2022年5月11日水曜日

 日本の報道の自由はロシア寄り、中国寄りの報道をする自由だからね。あれだけ毎日ロシアの快進撃を報道していたのに、実際はハルキウ州奪還。頑張れウクライナ。
 そういえばアニメの『パリピ孔明』第六話で文選の古詩が出てきたな。随分前に『野ざらし紀行─異界への旅─』を書いた時に引用した詩なのでよく覚えている。
 謝尚の『大道曲』も確か『遙かなる時空の中で』という乙ゲーで使われていた。
 曹操の『短歌行』ってこんな感じだったか。

 對酒當歌 人生幾何
 譬如朝露 去日苦多

 酒に向かえばまさに歌
 人生残りあといくら
 例えば朝露のような
 失った日々はもう幾多

 慨當以慷 幽思難忘
 何以解憂 惟有杜康

 嘆いたっていいじゃない
 隠した思いは忘れ難い
 憂さを晴らすに手だてがない
 あるのは杜康酒の神

 曹操ファンに怒られそうだな。

 さて、昨日の続きで、蘇東坡で花と柳を詠んだ詩というと、『和孔密州五絶 東欄梨花』という詩がある。

   東欄梨花
 梨花淡白柳深靑 柳絮飛時花滿城
 惆悵東欄二株雪 人生看得幾淸明

 梨の花の白は淡く柳の青は深い。
 柳の綿毛が飛ぶころの城市は花に満たされる。
 恨むべし東の欄干の二種類の雪。
 人は何度この清明の季節を眺められる。

 「二株雪」は「一株雪」とする本もあるが、ここは柳の綿毛と梨の花の二種類の雪と取っておきたい。
 「惆悵」は日本人なら「惜しむらく」とでもしそうだが、あえて恨むを使うのは中国や韓国などの儒教文化の発想を取っておきたいからだ。
 それに起承転結を考えた時、起承の景色に対し、ここは思い切った展開をして「いきなり何を恨むと言うのか」と驚かせておいて、結句で落ちを付けるというその呼吸を読んでおきたい。
 日本の文学者はテキストで共時的に詩を読むことにすっかり慣れてしまっているが、声として発せられた場合の順序というのは、詩を耳で通時的に聞く文化にとっては重要なことだった。

 うらやまし思い切る時猫の恋   越人
 猫の恋思い切る時うらやまし

は共時的には一緒だが、通時的に聞いた場合に印象は大きく異なる。「落ちを最初にゆうな」という所だ。金笠(キムサッカ)の、

 彼坐老人不似人 疑是天上降真人

を「彼坐老人降真人」としたのでは面白くもなんともない。
 白い花を雪に喩えるのは、わが国では昔から桜が雪に喩えられてきた。

 み吉野の山辺に咲けるさくら花
     雪かとのみぞあやまたれける
              紀友則(古今集)
 桜ちる花の所は春ながら
     雪ぞふりつつきえかてにする
              承均法師(古今集)

などその数も多い。
 卯の花もまた雪に喩えられてきた。

 時わかずふれる雪かと見るまでに
     垣根もたわに咲ける卯花
              よみ人しらず(後撰集)
 卯の花の咲けるあたりは時ならぬ
     雪ふるさとの垣根とぞ見る
              大中臣能宣(後拾遺集)

などの歌に詠まれている。
 ただ、ここで言う卯の花は近世のウツギの花ではなく、「垣根」とあるようにウバラ(イバラ)の花を意味する。
 白い花を雪に喩えること自体は、それほど珍しい発想ではない。
 ただ、梨の花を雪に喩えるというと、

 馬の耳すぼめて寒し梨子の花   支考

の句への影響というのは気になる所だ。この句は雪と言わずして、馬の仕草でもって雪を匂わしている。
 詩は『詩経』大序では「志」であり、人の意志を伝えるためのものなので、景色の描写というのは基本的にはそれを呼び興すための「興」にすぎない。大和歌も「こころ」を述べるためのもので、そこは共通している。
 その意味では、先日の「柳緑花紅真面目」の禅語も景色に対して「目に映る物をあるがままに受け入れること真実がある」という一つのメッセージになる。
 ただ、「梨花淡白柳深靑」の詩句に関して言えば、文脈は明らかに異なる。
 あまりに美しい景色なので、あと何回この景色を見ることができるのか。
 それは単なる人生の儚さだけではなく、人生も国家も様々な争いごとによって、あまりにもたやすく失われてしまうことへの「恨み」の文脈の中で読まなくてはならない。麦秋の青空もまた同じかな。

2022年5月10日火曜日

 ネット上で蘇東坡の詩句とされている「柳緑花紅真面目」で、筆者も安易に用いてしまっていたが、詩句というわりには、詩の全体が判明しない。そうなると、これが本当に蘇東坡の詩だったのかという疑念がわいてくる。
 この詩句が蘇東坡のものであることを証明するには、出典をつきとめればいいわけだが、この詩句が蘇東坡のものでないことを証明するのはもっと難しい。誰か他の人の詩にこの句があればいいが、それがないとなると悪魔の証明になる。
 とりあえず今わかったのは「真面目」をネットで検索すると、蘇東坡の詩の中に「真面目」の用例は一応あるということだ。

   題西林壁    蘇軾
 橫看成嶺側成峰 遠近高低總不同
 不識廬山真面目 只緣身在此山中

 横から見れば嶺とも峰ともなり、
 遠いか近いかで高さは違って見える。
 廬山の真の姿を知らないのは、
 ただ自分がこの山の中にいるからだ。

 廬山の真の姿を知らないのは、廬山に住んでいるからだ。まあ、エッフェル塔にいればエッフェル塔は見なくてすむというモーパッサンの例もあるが、この場合はちょっとでも角度が変わればまったく別のものに見えて、どれが本物というわけでもない、という意味だろう。
 「柳緑花紅」の方は古くから言い古された出典のある言葉の一つのバリエーションだろう。筆者が知っているのは、

