2022年5月25日水曜日

 選挙が近づくと相変わらず投票率が上がらないなんて、メディアがわあわあ言っているけど、こうした連中は「選挙に行こう」と言いながら、特定勢力に投票するように誘導しているのが見え見えだから、全然信用されてないんだと思う。
 女性候補者が少ないといいながら、こういう連中は保守系の女性政治家を集中攻撃したがる。高市さんがその良い例だ。まあ、女同士で足を引っ張り合ってるってところもあるかな。女性の敵は女性。これは永遠の真理なのかもしれない。
 隣の国があんなことを始めちゃったから、今の日本も平和だなんて言ってられなくなった。今は平和そのものでも、いつウクライナみたいにならないとも限らない。今度の選挙はその意味では水面下で密かに盛り上がってくれるといいと思う。
 大声を上げると、奴らは必ず叩きに来るからね。選挙に関心ないふりをしながら、あとでショックを与えてやろう。
 芭蕉自筆の「野ざらし紀行」図巻の発見というニュースが昨日の昼頃のラジオで流れて、「えっ?」っと思ったが、その後ネットのニュースを読んで、なるほど「半世紀ぶり」というのはそういうことだったのかと納得した。
 この画巻は『甲子吟行画巻』と同じもので、筆者は『芭蕉の書と画』(岡田利兵衛、一九九七、八木書店)と『図説日本の古典14 芭蕉・蕪村』(一九七八、集英社)で知ってて、後者はその画巻全部が掲載されている。解説文は岡田利兵衛さんが書いている。
 『芭蕉の書と画』には、

 「昭和十七年十月の「芭蕉翁生誕三百年記念展覧会」に出品された。爾來終戦後、杳としてゆくえがわからなくなった。ところが昭和四十一年に突如として発見され、本書(「別冊太陽」No.16)に掲載することができたのである。」(p.60~61)

とあるだけだったから、てっきりその後もどこかにあるものだと思っていたが、また行方不明になっていたというのを初めて知った次第だった。
 昭和四十一年は一九六六年。確かにそれから半世紀たっている。ニュースには「1970年代半ばから半世紀近く所在が確認できていなかった」とあるから、再発見されてからまた十年も経たずに行方不明になっていたようだ。
 まあ、この画巻も芭蕉さんの魂が乗り移ったかのように、放浪癖があるのだろう。

 マルクス主義者がマルサスの『人口論』を軽視してきたのは、ひとえに「ブルジョワイデオロギー」だという理由からだった。
 確かに生存権に優先順位を付けると、どこの国でも上流階級を優先させる。だから、人口論は階級の理論だ、ということになった。
 ただ、階級をなくしても人口問題は解決しない。多産多死の国で革命が起きると、中国でも北朝鮮でもカンボジアでも、大規模な粛清が行われた。彼らは生存権の優先順位を経済から思想に切り替えただけだった。
 厳密に言えばこの時の勝者は思想的に優れたわけでも何でもない。密告と讒言のゲームの勝者にすぎなかった。ただ、やられる前にやれというだけの単純なゲームだった。このゲームなら、ただかつての盟友であっても冷酷になれる人間だけが勝つ。情にほだされて躊躇したら負ける。
 かつての共産圏の多くの国が多産多死から脱却する前に、飢餓と粛清によって行き詰っていった。なのに冷戦後の左翼はこのことを反省するどころか、全部アメリカのせいにしてきた。
 この時植え付けられた反米感情が、今のロシアを突き動かしているのは間違いない。そして、他の国のマルクス主義者も、ロシヤや中国の侵略に表向き反戦平和を口にしていても、心の中では頑張れと言っている。
 それだけではない。フロンティアの余剰人口を先進国が受け入れるのが当然のように主張し、先進国の経済を破壊しようとしている。
 この地球のもたらす生産力は有限であり、それを越えて人口が増えれば何らかの形で命の選別を行わざるを得なくなる。その選別が一部の経済的に成功した国に押し付けられてしまうと、二つのどちらかが必要になる。
 一つは経済を犠牲にして他国の余剰人口に富を配分すること。もう一つの道は移民に対して元からいる国民の生存を優先させること。つまり、定員オーバーの船に全員乗っけて共に沈むか、泣く泣くも後から来た人を船から降ろすか、という選択になる。
 多分この問題は時が解決する。フロンティアがそこそこ経済的な発展を遂げれば、必ず少子化が起る。その時まで我慢できれば逃げ切れる。
 ただ、フロンティアの独裁者はそれを歓迎しない。なぜなら、命の選択権、いわば生殺与奪権を握ることで彼らは独裁者でいられるだけだからだ。それを手放したら、独裁者は駆逐され、民主化されることになる。
 中国がなぜ経済を犠牲してまでゼロコロナにこだわるかも、そこに理由があるのではないかと思う。コロナを武器に、中国共産党が国民の生殺与奪権を握っていることを示す必要があるからだ。
 経済が発展し、少子化が定着した国から順次民主化し、独裁を終わらせるというのが一つの理想になる。ロシアと中国はそのタイミングを逃した。それが今の世界の危機の原因となっている。
 独裁は中国の経済の足かせとなり、この国は天安門の亡霊に呪われ続けることになる。ロシアは戦後処理を誤れば巨大な北朝鮮となり、飢餓と粛清の大地に逆行する危険がある。
 問題をややこしくしている原因の一つは、先進国に住む我々がすっかり少産少死の常識に慣れてしまい、多産多死がどういう時代だったか、若い世代には再現することが困難になっているからではないかと思う。
 古い時代を記憶を受け継ぐためにも、文学の果たす役割は大きと思う。古典を現代化するのではなく、古い時代の記憶を今に伝えるという機能を重視しなくてはない。俳諧も源氏物語も「現代的に」改釈するのではなく、当時を再現することに心血を注いでいきたい。こやん源氏(超訳『源氏物語』─とある女房のうわさ話─)は基本的には『湖月抄』に戻れ、という所で訳している。
 言葉は新しく、心は古く、基本です。

