世間はハロウィンで盛り上がっているのかな。現代俳句では一応ハロウィンもカボチャも秋の季語になるようだ。
神無月は本来旧暦の十月だったが、今はこの季節に新暦の七五三が重なってしまっている。七五三に神社へ行っても神様がいないんじゃ困るから、神様も今では新暦で行動しているのだろうか。その辺はよくわからない。
昔は神無月の留守を守る神様として旧暦十月には恵比寿様を祭るえびす講が盛んだった。ハロウィンは新暦のその場所にうまくはまったのかもしれない。
恵比寿様は「蛭子」と書くと天照大神や素戔男尊の目立たないお兄ちゃんだが、一方で海の向こうから来た外来神だともいう。それがケルトの神々に取って代わられたか。
多神教の文化では神様と悪霊との境界は曖昧で、死者の霊もまた同様にとにかく陰陽不測はみな神様とばかりに混然とした形で迎えられた。妖怪やモンスターの類も皆友達というのが、日本の風土に合っている。
ハロウィンはキリスト教圏の中にあって、数少ないペイガンの祭りとして生き残ったもので、それがアメリカで盛んになったのは、やはりお菓子会社の陰謀か。
それが日本の多神教の中に戻っきたもんだから、子どもたちのお菓子の祭り以上に大人の間での仮装パーティーとして盛り上がり、妖怪、モンスター、亜人から漫画やゲームの様々なキャラクターに至るまで何でもありの世界になった。
2016年10月31日月曜日
2016年10月30日日曜日
今日は湯山三吟の九十四句目。
わりなしやなこその関の前わたり
誰よぶこどり鳴きて過ぐらん 肖柏
名残の裏ということで、ここは恋を離れる逃げ句となる。つまり「前わたり」を恋の情から切り離さなくてはならない。
そこでさすが肖柏さん。なこその「来るな」に対して呼子鳥が「来よ」と言っているから、どっちに従えばいいのかわからず行ったり来たりしているというロジカルなネタとして展開する。
なこその関も諸説あったが、今回の「呼子鳥」も難問だ。ネットを検索すると、カッコウのことだという説、「呼ぶ」ということに掛けた、何かを呼んでいるかのように聞こえる鳥一般を指す、特定のとりではないという説、ウグイス説、ホトトギス説、ツツドリ説、猿説などいろいろ出てくる。
特定の鳥ではないという説は、時代が下って呼子鳥がどの鳥をあらわすのかわからなくなった頃には、実際にそういうふうに用いられていたと思われる。多分肖柏さんもそうだと思う。前句の「なこその関」もわからないし「呼子鳥」もわからないけど、中世の和歌や連歌では「な来そ」「呼ぶ」に掛けて習慣的に用いられていたに違いない。だから肖柏のこの句に関しては、それでいいのだろう。
ただ、それでは何かすっきりしないのは確かだ。
呼子鳥に関しては曲亭馬琴編の『増補 俳諧歳時記栞草(上)』(2000、岩波文庫)には、
「此鳥のこと、古今集三鳥の一などいひて、諸書に説々あり。或は猿の事といひ、或は山鳥也といひ、又は山鶫つぐみ、又は鶯、郭公、などさまざまの鳥にあてていへど、みなたしかならず。」(『増補 俳諧歳時記栞草(上)』曲亭馬琴編、2000、岩波文庫p.109)
とあり、『年浪草』の説として、ツツドリを挙げている。ツツドリはカッコウやホトトギスの仲間でカッコウよりは小さいが、同じく夏鳥で托卵する。全身灰色の鳥で、筒を叩いたような「ココッ、ココッ」という声で鳴く。ツツドリの声はyoutubeでも聞ける。今日見たのでは「フォ フォー」という字幕が出てたが、「ポ」とも「コ」とも聞こえる声なので、これが一番それらしい。
『増補 俳諧歳時記栞草(上)』はまた、賀茂真淵の説も紹介している。
「真淵翁曰、よぶこ鳥は春の暮より夏にかけて啼鳥也。此声は、人を呼がごとくきこゆるによりて呼子鳥と云。鳩に似て羽も背も灰色ににて、腹はすずみ鷹のごとく、足は鳩より少し高し。また曰、かほ鳥と云いふもこの鳥也。今俗のかんこ鳥と云もの也。喚子鳥の字音よりとなへ誤れる也。」(『増補 俳諧歳時記栞草(上)』曲亭馬琴編、2000、岩波文庫p.109)
カッコウ説はこれが元になっているのだろう。
