2022年5月7日土曜日

 昨日の続きだが、貧困は喉にナイフを突きつけられ、家族まで人質に取られたような状態だ。ただ、惰性でこれまでやってきた一番安全のことを続けるしかない。
 少しでも変えようとすると、そこにリスクが生じる。そのリスクに耐えられないから、今まで通りのことを繰り返すしかない。それが「心の貧しさ」だ。
 貧しい村の中で、ある時たった一人新しいことにチャレンジしようとする者がいたとしても、そのリスクが村全体に降ってかかるかもしれないと思えば全力でそれを阻止する。それが「心の貧しさ」だ。
 飢餓に瀕するほど貧しくなくても、程度の差こそあれこの種の保守性は誰にでもある。飢餓まで行かなくても、今よりもはるかに生活が悪くなると思えば、人は保守的になる。
 終身雇用制のメリットはその安定性にあるが、その安定を脅かしてまで新たな冒険をしないということがデメリットになる。
 終身雇用の安定性は、安定性を脅かさない程度の冒険が逆に解放される。日本のオタク文化はそこから生まれる。本業を持ちながら、その本業を脅かさない範囲でなら、日本人は素晴らしい能力を発揮する。
 日本人の一人一人が素晴らしいアイデアを持っていたとしても、ではそれをビジネスにという段階になると、大抵は尻込みしてしまう。それをうまく開放できる一部の上司や指導者の下では大きな成功もあるが、大抵は埋もれてしまっている。
 本業を別に持ちながらオタクとして活動するメリットは、失敗の許される自由さにある。成功しても得るものがない代わりに、失敗しても失うものがない。
 例えば歴史でも軍事でもでも、筆者のやっているような俳諧研究でも、それを職業にしている人は失敗が許されない。だから保守的にならざるを得ない。オタクはいくらでも失敗していい。成功報酬を得ない代わりに失敗のリスクを負わないという、これは一つの取引だ。
 日本の終身雇用制は、本業の極度な保守性と、本業を離れた所の革新性の両面を持っている。逆に言えば、一人一人を見ればこれだけ優秀な人間がたくさんいるにもかかわらず、それが十分経済に反映されてないということにもなる。
 他所の国ならいいアイデアがあれば起業して商売にしようとするだろう。日本では起業は終身雇用の枠組みからドロップアウトすることになるので、リスクが大きすぎる。起業だけではない。政治の方面で才能があっても、政治家を志すというのは終身雇用からのドロップアウトを意味する。そのリスクをあえて犯そうとする人は稀だ。 だから、日本には実業界でも政界でも突出した人間はいない。本当に実力のある人間は終身雇用の大衆の中に埋没している。トップはたいしたことはないが、大衆のレベルがやたら高い。それが日本だ。
 終身雇用制は日本の今後の発展に暗雲を投げかけているのは確かだ。特に九十年代に本格的なコンピューター時代になり、世界で様々な破壊的イノベーションが生じる中で、日本は取り残されていった。日本の子どもたちは未だに重いランドセルを背負い、スマホは学校に取り上げられている。
 ただ、日本を単純に西洋化させるだけなら、日本は豊かな大衆文化をも失うことになるだろう。常に失業と隣り合わせの不安定な生活は間違いなく心を貧しくし、治安を悪化させ、デモや暴動が多発し、悪い意味でも西洋並みになっていく。両方のメリットを生かす方法が見つかれば、日本は世界に冠たる国になれる。
 あと、鈴呂屋書庫に「偽レル」の巻をアップしたのでよろしく。

 それでは「郭公」の巻の続き。

 十三句目。

   嶋原近き吾草の庵
 忍啼キふるきふとんに跡さして  蚊足

 引退した遊女の庵だろうか。
 十四句目。

   忍啼キふるきふとんに跡さして
 前髪惜む月のこよひぞ      其角

 前髪を落とすのは稚児が一人前の僧になる時で、衆道の対象から外れることが惜しまれる。
 十五句目。

   前髪惜む月のこよひぞ
 江は露に亭の蝋燭白くなり    蚊足

 「惜む」を追悼の意味に取り成したか。お通夜の場面であろう。明け方になり、蝋燭がその光を失ってゆく。
 月に露は多くの歌に詠まれている。
 十六句目。

   江は露に亭の蝋燭白くなり
 馬に信する瀬田の秋風      其角

 「信」には「まか」とルビがある。世も白む頃に馬に任せて瀬田へと向かう。旅体で、都落ちを暗示させる。
 露に秋風も多くの歌に詠まれている。
 十七句目。

   馬に信する瀬田の秋風
 花盛梟ならべたる首を見て    蚊足

 梟には「かけ」とルビがある。この字には「さらす」という訓読みもあり、晒し首のことになる。
 前句の秋風を比喩として春に転じたか。宇治川合戦で敗れた木曽方の多くの首が都晒される頃、木曽義仲は勢田へと向かい討ち死にする。違え付けによる季移り。
 十八句目。

   花盛梟ならべたる首を見て
 勇士の土産此梅を折       其角

 梅の花盛りの頃、勇士の持ち帰った首にも梅の枝が折って添えられている。残虐さと風流が共存するのが武士道の本質という所か。
 十九句目。

   勇士の土産此梅を折
 美女の酌日長けれとも暮安し   其角

 勇士が梅の枝を土産に帰還すると、美女がお出迎えして酌をしてくれる。こういう時の時間はあっという間に過ぎ去る。
 二十句目。

   美女の酌日長けれとも暮安し
 契めでたき奥の絵を書      蚊足

 前句を婚礼とする。新居となる奥の間に新たに絵を書かせる。
 二十一句目。

   契めでたき奥の絵を書
 或はしらら住吉須磨に遣され   其角

 奥の間に結婚の目出度い題材の絵ということで、高砂の松を描けと命じられ、住吉と須磨に実物を見に行かされる。
 「しらら」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「白か」の解説」に、

 「〘形動〙 (「か」は接尾語) 色の白々としたさま。白く、明るいさま。また、はっきりしているさま。しろらか。しらら。
  ※今昔(1120頃か)二九「其に差去(さしのき)て色白らかなる男の小さやかなる立たり」

とある。明け方に出発するということか。
 二十二句目。

   或はしらら住吉須磨に遣され
 乞食に馴て安き世を知      蚊足

 配流で住吉から須磨に渡り、そこで出家して乞食僧となった時、世の中は何とかなるもんだということを知る。
 二十三句目。

   乞食に馴て安き世を知
 町ぐたり二声うらぬ茶筌売    其角

 「ぐたり」はいまの「ぐったり」で、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「ぐったり」の解説」に、

 「〘副〙 (「と」を伴って用いることもある) 弱りきって力がぬけたさま、疲労して力のぬけたさまを表わす語。ぐだり。ぐたり。くたり。
  ※敬斎箴講義(17C後)「外形自惰落なれば、内心もぐったりとして」
  ※爛(1913)〈徳田秋声〉六「団扇を顔に当てながらぐったり死んだやうになってゐた」

