2021年5月7日金曜日

 連休中は検査数が減って感染者数が一時的に減ってたが、今日は元に戻っていた。ピークアウトはまだ遠そうだ。このまま後二三か月ずるずるいくのかな。
 とにかく一人一人が自覚しないと結局どうしようもない。コロナと戦わずに仲間割ればかりしている。
 共同体が崩壊すれば万人の万人に対する戦いに陥るだけだ。コロナと戦う前に隣人との戦いに疲弊してゆく。
 コロナは怪獣ではない。庶民が普通通り生活を続けていれば、いつかヒーローが現れて退治してくれるというわけではない。一人一人が自分の生活を変えなくてはならない。
 まあそれはともかく、鈴呂屋書庫に貞享五年の「蓮池の」の巻をアップしたのでよろしく。

 さて、引き続き伊勢での芭蕉の俳諧を見てみよう。
 発句は、

 紙衣のぬるとも折む雨の花    芭蕉

で、元禄十三年刊乙孝編の『一幅半』に収録されているが、完全な形ではなく表六句と以下芭蕉の付け句だけ五句を収録している。
 それから百二十七後の文政十年(一八二七年)刊の古学庵仏兮、幻窓湖中編『俳諧一葉集』には表六句に続けて十一句を並べ、そのあとに『一幅半』の付け句五句を並べている。この集は芭蕉の全集として編まれたものだが、疑わしいものも混ざっている。それを含めて読んでみようと思う。
 発句は雨の花(桜)は紙衣(かみぎぬ)が濡れても折ろうと思う、という句だ。興行当日雨が降っていたのだろう、それでも負けずにこの興行を成功させよう、という寓意があったと思われる。
 脇は、

   紙衣のぬるとも折む雨の花
 すみてまづ汲水のなまぬる    乙孝

 「すみて」は「住て」であろう。前句の紙衣を旅姿として、花の宿にたどり着き、住んでまず汲んだ水は折から桜の季節でなまぬるかった、とする。
 紙衣あるいは紙子は防寒性にすぐれいて小さくたためるということで、旅の必需品だった。『奥の細道』の草加のところにも「帋子一衣(かみこいちえ)は夜の防ぎ」とあるし、『冬の日』の「狂句こがらし」の巻の前書きにも「笠は長途の雨にほころび、紙衣はとまりとまりのあらしにもめたり」とある。
 すっかるぬるんだ春の水を汲んで、どうか旅の疲れを癒してください、というもてなしの意味を込めた脇であろう。
 第三は、

   すみてまづ汲水のなまぬる
 酒売が船さす棹に蝶飛て     一有

 一有は元禄七年の芭蕉が出席した最後の俳諧、「白菊の」の巻にもその名がある。園女の夫だという。
 前句の「すみて」はここでは「澄て」に取り成される。平仮名で表記されているときは取成しがある場合が多い。
 酒売が船で水を汲みに行く。酒に使う良質な水を求めてのことだろう。当時の酒屋は原酒を店先で水で薄めて販売していた。その酒売の船の棹に蝶が寄ってくる。
 四句目。

   酒売が船さす棹に蝶飛て
 板屋板屋のまじる山本      杜国

 酒売が船で川を行く時の周りの景色を付ける。
 「何の木の」の巻の時は「の人」名義だったが、ここでは元禄十三年刊の『一幅半』に収録されたテキストなので杜国の名前になる。
 五句目。

   板屋板屋のまじる山本
 夕暮の月まで傘を干て置     應宇

 山本の街道沿いの街であろう。山が迫る所だと天気が変わりやすいので、月夜の外出にも傘をもって行く必要があるので、夕暮れまでに乾くように干しておく。
 六句目。

   夕暮の月まで傘を干て置
 馬に西瓜をつけて行なり     葛森

 西瓜は瓜の一種ということで、初秋の季語になる。素麵とともに七夕の時に食べた。前句の月を七夕の夜の半月としたのだろう。馬で西瓜が運ばれてゆく。
 さて、『一幅半』だとここで終わって、あとは芭蕉の付け句のみになるが、『一葉集』だと、次の句が続く。
 初裏。
 七句目。

   馬に西瓜をつけて行なり
 秋寒く米一升に雇れて      芭蕉

 前句の馬で西瓜を運ぶ人は荷物を運ぶ専門の馬ではなく、たまたま馬を連れた百姓を見つけ、米一升で西瓜を運んでもらうとする。
 まあ、七夕の特需ならありそうなことで、自然な展開なので、芭蕉の句であることを疑う理由はない。
 八句目。

   秋寒く米一升に雇れて
 襦袢の糊のたらでさびしき    杜国

 襦袢は下着で男女ともに用いる。貰った米を襦袢の糊に使おうというのか。
 九句目。

   襦袢の糊のたらでさびしき
 吹付て雨はぬけたる未申     葛森

 ひとしきり風雨が強くなり、びしょ濡れで襦袢も湿ってよれよれになった所で糊が欲しい、となる。未申は午後一時から日が沈む一時間前くらいまでの時間。
 十句目。

   吹付て雨はぬけたる未申
 夕に駕をかる都人        杜国

 未申と来て夕暮れの酉の刻に駕籠に乗って外出する都人がいる。夜の街に繰り出すのか。
 十一句目。

   夕に駕をかる都人
 命ぞとけふの連歌を懐に     芭蕉

 この句は『一幅半』にもある。
 連歌興行は朝に始まり夕暮れに終わる。今日の連歌の出来が良かったので、それを大事に懐に仕舞い、駕籠に乗って帰る。連歌興行は寺社で行われることが多い。
 十二句目。

