2023年3月25日土曜日

 今日は雨。
 松田山のゴルフ場へ行く道がピンク色になっているのを昨日見つけて、今日車で走ってみた。三キロくらい道路脇に桜が植えられていた。
 ゴルフ場に出ると反対側の松田・開成側は真っ白で何も見えなかった。
 最明寺史跡公園は駐車場がなく、その先はは道も細く、真っ白な雲の中に入って行くので引き返した。
 昨日久しぶりに独吟歌仙を作ってみた。

初表
   其角忌追善
其角忌や静かになったこまの恋
  花散る頃の阿夫利山麓
息切らす豆腐屋の道長閑にて
  ジョギングすれば続くシャッター
月明り誰が出てくるあの屋敷
  かぼちゃ飾りの並ぶいくつか

初裏
行く秋はゾンビの群れか骸骨か
  粗末な武器のいくさ哀れな
ふりゆくは闇夜に光る雪ならで
  机の写真いつの昔か
スク水の幼馴染は笑うのみ
  愛を込めたる昼は重箱
紫の野辺の野守は耳とがり
  今日初午のお稲荷の里
三陸のわかめの山を売る店に
  堤防高く空遥かなり
グランドの野球も終わり月一つ
  畑の屑にコオロギの声

二表
空腹に明日を夢見た秋の暮
  解体される古い工場
埋もれてく時の長さは錆色に
  老いたる猫は毛並みつくろう
くったりと犬は散歩の時を待ち
  食事忘れてその家の痴話
今更のカミングアウトにべもなく
  いつものように教鞭に立つ
一生はただ黒板を前か背か
  テレビに映る幻の月
ひたすらに長雨続く長い夜
  始発を待てばさらに冷え込む

二裏
言い訳の言葉も浮かばないままに
  笑い取ろうとあがく別れか
涙にもグリコ看板背を向けて
  星の見えない空を仰げば
夜桜の花の灯りの賑わいに
  行く人戻るコロナ明けの春

2023年3月16日木曜日

 Kindleダイレクトパブリッシングで本を作ってから十か月。結局一冊も売れなかった。
 まあ、最初から身分不相応だったんだろうな。
 Twitterをやってみても分った。フォロワーは相変わらず一桁だし、いいねは稀にしか貰えない。これが実力なんだな。世間の評価は公平だ。
 実力のない人間がいくら本を出してみても恥かくだけというのはよくわかった。今思うと「野ざらし紀行─異界への旅─」が百冊売れた方が奇跡だったのかもしれない。

2023年3月6日月曜日

  随分長いこと休んでしまったが、最近は訪問者がほとんどいないんで、特に問題はなかったと思う。
 Twitterの方でやってた、一日八句botで送られてくる芭蕉句に、芭蕉になり切ってツイートするというのがかなりまとまった数になったので、鈴呂屋書庫の方にまとめようと思う。
 取り合えず芭蕉発句集一に寛文から野ざらし紀行旅立ち前までの句を集めてみた。これで完成ではなく、順次また書き加えて行こうと思う。
 まあ、参考文献も表示してないし、推測による部分も多いので、歴史小説の断片だと思って読んだ方がいいかもしれない。


2023年1月30日月曜日

 今日は映画を見に行った。例によってタイトルを伏せて。
 ストーリーからちょっと外れるが、日本人に治水信仰があるのではないかと思ってしまった。
 治水はもちろん文明の起源であり、特に中国では天子、先王の仕事とされ、建国神話に関わっている。
 灌漑農業の開始が、水路を支配するものに生殺与奪権を与えてしまい、絶対的な中央集権に繋がる。それが大河の流域に巨大な国家を生むことになった。
 日本の文化もまた長江文明の影響を大きく受け、規模は小さいながらも河川流域に灌漑農業を行ったが、中国のような巨大な中央集権国家を生むことがなかった。
 大和朝廷によって統一されても「諸国」は明治に至るまで残った。
 日本人にとって灌漑はいわゆる東方的独裁を生むのではなく、同じ河川を共有する共同体意識を生んだのだろう。治水はその地域を結束させるものではあっても、中央集権体制は比較的緩やかで優しいものだった。それが水路を作るということが地域を結束させ平和をもたらすというイメージに繋がっているのではないか。
 ただ、場所によっては灌漑水路はやはり生殺与奪権を水路の管理者にゆだねることになるのを警戒する所もあるのかもしれないし、水を止めるということで戦略的に決定的に優位に立たれる可能性もある。今のロシアのパイプラインと一緒で、水路の建設は地政学的な脅威になりかねない。
 水路の建設は本当に平和をもたらすのだろうか。むしろ水源をもつ国を地政学的に圧倒的に優位にしないだろうか。新たな戦争の火種にならないだろうか。ついつい余計な心配をしてしまう。
 多分アフガニスタンの中村さんも、日本人的な治水信仰で善意でやったことなんだろうけど、それが脅威になる人たちもいたのかもしれない。そんなことをついつい考えてしまった。