がだ、カッコウは閑古鳥と呼ばれ、江戸時代でも夏の季題として定着しているのに対し、呼子鳥は春の季題だ。季節はずれのカッコウという説はやや無理がある。ツツドリならカッコウともホトトギスとも別だから、独立して春の季題としてもおかしくない。ツツドリはホトトギスやカッコウの陰に隠れて忘れられた鳥になっていたのではないかと思う。
わりなしやなこその関の前わたり
誰よぶこどり鳴きて過ぐらん 肖柏
名残の裏ということで、ここは恋を離れる逃げ句となる。つまり「前わたり」を恋の情から切り離さなくてはならない。
そこでさすが肖柏さん。なこその「来るな」に対して呼子鳥が「来よ」と言っているから、どっちに従えばいいのかわからず行ったり来たりしているというロジカルなネタとして展開する。
なこその関も諸説あったが、今回の「呼子鳥」も難問だ。ネットを検索すると、カッコウのことだという説、「呼ぶ」ということに掛けた、何かを呼んでいるかのように聞こえる鳥一般を指す、特定のとりではないという説、ウグイス説、ホトトギス説、ツツドリ説、猿説などいろいろ出てくる。
特定の鳥ではないという説は、時代が下って呼子鳥がどの鳥をあらわすのかわからなくなった頃には、実際にそういうふうに用いられていたと思われる。多分肖柏さんもそうだと思う。前句の「なこその関」もわからないし「呼子鳥」もわからないけど、中世の和歌や連歌では「な来そ」「呼ぶ」に掛けて習慣的に用いられていたに違いない。だから肖柏のこの句に関しては、それでいいのだろう。
ただ、それでは何かすっきりしないのは確かだ。
呼子鳥に関しては曲亭馬琴編の『増補 俳諧歳時記栞草(上)』(2000、岩波文庫)には、
「此鳥のこと、古今集三鳥の一などいひて、諸書に説々あり。或は猿の事といひ、或は山鳥也といひ、又は山鶫つぐみ、又は鶯、郭公、などさまざまの鳥にあてていへど、みなたしかならず。」(『増補 俳諧歳時記栞草(上)』曲亭馬琴編、2000、岩波文庫p.109)
とあり、『年浪草』の説として、ツツドリを挙げている。ツツドリはカッコウやホトトギスの仲間でカッコウよりは小さいが、同じく夏鳥で托卵する。全身灰色の鳥で、筒を叩いたような「ココッ、ココッ」という声で鳴く。ツツドリの声はyoutubeでも聞ける。今日見たのでは「フォ フォー」という字幕が出てたが、「ポ」とも「コ」とも聞こえる声なので、これが一番それらしい。
『増補 俳諧歳時記栞草(上)』はまた、賀茂真淵の説も紹介している。
「真淵翁曰、よぶこ鳥は春の暮より夏にかけて啼鳥也。此声は、人を呼がごとくきこゆるによりて呼子鳥と云。鳩に似て羽も背も灰色ににて、腹はすずみ鷹のごとく、足は鳩より少し高し。また曰、かほ鳥と云いふもこの鳥也。今俗のかんこ鳥と云もの也。喚子鳥の字音よりとなへ誤れる也。」(『増補 俳諧歳時記栞草(上)』曲亭馬琴編、2000、岩波文庫p.109)
カッコウ説はこれが元になっているのだろう。
がだ、カッコウは閑古鳥と呼ばれ、江戸時代でも夏の季題として定着しているのに対し、呼子鳥は春の季題だ。季節はずれのカッコウという説はやや無理がある。ツツドリならカッコウともホトトギスとも別だから、独立して春の季題としてもおかしくない。ツツドリはホトトギスやカッコウの陰に隠れて忘れられた鳥になっていたのではないかと思う。
2016年10月28日金曜日
さて、今日は湯山三吟の名残の裏の最初の句、つまり九十三句目。
うときは何かゆかしげもある
わりなしやなこその関の前わたり 宗祇
「や」や「か」は古文の時間に疑問・反語と習うが、連歌の場合は疑問は反語に、反語は疑問に取り成すのが定石とも言える。
前句が「よそよそしくしている人に何で惹かれたりするんですか(惹かれたりしないでしょう)」という反語だったから、ここは疑問に取り成す。句の意味は、
どうしたらいいことか、なこその関の前をうろうろしている、よそよそしくしている人に何で惹かれたりするだろうか。
といったところか。
