2023年8月12日土曜日

  それでは『大坂独吟集』から第五百韻、鶴永独吟百韻「軽口に」の巻。

発句

   伏見の里に日高につき、下り舟待いとまあり
   ければ、西岸寺のもとへ尋ねけるに、折ふし
   淀の人所望にて、任口
   鳴ますかよよよよよどにほととぎす
   めづらしき句を聞、我もあいさつに此句を言
   捨、其よもすがら、ひとりねられぬままに書
   つづけ行に、あかつきのかね八軒屋の庭鳥に
   おどろき侍る。
 軽口にまかせてなけよほととぎす 鶴永

 鶴永は後の西鶴で、このころから速吟の軽口俳諧を得意としてたようだ。矢数俳諧でその名をとどろかすのはもう少し後になる。
 日の高いうちに伏見の里に着いて、大阪へ下る舟を待つのに時間があったので、西岸寺へ行くと、淀の人の所望で伏見の任口が、

 鳴ますかよよよよよどにほととぎす 任口

という句を詠んだ。これは、

 君によりよよよよよよとよよよよと
     ねをのみそなくよよよよよよと
            古今和歌六帖

の歌を踏まえたもの。

 君により代々夜々よよと夜々よよと
     音をのみぞ泣く代々夜々よよと

だろうか。任口の句の方も、

 鳴ますか代々夜々淀にほととぎす

であろう。
 面白い句だったので私鶴永も、

 軽口にまかせてなけよほととぎす 鶴永

の句を詠んだ。
 そのあと夜の船に乗って、眠れぬままに句を付けて行くと、大阪の八軒屋で夜明けの鐘を聞く頃に、この百韻一巻が完成した。
 なお、この頃の伏見は寂れていて、後に西鶴は『日本永代蔵』巻三「世は抜取り観音の眼」に、

 「その時の繁盛に変り、屋形の跡は芋畠となり、見るに寂しき桃林に、花咲く春は人も住むかと思はれける。常は昼も蝙蝠(かうふり)飛んで、螢も出づべき風情なり。京街道は昔残りて、見世(みせ)の付きたる家もあり。片脇は崩れ次第に、人倫絶えて、一町に三所(みところ)ばかり、かすかなる朝夕の煙、蚊屋なしの夏の夜、蒲団持たずの冬を漸(やうや)うに送りぬ。」

と記している。
 長点で「郭公も追付がたくや」とある。それくらいの即吟だった。


   軽口にまかせてなけよほととぎす
 瓢箪あくる卯の花見酒

 時鳥の季節は卯の花の季節。瓢箪に花見酒を汲んで軽口をたたく。
 卯の花の花見は後の其角編『虚栗』にも、

    四月十八日即興
 偽レル卯花に樽を画きけり    千之

の句があり、

   偽レル卯花に樽を画きけり
 鰹をのぞむ楼の上の月      其角

と、初鰹を肴にするという展開をしている。
 点あり。

第三

   瓢箪あくる卯の花見酒
 水心しらなみよする岸に来て

 水心はここでは水に風流を感じる心という意味か。あるいは酒の肴となる魚介を求めてのことか。江戸だと初鰹の季節だが、大阪のこの季節の肴は何だったのか。
 長点だがコメントはない。

四句目

   水心しらなみよする岸に来て
 こぎ行ふねに下手の大つれ

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注には「水心 水泳の心得」とある。
 舟をこいで逃げる者がいるのに、わらわらとやってきた岡っ引きの大群に、誰一人として泳げるものはいなかった。
 点あり。

五句目

   こぎ行ふねに下手の大つれ
 橋がかり今をはじめの旅ごろも

 「橋がかり」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「橋懸・橋掛」の意味・読み・例文・類語」に、

 「① 能舞台の一部で、鏡の間と舞台とをつなぐ通路。舞台に向かって左手後方に斜めに、欄干のある橋のように掛け渡されている。→のうぶたい(能舞台)。
  ※太平記(14C後)二七「東西に幄(かりや)を打て、両方に橋(ハシ)懸りを懸たりける」
  ② 初期の歌舞伎劇場の舞台の一部。見物席から見て左側(下手)奥寄りをいい、役者の登場、退場に用いられた。のち、上手出口すなわちチョボ床の下の廊下状板敷をいう。
  ※慶長見聞集(1614)五「をしゃう先立てまく打上はしかかりに出るを見れば」
  ③ 建物の各部をつなぐ通路として渡した橋。渡殿(わたどの)。
  ※浄瑠璃・公平入道山めぐり(1681‐88頃)五「くうでん・らうがく・はしがかり、仏前の方丈きらいなく、あなたこなたをほっかけたり」
  [補注]①について、古くは、舞台真後ろから奥に延びる形もあるなど、その位置・角度などは一定していない。」

とある。
 「今をはじめの旅ごろも」は謡曲『高砂』の冒頭で、

 「今を初めの旅衣、今を初めの旅衣日も行く末ぞ久しき。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.97). Yamatouta e books. Kindle 版. )

という阿蘇の宮の神主友成が都に上るついでに播州高砂の浦の松を見に行こうという所から始まり、シテとツレがともに橋がかりから舞台に上がる。
 謡曲『高砂』はこのあと住吉へ舟をこぎ出す物語で、それを大下手なツレが演じて、シテの足を引っ張る。
 長点で「下手にはあらで、句体は春藤高安に見え候」とある。春藤はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「春藤流」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘名〙 能楽の脇方(わきかた)の一派。金春座付の脇方として春藤源七友高を祖とし、天文年間(一五三二‐五五)に始まったが、明治に至り廃絶。」

とあり、高安はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「高安流」の意味・読み・例文・類語」に、

 「① 能のワキ方の一派。河内高安の人、高安長助(一説には、長助の子で金剛流ワキ方一〇世金剛又兵衛康季の養子となった高安与八郎)を祖とする。
  ② 能の囃子(はやし)方の大鼓(おおつづみ)の一派。室町末期、観世小次郎信光の子、観世彌三郎元供に大鼓を学んだと伝えられる、高安与右衛門道善を祖とする。」

とある。いずれも能のワキ方の一流の家になる。

六句目

   橋がかり今をはじめの旅ごろも
 虹立そらの日和一段

 旅立つと雨上がりの虹が見えて、日和も一段と良くなる。
 街道の起点は東海道だと日本橋と三条大橋で、橋から旅立つことが多い。
 点なし。

七句目

   虹立そらの日和一段
 文月や爰元無事にてらすらん

 「爰元無事」は文(手紙)の決まり文句で、文月の月の照らすと掛ける。
 雨上がりの空に虹が出て、月も照る。七夕頃の空か。
 点あり。

八句目

   文月や爰元無事にてらすらん
 きんかあたまに盆前の露

 「きんかあたま」は金柑頭であろう。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「金柑頭」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘名〙 毛髪がなくて金柑(きんかん)のように赤く光った頭。はげあたま。きんかんあたま。金魚頭。きんか。
  ※俳諧・鷹筑波(1638)三「ひかりものなりあらおそろしや たれしかるきんかあたまをふりまわし〈静寿〉」
  [語誌]語源として、「金革」の略とも、「きんかり」光るさまからともいわれる。この語の使用時期より古くキンカン単独での例が見られるところから、直接的には柑橘類の「金柑」の形状からの連想が考えられるが、光るさまをいう擬態語「ぎんがり」との音の類似、また、「金」と光るイメージの類似など、複合的背景のあることも考えられる。

とある。明智光秀が有名だ。
 前句の「てらす」から禿げ頭が光って月のように照らす、とする。

2023年8月11日金曜日

  芭蕉の元禄五年二月十八日付曲水宛書簡に、

 「風雅の道筋、おほかた世上三等に相見え候。点取に昼夜を尽し、勝負を争ひ、道を見ずして走り廻る者あり。かれら風雅のうろたへ者に似申し候へども、点者の妻子腹をふくらかし、店主の金箱を賑はし候へば、ひが事せんにはまさりたるべし。」

とあるのは、昔からよく知られてることだが、見てないけど今テレビを賑わしてるプレバト!! 何かもこの類じゃないかな。
 夏井は一回の点料が何十万とも言われてるけど、代表作をググってもなかなか出てこない。
 ようやくいくつか見つけた。