とある。
 茶筌売は冬には鉢叩きになるが、茶筌売の時は疲れたように一声しか上げずに町を売り歩く。
 二十四句目。

   町ぐたり二声うらぬ茶筌売
 夜は飛ビ田の狐也けり      蚊足

 飛ビ田はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「飛田・鴟田・鳶田」の解説」に、

 「大阪市西成区北東隅、山王・天下茶屋東一帯の呼称。天王寺駅の西方になる。江戸時代に墓地・刑場があった。」

とある。近代には赤線が作られ、飛田遊郭と呼ばれたが、この時代にはまだない。
 茶筌売にはいろいろな顔があったのだろう。刑場の仕事もしていたか。

2022年5月6日金曜日

 ラノベの方は、佐々木鏡石さんの『がんばれ農強聖女~聖女の地位と婚約者を奪われた令嬢の農業革命日誌~』はなかなか楽しめた。
 香月美夜さんの『本好きの下剋上』のようないわゆる転生者の知識チートもなければ、餅月望さんの『ティアムーン帝国物語』のような死に戻りもなく、魔法も使わない。強いて言えば先代の聖女に知識チートがあったのかもしれない、ぐらいのところか。主人公の実力による「雨にも負けず」的な物語は珍しい。
 「心の貧しさ」というのが一つのテーマのようにも見える。筆者も某多言語ラボ活動で、しがないドラックドライバーで金も暇もなく、ひたすら海外ホームステイを拒否する活動スタイルでいたら、「心が貧しい」と言われたことがある。「心の貧しさ」は他人事ではない。
 今の日本ではすっかり克服されたが、今もフロンティアに残る飢餓と隣り合わせの貧しさというのは、何か新しいことに挑戦したくても、失敗が死を意味する。自分の死だけならいいが、家族や大切な人も共に死なせることになる。それは自分の喉元にナイフを突きつけられていて、家族も皆人質に取られている状態だ。そこで一体何ができると言うのか。
 ネパールで新しい品種を広めたりして農業改革をやっている日本人が、前にテレビで紹介されていた。立派なことだと思うが、ただそれは日本人だからできたんだと思った。失敗しても帰る所がある。その安心感から思い切った実験もできる。でも、失敗が死を意味する現地の農民には絶対にできないことだ。
 アフガニスタンの中村さんも、帰る所があるから思い切ったことも出来たんだと思う。豊かな国に生まれるという恩恵無くして有り得なかったことだ。
 我々はネパールやアフガニスタンに行くことはできなくても、日本の豊かさを維持することはできる。銃後を守るというのも立派な仕事ではないかと思う。
 『がんばれ農強聖女』も貴族としての地位なくしてはできないことだ。失敗ができる豊かさというのは素晴らしいものだ。基本「聖女」は生活に困る人であってはいけない。

 では引き続き『普及版俳書大系3 蕉門俳諧前集上巻』(一九二八、春秋社)から、『続虚栗』の、「蚊足にすすめられて」という前書きのある蚊足・其角の両吟歌仙を読んでみようと思う。
 発句は

   蚊足にすすめられて
 郭公麦つく臼にこしかけて

だが、作者名がない。
 脇の所に、

 郭公麦つく臼にこしかけて
   たそがれ渡る青鷺の空   其角

とある。「て」留で通常の発句の体でない所から、其角が詠んだ俳諧歌を発句と脇の代わりにするということか。狂歌というほど笑いを狙ったものでもなく、「麦つく臼」が雅語でないので、「俳諧歌」が適切なように思える。
 青鷺は「青鷺の駒」であれば和歌にも詠まれている。これは馬の毛の色で、青毛はほとんど黒なので、青鷺の色に近いというと原毛色が青毛の薄墨毛ではないかと思う。
 其角の歌の「青鷺の空」も馬の青毛の薄墨毛のような色の空とも取れる。夕暮れの薄暗い頃だと、空が青鷺色になる。それに鳥の青鷺の渡るを掛けているのではないかと思う。

 春深みゆるぎの森の下草の
     茂みにはむや青鷺の駒
              花園左大臣家小大進(夫木抄)
 ひまもあらばをぐろに立てる青鷺の
     こまごまとこそ言はまほしけれ
              源俊頼(夫木抄)
 見渡せば皆青鷺の毛梳めるを
     引き連ねたる馬つかさかな
              藤原信実(夫木抄)

などの歌がある。
 第三。

   たそがれ渡る青鷺の空
 川風や衣干ス揖にそよぐらん   其角

 「衣」は「きぬ」、「揖」は「かい」とルビがある。
 青鷺に水辺の景を添える。
 四句目。

   川風や衣干ス揖にそよぐらん
 樽をつくして皆童なり      蚊足

 「尽す」は多義で、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「尽・竭・殫」の解説に、

 「〘他サ五(四)〙 (「つきる(尽)」の他動詞形)
  ① つきるようにする。
  (イ) なくする。終わりにする。
  ※万葉(8C後)一一・二四四二「大土は採りつくすとも世の中の尽(つくし)得ぬ物は恋にしありけり」
  ※地蔵十輪経元慶七年点(883)四「我等が命を尽(ツクサ)むと欲(おも)ひてするにあらずあらむや」
  (ロ) あるかぎり出す。全部出しきる。つきるまでする。
  ※万葉(8C後)四・六九二「うはへなき妹にもあるかもかくばかり人の心を尽(つくさ)く思へば」
  ※源氏(1001‐14頃)桐壺「鈴虫の声のかぎりをつくしてもながき夜あかずふるなみだ哉」
  ② その極まで達する。できるかぎりする。きわめる。
  ※西大寺本金光明最勝王経平安初期点(830頃)五「永く苦海を竭(ツクシ)て罪を消除し」
  ※春窓綺話(1884)〈高田早苗・坪内逍遙・天野為之訳〉一「凞々たる歓楽を罄(ツ)くさんが為めのみ」
  ③ (動詞の連用形に付いて) 十分にする、すっかりする、余すところなくするの意を添える。「言いつくす」「書きつくす」など。
  ※日葡辞書(1603‐04)「Yomi(ヨミ) tçucusu(ツクス)。モノヲ cuitçucusu(クイツクス)」
  ※日本読本(1887)〈新保磐次〉五「マッチの焔を石油の中に落したるが、忽満室の火となり、遂にその町を類焼し尽しぬ」
  ④ (「力を尽くす」などを略した表現で) 他のもののために働く。人のために力を出す。
  ※真善美日本人(1891)〈三宅雪嶺〉国民論派〈陸実〉「個人が国家に対して竭すべきの義務あるが如く」
  ⑤ (「意を尽くす」などを略した表現で) 十分に表現する。くわしく述べる。
  ※浄瑠璃・傾城反魂香(1708頃)中「口でさへつくされぬ筆には中々まはらぬと」
  ⑥ 心をよせる。熱をあげる。
  ※浮世草子・傾城歌三味線(1732)二「地の女中にはしゃれたる奥様、旦那様のつくさるる相肩の太夫がな、見にござるであらふと」
  ⑦ (「あんだらつくす」「阿呆(あほう)をつくす」「馬鹿をつくす」などの略から) 「言う」「する」の意の俗語となる。
  (イ) 「言う」をののしっていう語。ぬかす。ほざく。〔評判記・色道大鏡(1678)〕
  ※洒落本・色深睡夢(1826)下「大(おほ)ふうな事、つくしやがって」
  (ロ) 「する」をののしっていう語。しやがる。しくさる。
  ※浄瑠璃・心中二枚絵草紙(1706頃)上「起請をとりかはすからは偽りは申さないと存じ、つくす程にける程に」

とある。
 ここでは元の①の意味で、樽の舟に乗って遊ぶのを終わらせ、櫂に濡れた着物を干していたのは、みんな子供だったという意味だと思う。
 五句目。

   樽をつくして皆童なり
 初秋の潤はわきて月なれや    蚊足

 初秋の七月に閏月が来ると、秋の満月が四回あることになる。月見が四回出来ると言うので、樽の酒が尽きるまで読んで、みんな子供のようだ、となる。
 ただ、この比実際に七月潤の年はなく、延宝八年に八月潤があった。元禄四年に再び八月潤がある。
 六句目。