よそよそしい人になぜか惹かれてしまうというのはよくあることで、寄ってくる人はいつでもモノにできるとばかりキープするだけで、よそよそしい人にほどチャレンジしたがる。それを逆手に取ったのが、いわゆる「ツンデレ」だ。古語だと「つんつん」は「そばそばし」、「でれる」は「なつく」だから、「そばなつ」とでも言うべきか。
なこその関は一般的には福島県いわき市の南部、茨城県北茨城市との境界近くで観光地にもなっている勿来の関とされているが、これは江戸時代に一般化した説で、実際の所は諸説あってよくわからなという。
陸奥への古代の駅路は東山道だと白河を通り、東海道の方から行くと今の国道349号線、茨城街道の方から白河の先で合流し中通りを行く。浜通りのほうを北上する古代道路も存在したとされるが、そこにあったのは菊多関で「勿来の関」はその別名だとする説もあるが定かでない。後に菊多関と勿来関が混同された可能性もある。
陸奥国府のあった宮城県の多賀城の北に勿来川があり、勿来神社があったことから、惣の関が勿来の関ではないかという説も有力になってきている。
和歌や連歌では勿来の関は、「なこそ」という名前を「な・来(こ)そ」つまり「来るな」という意味と掛けて用いられることが多い。
平安時代にあって勿来の関を有名にしたのは、『千載和歌集』の、
陸奥國にまかりける時、
勿來の關にて花のちりければよめる
吹く風をなこその関と思へども
道もせに散る山ざくらかな
源義家朝臣
の歌で、吹く風を来るなと言って追い返す関なのに道が見えなくなるほどの山桜が散っているというこの歌には、戦には勝っても多くの人が散っていった悲しみが感じられる。
『山家集』にも「旅の歌とて」という前書きで6首連ねるうちの一つに、
東路やしのぶの里にやすらひて
なこその関をこえぞわづらふ
西行法師
の歌がある。
信夫の里というと「しのぶもじ摺り」で、芭蕉も信夫の里尋ねて、もじ摺り石がひっくり返ったまま放ったらかしになっているのを嘆いているが、これは中通りの福島市内だ。位置的にもここから浜通りのいわきへ行くよりは、多賀城の方に向かうほうが自然なように思える。
西行法師がみちのくを旅したのは確かだから、勿来の関の正確な位置を知っていたかもしれないが、都の大宮人の多くはただ噂に聞くだけで、もっぱら「なこそ」の掛詞の面白さが中心となっている。
この宗祇の句でも、本当のなこその関のことではなく、来るなと言われている思い人のところについつい行ってはうろうろしてしまう様を、あくまで喩えとして「なこその関」と言っているにすぎない。まあ、気持ちはわかるが、今だったらストーカーだ。
うときは何かゆかしげもある
わりなしやなこその関の前わたり 宗祇
「や」や「か」は古文の時間に疑問・反語と習うが、連歌の場合は疑問は反語に、反語は疑問に取り成すのが定石とも言える。
前句が「よそよそしくしている人に何で惹かれたりするんですか(惹かれたりしないでしょう)」という反語だったから、ここは疑問に取り成す。句の意味は、
どうしたらいいことか、なこその関の前をうろうろしている、よそよそしくしている人に何で惹かれたりするだろうか。
といったところか。
よそよそしい人になぜか惹かれてしまうというのはよくあることで、寄ってくる人はいつでもモノにできるとばかりキープするだけで、よそよそしい人にほどチャレンジしたがる。それを逆手に取ったのが、いわゆる「ツンデレ」だ。古語だと「つんつん」は「そばそばし」、「でれる」は「なつく」だから、「そばなつ」とでも言うべきか。
なこその関は一般的には福島県いわき市の南部、茨城県北茨城市との境界近くで観光地にもなっている勿来の関とされているが、これは江戸時代に一般化した説で、実際の所は諸説あってよくわからなという。
陸奥への古代の駅路は東山道だと白河を通り、東海道の方から行くと今の国道349号線、茨城街道の方から白河の先で合流し中通りを行く。浜通りのほうを北上する古代道路も存在したとされるが、そこにあったのは菊多関で「勿来の関」はその別名だとする説もあるが定かでない。後に菊多関と勿来関が混同された可能性もある。
陸奥国府のあった宮城県の多賀城の北に勿来川があり、勿来神社があったことから、惣の関が勿来の関ではないかという説も有力になってきている。