   大道曲   謝尚
 青陽二三月 柳青桃復紅
 車馬不相識 音落黃埃中

 春の二月三月、
 柳は青く桃もまた赤い。
 車も馬もお互いを知ることもなく、
 ただ音だけが黃埃の中に。

の詩だ。似ているというと、

 見渡せば柳桜をこきまぜて
     都ぞ春の錦なりける
            素性法師(古今集)

の歌がある。影響を受けていたとしてもおかしくない。
 ただ、日本の山桜は紅ではないという問題はあるが、「いにしへの奈良の都の八重桜」なら桃色の品種もあったかもしれない。奈良時代に既に八重桜や枝垂れ桜などの園芸品種が作られていて、それが都特有の錦として認識されていた可能性はある。
 山桜も一様に白いのではなく、遺伝的に一定の変異を含んでいて、桃色がかかったものもある。ただ今の染井吉野のように、見渡す限り一面同じ色ということはなく、全体的には白い桜が主流だった。
 近代には沖縄の寒緋桜なども、品種改良で交配させたりしていて、今の桜は染井吉野よりも濃い色のものが多い。
 まあ、話はそれたが、「柳緑花紅」という場合の花は桃の花と考えた方が良いのだろう。漢詩に通じた人であれば、桜ではなく桃を連想したと思う。
 だいぶ前だが、『万葉集と漢文学』和漢比較文学叢書九、一九九三、汲古書院、所収の濱政博司さんの「大津皇子『臨終』詩群の解釈」を読んだ時に、似たような詩が中国・韓国・日本で有名な人の詩として語り伝えられていることを示している。
 五八九年の中国の『浄名玄論略述』の詩が古く、それは、叔宝が囚人として長安に引き立てられるときに詠んだ詩で、

  鼓声推命役 日光向西斜
  黄泉無客主 今夜向誰家

  太鼓の声は賦役へとせきたて、
  日の光は西へと傾いて行く。
  黄泉の国には主人もいなければお客さんもいない。
  今夜は誰の家に向かうのというのだ。

というものだった。
 日本では六八六年に二上山で処刑された大津皇子が詠んだとされ、『懐風藻』にも載っている詩に、

  金烏臨西舎 鼓声催短命
  泉路無賓主 此夕誰家向

  黄金烏が棲むという太陽も西にある住まいへ沈もうとし、
  日没を告げる太鼓の声が短い命をせきたてる。
  黄泉の国への旅路は主人もいなければお客さんもいない。
  この夕暮れは一体誰が家に向かっているのだろう。

というのがある。
 さらに韓国では成三問(ソンサムォン)(一四五六年没)の刑死した時の詩として、

  撃鼓催人命 回看日欲斜
  黄泉無一店 今夜宿誰家

  太鼓を打つ音は人の命運をせきたて、
  振り返って見れば日は傾こうとしている。
  黄泉の国には宿屋があるわけでもない。
  今夜は一体誰の家に泊ろう。

という詩が知られている。
 「柳緑花紅真面目」もひょっとしたら何らかの伝承詩があって、それが蘇東坡に仮託されたのかもしれない。元の形が多少違っていても、「真面目」と付けると実際に用例があるだけにそれっぽく聞こえる。
 蘇東坡の詩句かどうか定かでないなら、単に「禅語」として扱った方が良いのかもしれない。
 この詩句は基本的には五感に感じられるものをあるがまま、何ら解釈をすることなくそのまま受け入れるということで、現象学的に言う「エポケー」の状態を言う。
 これによって先入観を配して物事を見ろという教えであり、自由に物事を見ることで、新たな解釈を可能にする。
 ただし、その新解釈が真理であることを証明するものではない。ハイデッガーの言ったように、真理の本質は自由であり、自由の中にしかない。新たな世界の解釈も、それがひとたびドグマとなった時には、この世界を覆い隠すものとなる。

2022年5月9日月曜日

  昨日の写真。月読宮二十三夜尊。

 ウクライナのバンドのТінь Сонцяは日本語読みのティン・ソンチャでは検索できないみたいだ。Тінь СонцяかTin Sontsiaで探す必要があるようだ。
 マスゴミの戦勝記念連呼はうざい。八月九日だけでなく五月九日も反ロデーにした方が良いのではないか。二月二十四日も当然国際反ロデーにすべきだ。
 あと、昨日の古代東海道東へ鈴呂屋書庫にアップしたのでよろしく。

 それでは「郭公」の巻の続き、挙句まで。

 二十五句目。

   夜は飛ビ田の狐也けり
 高灯籠杉の梢にありあけて    其角

 高灯籠はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「高灯籠」の解説」に、

 「① 石灯籠の一つ。台石を幾層にも重ねて高く作ったもの。
  ② 人の死後七回忌まで、その霊を慰めるために、盂蘭盆会(うらぼんえ)のある七月に立てる高い灯籠。また、特に関東・東北で新盆の家が高い竿につけてともす灯籠。《季・秋》
  ※俳諧・佐夜中山集(1664)三「寺々や世上に眼高灯籠〈重頼〉」
  ③ 高い櫓(やぐら)の上部に灯をともし、船の航行を助けたもの。灯台。
  ※新板なぞづくし(1830‐44)一「住吉高燈(タカトウロウ)(とかけて)色事の出合(ととく心は)松からうへぢゃ」

