昨日は深大寺の神代植物公園へ行った。
ツツジ、藤、牡丹というところは既に終ったようで、薔薇が咲き始めていた。面積は小さいけどネモフィラが咲いていた。
「ハクメイとミコチ 植物園の歩き方」というイベントをやっていて、柿の葉のテントや竹の風呂などの展示もあった。
今日は久しぶりに「フクロウに会える店ふわふわ」に行ってきた。ちょっとブームが一段落しているのか、貸切状態だった。一部に誹謗中傷する団体もあるようだが、人間と動物を分離隔離するのが正義だとは思わない。見近でいろいろな動物と親しめる施設は必要だと思う。
それでは「宗祇独吟何人百韻」の続き。
八十七句目
たぐひだにある思ひならばや
誰来てか嵐に堪へむ山の陰 宗祇
宗牧注
只独住山の堪忍也。
周桂注
たぐひなきひとりずみなるべし。
「たぐひだにある思ひ」がどういう思いなのか特に指定されてないので、恋から隠士の句に転換する。
さびしさに堪へたる人のまたもあれな
庵ならべん冬の山里
西行法師(新古今集)
の心。
八十八句目
誰来てか嵐に堪へむ山の陰
奥は雲ゐる岩のかけ道 宗祇
宗牧注
太山の体也。
周桂注
所のさま也。
ここでは前句を「どんな人がここに来るのだろうか」とし、雲に続くような岩づたいの道を付ける。
八十九句目
奥は雲ゐる岩のかけ道
落ち初めし滝津瀬いづく吉野川 宗祇
宗牧注
滝の水上ハ、雲深き山上なれバしらぬと也。
周桂注
水上をしらぬ心也。
ここでいう吉野川は四国のではなく花の吉野を流れる吉野川だろう。水源は大台ケ原の方にある。
その手前の山上ヶ岳は大峰山と呼ばれ、熊野古道の大峯奥駈道が通っていて、修験道の寺院がある。江戸時代には曾良がここを訪れ、
大峯やよしのの奥を花の果 曾良
と詠んでいる。
前句の「雲」は吉野の地名が出ることで花の雲を連想させる。吉野の花の雲のはるか彼方、吉野川の水源がある。
この百韻は名残の懐紙に花はない。この句を隠し花と見てもいいのかもしれない。
花は「応安新式」には一座三句もので「懐紙をかふべし、にせ物の花此外に一」とある。「新式今案」ではやはり一座三句者と規定されているが、「近年或為四本之物、然而余花は可在其中」とある。ただ、この百韻では初の懐紙の十五句目に花があり、二の懐紙には三十八句目に花があり、三の懐紙には六十五句目に花がある。
おそらく宗祇が気にしていたのは、発句にも「花」という文字があることだろう。これを入れると初の懐紙に花が二句になり式目に反してしまう。発句は基本的には桜の句で、その桜の形容として「似たる花なき」が出てくるにすぎないから微妙な所だ。
独吟では審判の役割を果たす主筆がいないから、宗祇も後になってから初の懐紙に花が二句あるのに気づいたのかもしれない。その埋め合わせで、名残の懐紙は花をこぼすことになったのだと思う。
九十句目
落ち初めし滝津瀬いづく吉野川
はやくの事を泪にぞとふ 宗祇
宗牧注
昔の事也。泪の滝に仕立られたり。
周桂注
うけたる詞也。涙の滝也。はやくハむかし也。
「うけたる詞」は「うけてには」、古くは「うけとりてには」とも呼ばれた付け方で、二条良基の『知連抄』には、
三、うけとりてにはは、(上句に)、
来秋の心よりをくそでの露
かかるゆふべは萩のうはかぜ
通路の跡たえはつる庭の雪
ふりぬる宿をたれかとふらん
故郷をおもふ旅ねの草枕
むすぶちぎりは夢にこそなれ
(上句)に云止むる言葉をうくるを云也)、袖の露にかかる、庭の雪にふり
ぬる宿と付、草枕にむすぶ(とうくる)、是皆請てには也、自餘是にて料簡在べし、とある。逆に下句に上句を付ける場合は「かけてには」になる。
すむかひもなき草の庵かな
はやむすぶ岩屋の内のたまり水
これは「すむ」に「水」に掛けて付けているため、かけてにはになる。
宗祇の『連歌秘伝抄』には、
一、かけ手仁葉の事
待や忘れぬこころなるらん
聞なれし風は夕の庭の松
一、うけ手仁葉の様
暁のあはれをそふる雨そそぎ
あまりね覚ぞ身にはかなしき 頓阿
とある。「待つ」に「松」のかけてにははわかりやすいが、うけてにははわかりにくいが「雨そそぎ」の「雨」を「あま」で受けている。
しかし、このようなはっきりわかる受け方は次第に好まれなくなり、一見するとどこで繋がっているかわからないように受けるのが宗祇以降の時代には好まれるようになる。
この九十句目はもっとわかりにくい受け方で、「滝津瀬」を「泪」で受けて「泪の滝」としている。
吉野川の滝がどこから落ちてくるのかわからないように、いつだったか分からないような昔のことに今も涙する。
2018年4月30日月曜日
2018年4月27日金曜日
トランプさんの今までにない強力な経済制裁がやはり利いたのだろうか。もちろん日本もきちんとそれに歩調を合わせたことも効果あったのだろう。ここまで来れば、すでに投了前の形作りに入ったといってもいいのかもしれない。あとはいかに北朝鮮の名誉を保ったまま統一を実現するかだろう。
「朝鮮半島の非核化」は文面通りなら、北朝鮮の核放棄と同時に南朝鮮からの米軍の撤退を意味するのだろう。トランプさんも選挙の時にそんなことを言っていたし、実現する可能性はある。
アメリカも世界支配の覇権主義の野望を放棄し、普通の国になったように、あとは中国がアメリカに対抗するような覇権主義や、朝貢国は中国の一部なんていう時代錯誤の中華思想を放棄する番だろう。
こうして世界は多元主義と国境なきグローバル資本主義の下に、戦争のない上機嫌な時代になってゆけばいいなとおもう。
それでは「宗祇独吟何人百韻」の続き。
八十三句目
秋をかけむもいさや玉緒
身のうさは年もふばかり長き夜に 宗祇
宗牧注
一夜のかなしさも、年々を経ばかりなれば、秋中も待がたきとなり。
周桂注
秋の中も過しがたし。其ゆへハ、一夜なれども年もふるやうにながくおぼゆれば也。
「うさ」は今日でも「憂さ晴らし」というふうに用いられている。「年もふ」は「年も・経(ふ)」。
ただでさえ「秋の夜長」というが、憂鬱な時はその一夜が一年歳を取るくらい長く感じられる。白髪三千丈までは行かないにしてもやや大袈裟な感じもしないではない。まあ、とにかくその長い夜を繰り返していると、秋の終わるころには寿命も尽きるのではないかと思えてくる、と付く。
八十四句目
身のうさは年もふばかり長き夜に
見えじ我にと月や行く覧 宗祇
宗牧注
しの字濁也。うき身にハ月も見えじとゆくらんと也。
周桂注