   初秋の潤はわきて月なれや
 扇の日記を捨る関の戸      其角

 日記は「にき」とルビがある。扇の日記は夏の暑い時の日記ということで、秋の月の季節に終わる。
 月に扇は、

 なれなれて秋に扇をおく露の
     色もうらめし閨の月影
              俊成女(新勅撰集)

の歌がある。
 初裏、七句目。

   扇の日記を捨る関の戸
 萩のねに所の土を包み行     蚊足

 萩の根を土で包んだまま運び、関の戸を越えるというと、コトバンクの「朝日日本歴史人物事典「橘為仲」の解説」にある、

 「晩年に陸奥守として赴任の際,能因の歌に敬意を表し衣装を改めて白河の関を通り,上京の折には宮城野の萩を長櫃12合に入れて運んだと伝えられるなど,風雅に執した人物として知られた。」

のことか。ウィキペディアに「日記として『橘為仲記』(散逸)があった。」とある。散逸したのではなく、関を越える時に捨てていたことにしたか。
 八句目。

   萩のねに所の土を包み行
 僧と咄して沓静なる       其角

 お寺に萩を植えに行くと、僧が大勢歩いていて、その靴の音が響いているが、僧に話しかけると静かになる。
 僧の沓というと、芭蕉の『野ざらし紀行』の東大寺二月堂での、

 水取りや氷の僧の沓の音     芭蕉

の句がある。「僧の沓の氷の音」の倒置。
 九句目。

   僧と咄して沓静なる
 瓦工おりよりといそぐ入相に   蚊足

 工は「ふき」とルビがある。瓦葺の職人のことであろう。僧に話しかけて僧の沓音が止まる。
 十句目。

   瓦工おりよりといそぐ入相に
 神鳴りつべき雲を詠て      其角

 入道雲がむくむくと沸き起こり、夕立になりそうなので瓦工も作業を急ぐ。
 十一句目。

   神鳴りつべき雲を詠て
 折ふしの狂惑つらき命哉     蚊足

 狂惑は「きちがひ」とルビがある。「きゃうわく」と読んだ場合の意味は、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「狂惑」の解説」に、

 「① 正気を失い惑うこと。狂乱。また、常軌を逸した言動をとること。
  ※楓軒文書纂一一・香取文書‐建久五年(1194)五月日・関白藤原兼実家政所下文案「助康如レ此以二虚妄一為レ宗、以二狂惑一為レ業」 〔荀子‐君道〕
  ② とんでもなく馬鹿げていること。たわけていること。
  ※袋草紙(1157‐58頃か)上「なけやなけ蓬が杣の蛬(きりぎりす)更け行く秋はげにぞかなしき 長能云、狂惑のやつなり、蓬が杣と云事やは有と云々」
  ③ =きょうわく(誑惑)
  ※米沢本沙石集(1283)五本「誰れか狂惑(キャウワク)し、誰れか狂惑せられん」

とある。
 「折節」とあるから今でいう精神病ではなく、雷を恐れて発作的にパニックに陥って、とんでもないことをしてしまう人のことであろう。
 十二句目。

   折ふしの狂惑つらき命哉
 嶋原近き吾草の庵        其角

 京都嶋原の遊郭の側に庵を構えていると、遊郭の乱痴気騒ぎが聞こえてきて修行に身が入らない。

2022年5月5日木曜日

 それでは「偽レル」の巻の続き、挙句まで。

 二十五句目。

   囘火消の霜さやぐ松
 経よはる御魂屋のきりぎりす   其角

 「御」には「おおん」とルビがあり、王朝時代の「おほん」みたいな言い回しだが、「おたまや」のことであろう。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「御霊屋」の解説」に、

 「〘名〙 (「お」は接頭語) 先祖の霊や貴人の霊をまつっておく殿堂。霊廟(れいびょう)。みたまや。
  ※俳諧・三日月日記(1730)「ふるき都に残るお魂屋 くろからぬ首かきたる柘の〈芭蕉〉」

とある。例文にあるのは「破風口に」の巻十句目の

   挈帚驅倫鼡
 ふるき都に残るお魂屋      芭蕉

の句だ。元禄五年夏の素堂との和漢両吟。ここでは火事で死んだ人の遺体安置所であろう。経読む声が夜も更けて弱まってくると、霜置く野原のコオロギの声が弱ってゆくみたいだ。
 霜に弱る虫の音は、

 虫の音もほのかになりぬ花薄
     秋の末葉に霜やおくらむ
              源実朝(続古今集)
 風寒み幾夜もへぬに虫の音の
     霜より先に枯れにけるかな
              具平親王(玉葉集)

などの歌に詠まれている。
 二十六句目。

   経よはる御魂屋のきりぎりす
 夕べは秋の後鳥羽さびしき    千之

 「夕べは秋」といえば、

 見渡せば山もとかすむ水無瀬川
     夕べは秋となに思ひけむ
              後鳥羽院(新古今集)

の歌で、元は春の歌だが、コオロギの声の衰えてゆけば後鳥羽院もやはり寂しいと思うことには変わりない。秋の夕暮れも寂しいが、春の水無瀬の夕暮れも寂しい。

 秋もまだ浅きは雪の夕べかな   心敬

の連歌発句もある。
 二十七句目。

   夕べは秋の後鳥羽さびしき
 秬の葉に涙をあまる夷衣     其角

 秬は「きび」、夷は「ひな」とルビがある。夷衣は特に蝦夷とは関係なさそうだ。陸奥のしのぶもぢ摺りのことか。染料を石の上で擦りつけるだけの原始的な摺り初めの衣で、その不規則な模様が「乱染め」と呼ばれたのだろう。

 陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに
     乱れそめにしわれならなくに
              河原左大臣(古今集)

の歌は百人一首でもよく知られている。
 辺りは米もなく黍が実るだけで淋しい。王朝時代の陸奥に流された人の情であろう。
 二十八句目。

   秬の葉に涙をあまる夷衣
 まま子烏の寐に迷ふ月      千之

 烏はしばしば僧の意味で用いられる。継子故にお寺に預けられるというのも、よくあることだったのだろう。遠く旅をして、泊る所も定まらない。

 ことの葉はつゐに色なきわが身かな
     むかしはまま子いまはみなし子
              心敬

の歌もある。心敬もまた応仁の乱の頃に東国に下っている。
 二十九句目。

   まま子烏の寐に迷ふ月
 盗人をとがむる鎗の音ふけて   其角

 泊めてもらおうと館に行くと、槍を持った衛兵がいて、泥棒と間違えられる。中世の連歌師の旅ならありそうだ。
 三十句目。

   盗人をとがむる鎗の音ふけて
 胴の間寒き波の夜嵐       千之

 足軽などの身に付けている胸から腹にかけて覆うだけの胴鎧であろう。槍を以て夜の番をしていると、海から吹いてくる嵐の風が寒い。
 二裏、三十一句目。

   胴の間寒き波の夜嵐
 年と日と賤のつま薪よみ尽ス   千之

 薪は「まき」とルビがある。
 山奥の貧しい家庭の妻が必要な量の薪をきちんと振り分けて、一年でこれだけだから、一日で使う薪はここまでと決めている。寒いからって最初にがんがん使ってしまうと夜が寒い。
 三十二句目。