2022年5月24日火曜日

 今日の散歩で、カルガモの子を見た。まだムクドリくらいに小さいけど水の上を走り回っていた。今年も子連れのカルガモが見られる季節になった。

 ちょっとまとめてみると、前近代社会というのは基本的に多産多死で、常に人口増加の圧力にさらされ、その土地の生産力に対して定員オーバーになる。
 そのため、生まれてくる子供たちに生き残れる優先順位を明確な「掟」とする傾向が生じる。
 この掟が破られると、生き残りをかけて親子兄弟とはいえ熾烈な生存競争が生じる。
 そのため、この掟はどんな不条理なものであっても神や天の名において絶対化される傾向にある。
 社会の定員が限られているなら、生存権に優先順位を付けなくてはならない。この順位が混乱すれば世の中は乱れ、下克上の乱世の時代になる。これは日本に限らず、前近代社会の共通認識と言って良いだろう。
 (現代社会はこれとは逆に、少産少死であるために人口増加の圧力から解放され、むしろ「少子化問題」という定員割れが問題になる。
 そのため生まれてくる子供たちが皆平等に生きる権利があることを疑う者もいない。すべての社会ルールは万人平等を原則として形成される。
 ただ、近代化の過渡期においては、多産多死のまま万人平等の意識が目覚めたため、人口の爆発を止める手立てがなく、それが地球規模での植民地争奪戦を生み、二度の世界大戦となった。)
 さて、そういう時代の中で『源氏物語』の源氏の君は一体何だったのか。
 皇室は確実に御世継をもうけ、皇統を継続させなくてはならない。
 そのため一夫多妻が容認される。
 そのため、今日の皇室のような皇子の不足で悩むことはなく、逆に悩みの種になるのは皇子の過剰だった。
 そのため、皇位継承権を剥奪し、臣下に降格させるシステムが存在し、それによって臣下に下り「源」の姓を賜る、それが「源氏」だった。皇族に姓はなく、姓を持つ者は臣下だった。
 通常の臣下であれば、たとえ最大勢力の藤原氏であっても、天皇の義父にしかなれない。しかし、臣下であっても入内した女御更衣に密かに子を産ませれば、天皇の実の父になれる可能性が生じる。これこそが皇室の最大のタブーだったと見ていいだろう。
 これはいわば最大のスキャンダルであり、下克上になる。
 多分『源氏物語』が世に出た時に誰もが思い描いたのは、清和天皇の女御の藤原高子に手を出した在原業平だったはずだ。在原業平の恋は悲劇に終わり、その噂は『伊勢物語』に残されることとなった。
 多産多死社会の掟の中心は定員オーバーの中で誰が優先的に生き残るべきかという所にある。このことは同時に、誰が子孫を残す権利を持つかということでもある。その優先順位が乱されれば下克上が起る。
 たかが恋の問題とはいえ、されど恋。本当は生まれてきた子供たちがすべて幸福に生きられるならそれに越したことはないし、誰もが好きになった人と結ばれるならそれにこしたことはない。それを阻む壁はひとえに人口問題にあった。
 自由に恋をしたい。でもそれが生存権の優先順位を混乱させ、親子兄弟の血みどろの争いに発展しかねない。貴族だけでなくあらゆる階層でそういう葛藤があったのではないかと思う。
 さすがに弱小家系の下克上は無理があった。そこで天皇の子でありながら臣下である「源氏」という特別な存在がそれをやったらどうなるのか、そのシミュレーションが、その思考実験が『源氏物語』だったのではないかと思う。
 源氏の場合、元は王家なので、冷泉帝が即位しても桐壺帝ー源氏の君ー冷泉帝と皇族の父系は繋がっている。基本的に皇統を揺るがすことにはならない。ただ、臣下の不倫によって、臣下の分際で天皇の実の父となったということは、明らかにイレギュラーでスキャンダルになる。
 この源氏の微妙な立ち位置が、この物語を面白くしていると言って良いだろう。
 万世一系の天皇制のもとでは、不倫によって天皇の父となる可能性というのが常に大きなテーマとなっていた。
 古くは道鏡事件。そして、この後に起きる西行法師の出家もまた皇族の女との恋が噂されている。今の眞子様と小室家もその延長なのかもしれない。
 多分イギリスの薔薇戦争を廻るシェークスピアの戯曲も、自由な恋愛が国を乱して血みどろの争いに発展するというテーマで読み解けるのではないかと思う。
 逆に『源氏物語』はそうならない、あまりにも平和的に解決される物語なので、それがドナルド=キーンさんを引き付けたのかもしれない。

2022年5月23日月曜日

 日本の今の円安は、日本には安い労働力があるということだから、日本に工場を引き戻し、物作りを復活させるチャンスなのではないかと思う。
 特に半導体の安全保障という点で、半導体の脱中国が求められている。日本の半導体復活のチャンスになる。ドローンやソーラーパネルなども、安全保障という面では脱中国化した方が良い。ついこのあいだマスクでも懲りたではないか。
 コロナが始まった頃、不織布マスクの生産を中国に依存してたから、それが入ってこなくなってマスク不足が生じて、慌ててベトナムやミャンマーでガーゼマスクを作らせて、国で配布することになった。それを忘れたか。
 あのアベノマスクが、医療従事者に優先的に不織布マスクを回すために必要な措置だったということも、今では忘れ去られている。
 災い転じて福となす。ピンチは同時にチャンスでもある。それを利用することは不謹慎なことではない。震災は防災を見直すチャンスだし、戦争は防衛を見直すチャンスになる。恥じることではない。
 昨日の続きだが、結局独裁というのは、いろいろな意見の人がいて煩わしい複雑な人間関係の調整から逃げたい、という欲求から生まれるのかもしれない。だが、それは異なる意見の抹殺にすぎない。人間関係の複雑さは逃れなれないものとして、腹をくくって向き合っていかなくてはならない。それが人間だ。
 逃れたいなら昔から「引き籠る」というのが一つの答えだった。仏教は引き籠りに積極的な名目を与えてきた。引き籠りが恥ずかしいことではなく、世俗を断つことが敬意を持って受け入れられる社会なら、彼らがネット上で独裁者のようにふるまうこともなくなるのではないか。

 それでは「郭公(来)」の巻の続き、挙句まで。

 名残裏、九十三句目。

   弓手に高札め手に落書
 下馬先に御かご童僕みちみちたり 志計

 童僕はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「童僕・僮僕」の解説」に、

 「〘名〙 少年の召使い。男の子のしもべ。
  ※凌雲集(814)伏枕吟〈桑原公宮〉「池台漸毀、僮僕光離」
  ※方丈記(1212)「妻子・童僕の羨めるさまを見るにも」 〔易経‐旅卦〕」

とある。
 宿場の風景で、駕籠が着くと子供たちがそこいらに落書きしたりする。
 そんな沢山の童僕を引き連れた人って、やはりその趣味なのかな。
 九十四句目。

   下馬先に御かご童僕みちみちたり
 遠所の社花の最中        松意

 辺境の田舎の神社では籠が珍しいのか、子供たちが寄って来る。
 九十五句目。

   遠所の社花の最中
 ゆふしでやあらしも白し米桜   正友

 米桜はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「米桜」の解説」に、

 「〘名〙 植物「しじみばな(蜆花)」の異名。
  ※仮名草子・東海道名所記(1659‐61頃)四「花散らばいかにしゃう野の米桜」

とあり、蜆花は「精選版 日本国語大辞典「蜆花」の解説」に、

 「〘名〙 バラ科の落葉低木。中国原産で、観賞用に栽植され、生垣などにする。高さ一~二メートル。枝は叢(そう)生し若枝には綿毛状の毛がある。葉は長さ三センチメートルぐらいの楕円形で縁に細かい鋸歯(きょし)がある。春、葉に先だって多数の八重咲きの白色花が小球状に密生して咲く。八重咲きの白花を蜆貝の内臓に見たててこの名がある。漢名、笑靨花。〔和漢三才図会(1712)〕」

とある。ユキヤナギに似ているが八重咲。神社に咲いていると木綿四手が下がっているようでもある。風に散ると嵐も白い。
 九十六句目。

   ゆふしでやあらしも白し米桜
 雀は巣をぞかけ奉る       雪柴

 木綿四手の垂れている神聖な場所だから、雀も巣をかける時は心しなくてはいけない。
 九十七句目。

   雀は巣をぞかけ奉る
 やぶれては紙くずとなる歌枕   一鉄

 歌枕で「やぶれる」というと、

 人住まぬ不破の関屋の板廂
     荒れにし後はただ秋の風
              藤原良経(新古今集)

だろう。不破(やぶれず)と書く不破の関も破れて荒れ果てている。廂(ひさし)の「抜け」と見ていいだろう。雀が破れた庇に巣を掛ける。
 不破というの後に芭蕉が『野ざらし紀行』の旅で訪れた時、

 秋風や薮も畠も不破の関     芭蕉

の句を詠んでいる。
 九十八句目。

   やぶれては紙くずとなる歌枕
 ねり土にさへ伝授ありとや    松臼

 ねり土はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「練土・煉土」の解説」に、

 「〘名〙 粘土に石灰、小砂などを混ぜ合わせたもの。建物の外壁などに用いる。
  ※俳諧・談林十百韻(1675)上「やぶれては紙くずとなる歌枕〈一鉄〉 ねり土にさへ伝受ありとや〈松臼〉」

とある。『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注に「紙屑などを混ぜて練り合わせる」とあるように、和歌を書き付けた紙も反故になれば紙屑でねり土にされてゆく。
 歌枕に古今伝授などがあるように、それが反故になっても何かの伝授があるのか、とする。
 九十九句目。

   ねり土にさへ伝授ありとや
 見ひらくやさとりの眼大仏    卜尺

 「眼大仏」はここでは「まなこ、おおぼとけ」と読む。
 悟りを開いた大仏様は目を開いて、練土までも伝授するって、まさかね。
 挙句。

   見ひらくやさとりの眼大仏
 三千世界芝の海づら       一朝

 三千世界はコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「三千世界」の解説」に、

 「仏教の世界観による全宇宙のこと。三千大千世界の略。われわれの住む所は須弥山(しゅみせん)を中心とし、その周りに四大州があり、さらにその周りに九山八海があるとされ、これを一つの小世界という。小世界は、下は風輪から、上は色(しき)界の初禅天(しょぜんてん)(六欲天の上にある四禅天のひとつ)まで、左右の大きさは鉄囲山(てっちせん)の囲む範囲である。この一小世界を1000集めたのが一つの小千世界であり、この小千世界を1000集めたのが一つの中千世界であり、この中千世界を1000集めたのが一つの大千世界である。その広さ、生成、破壊はすべて第四禅天に同じである。この大千世界は、小・中・大の3種の千世界からできているので三千世界とよばれるのである。先の説明でわかるように、3000の世界の意ではなく、1000の3乗(1000×1000×1000)、すなわち10億の世界を意味する。[高橋 壯]
 『定方晟著『須弥山と極楽』(1973・講談社)』」

