2019年4月29日月曜日

 連休二日目。今日は三軒茶屋(西太子堂)のCat's Meow Booksに行った。『怪談おくのほそ道』(伊藤龍平訳・解説、二〇一六、国書刊行会)という本があった。安永六年(一七七七年)成立の『芭蕉翁行脚怪談袋』の現代語訳と解説で、内容は芭蕉やその門人達の名前を借りた登場人物が出てくる怪談集で、狐や狸や狒々や竜の出てくる話だ。
 その中の一つに「第九話 其角、猫の恋の句のこと」が収録されているので、この本屋に置かれていたのだろう。
 内容は芭蕉が延宝期に諸国行脚していたり、行ったことのない備前や四国九州に行っていたりするあたり、すぐに虚構だとわかるようになっている。今でいえば『文豪ストレイドッグス』のようなもので、あくまでフィクションとして、余計な突込みを入れずに楽しんだ方がいい。
 まあ、蕪村の時代の人々にとって、蕉門の俳諧師がどのようなキャラにされていたかを知る上では貴重な資料だ。

2019年4月28日日曜日

 今日は旧暦三月二十四日で、ようやく良い天気になった。春ももう終わりが近い。
 そんな中、小石川植物園へ行った。ここは隠れたツツジの名所と言っても良い。日本庭園の綺麗に刈り込まれたツツジも良いし、自然のままに枝を伸ばしたツツジも良い。
 あと、ハンカチノキという珍しい花が咲いていた。

 平成が終った後、令和はどういう時代になるのか。
 基本的には覇権主義の時代、「一つの世界」の時代は戻ってこないと思うし、そう願いたい。
 トランプ大統領がたとえ次の選挙で落選して民主党政権になったとしても、ふたたびアメリカが世界の警察に返り咲くのはもう難しいと思う。
 元はといえば日本の真珠湾攻撃で第二次大戦に参戦せざるを得なくなった時から、アメリカの運命は狂ってしまった。戦後そのまま東西冷戦の西側のリーダーに祭り上げられ、冷戦崩壊で世界の警察になってしまったが、昔のモンロー主義の頃に戻りたいのではないかと思う。
 中国の一帯一路もこれまでのような強引なやり方は無理で、グローバル経済の枠組みの中に納まってゆくと思う。中国が世界の強国の一角を占めるのは間違いないが、市場の信頼を失えば経済は行き詰まる。そこで妥協を余儀なくされることになる。
 EUも東西冷戦に対する第三の極という意義は既に失われている。これからも離脱や独立の動きは収まらないだろう。
 韓国と北朝鮮は、何とか世界の風向きが変わってくれることを願うかもしれないが、韓国の社会主義独裁体制化は経済の後退という大きな代償を払うことになるし、北朝鮮も現体制にこだわり続ければ永久に発展の道は閉ざされる。
 そして日本の場合、野党の動きとは関係なく安部政権はどのみち終るし、それに政権が変わってもほとんど何も変わらないのがこの国の特徴でもある。誰が首相になっても野党はやれ独裁者だの侵略戦争を起こすと言って騒ぐだろうし、国会ではスキャンダルの追及に専念することだろう。
 世界は緩やかに「極」を失い、多元化に向う。ただ、どんなに世界が多極的になっても科学と経済だけは共通言語だ。
 文化的にはグローバルスタンダードは次第に意味を失ってゆく。ファッションも流行も各国で独自の流れが平行して作られてゆくようになる。その中で、互いにネットを通じて他の文化の刺激を受けながら、より細分化されたロングテール市場を発展させてゆくと思う。
 その細分化の中で、障害者やLGBTやその他の様々なマイノリティーが居場所を見つけてゆけばいいと思う。