思ひの切なるあまりに、月を友とすれば、はやくうつろふやうにみゆるハ、我にハみえじとて行かと也。誠年もふるばかり長き夜にたのめバ、月のうつろふと見侍るべし。
鬱がひどくて月を眺める余裕もなければ、月も早々に西の地平へと去って行く。「我に見えじや、と月は行くらん」の倒置。
八十五句目
見えじ我にと月や行く覧
よしさらば空も時雨よ袖の上 宗祇
宗牧注
此句名誉の句也。をのをの門弟に作意をいはせられしに、各ハ月に敵対していへり。祇公の作意ハ、下賤のわれに見えじと行月ハ理(ことはり)なるほどに、同心して、空も時雨よとせられたる也。
周桂注
月のみえじと行ハことはりなりと也。月をうらみぬ心、尤殊勝の事也。野とならバ鶉となりての作意におなじ。是を人をうらみぬ所簡要也。いつはりの人のとがさへ身のうきにおもひなさるる夕暮の空。
宗牧注の「名誉」には不思議というような意味もある。月は愛でるべきもので、月の出るのを喜び月が隠れるのを惜しむのが月の本意とされている。ただ、こういうことには必ず逆説がある。
杜甫の「春望」には「感時花濺涙(時に感じては花にも涙を濺ぎ)」と本来愛でるはずの花も荒れ果てた国の情景であればかえって悲しく感じられる。
ただ、宗祇のこの句は悲しむにとどまらず「空も時雨よ」ともっと悲しくなる事をあえて望み、月を恨む。私には見えないだろうということで月は行ってしまったのだろうか、と月にまで見放された我が身に、月の馬鹿野郎という感じで身の不遇を嘆く。
近代でも「青い空なんて大嫌いだ」だとか「海の馬鹿野郎」だとかいう言葉は、かえって悲しみを掻き立てる。惜しむべき月に「空も時雨よ」もまた、悲しみをより掻き立てる効果がある。
星野哲郎作詞の「花はおそかった」にも、「どんなに空が晴れたってそれが何になるんだ、大嫌いだ白い雲なんて」というフレーズがある。
もっとも、宗祇の句の場合、「月」が去って行った男のことだとすれば、その背中に「馬鹿」というのはわかりやすい。
周桂注の「野とならバ鶉となりて」は『伊勢物語』の、
野とならば鶉となりて鳴きをらむ
かりにだにやは君は来ざらむ
の歌で、行ってしまうなら私は鶉になって泣いていましょうという歌だが、本来愛でるはずのものを呪うという展開ではないから、ちょっと違う気がする。ただ、去ってゆく男への恨みの言葉という点では共通している。
もう一つの引用している歌は、
いつはりの人のとがさへ身のうきに
おもひなさるる夕暮れの空
藤原為氏(続後撰和歌集)
これも同様だ。要するに宗祇のこの逆説は当時としては画期的で、弟子達もなかなかうまく説明できなかったのだろう。
八十六句目
よしさらば空も時雨よ袖の上
たぐひだにある思ひならばや 宗祇
宗牧注
空も時雨たらば、我袖の類なるべし。
周桂注
空も袖もしぐるる物なれば、袖ばかりしぐるる心也。
これは先の逆説の補足説明のようでもある。「空も時雨よ」というのは、ならば月も私と同じように悲しんでくれて、同類になってくれる、と。
「朝鮮半島の非核化」は文面通りなら、北朝鮮の核放棄と同時に南朝鮮からの米軍の撤退を意味するのだろう。トランプさんも選挙の時にそんなことを言っていたし、実現する可能性はある。
アメリカも世界支配の覇権主義の野望を放棄し、普通の国になったように、あとは中国がアメリカに対抗するような覇権主義や、朝貢国は中国の一部なんていう時代錯誤の中華思想を放棄する番だろう。
こうして世界は多元主義と国境なきグローバル資本主義の下に、戦争のない上機嫌な時代になってゆけばいいなとおもう。
それでは「宗祇独吟何人百韻」の続き。
八十三句目
秋をかけむもいさや玉緒
身のうさは年もふばかり長き夜に 宗祇
宗牧注
一夜のかなしさも、年々を経ばかりなれば、秋中も待がたきとなり。
周桂注
秋の中も過しがたし。其ゆへハ、一夜なれども年もふるやうにながくおぼゆれば也。
「うさ」は今日でも「憂さ晴らし」というふうに用いられている。「年もふ」は「年も・経(ふ)」。
ただでさえ「秋の夜長」というが、憂鬱な時はその一夜が一年歳を取るくらい長く感じられる。白髪三千丈までは行かないにしてもやや大袈裟な感じもしないではない。まあ、とにかくその長い夜を繰り返していると、秋の終わるころには寿命も尽きるのではないかと思えてくる、と付く。
八十四句目
身のうさは年もふばかり長き夜に
見えじ我にと月や行く覧 宗祇
宗牧注
しの字濁也。うき身にハ月も見えじとゆくらんと也。
周桂注
思ひの切なるあまりに、月を友とすれば、はやくうつろふやうにみゆるハ、我にハみえじとて行かと也。誠年もふるばかり長き夜にたのめバ、月のうつろふと見侍るべし。
鬱がひどくて月を眺める余裕もなければ、月も早々に西の地平へと去って行く。「我に見えじや、と月は行くらん」の倒置。
八十五句目
見えじ我にと月や行く覧
よしさらば空も時雨よ袖の上 宗祇
宗牧注
此句名誉の句也。をのをの門弟に作意をいはせられしに、各ハ月に敵対していへり。祇公の作意ハ、下賤のわれに見えじと行月ハ理(ことはり)なるほどに、同心して、空も時雨よとせられたる也。
周桂注
月のみえじと行ハことはりなりと也。月をうらみぬ心、尤殊勝の事也。野とならバ鶉となりての作意におなじ。是を人をうらみぬ所簡要也。いつはりの人のとがさへ身のうきにおもひなさるる夕暮の空。
宗牧注の「名誉」には不思議というような意味もある。月は愛でるべきもので、月の出るのを喜び月が隠れるのを惜しむのが月の本意とされている。ただ、こういうことには必ず逆説がある。
杜甫の「春望」には「感時花濺涙(時に感じては花にも涙を濺ぎ)」と本来愛でるはずの花も荒れ果てた国の情景であればかえって悲しく感じられる。
ただ、宗祇のこの句は悲しむにとどまらず「空も時雨よ」ともっと悲しくなる事をあえて望み、月を恨む。私には見えないだろうということで月は行ってしまったのだろうか、と月にまで見放された我が身に、月の馬鹿野郎という感じで身の不遇を嘆く。
近代でも「青い空なんて大嫌いだ」だとか「海の馬鹿野郎」だとかいう言葉は、かえって悲しみを掻き立てる。惜しむべき月に「空も時雨よ」もまた、悲しみをより掻き立てる効果がある。
星野哲郎作詞の「花はおそかった」にも、「どんなに空が晴れたってそれが何になるんだ、大嫌いだ白い雲なんて」というフレーズがある。
もっとも、宗祇の句の場合、「月」が去って行った男のことだとすれば、その背中に「馬鹿」というのはわかりやすい。