2023年1月29日日曜日

 それでは『六百番俳諧発句合』の続き。

百三十一番
   左  茶摘  柏木萬年子
 侘人のたのしみをつつむ茶園哉
   右勝 花   山口 信章
 夕かな月を咲分はなのくも
 左理はありとも其理卑し。月を咲分る花の雲新らし。右勝たり。

 侘茶は千宗旦によって徹底したものになった。ウィキペディアには、

 「1600年(慶長5年)頃、少庵が隠居したのに伴い、家督を継いだ。祖父の利休が豊臣秀吉により自刃に追い込まれたことから政治との関わりを避け、生涯仕官しなかった。茶風は祖父利休のわび茶をさらに徹底させ、ために乞食修行を行っているように清貧であるという意味から、「乞食宗旦」と呼ばれたという。」

とある。
 実際に侘茶といっても本当に乞食がお茶を嗜むわけではないが、乞食宗旦からの発想で乞食の楽しみを包む茶園とする。
 ここでいう侘人が今でいう理想化された侘人ではなく、文字通り乞食という意味で解されてたという所がこの時代の感覚だった。
 芭蕉の句でも何でもかんでも侘人、乞食の美学として受け取ろうとする人が結構いるが、江戸時代の人はもっと現実的だった。
 まあ、路通や惟然が本当に乞食みたいだからと嫌ってた許六は行き過ぎだとしても。
 信章の咲分はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「咲分」の解説」に、

 「〘名〙 一株の中にさまざまな色の花が咲くこと。同一の株の草木に異なった色の花が咲くこと。また、その草や木。
  ※御湯殿上日記‐天正八年(1580)九月二九日「ゑちせんこかめ千世つくりたるとて、うすむらさきときとのさきわけのきくの枝まいる」

とあるが、この場合は雲が左右に分かれて月が見えるのを、夕べには花の雲から月が昇るから、花の雲が左右に分れたという意味で用いられている。
 発想が面白く信章の勝ち。

百五十九番
   左持 扇給  濱田 春良
 儀式もや給ふ扇のをりめ高
   右  時鳥  山口 信章
 返せもどせ見残す夢を郭公
 左孟夏旬の儀式のをりめ高なるさまおもひやられてさもあるべし。
 右見のこす夢ををしむによせてかへせもどせといへる郭公の句いひしりてをもしろしよき持とぞ定め侍らん。

 春義の句の
 折目高はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「折目高」の解説」に、

 「① 衣服などの折りたたんださかいめの線がはっきりと高く現われているさま。
  ※史記抄(1477)一四「衣のたわうてをりめたかにもなう、しないやうたなりぞ」
  ② 態度や服装などが礼儀正しくきちんとしているさま。折目正しいさま。きちんとしていて堅苦しいさま。
  ※俳諧・口真似草(1656)「折め高にしみゆる人かも あたらしき装束やけふ北まつり〈以専〉」

 判詞の孟夏旬はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「孟夏の旬」の解説」に、

 「平安時代、陰暦四月一日に行なわれた旬政。天皇が紫宸殿に臨んで政務を行ない、群臣とともに酒宴を開いた。孟夏の宴。《季・夏》 〔公事根源(1422頃)四月〕」

とある。これは喩えで孟夏旬のような夏の儀式で、暑い中でも折り目正しくということで、賜った扇子が折目がきちんとついている(当たり前)というネタと思われる。
 信章の句はホトトギスの声に夢から覚まされて、夢を返せ戻せという句。

 ほととぎす夢かうつつかあさつゆの
     おきて別れし暁のこゑ
             よみ人しらず(古今集)

のような後朝の時鳥の連想であろう。
 どちらも捨てがたいということで良持とする。

百八十七番
   左持 郭公  神野 忠知
 ねをせぬや唐へ投金郭公
   右  初鰹  山口 信章
 初鰹またじとおもへば蓼の露
 左唐へなげかねめづらかなるにや。
 右またじとおもへばむらさめのそらとよめる心をうつして又めづらしよき持なるべし。