 多元主義の時代の中で、多神教の風土で育った日本の大衆文化がますます発展し、世界に影響を与えていければなと思う。

2019年4月26日金曜日

 今日も一日雨が降った。いわゆる春の霧雨だ。やや肌寒かった。
 それでは「八九間」の巻の続き。これで最終回。

 三十二句目。

   そぐやうに長刀坂の冬の風
 まぶたの星のこぼれかかれる    沾

 これも無修正で治定。発想が面白い。
 三十三句目。

   まぶたの星のこぼれかかれる
 引立てむりに舞するたをやかさ   里

 『続猿蓑五歌仙評釈』は「たをやかさ」を恋としているが、「たをやかさ」は立圃著延宝六年刊の『増補はなひ草』の「恋の詞」には入っていない。後の時代の曲亭馬琴編『増補 俳諧歳時記栞草』にもないから、この句を恋とする必要はない。
 「長刀坂」の句から俄然活気付いたように、テンポ良く展開されている。その「長刀坂」の句を呼び起こしたその前句の二十九句目の芭蕉自身による改作が功を奏したといえよう。
 三十四句目。

   引立てむりに舞するたをやかさ
 そつと火入に落す薫        見

 「薫物」は『増補はなひ草』の「恋の詞」の中に入っているが、末尾に「何れも句作ニよるべし」とあるように、本来は句の内容で判断すべきことで、恋の言葉が使われているからといって機械的に恋の句になるわけではない。
 三十五句目。

   そつと火入に落す薫
 花ははや残らず春の只暮て
       ぬ          蕉

 「残らず」とすると、「春の只暮て花ははや残らず」の倒置になる。
 「残らぬ」だと「花やはや残らぬ」と「残らぬ春の只暮れて」を合わせて、「残らぬ」を花と春の両方に掛けて用いることになる。和歌的な用法だ。
 挙句。

   花ははや残らぬ春の只暮て
 河瀬の水をのぼる
 河瀬の上のぼる水のかげろふ    里

 字余りになるので、書き間違いであろう。『続猿蓑五歌仙評釈』は「河」を抜いて「瀬の上のぼる水のかげろふ」としている。最終的には『続猿蓑』の「瀬がしら」という言葉を見出すことになる。

2019年4月25日木曜日

 天気予報では午前中に止むといってた雨がなかなか止まなかった。
 それでは「八九間」の巻の続き。
 二十五句目。

   槻の角の果ぬ貫穴
 濱出しの俵を牛にはこぶ也     里

 さて、前回回答を保留した問題の句に来た。残念ながら「俵を牛に」が「牛に俵を」になっただけで、ほとんど推敲課程もなくできた句のようだ。「牛に」は今の日本語だと「牛の方に」という意味になるが、当時の「に」の用法だと「牛で」の意味で用いられる。

   海くれて鴨の声ほのかに白し
 串に鯨をあぶる杯       桐葉

の「串に」も、今日なら「串で」とするところだ。「鯨を串にさして」だとわかりやすい。「牛に俵を」も「俵を牛にのせて」という意味だ。
 こういう難解な付けの場合、大胆な取り成しを疑ってみるのも一つの手だ。
 たとえばこの句を「槻の角(かど)の果ぬ貫穴(ぬけあな)」と読めば、欅の木が目印のあの角を曲がると行き止まりにならない抜け道がある、という意味にならないだろうか。だとすると、浜出しのために年貢を積んだたくさんの牛や馬がごった返し渋滞する中を、抜け道して横入りしてくる牛もいる、という意味になる。
 まだ他の可能性もあるかもしれないが、今回は一応この解釈で治定としておく。
 二十六句目。

