2023年1月30日月曜日

 今日は映画を見に行った。例によってタイトルを伏せて。
 ストーリーからちょっと外れるが、日本人に治水信仰があるのではないかと思ってしまった。
 治水はもちろん文明の起源であり、特に中国では天子、先王の仕事とされ、建国神話に関わっている。
 灌漑農業の開始が、水路を支配するものに生殺与奪権を与えてしまい、絶対的な中央集権に繋がる。それが大河の流域に巨大な国家を生むことになった。
 日本の文化もまた長江文明の影響を大きく受け、規模は小さいながらも河川流域に灌漑農業を行ったが、中国のような巨大な中央集権国家を生むことがなかった。
 大和朝廷によって統一されても「諸国」は明治に至るまで残った。
 日本人にとって灌漑はいわゆる東方的独裁を生むのではなく、同じ河川を共有する共同体意識を生んだのだろう。治水はその地域を結束させるものではあっても、中央集権体制は比較的緩やかで優しいものだった。それが水路を作るということが地域を結束させ平和をもたらすというイメージに繋がっているのではないか。
 ただ、場所によっては灌漑水路はやはり生殺与奪権を水路の管理者にゆだねることになるのを警戒する所もあるのかもしれないし、水を止めるということで戦略的に決定的に優位に立たれる可能性もある。今のロシアのパイプラインと一緒で、水路の建設は地政学的な脅威になりかねない。
 水路の建設は本当に平和をもたらすのだろうか。むしろ水源をもつ国を地政学的に圧倒的に優位にしないだろうか。新たな戦争の火種にならないだろうか。ついつい余計な心配をしてしまう。
 多分アフガニスタンの中村さんも、日本人的な治水信仰で善意でやったことなんだろうけど、それが脅威になる人たちもいたのかもしれない。そんなことをついつい考えてしまった。

2023年1月29日日曜日

 それでは『六百番俳諧発句合』の続き。

百三十一番
   左  茶摘  柏木萬年子
 侘人のたのしみをつつむ茶園哉
   右勝 花   山口 信章
 夕かな月を咲分はなのくも
 左理はありとも其理卑し。月を咲分る花の雲新らし。右勝たり。

 侘茶は千宗旦によって徹底したものになった。ウィキペディアには、

 「1600年(慶長5年)頃、少庵が隠居したのに伴い、家督を継いだ。祖父の利休が豊臣秀吉により自刃に追い込まれたことから政治との関わりを避け、生涯仕官しなかった。茶風は祖父利休のわび茶をさらに徹底させ、ために乞食修行を行っているように清貧であるという意味から、「乞食宗旦」と呼ばれたという。」

とある。
 実際に侘茶といっても本当に乞食がお茶を嗜むわけではないが、乞食宗旦からの発想で乞食の楽しみを包む茶園とする。
 ここでいう侘人が今でいう理想化された侘人ではなく、文字通り乞食という意味で解されてたという所がこの時代の感覚だった。
 芭蕉の句でも何でもかんでも侘人、乞食の美学として受け取ろうとする人が結構いるが、江戸時代の人はもっと現実的だった。
 まあ、路通や惟然が本当に乞食みたいだからと嫌ってた許六は行き過ぎだとしても。
 信章の咲分はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「咲分」の解説」に、

 「〘名〙 一株の中にさまざまな色の花が咲くこと。同一の株の草木に異なった色の花が咲くこと。また、その草や木。
  ※御湯殿上日記‐天正八年(1580)九月二九日「ゑちせんこかめ千世つくりたるとて、うすむらさきときとのさきわけのきくの枝まいる」

とあるが、この場合は雲が左右に分かれて月が見えるのを、夕べには花の雲から月が昇るから、花の雲が左右に分れたという意味で用いられている。
 発想が面白く信章の勝ち。

百五十九番
   左持 扇給  濱田 春良
 儀式もや給ふ扇のをりめ高
   右  時鳥  山口 信章
 返せもどせ見残す夢を郭公
 左孟夏旬の儀式のをりめ高なるさまおもひやられてさもあるべし。
 右見のこす夢ををしむによせてかへせもどせといへる郭公の句いひしりてをもしろしよき持とぞ定め侍らん。

 春義の句の
 折目高はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「折目高」の解説」に、

 「① 衣服などの折りたたんださかいめの線がはっきりと高く現われているさま。
  ※史記抄(1477)一四「衣のたわうてをりめたかにもなう、しないやうたなりぞ」
  ② 態度や服装などが礼儀正しくきちんとしているさま。折目正しいさま。きちんとしていて堅苦しいさま。
  ※俳諧・口真似草(1656)「折め高にしみゆる人かも あたらしき装束やけふ北まつり〈以専〉」

 判詞の孟夏旬はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「孟夏の旬」の解説」に、

 「平安時代、陰暦四月一日に行なわれた旬政。天皇が紫宸殿に臨んで政務を行ない、群臣とともに酒宴を開いた。孟夏の宴。《季・夏》 〔公事根源(1422頃)四月〕」

とある。これは喩えで孟夏旬のような夏の儀式で、暑い中でも折り目正しくということで、賜った扇子が折目がきちんとついている(当たり前)というネタと思われる。
 信章の句はホトトギスの声に夢から覚まされて、夢を返せ戻せという句。

