2023年9月7日木曜日

 それではX奥の細道の続き。

七月十六日

今日は旧暦7月15日で、元禄2年は7月16日。金沢。

今日も良い天気で、朝はゆっくり休んだ。
竹雀が籠屋屋を連れて迎えにきてくれて、宮竹屋喜左衛門の家に移った。

七月十七日

今日は旧暦7月16日で、元禄2年は7月17日。金沢。

昨日の午後から、金沢で俳諧をやってるという人が二、三訪ねて来た。まあ、深川にいる時はいつもそうだし、旅でも長く滞在してると必ず人がやってくる。
源意庵から誘いがあって今日は出かけることにするが、曾良がまた具合が悪くなって心配だ。

源意庵は川の近くでここで夕涼みをした。俳諧興行ではなく、みんなで発句を詠んだ。
この前から何度となく海に傾く夕日を見たけど、それに耳で聞く秋風と取り合わせて、

あかあかと日はつれなくも秋の風 芭蕉

我ながらよくできたと思った。

曾良から預かった句もあって、

人々の涼みに残る暑さかな 曾良

病気で暑い部屋に取り残されたからな。
その他、宿の主人の、

入相や盆の過ぎたる鐘の音 小春

源四郎の、

橋見れば少し残暑の支へたり 北枝

の句もあった。
あとは、

白鷺やねぐら曇らす秋の照り 此道
川音やすごきに退かぬ残暑哉 雲口
雲立ちの今日も変らぬ残暑哉 一水

の句もあったかな。

七月十八日

今日は旧暦7月17日で、元禄2年は7月18日。金沢。

昨日は源意庵から帰ったあと、夜中に強い雨が降ったが、明け方には止んで、今は快晴だ。
曾良の調子も良くならないし、今日は一日ゆっくり休みたい。

昨日の「あかあかと」の句。曾良によると、秋風は春に生じた生命の秋に止むの、その目に見えない暗示だそうで、それに太陽がつれなくも沈んでゆくのと響き会うとのこと。

七月十九日

今日は旧暦7月18日で、元禄2年は7月19日。金沢。

今朝も晴れた。曾良の調子もだいぶ良くなってきたという。明日の興行は大丈夫かな。
今日もゆっくり休もう。

昼も過ぎた頃だったか、去年の夏、大津にいた時に入門してきた乙州と再会した。明日の興行に参加するという。大阪商人の何処も一緒だった。
一昨日招かれた源意庵の源四郎も来た。牧童の弟で北枝とかいったか。

七月二十日

今日は旧暦7月19日で、元禄2年は7月20日。金沢。

午後から一泉の家で興行した。
芭蕉「ではお盆も終わったことで、お供えしてた瓜や茄子のお下がりを頂いたので、みんなで食べましょう。茄子は生では何だから、それぞれ料理してね。」

残暑暫手毎にれうれ瓜茄子 芭蕉

一泉「暑いけど日は短くなって暮れるのも早くなったが、今日はまだ日の高いうちで、暑いと思いますが。」

  残暑暫手毎にれうれ瓜茄子
みじかさまたで秋の日の影 一泉

左任「では旅体に転じようか。日が出たからすぐに月に行かなくてはね。短い日が沈んで月と入れ替わるように、野の末で馬も乗り換える。」

  みじかさまたで秋の日の影
月よりも行野の末に馬次て 左任

丿松「弟が参加できなくて残念だけで、頑張ります。月よりも、月ではなく高い生垣ばかり目について、月がよく見えない。」

  月よりも行野の末に馬次て
透間きびしき村の生垣 丿松

竹意「弟さんは本当に残念でした。でもまあここは湿っぽくならずに。生垣の家が並ぶと言えば三条に釘を作流ために集まった鍬鍛治屋さん。そこらじゅうで槌の音を響かせている。」

  透間きびしき村の生垣
鍬鍛治の門をならべて槌の音 竹意

語子「鍛冶屋といえば水が必要。」

  鍬鍛治の門をならべて槌の音
小桶の清水むすぶ明くれ 語子

雲口「毎日朝夕水を汲みに行く人は、七つの頃から育ててもらった老女に恩を返す意味で、毎日介護をしている。」

  小桶の清水むすぶ明くれ
七より生長しも姨のおん 雲口

乙州「その老女は既に亡くなっていて、追善に放生会をする。加賀にも放生津八幡があるしね。でも場所はそれっぽい架空の場所ということで、西方浄土の西に掛けて、西の栗原。」

  七より生長しも姨のおん
とり放やるにしの栗原 乙州

如柳「放たれた鳥が西の栗原に遊んでるのを見ると、昔読み習った西行法師の、

心なき身にもあはれは知られけり
   鴫立つ沢の秋の夕暮れ

の歌を思い出す。」

  とり放やるにしの栗原
読習ふ歌に道ある心地して 如柳

北枝「歌の心といえば月花だから、この辺で月を出そうか。油がなくなって行灯の火が消えたと思ったら、いいタイミングで雲間から月が出た。心ある月だ。」

  読習ふ歌に道ある心地して
ともし消れば雲に出る月 北枝

曾良「渡し守の朝にしましょう。明るくなって灯しを消すと、雲の切れ目から有明の月が見えて、今日はいい天気になりそうだ。でも明け方は冷えるので、咳をする。」

  ともし消れば雲に出る月
肌寒咳きしたる渡し守 曾良

流志「渡し場の景を添えておこう。肌寒い頃には干し残した稲が近くにあったりする。」

  肌寒咳きしたる渡し守
をのが立木にほし残る稲 流志

一泉「稲が干したまま取り残されてるなんて、夫婦喧嘩でもしたかな。元から不本意な縁組をされたとか。」

  をのが立木にほし残る稲
ふたつ屋はわりなき中と縁組て 一泉

芭蕉「わりなきという言葉は良い意味に転用して使われることもあるからな。逆に評判の思いっきり仲の良い夫婦ということにして。」

  ふたつ屋はわりなき中と縁組て
さざめ聞ゆる国の境目 芭蕉

北枝「国の境目というと、そこを越えて駆け落ちする恋人同士というところかな。変装のための衣を縫う。」

  さざめ聞ゆる国の境目
糸かりて寝間に我ぬふ恋ごろも 北枝

雲口「ここは筒井筒の健気な幼馴染みとしようか。夫の旅の無事を祈り、

風吹けば沖津白波たつた山
  夜半には君が一人越ゆらむ

の心で。」

  糸かりて寝間に我ぬふ恋ごろも
あしたふむべき遠山の雲 雲口

浪生「明日踏む遠山の雲は吉野の花の雲ですな。草庵に住む人が正月に飾る野老(ところ)にその花を思う。」
芭蕉「思い出すな、万菊丸と吉野へ行った時を。採用。」

  あしたふむべき遠山の雲
草の戸の花にもうつす野老にて 浪生

曾良「野老とか自然のものだけで生活していて、みう何年も畑を耕してい隠者なんでしょうね。まあ、仙人出ないなら、徳があって米をくれる人がいるんでしょうな。」

  草の戸の花にもうつす野老にて
はたうつ事も知らで幾はる 曾良

興行が半歌仙で終わったあと、野畑という所へ行った。前田家の墓所のある所で、小高い山になる。ここでまた、つれなく沈んでゆく夕日を見た。帰ってから夜食に瓜茄子を食べた。
明後日は一笑の追善会をやる。

2023年9月2日土曜日

  所詮同じ人間じゃないか、そう思う普遍的な感情は基本的人権の源泉であり、民主主義の基礎でもある。
 ただ、こう言われるのを侮辱だと感じる人もいるようで、そういう人が独裁政治をやりたがるのだろう。

 それではX奥の細道の続き。

七月十一日

今日は旧暦7月10日で、元禄2年は7月11日。高田を出る。

今日はよく晴れた。高田を出て午前中に直江津の五智国分寺と越後国一之宮の居多神社を見て回った。これからまた海岸沿いの道だ。それにしても暑い。

あれから海岸沿いの道を延々と歩いて、夕暮れには能生に着き、玉屋五郎兵衛の宿に泊まった。今日も夕日が海に沈む。月も南の空に見える。大分丸くなってきた。お盆も近い。

七月十二日

今日は旧暦7月11日で、元禄2年は7月12日。能生を出る。

今日も良い天気で、昨日に続いてまた海岸の道を延々と歩いてる。
途中早川という川を渡ってる時に転んでびしょ濡れになった。まあ、この日差しならすぐ乾くが。

昼は糸魚川の荒屋町の左五左衛門の宿で休憩した。前日名立に泊まった場合はここで宿泊する予定だったようだ。名立からの返事がなかったので能生まで行ったんだという。
ここでも加賀大聖寺から何か連絡があったようだ。曾良はしっかり仕事している。