 泪より少し冷たきヒヤシンス いつき

 まあ冷えるから冷やしんす、というのは分る。それに泪というとちょっとセンチメンタルで、
あつい涙よりは少し冷たいヒヤシンスに冷やしておくれということなのだろうか。

 手にとらば消んなみだぞあつき秋の霜 芭蕉

のように、秋の霜(母の遺髪)のような冷たい対象に対して熱い涙を流す方が感覚的には合っている。

 消えて行くあつき泪よヒヤシンス

くらいにしておきたい。

 遺失物係の窓のヒヤシンス いつき

 この句は切れ字がないので「窓や」としたいところだ。
 ヒヤシンスに遺失物係の窓という取り合わせは、確かに水栽培の手軽なヒヤシンスなど、役所の窓辺にあってもおかしくないが、あるあるというほどのものでもないし、取り合わせの意味が分からない。それに何の取り囃しもないのも淋しい。
 点者で成功する人は、必ずしも佳句を残しているわけではない。夏井さんのポジションは芭蕉の時代で言えば調和のポジションに近いのかもしれない。
 最後に芭蕉の同じ書簡の言葉。

 「志を勤め情を慰め、あながちに他の是非をとらず、これより実の道にも入るべき器なりなど、はるかに定家の骨をさぐり、西行の筋をたどり、楽天が腸を洗ひ、杜氏が方寸に入るやから、わづかに都鄙かぞへて十の指伏さず。君も則ちこの十の指たるべし。よくよく御つつしみ、御修業ごもつともに存じ奉り候。」

 俺はやはりこの方向で行きたいと思う。宗祇の連歌、芭蕉の俳諧の骨を探り古典の筋をたどり、それが大事だと思う。今は宗因の筋も探ってるし、西鶴や其角にも挑戦したい。
 あと「大坂独吟集」第二百韻「松にばかり」の巻を鈴呂屋書庫にアップしたのでよろしく。

 それではX奥の細道の続き。

六月二十一日

今日は旧暦6月20日で、元禄2年は6月21日。酒田。

今日も良い天気で、昨日の三吟の続きをした。
不玉「前句のゑびすを恵比寿講のこととして、そのご馳走の雁を用意する。」

  ゑびすの衣を縫々ぞ泣
明日しめん雁を俵に生置て 不玉

芭蕉「確かに恵比寿講の時って、振り売りが雁を売りに来るな。ここは普通の街ではなく、陣中の市にしようか。秀吉は軍の士気を低下させないように、陣中で市を開いたという。」

  明日しめん雁を俵に生置て
月さへすごき陣中の市 芭蕉

曾良「陣中といえば、お忍びで殿様の奥方が会いに来たりして、さながら真葛が原に通うみたいですな。」

  月さへすごき陣中の市
御輿は真葛の奥に隠しいれ 曾良

不玉「真葛が原に訪ねてきたのは稚児さんだったりして。輿に乗ってたのは高僧で、小袖袴をプレゼントする。」

  御輿は真葛の奥に隠しいれ
小袖袴を送る戒の師 不玉

芭蕉「そのお坊さん、出家前には妻と娘がいて、その娘と再会する。説経節とかにありそうな場面だし、西行物語でも西行が娘と再会する場面があったな。」

  小袖袴を送る戒の師
吾顔の母に似たるもゆかしくて 芭蕉

曾良「没落した家で母の家も売ってしまったが、母譲りの自分の容色はまだ衰えていない。」

  吾顔の母に似たるもゆかしくて
貧にはめらぬ家はうれども 曾良

不玉「貧しくて衰えたのではないが、家を売るようなことというと、古今伝授のことかな。奈良の饅頭屋に伝授された奈良伝授ってあったよね。」

  貧にはめらぬ家はうれども
奈良の京持伝へたる古今集 不玉

芭蕉「奈良といえば奈良の僧坊酒、南都諸白。花見には欲しいものだ。」

  奈良の京持伝へたる古今集
花に符を切坊の酒蔵 芭蕉

曾良「花の頃は鶯も巣を作り始める。」

  花に符を切坊の酒蔵
鶯の巣に立初る羽づかひ 曾良

不玉「前句の羽づかひを羽箒のこととして、折から孵化した蚕の掃立の作業も始まる。」

  鶯の巣に立初る羽づかひ
蠶種うごきて箒手に取 不玉

芭蕉「みちのくは養蚕が盛んだからな。家の戸に錦木を立てて機を織り続ける謡曲錦木にしてみようか。」

  蠶種うごきて箒手に取
錦木を作りて古き恋を見ん 芭蕉

曾良「大宮人もまたいろんな色を好むものです。大和歌も色好みの道と言いますし。」

  錦木を作りて古き恋を見ん
ことなる色をこのむ宮達 曾良

六月二十二日

今日は旧暦6月21日で、元禄2年は6月22日。酒田。

夜に少し雨が降ったが、今日は朝から曇り。今日も休養に当てよう。
これから帰り道だと思うと気が重い。

芭蕉「そういえばこの前の話だと魂魄は気で消散するけど、魂を祀る心は理で不易だという話だったか。その気と理の違いなんだが。」
曾良「気は目に見えるもの耳に聞こえるもの、森羅万象全てがそれで、理はその根底にあるもの、そう言ったところかな。」

芭蕉「仏教でいう色相と実相の関係か。」
曾良「多分そう言ってもいいんだと思う。朱子学だと気は空間的に捉えられるが、理は時間的なんだ。
ただ様々な物が空間的に併存するのではなく、その因果や成り立ち、始まり終わりを時間的に捉えることで、それを考えたりできる。それが人間だという。」

芭蕉「因果を断つんではないんだ。」
曾良「因果を断つ、つまり輪廻を絶って解脱するというのは朱子学にはない考え方だ。
仏教のような前世来世はないし、あくまで現世に様々な物が混沌と存在してるだけで、そこから因果を見つけ出すことが重要になる。格物窮理とはそういうことだ。」

芭蕉「よくわからないが、人間というのは時間なのかい。」
曾良「難しい所だけど、多分時間そのものというよりは時間を意識できる、時間に対して開かれている、ということではないか。」
芭蕉「この時間には前世や来世はないのか。」
曾良「想像することはできるが、実際にはこの世界しか知らない。」

芭蕉「死んだら終わりということなのか。」
曾良「まあ、魂はこの大気に溶けてゆくということだ。肉体は土に帰り、魂は風となって大地を駆け巡ると思えばいいんじゃないかな。」

六月二十三日

今日は旧暦6月22日で、元禄2年は6月23日。酒田。

昨日の夕方から晴れている。今日もゆっくり休もう。
夜に三郎兵衛の家に招待されている。興行ではないし、発句も別に作っておかなくていいかな。

芭蕉「それでは昨日の続きだが、誠の心というのは理でいいのかい。」
曾良「人間の心は四端と七情に分けられる。七情は普通の喜怒哀楽の情で、これはその時の個人的な感じ方だったりする。これに対して四端から突き起こされる情は理から来る。」

芭蕉「どっちも情だけど気から発するか理から発するかで、私情と本意本情とが決まるわけか。」
曾良「例えば惻隠の心は同じ命あるものへの気遣い。花が咲くのを喜び散るのを悲しむのも、春に万物が生じるのを喜び秋に止むのを悲しむのも、惻隠の心が働いた情ではないかと思う。」

芭蕉「飛花落葉の心は元は一つということか。同じように人が生まれるのを喜び、老いて死んでくことを悲しむ。」
曾良「その気遣いが死後にまで及ぶなら、死者の魂を悼み、蘇ることを願うのも自然の情ということになる。」

夕飯を食ってから近江屋三郎兵衛の家に行った。真桑瓜を一個持ってきて、「発句を詠んだら食べていい」なんてぬかしおった。
食えない奴だから料理してやらないとね。
でもどうやって切ろうか。
曾良と三人で食べるのに四つに切ると一つ余るしなあ。

輪切りにすると六つにできるが、大きいのと小さいのができる。
誰か真桑瓜を正確に三等分する方法を教えてくれ。ってそれを句にすればいいか。

初真桑四にや断ン輪に切ン 芭蕉

三郎兵衛もちょっと考え込んで、悪かったと言って真桑瓜をもう二個持ってきた。
瓜の花の咲く中で瓜が食べられて、両方の盛りがいっぺんに来たとヨイショしようと思って、

花と実と一度に瓜のさかりかな 芭蕉

という句も作ってみた。

六月二十四日

今日は旧暦6月23日で、元禄2年は6月24日。酒田。

昨日の夕方から晴れて、今日は良い天気だ。明日はここを発とうと思う。

芭蕉「俳諧ではよく花実ということを言うし、昨日もそれに掛けて、花と実と一度に瓜のってしてみたが、花は七情で実は四端ということになるのかな。」

曾良「七情というのは四端と対立するものではなく、四端に動かされて七情が表に現れるわけだから、実に対して花という場合はその表に現れた部分という意味じゃないかな。
朱子学には未発既発と言って、既発のものがさまざまな花となるが、未発で表に現れなければそれが実ということになるのか。」