とある。日常的には、普通に広いこの世界くらいの意味で用いられる。
 芝というと芝の増上寺が思い浮かぶが、増上寺に大仏はない。
 ただ、延宝元年に鋳造された高さ3.3メートルの大きな梵鐘があることから、当時話題になっていて、これを大仏(おおぼとけ)に見立てたのかもしれない。
 大仏様の目は芝の東京湾を見渡し、釈教をもってして一巻は目出度く終わる。

2022年5月22日日曜日

 どういう人が独裁支持者になりやすいかというと、思うに「交渉力」というステータスがあるのではないかと思う。これはコミュニケーション力ともまた違う。単に他者と共感しあう能力ではなく、自分の欲しいものと相手の欲しいものを理解したうえで取引を行う能力で、この能力が低い人は日常的な問題に対して理論や規則を振り回した杓子定規な解決をしようとする。
 取引ではなく自動的な命令で解決したがることが、最終的に独裁体制に導くことになる。
 別に自分が独裁者になろうと思わなくても、誰か他の力で自動的に問題が解決されることを望んでいれば、必然的に一人の人間の一つの理論に支配されてゆくことになる。
 独裁政治を防ぐには、こうしたコミュ障ならぬ、交渉障をこじらせないようにする社会をつくらなくてはならない。基本的には論理や法律の限界を叩き込み、生きていくために自分の欲望と他人の欲望を秤にかけて、駆け引きをすることの大切さを教えていかなくてはならない。これは今の日本の教育に欠けている。
 まず、人の言葉を額面どうりに受け止めるのではなく、その裏の意味を探らせる。これは文学の役割だ。日本では昔から「行間から汲み取れ」と教えてきた。
 次に欲望の多様性を教える。求めるものは人によって違うということを理解すれば、自分の欲望と他人の欲望が競合しない所で、妥協の余地があることを知ることができる。欲望は万人共通ではない。これは大事なことだ。
 コミュニケーション力はこれとは逆に、自分の欲望を以てして他人の欲望を推測する所に成り立つので、交渉力とコミュニケーション力は同じでない。コミュ障でも交渉の得意な人はいくらでもいる。セールスで天才的な業績を上げるのは、むしろこのタイプだろう。
 交渉力は黄金律に反する。自分のしてもらいたいことを他人に施すのではなく、自分はしてもらいたくなくても他人はしてもらいたい、それを見つけ出す能力だ。思うにナンパ師はこの能力が高い。男と女は違うんで、自分がしてもらいたいことではなく女がしてもらいたいことを正確に見抜けるものがせいこうする。
 次に、同じ理論、同じ法律でも多様な解釈があるということを教える。人それぞれ脳の回路が異なり、処理の仕方も違う。同じ理論でも同じ法律でも、脳の処理の仕方が異なればまったく違うものになる。基本的に「言葉」も同じだ。同じ言葉を使っていても、人によって意味は違う。
 このことが理解できているなら、無用な批判や口論を避けることができる。人の批判ばかりしている人は、おそらく他人も自分と同じ言葉を語っていると錯覚して、自分が間違っていると思うことは万人が間違っていると思うと錯覚している。
 最後に行きつくのは、要するに人の言葉に絶対はない、ということだ。神の言葉なら絶対はあるかもしれないが、神の言葉も人を介したものは絶対ではない。人は皆それぞれ違うから、全部違った言葉になる。
 つまり、誰の言葉も平等に価値がある。これが本来の基本的人権の基礎とならなくてはならない。民主主義の基礎もまたそこにある。これを誰か一人の言葉に合わせろと言うと、必ず独裁になる。

 それでは「郭公(来)」の巻の続き。

 名残表、七十九句目。

   罪業ふかき野辺のうぐひす
 雪汁のながれの女と成にけり    一鉄

 雪汁は雪解け水のことで、「ながれの女」はあちこち転々とする遊女であろう。前世の罪業でこういう境遇になったということか。
 雪解けの鶯は、

 今日やさは雪うちとけて鶯の
     都へいづる初音なるらん
               藤原顕輔(金葉集)
 春たてば雪のした水うちとけて
     谷のうぐひすいまそ鳴くなる
               藤原顕綱(千載集)

などの歌がある。
 八十句目。

   雪汁のながれの女と成にけり
 袖に筏のさはぐそらなき      松臼

 「袖に湊の騒ぐ」であれば、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「袖に湊の騒ぐ」の解説」に、

 「港が打ち寄せる波で騒ぐように、激情のあまりに泣く声とともに袖に涙がふりかかる。
  ※伊勢物語(10C前)二六「思ほえず袖にみなとのさはぐ哉もろこし舟の寄りしばかりに」

とある。
 物が「流れの女」だけに、港ではなく筏が騒ぐ。「そらなき」は嘘泣きの意味もあるが、ここでは泣いてる余裕すらないという意味か。

 ゆく末のたのめし人の言の葉に
     消えむそらなき露の夕暮れ
               藻壁門院但馬(洞院摂政家百首)
 夕暮れの雲の景色も愛発山
     越えむそらなき峰の白雪
               肖柏(春夢草)

の用例もある。
 八十一句目。

   袖に筏のさはぐそらなき
 毒かひやむなしき跡の事とはん   卜尺

 「毒飼(どくがひ)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「毒飼」の解説」に、

 「〘名〙 毒を飲ませること。転じて、身を破滅させること。〔運歩色葉(1548)〕
  ※信長公記(1598)首「次郎殿を聟に取り、宥め申し、毒飼(ドクカイ)を仕り殺し奉り」

とある。
 毒殺となれば犯人は誰だということになる。嘘泣きしてるやつが怪しい。
 八十二句目。

   毒かひやむなしき跡の事とはん
 うはのが原にあはれ里人      一朝

 前句の「毒かひ」の「かひ」に掛けて甲州街道の上野原宿で事件が起きたとして、そこの里人が弔う。
 八十三句目。

   うはのが原にあはれ里人
 これやこの鷹場の役に幾十度    松意

 上野原に鷹場があったかどうかはわからないが、ここは「うわのが原」で、架空の地名として、そこの里人はたびたび鷹狩に駆り出されている。
 「これやこの」は歌枕に対して、これがあの有名な、というような意味で用いられることが多い。

 これやこのゆくも帰るも別れつつ
     しるもしらぬもあふさかの関
               蝉丸(後撰集)
 これやこの月見るたびに思ひやる
     姨捨山のふもとなりけり
               橘為伸(後拾遺集)

などの歌がある。
 八十四句目。

   これやこの鷹場の役に幾十度
 黒羽織きてたななし小舟      在色

 「たななし小舟」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「棚無小船」の解説」に、

 「〘名〙 棚板すなわち舷側板を設けない小船。上代から中世では丸木舟を主体に棚板をつけた船と、それのない純粋の丸木舟とがあり、小船には後者が多いために呼ばれたもの。ただし近世では、一枚棚(いちまいだな)すなわち三枚板造りの典型的な和船の小船をいう。棚無船。
  ※万葉(8C後)一・五八「いづくにか舟泊(ふなはて)すらむ安礼(あれ)の崎こぎたみ行きし棚無小舟(たななしをぶね)」

とある。
 将軍や大名の鷹狩りにお供する人は、黒羽織を着て小さな船に乗っているのが何とも不釣り合いだ。
 たななし小舟は歌語で、

 ほり江こぐたななしを舟こぎかへり
     おなし人にやこひわたりなむ
               よみ人しらず(古今集)
 あまの漕ぐたななしを舟あともなく
     思ひし人をうらみつるかな
               凡河内躬恒(続後撰集)