糸魚川を出てしばらく行くと親知らず子知らずという断崖絶壁の迫るところがあったが、今日は天気も良く波も穏やかで問題はなかった。
この辺りまで来るとうっすらと能登が見えてくる。
夕日が能登に傾く頃、市振に着いた。

市振に宿を取ると新潟から来たという遊女二人と付き添いの老人が泊まってた。
遊郭の遊女は籠の鳥だが、田舎の方では結構こういう自由な遊女がいて、そんな珍しくもないけどね。
これから伊勢へ行くという。遷宮の年だし自分もこれから行くからね。

一つ家に遊女も寝たり‥、そのまんまだけど何か季語を入れたら発句になるかな。
遊女は臥すものだから萩。そこに真如の月が照らすと、萩の露がきらきら光る。

一家に遊女もねたり萩と月 芭蕉

七月十三日

今日は旧暦7月12日で、元禄2年は7月13日。市振を発つ。

市振を出ると能登の方に虹がかかってた。不安定な天気のようだ。
ちょっと行くと玉木村という所に川があって、ここを渡ると越中になる。
渡るとすぐ先に境の関があった。加賀藩の領内の入るとさすが加賀百万石だ。馬に乗れた。

入善まで来ると広い川の河川敷になっていて、ここは馬で通れないという。黒部川の河口はたくさんの川に分かれていて、その都度足を濡らして越えなくてはならない。曾良が人を雇って荷物を持たせて、何とか渡ることができた。今日は転ばないよ。

川上に一里半行った所には橋があるので、雨が続く時はみんなそっちを通るという。

黒部川を渡ったあと、雨が降ってきたが、晴れるとまた暑い。
まあ、でも馬での移動は楽だ。明るいうちに滑川に着いた。

七月十四日

今日は旧暦7月13日で、元禄2年は7月14日。滑川を出る。

今日も良い天気で滑川を出た。また海岸沿いの道が続く。高田を出てから異常に暑い日が続いてるが、歩かなくていいのは助かる。昔詠んだ、

命なりわづかの笠の下涼み 桃青

の句を思い出す。

東岩瀬までは3里ほどだった。渡し船で大きな川の河口を渡った。
ここを通れば富山藩の手形なしに向こう側に行くことができる。分断された加賀藩の回廊のようなものだ。
富山城は一里ほど川上になるらしい。

川を渡ると久しぶりに湿地帯の広がる場所に来て、やがて大きな入江になる。ここが那古の浦か。

越の海あゆの風吹く那古の浦に
   船は留めよ波枕せむ
       藤原仲実

の歌に詠まれた所か。今日はアイの風もなく暑い。

那古の大きな干潟を見ながら海沿いを行くと、放生津八幡宮があった。放生会をするところからその名があるという。
そういえば尾花沢の興行でも放生会をネタにしたっけな。
この先また大きな川の河口を渡る。

川を渡り、右に折れると海岸沿いに能登へ行くという。こっちへ行くと氷見という所に歌枕名寄の、

この頃は田子の藤波なみかけて
   ゆくてにかざす袖や濡れなむ
       土御門院

の歌に詠まれた田子の藤波があるという。

行ってみたいが狭い道を5里歩かなくてはならないだとか、行っても泊まる所がないと言って曾良に止められた。
この辺りへ来ると田んぼで早稲を作ってるのか、独特な匂いがする。曾良はいい匂いだというが、やっぱ臭い。

わせの香や分入右は有磯海 芭蕉

高岡に着いた。二上山は目の前にある。

玉くしげ二上山に鳴く鳥の
   声の恋しき時は来にけり

これも歌枕名寄にあった。
ここで一泊だが、何だかとにかく疲れた。

七月十五日

今日は旧暦7月14日で、元禄2年は7月15日。金沢へ。

今日はお盆で、これから倶利伽羅峠を越えて金沢に向かう。木曽義仲の火牛の計は俳諧でもネタにされてるが、本当なのだろうか。
今日も暑い日になりそうだ。昨日はあれから気分が悪くなった。気をつけよう。

埴生八幡に参拝した。木曽義仲もここで戦勝祈願をしたという。
ここまでは平坦な道だったが、ここから山越の道になる。
埴生八幡から少し行って川を渡ると、西へと尾根道を登ってゆくことになる。道は結構広いし馬で越えられるのは有り難い。

稜線の尾根道を行き、高いところまで来ると、左に源氏山、右に卯の花山が見える。木曽義仲もこの辺りに陣を張ったという。
道は一度下ってから卯の花山の北側の脇を抜けて行き、ここが倶利伽羅峠になる。

倶利伽羅峠を越えた。その火牛の計のあったという谷は山の裏側で、結局見えなかった。
そのあとまた稜線上のだらだらとした道が続く。
曾良はこういう直線的な尾根道は古代の駅路の名残だというが、どうでもいい情報だ。

やはり馬は楽だ。暑い一日だったけど意外に早く金沢に着いた。京屋吉兵衛の宿の泊まることになった。
竹雀と一笑を呼んできてもらったが、竹雀は牧童を連れてすぐにやってきたが、一笑が去年の12月に亡くなったことを知った。

とにかく今日の木曽義仲の旧跡を見てきた楽しい気分が一気に吹っ飛んだ。まだ若かったはずだ。
出発前に名古屋の荷兮に今度の撰集阿羅野の序文を送ったが、その阿羅野には一笑の句が載っていた。

元日や明すましたるかすみ哉
いそがしや野分の空に夜這星
火とぼして幾日になりぬ冬椿

会いたかった。

一笑の死のショックは大きかったが、集まった金沢の人達に慰められながら、気を紛らわす意味でもお盆の発句を作ってみた。
九郎判官義経に成敗された盗賊の頭の熊坂長範は加賀の生まれだったということで、この辺りだと親類縁者がいるのかな。

だとすると熊坂長範の魂を持つる人達もいるのかなって思った。

熊坂がゆかりやいつの玉まつり 芭蕉

一笑の魂も初盆で帰ってきてくれてるなら聞いてるかな。

2023年9月1日金曜日

  それではX奥の細道の続き。

七月七日

今日は旧暦7月6日で、元禄2年は7月7日。直江津。

今日も朝から雨。村上から歩きっぱなしだし、ゆっくり休みたい。
曾良もまた昨日の宿のトラブルで疲れ切ってる。

聴信寺から何度も使いが来て招待されて、ずっと断ってたが、結局午後には行ってきた。
夜は右雪の家で昨日約束した興行を行う。

石塚喜衛門「俳号は左栗だすけ、よろしく。では、発句は昨日出てたので、脇から。六日は常の夜には似ずというのは芭蕉さんがいらしたからで、我々落ちかけてた桐の葉にも露の輝く。」