和歌や連歌では勿来の関は、「なこそ」という名前を「な・来(こ)そ」つまり「来るな」という意味と掛けて用いられることが多い。
平安時代にあって勿来の関を有名にしたのは、『千載和歌集』の、
陸奥國にまかりける時、
勿來の關にて花のちりければよめる
吹く風をなこその関と思へども
道もせに散る山ざくらかな
源義家朝臣
の歌で、吹く風を来るなと言って追い返す関なのに道が見えなくなるほどの山桜が散っているというこの歌には、戦には勝っても多くの人が散っていった悲しみが感じられる。
『山家集』にも「旅の歌とて」という前書きで6首連ねるうちの一つに、
東路やしのぶの里にやすらひて
なこその関をこえぞわづらふ
西行法師
の歌がある。
信夫の里というと「しのぶもじ摺り」で、芭蕉も信夫の里尋ねて、もじ摺り石がひっくり返ったまま放ったらかしになっているのを嘆いているが、これは中通りの福島市内だ。位置的にもここから浜通りのいわきへ行くよりは、多賀城の方に向かうほうが自然なように思える。
西行法師がみちのくを旅したのは確かだから、勿来の関の正確な位置を知っていたかもしれないが、都の大宮人の多くはただ噂に聞くだけで、もっぱら「なこそ」の掛詞の面白さが中心となっている。
この宗祇の句でも、本当のなこその関のことではなく、来るなと言われている思い人のところについつい行ってはうろうろしてしまう様を、あくまで喩えとして「なこその関」と言っているにすぎない。まあ、気持ちはわかるが、今だったらストーカーだ。
2016年10月27日木曜日
湯山三吟の91句目。
尾上の松も心みせけり
たのめ猶ちぎりし人を草の庵 肖柏
さすがに肖柏さん、恋を振られてもさらっと付けてくれる。
これも複雑な倒置。「たのめ猶ちぎりし人を草の庵」は「草の庵にちぎりし人を猶たのめ」で、「草の庵にちぎりし人を猶たのめ尾上の松も心みせけり」となる。松は「待つ」との掛詞になる。
「ちぎる」は約束するという意味もあるが、遠まわしにあの行為の意味でも用いられる。
「草の庵」だとか「草庵」だとかいうと、何となく隠棲しているお坊さんが浮かんできてしまって、ひょっとしてそっちの道?と思ってしまうが、「草庵」のそういうイメージは多分江戸時代になってからのもので、中世では普通に貧しい掘っ立て小屋のイメージだったのだろう。 そんなところで愛し合って、いつまでも待ち続けているというと、ちょっと万葉時代の恋のようで、王族が気まぐれでやっちゃった村の娘が、いつまでも待ち続けていたことを後で知って感動するなんて物語があったような。
そして、92句目、名残の表の最後の句。
たのめ猶ちぎりし人を草の庵
うときは何かゆかしげもある 宗長
前句を「たのめ猶ちぎりし人を」で切って「草の庵」に住んで人を避けているような私に何の魅力もないでしょう、と付ける。ここでは隠遁者のイメージになる。
尾上の松も心みせけり
たのめ猶ちぎりし人を草の庵 肖柏
さすがに肖柏さん、恋を振られてもさらっと付けてくれる。
これも複雑な倒置。「たのめ猶ちぎりし人を草の庵」は「草の庵にちぎりし人を猶たのめ」で、「草の庵にちぎりし人を猶たのめ尾上の松も心みせけり」となる。松は「待つ」との掛詞になる。
「ちぎる」は約束するという意味もあるが、遠まわしにあの行為の意味でも用いられる。
「草の庵」だとか「草庵」だとかいうと、何となく隠棲しているお坊さんが浮かんできてしまって、ひょっとしてそっちの道?と思ってしまうが、「草庵」のそういうイメージは多分江戸時代になってからのもので、中世では普通に貧しい掘っ立て小屋のイメージだったのだろう。 そんなところで愛し合って、いつまでも待ち続けているというと、ちょっと万葉時代の恋のようで、王族が気まぐれでやっちゃった村の娘が、いつまでも待ち続けていたことを後で知って感動するなんて物語があったような。
そして、92句目、名残の表の最後の句。
たのめ猶ちぎりし人を草の庵
うときは何かゆかしげもある 宗長