   命ぞとけふの連歌を懐に
 寺に祭りし業平の宮       應宇

 『伊勢物語』第六十九段に、

 かち人のわたれどぬれぬえにしあれば

という女の差し出した盃に歌を書いたので、

 又あふさかのせきはこえなむ

と続松の炭して歌の末を書き継いだ話が記されている。
 これは後の土芳の『三冊子』で、連歌の起源を語る時でも、日本武尊の「かがなべて」の歌の次に古い連歌として記している。
 前句の懐に仕舞った連歌をこの在原業平の連歌とし、それを貰った女が業平の霊を寺に祀ったとする。この「斎宮なりける人」は恬子内親王とされている。
 そこでこの宮がどこにあるかだが、天理にある在原寺は、父の阿保親王が業平の誕生したときに光明寺をこの地に移して、本光明山補陀落院在原寺としたもので、死んで祀られた寺ではない。京都の十輪寺の方ではないかと思う。
 ここまでの展開は特に問題はないし、本物ではないかと思う。

2021年5月6日木曜日

 太陽光パネルの設置の義務化は日本のような電力会社の寡占体制の国では有効な方法だとおもう。各家庭が外部電力に依存する限り、一握りの電力会社が効率優先で火力か原発かの二択を繰り返す。それを抜け出るには電力の自給体制を作らなくてはならない。
 家庭だけでなく、むしろ役所、工場、店舗、駐車場など、大型の施設にはすべて義務付けるようにした方がいい。ソーラーパネルだけでなく電気自動車用の充電器も義務付けるといい。
 あと、コロナはやはり変異株によって状況が大きく変わっている。過去にクラスターを出してないというのは科学的なエビデンスにはならない。今とは別のウイルスで安全だったというだけのことだ。ロックフェスが安全だというなら変異株でも安全だというエビデンスを示すべきだ。
 これは飲食店でもスポーツイベントでもパチンコ屋でも同じだ。今の変異株でも安全だというエビデンスを出せ。過去は忘れろ。
 COVID-19が出る前の旧型コロナのデータを持ちだして、コロナはただの風邪だと証明するようなものだ。科学を冒涜している。
 それにあと、緊急事態宣言に効果がないから解除しろというのは暴論もいい所だ。どうしたら効果が出るかを論ずべきなのは言うまでもない。
 とにかく世の中何が何でも今まで通り営業を続けたくて、どうしようもない詭弁がまかり通っている。
 あと、「皷子花の」の巻を鈴呂屋書庫にアップしたのでよろしく。

 それでは「何の木の」の巻の続き、挙句まで。

 二十五句目。

   誰が駕ぞ霜かかるまで
 あこがるる楽の一手を聞とりて  芭蕉

 『源氏物語』末摘花巻で常陸の親王の娘が七弦琴が得意だと聞いた源氏の君が、親王が名手だっただけにどういう琴を弾くのか気になり、わざわざ聞きに行く場面がある。ただ、季節は朧月夜だった。
 本説というほど物語に即してはないが、王朝時代ならわざわざ霜の夜に楽の一手を聞きに行くこともあったのではないか、という所で付けている。
 二十六句目。

   あこがるる楽の一手を聞とりて
 釣の王子の浦はさびけり     益光

 前句を敦盛の笛としたか。敦盛の戦死した一之谷のあたりの須磨の浦は海人の釣舟が歌にも詠まれている。謡曲『敦盛』で笛を吹く敦盛の霊の登場場面のイメージになる。
 そうなると王子が何を指すのかというとこになる。神戸市須磨区に王子公園があるが、王子の浦という場所があったのかどうかはわからない。
 二十七句目。

   釣の王子の浦はさびけり
 声さりて鳥居に残る秋の蝉    又玄

 神戸の王子公園のあたりはもともと王子権現のあったところで、延元元年(一三三六年)に紀伊熊野より若一王子神の分霊を勧請し、創建された。
 前句がこの辺りの浦のことをいうなら、王子権現の鳥居に秋の蝉、ということになる。
 二十八句目。

   声さりて鳥居に残る秋の蝉
 しぐるる風に銀杏吹ちる     勝延

 神社に銀杏の木は付き物で、前句の「残る秋の蝉」を秋に残る蝉ではなく、冬になってもまだ残る秋の蝉として晩秋から初冬の時雨に銀杏散るとする。季語としては「銀杏吹ちる」で一応秋になる。
 二十九句目。