芭蕉「花は句の表に現れた喜怒哀楽の生き生きとした姿で、実は余情として句の裏に隠されたもの、ということでいいんだな。」
曾良「よくある喩えだと、未発は何もしないでいる無為の状態で、既発は座臥行往屈伸伏仰の様々な形となって現れた姿ということになる。」

芭蕉「花が咲くのは嬉しいもんだが、それをただ単にちょっと忙しくて花を見ても何とも思わないだと私情になる。付句では構わないが発句には為し難い。
でも他の四端が働いて花が嬉しくないだったら良いわけだ。

杜甫の感時花濺涙のように、戦乱で国が荒れ果ててるという場合は、悪を憎む是非の心というもう一つの四端が働いていて、それが花への惻隠の心を上回っていれば良いわけだ。」
曾良「なるほど。ならばわかる。」
芭蕉「本意本情は新たな創作の枷にもなるが、それを打ち破っても四端に発するなら可だ。」

2023年8月10日木曜日

 まあとにかく日本の場合、マスコミが政府のスキャンダルを見つけ出してはあることないこと書き立てて、デモも流せば露骨な印象操作も繰り返している。昔東スポがやってたような見出しで釣るやり方を、今は主要新聞やNHKまでもが真似をしている。
 結局、叩けば叩くほど、政治そのものへの不信感が広まるだけで、野党も支持率を下げ、新聞の売り上げも減り、テレビも見なくなる。
 そんなことを繰り返している。
 そんな中でXのコミュニティノートだけが、正しい情報へのアクセスを教えてくれてる。基本的には自分で調べる習慣を付けなければいけないんだと思う。
 あの花火大会で地元民が閉め出されているとか、その花火大会のホームページを見れば、ちゃんと無料エリアが設置されているのが分る。ネットニュースの見出しだけ見てても何もわからないが、必ずどこでも広報があって、きちんとした情報を流しているから、それを確認するというひと手間かけるだけでも陰謀説にはまるのは防げると思う。
 デマや印象操作を駆逐するには、正確な情報を広めるしかない。昔も今も一緒だ。
 デマは同じデマを信じる共同体をつくる傾向があるため、一度はまるとにそこから出ることは難しい。新たな被害者を作らないことが一番大事だ。

 あと「大坂独吟集」第一百韻「去年といはん」の巻を鈴呂屋書庫にアップしたのでよろしく。

 それではX奥の細道の続き。

六月十六日

今日は旧暦6月15日で、元禄2年は6月16日。象潟へ。

今朝も雨が止んでると思って吹浦を出たが、女鹿番所を過ぎる頃にまた雨が降り出した。庄内藩から幕府領の小砂川に入る。馬はないが象潟の塩越までの船はあるという。
雨はまた土砂降りになり、船着場の小屋で一休みするが、船が出る様子もない。

結局小砂川から陸路を行くと、途中に本荘藩との境目にうやむやの関があった。

東路のとやとやとほりの曙に
   時鳥鳴くむやむやの関

の歌が夫木抄読人不知の歌にあったな。

何とか昼頃には塩越に着いた。彦助の知り合いの佐々木孫左衛門の家を訪ねた。
ちょうど女性客が来てるということで、向かい側の家に案内され、服を乾かして休ませてもらい、うどんまでご馳走になった。

象潟は内海で、それが外海と接する辺りが塩越で、ここと皇后山干満珠寺との間に橋があり、この狭い所で内海と外海が繋がってる。
今日は橋を渡らずに、ただここで雨の夕暮れの景色を眺めた。

松島は晴天で笑っていたが、ここは雨で恨んでいるかのようだ。
恨みといえば水死した西施。
恨みを抱きながらも、この世の苦しみからこれで解き放たれるんだと諦念した、そんな涅槃の眠りにつく顔を思わせる。

象潟や雨に西施がねぶの花 芭蕉

六月十七日

今日は旧暦6月16日で、元禄2年は6月17日。象潟。

今朝も小雨が降ってたが、とりあえず朝飯を食って干満珠寺へ行った。塩越はちょうど祭りをやってて人も多く、賑やかだが、祭りは午後も方が盛り上がるようだ。
干満珠寺もまた立派な伽藍で、南の干潟の辺りに西行桜があった。

西行法師の、

象潟の桜は波にうづもれて
   花の上漕ぐあまの釣り舟

の歌は向こう側の能因島の方からの眺めだろう。花の季節だったら花の波が見れたんだろうな。

一旦孫左衛門の向かいの宿に帰ってからお祭りを見に行った。そういえば本宅の方に泊まった女性客もお祭りを見に来てたんだっけ。熊野権現では踊りをやってた。
雨は昼には止んで日は差してきたが、山は雲に隠れてた。

曾良「象潟の祭りはいろいろと興味深かった。夕食が楽しみだ。象潟の祭りは料理何食うんだろう。」
芭蕉「それいい。発句にしちゃいなよ。」
曾良「発句にするというと、象潟は料理何食うや‥祭‥。こんなんでいいのかな。」

象潟や料理何食う神祭 曾良

昨日からちょくちょく訪ねてきてた加兵衛の誘いで、夕飯はまだ日のあるうちに外海の冠石の浜辺に板を敷いて、加兵衛の奥さんの焼いてくれた小鯛を食べた。

小鯛さす柳涼しや海士がつま 芭蕉

加兵衛「まあ、妻といえば北の方とも言うし、それに象潟の潟を掛けて。」

  小鯛さす柳涼しや海士がつま
北のかたよる沖の夕立

まあ、酒が回ってきたか低耳も不玉も海に入って腰までびしょ濡れで、翁も早くと言うから、まあこれも旅の楽しみかと、足先を濡らしてみたら、波がざばーんと来た。

腰たけや鶴脛ぬれて海涼し   芭蕉
象潟や蜑の戸を敷磯涼     低耳
象潟や汐焼跡は蚊のけぶり   不玉

曾良「みんなあの浜辺の句を詠んだから自分も続こうと思ったが、象潟の苫屋の土座で飲んだと言うところで季語が出てこない。前に月山の時もそうだったな。
明やすしでとりあえず結んだけど、別にここで夜を明かしたわけではない。」

象潟や苫やの土座も明やすし 曾良

夕食のあと象潟に船を浮かべて、夕暮れ景色を楽しんだ。
そこでまた酒とおつまみを持ち込んだが、自分はお茶にした。
夕暮れの波が空の残光を映して白く光って、西行の花の波ではないが、波の花もまた悪くないと思った。

夕晴や桜に涼む波の花 芭蕉

宿に戻ると加兵衛の兄の又左衛門もやってきた。曾良が例によってここの祭や神社のことをあれこれ詮索するけど、伝承に乏しくて困ってたな。

六月十八日

今日は旧暦6月17日で、元禄2年は6月18日。象潟。

今朝はよく晴れた。早速干満珠寺の前の橋まで行って、晴れた象潟の景色を見た。鳥海山が今日は雲もなくはっきりとその姿を現した。
今日ここで引き返すのだと思うと、胸が潰れる思いだ。

未知の世界に足を踏み入れ、次は何が見れるのかドキドキする感覚。人生はそういう旅ではなかったのか。
昨日もそれで曾良と言い争いになった。
秋はもう近いし、この北の地方はすぐに雪に閉ざされる。今のうちに引き返さないと帰れなくなる、と。
辺鄙な地方では馬もなく、今までも歩きっぱなし。

歳を考えなさい、と。
それにここから北には知ってる門人もいないし、泊まれる所もあるかどうかわからない、と。
それでも北へ行ってみたかった。津軽も蝦夷も行ってみたかった。

ゆっくり飯を食ってから出発した。北から吹く饗(あい)の風もどこか悲しげだ。

曾良「芭蕉さん、名残惜しいのは分かります。だけどせっかく今日はあの狭い海沿いの道を歩かずに、船で帰れるんだし、海川の景色は素晴らしく、良い風も吹いてることですし。」

海川や藍風わかる袖の浦 曾良

あれから気を取り直して、この前貰った会覚の発句を思い出した。
思えば羽黒山には大きな杉の木が沢山あって、そこで蝉が鳴いてたな。着いた時には三日月が見えてたっけ。あれは忘れない。