とある。
 飛田の稲荷神社に①の意味での高灯籠か。京の伏見稲荷には験の杉があり、稲荷は杉に縁がある。
 二十六句目。

   高灯籠杉の梢にありあけて
 晩-稲花さく湖の隈        蚊足

 目立たないけど稲にも小さな花が咲く。前句をお盆の高灯籠として晩稲(おくて)の花が湖に面した田んぼに咲いている。隈は「くま」とルビがある。
 二十七句目。

   晩-稲花さく湖の隈
 蜻-蛉の一かたまりに流るなり   其角

 蜻-蛉はカゲロウであろう。一時期に大量発生する。大量発生して卵を産んだ後は皆死んで落ちて、湖を流れて行く。
 二十八句目。

   蜻-蛉の一かたまりに流るなり
 隣ならべて機の糊ひく      蚊足

 前句を天の川に見立てて、機織りの情景を付ける。
 機(はた)の糊は、織り糸を扱いやすくするために糊を付ける作業か。地域によっては男も機織りをするので、織姫彦星も一緒に機を織ったか。
 二十九句目。

   隣ならべて機の糊ひく
 通リなき冬の駅の夕あらし    其角

 この場合の駅は「うまや」であろう。古代は駅路に準備されている駅馬のことだったが、近世では伝馬のいる場所になる。コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「伝馬」の解説」に、

 「徳川家康は1601年(慶長6)に公用の書札、荷物の逓送のため東海道各宿に伝馬制度を設定した。徳川家康は「伝馬之調」の印判、ついで駒牽(こまひき)朱印、1607年から「伝馬無相違(そういなく) 可出(いだすべき)者也」の9字を3行にして縦に二分した朱印を使用し、この御朱印のほかに御証文による場合もある。伝馬役には馬役と歩行(かち)役(人足役)とがあり、東海道およびその他の五街道にもおのおの規定ができた。

 伝馬は使用される際には無賃か、御定(おさだめ)賃銭のため、宿には代償として各種の保護が与えられたが、一部民間物資の輸送も営業として認めた。伝馬制度は前述のとおり公用のためのものであったから、一般物資の輸送は街道では後回しにされた。武士の場合でも幕臣が優先されている。民間の運送業者、たとえば中馬(ちゅうま)などが成立して伝馬以外の手段が私用にあたった。1872年(明治5)に各街道の伝馬所、助郷(すけごう)が廃止された。」

とある。
 冬の駅は人通りも少なく、機織りの音が聞こえてくる。
 三十句目。

   通リなき冬の駅の夕あらし
 降かかりたる雪の玉味噌     蚊足

 玉味噌はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「玉味噌」の解説」に、

 「〘名〙 一般に、煮た大豆をつき砕いて麹(こうじ)と塩を混ぜて丸めた味噌玉をいう。また、大豆や蚕豆(そらまめ)を煮てつき砕き、麹と塩を混ぜて大きなだんごに丸め、わらづとに包み、炉の上などに一、二年置いて熟させた味噌。味噌玉。
  ※俳諧・続虚栗(1687)夏「通りなき冬の駅の夕あらし〈其角〉 降かかりたる雪の玉味噌〈蚊足〉」
  ※眉かくしの霊(1924)〈泉鏡花〉六「玉味噌を塗って、串にさして焼いて持ちます」

とある。
 今の岐阜県関市にある道の駅平成で売られているという玉味噌は、真ん中に穴が開いていて、そこに縄を通して上から吊り下げて乾燥させるという。
 大粒の牡丹雪、当時は帷子雪と言ったそういう雪だと、吊り下げた味噌玉のように見えなくもない。
 元禄七年の「鶯に」の巻十九句目にも、

   一阝でもなき梨子の切物
 玉味噌の信濃にかかる秋の風   芭蕉

の句がある。これも吊り下げた玉味噌が秋の風に揺れる情景だったか。
 二裏、三十一句目。

   降かかりたる雪の玉味噌
 釜かりに松の扉をたたかれて   其角

 松の扉は槇の戸と同様、山奥に暮らす隠士の風情がある。豆を煮る釜を借りに来る人がいる。
 松の戸は、

 山深み春とも知らぬ松の戸に
     たえだえかかる雪の玉水
              式子内親王(新古今集)

の歌にも詠まれている。松の戸にかかる雪の一致からも、本歌と言って良いだろう。
 三十二句目。

   釜かりに松の扉をたたかれて
 反故そろゆる閑な倫ミぞ     蚊足

 反故は字数から「ほうぐ」だろう。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「反故・反古」の解説」に、

 「〘名〙 =ほぐ(反故)
  ※右京大夫集(13C前)「ほかへまかるに、ほうぐどもとりしたたむるに」
  [語誌](1)奈良期に「本古紙」〔正倉院文書‐天平宝字四年(七六〇)六月二五日・奉造丈六観世音菩薩料雑物請用帳〕、「本久紙」〔正倉院文書‐天平宝字六年(七六二)石山院牒〕の表記で見えるのが古い。また、「霊異記‐下」には「本垢」とあり、当初の語形はホゴ・ホグ、あるいはホンク(グ)であったと考えられる。
  (2)平安期の仮名文では「ほく」と表記されることもあるが、ホンクの撥音無表記とも見られる。「色葉字類抄」には「反故 ホク 俗ホンコ」とあり、鎌倉時代においては、複数の語形があったこと、正俗の意識があったことなどが分かる。
  (3)「日葡辞書」の「Fongo(ホンゴ)」の項に「Fôgu(ホウグ)と発音される」との説明があるところから、中世末期においてはホウグが優勢であり、近世になってからもホウゴ・ホンゴ・ホゴ・ホング・ホグなどとともに主要な語形として用いられている。→「ほご(反故)」の語誌」