   年と日と賤のつま薪よみ尽ス
 うさきを荷ふ越の山業      其角

 業に「わざ」とルビがある。
 夫はウサギ狩りに行き、妻は薪の管理をする。
 越にウサギは越後兎の縁がある。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「越後兎」の解説」に、

 「〘名〙 東北地方、日本海側地方にすむノウサギの一亜種。季節により体色を変え、夏は灰褐色で黒みを帯び、冬は白色で耳の先だけ黒い。保護色の好例。とうほくのうさぎ。しろうさぎ。
  ※俳諧・犬子集(1633)一七「白き物こそ黒くなりけれ 古筆は越後兎の毛でゆひて〈貞徳〉」

とある。
 三十三句目。

   うさきを荷ふ越の山業
 剣術を虚谷に習ふ時は      千之

 虚谷は「こだま」、時は「よりより」とルビがある。折々という意味。
 越後兎から「名人越後」と呼ばれた冨田重政への展開か。冨田重政は越前朝倉氏の家臣だったが、越後の守だったため越後と呼ばれている。
 ここでは本人の逸話というわけではなく、越後のように剣を極めるために山に籠って修行をすれば、ということだろう。
 「よりより」は『古今集』仮名序に、

 「この人々(人麿赤人)をおきて、又すぐれたる人も、くれ竹の世々にきこえ、かたいとのよりよりにたえずぞありける。」

の用例があり、和歌では、

 妹がくる糸井の里のたまき山
     よりよりここに宿りぬるかな
              藤原為家(夫木抄)
 あはれなりよりより知らぬ野の末に
     かせぎを友になるる棲家は
              西行法師(山家集)

の用例がある。糸をよるに掛けて用いる。
 三十四句目。

   剣術を虚谷に習ふ時は
 有朋自遠方来          千之

 返り点がふってあって「朋(とも)遠方より来れること有」と読む。
 論語の有名な言葉で、「不亦楽乎」と続くき、普通は「朋あり遠方より来たるまた楽しからずや」と読む。下句の形にあわせて、返り点を振り直したのだろう。
 和歌の形にすると、

 剣術を虚谷に習ふ時は
     朋遠方より来れること有

と二句一章になる。
 三十五句目。

   有朋自遠方来 
 花に粮空嚢に銭をはたくらん   其角

 粮は「かて」。
 遠方より友は花見にやってきた。空嚢はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「空嚢」の解説」に、

 「① 物が入っていない袋。からの袋。
  ※露団々(1889)〈幸田露伴〉一七「風は空嚢(クウノウ)を揚げ、説は愚人を動かすだ」 〔劉駕‐送友下第遊鴈門詩〕
  ② 財布に金銭の入っていないこと。また、その財布。〔広益熟字典(1874)〕
  ※怪化百物語(1875)〈高畠藍泉〉下「今朝は忽ち空嚢となって」

とある。②の意味で、なけなしの金をはたいて旅の食料を買ったということか。
 三十六句目。

   花に粮空嚢に銭をはたくらん
 蛤處々のやまぶきヲ焼      其角

 大した金も持ってないので、花見の酒の肴に蛤を拾い、山で取れた蕗と一緒に焼く。

2022年5月4日水曜日

 義経の鵯越も木曽義仲の火牛の計も後の『源平盛衰記』によるもので、『平家物語』にはない。大河ドラマの鎌倉殿も『平家物語』に忠実に描いているだけで、義経が勝手に歴史を改竄したわけではない。
 『源平盛衰記』の成立年代は不明とされているが、語り物ではなく書物として書かれたものなので、『曽我物語』の仮名本が成立したのと同じで、実際に流布したのは江戸時代であろう。
 多産多死時代のルールというのは、基本的に誰もが平等に生きられないという前提で作られた、生きる上での序列を付けるためのルールだから、近代のルールとは逆に柔軟性があってはいけなかった。
 その場その場で勝手にルールを曲げれば、必ず争いが起る。それも親子兄弟で血で血を洗う闘いになる。何よりも危険なのは、本来排除されるべき人が希望を持ってしまうことだった。
 それゆえ前近代のルールは杓子定規で絶対的なもので、神や天の名が必要だった。不条理であるがゆえに絶対でなければならなかった。それは人知を越えたものの命令であり、人間が勝手に曲げることのできないものでなければならなかった。
 捨子も必要悪で、すべての捨子が平等に生きてゆくのが無理だとわかっていたから、捨子が死んでゆくことは「天」でなければならなかった。
 芭蕉が富士川の捨子のくだりで「唯これ天にして、汝の性のつたなきをなけ。」と言い放つのは、不条理であるがゆえに絶対でなければならないという悲痛な叫びと理解すべきだったのだろう。
 近代ではルールは人間の定めたものになり、それゆえに万人平等の合理性が必要とされる。ただ、前近代から受け継がれた様々な慣習については、「不条理であるがゆえに絶対」とするものが残っている。
 ただ、それを前近代的な野蛮なものとするのは、状況の変化が理解されてない。実際、多産多死の状況が変わらないうちに万人に平等の権利を認めようとしたため、人口の増加は地球規模での植民地争奪戦を生み出した。
 その歪みは今日でなお多くの火種を残し、フロンティアの終わりのない戦争を生み出している。
 近代のルールは小産少死を達成することで維持される。この前提条件が崩れれば、世界は再び戦乱の時代に逆戻りすることになる。
 幸いロシヤや中国では人口の爆発は起きていない。少産少死の時代に育った世代は、たとえ独裁者に侵略戦争を命じられても戦意は低い。それが今回のウクライナ戦争にとっての一つの救いとなっている。ただ、問題なのは欧米も日本もそれ以上に戦意が皆無なことだ。せめて同等になるまで戦意を高めないとロシアの侵略は止められない。

 それでは「偽レル」の巻の続き。

 十三句目。

   さみだれ座敷蛙這来ル
 住ム人も志賀の古城やよむかし  千之

 志賀の都は歌にも詠まれているが、志賀の古城は特にどこということでもないのだろう。戦国時代の城は信長の安土城、秀吉の長浜城、光秀の坂本城、などが有名だが、その他にも中世から含めるとたくさんある。
 古城の荒れ果てた座敷は蛙が鳴くのみ。
 十四句目。

   住ム人も志賀の古城やよむかし
 石山の秋ノ月三井の晩鐘     其角

 石山秋月、三井晩鐘はともに近江八景で、他には勢多夕照、粟津晴嵐、矢橋帰帆、唐崎夜雨、堅田落雁、比良暮雪がある。
 ウィキペディアには、

 「明応9年(1500年、室町後期)に近江国に滞在した元・関白の近衛政家(公家)が、当地にちなんでの和歌八首を詠んだ、とする史料[1]もあるが、当時の政家の日記『後法興院記』の調査により、政家が近江に滞在して近江八景の和歌を詠んだとされる明応9年8月13日(1500年9月16日)は、外出せず自邸にこもっていたことが判明している。
 また、江戸後期の歌人・伴蒿蹊は、慶長期の関白・近衛信尹自筆の近江八景和歌巻子を知人のもとで観覧し、その奥書に、現行の近江八景と同様の名所と情景の取り合わせに至る八景成立の経緯が紹介されている。」

とある。
 瀟湘八景がもとになっていて、瀟湘夜雨→唐崎夜雨、平沙落雁→堅田落雁、煙寺晩鐘→三井晩鐘、山市晴嵐→粟津晴嵐、江天暮雪→比良暮雪、漁村夕照→勢多夕照、洞庭秋月→石山秋月、遠浦帰帆→矢橋帰帆となる。
 石山秋月は、