  忘なよ虹に蝉鳴山の雪
杉の茂りをかへり三ケ月 芭蕉

不玉「発句が山の雪だからここは水辺に転じよう。狩人が狩猟用の小さな弓を手に持って磯を歩いてると、西の空に夕暮れの三日月が見える。」

  杉の茂りをかへり三ケ月
磯伝ひ手束の弓を提て 不玉

曾良「狩人ではなく馬に乗った武将にしましょう。潮が引いた時に馬で通り抜けて、そのあと潮が満ちるとその通った跡がなくなる。」

  磯伝ひ手束の弓を提て
汐に絶たる馬の足跡 曾良

六月十九日

今日は旧暦6月18日で、元禄2年は6月19日。酒田。

今日も良い天気だ。
昨日の夕方m酒田の玄順の家に戻った。
明日は彦助が江戸に行くというので、杉風への手紙と、鳴海の知足や名古屋の越人への手紙を持たせようと思って今書いてる。
曾良もどこか出す手紙があるようだ。

午後から玄順(不玉)と三吟興行をしようというので、発句を考えた。
昨日吹浦まで帰ってきた時、南に温海山が見えたので、暑そうな温海山も吹浦から吹くアイの風に涼しくなるように、ということで、

温海山や吹浦かけて夕涼 芭蕉

午後からさっきの発句で三吟興行を始めた。

不玉「海辺での夕涼みですな。あれは楽しかった。ここは漁師の海松刈る磯での一休みにしておこう。」

   温海山や吹浦かけて夕涼
みるかる磯にたたむ帆柱 不玉

曾良「では夕涼みから月見に転じましょうか。旅体ということで、海辺の関屋で酒盛りですね。」

  みるかる磯にたたむ帆柱
月出ば関やをからん酒持て 曾良

芭蕉「関屋の辺りは陶芸が盛んで、その窯の煙で月が見えないから、町はずれの関屋で月見する。」

  月出ば関やをからん酒持て
土もの竈の煙る秋風 芭蕉

不玉「焼物というと薪が必要。秋だから紅葉した柏の木を切って乾かす。」

  土もの竈の煙る秋風
しるしして堀にやりたる色柏 不玉

曾良「前句を掘りに行くではなく、お堀に取り成しましょう。お城だからもののふですね。実朝の歌にもあるように、籠手の上に霰たばしる。」

  しるしして堀にやりたる色柏
あられの玉を振ふ蓑の毛 曾良

芭蕉「蓑を着て霰に打たれてるのは長良川の鵜匠にしようか。冬は鳥小屋で鵜の世話をしている。」

  あられの玉を振ふ蓑の毛
鳥屋籠る鵜飼の宿に冬の来て 芭蕉

不玉「白髪頭の老人が焚火の火に浮かび上がる。漁の時は髪を結って烏帽子を被るが、今は髪を垂らしている。」

  鳥屋籠る鵜飼の宿に冬の来て
火を焼かげに白髪たれつつ 不玉

曾良「藻塩焼く海士のことにでもしましょうか。海辺の街道は道が狭くて、波打ち際をやっと通れる、象潟の道がそうでしたね。昔だったら須磨明石か清見が関か。」

  火を焼かげに白髪たれつつ
海道は道もなきまで切狭め 曾良

芭蕉「みちのくの旅の土産といえば、武隈の松の松ぼっくりかな。木曽の栃の実を荷兮子への土産にしたけど。」

  海道は道もなきまで切狭め
松かさ送る武隈の土産 芭蕉

不玉「遊女には値のはる物を貢ぐのが普通だが、松ぼっくりを送るとは、旅の鄙びた田舎の遊女か。」

  松かさ送る武隈の土産
草枕おかしき恋もしならひて 不玉

曾良「旅で恋のことで祈るなら、やはり道祖神でしょうか。道祖神は巷の神で猿田彦大神のことでもあります。土金の徳を持ち、天の天照大神に対して、我ら臣民にとっての最高神は猿田彦大神に他なりません。」

  草枕おかしき恋もしならひて
ちまたの神に申かねごと 曾良

六月二十日

今日も良い天気だがとにかく暑い。旅の疲れを癒すのに専念しよう。
三吟の続き。
芭蕉「巷の女に会いに行く時の源氏の君に同行する惟光の気持ちで。」

  ちまたの神に申かねごと
御供して当なき吾もしのぶらん 芭蕉

不玉「世を忍ぶことにして西行法師にでもしようか。吉野の山に籠って弥勒の世を見に行く。吉野金峯山寺は弥勒様のお寺。」

  御供して当なき吾もしのぶらん
此世のすゑをみよしのに入 不玉

曾良「大きな寺院では麓に妻帯した僧も沢山住んでますね。鐘は吉野世尊寺の三郎鐘。」

  此世のすゑをみよしのに入
あさ勤妻帯寺のかねの声 曾良

芭蕉「妻帯した親鸞は越後流刑だっけね。ここはちょっと佐渡に流刑になった日蓮のイメージを加えて、架空の僧の法難としておこう。」

  あさ勤妻帯寺のかねの声
けふも命と嶋の乞食 芭蕉

不玉「花と一緒に散ってしまうまい。何とか生き延びようとする流人は、薬効のある茱萸(ぐみ)を折って食べる。」

  けふも命と嶋の乞食
憔たる花しちるなと茱萸折て 不玉

曾良「花には朧月。鳩も心あるのか、桜の枝ではなく茱萸の枝で巣を掛ける。」

  憔たる花しちるなと茱萸折て
おぼろの鳩の寝所の月 曾良

不玉「鳩は山鳩で山奥にその声が木魂する。」

  おぼろの鳩の寝所の月
物いへば木魂にひびく春の風 不玉

芭蕉「木魂は木の精霊ということで、春のその声の主は山姫であろう。山姫は式目では非人倫。つまり人外。」

  物いへば木魂にひびく春の風
姿は瀧に消る山姫 芭蕉

曾良「山姫が現れたので、山で荷物を運んでたいかつい剛力さんもびっくりですね。」

  姿は瀧に消る山姫
剛力がけつまづきたる笹づたひ 曾良

不玉「剛力さんといえば修験者に従って荷物を運ぶ人だから、棺桶を運ぶこともある。」

  剛力がけつまづきたる笹づたひ
棺を納るつかのあら芝 不玉

芭蕉「棺桶の中の遺体は死化粧が施され、棺の行く道も霜が降りて岩も白く化粧する。」

  棺を納るつかのあら芝
初霜はよしなき岩を粧らん 芭蕉

曾良「粧うというと女性ですな。やはり美女がいいでしょう。匈奴に嫁がされた王昭君ですな。」

  初霜はよしなき岩を粧らん
ゑびすの衣を縫々ぞ泣 曾良

2023年8月9日水曜日

 カクヨム短歌・俳句コンテストに応募した時にアカウントを作ったので、それからそこに投稿された小説を読むようになった。
 読書量が表示され、大体十万字を一冊分と勘定しているので、今のところこれまでの累計が1,432,794字、14冊分になっている。一月ちょっとでこんなに読んでいたのかというくらいの量だ。今までのkindleではせいぜい月四冊か五冊だったから、一気に読書量が増えている。
 まあ、閑な御隠居さんだからということもあるだろうけど、現役世代でも本屋に行く手間もないし、手軽に読めるということで、若い世代は「なろう」や「カクヨム」などの投稿サイトで無料で読むほうが主流になってるのかもしれない。
 これに対し書籍化されたものを紙の本や電子書籍で読む層は、これまでの自分がそうであったように、かなり年齢層が高いのではないかと思う。
 つまりデータに現れるラノベの読者層は書籍化後の読者だからかなり年齢層が高く、データに現れない投稿サイトで直接読む層は、多分お金に余裕のない若者層が中心になっているんではないかと思われる。
 投稿サイトは作家と読者の間にタイムラグがないため、本当に今面白い、今受ける小説が読める。これに対し書籍はタイムラグが大きく、ましてそれがアニメ化される頃には何年も経過することになる。
 小説投稿サイトはかつて俳諧が通ったのと同じ問題が生じる可能性がある。それは柳田國男も指摘してた作者の過剰の問題だ。
 これまでは小説家になろうと思ったら、まずまとまった分量の作品を書き上げて、その原稿を持って出版社を回らなくてはならなかった。そして類稀な幸運によって出版までこぎつけても売れるという保証はないし、売れたとしてもその印税は一年後になる。それまでの長い間食つなぐのは大変なことで、高度成長後はサラリーマンと両立させる人も出てきたが、それ以前まではいわゆる破滅型の人が多かった。それくらい人生のすべてを小説に賭ける覚悟がなければ、小説家なんて志せない時代だった。
 今は違う。スマホでも執筆できるし、パソコンやタブレットを使うにしても今はどこでもできるようになった。(中には原稿用紙に万年筆で書いてから入力してる人もいるが、それは趣味の問題だ。)
 それで毎日一章づつ投稿してゆくだけで、取り合えず人の目には触れることになる。あとはその膨大な数の執筆者の中でいかに抜きんでるかだけの勝負になる。
 この状態ではプロとしての自立は無理だし、二、三冊書籍化できても、とてもではないが印税生活はできない。しかもネット読者が増えれば増える程、書籍全体の売り上げが下がってゆくことになる。
 程なくほとんどの作家が専業では食えない時代が来るのではないかと思われる。
 誰でも小説家になれる時代は、結局小説自体の希少価値を失ってゆくのかもしれない。絵師にしても既にそういう状態なのかもしれない。