前句を「たのめ猶ちぎりし人を」で切って「草の庵」に住んで人を避けているような私に何の魅力もないでしょう、と付ける。ここでは隠遁者のイメージになる。
2016年10月26日水曜日
湯山三吟の続きで、今日は2句。
まずは、
衣手うすし日ぐらしのこゑ
色かはる山の白雲打ちなびき 宗長
ヒグラシは夏から秋の初めにかけて朝や夕暮れに鳴くもので、竜騎士07の『ひぐらしのなく頃に』は新暦の6月と夏の早い時期の設定になっている。もっとも、この人の作品は『おおかみかくし』で八朔が「八月食べごろ」になっているくらいだから、季節感は割と適当だったりする。
「色かはる山」は紅葉の季節ということになると晩秋の季語になる。曲亭馬琴編の『増補俳諧歳時記栞草』には「色かはる」はないが、「色不変松(いろかへぬまつ)」が九月のところにある。「色かはる」自体が季語というよりは、意味の上で紅葉のことだから秋ということになるのだろう。
初秋のヒグラシに晩秋の色変わると、何か季節的に合わない感じがするが、「ヒグラシの声に色変わる」と付くことで、秋の長い時間の流れを表しているのだろう。
句としても、
色かはる山の白雲打ちなびき衣手うすし日ぐらしのこゑ
と一首の和歌の形にしたときには複雑な倒置になっていて、倒置を元に戻すと、
日ぐらしのこゑに色かはる山の白雲打ちなびき衣手うすし
となる。前句の「衣手うすし」を打ちなびく白雲の衣と取り成している。
二句前の、
この比ごろしげさまさる道芝
あつき日は影よわる露の秋風に 宗祇
の句に劣らず、高度な技術を感じさせる。逆に言うとこういう高度なてにはの使い方をしないと展開できないほど、詰まってしまって重い展開になっている感じもする。
次の、
色かはる山の白雲打ちなびき
尾上をのへの松も心みせけり 宗祇
の句は素直にすっと付いている。
松は常緑樹で紅葉はしないし、枯れて茶色くなることもない。いつでも夏のように青々としてはいるものの、山の稜線にうっすらと薄い雲が打ちなびくと、松もうっすらと白く色を変え、秋めいて見える。
白くなるというのは、人間の頭が白髪になってゆくのを連想させる。寓意としては、いつまでも若いつまりでいても頭は白くなり、人生の秋を知るということか。
名残の懐紙の裏になる前にもうひと展開欲しい所で、「心見せけり」の擬人化した言い回しは、寓意と取り成して恋への展開を催促しているように思える。いわゆる「恋呼び出し」の句だ。
まずは、
衣手うすし日ぐらしのこゑ
色かはる山の白雲打ちなびき 宗長
ヒグラシは夏から秋の初めにかけて朝や夕暮れに鳴くもので、竜騎士07の『ひぐらしのなく頃に』は新暦の6月と夏の早い時期の設定になっている。もっとも、この人の作品は『おおかみかくし』で八朔が「八月食べごろ」になっているくらいだから、季節感は割と適当だったりする。
「色かはる山」は紅葉の季節ということになると晩秋の季語になる。曲亭馬琴編の『増補俳諧歳時記栞草』には「色かはる」はないが、「色不変松(いろかへぬまつ)」が九月のところにある。「色かはる」自体が季語というよりは、意味の上で紅葉のことだから秋ということになるのだろう。
初秋のヒグラシに晩秋の色変わると、何か季節的に合わない感じがするが、「ヒグラシの声に色変わる」と付くことで、秋の長い時間の流れを表しているのだろう。
句としても、
色かはる山の白雲打ちなびき衣手うすし日ぐらしのこゑ
と一首の和歌の形にしたときには複雑な倒置になっていて、倒置を元に戻すと、
日ぐらしのこゑに色かはる山の白雲打ちなびき衣手うすし
となる。前句の「衣手うすし」を打ちなびく白雲の衣と取り成している。
二句前の、
この比ごろしげさまさる道芝
あつき日は影よわる露の秋風に 宗祇
の句に劣らず、高度な技術を感じさせる。逆に言うとこういう高度なてにはの使い方をしないと展開できないほど、詰まってしまって重い展開になっている感じもする。
次の、
色かはる山の白雲打ちなびき
尾上をのへの松も心みせけり 宗祇
の句は素直にすっと付いている。
松は常緑樹で紅葉はしないし、枯れて茶色くなることもない。いつでも夏のように青々としてはいるものの、山の稜線にうっすらと薄い雲が打ちなびくと、松もうっすらと白く色を変え、秋めいて見える。