   しぐるる風に銀杏吹ちる
 笈かけて夜毎の月を見ありきし  の人

 秋を通じて夜毎夜毎の月見を繰り返してきた風狂の旅人とする。月を見ているうちにいつのまにか時雨の季節になってしまった。
 三十句目。

   笈かけて夜毎の月を見ありきし
 心と住ん家の図もなき      平庵

 前句の風狂の徒を一所不住とし、住むべき家は心の中にあって、実物の家を建てる図を描いていない。「住む」は前句の月の「澄む」に掛けている。
 二裏。
 三十一句目。

   心と住ん家の図もなき
 親ひとり茶に能水と歎れつる   益光

 「歎れつる」は「なかれるつ」。
 家を建てようと思うが、親が茶の水の良い所でなければだめだと譲らないので、なかなか決まらない。
 三十二句目。

   親ひとり茶に能水と歎れつる
 まづ初瓜を米にしろなす     芭蕉

 「米にしろなす」は『校本芭蕉全集 第四巻』の宮本注に、

 「売って米に換えるの意。『類船』「瓜」の条に「孫鐘といふ人家貧にして瓜を作りし也」と見える」

とある。孫鐘の話はウィキペディアに、

 「孫鍾は呉郡富春県(現在の浙江省杭州市富陽区)の瓜売りの商人であった。はやくから父を亡くして母とふたりで暮らしおり、親孝行であったという。ある年に凶作の飢饉の状況であり、彼は生き延びるために、瓜を植えてそれを売って生計を立てていた。
 ある日に、彼の家の前にとつぜん三人の少年が現れて、瓜が欲しいとせがんだ。迷った孫鍾自身も生活が苦しいものの、潔く少年らに瓜を与えた。瓜を食べ終わった三人の少年はまとめて孫鍾に「付近の山の下に墓を作って、あなたが埋葬されれば、その子孫から帝王となる人物が出るだろう」と述べた。まもなく三人の少年は白鶴に乗っていずこかに去っていった。
 歳月が流れて、孫鍾が亡くなると、かつて少年らが述べた付近の山の下に埋葬されたが、当地からたびたび光が見えて、五色の雲気が昇ったという。」

とある。
 親にいつか茶に良い水を、と思いつつ、まずは瓜を育てて売ることから始める。その子孫が帝王になったかどうかはわからない。
 三十三句目。

   まづ初瓜を米にしろなす
 此坊を時鳥聞やどりにて     正永

 正永は初登場だが執筆か。
 前句の瓜を育てている人をお坊さんとし、ホトトギスの声が聞こえるような山の中に住んでいる。
 三十四句目。

   此坊を時鳥聞やどりにて
 ゆり込楫にふねつなぎけり    又玄

 ホトトギスの聞こえる坊を水辺とする。

 山ちかく浦こぐ舟は時鳥
     なくわたりこそ泊りなりけれ
              康資王母(金葉集)

の心か。
 三十五句目。

   ゆり込楫にふねつなぎけり
 武士の弓弦に花を引たわめ    勝延

 「武士」は「もののふ」、「弓弦」は「ゆづる」と読む。
 風流に欠いた武士が桜の枝を弓のように撓めて船をつなぎとめる。
 近代の都都逸にある「咲いた桜になぜ駒繋ぐ、駒が勇めば花が散る」と同じようなもの。明和九年(一七七二年)刊の『山家鳥虫歌』が元らしい。
 挙句。

   武士の弓弦に花を引たわめ
 短冊のこす瑞籬の春       の人

 前句の武士が花の枝を引っ張ったのを、歌を書き記した短冊を吊るすためだとし、場所を瑞籬で神社とすることで、伊勢での興行は目出度く終了する。

2021年5月5日水曜日

 ゴールデンウィークが終わった。都心は人が減ったがその分地方へコロナが拡散された可能性がある。そしてこれから都心に人が戻ってくる。自分にできることといえば、こうして引き籠っていることだけだ。
 コロナが収束したら何しようかなんて言うと、何かフラグ立てているみたいだな。
 鈴呂屋書庫の方に「いろいろの」の巻、「疇道や」の巻、「亀の甲」の巻と越人の序を付けて、「『ひさご』を読む」をアップしたのでよろしく。
 それでは「何の木の」の巻の続き。

 十三句目

   碁に肱つきて涙落しつ
 いねがてに酒さへならず物おもひ の人

 「の人(ひと)」は野人、野仁という字も充てる杜国の別号。まあ、今でいうなら裏垢といったところか。不運な事件から尾張国を追放されていたので、野に下った人という意味でつけたか。
 「いねがて」は眠れなくてということ。眠れないうえに酒も飲めず碁盤で過去の棋譜を並べながら悶々としている。大きな試合に負けた棋士だろう。
 十四句目

   いねがてに酒さへならず物おもひ
 陣のかり屋に僧の籠りて     益光

 前句の「酒さへならず」を僧だからだとした。陣中に招かれた僧は酒飲んで高鼾で寝ている武士たちの中で肩身が狭そうだ。芭蕉も杜国の鼾に苦しめられたようだが。
 十五句目

   陣のかり屋に僧の籠りて
 白雲にのぼれと雁を放らし    清里

 放生会(はうじゃうゑ)であろう。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「〘名〙 仏語。供養のために、捕らえた魚や鳥などの生物を池や野に放してやる法会。日本では、天武天皇五年(六七六)に諸国に行なわせたともいうが、養老四年(七二〇)宇佐八幡宮で行なわれたのが初例らしい。後に、陰暦八月一五日に八幡宮の神事として行なわれるに至った。特に石清水八幡宮の行事が名高い。放生大会。《季・秋》
  ※扶桑略記(12C初)養老四年九月「合戦之間、多致二殺生一、宜レ修二放生一者、諸国放生会始レ自二此時一矣」

とある。
 もっとも、放生会で放つ鳥は結局どこかから捕まえてきたわけだから、鳥の方からすれば迷惑なことだろう。
 飛来したばかりの雁を捕まえて放すようなことがあったのかどうかはよくわからない。「らし」とあるから、これは渡ってきた雁は、放生会で放たれたのだろうか、という反語と見た方がいいのだろう。
 放生会が行われている一方で、陣中の武士はどこかからか雁を捕まえてきて食っていたりする。
 十六句目