 あと「呟き奥の細道」改め「X奥の細道」の五月分を鈴呂屋書庫にアップしたのでよろしく。

 それでは今日はX奥の細道の続き。

六月十二日

今日は旧暦6月11日で、元禄2年は6月12日。鶴岡。

昨日から時折にわか雨が降る不安定な天気だ。
昨日の俳諧の続き。
芭蕉「畑になった廓の値段は一歩だった。」

  旧の廓は畑に焼ける
金銭の春も壱歩に改り 芭蕉

重行「奈良の都では和同開珎が鋳造され、一歩とされた。出来たばかりの貨幣を投げ打って、帰国した遣唐使が唐で学んだ豆腐の店を開く。」

  金銭の春も壱歩に改り
奈良の都に豆腐始 重行

曾良「奈良の都の冬は寒く、雪の夜はやはり湯豆腐が良いですな。」

  奈良の都に豆腐始
此雪に先あたれとや釜揚て 曾良

芭蕉「湯豆腐に誘ってくれたのは上臈か遊女か。夜着や布団ではなく寝巻き姿という所が艶やか。」

  此雪に先あたれとや釜揚て
寝まきながらのけはひ美し 芭蕉

露丸「遊女は美しくも悲しいもの。筑紫船に乗せられて売られてゆく。」

  寝まきながらのけはひ美し
遥けさは目を泣腫す筑紫船 露丸

曾良「筑紫船を筑紫へ向かう平家の船としましょうか。仲間が一人、また一人討たれてゆく。」

  遥けさは目を泣腫す筑紫船
所々に友をうたせて 曾良

重行「友をうたせては法難で弟子を失った開祖様にしようか。それにも負けずに千日回峰行のための庵を構える。」

  所々に友をうたせて
千日の庵を結ぶ小松原 重行

露丸「修行のための庵なのに、カタツムリを踏んで殺生をしてしまう。」

  千日の庵を結ぶ小松原
蝸牛のからを踏つぶす音 露丸

芭蕉「愛しい人の夢を見たのに、カタツムリを踏んで目を覚ましてしまう。あな疎し。穴を導き出す序詞を付けようか。」

  蝸牛のからを踏つぶす音
身は蟻のあなうと夢や覚すらん 芭蕉

重行「あな疎‥それで蟻と仲良くするんだったら落馬だな。我落ちにきの僧正遍照さんの俳諧歌から女郎花に落ちたとか。」

  身は蟻のあなうと夢や覚すらん
こけて露けきをみなへし花 重行

曾良「月の定座ですね。月に気を取られて転んだことにしましょう。風狂な行脚の僧ですな。」

  こけて露けきをみなへし花
明はつる月を行脚の空に見て 曾良

芭蕉「行脚の僧といえばみちのくの行脚。幾つもの温泉を渡り歩く。」

  明はつる月を行脚の空に見て
温泉かぞふる陸奥の秋風 芭蕉

露丸「ここは能因法師の逆パターンで、秋風にみちのくの温泉に入って、正月の氷室の氷の厚さを模した氷様(ひのためし)を奏す頃には都に戻りたい。」

  温泉かぞふる陸奥の秋風
初雁の比よりおもふ氷様 露丸

曾良「氷室神社の千木は男の神様なのに横そぎの雌千木になってましてな。男の娘でしょうか。横そぎ作る宮ではそのまんまですから、雄とも雌ともつかない山そぎというのは。実は両性具有。」

  初雁の比よりおもふ氷様
山殺作る宮の葺かへ 曾良

重行「男の娘とか両性具有とか、その性壁ついて行けんのう。男勝りの尼さんくらいなら。」

  山殺作る宮の葺かへ
尼衣男にまさる心にて 重行

露丸「尼だけど心は男で、真間の継橋を渡って手古奈に会いにゆくってのはどうかな。」

  尼衣男にまさる心にて
行かよふべき歌のつぎ橋 露丸

芭蕉「歌の継橋だから、ここは歌の道の伝授を受けるということで、古今伝授の三鳥の秘事の一つを。これは春澄も分からなかったからな。」

  行かよふべき歌のつぎ橋
花のとき啼とやらいふ呼子鳥 芭蕉

曾良「どんな声か知りませんが、エコーがかかって輪郭のはっきりしない声が聞こえたら、それがきっと呼子鳥なんでしょう。」

  花のとき啼とやらいふ呼子鳥
艶に曇りし春の山びこ 曾良

六月十三日

今日は旧暦6月12日で、元禄2年は6月13日。鶴岡を出る。

昨日の昼から晴れて、今日はいい天気だ。これから赤川を船で下って酒田へ向かう。
船に乗ろうとしてた時に、羽黒山から飛脚が来て、浴衣2枚と、

忘なよ虹に蝉鳴山の雪 会覚

の発句を送ってきた。

鶴岡から船で下ること七里、赤川は海の近くで最上川に合流すると、その対岸が酒田だ。
途中ちょっとぱらぱらっと来たが、すぐに止んだ。夕日は見えなかった。
酒田の玄順の家に着いたが玄順はいなくて、明日の朝戻るということだった。

六月十四日

今日は旧暦6月13日で、元禄2年は6月14日。酒田。

今日は晴れて暑い。玄順にも会えて、寺島彦助の家に招かれた。
興行になるので発句を用意しないとね。
昨日酒田に作る直前、最上川に出た時に海が見えたっけ。海に入りたる最上川。挨拶だから涼しいと一応褒めて、

涼しさや海に入たる最上川 芭蕉

暑い中、寺島彦助の家で興行をした。俳号は詮道という。玄順の俳号は不玉。それに曾良とあと三人ばかり集まった。発句はさっき作った。

涼しさや海に入たる最上川 芭蕉

詮道「最上川河口はとにかく広くて漠としてのう。明け方そこに満月が沈んで行くと、波がキラキラと光って物憂げで、その憂きに浮き海松をかけて。」

  涼しさや海に入たる最上川
月をゆりなす浪のうきみる 詮道

不玉「んだ。憂きといえば海辺に住む流人か隠遁者で、窓開けて月を見るだ。そしたら鴨がたくさん飛んでて、夏だから黒鴨だ。」

  月をゆりなす浪のうきみる
黒がもの飛行庵の窓明て 不玉

定連「窓を開けて外の天気を見るだ。雨が降りそうでの。」

  黒がもの飛行庵の窓明て
麓は雨にならん雲きれ 定連

曾良「もうすぐ雨が降るというので、外へ出ずに内職ですね。次の市の立つ時のために、この辺りの名産品の樺細工のお盆を作っておくというのはどうでしょう。」

  麓は雨にならん雲きれ
かばとぢの折敷作りて市を待 曾良

任暁「内職といえば夜だの。油の火を頼りに。」

  かばとぢの折敷作りて市を待
影に任する宵の油火 任暁

扇風「前句の影をやってくる男の影として、男を待つ女の不機嫌な恋心にしておこう。」

  影に任する宵の油火
不機嫌の心に重き恋衣 扇風

六月十五日

今日は旧暦6月14日で元禄2年は6月15日。象潟へ。

今日は朝から小雨が降っている。彦助の案内で象潟へ行くんだが、道は大丈夫だろうか。

結局吹浦まで来たが、ここで土砂降りの雨になって、道はドロドロだしここから先は海沿いの細い道になるので、今日はここで一泊することにした。

2023年8月8日火曜日

 何が正しいっていうと、大抵はみんなが言ってるごく常識的なことが正しかったりするもんだが、そんな常識的なことを言ってても普通すぎて、誰も凄いことを言ってるとは思わないし偉いとも思わない。
 かえって滅茶苦茶なことを言ってる方が、何か凡人には分らない深遠な真理を知ってるんじゃないかということで、むしろそっちの方が多くの人の尊敬を集める。
 ネット上のインフルエンサーなんてのは大体そんなもんかもしれない。俺がインフルエンサーになれないのは、普通すぎるからなのだろう。しょっちゅう炎上するくらい出鱈目なことが言えなければインフルエンサーにはなれないんだと思う。
 そういう有名な人が何度コニュニティーノートをつけられても平然としてられるのは、確かに肝が据わってる。