周桂注の「野とならバ鶉となりて」は『伊勢物語』の、
野とならば鶉となりて鳴きをらむ
かりにだにやは君は来ざらむ
の歌で、行ってしまうなら私は鶉になって泣いていましょうという歌だが、本来愛でるはずのものを呪うという展開ではないから、ちょっと違う気がする。ただ、去ってゆく男への恨みの言葉という点では共通している。
もう一つの引用している歌は、
いつはりの人のとがさへ身のうきに
おもひなさるる夕暮れの空
藤原為氏(続後撰和歌集)
これも同様だ。要するに宗祇のこの逆説は当時としては画期的で、弟子達もなかなかうまく説明できなかったのだろう。
八十六句目
よしさらば空も時雨よ袖の上
たぐひだにある思ひならばや 宗祇
宗牧注
空も時雨たらば、我袖の類なるべし。
周桂注
空も袖もしぐるる物なれば、袖ばかりしぐるる心也。
これは先の逆説の補足説明のようでもある。「空も時雨よ」というのは、ならば月も私と同じように悲しんでくれて、同類になってくれる、と。
2018年4月26日木曜日
「宗祇独吟何人百韻」の続き。名残の表に入る。
七十九句目
色に心は見えぬ物かは
たが袖となせば霞にひかるらん 宗祇
宗牧注
春の光に乗じて、誰袖となして、霞にひかるるぞと、我心もあらはによ所に見えんと也。
周桂注
面白に興じたる体也。うかれたる心也。
隠していても顔に出てしまう恋は一体誰の袖に引かれたのだろうか、他ならぬ君にだ、というやや浮かれたような恋の歌になる。
「引かる」は「光る」に掛かり、そこに「霞」を出すことによって、春の女神佐保姫を愛しき女に重ね合わせる。
佐保姫といえば、
佐保姫の霞の衣ぬきをうすみ
花の錦をたちやかさねむ
後鳥羽院
の歌がある。
霞の衣の春の日に光り輝くような女神様のような君ともなれば、そりゃあ表情にも出るわな。
なお、これより二十五年後の山崎宗鑑撰『犬筑波集』には、
霞の衣すそはぬれけり
佐保姫の春立ちながら尿(しと)をして
の句がある。放尿は今のポルノでも一つのジャンルになっているが。
八十句目
たが袖となせば霞にひかるらん
春さへ悲しひとりこす山 宗祇
宗牧注
春は面白時節なれども、独こす山はかなしきと也。然(しかる)をたが袖となして、霞にハひかるるぞと也。
周桂注
春山ハおもしろき物なれど、ひとりこゆればかなしと也。誰袖になせばといおふにあたりて、ひとりと付たる也。
前句の「らん」を反語にして、あの霞も誰かの袖だったら引かれるのに、そんなこともなく、独り越す山は悲しいと付く。恋から羇旅に転じる。
八十一句目
春さへ悲しひとりこす山
おのが世はかりの別れ路数たらで 宗祇
宗牧注
北へ行雁ぞ鳴なるつれて来し数ハたらでぞかえるべらなる。ひとりに数たらでと付也。雁をかりの方に取なしたる也。
周桂注
北へ行雁ぞなくなるつれてこし数ハたらでぞかへるべらなる。かりの別ぢかりそめにそへたり。
本歌は、
北へ行く雁ぞ鳴くなるつれてこし
数はたらでぞ帰るべらなる
詠み人知らず(古今集)
雁と仮を掛けて、我が人生の仮の世の別れ(親族や親友などの死別)があって、秋に来た時より数が減って帰ってゆく春の雁のように、独り越す山は悲しいと付く。
八十二句目
おのが世はかりの別れ路数たらで
秋をかけむもいさや玉緒 宗祇
宗牧注
雁ハ春帰て、又秋来るものなり。然を秋かけて、あはむも知ぬ命ぞと、わが身をおもふ也。をのが世を吾事に取べし。
周桂注
雁ハ秋来る物なれど、秋までもいのちをしらぬと也。
親しき人とも死別し、数足らず帰ってゆく雁のような自分には、雁が秋にまた渡ってくるようなこともなく、むしろ秋まで生きながらえることができるだろうか、と付く。
七十九句目
色に心は見えぬ物かは
たが袖となせば霞にひかるらん 宗祇
宗牧注
春の光に乗じて、誰袖となして、霞にひかるるぞと、我心もあらはによ所に見えんと也。
周桂注
面白に興じたる体也。うかれたる心也。
隠していても顔に出てしまう恋は一体誰の袖に引かれたのだろうか、他ならぬ君にだ、というやや浮かれたような恋の歌になる。
「引かる」は「光る」に掛かり、そこに「霞」を出すことによって、春の女神佐保姫を愛しき女に重ね合わせる。
佐保姫といえば、
佐保姫の霞の衣ぬきをうすみ
花の錦をたちやかさねむ
後鳥羽院
の歌がある。
霞の衣の春の日に光り輝くような女神様のような君ともなれば、そりゃあ表情にも出るわな。
なお、これより二十五年後の山崎宗鑑撰『犬筑波集』には、
霞の衣すそはぬれけり
佐保姫の春立ちながら尿(しと)をして
の句がある。放尿は今のポルノでも一つのジャンルになっているが。
八十句目
たが袖となせば霞にひかるらん
春さへ悲しひとりこす山 宗祇
宗牧注
春は面白時節なれども、独こす山はかなしきと也。然(しかる)をたが袖となして、霞にハひかるるぞと也。
周桂注
春山ハおもしろき物なれど、ひとりこゆればかなしと也。誰袖になせばといおふにあたりて、ひとりと付たる也。
前句の「らん」を反語にして、あの霞も誰かの袖だったら引かれるのに、そんなこともなく、独り越す山は悲しいと付く。恋から羇旅に転じる。
八十一句目
春さへ悲しひとりこす山
おのが世はかりの別れ路数たらで 宗祇
宗牧注
北へ行雁ぞ鳴なるつれて来し数ハたらでぞかえるべらなる。ひとりに数たらでと付也。雁をかりの方に取なしたる也。
周桂注
北へ行雁ぞなくなるつれてこし数ハたらでぞかへるべらなる。かりの別ぢかりそめにそへたり。
本歌は、
北へ行く雁ぞ鳴くなるつれてこし
数はたらでぞ帰るべらなる
詠み人知らず(古今集)
雁と仮を掛けて、我が人生の仮の世の別れ(親族や親友などの死別)があって、秋に来た時より数が減って帰ってゆく春の雁のように、独り越す山は悲しいと付く。
八十二句目
おのが世はかりの別れ路数たらで
秋をかけむもいさや玉緒 宗祇
宗牧注
雁ハ春帰て、又秋来るものなり。然を秋かけて、あはむも知ぬ命ぞと、わが身をおもふ也。をのが世を吾事に取べし。
周桂注
雁ハ秋来る物なれど、秋までもいのちをしらぬと也。
親しき人とも死別し、数足らず帰ってゆく雁のような自分には、雁が秋にまた渡ってくるようなこともなく、むしろ秋まで生きながらえることができるだろうか、と付く。
2018年4月25日水曜日
今日は朝から激しい雨が降り、昼過ぎにようやく止んだ。
それでは「宗祇独吟何人百韻」の続き。
七十五句目
砌ばかりをいにしへの跡
植ゑ置きし外は草木も野辺にして 宗祇
