室町時代前後ではないかと思われる。しかし、社寺の縁起だけでは綱曳き連中は飽きてくるし、音頭取りも社寺の人にとどまらず、美声であるためにまかされて代理を務める人まで現れると、歌詞の内容も世話物的なものにしだいに変わっていった。さらに江戸時代に入ると、七七七五調26韻の詞型が大流行したため、ついにはこれへ移行していった。しかし、音頭取りが存在し、囃子詞の部分をその他大ぜいが受け持つという音頭形式だけは踏襲され、のちには盆踊り唄の中心をなすまでになった。木遣唄に無常観のような哀調が漂っているのは、和讃や御詠歌を母体にして派生してきたためと思われる。
[竹内 勉]」

とある。野の赤い頭巾を材木運びの人として木遣唄を歌いながら運ぶうちに日は沈み月が昇る。
 長点で「おききやるかおききやるか、明白なる月に候」とある。「おききやるか」は木遣唄の掛け声と思われる。

八十五句目

   木やりで出す山のはの月
 くらきよりくらきにまよふ日用共

 日用(ひよう)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「日用・日傭」の意味・読み・例文・類語」に、

 「① =ひようとり(日傭取)
  ※漢書列伝竺桃抄(1458‐60)陳勝項籍第一「傭耕とは人にやとはれて賃を取てひやうの様につかわれて耕するぞ」
  ※政談(1727頃)二「此七八十年以前迄は日傭を雇て普請する事はなき也」
  ② 日雇いの賃金。日用銭。日用賃。
  ※仮名草子・可笑記(1642)五「傅説(ふえつ)といふ大賢人は、日用をとり堤をつく、人足の中よりたづね出されて」
  ③ 江戸時代、日用座の支配下にあって、日用札の交付を受けて日雇稼ぎをする者。鳶口・車力・米舂・軽籠持などの類。
  ④ 林業地帯において小屋掛け・山出し・管流(くだなが)しなどの運材労働に従事する人夫の総称。」

とある。
 専門の材木運びのプロではなく臨時で雇われた人足は、暗くなるとどうしていいかわからなくなる。
 点あり。

八十六句目

   くらきよりくらきにまよふ日用共
 わらんづ脚絆六道の辻

 「わらんづ」はコトバンクの「世界大百科事典内のわらんずの言及」に、

 「…奈良時代に唐から伝わったくつ形の草鞋(わらぐつ)が平安時代末期に現在のような鼻緒式のわらじに改良され,〈わらうず〉と呼んだ。鎌倉時代には〈わらんず〉,室町時代に〈わらんじ〉,江戸時代になって〈わらじ〉と呼ばれるようになった。」

とあり、「わらじ」の古い言い方。俳諧では字数の関係で「わらんじ」も用いられる。
 前句の日用は亡くなると草鞋に脚絆姿で地獄道、餓鬼道、畜生道、阿修羅道、人間道、天道の六道の辻でどこへ落ちるか迷う。
 京都東山の鳥辺野葬場の入口付近も六道の辻といい、古代の鳥葬の地を連想させる。
 点なし。

八十七句目
   わらんづ脚絆六道の辻
 たつたいま念仏講はおどろきて

 念仏講は頼母子講とも言い、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「念仏講」の意味・読み・例文・類語」に、

 「① 念仏を行なう講。念仏を信ずる人達が当番の家に集まって念仏を行なうこと。後に、その講員が毎月掛金をして、それを講員中の死亡者に贈る弔慰料や、会食の費用に当てるなどする頼母子講(たのもしこう)に変わった。
  ※俳諧・新続犬筑波集(1660)一「はなのさかりに申いればや 千本の念仏かうに風呂たきて〈重明〉」
  ② (①で、鉦(かね)を打つ人を中心に円形にすわる、または大数珠を回すところから) 大勢の男が一人の女を入れかわり立ちかわり犯すこと。輪姦。
  ※浮世草子・御前義経記(1700)三「是へよびて歌うたはせ、小遣銭少しくれて、念仏講(ネンブツカウ)にせよと」