 ほととぎす夢かうつつかあさつゆの
     おきて別れし暁のこゑ
             よみ人しらず(古今集)

のような後朝の時鳥の連想であろう。
 どちらも捨てがたいということで良持とする。

百八十七番
   左持 郭公  神野 忠知
 ねをせぬや唐へ投金郭公
   右  初鰹  山口 信章
 初鰹またじとおもへば蓼の露
 左唐へなげかねめづらかなるにや。
 右またじとおもへばむらさめのそらとよめる心をうつして又めづらしよき持なるべし。

 投金はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「投金・抛銀」の解説」に、

 「① 近世初期の朱印船貿易で、博多・長崎・堺などの豪商が、船舶および積荷を担保として、ポルトガル人・中国人・日本人の貿易業者に貿易資金を貸付投資したこと。
  ※浮世草子・本朝二十不孝(1686)三「昔唐へ抛金(ナゲガネ)して、仕合次第分限となって」
  ② 遊蕩(ゆうとう)に使う前渡金。前金。手付金。
  ※浮世草子・好色盛衰記(1688)二「裸金にて弐千両。これは何になる小判と申。揚屋へなけがねと仰せられしに」

とある。唐へということだと①の意味で、今の言葉だと投資ということか。
 投資して大金になって帰ってくるのを今か今か待つ気分とホトトギスの声を待つ気分とをダブらせている。
 判詞の引用は、

 いかにせむこぬ夜あまたの時鳥
     またしと思へばむらさめのそら
             藤原家隆(新古今集)

の歌で、ホトトギスなんてもう待つまいと思ったらホトトギスにを聞くのにおあつらえの村雨が降るというもので、それを初鰹なんて食うもんかと思ってたら、蓼味噌が手に入ったとする。
 この時代の初鰹は生姜醤油ではなく蓼味噌で食べるものだったのだろう。醤油は中京圏には溜まり醤油があり、関西では薄口醤油が作られ始めたが、江戸ではまだあまり普及してなかった。
 刺身は酢で鱠にし、蕎麦は垂れ味噌で食べる時代だった。
 どちらも面白いということで、良持。

二百十五番
   左勝 瓜   池田 宗旦
 錫乃鉢や光とともに白齒桑
   右  蛍   山口 信章
 戦けりほたる瀬田より参合
 左右皆さるかふをいへる中に兼平は修羅江口はかつら句体も其ほどにしたがふにや。左は心とどむべく、右は見所なき心ちし侍り。

 「さるかふ」は猿楽のことか。今でいう能だが、能という言葉は本来もっと広い意味で歌舞全般を指していた。今でいう能楽に相当する言葉は猿楽だが、「さるかふ」はそのウ音便化したものか。
 謡曲『兼平』は修羅物で木曽義仲の粟津での最後を瀬田の矢橋の渡し守が語る物語。

 地 「弓馬の家にすむ月の、わづかに残る兵の、七騎となりて木曾殿は、この近江路に下り給ふ。
 シテ「兼平瀬田より参りあひて、地また三百余騎になりぬ。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.923). Yamatouta e books. Kindle 版. )

と七騎となった木曽義仲に兼平の瀬田の軍勢三百騎がわらわらと現れる場面を、瀬田川の名物の蛍がわらわら現れる、とする。
 これに対し、謡曲『江口』は鬘物で西行法師と遊女江口の歌のやり取りを題材としている。

 地 「思へば仮の宿に、心とむなと人をだに諌めしわれなり。これまでなりや帰るとて、即ち普賢菩薩と現はれ舟は白象となりつつ、光とともに白妙の白雲にうち乗りて、西の空に 行き給ふ。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (pp.1098-1099).Yamatouta e books. Kindle 版. )

の江口の霊の消えて行く場面の「光とともに白妙の白雲に」から、錫の鉢に盛られて白真桑(銀真桑ともいう)が運ばれてゆく様子とする。
 「左は心とどむべく、右は見所なき心ちし侍り。」は好みの問題という気もするが、ここは信章の負け。

2023年1月28日土曜日

 今日は西伊豆の土肥桜を見に行った。
 道を間違えて修善寺の方に行ってしまい、そのまま戸田峠を越えたら、峠道に昨日の雪が残っていた。
 下り坂に入ると眺めがよく、駿河湾はもとより富士山や南アルプスが見えた。雪残る道はるばるととひ桜。
 土肥では土肥金山の前で土肥桜まつりをやっていた。土肥神社や萬福寺の桜はほぼ満開だった。寒緋桜が入っているのか、色が濃く下向きに咲いているが、白い色の土肥桜もあり、そちらは大島桜に近かった。土肥桜白は沖縄の血の薄き。
 帰りに北条の里に寄った。