 それでは「十いひて」の巻の続き。挙句まで。

名残裏
九十三句目

   引三線は座頭よりなを
 鯨よる浦づたひしてふなあそび

 前句の座頭をザトウクジラのこととする。
 点なし。

九十四句目

   鯨よる浦づたひしてふなあそび
 五分一は先たつ友千鳥

 五分一は収穫の五分の一を徴収するということか。コトバンクの「日本歴史地名大系 「五分一町」の解説」の、明石の五分一町の由来の所に、

 「もとは西樽屋町のうちで紺屋こんや町と称した。五分一町の町名は、当町の西側にあった明石湊の出入湊税を取扱った帆別役所の役宅があり、収納した税を役所・明石町・郡代官所・下役人の間で五分割していたことに由来する。」

とある。
 この句の場合は獲れた鯨の五分の一は千鳥が持って行くということか。
 点あり。

九十五句目

   五分一は先たつ友千鳥
 勘定帳幾夜ね覚めにとぢぬらし

 千鳥に「幾夜寝覚め」と来れば、百人一首でもお馴染みの、

 淡路島通ふ千鳥の鳴く声に
     幾夜ねざめぬ須磨の関守
           源兼昌(金葉集)

になる。五分一の支払いに苦労して、勘定帳を幾夜も開いたり閉じたりしている。
 点なし。

九十六句目

   勘定帳幾夜ね覚めにとぢぬらし
 手代のこらずきくかねの声

 寝覚めの鐘と金とを掛ける。
 手代はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「手代」の意味・読み・例文・類語」に、

 「① 人の代理をすること。また、その人。てがわり。
  ※御堂関白記‐寛弘六年(1009)九月一一日「僧正奉仕御修善、手代僧進円不云案内」
  ※満済准后日記‐正長二年(1429)七月一九日「於仙洞理覚院尊順僧正五大尊合行法勤修云々。如意寺准后為二手代一参住云々」
  ② 江戸時代、郡代・代官に属し、その指揮をうけ、年貢徴収、普請、警察、裁判など民政一般をつかさどった小吏。同じ郡代・代官の下僚の手付(てつき)と職務内容は異ならないが、手付が幕臣であったのに対し、農民から採用された。
  ※随筆・折たく柴の記(1716頃)中「御代官所の手代などいふものの、私にせし所あるが故なるべし」
  ③ 江戸幕府の小吏。御蔵奉行、作事奉行、小普請奉行、林奉行、漆奉行、書替奉行、畳奉行、材木石奉行、闕所物奉行、川船改役、大坂破損奉行などに属し、雑役に従ったもの。
  ※御触書寛保集成‐一八・正徳三年(1713)七月「諸組与力、同心、手代等明き有之節」
  ④ 江戸時代、諸藩におかれた小吏。
  ※梅津政景日記‐慶長一七年(1612)七月二三日「其切手・てたいの書付、川井嘉兵へに有」
  ⑤ 商家で番頭と丁稚(でっち)との間に位する使用人。奉公して一〇年ぐらいでなった。
  ※浮世草子・好色一代男(1682)一「宇治の茶師の手代(テタイ)めきて、かかる見る目は違はじ」
  ⑥ 商業使用人の一つ。番頭とならんで、営業に関するある種類または特定の事項について代理権を有するもの。支配人と異なり営業全般について代理権は及ばない。現在では、ふつう部長、課長、出張所長などと呼ばれる。〔英和記簿法字類(1878)〕
  ⑦ 江戸時代、劇場の仕切場(しきりば)に詰め、帳元の指揮をうけ会計事務をつかさどったもの。〔劇場新話(1804‐09頃)〕」

とある。この場合は⑤のことか。実際の金を数えて、勘定帳の数字と合っているか確認する作業であろう。
 点なし。

九十七句目

   手代のこらずきくかねの声
 下くだりあかぬ別や惜むらん

 「下(しも)くだり」は『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注に「西国下り」とある。
 商家の主人が大阪から西国へ夜明け前に旅立つと、手代たちが勢ぞろいして別れを惜しむ。
 点なし。

九十八句目

   下くだりあかぬ別や惜むらん
 堺のうみのしほよなみだよ

 前句の西国下向の旅立ちを堺港からとする。西国へ売られてゆく遊女としたか。高須に室町時代から遊郭があって、一休さんと地獄太夫の物語が知られている。
 点なし。

九十九句目

   堺のうみのしほよなみだよ
 和泉灘花の浪立うき名たつ

 堺は遊郭があった所だから、そこに入り浸ってると自ずと浮名が立つが、ここは一休さんのことか。
 点あり。

挙句

   和泉灘花の浪立うき名たつ
 恋風東風風吹とばすふね

 水辺三句続いたが、打越の「うみのしほ」を体とするなら舟は用なので問題はない。展開には乏しいが、浮名の船も吹っ飛んで目出度く一巻は終わる。
 点なし。

 「愚墨五十六句
     長廿三
      梅翁判」

 他の巻に比べても遜色のない出来になっている。

 「毎句金言えり分がたく、僻墨おほかるべく候。此上両がへに見せらるべし。」

 判定に困る句が多かったということか。どれが「金」言かは両替商に聞いてくれと言って締めくくる。

2023年8月7日月曜日

 それでは「十いひて」の巻の続き。

名残表
七十九句目

   弥陀の来迎目前の春
 ふつとふく息やうららに出ぬらん

 阿弥陀如来が迎えに来てくれて西方浄土にいざなわれるなら、念仏を唱えながら迎える人生最後の一呼吸も麗らかなことだろう。
 長点で「善導大師満悦たるべく候」とある。善導大師は浄土教の開祖の中の一人で、法然・親鸞に大きな影響を与えたと言われている。まさにこれが浄土の教えだ、といったところだろう。

八十句目

   ふつとふく息やうららに出ぬらん
 浪間かき分およぐ海士人

 前句の息を一転して、水面に上がって来た海士の呼吸とする。
 長点で「一句新しく候」とある。海士の息継ぎを詠んだ句は前例がなかったか。

八十一句目

   浪間かき分およぐ海士人
 破損舟実それよりは十三艘

 実は「げに」とルビがある。『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注は謡曲『海人』の、

 「げにそれよりは十三年。
 地 さては疑ふ所なし。いざ弔はんこの寺の、志ある手向草、花の蓮の妙経色色の善をなし給ふ 色色の善をなし給ふ。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.4169). Yamatouta e books. Kindle 版. )

を引いている。
 嵐で猟師の船団が壊滅してしまったか。放り出されてたくさんの海人たちが泳いでいる。
 長点で「ことばよく直され候」とある。謡曲の言葉を一字直すだけで面白く作ったという意味だろう。

八十二句目

   破損舟実それよりは十三艘
 四国九国のうら手形也

 浦手形は浦証文と同じで、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「浦証文」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘名〙 江戸時代、廻船が遭難してもっとも近い浦へ着いた場合、難船前後の状況、捨て荷、残り荷、船体、諸道具の状態などにつき、その浦の役人が取り調べてつくる海難証明書。浦手形。浦切手。浦証。浦状。
  ※財政経済史料‐一・財政・輸米・漕米規則・享保二〇年(1735)六月一一日「右破船大坂船割御代官にて吟味之訳添書致し、浦証文相添可レ被二差出一候」

とある。
 十三艘が難破して浦手形の交付を受けるわけだが、その数が四国と九州を合わせた数になっている。
 点あり。

八十三句目

   四国九国のうら手形也
 米俵あらためらるる吉利支丹

 九州というと吉利支丹がまだ隠れていたか。遭難して積荷の米俵が調べられると同時に、遭難した船乗りがキリシタンだったことも発覚する。
 点なし。

八十四句目

   米俵あらためらるる吉利支丹
 大黒のある銀弐百まひ

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注に、

 「島原の乱後、寛永十五年(一六三八年)十月、吉利支丹伴天連(バテレン)の訴人に銀二百枚、伊留満(イルマン)の訴人に銀百枚、吉利支丹門徒の訴人に銀五十枚または三十枚を与える旨の法令が発布された。」

とある。
 大黒は大黒丁銀のことで、ウィキペディアの慶長丁銀の所に、

 「慶長丁銀の発行に先立ち堺の南鐐座(なんりょうざ)職人らは、菊一文字印銀(きくいちもんじいんぎん)、夷一文字印銀(えびすいちもんじいんぎん)および括袴丁銀(くくりはかまちょうぎん)を手本として家康の上覧に供したところ、大黒像の極印を打った括袴丁銀が選定され、慶長丁銀の原型となったとされる。」