  文月や六日も常の夜には似ず
露をのせたる桐の一葉 左栗

曾良「では露の光ということで、朝の情景に転じましょう。仁徳天皇の民の煙の賑わいを喜ぶということで。」

  露をのせたる桐の一葉
朝霧に食焼烟立分て 曾良

眠鴎「煙が立つと言えば海人の藻塩だすけ、磯の情景ということで。」

  朝霧に食う焼烟立分て
蜑の小舟をはせ上る磯 眠鴎

石塚善四郎「俳号は此竹。海人の小舟といえば、昔の須磨明石の流刑人。帰る所もない。ねぐらのないカラスのような。」

  蜑の小舟をはせ上る磯
烏啼むかふに山を見ざりけり 此竹

石塚源助「俳号は布嚢。山がないから見渡す限り湿地帯の越後の国。海辺の松並木の木の間の道を大名行列が行く。」

  烏啼むかふに山を見ざりけり
松の木間より続く供やり 布嚢

右雪「ではその大名行列を庭から見てるということで。」

  松の木間より続く供やり
夕嵐庭吹払ふ石の塵 右雪

執筆(しゅひつ)「夕暮れの庭では庭師が仕事を終え、削った石の屑を払うために行水をする。」

  夕嵐庭吹払ふ石の塵
たらい取巻賤が行水 執筆

左栗「行水の水を引いてる筧に鳥が水を飲みに来る。」

  たらい取巻賤が行水
思ひかけぬ筧をつたふ鳥一ツ 左栗

曾良「思いすらかけてくれない、と取り成して、つれなくもさっさと帰って行った男を起き上がることもなく見送る女としましょうか。行ってしまった後には鳥がいるだけ。」

  思ひかけぬ筧をつたふ鳥一ツ
きぬぎぬの場に起もなをらず 曾良

義年「何だみんな恋の句は駄目かい?なら飛び入りで。前句をもう二度と会うこともない別れとして、ようやく起き上がると残された恨みの品を捨ててしまおうと並べ始める。」

  きぬぎぬの場に起もなをらず
数々に恨の品の指つぎて 曾良

芭蕉「実際あなたが私にくれたものってこうやって見てみると、笑うっきゃないねって、貰った鏡を見ながら思う。」

  数々に恨の品の指つぎて
鏡に移す我がわらひがほ 芭蕉

左栗「恋を離れるといっても何も思い浮かばない。この辺りで月を出してくれというし、やはり朝の月しかないかな。」

  鏡に移す我がわらひがほ
あけはなれあさ気は月の色薄く 左栗

右雪「うちの犬は鹿を追っ払ってくれるどころか、何故か子鹿を連れてきてしまったよ。何考えてるんだ。」

  あけはなれあさ気は月の色薄く
鹿引て来る犬のにくさよ 右雪

眠鴎「犬は鹿を連れて来るというのに、隠棲してるこの坊主には砧を打ってくれる人はいない。」

  鹿引て来る犬のにくさよ
きぬたうつすべさへ知らぬ墨衣 眠鴎

左栗「砧を自分で打ったことのないような元高貴な尼さんにしようかな。嵯峨野の祇王と祇女の姉妹がいいかな。」

  きぬたうつすべさへ知らぬ墨衣
たつた二人の山本の庵 左栗

義年「さっきの句が良かったからって、いきなり花を持てだ何て光栄な。二人の山暮らしだから寒山拾得なんてどうだ。舞い散る花に拍手しながら夕暮れになったら星を数える。」

  たつた二人の山本の庵
華の吟其まま暮て星かぞふ 義年

右雪「なら邯鄲の夢から覚めたみたいに、花見で浮かれてて気づくと夜で蝋燭が揺れてる。」

  華の吟其まま暮て星かぞふ
蝶の羽おしむ蝋燭の影 右雪

芭蕉「すまんが自分も曾良も疲れてて、ここで一句づつ付けるから後は何とかみんなで満尾しておいてくれ。前句は和尚さんの遷化で、弔いに稚児も剃髪する。」

  蝶の羽おしむ蝋燭の影
春雨は剃髪児の泪にて 芭蕉

曾良「稚児といえば恋ですね。いろんな人と付き合って、相手によって違う香を焚いた手紙が届くが、中には悲しい手紙もありまして。」

  春雨は剃髪児の泪にて
香は色々に人々の文 曾良

七月八日

今日は旧暦7月7日で、元禄2年は7月8日。直江津。

朝は雨が止んだので高田の池田六左衛門の所に行こうかと思ったが、喜衛門に呼ばれて昼食をご馳走になった。

昼飯を終えて少し休んでから高田へ出発した。一里かそこらしかないのですぐ着くと思う。
別れ際に、

星今宵師に駒引いて留たし 右雪

曾良「私もせめて早稲の新米の取れる頃まで留まりたかったところです。」

  星今宵師に駒引いて留たし
色香ばしき初刈の米 曾良

芭蕉「(早稲って香ばしいかな。あれ臭いよね。まあ、それは言えない。)早稲の取れる頃にはお盆かな。漬け込んで天日で干した晒し木綿を搗いて糊付けする頃。」

  色香ばしき初刈の米
さらし水踊に急ぐ布つきて 芭蕉

そうそう忘れるところだったが、右雪だけでなく、

行月をとどめかねたる兎哉 此竹
七夕や又も往還の水方深く 左栗

の餞別句も貰った。

高田に着くと細川春庵とかいう者の使いが来た。
知らない人なので、先に予定してた池田六左衛門のところに行くと、お客さんが来てるというので、近くの高安寺の観音堂で一休みしてたら、今度は使いの者が春庵からの手紙を持ってきた。

薬草園があるというので、何となく知らない花があるんじゃないかと思って行ってみることにした。

薬欄のいづれの花をくさ枕 芭蕉

春庵は棟雪という俳号で、着くと早速四句目まで興行した。
棟雪「薬草園の中で野宿ですか?萩の簾に月が見えてそれは素敵なことでしょう。でもちゃんと部屋で寝てってくださいね。」

  薬欄にいづれの花をくさ枕
萩のすだれをあげかける月 棟雪

鈴木与兵衛「俳号は更也です。萩の簾を、萩の枝を乾燥させたもので作った簾にして、部屋ではなく工房ということにしましょうか。」

  萩のすだれをあげかける月
炉けぶりの夕を秋のいぶせくて 更也

曾良「炉の煙でけぶたいので、それを避けて藪の方を馬で通り過ぎるということにしましょう。」

  炉けぶりの夕を秋のいぶせくて
馬乗ぬけし高藪の下 曾良

このあと六左衛門の息子の甚左衛門が呼びにきたので、一応六左衛門と会ってから春庵の家に泊まることにした。

七月九日

今日は旧暦7月8日で、元禄2年は7月9日。高田。

今日は朝から時折小雨が降る天気で、ゆっくり休めそうだ。
昨日四句で終わった俳諧の続きだが、曾良疲れて寝てるので、そっとしといてやろう。

何とか歌仙一巻満尾した。
いつもは曾良が書き留めておいてくれるけど、今日はなしで。

七月十日

今日は旧暦7月9日で、元禄2年は7月10日。高田。

昨日から時々小雨が降るような天気が続いてる。
今日は中桐甚四郎という人に招かれてこれから興行をする。曾良は今日もお休み。

中桐甚四郎の家での興行も終わり、夜には春庵の所に戻った。雨も上がって晴れた。
明日はここを出て、また海岸の道になるのかな。

2023年8月31日木曜日

 有限な地球に無限の生命は不可能である以上、生存競争は生産力に応じた人口のコントロールがなされない限り生存競争は不可避なものとなる。
 多くの動物では個と個の勝負で弱いものから淘汰されるに過ぎないが、人間の場合は集団でかかればどんな強いものでも倒せることを知ってしまったため、生存競争は多数派工作の勝負になった。
 多数派が少数派を排除する。それが人間の生存競争だ。
 マルクス主義が本当に画期的だったのは、支配者階級というわかりやすい敵を発明したことだった。どの社会でも大概支配者階級は少数派だ。そして彼らは良い暮らしをしてるし権力を持っている。
 そこには単純な羨望から来る嫉妬、妬みそねみといったマイナスの感情に容易に正義の仮面を被せることができる。支配された恨みもまた同様だ。
 そこには難しい理屈はいらない。下層階級の不満を容易に社会正義に仕立てられるこの仕組みこそが、マルクス主義が世界中に広まった要因でもあり、最も厄介な理由でもある。
 ただ、この思想はこうした単純な不満に突き動かされた人達に何一つ幸福をもたらすことはない。なぜなら、支配者階級が存在してる理由が高い生産性への指導力にあるため、支配者階級の排除は間違いなく生産性の低下をもたらし、革命の後は必ず飢餓がやってきた。
 単純な話だが、労働者の主体的な生産活動が資本主義よりも高い生産性をもたらすのであれば、社会主義はみんなを幸せにできたかもしれない。
 実際、資本主義が未発達の国であれば、社会主義体制が一種の開発独裁と同じように、国家主導の資本主義をもたらすことである程度の成功をもたらすこともある。中国やベトナムはその成功例と言えるかもしれない。しかし、資本主義が根付けば逆に国家が足枷になり、そこに自ずと限界が生じる。開発独裁は資本主義を作るものにほかならないからだ。
 労働者の主体的な生産が資本主義よりも高い生産性をもたらせるかどうかというのは、例えば組織の上下関係のない完全合議制によって運営させる企業が市場経済の中で勝利を収めることができるなら、社会主義は可能ということになる。
 暴力によって資本主義を排除して、生産性の低いこのシステムに移行させるなら、間違いなく飢餓への道を歩むことになる。生産性が資本主義より高い場合にのみ革命は成功する。
 だから企業の様々な努力の中で、市場競争に勝ち抜こうとする中で最終的に社会正義的なシステムに行き着くなら問題はない。わざわざ負けるシステムのためにより生産性の高いシステムを排除するような革命をするのであれば、飢えることになる。
 単純な妬みそねみ恨みで革命を起こしても、確実に今より生産性を下げることになる。そして革命を起こした指導者は、今度は自分たちがその妬みそねみ恨みの対象となるのを覚悟しなくてはならない。
 結局革命後はその不満を力づくで抑えるために、資本主義が与える以上の恐怖を民衆の与え続けなくてはならなくなる。
 妬みそねみ恨みは勝利することはない。ただ生産性の高いものが最終的に勝利する。それさえわかれば、社会主義は終わるわけだが、今の社会主義は素朴な妬みそねみ恨みが正義の仮面をかぶる所にのみその命脈を保っている。