とある。訃報が入ると今までの掛金からお金を支出しなくてはならないから大騒ぎになる。
 点なし。

八十八句目

   たつたいま念仏講はおどろきて
 そのあかつきに見えぬ銭箱

 打越を離れると何に驚いたのかはよくわからなくなる。ただ、その騒ぎに紛れて積立金の事をみんな忘れて、銭箱がぽつんの虚しく残される。
 点あり。

八十九句目

   そのあかつきに見えぬ銭箱
 明星が市立跡のあれ屋敷

 明星が市は『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注によると、伊勢国多気郡明星村にあった茶屋だという。今は明和町明星で、近鉄の駅もある。伊勢街道の名物茶屋だったのか。今は廃墟となって、そこにあった銭箱もない。
 地名が明星だけに「そのあかつき」になる。
 点なし。

九十句目

   明星が市立跡のあれ屋敷
 上戸も下戸もばけ物もなし

 明星が市では、かつては上戸も下戸もたくさん訪れていたのだろう。今は化け物すら出ない。
 点なし。

九十一句目

   上戸も下戸もばけ物もなし
 君が代は喧嘩の沙汰も納りて

 「君が代」に「治まる」は中世によく用いられた言い回しで、君が主君の意味から天下を漠然と表す意味に変わって来たことによるものだろう。

 吹く風も治まりにける君が代の
     千歳の数は今日ぞ数ふる
              後嵯峨院(玉葉集)

の和歌や、応仁元年夏心敬独吟山何百韻七十六句目に、

    身を安くかくし置くべき方もなし
 治れとのみいのる君が代     心敬

の句がある。
 上戸も下戸も喧嘩することなく日本は平和だ、と言いたい所だけど大きないくさがないだけで火事と喧嘩は江戸の花というくらいだ。
 点あり。

九十二句目

   君が代は喧嘩の沙汰も納りて
 苔のむすまでぬかぬわきざし

 江戸の町の平和は、各自が脇指で武装してることで抑止力となっていた側面があった。西鶴は後の貞享三年の『好色一代女』に、

 「町人の末々まで、脇指といふ物差しけるによりて、言分・喧嘩もなくて治まりぬ。世に武士の外、刃物差す事ならずば、小兵なる者は大男の力の強さに、いつとても嬲られものになるべき。一腰恐ろしく、人に心を置くによりて、いかなる闇の夜も独りは通るぞとかし。」

と記している。
 相手も脇指を持ってると思うと、どんな腕力に覚えのあるものでも、グサッとやられれば終わりだと思ってなかなか手も出せない。脇指抑止力とでもいうべきか。
 「君が代」と「苔のむすまで」の縁は言わずとしてたあの歌による。
 点あり。

2023年8月18日金曜日

  それでは「軽口に」の巻の続き。

三裏
六十五句目

   焼亡は三里よその夕ぐれ
 御見廻に尾上のかぜも声添て

 火事のお見舞いに尾上の風が声を添える。
 尾上の松の松風はしばしば歌に詠まれるもので、

 松に吹く尾上の風のたえだえに
     夕山廻る入相の声
              空性(西園寺実兼、文保百首)

の歌もある。特に本歌ということでもなく、尾上の夕暮れ、松風、鐘の音は付け合いといってもいい。同じ『文保百首』に、

 松に聞く風の音さへ高砂の
     尾上の鹿もたへぬ夕暮れ
              六条有忠(文保百首)

の歌もある。
 尾上の松風の声は火事の見舞いのようだ。
 点あり。

六十六句目

   御見廻に尾上のかぜも声添て
 脈うちさはぐ松陰のみち

 前句の「かぜ」を風邪のこととして、脈拍数も上がっている。

 濡るるかと立ちやすらへば松陰や
     風のきかする雨にぞありける
              伏見院(玉葉集)

の歌もある。
 長点で「風邪とはやゆびの先に見え候」とある。

六十七句目

   脈うちさはぐ松陰のみち
 料理してむれゐる鷺やたたるらん

 脈拍が乱れるのをさんざん鷺を食った祟りとする。
 点あり。

六十八句目

   料理してむれゐる鷺やたたるらん
 鬼門にあたるまな板の角

 祟りは殺生のせいではなく、俎板の角が鬼門だったから。
 長点で「王城の鬼門よりおどろきが鬼一口にたたるべく候」とある。平安京の鬼門の守りは比叡山、平城京は東大寺、飛鳥京は初瀬になるが、鬼の四角い俎板の鬼門はただ一口で食べられるのみ。