   濱出しの俵を牛にはこぶ也
 名しまぬ嫁に
 よめには物をかくす内證      見

 『続猿蓑五歌仙評釈』では、浜出しの俵を年貢ではなく、「大切な備蓄米すら売りに出さねばならない」とし、それを嫁いで来たばかりの嫁には隠しておくという意味に解釈する。
 この回答に釈然としないのは単純な理由で、それって結局騙しているんじゃないか、ということだ。「来て間もない嫁を一家で気づかう」なんてのは明らかに嘘だ。裕福な家だと思わせて嫁に来させて、実は借金がありましたでは、それこそ結婚詐欺だ。
 ここは単純に、年貢をどれだけ払っているか、まだ知らなくていい、というくらいの意味にしておいたほうがいい。穿った見方をすれば、年貢を過少申告しているのを、事情を知らない嫁が本当のことをべらべら喋ったりしても困ると、そのほうが俳諧らしいと思う。
 前の句の「俵を牛に」→「牛に俵を」といい、今回の「名じまぬ嫁に」「よめには物を」→「なれぬ嫁には」の改作は、四三のリズムを嫌い三四のリズムに変えたのではないかと思う。和歌では末尾を四三で止めるのを嫌う。連歌・俳諧でも基本的には七七の句の下のほうは三四がベストで、二五、五二はありだが四三は嫌う。
 二十七句目。

   よめには物をかくす内證
 月待に傍輩衆の打そろひ      蕉

 これはどこの世界でも男が寄り集まれば、大体女がらみで秘密を共有しようとするものだ。
 二十八句目。

   月待に傍輩衆の打そろひ
 畠の菊の
 まがきの菊の名乗さまざま     里

 『続猿蓑五歌仙評釈』は陶淵明の「菊を采る東籬の下」を持ち出して隠士の集まりの句とするが、それは真に心の打ち解けた友であって「傍輩衆」ではないと思う。
 籬はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、

 「1 竹や柴などで目を粗く編んだ垣根。ませ。ませがき。
  2 遊郭で、遊女屋の入り口の土間と店の上がり口との間の格子戸。
  3 「籬節(まがきぶし)」の略。」

とある。ここでは2の意味としておきたい。
 二十九句目。

   まがきの菊の名乗さまざま
 うそ火たき中にもさとき四十から
 むれて来て栗も榎もむくの声    沾

 初案は『続猿蓑五歌仙評釈』にある通り、「前句の『名乗さまざま』を受け、それぞれに鳴き集う鳥の名(鷽ウソ・鶲ヒタキ・四十雀シジュウカラ)を挙げての句作」と見ていい。前句の「菊」を本物の菊とした。
 これはこれで良さそうなものだが、貞門の古風な感じを嫌ったのだろう。椋鳥の大群に席巻されて、菊も栗も榎もないとした。人間の群集心理を風刺したか。
 三十句目。

   むれて来て栗も榎もむくの声
 小僧を供に衣かひとる
 番僧走るのりものの伴       蕉

 「小僧」は年少の僧の意味。後に商家の丁稚もそう呼ぶようになった。お坊さんが小僧を連れて衣類を買いに行ったら、小僧たちがはしゃいで騒がしくてしょうがない、というところか。
 最初は芭蕉さんもこれで良く出来たと思って丸印を付け、少し考えて三角にし、結局は不採用にしたか。
 理由はおそらく展開の不十分ということだと思う。椋鳥の群れの騒がしさをそのまま取るのではなく、別の展開を考えた時、あくまで椋鳥の声を伴奏とし、番僧に伴走させる方に落ち着いた。
 二裏。
 三十一句目。

   番僧走るのりものの伴
 そぐやうに長刀坂の冬の風     見

 これは一発治定。「出来たり」とばかりに丸印を二つ記す。

2019年4月24日水曜日

 随分前のことだがオートマチック車の暴走事故が相次いで、問題になったことがあった。今回事故を起こした車種もいろいろなことが言われているが、結局は全部ドライバーのせいにされて、うやむやになって終わるんだろうな。日本の基幹産業の、その主力の車だし。
 それでは「八九間」の巻の続き。

 十五句目。

   あたま打なと門の書付
 いづくへか後は沙汰なき甥坊主   見

 これも一発治定。「あたま打つな」の取り成しも面白いし、やはり身内とはいえ体罰はいけない。そりゃ家出もするわな。馬莧さん、お見事。
 前句とこの句に丸印がついているのは「合点」ということか。芭蕉の主観で付けたものではなく、当座で受けたという意味だろう。
 十六句目。