宗牧注
荒たる所に、さすが植置たる草木ハ別に見ゆる也。其外ハ悉広野と荒果たる体也。
周桂注
うへたるハ別にみゆる心也。あれたる体也。
すっかり野原になってしまったかつての住居も、ところどころ植えられたとおぼしき植物が残っていて、かつてここに人が住んでいたとわかる。
七十六句目
植ゑ置きし外は草木も野辺にして
風は早苗を分くる沢水 宗祇
宗牧注
うへをきしハ、早苗の事也。苗の外ハ、山沢の草木を吹風計也。行やう面白句也。
周桂注
うへをきしハ苗也。
中世の田んぼは今のような区画整理された大きな田んぼではなく、山間部などの小さな水の流れに沿って作られた。そのため一区画は小さく、流れに沿って曲線的に作られることが多かった。
大きな河川の下流域の広大な平野部は水害の危険大きいため、こうした所は江戸後期の新田開発によって出来た所が多い。
中世の小さな田んぼの周りは、野原だったことも多かったのだろう。前句の「植ゑ置きし」を早苗のこととし、小さな沢水を利用して作られた田んぼの周りは草木の茂る野辺になっていて、風はそこから吹いていた。
七十七句目
風は早苗を分くる沢水
声をほに出でじもはかな飛ぶ蛍 宗祇
宗牧注
し文字濁べし。ほにハ顕心也。苗ハ穂に出る物なるに対してかくいへり。
周桂注
一句は恋也。蛍ハこゑハなくて、ただおもひをたきてみする心也。
「ほに出」は表に表れるという意味と穂に出るという意味とを掛けている。蛍は鳴かないから声をほに出すことはない。
恋に焦がれて鳴く蝉よりも
鳴かぬ蛍が身を焦がす
は都都逸として有名だが、永正十五年(一五一八年)に成立した『閑吟集』にもあるというから、ひょっとしたら宗祇さんも知っていたかもしれない。『閑吟集』の編者は不明だが、水無瀬三吟、湯山三吟をともに巻いたあの宗長だとする説もある。
七十八句目
声をほに出でじもはかな飛ぶ蛍
色に心は見えぬ物かは 宗祇
宗牧注
こゑにハたてねど、色には見ゆるを、忍ぶハはかなきと、蛍にいひかけて付る也。
周桂注
いはねども色にみゆる物なれバ、忍もかひなし。
口には出さなくても顔に出てしまっては、忍ぶ意味がない。
忍ぶれど色に出でにけりわが恋は
ものや思ふと人の問ふまで
平兼盛(拾遺集)
の歌は百人一首でもよく知られている。ただ、蛍の場合は顔に出るというよりも光に出るというべきか。
それでは「宗祇独吟何人百韻」の続き。
七十五句目
砌ばかりをいにしへの跡
植ゑ置きし外は草木も野辺にして 宗祇
宗牧注
荒たる所に、さすが植置たる草木ハ別に見ゆる也。其外ハ悉広野と荒果たる体也。
周桂注
うへたるハ別にみゆる心也。あれたる体也。
すっかり野原になってしまったかつての住居も、ところどころ植えられたとおぼしき植物が残っていて、かつてここに人が住んでいたとわかる。
七十六句目
植ゑ置きし外は草木も野辺にして
風は早苗を分くる沢水 宗祇
宗牧注
うへをきしハ、早苗の事也。苗の外ハ、山沢の草木を吹風計也。行やう面白句也。
周桂注
うへをきしハ苗也。
中世の田んぼは今のような区画整理された大きな田んぼではなく、山間部などの小さな水の流れに沿って作られた。そのため一区画は小さく、流れに沿って曲線的に作られることが多かった。
大きな河川の下流域の広大な平野部は水害の危険大きいため、こうした所は江戸後期の新田開発によって出来た所が多い。
中世の小さな田んぼの周りは、野原だったことも多かったのだろう。前句の「植ゑ置きし」を早苗のこととし、小さな沢水を利用して作られた田んぼの周りは草木の茂る野辺になっていて、風はそこから吹いていた。
七十七句目
風は早苗を分くる沢水
声をほに出でじもはかな飛ぶ蛍 宗祇
宗牧注
し文字濁べし。ほにハ顕心也。苗ハ穂に出る物なるに対してかくいへり。
周桂注
一句は恋也。蛍ハこゑハなくて、ただおもひをたきてみする心也。
「ほに出」は表に表れるという意味と穂に出るという意味とを掛けている。蛍は鳴かないから声をほに出すことはない。
恋に焦がれて鳴く蝉よりも
鳴かぬ蛍が身を焦がす
は都都逸として有名だが、永正十五年(一五一八年)に成立した『閑吟集』にもあるというから、ひょっとしたら宗祇さんも知っていたかもしれない。『閑吟集』の編者は不明だが、水無瀬三吟、湯山三吟をともに巻いたあの宗長だとする説もある。
七十八句目
声をほに出でじもはかな飛ぶ蛍
色に心は見えぬ物かは 宗祇
宗牧注
こゑにハたてねど、色には見ゆるを、忍ぶハはかなきと、蛍にいひかけて付る也。
周桂注
いはねども色にみゆる物なれバ、忍もかひなし。
口には出さなくても顔に出てしまっては、忍ぶ意味がない。
忍ぶれど色に出でにけりわが恋は
ものや思ふと人の問ふまで
平兼盛(拾遺集)
の歌は百人一首でもよく知られている。ただ、蛍の場合は顔に出るというよりも光に出るというべきか。
2018年4月24日火曜日
ポスト安倍なんてことが話題になるけど、誰が首相になったとしても、持ち上げられるのは最初だけなのはいつものことだと思う。
左翼の連中やマスコミのお偉方が相変わらず、「資本主義は必然的に侵略戦争を引き起こす」などというレーニン『帝国主義論』の亡霊に取り憑かれている限り、自民党の誰が首相になっても必ず軍国主義者だのレイシストだの言われるだろうし、何をやっても侵略戦争の準備だとか「この道はいつか来た道」なんて言われることになる。
それは国内だけでなく、外圧を利用するという見地から韓国や中国に広められ、反日感情を煽り続けることになる。
結局日本が社会主義体制になるまで、彼等はそれを続けるつもりなのだろうな。
次の首相に求められるのは、こうした野党や、特にマスコミの攻撃に対し、是々非々の態度で望めるかどうかということだろう。小池都知事が希望の党を作ったとき、簡単にマスコミの批判に屈して、結局失敗した。
今は安倍批判をしてマスコミから持ち上げられていても、それに簡単に流されるような人では、首相になっても一年持てばいいだろう。
まあ、世間話はこれくらいにして、「宗祇独吟何人百韻」の続き。
七十一句目
只にや秋の夜を明石潟
遠妻を恨みにたへず鹿鳴きて 宗祇
宗牧注
明石ハ鹿をよめり。恨みにたへず打鳴て、ただにや夜をあかすと鹿をあはれみたる句也。
周桂注
鹿をよみならハせり。
明石に鹿を詠んだ例としては、『連歌俳諧集』(日本古典文学全集、金子金次郎、暉峻康隆、中村俊定注解、1974、小学館)はこの歌を例示している。