 投金はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「投金・抛銀」の解説」に、

 「① 近世初期の朱印船貿易で、博多・長崎・堺などの豪商が、船舶および積荷を担保として、ポルトガル人・中国人・日本人の貿易業者に貿易資金を貸付投資したこと。
  ※浮世草子・本朝二十不孝(1686)三「昔唐へ抛金(ナゲガネ)して、仕合次第分限となって」
  ② 遊蕩(ゆうとう)に使う前渡金。前金。手付金。
  ※浮世草子・好色盛衰記(1688)二「裸金にて弐千両。これは何になる小判と申。揚屋へなけがねと仰せられしに」

とある。唐へということだと①の意味で、今の言葉だと投資ということか。
 投資して大金になって帰ってくるのを今か今か待つ気分とホトトギスの声を待つ気分とをダブらせている。
 判詞の引用は、

 いかにせむこぬ夜あまたの時鳥
     またしと思へばむらさめのそら
             藤原家隆(新古今集)

の歌で、ホトトギスなんてもう待つまいと思ったらホトトギスにを聞くのにおあつらえの村雨が降るというもので、それを初鰹なんて食うもんかと思ってたら、蓼味噌が手に入ったとする。
 この時代の初鰹は生姜醤油ではなく蓼味噌で食べるものだったのだろう。醤油は中京圏には溜まり醤油があり、関西では薄口醤油が作られ始めたが、江戸ではまだあまり普及してなかった。
 刺身は酢で鱠にし、蕎麦は垂れ味噌で食べる時代だった。
 どちらも面白いということで、良持。

二百十五番
   左勝 瓜   池田 宗旦
 錫乃鉢や光とともに白齒桑
   右  蛍   山口 信章
 戦けりほたる瀬田より参合
 左右皆さるかふをいへる中に兼平は修羅江口はかつら句体も其ほどにしたがふにや。左は心とどむべく、右は見所なき心ちし侍り。

 「さるかふ」は猿楽のことか。今でいう能だが、能という言葉は本来もっと広い意味で歌舞全般を指していた。今でいう能楽に相当する言葉は猿楽だが、「さるかふ」はそのウ音便化したものか。
 謡曲『兼平』は修羅物で木曽義仲の粟津での最後を瀬田の矢橋の渡し守が語る物語。

 地 「弓馬の家にすむ月の、わづかに残る兵の、七騎となりて木曾殿は、この近江路に下り給ふ。
 シテ「兼平瀬田より参りあひて、地また三百余騎になりぬ。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.923). Yamatouta e books. Kindle 版. )

と七騎となった木曽義仲に兼平の瀬田の軍勢三百騎がわらわらと現れる場面を、瀬田川の名物の蛍がわらわら現れる、とする。
 これに対し、謡曲『江口』は鬘物で西行法師と遊女江口の歌のやり取りを題材としている。

 地 「思へば仮の宿に、心とむなと人をだに諌めしわれなり。これまでなりや帰るとて、即ち普賢菩薩と現はれ舟は白象となりつつ、光とともに白妙の白雲にうち乗りて、西の空に 行き給ふ。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (pp.1098-1099).Yamatouta e books. Kindle 版. )

の江口の霊の消えて行く場面の「光とともに白妙の白雲に」から、錫の鉢に盛られて白真桑(銀真桑ともいう)が運ばれてゆく様子とする。
 「左は心とどむべく、右は見所なき心ちし侍り。」は好みの問題という気もするが、ここは信章の負け。

2023年1月28日土曜日

 今日は西伊豆の土肥桜を見に行った。
 道を間違えて修善寺の方に行ってしまい、そのまま戸田峠を越えたら、峠道に昨日の雪が残っていた。
 下り坂に入ると眺めがよく、駿河湾はもとより富士山や南アルプスが見えた。雪残る道はるばるととひ桜。
 土肥では土肥金山の前で土肥桜まつりをやっていた。土肥神社や萬福寺の桜はほぼ満開だった。寒緋桜が入っているのか、色が濃く下向きに咲いているが、白い色の土肥桜もあり、そちらは大島桜に近かった。土肥桜白は沖縄の血の薄き。
 帰りに北条の里に寄った。


2023年1月27日金曜日

 今日も寒い日で、午後はみぞれ交じりの雨になった。
 芭蕉の勝敗を見たので、次は素堂(信章)の勝敗を見てみようと思う。

十九番
   左持  元日  望月 千春
 蓬莱や山の栢あるけふのはる
   右   試筆  山口 信章
 鉾ありけり大日本の筆はじめ
 左山のかひあるけふにや。はのいひそこなひさもこそけふの春さらさらといひのべて本歌の詞をかみくだく所もあらぬは何の味もなき栢よし野などには嵐山のかやもちとしふく候。さとちかくならではこれなき物にて候。右五もし手鉾たしと申事に候。筆鉾は常の事なれどもつき出し様に骨法有べきなり。日本は鉾のしたたりなれば少弁説もかなど覚へて僻耳には持と聞なし候。