 石山や鳰の海てる月かげは
     明石も須磨もほかならぬ哉
              近衛政家

 三井晩鐘は、

 思ふその暁ちぎるはじめとぞ
     まづきく三井の入あひの声
              近衛政家

になる。前句の「古城やよむかし」を「古城や、詠むかし」と取り成し、近衛政家のこととしたか。
 十五句目。

   石山の秋ノ月三井の晩鐘
 尺八に棹さす露の丸木舟     千之

 琵琶湖というと丸子船で、コトバンクの「世界大百科事典 第2版「丸子船」の解説」に、

 「丸船ともいう。おそらく中世末期ないし近世初頭のころから近年に至るまで,琵琶湖で用いられてきた特異な小型~中型船(50石~200石程度)。若狭湾(敦賀,小浜)から峠を越えて琵琶湖経由で京・大坂に至るルートは,日本海岸各地と畿内を結ぶ物資流通の大動脈であったが,この湖上を南北に縦断する航路の主役がこの船であった。その外観上最大の特徴は,船首部の形状にある。すなわち,おけや樽をつくるように,下方をややすぼめた短冊形の板を,縫釘(ぬいくぎ)で円筒形にはぎ合わせ,ちょうど縦半割りにしたおけのような形の船首をつくる(船名の由来)。」

とある。
 これに乗って遊ぶのは普通だが、あえてわざとボケて原始的な丸木舟にする。
 十六句目。

   尺八に棹さす露の丸木舟
 遊子おどりの国ヲ尋ヌル     其角

 遊子は旅人の意味だが、ここでは念仏踊りを広めた遊行上人か。踊りを広めるために諸国を旅する。
 十七句目。

   遊子おどりの国ヲ尋ヌル
 花日々に老は娘の手を引て    千之

 花の季節ならお伊勢参りであろう。伊勢踊りの国を尋ねる。
 十八句目。

   花日々に老は娘の手を引て
 松ある隣リ羽かひに行      其角

 「羽かひ」は字数からして「はがひ」ではなく「はねかひ」であろう。老人が女の子を連れて羽根つきの羽根を買いに行く。
 花に松は、

 ふか緑ときはの松の影にゐて
     うつろふ花をよそにこそ見れ
              坂上是則(後撰集)

の歌がある。
 二表、十九句目。

   松ある隣リ羽かひに行
 百千鳥轡が仕着せ綺羅やかに   其角

 「綺羅」には「きら」とルビがある。
 百千鳥は古今伝授三鳥の一つで、

 ももちどりさへづる春は物ことに
     あらたまれとも我ぞふり行く
              よみ人しらず(古今集)

の歌に詠まれている。
 諸説あるが、不特定多数の鳥の鳴く様だとも言う。
 轡は遊女屋の主人のことで、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「轡・銜・勒」の解説」に、

 「⑤ 遊女をかかえておく家。遊女屋。また、その家の主人。くつわや。ぼうはち。
  ※仮名草子・仁勢物語(1639‐40頃)下「此の女思ひ侘びて揚屋(あげや)へ行く〈略〉集ひて殿達の御出なれば、轡(クツハ)出て、奥に誘(いざな)ひ入れて退きぬ」

とある。
 百千鳥は遊女たちの比喩で、正月にきらびやかな服を着せてやり、羽根を買いに行く。
 二十句目。

   百千鳥轡が仕着せ綺羅やかに
 雨なかだちて燕ヲ假ル      千之

 「燕ヲ假ル」には「さかもりをかる」とルビがある。
 コトバンクの「デジタル大辞泉「燕楽」の解説」に、

 「中国で、古代から宴会の席で演奏した音楽。各時代の新しい流行や、西域から移入された胡楽こがくなどを取り入れたもの。儀式のときの雅楽に対して俗楽ともいった。」

とあり、宴楽を燕楽とも書き、酒盛りの音楽になる。燕だけだと宴のことになり、「さかもり」と訓じる。
 雨で客の少ない時は、うちわで宴会をやるということか。
 二十一句目。

   雨なかだちて燕ヲ假ル
 年咄し今宵廬山の夜に似タリ   其角

 廬山の夜は白楽天の「廬山夜雨草庵中」であろう。

   廬山草堂夜雨独宿  寄牛二李七庾三十二員外 白楽天
 丹霄攜手三君子 白髪垂頭一病翁
 蘭省花時錦帳下 廬山夜雨草庵中
 終身膠漆心応在 半路雲泥跡不同
 唯有無生三味観 栄枯一照両成空

 朝焼けの空に手を取り合った三人の君子、
 白髪を頭から垂らした一人の病気の老人。
 蘭省とも呼ばれる尚書省は花盛りで錦の帳の下。
 廬山では雨降る夜の草庵の中。
 生涯膝を突き合わせると心に誓ってはいたが、
 途中で雲泥の差がついてしまった。
 何一つ変わったわけではない、
 栄えるも衰えるも結局一緒で最期は空になる。

 「年咄し」はこれだと年寄りの繰り言というような意味か。
 昔の友は出世して酒宴を開き、自分は草庵に籠って、栄枯も一炊の夢と自分を慰めている。
 二十二句目。

   年咄し今宵廬山の夜に似タリ
 毛-吹崑-山に名を晒スラン    千之

 毛吹は松江重頼の『毛吹草』に、虎の皮の毛を吹いて皮の傷を探す、という喩えで、人のあら捜しばかりしていると、却って足元を掬われるという意味。
 崑-山は崑崙山のことで天帝のいる所。
 今を時めくスターもいれば、ただのヒキニートもいる。成功した人を妬んでディスってばかりいても、却って自分の名を晒されることになる。何だか今のネットみたいだ。白楽天を見習えということか。
 二十三句目。

   毛-吹崑-山に名を晒スラン
 木がらしに浪士の市の彳     其角

 彳は「たたずまひ」とルビがある。
 木枯らしの吹く市場に浪士が一人佇んでいても、完全に浮いてしまっている。
 出世争いて、人を誹謗中傷してばかりいたら逆にその場にいられなくなり、牢人に身を落としたのだろう。
 せめて剣の腕でも立てば、近代の時代劇の主人公だが。
 二十四句目。

   木がらしに浪士の市の彳
 囘火消の霜さやぐ松       千之

 火消はウィキペディアに、

 「消防組織としての火消は、江戸においては江戸幕府により、頻発する火事に対応する防火・消火制度として定められた。武士によって組織された武家火消(ぶけびけし)と、町人によって組織された町火消(まちびけし)に大別される。武家火消は幕府直轄で旗本が担当した定火消(じょうびけし)と、大名に課役として命じられた大名火消(だいみょうびけし)に分けて制度化されたため、合わせて3系統の消防組織が存在していた。」

とある。
 囘火消は「まはりびけし」でいいのか、よくわからない。火事場見廻(かじばみまはり)というのがあるから、それのことか。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「火事場見廻」の解説」に、

 「〘名〙 江戸幕府の職名。享保六年(一七二一)設置。若年寄の支配。江戸に火災の発生した際、風下にあたる武家屋敷、また寺社、町方へも出役し、消火の指揮をとるとともに、焼け跡を見回り、出火原因、被害状況を調査報告し、定火消(じょうひけ)しの火事場での勤務状況をも監察した。
  ※禁令考‐前集・第三・巻二九・享保九年(1724)正月一八日「出火之節、風下之屋敷方并寺社町等迄火事場見廻り之面々打廻り、防之儀差引いたし」