などの歌がある。
 八十五句目。

   黒羽織きてたななし小舟
 津国の難波堀江のはやり医者    雪柴

 前述の『古今集』よみ人しらずの歌の縁で、津の国の難波堀江が付く。古代は葦の中を海士が漕ぐ舟だったが、今は町中で医者が移動に用いる。

 津の国の難波堀江に漕ぐ舟の
     みぎはも見えずまさる我が恋
               伊勢(伊勢集)

の歌もある。
 八十六句目。

   津国の難波堀江のはやり医者
 玄関がまへみゆるあしぶき     志計

 難波堀江の医者だから、玄関を葦葺きにしている。
 八十七句目。

   玄関がまへみゆるあしぶき
 さび鎗や門田を守る気色なり    松臼

 葦葺きだと、

 夕されば門田の稲葉おとづれて
     蘆のまろやに秋風ぞ吹く
               源経信(金葉集)

の歌の「蘆のまろや」を連想し、鎗を持った門番も門田を守っているみたいだ。
 八十八句目。

   さび鎗や門田を守る気色なり
 一犬ほゆる佐野の夕月       正友

 門田の錆び鎗を案山子か何かに取り成したのだろうか。うらぶれた田舎に犬が吠える。
 佐野の月は、

 忘れずよ松の葉ごしに波かけて
     夜ふかく出でし佐野の月影
               後鳥羽院(夫木抄)
 月に行く佐野の渡りの秋の夜は
     宿ありとてもとまりやはせむ
               津守国助(新後撰集)

などの歌がある。
 八十九句目。

   一犬ほゆる佐野の夕月
 こもかぶり露打はらふかげもなし  一朝

 佐野の夕暮れといえば、

 駒とめて袖打ち払ふ陰もなし
     佐野のわたりの雪の夕暮れ
               藤原定家(新古今集)

ということで、月に露が付け合いということで、「露打ち払う陰もなし」とする。「こもかぶり」は乞食のこと。

 薦を着て誰人います花の春     芭蕉

は元禄三年の歳旦の句。
 九十句目。

   こもかぶり露打はらふかげもなし
 疵に色なる草まくらして      一鉄

 斬られたのか疵から出た血で草を染めて横たわっている。「打はらふかげもなし」は抵抗するすべもなく斬られたという意味に取り成す。
 「色なる」は和歌では風流で色のあるという意味で用いられる。

 池寒き蓮の浮葉に露はゐぬ
     野辺に色なる玉や敷くらむ
               式子内親王(正治初度百首)
 暮れはつる籬の花は見えわかで
     露の色なる草の上かな
               日野俊光(嘉元百首)

などの歌がある。
 九十一句目。

   疵に色なる草まくらして
 追剝や此辻堂のにし東       在色

 辻堂は街道ぞいなどの旅人が休むためのお堂で、元禄九年の桃隣の陸奥の旅を記した「舞都遲登理」に、「此道筋難所と云、萬不自由、馬不借、宿不借、立寄べき辻堂もなし。一夜は洞に寐て」とある。元禄二年九月の「一泊り」の巻三十二句目にも、

   谷越しに新酒のめと呼る也
 はや辻堂のかろき棟上げ      路通

の句がある。
 辻堂にある付近には旅人を狙った追剥もいたのだろう。あまり金を持ってなさそうだが。血の草枕になる。
 九十二句目。

   追剝や此辻堂のにし東
 弓手に高札め手に落書       卜尺

 この辻堂の辺りに追剥が出ると、右の高札にも左の落書きにも書いてある。高札は宿場などにある公の掲示で、落書きも旅人同士で注意を喚起する掲示板の役割があったのだろう。

2022年5月21日土曜日

 さんざんコロナで騒いだあとで、それが収束ムードになってくると、やれ変異株だのなんだの言いだしたものの、それがいま一つインパクトに欠けていたが、ここにきてサル痘はパンデミックを長引かせたい人にとっては救世主になるのかな。
 サル痘は日本では四類感染症で、コロナが二類、インフルが五類だから微妙な所だ。ただ、日本では長いこと患者が発生してなかったので、対症療法に有効な薬とかが流通していないという事情はあるようだ。
 接触感染なので、感染力はそれほど憂慮するほどのものではない。今まで通り消毒や手洗いをちゃんとやっておけば防げそうだ。少なくとも空気感染するような改造が施されてない限り。このタイミングだとあの国を疑いたくもなるけどね。
 リス属やげっ歯類が媒介するようで、今まではペットで輸入されたものからの感染が多かったようだが。
 とにかくアフリカに昔からあるウイルスなので、改造されてなければそれほど心配する必要はない。
 症状は天然痘に似ているから、昔で言う「いも」だね。


 「超訳『源氏物語』─とある女房のうわさ話─尼」の方もKindle ダイレクト・パブリッシングの方にアップしたのでよろしく。コストがゼロだから物量で勝負するという手もあるなと思った。源氏物語がまた絵合で止まってしまってたが、続きを急ぎたい。

 それでは「郭公(来)」の巻の続き。

 三裏、六十五句目。

   長き夜食のにはとりぞなく
 下冷や衣かたしく骨うづき    松意

 「衣かたしく」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「衣片敷く」の解説」に、

 「着物の片そでを下に敷く。ひとり寝をすることをいう。
  ※万葉(8C後)九・一六九二「吾が恋ふる妹は逢はさず玉の浦に衣片敷(ころもかたしき)独りかも寝む」

とある。寒い時に衣を敷いただけの湯かで寝れば、体のあちこちが痛くなるのもわかる。
 「衣かたしき」というと、

 きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに
     衣かたしき一人かもねむ
              藤原良経(新古今集)

の歌が百人一首でもよく知られているが、他にも、

 白妙の衣かたしき女郎花
     咲ける野辺にぞ今宵寝にける
              紀貫之(後撰集)
 さゆる夜に衣かたしき思ひやる
     冬こそまされ人のつらさは
              藤原清輔(久安百首)

などの歌がある。
 六十六句目。

   下冷や衣かたしく骨うづき
 打たをされし道芝の露      在色

 野宿の衣かたしきで、寝返りを打っているうちに、付近の道芝がなぎ倒され、その露に濡れる。
 六十七句目。

   打たをされし道芝の露
 追からし昨日はむかし馬捨場   松臼

 家畜は死ぬと穢多の人たちがやって来て即座に解体し、使える部位を持ち去った後、専門の馬捨場に処分される。それが死ぬまで働かされた馬の末路だった。
 六十八句目。

   追からし昨日はむかし馬捨場
 志賀のみやこにたかる青蠅    志計

 志賀の都というと、

 さざなみや志賀の都は荒れにしを
     昔ながらの山桜かな
              よみ人しらず(千載集)

の歌が有名で、『平家物語』では平忠度の歌とされている。ここでは「荒れにしを」を導き出すだけの言葉で、使い捨てられた馬は荒れ果てて、蠅がたかる。
 青蠅はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「青蠅」の解説」に、

 「① クロバエ科のハエのうちで、からだが青黒く、腹に光沢のある大形のものの総称。あおばい。くろばえ。くろるりばえ。《季・夏》
  ※宇津保(970‐999頃)国譲下「恋ひ悲しび、待ち居て、あをばへのあらんやうに立ち去りもせでおはすれば」

とある。
 六十九句目。

   志賀のみやこにたかる青蠅
 から橋の松がね枕昼ね坊     雪柴

 志賀と言えば瀬田の唐橋で、東海道と中山道が分かれる前の交通量の多い所。そんなところで松の根を枕に昼寝している坊さんって‥‥。まあ、乞食坊主であまり衛生的とは言えない。蠅が寄ってくる。

 松が根の枕もなにかあだならむ
     玉のゆかとて常のとこかは
             崇徳院(千載集)

の歌は蝉丸の、

 世の中はとてもかくても同じこと
     宮も藁屋もはてしなければ
             蝉丸(新古今集)

の心にも通じる。
 七十句目。

   から橋の松がね枕昼ね坊
 朽たる木をもえる丸太船    正友

 丸太船はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「丸太舟」の解説」に、

 「① 中世末期以降、主として琵琶湖で用いられた丸子船。丸船。
  ※俳諧・紅梅千句(1655)六「湖の浪を枕に聞あきて〈貞徳〉 丸太舟にし明し暮しつ〈季吟〉」
  ② =まるた(丸太)②
  ※浄瑠璃・五十年忌歌念仏(1707)下「いや御僧とは空目かや、我もこがるる丸太舟浮世渡る一節を」