2023年1月27日金曜日

 今日も寒い日で、午後はみぞれ交じりの雨になった。
 芭蕉の勝敗を見たので、次は素堂(信章)の勝敗を見てみようと思う。

十九番
   左持  元日  望月 千春
 蓬莱や山の栢あるけふのはる
   右   試筆  山口 信章
 鉾ありけり大日本の筆はじめ
 左山のかひあるけふにや。はのいひそこなひさもこそけふの春さらさらといひのべて本歌の詞をかみくだく所もあらぬは何の味もなき栢よし野などには嵐山のかやもちとしふく候。さとちかくならではこれなき物にて候。右五もし手鉾たしと申事に候。筆鉾は常の事なれどもつき出し様に骨法有べきなり。日本は鉾のしたたりなれば少弁説もかなど覚へて僻耳には持と聞なし候。

 「山のかひある」と判にあるのは、

 わびしらにましらな鳴きそあしひきの
     山のかひある今日にやはあらぬ
              凡河内躬恒(古今集)

であろう。今日は御幸の目出度い日なのだから、そんなに悲しそうに猿よ鳴くなよという歌で、そのかひ(峡)を蓬莱飾りの柏に変えて今日の春と歳旦にしている。
 確かにオリジナルの猿の声のかけらもなく、ただ言葉の続きだけを取った形になっている。
 信章の句は文字通りの書初めではなさそうだ。「手鉾たし」はよくわからないが、何となくシモネタの匂いがする。まあ今の言葉でも「掻き初め」というのがあるが。
 「日本は鉾のしたたりなれば」も伊弉諾伊弉冉の国「生み」の場面だから、鉾は男根の象徴ともいえる。ましてセキレイに腰の振り方を学んだなんて言う。「少弁説」は小便説か。
 任口の判は饒舌で、喋る時もこんな調子なのかと思われるが、シモネタは気に入らなかったようだ。引き分け。

四十七番
   左持  蔵開  廣野 元好
 とく明る白壁うれし蔵ひらき
   右   霞   山口 信章
 見るやこころ三十三天八重霞
 左うれしき所を覚へず。右三十三天喜見城の春霞あふげば頭の骨もいたきほどに候へ共五もじ猶あるべきかと覚へ候へば持とこそ申さめ。

 蔵開きはコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「蔵開」の解説」に、

 「[1] 〘名〙 吉日を選んで、その年はじめて蔵を開くこと。また、その行事。近世大名が米倉を開く儀式をしたのにはじまる。宮中でも行なわれ、商家では多く一月一一日に行ない、鏡餠で雑煮を作って祝う。《季・新年》
  ※多聞院日記‐天正一四年(1586)正月五日「蔵開買初如レ例沙二汰之一」
  ※浮世草子・好色五人女(1686)五「吉日をあらため蔵ひらきせしに」
  [2] 宇津保物語の巻名。琴の天才である仲忠が、三条京極の旧宅で、蔵を開いて真名で書いた祖父俊蔭の集と、仮名で書いた父式部大輔の集とを入手し、これを帝に講じて奇代の帯を賜わったことや東宮をめぐる女性達の動きを中心に描く。」

とある。目出度い行事で嬉しいのは分るが、俳諧である以上具体的に何かネタになる理由が欲しいという所か。
 信章の三十三天喜見城はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「喜見城」の解説」に、

 「[1] (Sudarśana の訳語) 仏語。帝釈天(たいしゃくてん)の居城。須彌山(しゅみせん)の頂上にある忉利天(とうりてん)の中央に位置し、城の四門に四大庭園があって諸天人が遊楽する。善見城。喜見。喜見宮。喜見城宮。
  ※三界義(11C初か)「更加二帝釈所住喜見城一成二三十三天一也」
  [2] 〘名〙
  ① ((一)から転じて) この上もなく楽しい場所。花街をいう場合が多い。
  ※浮世草子・好色二代男(1684)一「目前の喜見城(キケンジャウ)とは、よし原嶋原新町」
  ※是は是は(1889)〈幸田露伴〉一「人間の極楽喜見城(キケンジャウ)かと思ふて居た鹿鳴館より」
  ② 蜃気楼(しんきろう)の異称。《季・春》」

とある。「見るやこころ」の上五にもう一工夫欲しいという所か。引き分け。

七十五番

   左勝  上巳  小西 似春
 くりの手や巴にめぐるすずり水
   右   帰鴈  山口 信章
 ちるを見ぬ鴈やかへつて花おもひ
 左くりの手葉茂か張清が百貫は仕べく候。巴にめぐるは雖遺塵絶書巴字而思魏文而以翫風流の硯水が蓋志所之謹而献褒美。右鴈かへつて花おもひ散を見は鴈が涙も降春雨といふせくおもひ帰候歟。散る花を見届てこそ真に思ふと云物ならめ。散を見捨て帰は寿永の秋を見届ざる熊野が心中宗盛なんぼう無念たるべき歟。仍左勝たるべし。