 あと、大坂独吟集「軽口に」の巻を鈴呂屋書庫にアップしたのでよろしく。

 ではX奥の細道の続き。

七月一日

今日は旧暦6月29日で、元禄2年は7月1日。村上を出る。

雨が時折降る天気で、曾良とその知り合いの人達と一緒に朝のうちに泰叟院に詣でてから村上を発った。
山を越すと湿地帯の広がる低地で、海岸沿いの砂丘の上を歩いた。ちょうど東海道の沼津から田子の浦の辺りのような感じだ。

昼頃乙(きのと)という村に着いて乙宝寺を参拝した。ちょうど着く前に大雨が降って来たがすぐに止んだ。
乙を出てしばらく行くと、夕方にまた雨になり、やっとのことで築地村に辿り着いて宿を借りた。

七月二日

今日は旧暦7月1日で、元禄2年は7月2日。新潟へ。

朝、出る頃には曇ってたが昼には晴れて来た。
とにかくこの辺りは大きな川が集まって形成された広大な湿地帯で、まさに「潟」だ。最近ではあちこち干拓が進められてるともいう。ここが全部田んぼになったらすごいだろうな。

あれからしばらく行くと広大な河口に着き、船で渡った。気持ちのいいアイに風が吹いて、まだ日の高いうちに新潟に着くことが出来た。
ただ、宿は相部屋の所しか空いてないので、大工の源七という人の母の家を借りて泊めてもらうことにした。

七月三日

今日は旧暦7月2日で、元禄2年は7月3日。新潟。

今日はいい天気だ。これから弥彦明神に向かう。
馬に乗ろうと思ったが、大工の源七が馬は馬鹿みたいに高いから歩いた方が良いって言うので、歩いてゆくことにする。
また湿地を避けての砂丘のコースになる。

砂丘の道をゆくと、海の向こうには佐渡島も見える。前の方にあった小高い山が近づいて来て、その麓までくると、海から離れて山の内陸側へと参道がある。
暑かったけど何とか明るいうちに着くことが出来た。宿を取ったら参拝に行こう。

七月四日

今日は旧暦7月3日で、元禄2年は7月4日。弥彦を出る。

今日も良い天気で、弥彦山の宿坊を出て山を越えた。
峠を越えて右の方へ行くと、谷の中にお堂があって、そこで弘智法印像を見た。即身仏だという。
そのあと野積浜に出た。佐渡島が正面に見える。
日は旧暦7月3日で、元禄2年は7月4日。出雲崎。

野積浜を出て寺泊を経て海岸を歩き続けると出雲崎に着いた。暑かったけどアイの風は吹いて、今日も赤々とした太陽が海に沈んでゆく。

日が沈むと4日の月が西に浮かび、暗くなると頭上に天の川があって二星が見えた。
南西から真上を通って北東へと連なる天の川をそのまま回転させ、地上に降ろして目の前の海に重ねたら、自分が織姫の位置になり、佐渡の牽牛がいることになる。

流刑の地と言われる佐渡島の前には日本海の荒波が横たわり、きっと織姫彦星が見る天の川ってこんなんだろうな。
この荒海は佐渡の前に横たう天の川なるや。

荒海や佐渡によこたふ天の川 芭蕉

七月五日

今日は旧暦7月4日で、元禄2年は7月5日。出雲崎を出る。

夜中から降り出した雨は朝に一旦止んだんで出発したが、すぐにまた雨が降り出した。
相変わらず延々と海岸沿いの道が続く。今日は雨で海も霞んで佐渡島も見えない。

柏崎まで来たので与三郎が紹介してくれた宿に行ったけど、曾良がブチ切れちゃってね。
まあ、普通に商人が利用する宿なんて、相部屋で詰め込むだけ詰め込むのは普通のことでね。新潟もそうだったし。

確かに曾良の紹介で家老やら阿闍梨やら、いろいろ偉い人にアポを取って、今までの旅にはないような経験もできたけどね。
偉い人にに会ったり、そこの屋敷に泊まるから虱はNGだというのもわかるけど。
路通と旅してたらまた違ってたろうな。辻堂とか平気だし、野宿とかも経験できたかな。

結局あれから柏崎を出て鉢崎まで歩いた。俵屋六郎兵衛という人の宿で曾良も納得して、今日はこれで落ち着くことができた。

七月六日

今日は旧暦7月5日で、元禄2年は7月6日。直江津へ。

朝は雨が降っていて、止むのを待ってから出発したら昼頃になった。まあ、ちょっと休憩できた。
曾良の方がかなり参ってるみたいな。気苦労が絶えなくて心配だ。

黒井の先に川があるので、船で海周りで越えて今町に着いた。
直江津は昔国府のあった所で、宗祇法師も最後はここに滞在してた。そんな土地柄だからか、今夜は興行ができそうだ。発句を用意しておこうか。明日は七夕。
今日は旧暦7月5日で、 元禄2年は7月6日。直江津。

また曾良が忙しく歩きまわって、予定してた聴信寺も葬式のため泊まれず、何とか古川市左衛門の家に泊まることができた。夕方から雨も降り出した。

夜になったら聴信寺の眠鴎和尚やその檀家の石塚喜衛門と源助、右雪などが訪ねてきたが、すっかり遅くなったし、明日改めて興行を行う約束して、発句だけ先に渡しておいた。

文月や六日も常の夜には似ず 芭蕉

2023年8月30日水曜日

 それでは「鼻のあなや」の巻の続き、挙句まで。
 あと、手違いで八月二十八日の三裏が抜けてしまったので、そちらの方をまず先に、そのあと名残の裏に続く。

三裏
六十五句目

   あつかひ口もねぢた月影
 御もたせの手樽ののみの露落て

 手樽はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「手樽」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘名〙 柄を二本の角のように上に出し、手にさげるように造った樽。柄樽。角樽(つのだる)。柳樽。
  ※虎明本狂言・千鳥(室町末‐近世初)「てだるに一つ、よひ酒をつめてくだされひ」

とある。ただ、「デジタル大辞泉 「手樽」の意味・読み・例文・類語」のイラストを見ると、樽の上の部分に注ぎ口が付いていて、その反対側に上に取っ手が付いているものが描かれている。上に二本出てるのは柄樽となっている。
 この場合はそそぎ口が付いた方の手樽で、前句の「あつかい口」をそのそそぎ口として、取っ手を持ち上げると樽が傾いて、取っ手と反対側の口から酒の露がこぼれるということではないかと思う。
 御もたせは手土産のこと。
 点あり。

六十六句目

   御もたせの手樽ののみの露落て
 羽織の下にはるる秋霧

 手樽持参で訪れた客は、酒だけでなく羽織の「袖の下」も用意していて、これにて一件落着となった。
 点なし。

六十七句目

   羽織の下にはるる秋霧
 夕あらし膝ぶしたけに吹通り

 羽織は膝丈なので、膝の下は風が通る。夕嵐に秋霧の晴れるという景と重ね合わせる。
 長点だがコメントはない。

六十八句目

   夕あらし膝ぶしたけに吹通り
 湯ぶねにけづる杉のむら立

 湯船にお湯を張る水風呂(据え風呂とも言う)はこの当時お寺や上流の間で広まりつつあった。特に山の中の修験の寺などでは、豊富にある杉の木を用いた檜風呂があったのだろう。
 とはいえまだ、湯船を作っている所で、嵐の風が膝下を吹き抜けて行く。
 点なし。

六十九句目

   湯ぶねにけづる杉のむら立
 めづらしき御幸をまてる大天狗

 やはり水風呂は修験のイメージなのか、御幸に行くと大天狗が風呂桶を作って待っている。
 点なし。

七十句目

   めづらしき御幸をまてる大天狗
 さて京ちかき山ほととぎす

 京の近くの天狗というと鞍馬天狗だろうか。牛若丸に兵法を授けたと言われている。ただ、鞍馬の方へ御幸というと謡曲『大原御幸』になる。『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注は、

 「岸の山吹咲き乱れ、八重立つ雲の絶間より、山郭公の一声も、君の御幸を、待ち顔なり。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.1689). Yamatouta e books. Kindle 版. )