とある。丸木舟ではなく立派な和船で、丸太を二つわりにしたおも木が船腹に憑りつけてあるのが大きな特徴だった。
 接岸するときのショック止めだったとすれば、朽ちた松の木を用いることもあったのだろう。
 七十一句目。

   朽たる木をもえる丸太船
 石台や水緑にしてあきらか也  一朝

 石台(せきだい)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「石台」の解説」に、

 「① 長方形の浅い木箱の四すみに把手(とって)をつけた植木鉢。箱庭を作ったり、盆栽を植えたりするのに用いた。
   ※俳諧・談林十百韻(1675)上「朽たる木をもえる丸太舟〈正友〉 石台や水縁にしてあきらか也〈一朝〉」
   ② 石の台座。銅像などの台石。
   ※俳諧・芭蕉庵小文庫(1696)伊賀新大仏之記「涙もおちて談(ことば)もなく、むなしき石台にぬかづきて」
   ③ 石のうてな。石の台。〔王建‐逍遙翁渓亭詩〕」

とある。箱庭に水は緑で表され、朽ちた木で船を作る。
 七十二句目。

   石台や水緑にしてあきらか也
 二十五間の物ほしの月     一鉄

 一間は畳の盾の長さで、約1.8メートル。二十五間は約四十五メートル。途方もなく長い物干しざおがあったものだ。
 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注に、

   帰雁     銭起
 瀟湘何事等閑回 水碧沙明両岸苔
 二十五絃弾夜月 不勝清怨却飛来

 何でこの瀟湘の地を見捨てて帰る。
 水は碧く砂は白く両岸は苔が生える。
 二十五絃の箏を月夜に弾けば、
 却って飛んで来るさ、侘しさにあらがえず。

の詩が引用されている。二十五絃は宗因独吟の「花で候」の巻九十一句目にも、

   おとどいながらちぎられにけり
 二十五絃半分わけの形見にて   宗因

の句があり、中国には古くから二十五弦の瑟(しつ)があり、四書五経にもその記述がある。『史記』は「太帝使素女鼓五十絃瑟、悲、帝禁不止、故破其瑟爲二十五絃。」という伝説を記し、その起源を伏羲にまで遡らせている。
 ちなみに五十絃の瑟は、

   謝公定和二範鞦懷五首邀予同作 黄庭堅
 四會有黄令 學古著勳多
 白頭對紅葉 奈此摇落何
 雖懷斲鼻巧 有斧且無柯
 安得五十絃 奏此寒士歌

 四会県には黄という令がいて、古典を学んですぐれた著作も多い。
 白髪頭で紅葉に向かっても、これを揺り落すことはできない。
 鼻を削ぐような技術があっても、ここにある斧は取っ手がない。
 どうして五十絃の瑟を得ることができよう、貧しい寒士の歌を奏でるのに。

の詩に登場する。
 二十五絃から二十五間の物干しざおとするが、それにしても長い。
 七十三句目。

   二十五間の物ほしの月
 秋の空西にむかへば角屋敷    在色

 角屋敷はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「角屋敷」の解説」に、

 「〘名〙 江戸古町の四つ角にあった屋敷、また、その所有者。所有者は、名主と同じく年の初めと大礼節に将軍に賜謁(しえつ)することができたため、御目見屋敷ともいう。天保(一八三〇‐四四)頃には四一軒あったといわれる。角屋。角屋の者。
  ※俳諧・談林十百韻(1675)上「二十五間の物ほしの月〈一鉄〉 秋の空面にむかへば角屋敷〈在色〉」

とある。この場合は角屋敷までの道筋に二十五間くらい物干しざおを出している家が並んでいる、という意味になる。
 七十四句目。

   秋の空西にむかへば角屋敷
 両替見世のすゑの雲霧      卜尺

 角屋敷の方に来たのは両替のためだった。最後の金銀を銭にくずして、それを使い切った後のことは末の雲霧となる。
 末の雲霧は

 雲霧に分け入る谷は末くれて
     夕日残れる峰のかけはし
              嵯峨院(風雅集)

の歌がある。
 七十五句目。

   両替見世のすゑの雲霧
 袋もと峰立ならす鹿の皮     志計

 両替する前の金銀は、鹿の皮の袋に大切にしまっていた。
 峰立ならす鹿は、

 行く人を留め兼てぞ瓜生山
     峰たちならし鹿も鳴くらむ
              藤原伊尹(新勅撰集)

の歌がある。出て行く金銀も留められなかった。
 七十六句目。

   袋もと峰立ならす鹿の皮
 山の奥より風の三郎       松意

 「風の三郎」は風神のことで、宮沢賢治の『風の又三郎』もそこから来ているという。山の奥から風が吹いてきて鹿の皮の袋を鳴らす。何の袋かよくわからないが。
 延宝五年の「あら何共なや」の巻八十八句目にも、

   米袋口をむすんで肩にかけ
 木賃の夕部風の三郎        桃青

の句がある。
 七十七句目。

   山の奥より風の三郎
 神鳴の太鼓の音に花散て      正友

 風神と来れば雷神で、あたかも風神雷神図だ。風が吹いて雷が鳴れば花も散る。
 七十八句目。

   神鳴の太鼓の音に花散て
 罪業ふかき野辺のうぐひす     雪柴

 鶯は花を散らすという。

 鶯の鳴き散らすらむ春の花
     いつしか君と手折りかざさむ
               大伴家持(新続古今集)
 袖たれていざ我が園に鶯の
     木伝ひ散らす梅の花見む
               よみ人しらず(拾遺集)

などの歌がある。その上雷まで呼ぶとは、罪業深い鶯がいたか。

2022年5月20日金曜日

 『源氏物語』の女房語りが、女房達がうわさ話に花咲かすような乗りで、物語が女房によって語られた物であれば、物語の本来の役割というのは「誰も傷つかないうわさ咄」だったのかもしれない。
 実在の人間の噂は、根も葉もないことを言い立てられてはスキャンダルにされ、批判や誹謗中傷の嵐になりかねない。そうやって恋に名が朽ちていった人がどれほどいたか。
 あくまで架空の物語であれば、誰も傷つかずに済む。うわさ話を楽しむなら、実在の人間ではなく、架空の人間の噂話をすればいい。それが人類の偉大なる進歩だったのかもしれない。
 俳諧も基本的には「うわさ」であり、江戸時代の俳論の中ではしばしば「噂」という言葉が用いられている。そしてその俳諧が「虚」であるなら、俳諧もまた架空の人物の噂話であり、誰も傷つくことのないうわさ話を楽しもうというものだったのではないかと思う。
 もっと拡大して考えるなら、哲学ですら帰納法は未来の真実を保証せず、演繹法も無矛盾な体系は不可能、ただ自由の中にのみ真理があるというなら、哲学もまた何ら確実なものではなく、真理に関するうわさ話にすぎない。
 歴史も実際に過去に行って検証することができないんだからあくまで仮説にすぎず、少ない手掛かりに無数の仮説が乱立する「諸説あり」の状態だから、歴史もまた過去の人間のうわさ話の域を出るものでもない。
 まして日々駆け巡る世界のニュースも、様々な政治的立場から任意に切り取られ、印象操作されたり、偽のニュースを捏造したりして何が本当かわからない。これもまた「うわさ話」にすぎないのではないか。
 とにかく確実なものは何もない。すべては噂にすぎない。ならばそんなものを真に受けて、腹を立てて生きるなんて、何てつまらないことか。
 噂を信じちゃいけないよ。信じる者は馬鹿を見る。適当にふんふんと頷きながら生きるくらいでちょうどいい。

 それでは「郭公(来)」の巻の続き。

 三表、五十一句目。

   目利はいかが見る庭の梅
 出替りや大宮人の御座直し    雪柴

 御座直しはコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「御座直」の解説」に、

 「① 謁見のとき、主君が座を直して、その人に敬意を表すること。
  ※随筆・松屋筆記(1818‐45頃)九三「御座(ゴザ)直しの侍、御目見えの時、君の御座を直し給ふは臣下の面目也」
  ② (寝所を用意する女の意) 妾(めかけ)、かこいものなどをいう。御座敷女。筵敷(むしろしき)。
  ※俳諧・談林十百韻(1675)「出替りや大宮人の御座直し〈雪柴〉 けはひけすりてけふもくらしつ〈正友〉」