とある。上古の乙類のオはウに変わったものが多いが、ウとオの交替がしばしば生じる。人麻呂が人丸になるのもその一つの例。反故はホグともホゴとも読む。
 「倫ミ」の読み方はよくわからない。「なじみ」か。
 隠士同士が軒を並べていれば、釜の貸し借りもあれば一緒に反故を整理したりすることもある。
  三十三句目。

   反故そろゆる閑な倫ミぞ
 顔あまた都の友のなつかしく   蚊足

 昔一緒に書を学んだ仲間たちを、その頃の反故を揃えながら、都を遠く離れた所で思い出す。
 三十四句目。

   顔あまた都の友のなつかしく
 豆くふ数も人に笑われ      其角

 節分には年の数だけ豆を食うが、久しぶりに会った都の仲間たちは皆老人となっていて、豆の数がこんなにとお互いに笑い合う。
 三十五句目。

   豆くふ数も人に笑われ
 世中の花に駝のよろほひて    其角

 駝は「せむし」とルビがある。背骨が後ろに湾曲することを言う。この場合は老化が原因で、節分の豆もたくさん食べる。
 節分・立春は旧歴正月の前後なので、正月の「花の春」の季節になる。背中が曲がってよろよろ歩く老人は、それだけでお目出度い。正月に海老を食べるのも、腰が曲がるまで生きられますようにという願いだった。死亡率の高い時代は、年寄りになるまで生きられるというのがみんなの願いだった。
 挙句。

   世中の花に駝のよろほひて
 寺より寺にあそぶ春の日     蚊足

 年を取ってよろよろになっても、杖ついて順礼の旅をし続ける。そんな老人になってみたいものだ。

2022年5月8日日曜日

 今日は「古代東海道東へ」の続きで、二〇二〇年一月三日以来二年五か月ぶりに古代東海道の推定路を歩いてきた。
 前回は竜ケ崎を出発して土浦までたどり着けず、阿見坂上で終了してバスで土浦に出て帰った。今日はその続きということで、電車で荒川沖に行き、阿見坂上まで歩いて、そこからスタートした。詳しくは鈴呂屋書庫の「街道を行く、古代東海道篇東へ」に書き足す予定。
 まあ、とにかく無事に石岡の常陸国国府に辿り着くことができたので、とりあえず古代東海道の方は一区切りということになる。
 写真は石岡の恋瀬橋から見た筑波山。本日撮影。


2022年5月7日土曜日

 昨日の続きだが、貧困は喉にナイフを突きつけられ、家族まで人質に取られたような状態だ。ただ、惰性でこれまでやってきた一番安全のことを続けるしかない。
 少しでも変えようとすると、そこにリスクが生じる。そのリスクに耐えられないから、今まで通りのことを繰り返すしかない。それが「心の貧しさ」だ。
 貧しい村の中で、ある時たった一人新しいことにチャレンジしようとする者がいたとしても、そのリスクが村全体に降ってかかるかもしれないと思えば全力でそれを阻止する。それが「心の貧しさ」だ。
 飢餓に瀕するほど貧しくなくても、程度の差こそあれこの種の保守性は誰にでもある。飢餓まで行かなくても、今よりもはるかに生活が悪くなると思えば、人は保守的になる。
 終身雇用制のメリットはその安定性にあるが、その安定を脅かしてまで新たな冒険をしないということがデメリットになる。
 終身雇用の安定性は、安定性を脅かさない程度の冒険が逆に解放される。日本のオタク文化はそこから生まれる。本業を持ちながら、その本業を脅かさない範囲でなら、日本人は素晴らしい能力を発揮する。
 日本人の一人一人が素晴らしいアイデアを持っていたとしても、ではそれをビジネスにという段階になると、大抵は尻込みしてしまう。それをうまく開放できる一部の上司や指導者の下では大きな成功もあるが、大抵は埋もれてしまっている。
 本業を別に持ちながらオタクとして活動するメリットは、失敗の許される自由さにある。成功しても得るものがない代わりに、失敗しても失うものがない。
 例えば歴史でも軍事でもでも、筆者のやっているような俳諧研究でも、それを職業にしている人は失敗が許されない。だから保守的にならざるを得ない。オタクはいくらでも失敗していい。成功報酬を得ない代わりに失敗のリスクを負わないという、これは一つの取引だ。
 日本の終身雇用制は、本業の極度な保守性と、本業を離れた所の革新性の両面を持っている。逆に言えば、一人一人を見ればこれだけ優秀な人間がたくさんいるにもかかわらず、それが十分経済に反映されてないということにもなる。
 他所の国ならいいアイデアがあれば起業して商売にしようとするだろう。日本では起業は終身雇用の枠組みからドロップアウトすることになるので、リスクが大きすぎる。起業だけではない。政治の方面で才能があっても、政治家を志すというのは終身雇用からのドロップアウトを意味する。そのリスクをあえて犯そうとする人は稀だ。 だから、日本には実業界でも政界でも突出した人間はいない。本当に実力のある人間は終身雇用の大衆の中に埋没している。トップはたいしたことはないが、大衆のレベルがやたら高い。それが日本だ。
 終身雇用制は日本の今後の発展に暗雲を投げかけているのは確かだ。特に九十年代に本格的なコンピューター時代になり、世界で様々な破壊的イノベーションが生じる中で、日本は取り残されていった。日本の子どもたちは未だに重いランドセルを背負い、スマホは学校に取り上げられている。
 ただ、日本を単純に西洋化させるだけなら、日本は豊かな大衆文化をも失うことになるだろう。常に失業と隣り合わせの不安定な生活は間違いなく心を貧しくし、治安を悪化させ、デモや暴動が多発し、悪い意味でも西洋並みになっていく。両方のメリットを生かす方法が見つかれば、日本は世界に冠たる国になれる。
 あと、鈴呂屋書庫に「偽レル」の巻をアップしたのでよろしく。