夜泊鹿といへるこころをよめる
夜をこめて明石の瀬戸を漕ぎ出づれば
はるかに送るさを鹿の声
俊恵(千載集)
前書きにあるように「夜泊鹿」という題を出されて詠んだ歌で、実際に明石で鹿の声を聞いて詠んだ歌ではなさそうだ。
妻恋う鹿というと、
あらし吹く真葛が原に鳴く鹿は
恨みてのみや妻を恋ふらむ
俊恵(新古今集)
の歌がある。この二つの合わせ技と言ってもいいかもしれない。
七十二句目
遠妻を恨みにたへず鹿鳴きて
おもひの山に身をや尽くさん 宗祇
宗牧注
鹿のおもひの事也。
周桂注
鹿の恋也。おもひの山と成たる也。とをづまなれば、一段思ふらんと也。上作付(うはさづけ)とて嫌事なれど、如此はすべし。分別大事といへり。
「思ひの山」は本来は恋心の積もり積もって山と成るという意味だが、ここでは鹿だけに「思ひの山」と洒落てみる。鹿は山に住むから思いの山で一生を過ごす。
七十三句目
おもひの山に身をや尽くさん
払ふなよいづくか塵の内ならぬ 宗祇
宗牧注
深山幽谷といふも、塵の世の外にハあらぬ物也。然ば、何と払ともちりの世ハのがれがたきを、はらハんとするハ、結句おもひの心となるべしと也。
周桂注
おもひの山、ちりひぢの山也。天下皆塵の内なれバ、払えがたき心也。世を遁、山居などをもとめても益なしと也。
いわゆる咎めてにはでの展開で、前句を俗世を捨てて山にこもってはみるものの、かえって「思いの山」に悩んで悶々と過ごすことになった我が身と見たてての述懐とする。
悩み尽きない山暮らしに、この世の塵を無理に払おうとするからだ。どこへ行っても世俗の塵からは遁れられないんだと観念せよ、と咎める。
周桂注の「ちりひぢの山」は、『古今集』仮名序の「とほき所も、いでたつあしもとよりはじまりて、年月をわたり、たかき山も、ふもとのちりひぢよりなりて、あまぐもたなびくまでおひのぼれるごとくに、このうたも、かくのごとくなるべし。」から来ていて、高い山も土や泥(ひぢ)の積もったものにすぎないように、和歌の道も最初は出雲八重垣の歌から始まり、それが積もり積もってこの『古今集』の千の和歌に至ったとする。
どうせこの世は塵泥(ちりひぢ)にまみれているなら、それを歌に詠めばいいではないかという意味も含まれているのか。
七十四句目
払ふなよいづくか塵の内ならぬ
砌ばかりをいにしへの跡 宗祇
宗牧注
古宅の体ばかり也。
周桂注
砌(みぎり)の内悉(ことごとく)塵也。はらハれぬ心也。前句ハ広大なるを、ちいさき砌の内にとりなしたる、色々かはりたる行様也。
砌(みぎり)はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」には、
《「水限(みぎり)」の意で、雨滴の落ちるきわ、また、そこを限るところからという》
1 時節。おり。ころ。「暑さの砌御身お大事に」「幼少の砌」
2 軒下や階下の石畳。
「―に苔(こけ)むしたり」〈宇治拾遺・一三〉
3 庭。
「―をめぐる山川も」〈太平記・三九〉
4 ものごとのとり行われるところ。場所。
「かの所は転妙法輪の跡、仏法長久の―なり」〈盛衰記・三九〉
5 水ぎわ。水たまり。池。
「―の中の円月を見て」〈性霊集・九〉
とある。この場合は2の意味か。
かつて栄えた家も今は石畳を残すのみとなり、それも泥に半分埋まっている。今更綺麗に掃除したところでどうなる物ではない。昔の跡はそっとしておこう。
この頃は発掘して保存しようなんて考え方もなかった。すべては朽ちるに任せ、自然に帰してゆく。人もまたいつかは灰になり、思い出も消えて行く。
左翼の連中やマスコミのお偉方が相変わらず、「資本主義は必然的に侵略戦争を引き起こす」などというレーニン『帝国主義論』の亡霊に取り憑かれている限り、自民党の誰が首相になっても必ず軍国主義者だのレイシストだの言われるだろうし、何をやっても侵略戦争の準備だとか「この道はいつか来た道」なんて言われることになる。
それは国内だけでなく、外圧を利用するという見地から韓国や中国に広められ、反日感情を煽り続けることになる。
結局日本が社会主義体制になるまで、彼等はそれを続けるつもりなのだろうな。
次の首相に求められるのは、こうした野党や、特にマスコミの攻撃に対し、是々非々の態度で望めるかどうかということだろう。小池都知事が希望の党を作ったとき、簡単にマスコミの批判に屈して、結局失敗した。
今は安倍批判をしてマスコミから持ち上げられていても、それに簡単に流されるような人では、首相になっても一年持てばいいだろう。
まあ、世間話はこれくらいにして、「宗祇独吟何人百韻」の続き。
七十一句目
只にや秋の夜を明石潟
遠妻を恨みにたへず鹿鳴きて 宗祇
宗牧注
明石ハ鹿をよめり。恨みにたへず打鳴て、ただにや夜をあかすと鹿をあはれみたる句也。
周桂注
鹿をよみならハせり。
明石に鹿を詠んだ例としては、『連歌俳諧集』(日本古典文学全集、金子金次郎、暉峻康隆、中村俊定注解、1974、小学館)はこの歌を例示している。
夜泊鹿といへるこころをよめる
夜をこめて明石の瀬戸を漕ぎ出づれば
はるかに送るさを鹿の声
俊恵(千載集)
前書きにあるように「夜泊鹿」という題を出されて詠んだ歌で、実際に明石で鹿の声を聞いて詠んだ歌ではなさそうだ。
妻恋う鹿というと、
あらし吹く真葛が原に鳴く鹿は
恨みてのみや妻を恋ふらむ
俊恵(新古今集)
の歌がある。この二つの合わせ技と言ってもいいかもしれない。
七十二句目
遠妻を恨みにたへず鹿鳴きて
おもひの山に身をや尽くさん 宗祇
宗牧注
鹿のおもひの事也。
周桂注
鹿の恋也。おもひの山と成たる也。とをづまなれば、一段思ふらんと也。上作付(うはさづけ)とて嫌事なれど、如此はすべし。分別大事といへり。
「思ひの山」は本来は恋心の積もり積もって山と成るという意味だが、ここでは鹿だけに「思ひの山」と洒落てみる。鹿は山に住むから思いの山で一生を過ごす。
七十三句目
おもひの山に身をや尽くさん
払ふなよいづくか塵の内ならぬ 宗祇
宗牧注
深山幽谷といふも、塵の世の外にハあらぬ物也。然ば、何と払ともちりの世ハのがれがたきを、はらハんとするハ、結句おもひの心となるべしと也。
周桂注
おもひの山、ちりひぢの山也。天下皆塵の内なれバ、払えがたき心也。世を遁、山居などをもとめても益なしと也。
いわゆる咎めてにはでの展開で、前句を俗世を捨てて山にこもってはみるものの、かえって「思いの山」に悩んで悶々と過ごすことになった我が身と見たてての述懐とする。