   白雲にのぼれと雁を放らし
 はじめて得たる国の初稲     平庵

 放生会のある八月十五日頃は、稲の収穫も始まる頃だった。
 十七句目

   はじめて得たる国の初稲
 もる月を賤き母の窓に見て    又玄

 武家奉公の息子が農人の母の元に帰ってきて、という設定だろうか。芭蕉も農人の家に生まれて母の手で育てられて、元服すると武家奉公に出た。農人は自分の田んぼを持ってないいわゆる水飲み百姓で、得たのは自分の稲ではない。
 十八句目

   もる月を賤き母の窓に見て
 藍にしみ付指かくすらん     芭蕉

 賤き母を紺屋とした。ウィキペディアに、

 「柳田国男の『毛坊主考』によると、昔は藍染めの発色をよくするために人骨を使ったことから、紺屋は墓場を仕事場とする非人と関係を結んでいた。墓場の非人が紺屋を営んでいたという中世の記録もあり、そのため西日本では差別視されることもあったが、東日本では信州の一部を除いてそのようなことはなかった。山梨の紺屋を先祖に持つ中沢新一は実際京都で差別的な対応に出くわして初めてそのことを知らされたという。」

とある。
 二表。
 十九句目。

   藍にしみ付指かくすらん
 神役に雇来ぬる注連縄の内    益光

 「注連縄」はここでは「しめ」と読む。「雇」は「やとはれ」。
 神役(しんやく)は神主さんのことだが、ここでは意味としては「かみやく」でコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」の、

 「② 神事に当たっての司祭者。当番制で祭りの世話をする役目。当屋(とうや)。一年神主。
※浮世草子・男色大鑑(1687)四「当社西の御門に紙伇(ヤク)の家高き。大中井兵部太夫一子に大蔵といへるあり」

とある。
 紺屋であることがばれないように指を隠す。
 二十句目。

   神役に雇来ぬる注連縄の内
 返歌につまる衣の俤       の人

 前句の「神役」を斎宮のこととしたか。野宮で斎宮になる娘に付き添って斎戒生活を送っているというのに、言い寄ってくる男がいたりする。
 二十一句目。

   返歌につまる衣の俤
 恋草と池の菖蒲を折兼て     勝延

 恋草はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「① 恋心のつのることを草の茂るのにたとえた語。
  ※万葉(8C後)四・六九四「恋草(こひぐさ)を力車に七車積みて恋ふらくわが心から」
  ② 恋愛。恋愛ざた。また、恋人。〔日葡辞書(1603‐04)〕
  ※浮世草子・傾城色三味線(1701)湊「都の恋草に御身のかくし所もなく」

とある。
 菖蒲(あやめ)というと、

 郭公なくや五月のあやめぐさ
     あやめも知らぬ戀もするかな
              よみ人しらず(古今集)

の歌を始めとして、古来恋に詠まれてきた。
 男がこの菖蒲に掛けて歌を詠んできたのだろう。その菖蒲を使ってうまく誘いをしりぞけなくてはいけなのだが、うまい言葉が思いつかない。
 『源氏物語』澪標巻で源氏の君が明石の君に贈った手紙に、

 海松や時ぞともなきかげにゐて
     何のあやめもいかにわくらん

とあったのに対し、明石の君は、

 数ならぬみ島がくれに鳴く鶴を
     今日もいかにと訪ふ人ぞなき

と「あやめ」も恋のこともスルーして、子どものことを気にかけてくれと返している。
 二十二句目。

   恋草と池の菖蒲を折兼て
 水鶏を追に起し暁        又玄

 菖蒲(あやめ)に水鶏(くいな)というと、

 まきのとをたたく水鶏のあけぼのに
     人やあやめの軒のうつり香
             藤原定家(拾遺愚草)

の歌がある。水鶏の声は戸を叩く音に似ているというので、古来和歌に詠まれている。「日本野鳥の会京都支部」のホームページによると、

 「ヒクイナが夜にけたたましく「キョッ、キョッ、キョキョキョキョ…」と鳴く声は、とても戸を叩く音には聞こえません。ところが、野鳥の声の録音の第一人者・松田道生さんが一晩中タイマー録音したところ、早朝に「コッ」とか「クッ」という声を1.5秒間隔で出し続けて鳴いていたそうです。昔の人はその声を「戸を叩く音」に例えていたわけです。」

とのこと。
 あやめも知らぬ恋も満たされずに、来ぬ人を待って夜を明かし、コッコッと音がして誰かが戸を叩いたのかと思ったら水鶏だった。それを水鶏を追うために起きたようなものだ、という所に俳諧がある。
 二十三句目。

   水鶏を追に起し暁
 たばこ吸ふ篝の跡の煙たる    平庵

 篝火(かがりび)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「① =かがり(篝)①
  ※古今(905‐914)恋一・五二九「かがり火にあらぬわが身のなぞもかく涙の河にうきてもゆらん〈よみ人しらず〉」
  ※源氏(1001‐14頃)篝火「御まへのかがり火の、すこし消えがたなるを」
  ② 「やりて(遣手)」の異称。
  ※随筆・当世武野俗談(1757)松葉屋瀬川「かがり火とは、やりてと云事、心の火をたゐたりけしたり、もの思ふといふ心」