 「山のかひある」と判にあるのは、

 わびしらにましらな鳴きそあしひきの
     山のかひある今日にやはあらぬ
              凡河内躬恒(古今集)

であろう。今日は御幸の目出度い日なのだから、そんなに悲しそうに猿よ鳴くなよという歌で、そのかひ(峡)を蓬莱飾りの柏に変えて今日の春と歳旦にしている。
 確かにオリジナルの猿の声のかけらもなく、ただ言葉の続きだけを取った形になっている。
 信章の句は文字通りの書初めではなさそうだ。「手鉾たし」はよくわからないが、何となくシモネタの匂いがする。まあ今の言葉でも「掻き初め」というのがあるが。
 「日本は鉾のしたたりなれば」も伊弉諾伊弉冉の国「生み」の場面だから、鉾は男根の象徴ともいえる。ましてセキレイに腰の振り方を学んだなんて言う。「少弁説」は小便説か。
 任口の判は饒舌で、喋る時もこんな調子なのかと思われるが、シモネタは気に入らなかったようだ。引き分け。

四十七番
   左持  蔵開  廣野 元好
 とく明る白壁うれし蔵ひらき
   右   霞   山口 信章
 見るやこころ三十三天八重霞
 左うれしき所を覚へず。右三十三天喜見城の春霞あふげば頭の骨もいたきほどに候へ共五もじ猶あるべきかと覚へ候へば持とこそ申さめ。

 蔵開きはコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「蔵開」の解説」に、

 「[1] 〘名〙 吉日を選んで、その年はじめて蔵を開くこと。また、その行事。近世大名が米倉を開く儀式をしたのにはじまる。宮中でも行なわれ、商家では多く一月一一日に行ない、鏡餠で雑煮を作って祝う。《季・新年》
  ※多聞院日記‐天正一四年(1586)正月五日「蔵開買初如レ例沙二汰之一」
  ※浮世草子・好色五人女(1686)五「吉日をあらため蔵ひらきせしに」
  [2] 宇津保物語の巻名。琴の天才である仲忠が、三条京極の旧宅で、蔵を開いて真名で書いた祖父俊蔭の集と、仮名で書いた父式部大輔の集とを入手し、これを帝に講じて奇代の帯を賜わったことや東宮をめぐる女性達の動きを中心に描く。」

とある。目出度い行事で嬉しいのは分るが、俳諧である以上具体的に何かネタになる理由が欲しいという所か。
 信章の三十三天喜見城はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「喜見城」の解説」に、

 「[1] (Sudarśana の訳語) 仏語。帝釈天(たいしゃくてん)の居城。須彌山(しゅみせん)の頂上にある忉利天(とうりてん)の中央に位置し、城の四門に四大庭園があって諸天人が遊楽する。善見城。喜見。喜見宮。喜見城宮。
  ※三界義(11C初か)「更加二帝釈所住喜見城一成二三十三天一也」
  [2] 〘名〙
  ① ((一)から転じて) この上もなく楽しい場所。花街をいう場合が多い。
  ※浮世草子・好色二代男(1684)一「目前の喜見城(キケンジャウ)とは、よし原嶋原新町」
  ※是は是は(1889)〈幸田露伴〉一「人間の極楽喜見城(キケンジャウ)かと思ふて居た鹿鳴館より」
  ② 蜃気楼(しんきろう)の異称。《季・春》」

とある。「見るやこころ」の上五にもう一工夫欲しいという所か。引き分け。

七十五番

   左勝  上巳  小西 似春
 くりの手や巴にめぐるすずり水
   右   帰鴈  山口 信章
 ちるを見ぬ鴈やかへつて花おもひ
 左くりの手葉茂か張清が百貫は仕べく候。巴にめぐるは雖遺塵絶書巴字而思魏文而以翫風流の硯水が蓋志所之謹而献褒美。右鴈かへつて花おもひ散を見は鴈が涙も降春雨といふせくおもひ帰候歟。散る花を見届てこそ真に思ふと云物ならめ。散を見捨て帰は寿永の秋を見届ざる熊野が心中宗盛なんぼう無念たるべき歟。仍左勝たるべし。