とある。②の用例になっているが、「大宮人の」と付くから「おましどころ」の意味の御座を他の人と交代するということかもしれない。
 大宮人であれば、贅を尽くした調度を用いているから、次に交代でその局(つぼね)を使う人が残して行った調度の値踏みをしたついでに庭の梅を見たのかもしれない。
 五十二句目。

   出替りや大宮人の御座直し
 けはひけずりてけふもくらしつ  正友

 ここで②の意味の御座直しで、大宮人の妾がその後ろ盾を失い、荒れた蓬生の宿で化粧する金も削って暮らす、とする。
 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注は、

 ももしきの大宮人はいとまあれや
     さくらかざしてけふもくらしつ
              山部赤人(新古今集)

の歌を引いている。「大宮人」「けふもくらしつ」の位置が一致しているので、パロディーとも取れる。
 五十三句目。

   けはひけずりてけふもくらしつ
 俤やきり狂言におしむらん    一朝

 きり狂言はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「切狂言」の解説」に、

 「① 歌舞伎の一日の上演狂言のうち、最終に演じる狂言。元祿期の上方から起こり、本狂言にそえた短時間のもの。のちに江戸では二番目狂言の終わりにつけた所作事をいう。切(きり)。大切(おおぎり)。
  ※評判記・役者評判蚰蜒(1674)ゑびすや座惣論「初太か小指のきり狂言にとうがらしの赤へたもなく山さるののふなしもまれにして」
  ② 物事の終わり。おしまい。
  ※譬喩尽(1786)六「切狂言(キリキャウゲン)じゃ 浄瑠璃より出たる語にして物の終に用る詞」

とある。
 歌舞伎役者とは言っても、この頃はまだ野郎歌舞伎の創成期で、市川なんちゃらのような千両役者の登場はまだ先のことだったのだろう。舞台の華やかさとは裏腹に、舞台を降りると侘しい生活をしている。
 五十四句目。

   俤やきり狂言におしむらん
 半畳敷ても命さまなら      一鉄

 半畳は『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注に、

 「劇場の切落し(大入場)の土間などで、観客に貸す一尺五寸四方の畳・茣蓙。新小夜嵐物語に「半畳の銭五文」とある。」

とある。
 命様はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「命様」の解説」に、

 「〘名〙 男の心を奪うような美女への呼びかけ。また、その女。男色の相手をいう場合もある。命とり。
  ※俳諧・談林十百韻(1675)上「俤やきり狂言におしむらん〈一朝〉 半畳敷ても命さまなら〈一鉄〉」

とある。
 若衆歌舞伎の時代は衆道の売春もやっていたが、この時代だと普通に「押し」のことではないか。前句の「おしむ」を入場料を惜しんでの、半畳敷の安い席で応援とする。
 五十五句目。

   半畳敷ても命さまなら
 護摩の壇思ひの烟よこをれて   在色

 護摩はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「護摩」の解説」に、

 「〘名〙 (homa 焚焼、火祭の意) 仏語。真言密教の修法の一つ。不動明王または愛染明王の前に護摩壇を設け、護摩木を焚(た)いて、息災、増益(ぞうやく)、降伏(ごうぶく)などを祈るもの。しかし護摩には内外の二種があって、実際に護摩壇を設けて行なう修法を外護摩といい、内心に智火をもやして煩悩(ぼんのう)を焼除するのを内護摩という。
 ※続日本後紀‐嘉祥三年(850)二月丙子「又於二豊楽院一、令下真言宗修中護摩法上」
  ※十善法語(1775)九「火天の法、護摩あり、事火婆羅門は殊に敬重す」
  [語誌](1)元来、バラモン教で火神アグニを供養するために、供物を焚焼する儀礼があり、これが密教にとり入れられたもの。
  (2)密教の護摩は人間の煩悩を智慧の火で焼尽する修法である。祈願を書いた板や紙を護摩札といい、護符として用いられた。また護摩木の燃え残りや灰を服用したり、お守りとすることがあり、高野山奥院の護摩の灰は有名であった。」

とある。
 半畳敷きの祭壇で護摩を焚いて、その煙が命様の元に届くことを願う恋心とする。 間違って護摩の匂いの染み付いた生き霊を飛ばしちゃったりして。
 五十六句目。

   護摩の壇思ひの烟よこをれて
 ししつと笑ひさる狐つき     卜尺

 護摩を焚くのを狐憑きを治すためとする。「ししっ」と不気味な笑いを残して狐は去って行く。
 五十七句目。

   ししつと笑ひさる狐つき
 鮗や舟ばたをたたいて取上たり  志計

 鮗はコノシロ。焼くと人の死体を焼く時に似た独特な匂いと言うので、そこから子の代りに焼きいたからコノシロという伝説が生じた。ウィキペディアに、

 「むかし下野国の長者に美しい一人娘がいた。常陸国の国司がこれを見初めて結婚を申し出た。しかし娘には恋人がいた。そこで娘思いの親は、「娘は病死した」と国司に偽り、代わりに魚を棺に入れ、使者の前で火葬してみせた。その時棺に入れたのが、焼くと人体が焦げるような匂いがするといわれたツナシで、使者たちは娘が本当に死んだと納得し国へ帰り去った。それから後、子どもの身代わりとなったツナシはコノシロ(子の代)と呼ばれるようになった。」

とある。芭蕉も『奥の細道』の室の八島のところで、

 「将(はた)このしろといふ魚を禁ず。縁起の旨(むね)世に伝ふ事も侍りし。」

と記している。
 この句の場合は「取上げたり」とあるから、船に上がったコノシロを、狐憑きの女がししっと笑って、自分の子供が生まれたみたいにコノシロを取り上げたということか。今でいう糖質か。
 五十八句目。

   鮗や舟ばたをたたいて取上たり
 源平たがひにたうがらし味噌   松意

 「源平たがひに」は『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注に「平家物語に材を得た謡曲の常套句」とあるが、野上豊一郎の『解註謡曲全集』を検索した限りでは、謡曲『八島』の、

 「もとの渚はここなれや。源平互ひに矢先を揃へ、船を組み駒を並べて、うち入れうち入れ足なみに、鑣を浸して攻め戦ふ。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.15529-15533). Yamatouta e books. Kindle 版. )

と謡曲『景清』の、

 「さもうしや方方よ、源平互ひに見る目も恥かし。一人を留めんことは案のうち物、小脇にかいこんで、何某は平家の侍悪七兵衛景清と、名乗りかけ名乗りかけ手どりにせんとて追うて行く。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.60590-60597). Yamatouta e books. Kindle 版. )

の二例がヒットした。
 唐辛子味噌はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「唐辛子味噌」の解説」に、

 「〘名〙 味噌に、唐辛子を混ぜて、味醂(みりん)で伸ばし、とろ火でねり上げたもの。田楽や風呂吹大根などにつける。
  ※俳諧・談林十百韻(1675)上「や舟ばたをたたいて取上たり〈志計〉 源平たがひにたうからし味噌〈松意〉」

とある。前句の「取上たり」を奪ったという意味に取り成して、コノシロを失った源平双方とも唐辛子味噌の田楽で我慢した、ということか。
 五十九句目。

   源平たがひにたうがらし味噌
 さもしやなかたがたは皆やつこ風 正友

 「さもしやなかたがた」は前述の謡曲『景清』の「さもうしや方方よ、源平互ひに見る目も恥かし。」で、やっこ姿だから見る目も恥ずかしく、いかにも貧しそうに田楽を食っている。貧乏な野郎歌舞伎役者であろう。
 六十句目。

   さもしやなかたがたは皆やつこ風
 金にはめでじ恋はいきごみ    松臼

 貧しい奴の恋は金に物を言わすのではなく、脅迫まがいの意気込みで落とそうとする。
 六十一句目。

   金にはめでじ恋はいきごみ
 労瘵の声にひかれて樽をいだき  一鉄

 労瘵(らうさい)は弄斎節であろう。コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「弄斎節」の解説」に、