   いづくへか後は沙汰なき甥坊主
 やつと聞だす京の道づれ      沾

 これも一発治定。加点はないが、上手く展開している。
 十七句目。

   やつと聞だす京の道づれ
 有明に花のさかりのたてあひて
    をくるる花の        里

 これはしまった。『続猿蓑』のところで芭蕉さんの句と言ってしまったが、里圃さんの句だった。
 原案は有明の月と満開の花とが張り合うというもので、満月と桜の時期がなかなか一致しないことを思えば、ちょっと盛りすぎた感じになる。
 朝の景色であまり盛ってしまうと、前句の明方の宿でやっと京の道づれのことを聞きだしたエピソードが霞んでしまう。「おくるる花」くらいがちょうどいい。明るくなってようやく見えてくる花の「遅る」は「送る」にも掛かり旅人を見送る。
 十八句目。

   有明にをくるる花のたてあひて
 みごとにそろふ籾のはへ口     見

 これも添削なし。場面転換のやり句としては、これ以上はないだろう。
 二表。
 十九句目。

   みごとにそろふ籾のはへ口
 春無尽先落札が作太夫       蕉

 やはりこの経済ネタは芭蕉さんだったか。
 二十句目。

   春無尽先落札が作太夫
 伊勢のみちにてべつたりと逢
    下向に           里

 これは細かいことだが、十六句目の「道づれ」から三句しか隔ててないということだろう。
 二十一句目。

   伊勢の下向にべつたりと逢
 長持にあげに江戸へ此仲間
 長持の小揚の仲間そハそハと    沾

 「あげに江戸へ」は字足らずなので、『続猿蓑五歌仙評釈』では「こあげに江戸へ」の間違いだという。
 初案では「に」が重なって意味が取りづらい。長持ちを運んで江戸へ向う小揚と伊勢に下向する小揚の仲間がばったりと出会う、ということか。
 「江戸」を捨てることで句がすっきりして意味がわかりやすくなるし、場所が特定されないから、その分想像が広がる。なんでもたくさんの意味を詰め込めば良いというものではない。
 二十二句目。

   長持の小揚の仲間そハそハと
 雲焼はれて青空になる
 くわらりと雲の青空になる     蕉

 芭蕉さんもここでは作り直している。
 明方の天気の回復をイメージして、最初は朝焼けの雲のはれて青空になるとしたが、朝焼けを消して単に雲が晴れたとするが、やはり朝焼けのイメージが欲しかったのだろう。『続猿蓑』では「青雲」という言葉を見出

す。
 二十三句目。

   くわらりと雲の青空になる
 禅寺に一日あそぶ砂の上      見

 前句の青空を煩悩の雲の晴れるとして禅寺へ展開する。この展開には芭蕉さんも何も言うことはない。
 二十四句目。

   禅寺に一日あそぶ砂の上
 槻の角の堅き貫穴
     果ぬ           沾

 近代俳句だと、難解な句も読者の想像力不足ということで片付けられる。だから、こういう場合はひたすら想像力をたくましくして、禅寺で一日遊ぶその横では普請が行われて、大工さんが一生懸命欅の角材に貫穴をあけている情景が目に浮かぶようだ、ということになる。『続猿蓑五歌仙評釈』はそういう読み方をしている。
 ただ、それでは俳諧らしい面白みが何もないので、一種の禅問答ということにしてみた。
 時代は下るが仙厓義梵が蛙の絵を描いて「座禅して人が仏になるならば」という讃を添えている。座るだけで仏になれるなら、蛙などとっくに仏になっている、ということか。禅寺に一日遊んでも堅い欅の角材に貫穴を開けることはできない。
 『校本芭蕉全集 第五巻』の注は「遊ぶ人に対して勤労の人を対させた付」と迎え付け(相対付け)としている。
 だがここには、

    つぎ小袖薫うりの古風也
 非蔵人なるひとのきく畠   芭蕉

の「薫うり」に「非蔵人」、

    僧ややさむく寺にかへるか
 さる引の猿と世を経る秋の月   芭蕉

の「僧」と「猿引」、

   月の色氷ものこる小鮒売
 築地のどかに典薬の駕      洒堂

の「小鮎売」に「典薬」のような明確な対立する言葉がない。

2019年4月23日火曜日

 富士山は東半分が真っ白で西半分は雪が融けている。前に見たときもそうだった。
 西から来た雨雲が富士山にぶつかるとそこで雨を降らし、富士山を越えると雨雲でなくなってしまうせいなのか。