とある。
 この時代はまだこの制度はなく、その前身となる囘火消は牢人が雇われていたのかもしれない。
 焼け跡となったところは風の遮るものもなく、木枯らしが身にしみ、松も悲しげな音を立てる。

2022年5月3日火曜日

 今日の散歩で藤が咲いている場所を見つけた。今日の写真。

 京都だと松の木が多いから、あの辺の山だと和歌に詠まれた松に懸る藤とかあるんだろうな。
 藤は藤波とも呼ばれ、水辺に詠まれる。震災の年に鹿島詣でをした時にも藤が咲いてたのを思い出した。これは二〇一一年五月五日撮影。

 あちこちで薔薇が咲くのを見ると、今アニメでやっている『薔薇王の葬列』の「白い薔薇のヨーク、赤い薔薇のランカスター」というのを思い出すが、紅白に分かれるのは日本の源平合戦みたいだと思う。リチャードがリチャード・プランタジネットと名乗る所は、日本のように姓と苗字の区別があるのかなと思ったが、まあ、西洋のことはよくわからない。
 前近代の戦いというのは、基本的にダイナミックなお家騒動のようなところがあるのだろう。ばら戦争も源平合戦も、基本的にみんな親戚同士で争っているようなもんだし。
 有限な領土に君臨できる領主の定員もおのずと決まっているから、後はうちわで潰し合って、それを庶民は物語として楽しむ。今のような思想だとかイデオロギーだとかの問題ではなかった。

 さて、それでは夏の俳諧ということで、また『虚栗』から其角・千之両吟歌仙を読んでみようと思う。
 例によって『普及版俳書大系3 蕉門俳諧前集上巻』(一九二八、春秋社)から、ノーヒントで。
 発句は、

   四月十八日即興
 偽レル卯花に樽を画きけり    千之
 
 千之(ちゆき)は佐藤勝明さんの『芭蕉と京都俳壇: 蕉風胎動の延宝・天和期を考える』によると重頼門で、千春(ちはる)と同じ望月氏だという。延宝期から千春とともに多くの入集をして活躍していた。
 卯の花は、

   ものいひかはし侍りける人のつれなく侍りけれは、
   その家のかきねの卯花ををりていひいれて侍りける
 うらめしき君がかきねの卯花は
     うしと見つつも猶たのむかな
              よみ人しらず(後撰集)
   返し
 うき物と思ひしりなは卯花の
     さけるかきねもたづねざらまし
              よみ人しらず(後撰集)
   卯花のかきねある家にて
 時わかすふれる雪かと見るまでに
     かきねもたわにさける卯花
              よみ人しらず(後撰集)

とあるように、かつては垣根に用いる棘のある白い花だった。

 なつかしく手には折らねど山がつの
     垣根のうばら花咲にけり
              曽禰好忠(好忠集)

のようにイバラの別名であるウバラの垣根が詠まれている所から、ウバラの花のことと思われる。
 江戸時代の卯の花は木に咲くので、桜が終わった後の初夏の山に咲く白い花で、「偽レル」というのは、卯の花の描かれた絵を桜だと偽ってという意味で、それで花見をしようと酒樽を書き足したということだろう。
 即興は文字通りの興に即すで、卯の花の絵を見ての興でははなかったか。
 脇。

   偽レル卯花に樽を画きけり
 鰹をのぞむ楼の上の月      其角

 「のぞむ」は「楼の上の月を望む」とカツオを所望するという両方に掛けている。
 卯の花の咲く初夏は初鰹の季節でもある。初鰹を肴に卯の花で似せの花見をする。
 卯の花の月は、

 卯花のさけるかきねの月きよみ
     いねすきけとやなくほとときす
              よみ人しらず(後撰集)
 月影を色にて咲ける卯の花は
     明けは有明の心地こそせめ
              よみ人しらず(後拾遺集)

などの歌がある。
 第三。

   鰹をのぞむ楼の上の月
 この比の裸をにくむ秋の風    其角

 鰹を秋の戻り鰹として、秋風が吹けばそろそろ裸の夕涼みの季節も終わる。
 久隅守景筆の国宝『納涼図屏風』には襦袢の男と腰巻だけの女が描かれている。
 四句目。

   この比の裸をにくむ秋の風
 ささ立波に鹿梁もる露      千之

 鹿梁(ししろ)はよくわからない。次の句に蔵庇とあるから、庇の梁のことか。
 前句の湊で働く人の裸とする。
 秋風に露は、

 あだし野の露ふきみだる秋風に
     なびきもあへぬ女郎花かな
              藤原公実(金葉集)
 あはれいかに草葉の露のこほるらむ
     秋風たちぬ宮城野の原
              西行法師(新古今集)

など、多くの歌に詠まれている。
 五句目。

   ささ立波に鹿梁もる露
 蔵庇菊を南に見え晴て      千之

 蔵庇は蔵の入口の所の庇。庇の南に菊が見える。
 陶淵明『帰去来辞』の、

 引壺觴以自酌 眄庭柯以怡顏
 倚南窗以寄傲 審容膝之易安

の心か。前句の「ささ立波」を酒のこととする。
 六句目。

   蔵庇菊を南に見え晴て
 葉越はあらぬ蘇鉄一かぶ     其角

 葉越はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「葉越」の解説」に、

 「〘名〙 葉と葉の間を通してなされること。葉の隙間から透いて見えること。
  ※久安百首(1153)夏「あぢさゐのよひらのやへにみえつるは葉ごしの月の影にぞ有ける〈崇徳院〉」

とある。庭の蘇鉄の葉は月の光が漏れてこない。
 初裏、七句目。

   葉越はあらぬ蘇鉄一かぶ
 侘々て笠に詩ヲ着ル朝時雨    千之

 侘びた漢詩人の旅に転じる。蘇鉄の下は雨が漏らないので朝時雨の雨宿りにちょうどいい。
 笠に詩を書き付けたりするのはよくあることなのか。同じ『虚栗』の冬の発句に、

   手づから雨のわび笠をはりて
 世にふるもさらに宗祇のやどり哉 芭蕉

の句があるが、後の貞享三年に「笠の記」という俳文に仕立て、そこには「ふたたび宗祇の時雨ならでも、かりのやどりに袂うるほして、みづから笠のうらに書つけ侍る。」とある。
 あるいは千之の句の趣向を拝借したか。
 八句目。

   侘々て笠に詩ヲ着ル朝時雨
 呉の旅衣酒をかたしく      其角

 笠に呉の旅衣は玉屑の「閩僧可士送僧詩」の「笠重呉天雪 鞋香楚地花」によるものか。
 ここでは雪ではなく朝の時雨に酒を飲む。
 時雨の旅は、

 露にだにあてしと思ひし人しもぞ
     時雨ふるころたびにゆきける
              壬生忠見(拾遺集)

の歌がある。
 また、

 志賀の浦やしばし時雨の雲ながら
     雪になりゆく山おろし風
              慈円(続拾遺集)

のように、朝の時雨が雪に変わって呉天の雪になる、という趣向かもしれない。
 九句目。

   呉の旅衣酒をかたしく
 水糒西施が影をこぼすらん    千之

 糒は「ほしひ」とルビがある。干し飯のこと。炊いたご飯を干して乾燥させたもので、水で戻して食べる。携帯食にもなるし、夏の食欲不振の時にも良い。
 西施はウィキペディアに、