 判の「雖遺塵絶書巴字而思魏文而以翫風流」は『和漢朗詠集』の菅原道真「花時天似酔序」で、

 春之暮月。月之三朝。天酔于花。桃李盛也。
 我后一日之沢。万機之余。曲水雖遥。遺塵雖絶。
 書巴字而知地勢。思魏文以翫風流。
 蓋志之所之。謹上小序。
 (春の暮月、月の三朝、天花に酔へるは、桃李盛りなればなり。
 我が后一日の沢、万機の余、曲水遥かなりといへども、遺塵絶えたりといへども、
 巴字を書きて地勢を知り、魏文を思ひて以つて風流を翫ぶ。
 蓋し志の之(ゆ)く所、謹みで小序を上る。)

 曲水の宴の序で、曲水の宴は上巳の日に行われる。「くりの手」は繰りの手で、すらすらと繰り出される書ということか。巴字はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「巴字」の解説」に、

 「① (「巴」の字の篆書(てんしょ)体の形から) ともえの形。物がぐるぐる回るさまにいう語。
  ※和漢朗詠(1018頃)上「水は巴の字を成す初の三日(さんじつ) 源は周年より起って後幾ばくの霜ぞ〈藤原篤茂〉」
  ② (水が①の形にめぐり流れるところから) 曲水、また、曲水の宴をいう語。はのじの水。
  ※広本拾玉集(1346)四「思ひ出でてねをのみぞなく行く水にかきし巴の字の末もとほらで」

とある。
 曲水の宴に筆を執って流れる水のように書き連ねるといったところだろうか。出典にもたれかかった句ではある。
 これに対し信章の句は花が散るのが悲しくて見ずに帰って行く雁を「花おもひ」という。これが帰る鴈の本意本情に反するということだろう。
 散る花は見届けるのが花思いであり、それを見ずに帰る鴈は残念。それが古歌の本意本情になる。

 見れどあかぬ花のさかりに帰る雁
     猶ふるさとのはるやこひしき
            よみ人しらず(拾遺集)

のように、花よりも故郷を思う気持ちが強いからだ、とする。
 寿永の秋は寿永二年七月の平家の都落ちのことで平宗盛に引き連れられて大宰府へ向かう。その前の春に宗盛は花見に遊女の熊野(ゆや)を呼ぶというのが謡曲『熊野』の物語で、熊野は母の危篤を聞いて帰郷したいのを堪えて清水の花見に同行するが、観音様が哀れに思って雨を降らせて帰郷を果たすという物語だ。
 熊野サイドから言うと宗盛の横暴ということになるが、任口は宗盛サイドから、熊野の無風流を非難する調子になっている。
 まあ、忠と孝どちらを優先させるべきかという古典的なテーマではあるが、日本では中国韓国では孝を優先させるのが普通だが、日本では忠を優先させる。親が死んでも仕事を続けるのを美徳とする日本に対して、韓国では何代も前の先祖の法要で会社を休む。
 信章の「花おもひ」は人情ではあるが、任口には理解されなかったようだ。信章の負け。

百三番
   左  桜草  鹽川 如白
 花壇みよ春の中にはさくら草
   右勝 上巳  山口 素堂
 海苔若和布汐干のけふぞ草のはら
 見分右勝たるべし。

 随分と簡単な判だ。見分はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「検分・見分」の解説」に、

 「① (━する) 立ち会って検査すること。状況を査察すること。みとどけること。取り調べること。
  ※三道(1423)「古名をば聞き及び、当代をば見分して」
  ※浮世草子・本朝桜陰比事(1689)五「一家残らずめしよせられ御見分(ケンブン)あそばされしに」
  ② (見分) 見たところ。みかけ。みてくれ。外見。外観。外聞。
  ※浮世草子・本朝二十不孝(1686)二「見分(ケンブン)よりない物は金銀なり」
  ③ (見分) 仏語。認識する主観の心。客観としての相分の対。法相宗では四分の一とする。
  ※法相二巻抄(1242か)上「見分と申候は、能く此相分を知る用也」

とある。②の意味で、一目瞭然というニュアンスか。
 如白の句は、木には桜が咲いているが、花壇を見ればサクラソウが咲いている、というそれだけで、確かに何のひねりもない。
 信章の句の上巳は大潮の日に近く、またこの日は禊を行うため、禊を兼て海に出る潮干狩りの日でもあった。桃青(芭蕉)の句にも、

 竜宮もけふの鹽路や土用干し  桃青

の句がこのあと百十番に出てくる。
 潮が引いた後の海苔や海藻が潮の引いた浜に残っていて草原みたいだ、という句は桃青の突飛な「竜宮の土用干し」より直接的で分かり易い。土用干しは夏のもので季節が合わないし。
 桃青の句なら持だったかもしれないが、信章の句の海藻が潮干で草原になるという分かり易い面白さを取って、信章の勝ち。

2023年1月26日木曜日

  今日も良く晴れて寒かった。

 それでは『六百番俳諧発句合』の続き。

五百二番
   左  十夜法事 武野 保俊
 両の手をあはせて十夜の念仏哉
   右勝  霜   松尾 桃青
 霜を着て風を敷寝の捨子哉
 左両の手をあはせて十夜とはゆびの数などよりおもひよれるにや。聊いひたらぬところあるに似たり。
 右のすて子あはれにかなし。かちとすべし。