悩み尽きない山暮らしに、この世の塵を無理に払おうとするからだ。どこへ行っても世俗の塵からは遁れられないんだと観念せよ、と咎める。
周桂注の「ちりひぢの山」は、『古今集』仮名序の「とほき所も、いでたつあしもとよりはじまりて、年月をわたり、たかき山も、ふもとのちりひぢよりなりて、あまぐもたなびくまでおひのぼれるごとくに、このうたも、かくのごとくなるべし。」から来ていて、高い山も土や泥(ひぢ)の積もったものにすぎないように、和歌の道も最初は出雲八重垣の歌から始まり、それが積もり積もってこの『古今集』の千の和歌に至ったとする。
どうせこの世は塵泥(ちりひぢ)にまみれているなら、それを歌に詠めばいいではないかという意味も含まれているのか。
七十四句目
払ふなよいづくか塵の内ならぬ
砌ばかりをいにしへの跡 宗祇
宗牧注
古宅の体ばかり也。
周桂注
砌(みぎり)の内悉(ことごとく)塵也。はらハれぬ心也。前句ハ広大なるを、ちいさき砌の内にとりなしたる、色々かはりたる行様也。
砌(みぎり)はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」には、
《「水限(みぎり)」の意で、雨滴の落ちるきわ、また、そこを限るところからという》
1 時節。おり。ころ。「暑さの砌御身お大事に」「幼少の砌」
2 軒下や階下の石畳。
「―に苔(こけ)むしたり」〈宇治拾遺・一三〉
3 庭。
「―をめぐる山川も」〈太平記・三九〉
4 ものごとのとり行われるところ。場所。
「かの所は転妙法輪の跡、仏法長久の―なり」〈盛衰記・三九〉
5 水ぎわ。水たまり。池。
「―の中の円月を見て」〈性霊集・九〉
とある。この場合は2の意味か。
かつて栄えた家も今は石畳を残すのみとなり、それも泥に半分埋まっている。今更綺麗に掃除したところでどうなる物ではない。昔の跡はそっとしておこう。
この頃は発掘して保存しようなんて考え方もなかった。すべては朽ちるに任せ、自然に帰してゆく。人もまたいつかは灰になり、思い出も消えて行く。
2018年4月23日月曜日
昨日は代官山へPagan Metal Horde vol.3を見に行った。
オープニングアクトのAllegiance Reignは日本のバンドで、甲冑を身につけ侍の格好で演じるバンドだが、メタルといっても音はそれほど重くなく、音もケルト風であまり和のテイストはなかった。ハイトーンのボーカルはわりとしっかりしていて、MCが面白かった。
Ithilienはベルギーのフォークメタルバンドで、ブラック寄りの重い音を出す。ホイッスル、バイオリン、ハーディ・ガーディの加わる大所帯のバンドで、楽器編成はEluveitieに似ている。森の妖精のようだった。エルフ族だろうか。
Dalriadaはハンガリーのフォークメタルの大御所で、女性ボーカルのローラは思ったより小柄だった。周りの男達が皆でかいので、余計小さく見える。男達はRPGから出てきたような「ぬののふく」を装備した戦士のようだった。これはとにかく盛り上がった。
四番目からがメインアクトになり、チュニジアから来たMyrathた登場する。これはとにかく歌がうまくて聞かせてくれるし、曲もメタルにしてはポップだ。それにステージはベリーダンス付だった。
最後に出てきたのはイスラエルのOrphaned Landで、髭を生やしたいかにもユダヤ人という人たちだった。曲だけ聞くとアラビア人とユダヤ人の区別はよくわからないが、MyrathのあとにOrphaned Landが出てくると、顔が全然違うのがわかる。変則的な構成の曲が多いが、それでも盛り上がった。最後のSapariからアンコールのNorra el Norraへ、歌詞はさっぱりだけど、とにかくみんなで合唱になり、盛り上がった。
なかなか世界からこれだけのメンバーが集まることはないだろう。貴重な一日だった。
それでは「宗祇独吟何人百韻」の続き、三裏に入る。
六十五句目
風の便もかくやたゆべき
花ははや散るさへ稀の暮れ毎に 宗祇
宗牧注
悉落ちつくしたる花の跡にて、毎夕ちらしたる風の便さへ、かくハ絶べきかと恨たる也。
周桂注
花のちるハ悲しけれど、それさへまれに、散つくしたる体也。
「風の便り」は比喩で噂という意味だが、その「風」を桜を散らす春風に掛けて、花の句に展開する。
花は散り、その散る花びらすらもはや日に日に稀になってゆく。風が届けてくれる便りもこの花びらのように、こうやって絶えて行くのだろう。
六十六句目
花ははや散るさへ稀の暮れ毎に
日ながきのみや古郷の春 宗祇
宗牧注
春の物とてハ、只永日ばかり也、となり。花はちり果ての心なり。
周桂注
花の後の古郷、何の興もなき所也。日ながき計古郷の所作也。
散る花も稀になるにつれて、日もどんどん長くなる。都なら花が散ってもいろいろ楽しいこともあるものを、鄙びた里の退屈さということか。
六十七句目
日ながきのみや古郷の春
糸遊の有りなしを只我が世にて 宗祇
宗牧注
糸遊ハ有かと思へば、更に形ハなきもの也。又なき物かと思へば、空に見ゆる物也。われらが生涯如此と也。永きといふより、糸遊を思ひよられたるなるべし。
周桂注
あるかなきかの古郷の体也。
「我が世」は宗牧注によれば「われらが生涯」で、それは陽炎のように有るのか無いのか分からないような頼りないものだ。周桂はそれを都落ちして古郷で暮らす境遇に結びつける。
六十八句目
糸遊の有りなしを只我が世にて
霞にかかる海士の釣舟 宗祇
宗牧注
糸遊より蜑(あま)の釣舟ハ出たり、釣の糸の心也。ありなしとハ、霞にうかびたる浜舟の体也。
周桂注
つりの糸にとりなせり。霞に釣の糸のありなしを見わかぬ心也。
「糸」に「釣」は縁語になる。我が生涯の有るか無いか分からないような存在の希薄を、霞の彼方に消えてゆく海士の釣舟に喩える。
六十九句目
霞にかかる海士の釣舟
詠めせん月なまたれそ浪の上 宗祇
宗牧注
詠(ながめ)よと思はでしもや帰(かへる)らん月待浦のあまの釣舟。□月とおなじく詠せんと也。月なまたれそとなるべし。
周桂注
ながめよとおもはでしもや帰るらん月まつ浪のあまの釣舟。
本歌は、
熊野へ詣で侍りしついでに
切目宿にて海邊眺望といふ心を
男どもつかうまつりしに
ながめよと思はでしもや歸るらむ
月待つ波の蜑の釣舟
源具親(みなもとのともちか、新古今集)