白くなるというのは、人間の頭が白髪になってゆくのを連想させる。寓意としては、いつまでも若いつまりでいても頭は白くなり、人生の秋を知るということか。
名残の懐紙の裏になる前にもうひと展開欲しい所で、「心見せけり」の擬人化した言い回しは、寓意と取り成して恋への展開を催促しているように思える。いわゆる「恋呼び出し」の句だ。
2016年10月25日火曜日
湯山三吟の方は、今日は3句進んだ。
よもぎふやとふをたよりにかこつらん
この比しげさまさる道芝 宗長
これは遣り句で、道の芝が茂っているありふれた情景を付けて、何とか「蓬生」の強烈なイメージをぬぐおうとしている。
連歌では同じ本説の句を続けてはいけない。ただ、「蓬生」という有名な物語のタイトルが出てきてしまうと、そのイメージを振り払うのは難しい。
この比ごろしげさまさる道芝
あつき日は影よわる露の秋風に 宗祇
この句は複雑な倒置と「てには」の使い方で、まさに宗祇ならではの技ありの句といえよう。
「あつき日は影よわる露の秋風に」は「影よわるあつき日は秋風に露の」の倒置。「この比ごろしげさまさる道芝」と合わせると、「影よわるあつき日は秋風に道芝の露のこの比ごろしげさまさる」となる。「しげき」を道芝の茂きではなく、露の茂きと取り成している。
「暑かった日の光も弱れば秋風に道芝の露もますますしげくなってゆく」という意味。
あつき日は影よわる露の秋風に
衣手うすし日ぐらしのこゑ 肖柏
これも「影よわる」を季節の移ろいではなく日が傾くという意味に取り成している。
よもぎふやとふをたよりにかこつらん
この比しげさまさる道芝 宗長
これは遣り句で、道の芝が茂っているありふれた情景を付けて、何とか「蓬生」の強烈なイメージをぬぐおうとしている。
連歌では同じ本説の句を続けてはいけない。ただ、「蓬生」という有名な物語のタイトルが出てきてしまうと、そのイメージを振り払うのは難しい。
この比ごろしげさまさる道芝
あつき日は影よわる露の秋風に 宗祇
この句は複雑な倒置と「てには」の使い方で、まさに宗祇ならではの技ありの句といえよう。
「あつき日は影よわる露の秋風に」は「影よわるあつき日は秋風に露の」の倒置。「この比ごろしげさまさる道芝」と合わせると、「影よわるあつき日は秋風に道芝の露のこの比ごろしげさまさる」となる。「しげき」を道芝の茂きではなく、露の茂きと取り成している。
「暑かった日の光も弱れば秋風に道芝の露もますますしげくなってゆく」という意味。
あつき日は影よわる露の秋風に
衣手うすし日ぐらしのこゑ 肖柏
これも「影よわる」を季節の移ろいではなく日が傾くという意味に取り成している。
2016年10月24日月曜日
私事になるが、二年前の春に父母を相次いで亡くし、直後の忙しさとその後に来た倦怠感や昔で言う「無常観」のようなものから、と要するに今の言葉では単なる「欝」なわけだが、それまで読んでいた源氏物語は明石の途中で終わったままになり、他にも書きかけになっていた文章がたくさんあって、未だに放ったらかしになっている。
この「鈴呂屋俳話」を始めたのも、少しづつ昔のペースに戻そうと思ったからで、ただ、いろいろやりかけのことがあって、何から手を付けていいかわからない。
昨日は昔書いた「浦上玉堂の山水画を読む」を「鈴呂屋書庫」http://suzuroyasyoko.jimdo.com/ にアップした。11月10日から千葉市美術館で「文人として生きる−浦上玉堂と春琴・秋琴 父子の芸術」展が始まると聞いて、そういえばこういうのも書いていたと思い出した。
そのあと今日、「文和千句第一百韻の世界」をアップした。連歌関係では「湯山三吟」が84句目で止まってしまっている。
その85句目は、
古人めきてうちぞしはぶく
よもぎふやとふをたよりにかこつらん 肖柏
で、三つの古註が残っている。
古註1蓬生の巻に、侍従のおば君、惟光を見付て、かこち出いでたる事なるべし。