 念仏を唱える時には合掌するから両の手を合わせるもので、その指の数が十本だから十夜念仏というのは、余計なことだしそんなに面白い洒落でもない。過ぎたるは及ばざるがごとしという所か。
 桃青の句の捨子は文句なしに悲しい。「霜を着て風を敷寝」は比喩ではあり、実際の捨子は何かしら布にくるんで飯詰に入れられているものだが、この比喩が効果的に哀れを催すので桃青の勝ち。

五百三十番
   左   鱈   浅香 研思
 鹽物やいづれのとしの雪のうを
   右勝  雪   松尾 桃青
 富士の雪廬生が夢をつかせたり
 左いづれの年の雪の魚といへる後天山不弁と作れる朗詠の詞ながらしをくちにけんたらの魚賞翫うすくや侍らん
 右かんたんに銀の山をつかせたる事ある心にや心たくみに風情面白し勝とすべし。

 「いづれのとしの雪」の出典を、『和漢朗詠集』三統理平の、

 天山不弁何年雪 合浦応迷旧日珠
 (天山に弁(わきま)へず何(いづ)れの年の雪ぞ
 合浦にはまさに迷ひぬべし旧日の珠に)

だとしている。

 月見れば思ひぞあへぬ山たかみ
     いづれの年の雪にかあるらむ
            藤原重家(新古今集)

の和歌にも取り入れられている。万年雪を指す。
 塩漬けの鱈を見て、いずれの年の雪の魚、と鱈という漢字を分解して、保存の利く塩鱈を万年雪に喩えている。
 鱈の保存食は棒鱈と干鱈があり、棒鱈は蝦夷や出羽などの極寒の中でかちんかちんになるまで干すもので、干鱈は普通の干物をいう。
 干鱈は延宝の頃の、「あら何共なや」の巻十四句目の

   物際よことはりしらぬ我涙
 干鱈四五枚是式恋を       信章

 また貞享二年の発句、

 躑躅生けてその陰に干鱈割く女  芭蕉

があり、普通に裂いて食べることができるが、棒鱈は元禄五年冬の「けふばかり」の巻二十一句目に、

   當摩(たへま)の丞を酒に酔はする
 さつぱりと鱈一本に年暮て    嵐蘭

の句があるが、時間をかけて戻して食う。
 ただ、干鱈を賞翫するのに万年雪を持ち出すのはやや大袈裟か。
 桃青の句の「廬生が夢をつかせたり」は邯鄲夢の故事による。「つかせたり」は「築(つ)かせたり」で謡曲『邯鄲』に、

 シテ「東に三十余丈に、
 地  銀の山を築かせては、黄金の日輪を出だされたり。 
 シテ「西に三十余丈に、
 地  黄金の山を築かせては、銀の月光を出だされたり。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.2416). Yamatouta e books. Kindle 版.)

から来ている。
 雪の真っ白な富士山を見ていると、邯鄲の夢に築かせた銀の山、黄金の山のようだ、と富士の雪を賞翫している。こちらの喩えの方が当を得ている。桃青の勝ち。

五百五十八番
   左勝  寒垢離 黒川 行休
 寒垢離のあひぬる水や鼻の瀧
   右   炭   松尾 桃青
 白炭や彼うら島が老のはこ
 左かんこりの水ひたひにみなぎりおつるを鼻の瀧といへる見るやうにおかし。
 右うらしまの子が箱をあけて一時に白頭と成し事を白炭になぞらへしにや。聊いひかなへぬに似たる所あれば左為勝。

 寒垢離はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「寒垢離」の解説」に、

 「① 寒中に冷水を浴び心身を清めて、神仏に祈願すること。また、山法師、修験者(しゅげんじゃ)などが寒中に白装束で町を歩き、六根清浄(ろっこんしょうじょう)を唱えながら、家々の戸口に用意した水桶の水を浴びて回る修行。寒行。《季・冬》 〔俳諧・毛吹草(1638)〕
  ※談義本・銭湯新話(1754)一「寒垢離(カンゴリ)の願人が水浴るやうに」

とある。荒行で本来は厳粛なものだが、水を被ると鼻水がそれに混ざって、鼻の下に滝ができる。
 桃青の句の白炭は黒く焼いた炭に灰をかけて表面を白したもの。日焼けした漁師の浦島太郎に白髭が生えた姿がそれに似ているというものだ。
 桃青の「犬の欠尿」同様、「鼻の瀧」のようなネタはこの時代には受けが良かったようだ。古俳諧はシモネタが多かったが、古俳諧で育った判者の世代には受けが良かったのだろう。いずれも判者は季吟。
 品の良い桃青のギャグは次世代のもので、旧世代の感覚では桃青の負け。

五百八十六番
   左   厄払  松村 吟松
 厄としや借銭そへてにしのうみ
   右勝  歳暮
 成にけり成に気りまでとしのくれ
 左は厄難もおひ物もさらりとはらへる心をふくめ右はとしの終になるこころを成にけりなりにけりまでといひなせるともに感情の所ながら句は詞つかひ一入なるべき物なるに右の重詞新しく珍重に候なり。可為勝。