別に眺めてくれと思って狙って帰ってくるわけではないのだが、月の出とともに、月に照らされながら帰ってくる海士の釣舟は風情がある。この歌の心を踏まえて、霞の中を顕れてくる帰ってくる釣舟を見ながら、このまま月が出るのを待ってくれ、と付ける。
七十句目
詠めせん月なまたれそ浪の上
只にや秋の夜を明石潟 宗祇
宗牧注
明石ハ一段面白き所なれバ、何の興もなくてハいかが也。月もまたれそと所の風景を感じたる句也。
周桂注
月出ずバ、大かたにあかさんと也。一句ハ面白所なれバ、おもしろき遊覧も有べしと也。
明石は昔は流人の地だが、やがて月の名所の歌枕として知られるようになった。
「明石」という地名を「夜を明かし」に掛けて用いるのもお約束というか。
浪の上に月が現れるのを待って眺めたい。明石で秋の夜を月も見ずに明かすのは勿体ない、となる。
オープニングアクトのAllegiance Reignは日本のバンドで、甲冑を身につけ侍の格好で演じるバンドだが、メタルといっても音はそれほど重くなく、音もケルト風であまり和のテイストはなかった。ハイトーンのボーカルはわりとしっかりしていて、MCが面白かった。
Ithilienはベルギーのフォークメタルバンドで、ブラック寄りの重い音を出す。ホイッスル、バイオリン、ハーディ・ガーディの加わる大所帯のバンドで、楽器編成はEluveitieに似ている。森の妖精のようだった。エルフ族だろうか。
Dalriadaはハンガリーのフォークメタルの大御所で、女性ボーカルのローラは思ったより小柄だった。周りの男達が皆でかいので、余計小さく見える。男達はRPGから出てきたような「ぬののふく」を装備した戦士のようだった。これはとにかく盛り上がった。
四番目からがメインアクトになり、チュニジアから来たMyrathた登場する。これはとにかく歌がうまくて聞かせてくれるし、曲もメタルにしてはポップだ。それにステージはベリーダンス付だった。
最後に出てきたのはイスラエルのOrphaned Landで、髭を生やしたいかにもユダヤ人という人たちだった。曲だけ聞くとアラビア人とユダヤ人の区別はよくわからないが、MyrathのあとにOrphaned Landが出てくると、顔が全然違うのがわかる。変則的な構成の曲が多いが、それでも盛り上がった。最後のSapariからアンコールのNorra el Norraへ、歌詞はさっぱりだけど、とにかくみんなで合唱になり、盛り上がった。
なかなか世界からこれだけのメンバーが集まることはないだろう。貴重な一日だった。
それでは「宗祇独吟何人百韻」の続き、三裏に入る。
六十五句目
風の便もかくやたゆべき
花ははや散るさへ稀の暮れ毎に 宗祇
宗牧注
悉落ちつくしたる花の跡にて、毎夕ちらしたる風の便さへ、かくハ絶べきかと恨たる也。
周桂注
花のちるハ悲しけれど、それさへまれに、散つくしたる体也。
「風の便り」は比喩で噂という意味だが、その「風」を桜を散らす春風に掛けて、花の句に展開する。
花は散り、その散る花びらすらもはや日に日に稀になってゆく。風が届けてくれる便りもこの花びらのように、こうやって絶えて行くのだろう。
六十六句目
花ははや散るさへ稀の暮れ毎に
日ながきのみや古郷の春 宗祇
宗牧注
春の物とてハ、只永日ばかり也、となり。花はちり果ての心なり。
周桂注
花の後の古郷、何の興もなき所也。日ながき計古郷の所作也。
散る花も稀になるにつれて、日もどんどん長くなる。都なら花が散ってもいろいろ楽しいこともあるものを、鄙びた里の退屈さということか。
六十七句目
日ながきのみや古郷の春
糸遊の有りなしを只我が世にて 宗祇
宗牧注
糸遊ハ有かと思へば、更に形ハなきもの也。又なき物かと思へば、空に見ゆる物也。われらが生涯如此と也。永きといふより、糸遊を思ひよられたるなるべし。
周桂注
あるかなきかの古郷の体也。
「我が世」は宗牧注によれば「われらが生涯」で、それは陽炎のように有るのか無いのか分からないような頼りないものだ。周桂はそれを都落ちして古郷で暮らす境遇に結びつける。
六十八句目
糸遊の有りなしを只我が世にて
霞にかかる海士の釣舟 宗祇
宗牧注
糸遊より蜑(あま)の釣舟ハ出たり、釣の糸の心也。ありなしとハ、霞にうかびたる浜舟の体也。
周桂注
つりの糸にとりなせり。霞に釣の糸のありなしを見わかぬ心也。
「糸」に「釣」は縁語になる。我が生涯の有るか無いか分からないような存在の希薄を、霞の彼方に消えてゆく海士の釣舟に喩える。
六十九句目
霞にかかる海士の釣舟
詠めせん月なまたれそ浪の上 宗祇
宗牧注
詠(ながめ)よと思はでしもや帰(かへる)らん月待浦のあまの釣舟。□月とおなじく詠せんと也。月なまたれそとなるべし。
周桂注
ながめよとおもはでしもや帰るらん月まつ浪のあまの釣舟。
本歌は、
熊野へ詣で侍りしついでに
切目宿にて海邊眺望といふ心を
男どもつかうまつりしに
ながめよと思はでしもや歸るらむ
月待つ波の蜑の釣舟
源具親(みなもとのともちか、新古今集)
別に眺めてくれと思って狙って帰ってくるわけではないのだが、月の出とともに、月に照らされながら帰ってくる海士の釣舟は風情がある。この歌の心を踏まえて、霞の中を顕れてくる帰ってくる釣舟を見ながら、このまま月が出るのを待ってくれ、と付ける。
七十句目
詠めせん月なまたれそ浪の上
只にや秋の夜を明石潟 宗祇
宗牧注
明石ハ一段面白き所なれバ、何の興もなくてハいかが也。月もまたれそと所の風景を感じたる句也。
周桂注
月出ずバ、大かたにあかさんと也。一句ハ面白所なれバ、おもしろき遊覧も有べしと也。
明石は昔は流人の地だが、やがて月の名所の歌枕として知られるようになった。
「明石」という地名を「夜を明かし」に掛けて用いるのもお約束というか。
浪の上に月が現れるのを待って眺めたい。明石で秋の夜を月も見ずに明かすのは勿体ない、となる。
2018年4月21日土曜日
甲州街道沿いの国領神社の藤も咲いていた。「国領」の響きは「高句麗(こぐりょう)」を連想させるが、高麗(こうらい、こま)と何か関係があったのだろうか。地名の由来には国衙領から来ただとか諸説あるようだ。
今日も暑かったが明日はもっと暑くなるらしい。それでは「宗祇独吟何人百韻」の続き。
六十一句目
むなしき月を恨みてやねん
問はぬ夜の心やりつる雨晴れて 宗祇
宗牧注