 「江戸時代初期の流行歌謡。癆瘵、朗細、籠済などとも記す。隆達節に続いて寛永(かんえい)(1624~44)ごろに京都で流行し、その後江戸でも流行して「江戸弄斎」とよばれた。語源については、癆瘵(ろうさい)という病気にかかった人のように曲調が陰気であったため(嬉遊笑覧(きゆうしょうらん))とか、朗らかな声で節細かく歌うため(異本洞房(どうぼう)語園)とか、籠済(ろうさい)という浮かれ坊主が始めたため(昔々物語)など諸説があるが、いずれもさだかではない。元禄(げんろく)期(1688~1704)にはまったく廃れているので、曲節は現存しないが、詞章は江戸時代の歌本類のなかに相当数散見できる。詞型の多くは七七七五調の近世小歌調を基本としており、三味線にあわせて歌ったものと思われる。八橋検校(やつはしけんぎょう)の箏(そう)曲『雲井弄斎』や佐山検校の同名の長歌(ながうた)物など、芸術音楽にも取り入れられているが、曲節の関係については不明である。[千葉潤之介]」

とある。
 樽には「そん」とルビがある。『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注に、謡曲『千手』の、

 「今日の雨中の夕の空、御つれづれを慰さめんと、樽を抱きて参りつつ既に酒宴を始めんとす。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.26293-26298). Yamatouta e books. Kindle 版. )

の一節を引用していて、ここでは樽は「そん」と読む。
 後の俳諧では「たる」でも良かったところも、この時代は謡曲の出典のある言葉でないと多くの人に伝わらないという事情があったのかもしれない。「樽を抱きて」はこの出典がある限り、宴会の酒樽に限定される。
 前句を弄斎節の歌詞として、宴会の場面に転じる。
 六十二句目。

   労瘵の声にひかれて樽をいだき
 内二階より伽羅の追風      雪柴

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注に、同じ謡曲『千手』に、「樽をいだき」のだいぶ前の方に、

 「妻戸をきりりと押し開く。御簾の追風匂ひ来る、花の都人に、恥かしながら見みえん。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.26239-26243). Yamatouta e books. Kindle 版. )

とあることを指摘している。御簾は香を焚き込むもので、御簾の追風を伽羅の追風としてもおかしくはない。
 とはいえ前句が弄斎節で江戸時代の遊郭。千手の前は御簾ではなく内二階(中二階)にいる。
 六十三句目。

   内二階より伽羅の追風
 ことさやぐ唐人宿の月を見て   卜尺

 唐人宿はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「指宿・差宿」の解説」の、

 「② 江戸時代、長崎に入港し、最初市内に宿泊することを許された中国の商人が指定した宿舎。寛文七年(一六六七)に禁止され、以後、各町が順番に彼らを宿泊させる宿町の制がとられ、さらに、元祿二年(一六八九)唐人屋敷を作り、ここに宿泊せしめた。」

とある、寛文七年に禁止された指宿以降で、元禄二年の唐人屋敷以前の中国人の商人が泊った宿であろう。やはり接待する遊女がいて、伽羅の香りがしたのだろう。
 「ことさやぐ」は外国人の意味の分からない言葉のざわざわいう音を表す。
 「さやぐ」は笹の葉などのざわざわいう音で、和歌では「笹の葉」「霜」と一緒に用いられることが多い。

 さかしらに夏は人まね笹の葉の
     さやぐ霜夜を我がひとり寝る
              よみ人しらず(古今集)
 君こずはひとりや寝なむ笹の葉の
     みやまもそよにさやぐ霜夜を
              藤原清輔(新古今集)

などの用例がある。
 六十四句目。

   ことさやぐ唐人宿の月を見て
 長き夜食のにはとりぞなく    一朝

 外国人の声が騒がしくて眠れなかったのであろう。唐人がこういう時に夜食にしている鶏が、朝の時を告げる。

2022年5月19日木曜日

 マウリポリで実際に何が起きているのか、どこを見てもロシア側の情報が多すぎてわかりにくい。日本のメディアだけでなく、世界の多くのメディアも、ロシア側からの情報提供を遮断されるのが恐くて、ロシア側の情報を流し続けているのかもしれない。マス護美は世界の言葉か。
 確かに戦地での独自取材は困難で、ウクライナ側は抵抗で必死で出てくる情報も少ない。これだけだとニュース番組が成り立たなくなるからというので、ロシア側の情報で穴埋めしているのだろう。
 トルコがロシア側に付くなら、NATOから排除するというのも選択肢の一つではないか。スウェーデン・フィンランドの加盟に全会一致が無理なら、トルコの排除を全会一致で可決すればいい。
 全会一致主義にも問題がある。一つの国が裏切れば機能不全に陥るような軍事同盟では困る。それじゃ国連と一緒だ。
 ロシアも相変わらずネオナチガーを連呼しているが、日本でもやれヒットラーだのレイシストだの、安易なレッテル張りが横行している。本人たちは軽い気持ちで言っていることでも、それで日本政府がネオナチだということになると、侵略の格好の口実になってしまう。この種のレッテル張りは侮辱罪で厳罰に処すべきだ。
 とにかく今回の戦争はプーちん一人が悪いのではない。世界中におびただしい数の陰でプーちんを援護する連中がいる。そいつらとも戦わなくてはならない。表向き反ロシアを掲げていても、戦争反対を口実にウクライナの軍事行動を積極的に支持しない人たちは疑った方が良い。
 少な目に見積もっても、世界には一億人のプーチンがいると思った方が良い。
 筆者は平和に賛成します。早くロシア軍を追っ払って、ウクライナに、そして世界が平和になることを望んでます。

 それでは「郭公(来)」の巻の続き。
 證歌を探りながら読んでゆくと、季語などのいわゆる「放り込み」というのはほとんどなく、きちんと古歌の意味や情を踏まえているのが分かる。これからは安易に「放り込み」という言葉は使わないようにしよう。

 二裏、三十七句目。

   売渡し申軒の下風
 一此ざうりわらんぢ雨過て    在色

 「一此」は「ひとつこの」とルビがある。雨宿りのついでに草履や草鞋を買ってゆく。
 今で言うとコンビニでトイレを借りた時に缶コーヒーを買ってくような感覚か。
 草履草鞋は消耗品で、「二束三文」と言われるくらい安いので、雨宿りして何も買ってゆかないのも、という時に買っていったのだろう。
 三十八句目。

   一此ざうりわらんぢ雨過て
 死骸をおくる山ほととぎす    卜尺

 前句の草履草鞋を死出の旅のものとして、遺骸に添える。
 ホトトギスの口の中が赤いのは、悲しみのあまりにに血を吐くまで鳴いたからだと言われている。
 正岡子規の「子規」という号は結核で血を吐いたからだと言われているし、アララギ派の和歌の、

 のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて
     足乳根の母は死にたまふなり
              斎藤茂吉

歌も、玄鳥(つばくらめ)をホトトギスの代用として用いている。
 井上陽水の父のみまかりし時に作ったという「帰郷」という唄にも、「喉に血反吐見せて狂い鳴く/あわれあわれ山のほととぎす」の歌詞がある。
 雨の山郭公には、

 昔思ふ草の庵の夜の雨に
     泪な添えそ山時鳥
              藤原俊成(新古今集)

の歌がある。
 三十九句目。

   死骸をおくる山ほととぎす
 奥の院花たちばなや匂ふらん

 大きな寺院の奥の院は山の中にあることが多い。お寺で葬儀を行うと、奥の院の方からホトトギスの声が聞こえてくる。あの辺りでは花橘が香り、故人の袖の香を偲ばせるのだろうか。
 橘と言えば、

 五月待つ花橘の香をかげば
     昔の人の袖の香ぞする
              よみ人しらず(古今集)

の歌がよく知られていて、「昔の人」は故人の意味にも転用できる。
 郭公に橘は、

 宿りせし花橘もかれなくに
     などほととぎす声絶えぬらむ
              大江千里(古今集)
 色かへぬ花橘に郭公
     ちよをならせる声きこゆなり
              よみ人しらず(後撰集)