とある。この場合は前句の恋を受けて②の意味で遊郭に転じたか。
 煙草を吸ってた遣手婆が水鶏という遊女を起こしにゆく。
 二十四句目。

   たばこ吸ふ篝の跡の煙たる
 誰が駕ぞ霜かかるまで      清里

 ここでは篝を元の意味に戻して、家の警護の者が焚く篝火とし、夜にやってきた駕(のりものと読む、ここでは牛車か)が朝の霜がかかるまでずっと止まってたとする。男が通ってきたのだろう。ただ、王朝時代とすると煙草はオーパーツになるが。 

2021年5月4日火曜日

  今年のコロナウィルスは去年の暑い夏を乗り切ったウィルスの子孫だから、暑さに強いかもしれない。夏になれば弱体化するということも期待できないかもしれない。そうなると、より強い対策を取らない限り、緊急事態宣言がかなり長期化する可能性がある。
 仮に枝野暫定政権が誕生した場合、コロナ対策はどうなるのかシミュレーションしてみようか。
 まずは公約通り、憲法二十五条第二項、

 第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
   2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。 

に基づいて公衆衛生の名目で徹底した対策を行うと宣言する。
 ただし、実際にロックダウンを行うにはこの憲法に基づいた法整備が必要になり、すぐにはできないばかりか、この春に罰則規定の導入に反対した経緯がある。そのため法整備をするにしても強制力を持たせることは難しい。
 そのため、強制力のないまま憲法二十九条第三項、

 第29条 財産権は、これを侵してはならない。
   2 財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。
   3 私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。

に基づいて補償について協議に入る。
 そこでまずAシナリオ。
 財政規律を重視する官僚の反対にあい、ここで補償案が頓挫し、最終的に補償する金がないのでロックダウンなどの措置は見送り、従来通りの自粛要請を継続するにとどまる。これはかつての民主党政権が数々のばらまき公約をことごとく反古にしてしまったことを思えば、一番可能性がある。
 次にBシナリオ。
 官僚と妥協した形で現在よりは多少額を上増しした形でそこそこの補償をする。
 その分GO TOキャンペーンや景気刺激策の予算を削ることになる。オリンピックを中止してその予算を工面する手もあるが、違約金や何かの関係でどの程度の予算が確保できるかは未知数。
 補償と引き換えに強制力のないロックダウンを行うにしても、困窮している業界からはその程度の補償ではという反発から、効果は限定的になる。
 また、給付金が自治体を通じて配布される今の状況は変わらないし、一年でそんなにデジタル化は進んでないので、自治体のオーバーワークによる給付金の遅れは避けられない。
 自治体のオーバーワークはワクチン接種にも悪影響をもたらす恐れがある。ワクチン接種も原則的には自治体が行うもので、国による集団接種には反対論が根強くあまり期待はできない。
 強制力がない以上、コロナ対策としての効果は限定的だが、まあこれがおそらく最善のシナリオであろう。
 次に最悪のCシナリオ。
 MMT理論により自粛要請に応じた場合の完全補償を行い、湯水のように金をばらまく。
 強制力がない以上、効果は完全ではないが、そこそこの効果は得られるだろう。ただ、給付を受けながら営業する業者も後を絶たず、それ以上に国家の財政破綻への不安から円も株も売られて日本は市場の信頼を完全に失う。
 失業者が街にあふれるとその都度大規模な財政支出を繰り返す悪循環に陥る。そしてその混乱に乗じて左翼内部から一気に革命を起こそうとする連中が現れ、彼らは間違いなく外圧を利用する。つまり中国に助けを求めることになる。
 自民党政権が続いた場合でも、強制力のある措置がとれず、補償にたいした国家予算を配分できない現状が一緒なのは確かだ。それが今の日本の政治の限界だと思った方がいい。あとは国民がいかにわきまえるかだ。
 あと、鈴呂屋書庫に「夏馬の遅行」の巻をアップしたのでよろしく。読んでいて何となく違和感を感じる巻というのは今までもいくつかあったが、これもその一つで、本当に何となくなんだけどね。
 例えば語句を検索してもヒットしない言葉が多かったり、そうなると、古そうに見えるように作った言葉なのかななんて思ったりもする。ただ、この巻は似せ物だとしても良く出来ていると思う。

 それではまだ春も残っているので、今回は貞享五年春の「何の木の」の巻を読んでみようと思う。
 『笈の小文』の旅の伊勢山田滞在中の興行で、連衆は伊勢の人たちであろう。杜国が途中から「の人」名義で参加している。
 発句は、

 何の木の花とは知らず匂ひ哉   芭蕉

 この句は『笈の小文』にもあるし、元禄八年刊支考編の『笈日記』にも、

     貞享の間なるべし此國に
     抖擻ありし時
  奉納 二句
     西行のなみだをしたひ增賀の
     信をかなしむ
 何の木の花ともしらずにほひかな はせを
 裸にはまだ二月のあらし哉

とある。
 抖擻(とそう)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「〘名〙 (dhūta 頭陀の訳) 仏語。
  ① 身心を修錬して衣食住に対する欲望をはらいのけること。また、その修行。これに一二種を数える。とすう。頭陀(ずだ)。
  ※性霊集‐三(835頃)中寿感興詩「斗藪之客、遂爾忘帰」
  ※源平盛衰記(14C前)一八「角(かく)て抖擻(トソウ)修業の後再(ふたたび)高雄の辺に居住して」
  ② ふりはらうこと。特に、雑念をうちはらって心を一つにすること。一つのことに集中して他のことを思わないこと。
  ※卍庵仮名法語(18C中か)「参禅は、刹那も油断あるべからず、出息入息、精神を抖擻(トソウ)し、前歩後歩」