 それでは「郭公」の巻の続き。

 十三句目。

   嶋原近き吾草の庵
 忍啼キふるきふとんに跡さして  蚊足

 引退した遊女の庵だろうか。
 十四句目。

   忍啼キふるきふとんに跡さして
 前髪惜む月のこよひぞ      其角

 前髪を落とすのは稚児が一人前の僧になる時で、衆道の対象から外れることが惜しまれる。
 十五句目。

   前髪惜む月のこよひぞ
 江は露に亭の蝋燭白くなり    蚊足

 「惜む」を追悼の意味に取り成したか。お通夜の場面であろう。明け方になり、蝋燭がその光を失ってゆく。
 月に露は多くの歌に詠まれている。
 十六句目。

   江は露に亭の蝋燭白くなり
 馬に信する瀬田の秋風      其角

 「信」には「まか」とルビがある。世も白む頃に馬に任せて瀬田へと向かう。旅体で、都落ちを暗示させる。
 露に秋風も多くの歌に詠まれている。
 十七句目。

   馬に信する瀬田の秋風
 花盛梟ならべたる首を見て    蚊足

 梟には「かけ」とルビがある。この字には「さらす」という訓読みもあり、晒し首のことになる。
 前句の秋風を比喩として春に転じたか。宇治川合戦で敗れた木曽方の多くの首が都晒される頃、木曽義仲は勢田へと向かい討ち死にする。違え付けによる季移り。
 十八句目。

   花盛梟ならべたる首を見て
 勇士の土産此梅を折       其角

 梅の花盛りの頃、勇士の持ち帰った首にも梅の枝が折って添えられている。残虐さと風流が共存するのが武士道の本質という所か。
 十九句目。

   勇士の土産此梅を折
 美女の酌日長けれとも暮安し   其角

 勇士が梅の枝を土産に帰還すると、美女がお出迎えして酌をしてくれる。こういう時の時間はあっという間に過ぎ去る。
 二十句目。

   美女の酌日長けれとも暮安し
 契めでたき奥の絵を書      蚊足

 前句を婚礼とする。新居となる奥の間に新たに絵を書かせる。
 二十一句目。

   契めでたき奥の絵を書
 或はしらら住吉須磨に遣され   其角

 奥の間に結婚の目出度い題材の絵ということで、高砂の松を描けと命じられ、住吉と須磨に実物を見に行かされる。
 「しらら」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「白か」の解説」に、

 「〘形動〙 (「か」は接尾語) 色の白々としたさま。白く、明るいさま。また、はっきりしているさま。しろらか。しらら。
  ※今昔(1120頃か)二九「其に差去(さしのき)て色白らかなる男の小さやかなる立たり」

とある。明け方に出発するということか。
 二十二句目。

   或はしらら住吉須磨に遣され
 乞食に馴て安き世を知      蚊足

 配流で住吉から須磨に渡り、そこで出家して乞食僧となった時、世の中は何とかなるもんだということを知る。
 二十三句目。

   乞食に馴て安き世を知
 町ぐたり二声うらぬ茶筌売    其角

 「ぐたり」はいまの「ぐったり」で、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「ぐったり」の解説」に、

 「〘副〙 (「と」を伴って用いることもある) 弱りきって力がぬけたさま、疲労して力のぬけたさまを表わす語。ぐだり。ぐたり。くたり。
  ※敬斎箴講義(17C後)「外形自惰落なれば、内心もぐったりとして」
  ※爛(1913)〈徳田秋声〉六「団扇を顔に当てながらぐったり死んだやうになってゐた」

とある。
 茶筌売は冬には鉢叩きになるが、茶筌売の時は疲れたように一声しか上げずに町を売り歩く。
 二十四句目。

   町ぐたり二声うらぬ茶筌売
 夜は飛ビ田の狐也けり      蚊足

 飛ビ田はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「飛田・鴟田・鳶田」の解説」に、

 「大阪市西成区北東隅、山王・天下茶屋東一帯の呼称。天王寺駅の西方になる。江戸時代に墓地・刑場があった。」

とある。近代には赤線が作られ、飛田遊郭と呼ばれたが、この時代にはまだない。
 茶筌売にはいろいろな顔があったのだろう。刑場の仕事もしていたか。

2022年5月6日金曜日

 ラノベの方は、佐々木鏡石さんの『がんばれ農強聖女~聖女の地位と婚約者を奪われた令嬢の農業革命日誌~』はなかなか楽しめた。
 香月美夜さんの『本好きの下剋上』のようないわゆる転生者の知識チートもなければ、餅月望さんの『ティアムーン帝国物語』のような死に戻りもなく、魔法も使わない。強いて言えば先代の聖女に知識チートがあったのかもしれない、ぐらいのところか。主人公の実力による「雨にも負けず」的な物語は珍しい。
 「心の貧しさ」というのが一つのテーマのようにも見える。筆者も某多言語ラボ活動で、しがないドラックドライバーで金も暇もなく、ひたすら海外ホームステイを拒否する活動スタイルでいたら、「心が貧しい」と言われたことがある。「心の貧しさ」は他人事ではない。
 今の日本ではすっかり克服されたが、今もフロンティアに残る飢餓と隣り合わせの貧しさというのは、何か新しいことに挑戦したくても、失敗が死を意味する。自分の死だけならいいが、家族や大切な人も共に死なせることになる。それは自分の喉元にナイフを突きつけられていて、家族も皆人質に取られている状態だ。そこで一体何ができると言うのか。
 ネパールで新しい品種を広めたりして農業改革をやっている日本人が、前にテレビで紹介されていた。立派なことだと思うが、ただそれは日本人だからできたんだと思った。失敗しても帰る所がある。その安心感から思い切った実験もできる。でも、失敗が死を意味する現地の農民には絶対にできないことだ。
 アフガニスタンの中村さんも、帰る所があるから思い切ったことも出来たんだと思う。豊かな国に生まれるという恩恵無くして有り得なかったことだ。
 我々はネパールやアフガニスタンに行くことはできなくても、日本の豊かさを維持することはできる。銃後を守るというのも立派な仕事ではないかと思う。
 『がんばれ農強聖女』も貴族としての地位なくしてはできないことだ。失敗ができる豊かさというのは素晴らしいものだ。基本「聖女」は生活に困る人であってはいけない。