を引いている。
 長点だがコメントはない。

七十一句目

   さて京ちかき山ほととぎす
 はせよしの残らずめぐるむら雨に

 時鳥に村雨というと、

 心をぞ尽し果てつる郭公
     ほのめく宵の村雨の空
             藤原長方(千載集)

の歌がある。初瀬や吉野の桜に心を尽くして京まで帰ってくると、ホトトギスの声が聞こえてくる。
 点あり。

七十二句目

   はせよしの残らずめぐるむら雨に
 ちりさふらふよ花の中宿

 吉野が出たので花の定座を繰り上げることになる。長いこと初瀬や吉野を廻ってるうちに村雨が降って花散らしの雨になる。
 点なし。

七十三句目

   ちりさふらふよ花の中宿
 今朝見れば春風計の文ことば

 前句の「花の中宿」に男女の「仲」を掛ける。
 後朝の別れの後に残された手紙を読むと、春風のように二人の仲を散らして行くような激しい言葉が書き連ねられていた。
 点あり。

七十四句目

   今朝見れば春風計の文ことば
 猶うらめしき寺のわか衆

 相手を女ではなく寺の男色の相手に転じる。
 点なし。

七十五句目

   猶うらめしき寺のわか衆
 竹箆をくるるものとはしりこぶた

 「しりこぶた」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「尻臀」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘名〙 尻の、肉の多い左右のふくらみ。しりこぶら。しりたぶら。しりたぶ。しりたむら。しりぶさ。しりむた。しりゅうた。
  ※俳諧・伊勢山田俳諧集(1650)長抜書「鬼もねふとのてくるくるしみ ねつきする地獄のかまのしりこふた」
  ※文明田舎問答(1878)〈松田敏足〉徴兵「病犬(やまいぬ)が出て、老人や子供の、脛や尻臀(シリコブタ)に噛つく」

とある。
 竹箆(しっぺい)は座禅の時肩を打つ竹で作ったへら状の坊で、てっきりこれで肩を打つのかと思ったら、なにやらお尻の方に別の竹箆が、という下ネタでした。
 指ではじく「しっぺ」もこれが語源だという。
 長点だがコメントはない。

七十六句目

   竹箆をくるるものとはしりこぶた
 ひねるとこそはかねて聞しか

 尻はつねるもんだと思っていたが、ということで、普通に叩かれたことにして逃げる。
 点なし。

七十七句目

   ひねるとこそはかねて聞しか
 三枚のかるたの外に月の暮

 この頃のかるたは「うんすんかるた」であろう。ウィキペディアに、

 「うんすん
  3人から6人。1人に3枚ずつ3回、9枚宛の札を配り、残りは山札として裏向きに重ねておく。
  親から順に左廻り、山札から1枚を引き、不要な札を1枚捨てることを繰り返す。
  3枚以上の同数値のセット、もしくは3枚以上の同スート、続き数値の札のセットができると場にさらす。
  手札が無くなった者が出た時点、もしくは同スートのウン、スン、ロバイを揃えた者が出た時点で、その者の勝とし、1回のゲームを終わりとする。
  上がった者を0点とし、後は手札によってマイナス点とする。数札はその数値、絵札10点、ロバイ15点。
  基本は以上であるが、「つけ札」「拾う」などの細則がある。

とある。
 前句の「ひねる」を勝負事で負ける意味に取り成す。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「捻・拈・撚」の意味・読み・例文・類語」に、

 「⑤ 相撲などを、かるくやる。また一般に、勝負事などで相手を軽く負かす。
  ※浄瑠璃・五十年忌歌念仏(1707)上「若い時は小相撲の一番もひねったおれぢゃ」

とある。今でも「軽くひねられた」というふうに用いる。

七十八句目

   三枚のかるたの外に月の暮
 気疎秋ののらのより合

 「気疎」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「気疎」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘形口〙 けうと・し 〘形ク〙 (古く「けうとし」と発音された語の近世初期以降変化した形。→けうとい)
  ① 人気(ひとけ)がなくてさびしい。気味が悪い。恐ろしい。
  ※浮世草子・宗祇諸国物語(1685)四「なれぬほどは鹿狼(しかおほかみ)の声もけうとく」
  ※読本・雨月物語(1776)吉備津の釜「あな哀れ、わかき御許のかく気疎(ケウト)きあら野にさまよひ給ふよ」
  ② 興ざめである。いやである。
  ※浮世草子・男色大鑑(1687)二「角落して、きゃうとき鹿の通ひ路」
  ③ 驚いている様子である。あきれている。
  ※日葡辞書(1603‐04)「Qiôtoi(キョウトイ) ウマ〈訳〉驚きやすい馬。Qiôtoi(キョウトイ) ヒト〈訳〉不意の出来事に驚き走り回る人」
  ④ 不思議である。変だ。腑(ふ)に落ちない。
  ※浄瑠璃・葵上(1681‐90頃か)三「こはけうとき御有さま何とうきよを見かぎりて」
  ⑤ (顔つきが)当惑している様子である。
  ※浄瑠璃・大原御幸(1681‐84頃)二「弁慶けうときかほつきにて」
  ⑥ (多く連用形を用い、下の形容詞または形容動詞につづく) 程度が普通以上である。はなはだしい。
  ※浮世草子・好色産毛(1695頃)一「気疎(ケウト)く見事なる品もおほかりける」
  ⑦ 結構である。すばらしい。立派だ。
  ※浄瑠璃・伽羅先代萩(1785)六「是は又けふとい事じゃは。そふお行儀な所を見ては」

とある。この場合は①か。
 人気のない所で人が集まってカルタをしている。何だか妖しげな雰囲気だ。無宿人だろうか。
 点なし。

名残裏
九十三句目

   湯漬も玉をみだす春風
 油断すな花ちらぬまの早使

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注は謡曲『鞍馬天狗』の、

 「花咲かば告げんといひし山里の、告げんといひし山里の、使は来たり馬に鞍、鞍馬の山のうず 桜、手折枝折をしるべにて、奥も迷はじ咲きつづく、木蔭に並みゐていざいざ、花を眺めん。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.4009). Yamatouta e books. Kindle 版. )

を引いている。西谷の僧正に仕える能力が、花の盛りを知らせに東谷の僧の所にやって来るところから物語は始まる。
 こうした花の便りを伝える使いに、春風で花はすぐに散るから油断するな、とする。
 点なし。

九十四句目

   油断すな花ちらぬまの早使
 頓死をなげく鶯の声

 鶯に散る花は、

 花の散ることやわびしき春霞
     たつたの山のうぐひすのこゑ
              藤原後蔭(古今集)
   うぐひすのなくをよめる
 木づたへばおのが羽風に散る花を
     誰におほせてここらなくらむ
              素性法師(古今集)

などの歌がある。
 花の散った後の鶯の声の侘しさは、頓死を歎くかのようだが、花がまだ散らぬ間なら「頓死を歎く」はよくわからない。鶯の羽風で花が散るから気を付けろという意味なんだろうけど、うまく言葉がつながっていない。
 点なし。

九十五句目

   頓死をなげく鶯の声
 跡敷の公事は霞てみとせまで

 跡敷(あとしき)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「跡式・跡職」の意味・読み・例文・類語」に、

 「① 相続の対象となる家督または財産。また、家督と財産。分割相続が普通であった鎌倉時代には、総領の相続する家督と財産、庶子の相続する財産をいったが、長子単独相続制に変わった室町時代には、家督と長子に集中する財産との単一体を意味した。江戸時代、武士間では単独相続が一般的であったため、原則として家名と家祿の結合体を意味する語として用いられたが、分割相続が広範にみられ、しかも、財産が相続の客体として重視された町人階級では、財産だけをさす場合に使用されることもあった。
  ※今川仮名目録‐追加(1553)一一条「父の跡職、嫡子可二相続一事勿論也」
  ※三河物語(1626頃)一「松平蔵人殿舎弟の十郎三郎殿御死去なされければ、御跡次(あとつぎ)の御子無しと仰せ有つて、其の御跡式(アトシキ)を押領(をうれう)し給ふ」
  ② =あとしきそうぞく(跡式相続)
  ※禁令考‐別巻・棠蔭秘鑑・亨・三・寛保三年(1743)「怪敷儀も無之におゐては、譲状之通、跡式可申付」
  ③ 家督相続人。遺産相続人。跡目。あとつぎ。
  ※俳諧・大坂独吟集(1675)下「頓死をなげく鶯の声 跡識の公事は霞てみとせまで」