とある。
 「此國」は伊勢国のことで、伊勢で修行したということだろう。伊勢神宮に二句を奉納する。その一句は「西行のなみだをしたひ」で、これは、

 何ごとのおはしますをば知らねども
     かたじけなさの涙こぼれて
              西行法師

の歌による。
 もう一句は「增賀の信をかなしむ」で、これは『撰集抄』増賀上人の話で、天台山根本中堂に千夜こもって祈りを捧げたけども悟りを得られなかったが、あるとき、伊勢神宮を詣でて祈っていると、夢に「道心おこさむとおもはば、此身を身とな思ひそ」という示現を得て、それならとばかりに着ているものを皆脱いで乞食に与え、裸で物乞いをしながら帰ったという話から来ている。
 ここでは前者の方の句を立て句として興業が始まる。
 仏者であるから伊勢神宮の由来や何かは知らないが、この伊勢神宮という花の匂いにはその尊さが感じられ、西行法師のように涙が出ます。
 脇は、

   何の木の花とは知らず匂ひ哉
 こゑに朝日をふくむ鶯      益光

 花に鶯を付けて、その鶯の声に登る朝日ような輝かしい心が含まれている、と前句の有難さを補足してゆく。
 第三は、

   こゑに朝日をふくむ鶯
 春ふかき柴の橋守雪掃て     又玄

 柴は森や林の下の方に生える灌木で、実際のところこれで橋が作れるのかどうかはわからないが、比喩としてその辺の雑木を組んで作った簡単な橋、という意味であろう。
 深い谷にあれば朝日の指すのも遅く、まだ暗い中で橋守が橋に積った雪を掃いていると、聞こえてくる鶯の声に見えない朝日の輝きが感じられる。
 四句目。

   春ふかき柴の橋守雪掃て
 二葉の菫御幸待けり       平庵

 二葉の菫はフタバアオイであろう。皇室の御幸の来るのを待っている。場所は上賀茂神社だろうか。
 五句目。

   二葉の菫御幸待けり
 有明の草紙をきぬに引包     勝延

 天皇陛下に捧げる「有明の草紙」を絹に包んで待っている。
 六句目。

   有明の草紙をきぬに引包
 寝覚はながき夜の油火      清里

 前句を有明の月の出る頃に草紙を布に引き包み、として寝覚め手行燈の油に火を灯すとする。
 初裏。
 七句目。

   寝覚はながき夜の油火
 釣柿に鼠のかよふ音聞て     益光

 朝寝覚めて行燈に火を灯すと、外には干し柿が釣ってあるのが見え、天井からは鼠の走る音が聞こえてくる。
 八句目。

   釣柿に鼠のかよふ音聞て
 しほりを戸ざす田の中の寺    芭蕉

 「しほり」は枝折戸で、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「〘名〙 木や竹の小枝などの折ったものをそのまま並べて作った、簡素な開き戸。しおり。
  ※看聞御記‐永享七年(1435)八月三日「四辻沽却門〈師織戸〉召寄」

とある。
 枝折戸を閉ざして田の中の寺は冬籠りに入るのだろう。
 九句目。

   しほりを戸ざす田の中の寺
 山路来て清水稀なる袖の汗    平庵

 長い峠越えの山道で水場がないとなると夏は大変だ。脱水症状になる。お寺があったから水がもらえるかと思ったら無情にも留守のようだ。水分は汗になってどんどん失われてゆく。
 十句目。

   山路来て清水稀なる袖の汗
 煩ふ鷹をおしむかなしき     又玄

 「煩ふ鷹」は『校本芭蕉全集 第四巻』(小宮豐隆監修、宮本三郎校注、一九六四、角川書店)の注には、「鷹の羽毛の脱け落ちる「塒(とや)鷹」の意」とある。鳥屋・塒(とや)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「① 鳥を飼って入れておく小屋。鶏や種々の鳥を飼う小屋をさすが、特に鷹を飼育するための小屋をいうこともある。鳥小屋。
  ※肥前風土記(732‐739頃)養父「鳥屋(とや)を此の郷に造り、雑の鳥を取り聚めて、養ひ馴づけて」
  ② 鷹の羽が夏の末に抜け落ち、冬になって生え整うこと。この間①にこもるところからいう。その回数によって鷹の年齢を数え、三歳あるいは四歳以上の鷹、または四歳の秋から五歳までの鷹を特に称するともいう。
  ※禰津松鴎軒記(室町末か)「鷹の年を見るやう。一とや二とやなれば爪の上に色黒く、そこ色あかし」

とある(③以下は省略)。
 鷹狩の鷹は鷹匠に依頼して育てさせていたので、鷹匠は山の中の鳥屋で鷹を飼っていたのだろう。
 夏場は古い羽を抜いてやって、鷹狩の季節までに生え揃うようにしなくてはならない。そういう暑いさなか鳥屋での鷹の健康管理は大変だし、鷹の餌も確保しなくてはいけない。
 そうした中で鷹を死なせてしまうことがあったらどうなったのか、想像もつかない。
 十一句目