とあり、大黒像が刻印されていた。
 キリシタンを見つけたので銀二百枚が与えられた。
 点なし。

八十五句目

   大黒のある銀弐百まひ
 お住持の不儀はへちまの皮袋

 住持は住職と同じ。前句の大黒を住持の妻と取り成す。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「大黒」の意味・読み・例文・類語」に、

 「[1] 「だいこくてん(大黒天)」の略。
  ※蔭凉軒日録‐永享七年(1435)九月二八日「大黒像二体、以二誉阿一預申」
  ※虎明本狂言・夷大黒(室町末‐近世初)「ひえの山の三面の大黒は、いづれの大こくよりもれいげんあらたにて」
  [2] 〘名〙
  ① 僧侶の妻。梵妻。大黒天は、元来厨(くりや)にまつられた神であるところから、寺院の飯たき女をいい、また、私妾や妻をもいうようになったという。また、世をはばかって厨だけにいて、世間に出さないからとも、大黒天の甲子祭から、子(寝)祭とのしゃれからともいう。
  ※歌謡・閑吟集(1518)「よべのよばひ男、たそれたもれ、ごきかごにけつまづゐて、大黒ふみのく」
  ※浮世草子・傾城禁短気(1711)二「されば世間の人口をいとひ給ふ、歴々のお寺方の大黒(ダイコク)は、若衆髪に中剃して、男の声づかひを習ひ」
  ② 「だいこくがさ(大黒傘)」の略。
  ※雑俳・柳多留‐九(1774)「傘でさへ大こくはふとってう」
  ③ 江戸浅草の一二月二七日の歳の市で売られた木彫りの大黒天の像。うまく盗み、持ち帰れば幸運が得られるとされた。
  ※雑俳・柳多留‐二四(1791)「大黒はぬすんでばちにならぬもの」
  ④ 「だいこくまい(大黒舞)」の略。
  ※雑俳・柳多留拾遺(1801)巻一一「大こくも恵方からくりゃ安く見へ」

とあり、ここでは[2]①の意味になる。
 ヘチマの皮はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「糸瓜の皮」の意味・読み・例文・類語」に、

 「① ヘチマの外皮。
  ② ヘチマの種子などを取り除いたあとの繊維。垢すりなどに用いる。〔日葡辞書(1603‐04)〕
  ③ つまらないもの、とるにたりないもの、役にたたないもののたとえ。問題にもしない、という時にもいう。へちまの皮袋。へちまの根。
  ※浮世草子・元祿大平記(1702)四「此上は命もなんのへちまの皮(カハ)とにくからぬ心ざし」

とある。
 住持の妻は財布をがっちり握っているから多少の浮気もへとも思わない。
 長点で「念比に被付句作やすらかに候」とあり、年頃と懇ろの仲と掛けて用いている。

八十六句目

   お住持の不儀はへちまの皮袋
 からかさ一本女郎町の湯屋

 湯屋は銭湯のことだが、関西では湯女のサービスのある売春がらみの所が多かったという。これも女郎町の湯屋で、そうした湯屋であろう。戦後のトルコ風呂の発想にも通じる。
 不儀と言ってもプロの女性相手の湯屋通いで、唐傘一本持って気軽に出かけて行く。
 点あり。

八十七句目

   からかさ一本女郎町の湯屋
 飴を売人の心もうつり瘡

 瘡はここでは梅毒のことであろう。前句の唐傘一本を飴売りの傘として、傘だけに瘡をうつされる。
 長点で「右同前」とある。「念比に被付句作やすらかに候」ということ。

八十八句目

   飴を売人の心もうつり瘡
 虱はひ出る神前の月

 前句の瘡を虱に食われた跡の瘡として、飴売りを神前の飴売りとする。
 点なし。

八十九句目

   虱はひ出る神前の月
 秋まつり古ふんどしも時を得て

 秋祭りで古い褌を引っ張り出したら夏の虱がまだいて這い出してきた。
 点あり。

九十句目

   秋まつり古ふんどしも時を得て
 相撲の芝居ゆるされにけり

 秋祭りで相撲や芝居の小屋が並び、古い褌も役に立つ。
 点あり。

九十一句目

   相撲の芝居ゆるされにけり
 位にも昇る四条の役者共

 前句を相撲を題材にした芝居とする。京の四条は芝居小屋が並んでいたが、その役者が天皇に招かれたのか官位を貰う。
 長点で「清和の御位河原者に成候か。乍恐(おそれながら)俳諧御免とこそ」とある。さすがに当時は河原者と呼ばれた非人身分の歌舞伎役者が天皇に呼ばれて官位を貰うということはなかったのだろう。俳諧ならではの空想ということか。

九十二句目

   位にも昇る四条の役者共
 引三線は座頭よりなを

 琵琶法師の蝉丸は皇子でありながら盲目ゆえに逢坂山に捨てられたという伝説があるが、今の芝居小屋の三味線引きは座頭の三味線(この頃は既に琵琶を弾く座頭は過去のものになっていた)よりも優れているので、昇殿しても不思議はない、と。
 点なし。

2023年8月6日日曜日

 今日は広島原爆の日で、原爆というと少し前映画バービーのことが報道されてたが、実際のところこの映画自体にそんなみんな関心がないんじゃないかな。
 日本ではバービー人形も女の子の定番だったが、リカちゃん人形もあるし。
 また原爆自体も日本では戦後思想という日本をほぼ全否定するような思想がまかり通っていて、何かにつけて日本だ駄目だ西洋や中国を見習えという連中がいるせいで、原爆を茶化されてもそれほどインパクトはない。
 ある意味日本人は反日馴れしている。自分からジャップだのイエローモンキーだの言ったりする。
 外国人が日本人に向かって日本のことをぼろ糞にけなして行ったりすると、案外大喜びでその通りだとか言ってくれて、頼まれもしないのに日本のここが駄目ということを沢山教えてくれるものだ。

 しばらくお休みしてしまったが、「十いひて」の巻の続き。

三裏
六十五句目

   おもひはいろに出がはり時分
 一ぱいの付ざも霞む小宿にて

 付ざは付差しのこと。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「付差」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘名〙 自分が口を付けたものを相手に差し出すこと。吸いさしのきせるや飲みさしの杯を、そのまま相手に与えること。また、そのもの。親愛の気持を表わすものとされ、特に、遊里などで遊女が情の深さを示すしぐさとされた。つけざ。
  ※天理本狂言・花子(室町末‐近世初)「わたくしにくだされい、たべうと申た、これはつけざしがのみたさに申た」

とあり、寛文の頃の宗因独吟「花で候」の巻第三にも、

   夢の間よただわか衆の春
 付ざしの霞底からしゆんできて   宗因

の句がある。
 遊女のいる小宿で付差しをしたが、その遊女も出替りでいなくなってしまったか。
 点なし。

六十六句目

   一ぱいの付ざも霞む小宿にて
 ぬるめる水ももりませぬ中

 「水も漏らさぬ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「水も漏らさぬ」の意味・読み・例文・類語」に、

 「① すきまなく敵をとり囲むさま。また、警戒・防御・用意などがきわめて厳重なさま。転じて、容姿や態度などつけいるすきがなく、見事なさま。
  ※不在地主(1929)〈小林多喜二〉六「中々それも一寸見は分らないやうにやるんだから危いんだ。━水も洩らさない」
  ② きわめて親しい仲の形容。
  ※伊勢物語(10C前)二八「などてかく逢ふごかたみになりにけん水もらさじと結びしものを」

とあり、②の意味になる。春の季語が必要なので「水ぬるむ」という季語から「ぬるめる水」とする。まあ付差しも口の中で体温で暖まってぬるくなり、それを漏らさぬように口移しで飲む。
 点なし。

六十七句目

   ぬるめる水ももりませぬ中
 入なをす桶の輪竹の永日に

 前句の「水ももりませぬ」から文字通り桶を絞める輪竹を直したから桶の水が漏らないとするが、上句下句合わせた時にはこれが水も漏らぬ仲を導き出す序詞として機能する。
 点あり。