 厄年も借金も歳が変われば流れて、西方浄土へ成仏する。多分これはさすがに言い古された題材だったのだろう。
 桃青の句は、正月になれば春になりにけり、今年でうん歳になりにけり、その時までは年の暮、という意味だろう。
 二つ重ねることで、色々なことがという意味になって、これに限らず、厄年も無事終わりになりにけり、借金も何とかなりにけり、という意味を加えることもできる。この万能さが季吟にとっては新しいと感じられたのだろう。桃青の勝ち。

2023年1月25日水曜日

 天気は良いけど記録的な寒波到来で寒い。
 関西の方は大変だったようだが、こちらは風は強かっただけで雪は降らなかった。

 それでは『六百番俳諧発句合』の続き。

三百六十二番
   左勝  施餓鬼 濱田 春良
 手向草や花によるべの水せがき
   右   月   松尾 桃青
 今宵の月磨出せ人見出雲守
 手向けの花よるべの水詞つづきやすらか聞へてよく叶候歟
 月を見かく人見出来鏡屋に有名を尤ながらかかる小家のいとなみほり句めきたり。七文字も口にたまり候歟。左勝。

 手向け草はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「手向草」の解説」に、

 「〘名〙 (「たむけくさ」とも)
  ① (「くさ」は種、料の意) 手向けにする品物。神や死者などに供える品。幣帛(へいはく)。ぬさ。
  ※万葉(8C後)一・三四「白浪の浜松が枝の手向草幾代までにか年の経ぬらむ」
  ② 植物「さくら(桜)」の異名。《季・春》
  ※蔵玉集(室町)「他夢化草。桜。雲は猶立田の山の手向草夢の昔のあとの夕ぐれ」
  ③ 植物「まつ(松)」の異名。〔梵燈庵主袖下集(1384か)〕
  ④ 植物「すみれ(菫)」の異名。
  ※莫伝抄(室町前)「手向草 すみれぞ野にあるべし 花さかばこれを宮居に手向草一夜のうちに二葉とぞなる」
  ⑤ 松の古木の幹や枝に生える地衣植物。松の苔。
  ※道ゆきぶり(1371か)「はま風になびきなれたる枝に手向草うちしげりつつ」
  [補注]②③④のように、ある草木の異名に特定するのは、「莫伝抄」「蔵玉集」といった異名歌集に見える説で、それ以前に広く行なわれていた形跡は認められない。室町期の連歌師の知識と推定されるが、その根拠や当時における流布の程度は明かでない。」

とある。補注にあるとおり、この場合は①の意味で、特に何の草ということではなく施餓鬼の死者に供える花で良いと思う。
 「手向草の花によるべの水せがきや。」の倒置で、言葉の続きが滑らかでわかりやすい。
 桃青の句の人見出雲守は鏡造りの名人と思われる。京都国立博物館の館蔵品データベースに天下一人見出雲守藤原秀次の銘のある鶴丸紋南天鏡があり、十七世紀のものとされている。それかもしれないし、天下一人見出雲守は他にもいたのかもしれないが、当時は鏡の名工として知られていたのだろう。
 月はしばしば鏡に喩えられるから、名工に磨いでもらえということだが、刀鍛冶ならいざ知らず、鏡の名工といってもそんなに誰もが知る存在ではなかったのか、それに六七六のリズムも重たい感じで桃青の負け。

四百二十番
   左勝  鹿夢  神野 忠知
 かかしにも月もれとてややぶれ笠
   右   重陽  松尾 桃青
 盃の下行菊や朽木ぼん
 案山子にも月もれ破笠句の仕立あはれにさもこそ盃の下ゆく菊朽木盆の中迄酌なかしたる体にや。今少事たらず覚申左勝。

 忠知の句は、案山子が破れた笠を被っていて、その破れ目からちょうど月が見える。月を見るためにわざと笠を一部破って風流な案山子もいるものだ、というものだ。
 これに対して、桃青の句は重陽の杯の底に沈んでいる菊が、朽木盆によくある十六菊紋の模様みたいだというもの。
 重陽の菊酒は菊の花を漬け込んだ酒で、酒の中に菊が入っているから、盃に注げば盃の底に沈む。
 朽木盆は近江国の朽木という所で作られた黒塗りに朱漆の漆器で、十六菊紋のものが多い。
 破れ笠の案山子の哀れに対して、朽木盆の菊は着眼点は面白くても哀れな情は伴わない。桃青の負け。

四百四十八番
   左持  菌   池田 宗旦
 ぬれつつにしゐたけをとる雨の中
   右   紅葉  松尾 桃青
 枝もろし緋唐紙やぶる秋の風
 雨中のしゐたけ古歌をかすりたる迄候やあまりかろし。
 枝もろしとは葉の事候や緋唐紙を破が如し秋風の吹ちらすを申なし興少し。持。

 雨の中にシイタケを取るというのは、

 君がため春の野に出でて若菜つむ
     我が衣手に雪はふりつつ
              光孝天皇(古今集)