   煩ふ鷹をおしむかなしき
 女のみ古き御館の破れ簾     芭蕉

 「御館(みたち)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「〘名〙 (「み」は接頭語)
  ① 国府の庁。また、領主の役所。
  ※土左(935頃)承平五年一月九日「藤原のときざね、橘のすゑひら、長谷部のゆきまさらなん、みたちより出でたうびし日より、ここかしこに追ひ来る」
  ② 貴人の住居。おやしき。
  ※虎明本狂言・餠酒(室町末‐近世初)「我らのまいる御(ミ)たちはこれで御ざるが」
  ③ (①の住人の意から) 領主。殿様。
  ※今昔(1120頃か)二四「此は御館の名立にも有(あらむ)と云て」

とある。
 未亡人だろう。夫は戦死して、飼っていた鷹も病気で失い、妻のみが荒れ果てた館に残されている。
 十二句目

   女のみ古き御館の破れ簾
 碁に肱つきて涙落しつ      勝延

 『源氏物語』でも空蝉と軒端荻が碁を打つ場面があったように、囲碁は女性の間でも人気のある遊びだったのだろう。今でも女性の棋士は多いし、将棋のような「女流」はなくて男女混合で戦っている。
 古い御館に使える女房達が碁を打ちながら、恋ばなをしたり悩みを聞いてもらったりもしてたのだろう。この日は何か悲しいことがあったのか。

2021年5月3日月曜日

 大阪はピークアウトかと思ったが高止まりで減る気配はない。医療はひっ迫してかなり危機感はあるのだろうけど、これまでうまくいっていた「万全な対策」では防ぎきれてないんだと思う。
 東京も減る気配はない。これまでの「万全な対策」ではもはや防げないと思った方がいい。変異株はこれまでの常識をはるかに超えている。過去クラスターを出してないということも、もはや免罪符にはならない。「万全な対策」は一度忘れた方がいい。
 帰納法は絶対ではない。昨日まで起こらなかったことが明日も起こらないという保証は何もない。そもそもこの新型コロナ自体がそれまでのコロナの常識をことごとく覆すものだったことを忘れてはいけない。過去の経験に囚われるな。特に過去の成功体験は有害だ。早く忘れろ。
 今日は戦後の日本国憲法公布の日ということで、憲法について考えるということだが、やはり緊急事態に対応できるような明確な規定はあった方がいいと思う。自衛隊も憲法できちんと定めた方がいい。あと、憲法第二十四条の「婚姻は両性の」は「両人」でいいと思う。
 現行憲法でのロックダウンの困難は12月26日の日記を参照のこと。
 戦後の憲法は明治憲法によって定めた手続きに従って改正されたもので、現行憲法にも憲法改正の手続きが定められている以上、憲法は時代に合わせて絶えず修正されなくてはならない。こんなのどこの国でも当たり前のことなんだが、不思議の国ニッポン。
 まあ、とにかく、過去に固執する民族に未来はない。忘却力が大事だ。

 それでは「亀の甲」の巻の続き、挙句まで。

 二十五句目。

   轉馬を呼る我まわり口
 いきりたる鑓一筋に挟箱     及肩

 「挟箱(はさみばこ)は箱の上に金具がついていて、そこに棒を通して肩に担いで運ぶ従者の持つ箱。大名行列などに用いられる。鑓も大名行列の御持槍(おもたせやり)であろう。『猿蓑』に、

 鑓持の猶振たつるしぐれ哉    正秀

の句もある。
 伝馬を呼んでたのは大名行列に用いる馬の調達だった。
 二十六句目。

   いきりたる鑓一筋に挟箱
 水汲かゆる鯉棚の秋       野徑

 大名行列が来ると鯉の特需があったのか。鯉の生簀の水を換えて鯉がよく見えるようにする。
 二十七句目。

   水汲かゆる鯉棚の秋
 さはさはと切籠の紙手に風吹て  二嘨

 「切籠(きりこ)」は切子灯籠のこと。コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)の解説」に、

 「盆灯籠の一種で、灯袋(ひぶくろ)が立方体の各角を切り落とした形の吊(つ)り灯籠。灯袋の枠に白紙を張り、底の四辺から透(すかし)模様や六字名号(ろくじみょうごう)(南無阿弥陀仏)などを入れた幅広の幡(はた)を下げたもの。灯袋の四方の角にボタンやレンゲの造花をつけ、細長い白紙を数枚ずつ下げることもある。点灯には、中に油皿を置いて種油を注ぎ、灯心を立てた。お盆に灯籠を点ずることは『明月記(めいげつき)』(鎌倉時代初期)などにあり、『円光(えんこう)大師絵伝』には切子灯籠と同形のものがみえている。江戸時代には『和漢三才図会』(1713)に切子灯籠があり、庶民の間でも一般化していたことがわかるが、その後しだいに盆提灯に変わっていった。ただし現在でも、各地の寺院や天竜川流域などの盆踊り、念仏踊りには切子灯籠が用いられ、香川県にはこれをつくる人がいる。[小川直之]」