とある。家督相続でもめて裁判になって、三年の月日が流れる。頓死で遺言もなかったのだろう。死を嘆く鶯の声は訴訟の終わらないもやもやの中にある。
 点なし。

九十六句目

   跡敷の公事は霞てみとせまで
 彼行平のちうな分別

 「ちうな」は中納言のこと。謡曲『松風』に、

 「(クドキ)さても行平三年の程、御つれづれの御舟遊び、月に心は須磨の浦の夜汐を運ぶ蜑乙女に、おととい選はれまゐらせつつ、折にふれたる名なれやとて松風村雨と召されしより、月にも 馴るる須磨の蜑 の、 
 シテ   「塩焼き衣、色かへて、
 シテ・ツレ「縑の衣の、空焚きなり。 
 シテ   「かくて三年も過ぎ行けば、行平都に上り給ひ、 
 ツレ   「いく程なくて世を早う、去り給ひぬと聞きしより、」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (pp.1561-1562). Yamatouta e books. Kindle 版. )

とあることから、中納言の遺産が松風・村雨という二人の妻の間で訴訟沙汰になったということか。
 長点だがコメントはない。

九十七句目

   彼行平のちうな分別
 無疵ものあげて一尺五六寸

 行平というと平安時代末期から鎌倉時代前期の豊後国の刀工に紀新大夫行平がいる。ここでは前句の行平を刀鍛冶としてその作品の無傷の一尺五六寸の刀とする。ただ日本刀の標準は二尺三寸くらいだから、これは脇指になる。
 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注には、中脇指だから「ちうな分別」だという。
 なお、この注には大和の刀匠左衛門大夫行平の名が挙げられていて鬼切丸の作者だという。ネットではこの人物は確認できなかった。酒吞童子を倒すのに用いられたという鬼切丸は、ウィキペディアによると、伯耆国の刀工大原安綱の銘があるが、後の追刻という説もあるという。、
 点あり。

九十八句目

   無疵ものあげて一尺五六寸
 命しらずの麻の手ぬぐひ

 前句の一尺五六寸を手拭の長さとして、麻の手拭は丈夫なので「命しらずの麻の手ぬぐひ」とする。
 点あり。

九十九句目

   命しらずの麻の手ぬぐひ
 柄杓よりつたふ雫のよの中に

 重労働の末に柄杓の水でかろうじて喉を潤すような世の中では、命知らずの麻の手拭は有り難い味方だ。
 長点だがコメントはない。

挙句

   柄杓よりつたふ雫のよの中に
 あらんかぎりはのめよ酒壺

 酒壺の酒を柄杓ですくって、さあこの辛くも儚い浮世をせめては飲みつくそうではないか、と一巻は目出度く?終わる。
 点あり。

 「愚墨六十句
     長廿七

 伝きく天宝の唐がらし、鼻より入て口よりい
 づる色あひは、たちうり染のもみ紅梅、一句
 一句のこまやかなるは、おいまがけしかのこ、
 後藤がほり、すがたうるはしくやすらかなる
 は、柳に桜、あさぎにうこん源左衛門が海道
 下り、筆でかくとも即合点、おそれながらも
 候べく候
      西幽子(さいゆうし)判」

 点の数は鶴永(西鶴)に並ぶが、長点の数は大差をつけて勝っている。西鶴とはまた違った意味で談林俳諧の頂点を感じさせる作品で、由平はコトバンクの「デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「前川由平」の解説」に、

 「?-1707ごろ 江戸時代前期の俳人。
和気由貞の子。大坂の人。西山宗因にまなぶ。井原西鶴,和気遠舟とともに大坂俳壇の三巨頭といわれた。元禄(げんろく)のころ雑俳点者として活躍。宝永4年ごろ死去。通称は江助,江介。別号に半幽,自入,舟夕子(しゅうせきし),瓢叟(ひょうそう)など。著作に「由平独百韻」「俳諧(はいかい)胴ほね」。

と後の大阪談林を代表する人物となっていった。
 ここでも後藤祐乗の彫金の技術と野郎歌舞伎の名女形の右近源左衛門の優雅さに喩えられ、多くの加点となった。

2023年8月29日火曜日

  よくよく思い出してみると、昔は日本人も何かというと抗議の電話を掛けてたな。多分最近は威力業務妨害になるのが恐くてあまりしなくなったんじゃないかと思う。昔は何かというと抗議の電話が殺到したなんてニュースになってた。
 今の処理水放出でも、日本人がそれをやらないというのは、左翼もそれだけ冷静だし、騒いでるのは極一部、れいわが中心で多少の共産党員を巻き込んでるくらいじゃないかと思う。
 中国からの抗議の電話も、中国の人口を考えるならそんなたいした量ではないから、多分そんな組織的なものではないんじゃないかと思う。せいぜいチンケな右翼団体がネットで煽ったとかそういうもんじゃないかな。まあ、国家ぐるみで人海戦術でやったら、国際電話の回線がパンクして全然意味がなかったりして、やるならネットでサーバーをパンクさせることを考えるだろう。
 逆に考えれば、台湾有事になった時には本気で嫌がらせをしてくる可能性がある。甘く見ない方が良いとも言える。

 それでは「鼻のあなや」の巻の続き。

名残表
七十九句目

   気疎秋ののらのより合
 その犬のまたほえかかる村薄

 前句の「のらのより合」を野良犬のこととする。野良犬は群れになってることが多い。
 薄は手招きするように揺れるので、妖しい奴と思って吠え掛かる。
 長点だがコメントはない。

八十句目

   その犬のまたほえかかる村薄
 夜ふけて誰じゃ萩の下道

 夜更けに番犬が吠えるから、誰が来たのかと思う。
 村薄に萩は、

 秋萩の花野に混じる村薄
     草の袂ぞ色にいでゆく
             藤原為家(夫木抄)

の歌がある。萩に混じってた薄に吠えたとも取れる。
 点あり。

八十一句目

   夜ふけて誰じゃ萩の下道
 火打箱さがすや露の置所

 火打箱はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「火打箱・燧箱」の意味・読み・例文・類語」に、

 「① 火打道具を入れておく箱。
  ※俳諧・大坂独吟集(1675)下「夜ふけて誰じゃ萩の下道 火打箱さがすや露の置所〈由平〉」
  ② 狭く小さい家をあざけっていう語。
  ※浄瑠璃・傾城反魂香(1708頃)上「家まづしくて身代は、うすき紙子の火打箱」

とある。
 夜更けに尋ねてきた人がいたので、急いで火打ち箱を探して灯りを灯そうとする。前句の萩に露の置き所と付く。
 長点だがコメントはない。

八十二句目

   火打箱さがすや露の置所
 手きざみたばこ風にみだるる

 刻み煙草はキセルに用いる。「手きざみ」というのは刻んでない葉煙草を自分の手で砕いて吸うということか。煙草の葉を刻んで、さあ吸おうと思うと、火打ち箱が見つからず、探しているうちに煙草の葉が風で飛んでしまう。
 点なし。

八十三句目

   手きざみたばこ風にみだるる
 むら消る雲にしゃくりの声す也

 しゃっくりをしたら、その息でキセルの葉が吹き飛んで火が消える。火が消えて煙草の煙が止むのを、風に雲が吹き飛ばされるのに喩える。
 点あり。

八十四句目

   むら消る雲にしゃくりの声す也
 引立見ればひづむ天の戸

 引立はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「引立」の意味・読み・例文・類語」に、

 「① 横になっている物や人を引っ張って立つようにする。引き起こす。
  ※蜻蛉(974頃)上「生糸(すずし)のいとを長うむすびて、一つむすびては、ゆひゆひして、ひきたてたれば」
  ② 戸、障子などを、引き出してたてる。引いて閉じる。
  ※落窪(10C後)二「やり戸あけたりとておとどさいなむとて、ひきたてて、錠(ぢゃう)ささんとすれば」
  ③ 引いてきた車などを、とめる。車をとどめる。
  ※宇津保(970‐999頃)蔵開下「車ひきたててみる」
  ④ 馬などを、引いて連れ出す。引いて連れて行く。
  ※延喜式(927)祝詞「高天の原に耳(みみ)振立(ふりたて)て聞く物と、馬牽立(ひきたて)て」
  ⑤ いっしょに連れて行く。いっしょに行くようにせきたてる。また、無理に連れて行く。連行する。
  ※源氏(1001‐14頃)夕霧「やがてこの人をひきたてて、推し量りに入り給ふ」
  ⑥ 人や、ある方面の事柄を、重んじて特に挙げ用いる。特に目をかける。ひいきにする。
  ※古今著聞集(1254)一「重代稽古のものなりけれども、引たつる人もなかりけるに」
  ⑦ 勢いがよくなるようにする。気分・気力の勢いをよくする。気を奮い立たせる。
  ※新撰六帖(1244頃)六「杣山のあさ木の柱ふし繁みひきたつべくもなき我が身哉〈藤原家良〉」
  ⑧ 一段とみごとに見えるようにする。特に目立つようにする。きわだたせる。
  ※俳諧・七番日記‐文化七年(1810)九月「夕顔に引立らるる後架哉」
  ⑨ 注意を集中する。特に、聞き耳を立てる。
  ※うもれ木(1892)〈樋口一葉〉八「引(ヒ)き立(タ)つる耳に一と言二た言、怪しや夢か意外の事ども」