六十九句目

   鬼門にあたるまな板の角
 ひえの山高さをつもるさしものや

 前句の俎板を平安京に見立てて、指物屋がその鬼門になる比叡山の高さを計る。
 点あり。

七十句目

   ひえの山高さをつもるさしものや
 はたちばかりの年切ぞをく

 年切(ねんきり)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「年切」の意味・読み・例文・類語」に、

 「① 樹木が年によって、実を結ばないこと。としぎれ。また、幸運にめぐりあわないことにたとえていう。
  ※後撰(951‐953頃)雑一・一〇七七「今までになどかは花の咲かずして、よそとせばかりとしぎりはする〈藤原時平〉」
  ② 年数を限ること。ある事をするのに一定の年数をあてること。〔日葡辞書(1603‐04)〕
  ③ 年ごとに限ってすること。
  ※箚録(1706)「只編年の法には年切りに書く故、其事次の年にわたれば其間に余のこと入たがる故」
  ④ 年季。また、年季のきれること。」

とある。
 指物屋には年季奉公の人はいそうだが、①の意味に掛けて、仕事の方で芽が出ないまま契約切れになるということか。
 点あり。

七十一句目

   はたちばかりの年切ぞをく
 手形にもたしかに見ゆる力こぶ

 二十歳の若者は昔で言えば男盛りで一番体力もある頃。手形はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「手形」の意味・読み・例文・類語」に、

 「① 手の形。てのひらに墨などを塗って押しつけた形。手を押しつけてついた形。
  ※浮世草子・西鶴諸国はなし(1685)五「背中に鍋炭(なべすみ)の手形(テガタ)あるべしと、かたをぬがして、せんさくするにあらはれて」
  ② 手で書いたもの。手跡。筆跡。書。
  ※譬喩尽(1786)五「手形(テガタ)は残れど足形は不レ残(のこらず)」
  ③ 昔、文書に押して、後日の証とした手の形。
  ※浄瑠璃・日本振袖始(1718)一「繙(ひぼとく)印の一巻〈略〉くりひろげてぞ叡覧有、異類異形の鬼神の手形、鳥の足、蛇の爪」
  ④ 印判を押した証書や契約書などの類。金銭の借用・受取などの証文や身請・年季などの契約書。切符。手形証文。また、それらに押す印判。
  ※虎明本狂言・盗人蜘蛛(室町末‐近世初)「手形をたもるのみならず、酒までのませ給ひけり」
  ※読本・昔話稲妻表紙(1806)三「母さまの手形(テガタ)をすゑて証書を渡し、百両の金をうけとり」
  ⑤ 一定の金額を一定の時期に一定の場所で支払うことを記載した有価証券。支払いを第三者に委託する為替手形と、振出人みずからが支払いを約束する約束手形とがある。もとは小切手をも含めていった。
  ※経済小学(1867)上「悉尼(シドニー)より来れる千金の手形倫敦にて千金に通用し」
  ⑥ 江戸時代、庶民の他国往来に際して、支配役人が旅行目的や姓名、住所、宗門などを記して交付した旅行許可証と身分証明書を兼ねたもの。往来手形。関所札。
  ※御触書寛保集成‐二・元和二年(1616)八月「一、女人手負其外不審成もの、いつれの舟場にても留置、〈略〉但酒井備後守手形於在之は、無異儀可通事」
  ⑦ 信用の根拠となるもの。身の保証となるもの。また、信用、保証。
  ※歌舞伎・心謎解色糸(1810)三幕「あの東林めが、お娘を殺さぬ受合ひの手形」
  ⑧ 首尾。都合。具合。また、人と会う機会。
  ※随筆・独寝(1724頃)下「源氏がなさけは深しといふ人もあれども、しれにくき事の手がたあらんもの也」
  ⑨ 表向きの理由。口実。だし。
  ※洒落本・睟のすじ書(1794)壱貫目つかひ「おおくは忍びて青楼(ちゃや)へゆく。名代(テガタ)は講参会の外、おもてむきでゆく事かなわず」
  ⑩ 牛車の箱の前方の榜立(ほうだて)中央にある山形の刳(えぐ)り目。つかまるときの手がかりとするためという。
  ※平家(13C前)八「木曾手がたにむずととりつゐて」
  ⑪ 武家の鞍の前輪の左右に入れた刳(く)りこみのところ。馬に乗るときの手がかりとするもの。
  ※平治(1220頃か)中「悪源太〈略〉手がたを付けてのれやとの給ひければ、打ち物ぬいてつぶつぶと手形を切りてぞ乗ったりける。鞍に手がたをつくる事、此の時よりぞはじまれる」
  ⑫ 釜などに付いている取っ手。〔日葡辞書(1603‐04)〕
  [補注]④は「随・貞丈雑記‐九」に「証文の事を手形とも云事、証文は必印をおす物也。上古印といふ物なかりし時は、手に墨を付ておしてしるしとしたると也」と見え、手印を押したところから「手形」といわれるようになったという。