 判の「雖遺塵絶書巴字而思魏文而以翫風流」は『和漢朗詠集』の菅原道真「花時天似酔序」で、

 春之暮月。月之三朝。天酔于花。桃李盛也。
 我后一日之沢。万機之余。曲水雖遥。遺塵雖絶。
 書巴字而知地勢。思魏文以翫風流。
 蓋志之所之。謹上小序。
 (春の暮月、月の三朝、天花に酔へるは、桃李盛りなればなり。
 我が后一日の沢、万機の余、曲水遥かなりといへども、遺塵絶えたりといへども、
 巴字を書きて地勢を知り、魏文を思ひて以つて風流を翫ぶ。
 蓋し志の之(ゆ)く所、謹みで小序を上る。)

 曲水の宴の序で、曲水の宴は上巳の日に行われる。「くりの手」は繰りの手で、すらすらと繰り出される書ということか。巴字はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「巴字」の解説」に、

 「① (「巴」の字の篆書(てんしょ)体の形から) ともえの形。物がぐるぐる回るさまにいう語。
  ※和漢朗詠(1018頃)上「水は巴の字を成す初の三日(さんじつ) 源は周年より起って後幾ばくの霜ぞ〈藤原篤茂〉」
  ② (水が①の形にめぐり流れるところから) 曲水、また、曲水の宴をいう語。はのじの水。
  ※広本拾玉集(1346)四「思ひ出でてねをのみぞなく行く水にかきし巴の字の末もとほらで」

とある。
 曲水の宴に筆を執って流れる水のように書き連ねるといったところだろうか。出典にもたれかかった句ではある。
 これに対し信章の句は花が散るのが悲しくて見ずに帰って行く雁を「花おもひ」という。これが帰る鴈の本意本情に反するということだろう。
 散る花は見届けるのが花思いであり、それを見ずに帰る鴈は残念。それが古歌の本意本情になる。

 見れどあかぬ花のさかりに帰る雁
     猶ふるさとのはるやこひしき
            よみ人しらず(拾遺集)

のように、花よりも故郷を思う気持ちが強いからだ、とする。
 寿永の秋は寿永二年七月の平家の都落ちのことで平宗盛に引き連れられて大宰府へ向かう。その前の春に宗盛は花見に遊女の熊野(ゆや)を呼ぶというのが謡曲『熊野』の物語で、熊野は母の危篤を聞いて帰郷したいのを堪えて清水の花見に同行するが、観音様が哀れに思って雨を降らせて帰郷を果たすという物語だ。
 熊野サイドから言うと宗盛の横暴ということになるが、任口は宗盛サイドから、熊野の無風流を非難する調子になっている。
 まあ、忠と孝どちらを優先させるべきかという古典的なテーマではあるが、日本では中国韓国では孝を優先させるのが普通だが、日本では忠を優先させる。親が死んでも仕事を続けるのを美徳とする日本に対して、韓国では何代も前の先祖の法要で会社を休む。
 信章の「花おもひ」は人情ではあるが、任口には理解されなかったようだ。信章の負け。

百三番
   左  桜草  鹽川 如白
 花壇みよ春の中にはさくら草
   右勝 上巳  山口 素堂
 海苔若和布汐干のけふぞ草のはら
 見分右勝たるべし。

 随分と簡単な判だ。見分はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「検分・見分」の解説」に、

 「① (━する) 立ち会って検査すること。状況を査察すること。みとどけること。取り調べること。
  ※三道(1423)「古名をば聞き及び、当代をば見分して」
  ※浮世草子・本朝桜陰比事(1689)五「一家残らずめしよせられ御見分(ケンブン)あそばされしに」
  ② (見分) 見たところ。みかけ。みてくれ。外見。外観。外聞。
  ※浮世草子・本朝二十不孝(1686)二「見分(ケンブン)よりない物は金銀なり」
  ③ (見分) 仏語。認識する主観の心。客観としての相分の対。法相宗では四分の一とする。
  ※法相二巻抄(1242か)上「見分と申候は、能く此相分を知る用也」

とある。②の意味で、一目瞭然というニュアンスか。
 如白の句は、木には桜が咲いているが、花壇を見ればサクラソウが咲いている、というそれだけで、確かに何のひねりもない。
 信章の句の上巳は大潮の日に近く、またこの日は禊を行うため、禊を兼て海に出る潮干狩りの日でもあった。桃青(芭蕉)の句にも、

 竜宮もけふの鹽路や土用干し  桃青

の句がこのあと百十番に出てくる。
 潮が引いた後の海苔や海藻が潮の引いた浜に残っていて草原みたいだ、という句は桃青の突飛な「竜宮の土用干し」より直接的で分かり易い。土用干しは夏のもので季節が合わないし。
 桃青の句なら持だったかもしれないが、信章の句の海藻が潮干で草原になるという分かり易い面白さを取って、信章の勝ち。