とある。戸だから②の意味であろう。
 天照大神が天の岩戸を閉ざそうとするとするが、戸が歪んでうまく閉まり切らず、しゃっくりの声が漏れてくる。しゃっくりが出たのを知られるのが恥ずかしくて、岩戸を閉ざして引き籠ったのか。
 点あり。

八十五句目

   引立見ればひづむ天の戸
 ぬか釘も時雨もみねによこおれて

 ぬか釘はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「糠釘」の意味・読み・例文・類語」に、

 「① 非常に小さい釘。〔日葡辞書(1603‐04)〕
  ② 「ぬか(糠)に釘」の略。
  ※浄瑠璃・心中刃は氷の朔日(1709)上「鉄鎚こたへぬぬか釘で、後は吹きあげ鞴ふく」

とあり、この場合は天の戸を止めている①の釘であろう。
 前句の「引立」を①の立てるの意味に取り成して、時雨の雲が嶺に横たわってるので、それを無理やり立たせて見たら天の戸の釘が外れて歪んでた、とする。
 時雨は天の戸の雲の通い路のひずみから来るという新説?
 点あり。

八十六句目

   ぬか釘も時雨もみねによこおれて
 磯部の松の針とがり行

 「ぬか釘も」を「ぬか釘の」の強調として、ぬか釘のような松の針も時雨の雲が嶺に横たわって尖って行く、とする。
 磯の松に時雨は、

 袖濡らす雄島が磯の泊りかな
     松風寒み時雨ふるなり
            藤原俊成(続古今集)

の歌がある。
 点なし。

八十七句目

   磯部の松の針とがり行
 はれもののうみすこし有須磨のうら

 海と膿を掛けて、腫物の膿を出すために磯辺の松の針を用いる。
 長点だがコメントはない。

八十八句目

   はれもののうみすこし有須磨のうら
 瘤はかたほに見ゆる舟人

 片方(片頬)と片帆を掛ける。瘤が片方だけなので、須磨の浦の腫物のあるその舟人は瘤を片帆にして航行しているみたいだ、とする。
 日本の船は帆を吊るす帆桁がマストに固定されてないため、左右同じようにして真横になるように張ると横帆になり、片側に寄せて斜めにすると縦帆になる。前者を真帆といい、後者を片帆という。
 点あり。

八十九句目

   瘤はかたほに見ゆる舟人
 柴かりのいはれぬはなし又一つ

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注に、

 「鬼に片頬の瘤を取られた柴刈の翁の話(宇治拾遺物語)によって前句に付く。」

とある。童話「瘤取り爺さん」の元ネタで、柴刈のそういう話があるから、下手に鬼が瘤を取ってくれるなんてことは言わない方が良い。両方くっつけられる。
 点なし。

九十句目

   柴かりのいはれぬはなし又一つ
 雪の山路もくちへ出るまま

 柴刈りの山賤に雪というと、

 ま柴かる道やたえなん山がつの
     いやしきふれる夜はの白雪
              藤原頼氏(続拾遺集)

だろうか。夜の雪の山路で迷った話を、口から出るままに大袈裟に話を盛って、延々と語ってくれたのだろう。
 点あり。

九十一句目

   雪の山路もくちへ出るまま
 照月の氷も谷へさらさらさら

 月に氷は、

 あまの原そらさへさえや渡るらん
     氷と見ゆる冬の夜の月
              恵慶法師(拾遺集)
 夜を重ね結ぶ氷の下にさへ
     こころふかくも宿る月かな
              平実重(千載集)

などの歌に詠まれている。
 前句の雪の山路に氷るような月の光が谷へとさらさらと落ちて行く美しい句だが、俳味に欠けるというのがマイナスだったか。
 点なし。

九十二句目

   照月の氷も谷へさらさらさら
 湯漬も玉をみだす春風

 湯漬けはコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「湯漬」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘名〙 飯を湯につけて食べること。また、その食事。蒸した強飯(こわめし)を熱い湯の中につけ、また、飯に湯を注いだ。食べるときに湯を捨てることもある。夏は「水漬」といって、水につけることがあった。
  ※宇津保(970‐999頃)春日詣「侍従のまかづるにぞあなる。ゆづけのまうけさせよ」
  ※夢酔独言(1843)「酔もだんだん廻るから、もはや湯づけを食うがよひとて」

とある。
 春風は、

 春風も吹きな乱りそ青柳の
     糸もて貫ける露の玉ゆら
             空静(延文百首)

などの歌にあるように柳の露の玉を乱すものだが、ここでは湯漬けの強飯の玉をみだして、さらさらにする。「お茶漬けさらさら」という時の「さらさら」と同じ。それを氷った月が溶けてゆくのに喩える。
 点なし。綺麗だがこういう句は貞門時代には有りがちで、それほど新味はなかったのかもしれない。

2023年8月27日日曜日

  それでは「鼻のあなや」の巻の続き。

三表
五十一句目

   きのふも三人出がはる小もの
 不埒なる酒のかよひの朝がすみ

 三人ほどいつも連れ立って酒屋通いで朝まで飲んだくれてたので、結局首になった。
 点あり。

五十二句目

   不埒なる酒のかよひの朝がすみ
 念比しられぬ晋の七賢

 竹林の七賢は晋の時代の人。特に劉伶は大酒飲みで『酒徳頌』を書いたことでも知られていた。
 その他阮籍も大酒飲みで知られているし、総じて全員酒飲みだったようだ。晋の酒屋にたむろしてたのだろう。
 点ありで「酒代さしのべらるべし。不律儀はいかなれ、七賢に候」とある。

五十三句目

   念比しられぬ晋の七賢
 法度ぞと孔子のいはく衆道事

 孔子が衆道は法度だと言ったかどうかは知らないが、七賢の中に懇ろの関係の者がいてもおかしくはないか。七角関係で乱れたらちょっと問題だ。孔子も顔回との噂がないではないが。
 点なし。

五十四句目

   法度ぞと孔子のいはく衆道事
 遊女のいきは論におよばず

 衆道を禁止するくらいだから遊郭なんてもってのほかだろうな。
 点なし。

五十五句目

   遊女のいきは論におよばず
 絵草子と成はつべきの心中に

 絵草子は挿絵の多く入った浄瑠璃本や仮名草子で、寛文期には数多く出版されてた。寛永の頃の活字本から木版印刷に変わると、文字を掘る手間も絵を掘る手間もそれほど変わらなくなったのだろう。
 心中はこの頃は特に自殺を意味するものではなかった。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「心中」の意味・読み・例文・類語」に、

 「① ⇒しんちゅう(心中)
  ② まごころを尽くすこと。人に対して義理をたてること。特に、男女のあいだで、相手に対しての信義や愛情を守りとおすこと。真情。誠心誠意。実意。
  ※仮名草子・都風俗鑑(1681)一「われになればこそかくは心中をあらはせ、人には是ほどには有まじと」
  ※浄瑠璃・道成寺現在蛇鱗(1742)二「若い殿御の髪切って、廻国行脚し給ふは、御寄特(きどく)といはうか、心中(シンヂウ)といはうか」
  ③ 相愛の男女が、自分の真情を形にあらわし、証拠として相手に示すこと。また、その愛情の互いに変わらないことを示すあかしとしたもの。起請文(きしょうもん)、髪切り、指切り、爪放し、入れ墨、情死など。遊里にはじまる。心中立て。
  ※俳諧・宗因七百韵(1677)「かぶき若衆にあふ坂の関〈素玄〉 心中に今や引らん腕まくり〈宗祐〉」
  ※浮世草子・好色一代男(1682)四「女郎の、心中(シンヂウ)に、髪を切、爪をはなち、さきへやらせらるるに」
  ④ (━する) 相愛の男女が、合意のうえで一緒に死ぬこと。相対死(あいたいじに)。情死。心中死(しんじゅうじに)。
  ※俳諧・天満千句(1676)一〇「精進ばなれとみすのおもかけ〈西鬼〉 心中なら我をいざなへ極楽へ〈素玄〉」
  ⑤ (━する) (④から) 一般に、男女に限らず複数の者がいっしょに死ぬこと。「親子心中」「一家心中」
  ⑥ (━する) (比喩的に) ある仕事や団体などと、運命をともにすること。
  ※社会百面相(1902)〈内田魯庵〉猟官「這般(こん)なぐらつき内閣と情死(シンヂュウ)して什麼(どう)する了簡だ」
  [語誌]近世以降、特に遊里において③の意で用いられ、原義との区別を清濁で示すようになった。元祿(一六八八‐一七〇四)頃になると、男女の真情の極端な発現としての情死という④の意味に限定されるようになり、近松が世話物浄瑠璃で描いて評判になったこともあって、情死が流行するまでに至った。そのため、この語は使用を禁じられたり、享保(一七一六‐三六)頃には「相対死(あいたいじに)」という別の言い回しの使用が命じられたりした〔北里見聞録‐七〕。」