古註2よもぎふノやどへ源氏御出ありしとき、侍従げんじニとりつきたてまつりて、うらみ
を云へル事あり。
古註3源氏よもぎふの巻の体也。古人のうちしはぶく事、この巻にみへたり。(『連歌俳諧
集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
共通して『源氏物語』の蓬生巻の本説であることを指摘している。
明石の次が澪標でその次が蓬生だから、本来ならとっくに読んでいたはずの箇所だ。
取りあえずネットで既存の訳を読んで大雑把なあらすじを把握しなければならないが、これから読むところがネタバレになってしまうのは残念だ。
大体ここの場面だろうというところが見つかった。源氏が末摘花の君の荒れ果てた家を訪ねたとき、惟光に様子を見てもらおうとしたとき、
よりてこわづくれば、いと物古りたる声にて、まづしはぶきを先に立てて、彼は誰れぞ、なに人ぞととふ。
とある。
前句の「古人めきてうちぞしはぶく」をこの人物に取り成したということはわかった。この人物は「侍従が叔母の少将といひ侍りし老い人」だということがわかる。古註1の通りだとわかる。
問題はこの人物が以前に出てきてたかどうかだが、自分で訳した末摘花巻を読み返したがよくわからない。
とりあえず「よもぎふやとふをたよりにかこつらん」の句は、「よもぎふをとふをたよりにかこつらんや」の倒置で、蓬生を訪れて来たのを何かの縁とばかりについつい愚痴ってしまったか、すっかり年寄りくさくなって咳払いをしてしまう、という意味になる。
この「鈴呂屋俳話」を始めたのも、少しづつ昔のペースに戻そうと思ったからで、ただ、いろいろやりかけのことがあって、何から手を付けていいかわからない。
昨日は昔書いた「浦上玉堂の山水画を読む」を「鈴呂屋書庫」http://suzuroyasyoko.jimdo.com/ にアップした。11月10日から千葉市美術館で「文人として生きる−浦上玉堂と春琴・秋琴 父子の芸術」展が始まると聞いて、そういえばこういうのも書いていたと思い出した。
そのあと今日、「文和千句第一百韻の世界」をアップした。連歌関係では「湯山三吟」が84句目で止まってしまっている。
その85句目は、
古人めきてうちぞしはぶく
よもぎふやとふをたよりにかこつらん 肖柏
で、三つの古註が残っている。
古註1蓬生の巻に、侍従のおば君、惟光を見付て、かこち出いでたる事なるべし。
古註2よもぎふノやどへ源氏御出ありしとき、侍従げんじニとりつきたてまつりて、うらみ
を云へル事あり。
古註3源氏よもぎふの巻の体也。古人のうちしはぶく事、この巻にみへたり。(『連歌俳諧
集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
共通して『源氏物語』の蓬生巻の本説であることを指摘している。
明石の次が澪標でその次が蓬生だから、本来ならとっくに読んでいたはずの箇所だ。
取りあえずネットで既存の訳を読んで大雑把なあらすじを把握しなければならないが、これから読むところがネタバレになってしまうのは残念だ。
大体ここの場面だろうというところが見つかった。源氏が末摘花の君の荒れ果てた家を訪ねたとき、惟光に様子を見てもらおうとしたとき、
よりてこわづくれば、いと物古りたる声にて、まづしはぶきを先に立てて、彼は誰れぞ、なに人ぞととふ。
とある。
前句の「古人めきてうちぞしはぶく」をこの人物に取り成したということはわかった。この人物は「侍従が叔母の少将といひ侍りし老い人」だということがわかる。古註1の通りだとわかる。
問題はこの人物が以前に出てきてたかどうかだが、自分で訳した末摘花巻を読み返したがよくわからない。
とりあえず「よもぎふやとふをたよりにかこつらん」の句は、「よもぎふをとふをたよりにかこつらんや」の倒置で、蓬生を訪れて来たのを何かの縁とばかりについつい愚痴ってしまったか、すっかり年寄りくさくなって咳払いをしてしまう、という意味になる。
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