 それでは「八九間」の巻の続き。
 作者名は『続猿蓑』のバージョンでは規則正しく、芭蕉・沾圃・馬莧・里圃と続けたら、そのあと1と2、3と4を入れ替えて沾圃・芭蕉・里圃・馬莧となり、それを繰り返す。出勝ちではなく最初から順番を決めて詠んでゆく四吟の形を取っている。
 これに対し『真蹟添削草稿』は、まず芭蕉・馬莧・沾圃の三句があって、そのあとは里圃・沾圃・芭蕉・馬莧と続き、そのあと1と2、3と4を入れ替えて沾圃・里圃・馬莧・芭蕉となり、それを繰り返す。そして最後に里圃が挙句を詠んで全員九句づつになる。変則的だが、一応出勝ちではなく、あらかじめ順番が決めてあったと思われる。
 あるいは最初は発句・脇・第三の三つ物として作って、後に里圃を加えて四吟にしたのかもしれない。そのあと『続猿蓑』に載せる完成稿を作ったとき、この変則的な四吟を通常の四吟に直そうとしたため、作者名がずれてしまったのだろう。
 そのとき実際に誰がどの句を詠んだかはほとんど問題にしなかったとしか思えない。芭蕉の場合、発句、六句目、十四句目、二十二句目、三十句目の五句のみが一致する。まあ、実質的に全部芭蕉の作品ということなのか。
 ひょっとしたら芭蕉が残した『真蹟添削草稿』を元に、芭蕉の死後支考が直した可能性もあるが、だとすると、「仕着せの布小」を「このみの羽織」に直したり、「猿の五器」の句のわかりにくさを嫌って渋柿の句に変えたのも支考だということになる。
 理圃は四句目・十二句目・二十句目・二十八句目・挙句の五句、沾圃は五句目・十三句目・二十一句目・二十九句目の四句が一致するが、馬莧は一句も一致しない。どうやら馬莧が犠牲になったようだ。
 『真蹟添削草稿』の作者名が真の作者名なら、発句・四句目・五句目・六句目・十二句目・十三句目・十四句目・二十句目・二十一句目・二十二句目・二十八句目・二十九句目・三十句目・三十六句目の十四句が『続猿蓑』でも真の作者が表示されていることになる。
 そう考えると、七句目のところで「治定された『渋柿の』の句は別の発想から生まれた新しい句で、作者名が違うのもそのためだろう。」と書いたが、実際は作者名の違いに特に意味はなく、後から機械的に置き換えていっただけのようだ。
 九句目。

   みしらぬ孫が祖父の跡とり
 脇指はなくて刀のさびくさり
 脇指に仕かへてほしき此かたな   里

 初案では脇差はなく、錆びて腐った本差があったということか。だとすると没落した武家の跡取りということになる。
 ウィキペディアの「本差」のところには、「浪人などの一本差しは主に本差だけであり、これに副兵装として万力鎖を持っていたとしても脇差には該当しない。」とある。祖父は一本差しの浪人だったということか。
 改案だと、脇差に作り直して欲しい刀を相続したということで、武家の持つ大小の刀ではなく、町人の持つ刀だということになる。『続猿蓑』の「脇指に替てほしがる旅刀」だと、どういう刀だったかはっきりとする。
 十句目。

   脇指に仕かへてほしき此かたな
 煤を掃へば衣桁崩るる
   ぬぐへば           見

 衣桁(いかう)はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、

 「室内で衣類などを掛けておく道具。木を鳥居のような形に組んで、台の上に立てたもの。衝立(ついたて)式のものと、2枚に折れる屏風(びょうぶ)式のものとがある。衣架(いか)。御衣(みぞ)懸け。衣紋掛け。」