とある。
 寛文の頃の絵草子だとしたら③の意味で、刃傷沙汰などのスキャンダラスなものではあっても、元禄後期の近松門左衛門のような心中ものではなかったのではないかと思う。
 遊女とのトラブルは最後は絵草子ネタになる。
 点あり。

五十六句目

   絵草子と成はつべきの心中に
 銭一もんのかねことのすゑ

 「かねこと」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「予言・兼言」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘名〙 (「かねこと」とも。かねて言っておく言葉の意) 前もって言うこと。約束の言葉、あるいは未来を予想していう言葉など。かねことば。
  ※後撰(951‐953頃)恋三・七一〇「昔せし我がかね事の悲しきは如何契りしなごりなるらん〈平定文〉」
  ※洒落本・令子洞房(1785)つとめの事「ふたりが床のかねごとを友だちなどに話してよろこぶなど」

とある。
 銭一文で占ってもらったらとんでもないことになったということか。
 点なし。

五十七句目

   銭一もんのかねことのすゑ
 わかれより始末を告る鳥の声

 別れの鳥と言えば後朝に鳴く鶏のことだろう。別れの時の言葉は愛の言葉ではなく、金返せだった。クドカンの「ジョニーに伝えて1000円返して」みたいなギャグか。
 点なし。

五十八句目

   わかれより始末を告る鳥の声
 またあふ坂とおもふ腎水

 始末には節約の意味もある。年取って若い頃のような無茶ができなくなったか。ほどほどにしておこうということか。昔は腎水がなくなると腎虚になると言われていた。
 延宝六年の「さぞな都」の巻五十七句目の、

   首だけの思ひつつしみてよし
 憂中は下焦もかれてよはよはと  桃青

の下焦(げしょう)も腎虚のこと。
 点あり。

五十九句目

   またあふ坂とおもふ腎水
 道鏡や音に聞えし音羽山

 怪僧道鏡は女帝の孝謙天皇に取り入って皇位簒奪を企てた人で、この事件で道鏡が排除されることで万世一系の天皇制が確立されるとともに、その後長いこと女帝が途絶えることにもなった。
 なおその後女帝は寛永の頃に明正天皇が皇位について、一度復活している。幼少期に皇位についたため、退位してからの方が長く、実はこの頃も存命で元禄九年まで生きたという。
 道鏡は女天皇をたらし込んだということで巨根伝説もある。
 音羽山は前句の逢坂との縁で、特に道教と関連があるわけではない。腎水から勢力絶倫だと言われていた道教の噂に転じ、逢坂に掛けて「音に聞こえし音羽山」とする。
 点あり。

六十句目

   道鏡や音に聞えし音羽山
 かたりもつくさじ其果報者

 果報者というのは多分巨根や絶倫伝説の方で、男なら憧れるというものだろう。
 点なし。

六十一句目

   かたりもつくさじ其果報者
 身体も次第にはり上はり上て

 身体はこの場合は身代のこと。「はり上げ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「張上」の意味・読み・例文・類語」に、

 「① いちだんと高く張る。高い所に張る。
  ※改正増補和英語林集成(1886)「ホヲ hariageru(ハリアゲル)」
  ② 声を強く高く出す。大きな声を出す。
  ※浮世草子・世間胸算用(1692)四「投げ節を、息の根つづくほどはりあげて」
  ③ 財産などをふやす。
  ※俳諧・大坂独吟集(1675)下「かたりもつくさじ其果報者 身躰も次第にはり上はり上て〈由平〉」

とある。果報者と言えば女か金かで、ここは財産の方に転じる。
 点なし。

六十二句目

   身体も次第にはり上はり上て
 天竺震旦からかさの下

 まあ、今は「傘下に収める」という言葉があるが、この時代にその言い回しがあったかどうかはわからない。
 ここでは前句の「はり上げ」から連想であろう。
 長点で「ありがたくも此寺の一本からかさか」とある。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「傘\唐傘一本」の意味・読み・例文・類語」に、

 「破戒僧が寺を追放されること。寺を追放される時、からかさを一本だけ持つことを許されたところからいう。出家の一本傘。
  ※俳諧・大坂独吟集(1675)上「お住持の不儀はへちまの皮袋 からかさ一本女郎町の湯屋〈意楽〉」
  ※浮世草子・風流曲三味線(1706)一「若衆ぶりして諸山の浮気坊主の心を蕩(とらかし)〈略〉後傘一本(カラカサいっポン)になる時見ぬ顔せらるる」

とある。蝉丸が蓑笠を貰ったように、雨の多い日本にあって、雨露を凌げるというのが最低限の人間の尊厳だったのだろう。お寺だとそれが唐傘になる。だからこそ、笠がないというのは芭蕉の、

 初時雨猿も小蓑をほしげ也 芭蕉

の句はもとより、近代のJ=popでもしばしば「傘がない」というのは象徴的な言い回しとして用いられる。
 一本の唐傘からスタートして成功した人の物語だろうか。さすがに当時は中国(震旦)インド(天竺)を股に掛けることはなく、あくまで比喩だろうけど。

六十三句目

   天竺震旦からかさの下
 大きにもやはらげ来る飴は飴は

 当時の飴売は唐傘を持ってたようで、「十いひて」の巻八十七句目にも、

   からかさ一本女郎町の湯屋
 飴を売人の心もうつり瘡

の句があった。天保の頃の『近世流行商人狂哥絵図』にも、唐傘を立てた飴売りが描かれている。飴売の伝統なのだろう。
 「大きにもやはらげ来る」は『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注は謡曲『白楽天』の、

 「それ天竺の霊文を唐土の詩賦とし、唐土の詩賦を以つてわが朝の歌とす。されば三国を和らげ 来たるを以つて、大きに和らぐと書いて大和歌とよめり。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.639). Yamatouta e books. Kindle 版. )

を引いている。「大きに和らげ」で大和になる。
 詩はインドにも中国にもあるもので、同様の物が我が国では大和歌(和歌)だということで、詩の普遍を説くものだが、飴もインドや中国にもあって日本のは大和飴ということになるのか。
 長点だがコメントはない。

六十四句目

   大きにもやはらげ来る飴は飴は
 あつかひ口もねぢた月影

 「あつかひ口」は扱い言のことか。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「扱言」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘名〙 仲裁の口をきくこと。仲裁に立つこと。
  ※読本・春雨物語(1808)樊噲「かれら首にしてかへり、主の君にわびん。扱ひ言して法師も命損ずな」

とある。前句の「大きにもやはらげ」を受ける。
 「ねじた」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「捩・捻・拗」の意味・読み・例文・類語」に、

 「① 棒状や糸状など細長いものの両端を持って、互いに逆の方向に回す。また、一端が固定された他の一端をにぎって、無理に回す。ひねる。
  ※仮名草子・可笑記(1642)一「ねぢり殺さうの、なげすてうのとどしめけども」
  ② 回転するようにつくったスイッチや栓などを右または左に回す。また、螺旋のついたものをひねって動かす。ひねる。
  ※明暗(1916)〈夏目漱石〉二八「電燈のスヰッチを捩(ネヂ)った」
  ③ 盛んに苦情や文句をいいたてる。なじり責める。
  ※いさなとり(1891)〈幸田露伴〉五五「反対(あべこべ)に捻(ネヂ)られ、無念にはおもへど」

とあり、③の意味に捻り飴を掛ける。
 「大きにもやはらげ来るあつかひ口もねぢた」と仲裁に来たのに逆になじられるということなのか、それに「飴は飴は」と「月影」がよくわからない。
 点なし。