 では引き続き『普及版俳書大系3 蕉門俳諧前集上巻』(一九二八、春秋社)から、『続虚栗』の、「蚊足にすすめられて」という前書きのある蚊足・其角の両吟歌仙を読んでみようと思う。
 発句は

   蚊足にすすめられて
 郭公麦つく臼にこしかけて

だが、作者名がない。
 脇の所に、

 郭公麦つく臼にこしかけて
   たそがれ渡る青鷺の空   其角

とある。「て」留で通常の発句の体でない所から、其角が詠んだ俳諧歌を発句と脇の代わりにするということか。狂歌というほど笑いを狙ったものでもなく、「麦つく臼」が雅語でないので、「俳諧歌」が適切なように思える。
 青鷺は「青鷺の駒」であれば和歌にも詠まれている。これは馬の毛の色で、青毛はほとんど黒なので、青鷺の色に近いというと原毛色が青毛の薄墨毛ではないかと思う。
 其角の歌の「青鷺の空」も馬の青毛の薄墨毛のような色の空とも取れる。夕暮れの薄暗い頃だと、空が青鷺色になる。それに鳥の青鷺の渡るを掛けているのではないかと思う。

 春深みゆるぎの森の下草の
     茂みにはむや青鷺の駒
              花園左大臣家小大進(夫木抄)
 ひまもあらばをぐろに立てる青鷺の
     こまごまとこそ言はまほしけれ
              源俊頼(夫木抄)
 見渡せば皆青鷺の毛梳めるを
     引き連ねたる馬つかさかな
              藤原信実(夫木抄)

などの歌がある。
 第三。

   たそがれ渡る青鷺の空
 川風や衣干ス揖にそよぐらん   其角

 「衣」は「きぬ」、「揖」は「かい」とルビがある。
 青鷺に水辺の景を添える。
 四句目。

   川風や衣干ス揖にそよぐらん
 樽をつくして皆童なり      蚊足

 「尽す」は多義で、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「尽・竭・殫」の解説に、

 「〘他サ五(四)〙 (「つきる(尽)」の他動詞形)
  ① つきるようにする。
  (イ) なくする。終わりにする。
  ※万葉(8C後)一一・二四四二「大土は採りつくすとも世の中の尽(つくし)得ぬ物は恋にしありけり」
  ※地蔵十輪経元慶七年点(883)四「我等が命を尽(ツクサ)むと欲(おも)ひてするにあらずあらむや」
  (ロ) あるかぎり出す。全部出しきる。つきるまでする。
  ※万葉(8C後)四・六九二「うはへなき妹にもあるかもかくばかり人の心を尽(つくさ)く思へば」
  ※源氏(1001‐14頃)桐壺「鈴虫の声のかぎりをつくしてもながき夜あかずふるなみだ哉」
  ② その極まで達する。できるかぎりする。きわめる。
  ※西大寺本金光明最勝王経平安初期点(830頃)五「永く苦海を竭(ツクシ)て罪を消除し」
  ※春窓綺話(1884)〈高田早苗・坪内逍遙・天野為之訳〉一「凞々たる歓楽を罄(ツ)くさんが為めのみ」
  ③ (動詞の連用形に付いて) 十分にする、すっかりする、余すところなくするの意を添える。「言いつくす」「書きつくす」など。
  ※日葡辞書(1603‐04)「Yomi(ヨミ) tçucusu(ツクス)。モノヲ cuitçucusu(クイツクス)」
  ※日本読本(1887)〈新保磐次〉五「マッチの焔を石油の中に落したるが、忽満室の火となり、遂にその町を類焼し尽しぬ」
  ④ (「力を尽くす」などを略した表現で) 他のもののために働く。人のために力を出す。
  ※真善美日本人(1891)〈三宅雪嶺〉国民論派〈陸実〉「個人が国家に対して竭すべきの義務あるが如く」
  ⑤ (「意を尽くす」などを略した表現で) 十分に表現する。くわしく述べる。
  ※浄瑠璃・傾城反魂香(1708頃)中「口でさへつくされぬ筆には中々まはらぬと」
  ⑥ 心をよせる。熱をあげる。
  ※浮世草子・傾城歌三味線(1732)二「地の女中にはしゃれたる奥様、旦那様のつくさるる相肩の太夫がな、見にござるであらふと」
  ⑦ (「あんだらつくす」「阿呆(あほう)をつくす」「馬鹿をつくす」などの略から) 「言う」「する」の意の俗語となる。
  (イ) 「言う」をののしっていう語。ぬかす。ほざく。〔評判記・色道大鏡(1678)〕
  ※洒落本・色深睡夢(1826)下「大(おほ)ふうな事、つくしやがって」
  (ロ) 「する」をののしっていう語。しやがる。しくさる。
  ※浄瑠璃・心中二枚絵草紙(1706頃)上「起請をとりかはすからは偽りは申さないと存じ、つくす程にける程に」