 煤を掃おうとして衣桁を倒してしまうというのは、よくあることだったのだろう。
 前句の刀を脇差に作り直したいというのを、相続のためではなく、年末の決済の金を作るためとして、年末のあるあるを付けたわけだが、『続猿蓑』だとこのあるあるネタを捨てて、単なる年末の風景とする。
 十一句目。

   煤をぬぐへば衣桁崩るる
 約束の小鳥一さげ売に来て     蕉

 曲亭馬琴の『増補 俳諧歳時記栞草』の「秋之部」の「鶫(つぐみ)」のところには「京師、除夜毎にこれを炙り食ふを祝例とす。」とある。
 これは手直しなしに一発で決まったようだ。
 十二句目。

   約束の小鳥一さげ売に来て
 十里ほどある旅の出かかり
   ばかりの余所へ        里

 これも細かい語句の訂正だが、すでに九句目が「旅刀」になっていたとしたら、「旅」の字の重複を避けたことになる。となると『続猿蓑』の手直しとこの草稿の手直しはそれほど時期を隔てたなかったか。だとすると支考手直しの可能性は消える。
 十三句目。

   十里ばかりの余所へ出かかり
 す通りの藪の経を嬉しがり
 笹のはにこみち埋りておもしろき  沾

 「す通り」の案だと何が嬉しいのかよくわからない。そこを具体的にわかりやすく「笹のはにこみち埋りて」とする。
 十四句目。

   笹のはにこみち埋りておもしろき
 あたま打なと門の書付       蕉

 これは一発治定。さすが芭蕉さん。

2019年4月22日月曜日

 昨日は渋沢の千村に八重桜を見に行った。
 そこから八国見山に登り、真新しい霊園を横切って七滝の方へ行こうとしたが、道が見つからずに結局そのまま新松田に出て帰った。
 それでは「八九間」の巻の続き。

 初裏。
 七句目。

   ぜんまひかれて肌寒うなる
 手を摺て猿の五器かる草庵
           旅の宿    見

 句も作者も最終稿とはまったくちがう。
 「五器」は「五具足」に同じ。「五具足」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」には、

 「仏前に供える、華瓶(けびょう)一対、ろうそく立て一対、香炉一基の五つの仏具。五器。」

とある。
 これとは別に「御器」だと、コトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、

 「《「ごうき(合器)」の音変化》
 1 ふたつきの食器。特に、わんのこと。
 「―なくてかはらけにてあるぞ見慣らはぬ心地する」〈讃岐典侍日記・下〉
 2 修行僧などが食物を乞うために持つ椀。」

とある。
 また、呉器茶碗のことも五器という。
 「猿の五器かる」はそのまま読むと猿が所有する五器を拝借するということになる。それも「手を摺て」だから猿に頭を下げてお願いするような場面になる。だが、なぜ猿が五器を持っていて人間がそれにお願いして借りなくてはならないのか、そこのところがよくわからない。
 猿が所有する五器を借りるのではなく、猿が五器を借りる、つまり持ってゆくという意味だと、今度は猿が手を摺ったりするだろうか、ということになる。
 それにいずれにしても季語がない。ここは秋でなくてはいけないはずだ。それも、「月」「肌寒」と来たわけだから、ここは放り込みで「庵の秋」でも「宿の秋」でもいいはずだ。
 となると、「猿の五器」がたとえば何かの秋の植物の異名であるのか、そういう可能性も出てくる。その場合は「猿の五器刈る」であろう。それだとしても「手を摺る」がわからない。
 いずれにせよこの句は謎で、これが最終的に治定されなかったのは幸いだ。
 治定された「渋柿の」の句は別の発想から生まれた新しい句で、作者名が違うのもそのためだろう。
 八句目。

   手を摺て猿の五器かる旅の宿
 みしらぬ孫が祖父の跡とる
          跡とり     沾

 前句が謎だからこの句も前句にどう付いているのか分かりにくい。
 祖父の跡取りと称するものが不意に現れて、手を摺ってお願いして遺産を持って行ったか。
 ここも作者名が変えられている。