のをシイタケで俳諧らしく卑俗に落としたものか。
 ただ、雪を雨にとなると、本歌をすり上げるのではなく下げてしまっているので、それだけ情が軽くなる。
 桃青の句は風にそよぐ紅葉の葉を破れた緋の唐紙に喩えたものだが、葉がもろいならまだしも、「枝もろし」はちょっと違うし、芭蕉の葉の破れるならわかるが、紅葉の葉は破れたような形はしていても実際には破れていない。その意味で「興少し」なのだろう。
 両方とも疵有りということで引き分け。

四百七十四番
   左   豕餅祝 望月 千之
 いはふ子ども千世もとゐのこもちゐ哉
   右勝  時雨  松尾 桃青
 行雲や犬の欠尿むらしぐれ
 左かの千世もといのる人の子のためとよみしことのはをとれるばかりにて詞のつづきもよろしからず。心もいひたらず侍にや。
 右世話にすがりてめづらかにきこゆ。かちとし侍べし。

 望月千之は望月千春の従弟だという。
 「千代もと祈る」に掛けて「千代もといのこ(猪子)」とつなげ、区全体の詞の続き具合は悪くないが、玄猪に千代を祈るのは誰もがする普通の事なので、特に珍しさはない。
 桃青の句はさっと降ってすぐに止む時雨を犬の小便に喩えたもの。シモネタだがなかなかない発想(珍らか)ということで桃青の勝ち。

2023年1月24日火曜日

 今日は寄ロウバイまつりを見に行った。二回目。
 電気代が大幅に値上げするみたいなので、屋根に太陽光パネルを付けられないかと思った。
 ただ、古い家だと屋根のスレートにアスベストが使われている可能性があるだとか、いろいろ難しいことがあるようだ。
 日本の家屋に太陽光パネルが普及しない原因の一つに、このアスベスト問題があるのではないか。
 いくら国や自治体が太陽光パネルを推奨しても、アスベストスレートの葺き替えを全面補助するなどの対策をしないと、いつまでたっても屋根上の太陽光パネル設置が進まず、無駄に山を崩してゆくことになる。
 アスベストスレート問題は古い空家がなかなか解体されない原因にもなっているのではないかと思う。

 それでは『六百番俳諧発句合』の続き。

二百五十番
   左持  土用干 広野 元好
 土用干小袖有間や蘭の花
   右   蚊帳  松尾 桃青
 近江蚊屋汗やさざ波夜の床
 左は芝蘭の室に入はかうばしき事をしる事家語に見ゆ小袖の掛香などの匂へるさまさもあるべし。
 右あふみ蚊屋といひて汗やさざなみといへる又めづらかに優美なり。よき持とぞ申べき。

 元好の「蘭の花」に、判者の季吟は『孔子家語』巻第四の「與善人居、如入芝蘭之室、久而不聞其香、即與之化矣」を引いている。芝蘭の部屋にしばらくいるとそれが当たり前になるように、善人と交わると当たり前のように善人になるという意味の言葉だ。環境の大切さということか。
 土用干の小袖が香を焚き込んでいい匂いがするというところに、その寓意が読み取れる。
 桃青の句は近江の蚊帳であれば汗臭さもさざ波のようだというもので、環境よりも一人一人の気の持ちようを重視する。
 近江八幡は蚊帳の産地で、貝原益軒の『東路記』に、

 「八幡は町広き事、大津程なる所にて、富る商人多く、諸の売物、京都より多く来り、万潤沢にして繁昌なる所なり。町の北に八幡山有。秀吉公の養子、秀次の居城也。秀次を近江中納言と称せしも、爰に居城有し故也。
 此町にて、蚊帳を多くおり、染て売る。京、大坂、江戸、諸方へも、ここよりつかはす。」

とある。それに志賀の枕詞の「さざなみ」を掛けて、近江の蚊帳と思えば汗もさざ波、となる。
 環境が大事か心がけが大事か、どちらとも言えないということで、この勝負は引き分け。
 「よき持」は両方とも勝ちにしたいというくらいのニュアンスで、百十番や百六十六番のような、両方とも難ありの引き分けとは区別される。

二百七十八番
   左持  夕顔  小西 似春
 干瓢や夕顔つつむ上むしろ
   右   蝉   松尾 桃青
 梢よりあだに落けり蝉のから

 左かんへう売ものの莚に包みしたためしをかの夕がほの巻のことにすぐれたる哀におもひよそへしはさる事ながら聊傍題に似たり。
 右の句も蝉の題にからをいはん事同傍題にや。可為持。

 傍題は今ではサブタイトルの意味で用いられるが、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「傍題」の解説」には、