とある。
 ここでは元の①の意味で、樽の舟に乗って遊ぶのを終わらせ、櫂に濡れた着物を干していたのは、みんな子供だったという意味だと思う。
 五句目。

   樽をつくして皆童なり
 初秋の潤はわきて月なれや    蚊足

 初秋の七月に閏月が来ると、秋の満月が四回あることになる。月見が四回出来ると言うので、樽の酒が尽きるまで読んで、みんな子供のようだ、となる。
 ただ、この比実際に七月潤の年はなく、延宝八年に八月潤があった。元禄四年に再び八月潤がある。
 六句目。

   初秋の潤はわきて月なれや
 扇の日記を捨る関の戸      其角

 日記は「にき」とルビがある。扇の日記は夏の暑い時の日記ということで、秋の月の季節に終わる。
 月に扇は、

 なれなれて秋に扇をおく露の
     色もうらめし閨の月影
              俊成女(新勅撰集)

の歌がある。
 初裏、七句目。

   扇の日記を捨る関の戸
 萩のねに所の土を包み行     蚊足

 萩の根を土で包んだまま運び、関の戸を越えるというと、コトバンクの「朝日日本歴史人物事典「橘為仲」の解説」にある、

 「晩年に陸奥守として赴任の際,能因の歌に敬意を表し衣装を改めて白河の関を通り,上京の折には宮城野の萩を長櫃12合に入れて運んだと伝えられるなど,風雅に執した人物として知られた。」

のことか。ウィキペディアに「日記として『橘為仲記』(散逸)があった。」とある。散逸したのではなく、関を越える時に捨てていたことにしたか。
 八句目。

   萩のねに所の土を包み行
 僧と咄して沓静なる       其角

 お寺に萩を植えに行くと、僧が大勢歩いていて、その靴の音が響いているが、僧に話しかけると静かになる。
 僧の沓というと、芭蕉の『野ざらし紀行』の東大寺二月堂での、

 水取りや氷の僧の沓の音     芭蕉

の句がある。「僧の沓の氷の音」の倒置。
 九句目。

   僧と咄して沓静なる
 瓦工おりよりといそぐ入相に   蚊足

 工は「ふき」とルビがある。瓦葺の職人のことであろう。僧に話しかけて僧の沓音が止まる。
 十句目。

   瓦工おりよりといそぐ入相に
 神鳴りつべき雲を詠て      其角

 入道雲がむくむくと沸き起こり、夕立になりそうなので瓦工も作業を急ぐ。
 十一句目。

   神鳴りつべき雲を詠て
 折ふしの狂惑つらき命哉     蚊足

 狂惑は「きちがひ」とルビがある。「きゃうわく」と読んだ場合の意味は、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「狂惑」の解説」に、

 「① 正気を失い惑うこと。狂乱。また、常軌を逸した言動をとること。
  ※楓軒文書纂一一・香取文書‐建久五年(1194)五月日・関白藤原兼実家政所下文案「助康如レ此以二虚妄一為レ宗、以二狂惑一為レ業」 〔荀子‐君道〕
  ② とんでもなく馬鹿げていること。たわけていること。
  ※袋草紙(1157‐58頃か)上「なけやなけ蓬が杣の蛬(きりぎりす)更け行く秋はげにぞかなしき 長能云、狂惑のやつなり、蓬が杣と云事やは有と云々」
  ③ =きょうわく(誑惑)
  ※米沢本沙石集(1283)五本「誰れか狂惑(キャウワク)し、誰れか狂惑せられん」

とある。
 「折節」とあるから今でいう精神病ではなく、雷を恐れて発作的にパニックに陥って、とんでもないことをしてしまう人のことであろう。
 十二句目。

   折ふしの狂惑つらき命哉
 嶋原近き吾草の庵        其角

 京都嶋原の遊郭の側に庵を構えていると、遊郭の乱痴気騒ぎが聞こえてきて修行に身が入らない。

2022年5月5日木曜日

 それでは「偽レル」の巻の続き、挙句まで。

 二十五句目。

   囘火消の霜さやぐ松
 経よはる御魂屋のきりぎりす   其角

 「御」には「おおん」とルビがあり、王朝時代の「おほん」みたいな言い回しだが、「おたまや」のことであろう。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「御霊屋」の解説」に、

 「〘名〙 (「お」は接頭語) 先祖の霊や貴人の霊をまつっておく殿堂。霊廟(れいびょう)。みたまや。
  ※俳諧・三日月日記(1730)「ふるき都に残るお魂屋 くろからぬ首かきたる柘の〈芭蕉〉」

とある。例文にあるのは「破風口に」の巻十句目の

   挈帚驅倫鼡
 ふるき都に残るお魂屋      芭蕉

の句だ。元禄五年夏の素堂との和漢両吟。ここでは火事で死んだ人の遺体安置所であろう。経読む声が夜も更けて弱まってくると、霜置く野原のコオロギの声が弱ってゆくみたいだ。
 霜に弱る虫の音は、

 虫の音もほのかになりぬ花薄
     秋の末葉に霜やおくらむ
              源実朝(続古今集)
 風寒み幾夜もへぬに虫の音の
     霜より先に枯れにけるかな
              具平親王(玉葉集)

などの歌に詠まれている。
 二十六句目。

   経よはる御魂屋のきりぎりす
 夕べは秋の後鳥羽さびしき    千之

 「夕べは秋」といえば、

 見渡せば山もとかすむ水無瀬川
     夕べは秋となに思ひけむ
              後鳥羽院(新古今集)