六十八句目

   入なをす桶の輪竹の永日に
 久しくなりぬうどん商売

 久しぶりにうどん屋を再開するので、桶の輪竹を締め直す。
 点なし。

六十九句目

   久しくなりぬうどん商売
 我見ても常住おろすこせうのこ

 常住はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「常住」の意味・読み・例文・類語」に、

 「① (━する) 仏語。生滅変化することなく、過去・現在・未来にわたって、存在すること。じょうじゅ。
  ※勝鬘経義疏(611)歎仏真実功徳章「勝鬘応レ聞二常住一之時」
  ※徒然草(1331頃)七四「常住ならんことを思ひて、変化の理(ことわり)を知らねばなり」 〔北本涅槃経‐七〕
  ② (━する) つねに一定の所に住むこと。また、寺僧が一寺に定住して行脚(あんぎゃ)をしないこと。
  ※霊異記(810‐824)中「諾楽の京の馬庭の山寺に、一の僧常住す」 〔朱熹‐章厳詩〕
  ③ (副詞的にも用いる) 日常、ごく普通であること。また、習慣化していつもそうであるさま。ふだん。しょっちゅう。年じゅう。じょうじゅ。
  ※高野本平家(13C前)六「常住(ジャウヂウ)の仏前にいたり、例のごとく脇息によりかかって念仏読経す」
  ※浄瑠璃・夏祭浪花鑑(1745)九「アレあの通(とほり)に常住(ジャウヂウ)泣て居らるる」
  ④ 「じょうじゅうもつ(常住物)」の略。
  ※正法眼蔵(1231‐53)行持「常住に米穀なし」 〔釈氏要覧‐住持・常住〕」

とあり、ここでは③のしょっちゅうの意味。「しょっちゅう」の方は「初中後」から来たと言われている。
 小姓と胡椒を掛けて、小姓がしょっちゅう胡椒を擦り降ろす、とする。うどん屋も蕎麦屋と同様、最初はお寺から始まったのだろう。
 「我みても」は前句の「久しくなりぬ」に掛けて、『伊勢物語』の、

 我見ても久しくなりぬ住吉の
     岸の姫松いくよへぬらむ

の縁で一種の歌てにはのようにつながる。
 点あり。

七十句目

   我見ても常住おろすこせうのこ
 同じ拍子にくさめくつさめ

 「くつさめ」はくしゃみのことで、くしゃみの擬音としても用いられる。狂言『髭櫓』の最後の「くっさめ」はCMでも用いられたので知ってる人もいると思う。
 胡椒でくしゃみするのは六十年代の漫画でもお約束のパターンだが、この時代からあったようだ。
 長点で「拍子専一に候」とある。

七十一句目

   同じ拍子にくさめくつさめ
 雨だれの落くる風や引ぬらん

 くしゃみをするから風邪を引いたのか、となる。謡曲に雨垂拍子というのがあり、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「雨垂拍子」の意味・読み・例文・類語」に、

 「① 規則正しく落ちるあまだれの音のように、雅楽や謡曲の拍子を一定の間隔で奏でること。謡曲では、地拍子の基本と考えられ、実際には変化をつけて奏する。
  ※諺苑(1797)「霤拍手(アマタレヒャウシ)」
  ② =あまだれちょうし(雨垂調子)
  ③ 物事の進みぐあいがとぎれがちで、一定していないこと。
  ※五重塔(1891‐92)〈幸田露伴〉三〇「仕事が雨垂拍子(アマダレビャウシ)になって出来べきものも仕損ふ道理」

とある。前句の拍子を受けて雨垂れを出す。
 長点で「又拍子よく候」とある。

七十二句目

   雨だれの落くる風や引ぬらん
 おかはもあらひ戸障子もさせ

 「おかは」は厠(かはや)のこと。風邪を引いた時には感染防止のため、トイレを清潔にして戸障子も絞める。
 点あり。

七十三句目

   おかはもあらひ戸障子もさせ
 はひ出もの月さす閨に呼よせて

 這出者(はひでもの)はコトバンクの「選版 日本国語大辞典 「這出者」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘名〙 田舎から初めて都会へ出て来たばかりの者。山だし。
  ※俳諧・雀子集(1662)四「朝顔や池田の宿のはひ出もの〈成元〉」

とある。前句のトイレや戸障子を這出者の仕事とする。
 点なし。

七十四句目

   はひ出もの月さす閨に呼よせて
 露の情はいやでもをふでも

 下女を閨に呼び寄せてそこで無理やり。よくあることだったのだろう。露だから儚くやり捨てにされる。
 長点で「申され分無余気候」とある。言われたら従わざるを得ない、という意味か。

七十五句目

   露の情はいやでもをふでも
 秋風にあふた時こそ縁ならめ

 秋風は年齢的に盛りを過ぎたという意味だろう。この時に出会ったのも何かの縁だから、とにかく結婚してくれ、となる。
 点なし。

七十六句目

   秋風にあふた時こそ縁ならめ
 後の彼岸の善智識様

 後の彼岸は秋の彼岸のこと。善智識はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「善知識・善智識」の意味・読み・例文・類語」に、

 「① よき友。良友。自分のことをよく知ってくれている人。
  ※今昔(1120頃か)一「汝、我が為に生々世々の善知識也」
  ② 仏語。善法、正法を説いて人を仏道にはいらせる人。外から護る外護、行動を共にする同行、教え導く教導の三種を数える。真宗では法主(ほっす)を、禅宗では師僧を尊んでいうことがある。知識。⇔悪知識。
  ※菅家文草(900頃)一二・践祚一修仁王会呪願文「因二善知識一 得二安楽果一」
  ※日蓮遺文‐三三蔵祈雨事(1275)「善知識は爪上の土よりもすくなし」 〔法華経‐提婆達多品〕
  ③ 人を仏道に導く機縁や機会となるもの。
  ※平家(13C前)一〇「おもはしき物をみんとすれば、父の命をそむくに似たり。これ善知識也」

とある。前句の縁を仏縁として出家を願い出る句に転じる。
 長点で「西こそ秋の門跡様にや」とある。門跡はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「門跡」の意味・読み・例文・類語」に、

 「[1] 仏語。
  ① 祖師から継承する法流。また、法流を継ぐ門徒、さらにその門徒が住持する寺家・院家のこと。
  ※観智院本三宝絵(984)下「世世の賢臣おほくこの門跡をつげり」
  ② 皇族・貴族の子弟が出家して、入室している特定の寺格の寺家・院家。また、その寺家・院家の住職。南北朝時代には、寺院の格式を表わす語となり、江戸幕府は、宮門跡・摂家門跡・清華門跡・准門跡などに区分して制度化した。門主。
  ※太平記(14C後)一「梨本の門跡に御入室有て、承鎮親王の御門弟と成せ給ひて」
  [2] (本願寺は准門跡であるところからいう) 本願寺の称。また、その管長の称。御門跡。
  ※咄本・昨日は今日の物語(1614‐24頃)下「六条のもんぜきに能の有時」

とある。彼岸は西方浄土の意味もあり、秋風の吹く後の彼岸は西方浄土に通じる門跡様になる。

七十七句目

   後の彼岸の善智識様
 高座には異香薫ずる花散て

 高座はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「高座」の意味・読み・例文・類語」に、

 「① 天皇や将軍が謁見の時などにすわる御座所。
  ※内裏式(833)元正受群臣朝賀式「前一日整二設御座於太極殿一、敷二高座一以レ錦」
  ② 主賓や身分の高い人、または、年輩者などがすわる席。通常は床の間に近い席。上座(かみざ)。上席。
  ※雑談集(1305)九「無官なるも高坐(カウサ)に処(しょ)し、御(きみ)の御坐(ござ)て」
  ③ 説教などの時、説教師や僧侶などがすわる一段高くしつらえた席。また、その席で説法をすること。たかくら。
  ※延喜式(927)一三「正月最勝王経斎会堂装束〈略〉高座二具」
  ※枕(10C終)三三「はじめゐたる人々も〈略〉かうざのもとちかきはしらもとにすゑつれば」
  ④ 社会的な高い位地。
  ※コンテムツスムンヂ(捨世録)(1596)三「ヲヲクノ シンルイ、チインノ アルコトヲ ヨロコビ cǒzauo(カウザヲ) タノシミ」
  ⑤ 講釈師が講釈を行なう一段高い座席。後に寄席で芸人が芸を演ずるために、一段高くした席をいい、また、一般に寄席をもいう。
  ※洒落本・風俗八色談(1756)一「高座(カウザ)の談議に辻談議」
  ⑥ 銭湯の番台。」

とあり、この場合は③であろう。異香は並々ならぬ良い香りのことで、善智識様だから高いお香を用いているという意味と、法の花の香ばしさを掛けている。
 点なし。

七十八句目

   高座には異香薫ずる花散て
 弥陀の来迎目前の春

 前句を①の意味に取り成して崩御が近いとする。
 点なし。