月夜にハこぬ人またるかきくらし雨もふらなむ侘つつもねん、といへる心を下に持て、人もとはぬをなぐさみてゐたる夜の雨晴て、月の面白に、とはぬ心を恨出て、恨てやねんと仕立られたる句也。妙不思議の句なり。
周桂注
月夜にハこぬ人またるかきくもり雨もふらなんわびつつもねん。雨はれてとはぬを、むなしき月とうらみたる心也。
引用されている歌は、
月夜には来ぬ人待たるかきくもり
雨も降らなむわびつつも寝む
詠み人知らず(古今集)
「心やり」は思いを外へ吐き出すこと。男の問うてこないもやもやを晴らそうと、それを雨にぶつけていたのに、その雨も上がってしまい、やり場のない思いだけが月への恨みとして残ってしまう。
六十二句目
問はぬ夜の心やりつる雨晴れて
身を知るにさへ人ぞ猶うき 宗祇
宗牧注
とはれじのうき身ぞと分別してさへ人ハ猶うきと思ふ也。
周桂注
身をしる雨也。
雨のせいにして鬱憤を晴らしていたけど、雨が上がっても猶来なければ、結局自分の身の問題に跳ね返ってくる。別に自分に落ち度があったとかそういうのではなく、要は身分の問題ということなのだろう。
六十三句目
身を知るにさへ人ぞ猶うき
忘れねといひしをいかに聞きつらん 宗祇
宗牧注
わすれねといひしにかなふ君なれどとハぬハつらきものにやハあらぬ。君にわすれよといひしは、我身のうきをのべていへるに、君ハ正直に忘たる也。それを忘よといふは、我思ひを卑下なるを、何とききてわするるぞといふ心なり。
周桂注
忘ねといひしにかなふ君なれどとハぬハつらき物にぞありける。真実忘よとにハあらぬを、いかがききつらんと、人ぞ猶うきと也。我身のようなきたはぶれ事をいひたるを、身をしるにさへと付たる心なるべし。
景色の句のときの注釈は短いが、恋の句となると注釈は長くなる。王朝時代の恋はそれだけ、戦国の武家社会の人にはわかりにくいことだったのだろう。
「忘れね」は「忘れてくれ」という意味。要するに別れようという意味。
これは男が別れ話を切り出したのではない。男は来なくなればそれが自然と別れになる。女のほうから、自分の身分のつりあわないのを卑下して「忘れてください」と言ってはみたものの、本当に来なくなるとやはり辛いもの。「忘れられないんだ、身分なんか関係ない」って言ってほしかったのに、というところか。
六十四句目
忘れねといひしをいかに聞きつらん
風の便もかくやたゆべき 宗祇
宗牧注
儀なし。
周桂注
虚空なる風のたより、それさへたえたる心也。
これはまた簡潔な注で、まあ、恋離れの逃げ句だからか。
風の便りは今でも時折用いる「風の噂」のようなもの。
風というと『詩経』大序を読んだときに、「言之者無罪、聞之者足以戒。故曰風。(これを言うものには罪はなく、これを聞くものを戒めることもない。それゆえ風という。)」という言葉があったが、風は誰が言うともなく世間に広がるものを言い、風聞だとか風評だとかいう言葉は今でも使う。
「忘れて」と言ったあの時の言葉をあの人がどう受け止めたかはもはや知るよしもない。風の噂にも聞こえてこないから、と付く。
今日も暑かったが明日はもっと暑くなるらしい。それでは「宗祇独吟何人百韻」の続き。
六十一句目
むなしき月を恨みてやねん
問はぬ夜の心やりつる雨晴れて 宗祇
宗牧注
月夜にハこぬ人またるかきくらし雨もふらなむ侘つつもねん、といへる心を下に持て、人もとはぬをなぐさみてゐたる夜の雨晴て、月の面白に、とはぬ心を恨出て、恨てやねんと仕立られたる句也。妙不思議の句なり。
周桂注
月夜にハこぬ人またるかきくもり雨もふらなんわびつつもねん。雨はれてとはぬを、むなしき月とうらみたる心也。
引用されている歌は、
月夜には来ぬ人待たるかきくもり
雨も降らなむわびつつも寝む
詠み人知らず(古今集)
「心やり」は思いを外へ吐き出すこと。男の問うてこないもやもやを晴らそうと、それを雨にぶつけていたのに、その雨も上がってしまい、やり場のない思いだけが月への恨みとして残ってしまう。
六十二句目
問はぬ夜の心やりつる雨晴れて
身を知るにさへ人ぞ猶うき 宗祇
宗牧注
とはれじのうき身ぞと分別してさへ人ハ猶うきと思ふ也。
周桂注
身をしる雨也。
雨のせいにして鬱憤を晴らしていたけど、雨が上がっても猶来なければ、結局自分の身の問題に跳ね返ってくる。別に自分に落ち度があったとかそういうのではなく、要は身分の問題ということなのだろう。
六十三句目
身を知るにさへ人ぞ猶うき
忘れねといひしをいかに聞きつらん 宗祇
宗牧注
わすれねといひしにかなふ君なれどとハぬハつらきものにやハあらぬ。君にわすれよといひしは、我身のうきをのべていへるに、君ハ正直に忘たる也。それを忘よといふは、我思ひを卑下なるを、何とききてわするるぞといふ心なり。
周桂注
忘ねといひしにかなふ君なれどとハぬハつらき物にぞありける。真実忘よとにハあらぬを、いかがききつらんと、人ぞ猶うきと也。我身のようなきたはぶれ事をいひたるを、身をしるにさへと付たる心なるべし。
景色の句のときの注釈は短いが、恋の句となると注釈は長くなる。王朝時代の恋はそれだけ、戦国の武家社会の人にはわかりにくいことだったのだろう。
「忘れね」は「忘れてくれ」という意味。要するに別れようという意味。
これは男が別れ話を切り出したのではない。男は来なくなればそれが自然と別れになる。女のほうから、自分の身分のつりあわないのを卑下して「忘れてください」と言ってはみたものの、本当に来なくなるとやはり辛いもの。「忘れられないんだ、身分なんか関係ない」って言ってほしかったのに、というところか。
六十四句目
忘れねといひしをいかに聞きつらん
風の便もかくやたゆべき 宗祇
宗牧注
儀なし。
周桂注
虚空なる風のたより、それさへたえたる心也。
これはまた簡潔な注で、まあ、恋離れの逃げ句だからか。
風の便りは今でも時折用いる「風の噂」のようなもの。
風というと『詩経』大序を読んだときに、「言之者無罪、聞之者足以戒。故曰風。(これを言うものには罪はなく、これを聞くものを戒めることもない。それゆえ風という。)」という言葉があったが、風は誰が言うともなく世間に広がるものを言い、風聞だとか風評だとかいう言葉は今でも使う。
「忘れて」と言ったあの時の言葉をあの人がどう受け止めたかはもはや知るよしもない。風の噂にも聞こえてこないから、と付く。
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