など、多くの歌に詠まれている。
 四十句目。

   奥の院花たちばなや匂ふらん
 むかしは誰がたてし常灯     松意

 常灯はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「常灯」の解説」に、

 「① 神仏の前にいつも点灯しておく火。みあかし。常灯明。長明灯。定灯。
  ※宇津保(970‐999頃)藤原の君「比叡の中堂に、しゃうとうを奉り給」
  ※太平記(14C後)五「山門の根本中堂の内陣へ山鳩一番飛び来て、新常燈(じゃうトウ)の油錠(あぶらつき)の中に飛入て」
  ② 江戸時代、千貫目以上の長者が金蔵(かねぐら)に点灯した常夜灯。
  ※俳諧・西鶴大矢数(1681)第二六「高野遠し其外爰にも難波寺 末世の奇特常灯の影」
  ③ 街路、つじなどに夜の間点灯しておくあかり。街灯。
  ※花柳春話(1878‐79)〈織田純一郎訳〉一「子是れより左に路を取らば必ず常燈あり」

とある。こんな山奥の奥の院に、昔の人はどうやってこんな重い常灯を運んで建てたんだろうか、と不思議になることがある。
 橘に昔は前述の「五月待つ」の歌の縁。
 四十一句目。

   むかしは誰がたてし常灯
 舟人も広きめぐみの守護代リ   正友

 守護代(しゅごだい)は都に入る守護に変わって領地を治める人で、ここでは語数の関係から「しゅごかわり」とする。
 前句の常灯を海の灯台のこととして、昔の守護代が建てたとする。
 四十二句目。

   舟人も広きめぐみの守護代リ
 四面にさうかの歌うたつてくる  松臼

 四面楚歌という言葉はあるが、ここではそれをもじって四面の早歌とする。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「早歌」の解説」に、

 「① 催馬楽(さいばら)や神楽歌で、ふつうより拍子の速いうた。はやうた。
  ※神楽歌(9C後)「早歌」
  ② (「そうが」とも。やや速いテンポで歌われたことに基づく名称という) 中世、武家を中心に貴族・僧侶などの間に流行した宴席のうたいもの。初めは扇拍子で歌われ、沙彌明空(しゃみみょうぐう)によって集大成された。現爾也娑婆(げにやさば)。理里有楽(りりうら)。宴曲。
  ※梁塵秘抄口伝集(12C後)一〇「我独り雑芸集をひろげて、四季の今様・法文・早歌に至るまで、書きたる次第を謡ひ尽くす折もありき」
  ※徒然草(1331頃)一八八「仏事の後、酒など勧むる事あらんに、法師の無下に能なきは、檀那すさまじく思ふべしとて、早歌と云ふことを習ひけり」
  [補注]①については一説に「雑歌(ぞうか)」と同じとも、また、本と末をすばやく応答していく歌ともいわれる。」

とある。
 守護代の仕事はと言うと、宴会を開いて地元の名士・業者をもてなすことだ。地元との関係が良好なら至る所で宴会が開かれ、早歌の声が聞こえてくる。
 四十三句目。

   四面にさうかの歌うたつてくる
 銭さしに泪つらぬく夜の空    一鉄

 宴会は金のかかる物で、宴会が続くと懐が淋しくなる。これが本当の四面早歌。
 四十四句目。

   銭さしに泪つらぬく夜の空
 念仏講も欠てゆく月       雪柴

 念仏講はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「念仏講」の解説」に、

 「① 念仏を行なう講。念仏を信ずる人達が当番の家に集まって念仏を行なうこと。後に、その講員が毎月掛金をして、それを講員中の死亡者に贈る弔慰料や、会食の費用に当てるなどする頼母子講(たのもしこう)に変わった。
  ※俳諧・新続犬筑波集(1660)一「はなのさかりに申いればや 千本の念仏かうに風呂たきて〈重明〉」
  ② (①で、鉦(かね)を打つ人を中心に円形にすわる、または大数珠を回すところから) 大勢の男が一人の女を入れかわり立ちかわり犯すこと。輪姦。
  ※浮世草子・御前義経記(1700)三「是へよびて歌うたはせ、小遣銭少しくれて、念仏講(ネンブツカウ)にせよと」

とある。
 さすがに②ではないだろう。①の意味で念仏講のメンバーから死者が出ると、集めたお金で葬式代を出す。不幸が続くと人も欠けて行くし銭もなくなってゆく。それを満月以降の欠けてゆく月に喩える。
 四十五句目。

   念仏講も欠てゆく月
 相店の人の世中すゑの露     雪柴

 相店(あひだな)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「相店」の解説」に、

 「〘名〙 同じ棟の中にともに借家すること。また、その借家人。相借家(あいじゃくや)。相長屋(あいながや)。
  ※俳諧・談林十百韻(1675)上「念仏講も欠てゆく月〈雪柴〉 相店の人の世中すゑの露〈卜尺〉」
  ※咄本・鹿の子餠(1772)俄道心「相店(アイタナ)の八兵衛、欠落(かけおち)して行衛しれず」

とある。
 今回亡くなった念仏講のメンバーは相店の借家人だった。人の死も悲しいが、店が存続できるかどうかも不安だ。今で言えばテナントビルのオーナーが亡くなって、余所に売却されたようなものか。
 四十六句目。

   相店の人の世中すゑの露
 分散何々なく虫の声       一朝

 分散はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「分散」の解説」に、

 「② 江戸時代、競合した多数債権を償うことができない債務者が債権者の同意を得て、自己の全財産を彼らに委付して、その価額を各債権に配当すること。現在の破産にあたる。分散仕舞。
  ※俳諧・談林十百韻(1675)上「相店の人の世中すゑの露〈卜尺〉 分散何々なく虫の声〈一朝〉」

とある。
 相店のオーナーが破産し、分散仕舞いになる。行き場を失った小さな店は行き場がなく、秋の鳴く虫の声が絶えて行くように消えて行く。
 虫の音の露は、

 命とて露を頼むにかたければ
     ものわびしらに鳴く野辺の虫
              よみ人しらず(古今集)
 おぼつかないづこなるらん虫のねを
     たつねは草の露やみだれん
              藤原為頼(拾遺集)

などの歌に詠まれている。
 四十七句目。

   分散何々なく虫の声
 舟板のわれからくぐるあかの道  松意

 ワレカラはウィキペディアに、

 「ワレカラ(割殻、破殻、吾柄、和礼加良)は海洋に生息する小型の甲殻類である。海藻の表面に多数見いだされるほか、深海底にも生息している。ヨコエビと近縁で端脚目に分類されるが、腹節および尾節が著しい退化傾向にあり、身体の大部分が頭部および胸部により構成される。多くの種において、身体を屈伸させるほかに単独で水中を移動する術はなく、専ら生息基質である大型藻類等の表面に定位し、デトリタスや藻類を食べる。」

とある。海藻に付着することが多く、「ワレカラ喰わぬ上人なし」と言われるくらい、いくら殺生をしないと言ってる偉い坊さんでも、知らずに食っていることが多かった。
 「あかの道」の「あか」は垢で、水垢のことであろう。
 舟板に付着していたワレカラが、水垢と一緒に洗い落とされると、固まっていたワレカラが分散してゆく。ワレカラが鳴くわけではないが、心の中で鳴いているようだ。
 四十八句目。

   舟板のわれからくぐるあかの道
 あらがねの土うがつ穴蔵     在色

 「あらがね」は鉱物の原石のこと。
 前句を「舟板の割れから」と取り成して、水垢の付着した廃船の割れ目をくぐって、鉱物の原石を含んだ土を穴蔵へと運ぶ。
 四十九句目。

   あらがねの土うがつ穴蔵
 久堅の天目花生瀬戸物屋     松臼

 天目茶碗でよく知られている曜変天目は、鬼板という鉄分を多く含む鉱物が用いられているという。
 曜変天目の花瓶を作る瀬戸物屋には粗金が穴蔵に仕舞われている。
 天目に枕詞の「久かた」を付ける。
 五十句目。

   久堅の天目花生瀬戸物屋
 目利はいかが見る庭の梅     志計

 曜変天目の真贋を見分ける目利きは、庭の梅をどう思ってみるのか。

 雪ふれば木ごとに花ぞさきにける
     いづれを梅とわきてをらまし
              紀友則(古今集)

の歌のように、雪と梅を見分けることができるか。簡単だとは思うが。