と多義だが、前句の年切に掛かるのは④で、肉体労働をさせるのに体力ありそうだから採用、てところか。
 点あり。

七十二句目

   手形にもたしかに見ゆる力こぶ
 二王もとほす白川の関

 手形を⑥の関所の手形として、二王が関所を通るなら確かに凄い力こぶだ。
 長点で「秀平が光堂よりと手形に出し候哉」とある。奥州三代の藤原秀衡が仁王に手形を与えて通したというのは弁慶のことか。弁慶は最後仁王立ちのまま立ち往生する。

七十三句目

   二王もとほす白川の関
 都をばあうんと共に旅立て

 白河の関といえば、

 都をば霞とともに立ちしかど
     秋風ぞ吹く白河の関
           能因法師(後拾遺集)

が有名だが、仁王だけに都を阿形の仁王と吽形の仁王と二人仲良く旅立った。
 点あり。

七十四句目

   都をばあうんと共に旅立て
 出入息やのむ若たばこ

 前句の阿吽を口を開けたり閉じたりの一人阿吽として、吽形で煙草の煙を吸い込み、阿形で吐く。
 点なし。

七十五句目

   出入息やのむ若たばこ
 うかれめも十七八の秋の月

 煙草を覚えた浮かれ女とする。
 浮かれ女はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「浮女」の意味・読み・例文・類語」に、

 「① 歌や舞をして人を楽しませ、また、売春もする女。あそびめ。娼妓。〔新撰字鏡(898‐901頃)〕
  ※建武年間記(南北朝頃)「口遊、去年八月二条河原落書〈略〉人の妻鞆のうかれめは、よそのみるめも心地あし」
  ② 身持ちの悪い女。みだらな女。
  ※和泉式部集(11C中)上「扇をとりてもたまへりけるを御覧じて、〈略〉とりて、うかれ女の扇と書きつけさせ給へるかたはらに」

とある。遊郭に閉じ込められた傾城ではなく、田舎などにいた比較的自由な遊女のことか。
 点なし。

七十六句目

   うかれめも十七八の秋の月
 初瀬をいのるかほは冷じ

 「うかれ」から、

 うかりける人を初瀬の山おろしよ
     はげしかれとは祈らぬものを
             源俊頼(千載集)

の縁で初瀬を出して、十七八の浮かれ女は秋の月に神妙な顔をしながら一心に祈りを捧げる。もちろん「激しかれ」とは祈っていない。
 点なし。

七十七句目

   初瀬をいのるかほは冷じ
 さばき髪けはい坂より花やりて

 さばき髪はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「捌髪」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘名〙 とき散らした髪。ざんばら髪。さばいがみ。さばけがみ。ちらしがみ。さばき。
  ※仮名草子・竹斎(1621‐23)上「後には行儀を崩しつつ〈略〉大肌脱にさばきがみ」

とある。髷を結ってない髪で、寛文の頃にはまだ普通にいたのかもしれない。島田髷の広まる過渡期になる。
 化粧坂は伊勢街道の初瀬にある坂で、「花やる」は着飾ることをいう。化粧の縁になり、さばき髪の田舎っぽい女も着飾って化粧して初瀬に詣でる。
 点あり。

七十八句目

   さばき髪けはい坂より花やりて
 風呂屋の軒をかへるかりがね

 風呂屋は関西では湯女の性的なサービスのある店。関東では普通の銭湯をいう。湯女は風呂に入るから、髷ではなくさばき髪だったのかもしれない。さっぱりとした顔で男たちが帰って行くのを、「花やりて」が俳諧で春なので帰る雁金に喩える。
 点なし。