 「越王勾践が、呉王夫差に、復讐のための策謀として献上した美女たちの中に、西施や鄭旦などがいた。貧しい薪売りの娘として産まれた施夷光は谷川で洗濯をしている姿を見出されたといわれている。策略は見事にはまり、夫差は彼女らに夢中になり、呉国は弱体化し、ついに越に滅ぼされることになる。」

とあり、呉への旅に干し飯を水で戻して食うと、呉に献上された西施のことが思い出される。
 十句目。

   水糒西施が影をこぼすらん
 蘭にふれたる紫の汗       其角

 西施なら汗だって普通ではないだろうということで、蘭に触れて紫の汗をこぼすのではないか、「らん」と一応推量にしておく。
 十一句目。

   蘭にふれたる紫の汗
 寝語の小杉音なく宵過て     千之

 寝語は「ねがたり」か。「語る」は古代に性交を仄めかす言葉としても用いられる。
 小杉は小杉原という鼻紙の意味もあり、ここでは小杉原で汗を拭うと紫に染まるということか。
 十二句目。

   寝語の小杉音なく宵過て
 さみだれ座敷蛙這来ル      其角

 五月雨の座敷は静かで、庭の木の小杉の音もなく、蛙だけがやって来る。
 五月雨の蛙は、

 蛙なく沼の岩垣波こえて
     水草うかるる五月雨の頃
              洞院実泰(風雅集)

の歌がある。

2022年5月2日月曜日

 ZOMBIEの「抹殺せよ!! 」はこのご時世にぴったりだね。なかなか勇気のいることだ。
 戦後レジームからの脱却ということは今まで何度も言われてきたけど、今度の戦争もその戦後レジームの終わり、連合国支配の終わりを象徴するものではないかと思う。終わらないなら終わらせなくてはならない。それを守ろうとしている者、それを利用して侵略戦争を開始した者、どっちも糞だ。
 西洋占星術でもみずがめ座の時代の始まりだとか、風の時代の始まりだとか言われている。昨日ラジオでそんな話をしていた。今朝は金星と木星を見た。

 あと、鈴呂屋書庫に「山吹や」の巻「川尽て」の巻「啼々も」の巻をアップしたのでよろしく。

 それでは『阿羅野』の初夏の発句の続き。

 はげ山や下行水の沢卯木     夢々

 山に咲く卯の花は緑の黒髪の中の白髪に喩えられるが、はげ山の下の方の沢に咲く卯の花は鬢の白髪か何かに喩えればいいのか。
 卯の花は和歌では、

 郭公我とはなしに卯花の
     うき世中になきわたるらむ
              凡河内躬恒(古今集)
 うらめしき君か垣根の卯花は
     うしと見つつも猶たのむかな
              よみ人しらず(後撰集)

のように「うつぎ」の鬱に掛けて用いられることが多い。また、その白さは雪にも喩えられる。

 雪の色を奪いて咲ける卯の花に
     小野の里人冬籠りすな
              藤原公実(金葉集)

の歌もある。
 また、卯月の神事に掛けて神祇に詠むことも多く、江戸時代の俳諧が釈迦生誕に結び付けるのと発想が異なる。
 また、白河の関にも詠む。

 上ゲ土にいつの種とて麦一穂   玄寮

 「上ゲ土」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「揚土・上土」の解説」に、

 「① 塀、門など高い所に積んだ土。
  ※太平記(14C後)九「山の如くなる揚土(アゲツチ)、壁と共に崩れて」
  ② 川や堀などをさらったり、土地を切り開いたりしたときに出る土。
  ※俳諧・曠野(1689)三「上げ土にいつの種とて麦一穂〈玄察〉」

とある。
 ②の例として挙げられているが、土塁などから麦が一本ひょろっと生えてきていても面白いのではないかと思う。

 枯色は麦ばかり見る夏の哉    生林

 夏に実る麦は「麦秋」という言葉もある。畠全体が麦の穂の黄金色に染まり、さながら稲刈りの頃のようだ。
 一面の麦畑に空が晴れていればウクライナ国旗のようになるが、日本ではそんな大規模な麦畑も少なく、周りの若葉や他の作物の間に、麦畑だけが枯れ色に見える。

 麦かりて桑の木ばかり残りけり  作者不知

 田んぼの作れないような所では麦を作ることもあれば養蚕のための桑の木が植わっていることも多い。麦刈が終わると、桑畑が残る。

 むぎからにしかるる里の葵かな  鈍可

 「むぎから」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「麦幹・麦稈」の解説」に、

 「〘名〙 (「むぎがら」とも) =むぎわら(麦藁)①〔十巻本和名抄(934頃)〕」

とある。
 藁に埋もれるのはタチアオイやヒマワリではなく二葉葵であろう。上賀茂神社・下鴨神社の神紋でもあり、葉を一つ加えて三つ葉にすると徳川家の紋になる。和歌では、

   賀茂祭の物見侍りける女の
   くるまにいひいれて侍りける
 ゆきかへる八十氏人の玉かづら
     かけてそたのむ葵てふ名を
              よみ人しらず(後撰集)
   返し
 ゆふだすきかけてもいふなあだ人の
     葵てふ名はみそぎにぞせし
              よみ人しらず(後撰集)

など、賀茂祭に「逢う日」と掛けて用いられる。

 しら芥子にはかなや蝶の鼠色   嵐蘭

 芥子の花は一日花で儚い物として詠まれるが、白芥子に止まる鼠色の蝶も儚い。シジミチョウのことか。
 芥子の花の儚さは、後に『猿蓑』の、

   別僧
 ちるときの心やすさよ米嚢花   越人

の句に凝縮されることになる。

 鳥飛であぶなきけしの一重哉   落梧

 芥子の花は散りやすいので、鳥の羽の風でもひやひやする。

 けし散て直に実を見る夕哉    李桃

 芥子の花びらが落ちると、そのまま芥子坊主が残り、これが実になる。

 大粒な雨にこたえし芥子の花   東巡

 芥子は一日花ですぐ散ってしまう儚いものだが、咲いている時は大粒の雨が降っても散らない。ただ散るべき時が来たら散る。
 無駄に命を捨てるのではなく、ただ運命に従うのみ。人もそうありたいものだ。

 散たびに兒ぞ拾ひぬ芥子の花   吉次

 芥子の大きな花びらは子供が拾ってくる。芥子あるあるであろう。

   深川の庵にて
 庵の夜もみじかくなりぬすこしづつ 嵐雪

 深川の庵は芭蕉庵であろう。芭蕉さんとは夜を徹して飲み明かしたいものだが、夏になるとその時間も短くなる。
 芭蕉さんは酒をあまり飲まないし、朝の早い昼型の生活をしている。

 さびしさの色はおぼえずかつこ鳥 野水

 カッコウは閑古鳥というが、そんな淋しい感じはしない。
 後に芭蕉は、淋しく聞こえないけど淋しがらせてくれよという気持ちを込めて、

 うき我を淋しがらせよ閑古鳥   芭蕉

の句を詠む。幻住庵には毎日のように誰かがやって来て、そんな静かでもなかったのだろう。

2022年5月1日日曜日

 ネオナチという言葉もレッテル貼りに濫用されたから、今ではすっかり元の意味と変わってしまっている。今はネオナチ=愛国者でOKのようだ。ウクライナの愛国者に敬意を。そういうわけで、ロシアさんご苦労さん。
 まあ、日本の右翼と一緒で、欧米でも六十年代七十年代のようなネオナチって、今はごく一握りの爺さんたちだけになってるんだろうな。いるのは、ナチスの国内政策の一部を再評価しながらタブーに抵抗はするけど、戦争は嫌い、侵略なんて真っ平御免という、日本に以前いた本来の意味でのネトウヨのような連中なんだろう。
 前にも書いたが、ネトウヨという言葉もさんざんレッテル貼りに利用されたから、一頃はマルクス主義者でない人という意味で用いられていたが、今は一部のカルト教団を指す言葉になっている。
 それにしてもロシアの戦車はありゃひどいな。黒髭危機一髪だ。
 あんなのに乗せられちゃあ、対戦車ミサイルの標的にならないように、後ろの方でうろうろしていたくなるな。道理で戦線が前へ進んでいかないはずだ。
 ロシアの戦車を買ってる国は、今頃蒼ざめているんじゃないかな。