の歌で、元は春の歌だが、コオロギの声の衰えてゆけば後鳥羽院もやはり寂しいと思うことには変わりない。秋の夕暮れも寂しいが、春の水無瀬の夕暮れも寂しい。

 秋もまだ浅きは雪の夕べかな   心敬

の連歌発句もある。
 二十七句目。

   夕べは秋の後鳥羽さびしき
 秬の葉に涙をあまる夷衣     其角

 秬は「きび」、夷は「ひな」とルビがある。夷衣は特に蝦夷とは関係なさそうだ。陸奥のしのぶもぢ摺りのことか。染料を石の上で擦りつけるだけの原始的な摺り初めの衣で、その不規則な模様が「乱染め」と呼ばれたのだろう。

 陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに
     乱れそめにしわれならなくに
              河原左大臣(古今集)

の歌は百人一首でもよく知られている。
 辺りは米もなく黍が実るだけで淋しい。王朝時代の陸奥に流された人の情であろう。
 二十八句目。

   秬の葉に涙をあまる夷衣
 まま子烏の寐に迷ふ月      千之

 烏はしばしば僧の意味で用いられる。継子故にお寺に預けられるというのも、よくあることだったのだろう。遠く旅をして、泊る所も定まらない。

 ことの葉はつゐに色なきわが身かな
     むかしはまま子いまはみなし子
              心敬

の歌もある。心敬もまた応仁の乱の頃に東国に下っている。
 二十九句目。

   まま子烏の寐に迷ふ月
 盗人をとがむる鎗の音ふけて   其角

 泊めてもらおうと館に行くと、槍を持った衛兵がいて、泥棒と間違えられる。中世の連歌師の旅ならありそうだ。
 三十句目。

   盗人をとがむる鎗の音ふけて
 胴の間寒き波の夜嵐       千之

 足軽などの身に付けている胸から腹にかけて覆うだけの胴鎧であろう。槍を以て夜の番をしていると、海から吹いてくる嵐の風が寒い。
 二裏、三十一句目。

   胴の間寒き波の夜嵐
 年と日と賤のつま薪よみ尽ス   千之

 薪は「まき」とルビがある。
 山奥の貧しい家庭の妻が必要な量の薪をきちんと振り分けて、一年でこれだけだから、一日で使う薪はここまでと決めている。寒いからって最初にがんがん使ってしまうと夜が寒い。
 三十二句目。

   年と日と賤のつま薪よみ尽ス
 うさきを荷ふ越の山業      其角

 業に「わざ」とルビがある。
 夫はウサギ狩りに行き、妻は薪の管理をする。
 越にウサギは越後兎の縁がある。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「越後兎」の解説」に、

 「〘名〙 東北地方、日本海側地方にすむノウサギの一亜種。季節により体色を変え、夏は灰褐色で黒みを帯び、冬は白色で耳の先だけ黒い。保護色の好例。とうほくのうさぎ。しろうさぎ。
  ※俳諧・犬子集(1633)一七「白き物こそ黒くなりけれ 古筆は越後兎の毛でゆひて〈貞徳〉」

とある。
 三十三句目。

   うさきを荷ふ越の山業
 剣術を虚谷に習ふ時は      千之

 虚谷は「こだま」、時は「よりより」とルビがある。折々という意味。
 越後兎から「名人越後」と呼ばれた冨田重政への展開か。冨田重政は越前朝倉氏の家臣だったが、越後の守だったため越後と呼ばれている。
 ここでは本人の逸話というわけではなく、越後のように剣を極めるために山に籠って修行をすれば、ということだろう。
 「よりより」は『古今集』仮名序に、

 「この人々(人麿赤人)をおきて、又すぐれたる人も、くれ竹の世々にきこえ、かたいとのよりよりにたえずぞありける。」

の用例があり、和歌では、

 妹がくる糸井の里のたまき山
     よりよりここに宿りぬるかな
              藤原為家(夫木抄)
 あはれなりよりより知らぬ野の末に
     かせぎを友になるる棲家は
              西行法師(山家集)

の用例がある。糸をよるに掛けて用いる。
 三十四句目。

   剣術を虚谷に習ふ時は
 有朋自遠方来          千之

 返り点がふってあって「朋(とも)遠方より来れること有」と読む。
 論語の有名な言葉で、「不亦楽乎」と続くき、普通は「朋あり遠方より来たるまた楽しからずや」と読む。下句の形にあわせて、返り点を振り直したのだろう。
 和歌の形にすると、

 剣術を虚谷に習ふ時は
     朋遠方より来れること有

と二句一章になる。
 三十五句目。

   有朋自遠方来 
 花に粮空嚢に銭をはたくらん   其角

 粮は「かて」。
 遠方より友は花見にやってきた。空嚢はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「空嚢」の解説」に、

 「① 物が入っていない袋。からの袋。
  ※露団々(1889)〈幸田露伴〉一七「風は空嚢(クウノウ)を揚げ、説は愚人を動かすだ」 〔劉駕‐送友下第遊鴈門詩〕
  ② 財布に金銭の入っていないこと。また、その財布。〔広益熟字典(1874)〕
  ※怪化百物語(1875)〈高畠藍泉〉下「今朝は忽ち空嚢となって」

とある。②の意味で、なけなしの金をはたいて旅の食料を買ったということか。
 三十六句目。

   花に粮空嚢に銭をはたくらん
 蛤處々のやまぶきヲ焼      其角

 大した金も持ってないので、花見の酒の肴に蛤を拾い、山で取れた蕗と一緒に焼く。