 「① 和歌・連歌・俳句で、病(やまい)として嫌う一種の体。ある題で主として詠むべき事物をさしおいて、題に添えた事物を中心として詠むこと。また、両者を同一の位置において詠むもの。
  ※仁安二年八月太皇太后宮亮経盛歌合(1167)「そもそも傍題はよまぬことなりとや申す人もあれど」
  ② 歌などで、数多く詠む中に同じ事のあること。
  ※近来風体(1387)「歌の傍題と申す事は、〈略〉又歌かずをよむに同事のあるをも傍題と申すなり」
  ③ (①から転じて) 本題をはずれること。目的がずれること。
  ※滑稽本・八笑人(1820‐49)四「すこし傍題(ハウダイ)にはなるが」
  ④ 書物・論文などの副表題。副題。サブタイトル。
  ※敗北の文学(1929)〈宮本顕治〉三「この作品には、『ある精神的風景画』と云ふ傍題がそへられてある」

とあり、ここでは①の意味になる。
 似春の句は「干瓢の夕顔つつむ上むしろや」で、干瓢にする夕顔の実を上莚で包んでゆくという干瓢売の様子に、『源氏物語』の亡くなった夕顔のむくろの哀れを込めたものであろう。
 ただ、夕顔の実の句であって、「夕顔」というタイトルから連想させる夕顔の花の句ではない。
 桃青の句は梢から無駄に落ちて行く蝉の儚い命と思いきや、蝉の殻で落ちにしている。これも蝉の句ではなく蝉の抜け殻の句だ。
ということで両方とも傍題ということで引き分けになる。

三百六番
   左   施餓鬼 鹽川 如白
 後世事や人間第一の水せがき
   右勝  立秋  松尾 桃青
 秋来にけり耳をたづねて枕の風
 後世の事人間第一勿論興少し。
 秋風枕をおどろかす体耳を尋る詞つかひおかし。右勝。

 如白の句の水施餓鬼はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「水施餓鬼」の解説」に、

 「〘名〙 水辺で行なう仏事。経木を水に流し、亡霊の成仏を祈るもの。特に難産で死んだ女性の霊を成仏させるため、小川のほとりに竹や板塔婆を立て、それに布を張って道行く人に水をかけてもらうもの。布の色があせるまで亡霊はうかばれないとする。流灌頂(ながれかんじょう)。
  ※俳諧・山の井(1648)秋「されば水せがきして、火の車のたけきもうちけす心ばへ」

とある。
 それにこの場合の「人間第一」だが、今日の意味ではないだろう。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「人間」の解説」に、

 「[1] 〘名〙
  ① 仏語。六道の一つ。人の住む界域。人間界。人界。人間道。→じんかん。
  ※観智院本三宝絵(984)下「人間はくさくけがらはし。まさによき香をたくべし」 〔法華経‐法師品〕
  ② 人界に住むもの。ひと。人類。
  ※今昔(1120頃か)五「天人は目不瞬かず、人間は目瞬く」
  ③ 人倫の道を堅持する生真面目な人。堅物。
  ※雑俳・続折句袋(1780)「人間で一生仕廻ふ不器量さ」
  ④ 見どころのある人。人物。人柄。」

 生まれ変わっても六道の内の人間道に生れるのが一番という意味で、餓鬼道や地獄道に落ちたくはない、という意味であろう。
 まあ、誰しもそう思うことだから「勿論」だけど、それ以上の余情はない。
 桃青の句は、

 秋来ぬと目にはさやかに見えねども
     風の音にぞ驚かれぬる
            藤原敏行(古今集)

の歌によるものだが、風の音に秋が来たのを感じるという所に、秋風が耳を訪ねてくる来ると表現する所の面白さがある。
 枕もとでささやかれて起こされる様からの連想か。桃青の勝ち。

三百三十四番
   左   踊   柏木萬年子
 宇治の里にかかりけるかな伊勢踊
   右勝  荻   松尾 桃青
 唐きびや軒端の荻のとりちがへ
 山田より内宮へかけをどりにやさのみ興なし。
 唐きび軒端の荻其陰高き事をよせ合られたり。物語の詞実おかし。右勝。

 萬年子の句の伊勢踊りはコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「伊勢踊」の解説」に、

 「〘名〙 近世初頭に、御託宣によるとして伊勢神宮の神霊を諸国に送る神送りの踊り。慶長一九年(一六一四)から翌元和元年にかけて大流行した。近世中期、伊勢音頭が流行してからは、それに合わせて踊る踊りを称するようになった。
  ※会津塔寺八幡宮長帳‐元和七年(1621)「村々郷々にて御宮作立、其上たんす、もち、御酒、お作上よりのおしゑ之歌うたい申、御伊勢おとり有り」

とある。伊勢踊りを踊りながら伊勢まで来て、ついに伊勢の宇治橋を渡り内宮に入る。それだけ?と言われればそれまでの句だ。
 桃青の句は『源氏物語』で空蝉の寝室に忍び込んで間違えて軒端の荻と交わったことを思い起こさせながらも、内容的にはただ荻を吹く悲しげな音がすると思ったら荻ではなく唐きびだった、というもの。
 唐きびはこの時代はコウリャンのことだった。トウモロコシのことになるのはもう少し後の時代になる。そのため判にも「其陰高き事」となる。コウリャンは三メートルに達するが、荻も二メートルを越える。ともに背が高い。
 草の間違えを源氏物語になぞらえる所に面白さがあるということで桃青の勝ち。