 それでは旧暦四月になったので、『阿羅野』の初夏の発句の方を。

   初夏

 ころもがへや白きは物に手のつかず 路通

 衣更えで白というと、

 春すぎて夏来にけらし白妙の
     衣ほすてふ天の香具山
              持統天皇(新古今集)

であろう。
 江戸時代の衣更えは、別に白いのに着替えるわけではなかったので、一般的に白のイメージはわかなかったんだと思う。ただ、上古の風流を思い起こすという意味では、巻頭を飾る価値がある。
 ちなみに、「ころもがへ」という言葉は、

 花の色にそめしたもとのをしければ
     衣かへうきけふにもあるかな
              源重之(拾遺集)

にも詠まれていて、雅語になる。

 更衣襟もおらずやだだくさに   傘下

 「だだくさ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「だだくさ」の解説」に、

 「〘名〙 (形動) 雑然として整理のいきとどかないこと。また、そのさま。粗雑。疎略。ぞんざい。
  ※俳諧・新続犬筑波集(1660)一一「そろへぬはこれぞだだくさなづなかな〈重定〉」

とある。
 着物を畳む時には襟がくしゃくしゃにならないように、下前身頃を畳んだ時に襟が外側に向くようにおくみを折り返し、上前身頃を畳む前に襟を内側に折っておかなくてはならない。それをいい加減にやっておくと、夏になって着ようとした時に襟がしわしわになっている。
 当時の着物あるあるだったのだろう。

 ころもがへ刀もさして見たき哉  鼠弾

 当時は庶民も脇指は携帯していたが、びしっと糊のきいた着物を着ると、大刀もさして見たくなる。大小の帯刀を許されない平民の夢か。

   肖柏老人のもちたまひしあらし山といふ香
   を、馬のはなむけに文鱗がくれけるとて、
   雪の朝越人が持きたるを忘れがたく、明る
   わか葉の比、文鱗に申つかはしける
 髭に焼香もあるべしころもがへ  荷兮

 何やら由緒ある上等な香を頂いて、それを衣更えの時に思い出して焼(た)き込んでみる。
 色男でもない髭面の自分には似合わないということだが、『源氏物語』にも髭黒の大将がいる。
 肖柏も肖像画に描かれたものは髭を生やしている。

   山路にて
 なつ来てもただひとつ葉の一つ哉 芭蕉

 コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「一葉」の解説」に、

 「ひとつ‐ば【一葉】
〘名〙
  ① シダ類ウラボシ科の常緑多年草。本州の千葉県以南の暖地の岩上や樹幹に着生する。葉は長柄をもち一枚ずつ直立する。葉身は長さ二〇~四〇センチメートルの長楕円形で裏に黄褐色の星形の毛が密生する。胞子葉は栄養葉よりやや狭く裏面は赤褐色の子嚢群におおわれる。漢名、石韋・飛刀剣。いわぐみ。いわのかわ。いわがしわ。《季・夏》 〔易林本節用集(1597)〕
  ② 植物「はらん(葉蘭)」の異名。
  ③ 植物「いぬまき(犬槇)」の異名。
  ④ 植物「ひとつばかえで(一葉楓)」の異名。
  ⑤ 植物「はくうんぼく(白雲木)」の異名。」

と、五つの植物が列挙されているが、ここはそれではなく、

 「ひとっ‐ぱ【一葉】
  〘名〙 一枚の葉。→ひとっぱも」

の方であろう。衣更えしようにも、これ一枚しか持っていない。
 旅の途中だと、旅の衣の着替えはあっても、特に晴れの日に着る夏物は用意していない。

 いちはつはおとこなるらんかきつばた 一井

 イチハツはウィキペディアに、

 「アヤメ科アヤメ属の多年草。帰化植物。」

とあり、

 「中国原産の植物で、古く室町時代に渡来し、観賞用として栽培されてきた。昔は、強い風を防ぐという迷信があったので農家の茅葺屋根の棟の上に植える風習があったが、最近は少なくなった。そのせいか英名の一つが「roof iris」である。逸出し野生化しているものもある。」

とある。
 杜若は、

 唐衣きつつなれにしつましあれば
     はるばるきぬるたびをしぞ思ふ
              在原業平(古今集)
 いひそめし昔のやどの杜若
     色ばかりこそかたみなりけれ
              良岑義方(後撰集)

のように、女性に喩えて用いられる。
 イチハツは杜若に似ているが、室町時代に入ってきたということもあって、和歌には詠まれない。俳諧の花で杜若が女なら、イチハツは男に詠めばいいのか、とする。稚児をイチハツに喩えるのか。

 柿の木のいたり過たる若葉哉   越人

 柿若葉は近代では「柿若葉」という独立した季語として扱われているが、曲亭馬琴編の『増補俳諧歳時記栞草』にもない所を見ると、普通に「若葉」の句として扱われていたのだろう。
 柿の若葉は薄い奇麗な緑色で艶があり、他の若葉に比べても綺麗すぎる。「超若葉じゃん」というところか。「柿若葉」が独立した季語になったのも、この句の力かもしれない。
 若葉は和歌だと「芦の若葉」「芝生の若葉」「松の若葉」「蔦の若葉」などは春に詠み、「草の若葉」は、

 浅緑草の若葉と見し野辺の
     はや夏深く茂るころかな
              (続千載集)

のように夏に詠まれている。
 木の若葉は、

 若葉さす玉の卯都木の枝ごとに
     幾世の光りみがきそふらむ
              藤原良経(正治初度百首)

の例があるが季節はよくわからない。
 今日でも俳句を知らない人が「若葉」と聞くと、大抵の人は「春」と答えるだろう。俳諧の若葉が特殊な使い方をしていると思った方が良い。

 切かぶのわか葉を見れば桜哉   不交

 切株も春には芽を出し、初夏には若葉を茂らす。
 よく見ると去年切り倒された桜で、今年は花は見られなかったが、生きていてくれたかと思うと嬉しい。

 若葉からすぐにながめの冬木哉  藤蘿

 てにはがわかりにくい句だが、今は若葉だから見えないけど、冬木の時は直に眺めることのできた木だった、ということか。

 わけもなくその木その木の若葉哉 亀洞

 色々な木があって、それぞれに異なる若葉が萌え出すのを見ると、わけもなく感動する。
 世の中もそれと同じで、いろいろな身分のいろいろな職業の人がいるが、みんなが幸せになれればいいと思う。身分社会というのもある意味では多様性社会だ。

 ひらひらとわか葉にとまる胡蝶哉 竹洞

 蝶は花に止まるものだが、若葉にも止まる。

 ゆあびして若葉見に行夕かな   鈍可

 若葉の頃は気温も上がり、そろそろ夕涼みもしたくなる。