とある。「紙手(しで)」は紙垂でウィキペディアに、

 「紙垂(しで)とは、注連縄や玉串、祓串、御幣などにつけて垂らす、特殊な断ち方をして折った紙である。」

とある。お盆の燈籠に下げた紙垂の秋風にさわさわ揺れる頃、鯉屋は生簀の水を換える。
 二十八句目。

   さはさはと切籠の紙手に風吹て
 奉加の序にもほのか成月     乙州

 奉加はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「① (神仏への寄進の金品に、自分のものを加え奉るの意) 勧進(かんじん)によって神仏に金品を寄進すること。また、その金品。知識。
  ※今昔(1120頃か)一二「此、皆、寺僧の営み、檀越(だんをつ)の奉加也」
  ② 転じて、一般に、金品を与えること、またはもらうこと。また、その金品。寄付。
  ※浄瑠璃・心中天の網島(1720)下「福島の西悦坊が仏壇買ふたほうが、銀一枚回向しやれ」

とある。
 奉加の品物に添えた端書きを書くにも、風で紙はじっとしてないし、月には薄雲が掛かりあまり明るくない。
 二十九句目。

   奉加の序にもほのか成月
 喰物に味のつくこそ嬉しけれ   珍碩

 「味のつく」は『芭蕉七部集』の中村注に、「病後などにものが美味しく食えるようになること」とある。
 前句を病気が治ったことへの感謝の奉加としたか。
 三十句目。

   喰物に味のつくこそ嬉しけれ
 煤掃うちは次に居替る      里東

 家が煤掃きの最中だが、まだ手伝えるほどの元気もないので隣の部屋に避難する。その部屋を掃除するときは元の部屋に戻るのだろう。
 二裏。
 三十一句目。

   煤掃うちは次に居替る
 目をぬらす禿のうそにとりあげて 探志

 禿(かむろ)は遊女の見習いで、うるんだ目で嘘を言っては煤掃きを手伝わずに奥の部屋でぬくぬくしている。
 三十二句目。

   目をぬらす禿のうそにとりあげて
 こひにはかたき最上侍      昌房

 最上侍といえば最上義光であろう。最上義光は鮭が大好物で鮭様と呼ばれたという。鯉は苦手だったのかもしれない。俳諧であえて平仮名で書いてあるときには両義性を持たせている場合が多い。
 前句の禿に騙されてというところに「恋にはかたき」と付けたところで「最上侍」という落ちを思いついたのだろう。
 鮭好きというと『鬼滅の刃』の冨岡義勇が思い浮かぶが。
 三十三句目。

   こひにはかたき最上侍
 手みじかに手拭ねぢて腰にさげ  正秀

 「ねぢて」は別にねじり鉢巻きのようにするのではなく、ねじれたままきちんと広げずにという意味だろう。いかにもずぼらな感じでもてないだろうな。
 三十四句目。

   手みじかに手拭ねぢて腰にさげ
 縄を集る寺の上茨        及肩

 「上茨」は「うはぶき」と読む。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「① 屋根の上に花弁や雪などが覆い葺くように積もること。
  ※大弐集(1113‐21)「見せばやなささの庵に春風のたくみにおろす花のうはふき」
  ② かやの類で屋根を葺くこと。
  ※高野山文書‐天文一九年(1550)奥院興隆作事入目日記「奥院二宮上葺入目之事」
  ③ 牛車(ぎっしゃ)の車箱の屋根。
  ※兵範記‐仁安元年(1166)一〇月一〇日「儲皇御車 華美唐車也、四面垂二白生糸一、施二左右横縁一、上葺同糸」
  ④ インドの倉庫、物置小屋のごとき建物の屋根の葺き方で、蔵の上部しかも蔵から独立した形で葺く方法(日葡辞書(1603‐04))。」

とある。ここでは②の意味。
 茅葺屋根の上葺の際には、まず竹で土台を組むときに縄が用いられ、その上に下地となる縄で束ねた萱を敷き詰める。この時に大量の縄が必要とされる。
 前句を屋根葺きをする職人とする。忙しくて腰手拭を畳む暇もない。
 三十五句目。

   縄を集る寺の上茨
 花の比昼の日待に節ご着て    野徑

 前句の「上茨」を①の意味に取り成し、藁ぶき屋根に花が散った花の上葺にする。
 日待(ひまち)はコトバンクの「世界大百科事典 第2版の解説」に、

 「村の近隣の仲間が特定の日に集まり,夜を徹してこもり明かす行事。家々で交代に宿をつとめ,各家から主人または主婦が1人ずつ参加する。小規模の信仰行事で,飲食をともにして,楽しくすごすのがふつうである。神祭の忌籠(いみごもり)には,夜明けをもって終了するという形があり,日待もその一例になる。日の出を待って夜明しをするので日待というといわれる。宗教的な講の集会を一般に日待と呼ぶこともある。集りの日取りにより,甲子待(きのえねまち),庚申待(こうしんまち)などと称しているが,十九夜待,二十三夜待,二十六夜待などは月の出を拝む行事で,日待と区別して月待と呼ぶ。」

とある。狭義の日待は正月・五月・九月に行われるので、この場合は桜の季節だから甲子待か庚申待を指しているのかもしれない。通常は夜通し行われるものだが、昼から行われることもあったのだろう。
 「節ご」は『芭蕉七部集』の中村注に「節句小袖。節日に着る晴着」とある。
 挙句。

   花の比昼の日待に節ご着て
 ささらに狂ふ獅子の春風     二嘨

 獅子神楽であろう。ササラを打ち鳴らす中で獅子が乱舞する。
 獅子舞は能にも取り入れられ、『石橋』では獅子が舞う。ここでは獅子だけに桜ではなく牡丹の中で舞う。

 「獅子団旋の舞楽のみぎん、獅子団乱旋の舞楽のみぎん、牡丹の花房にほひ充ち満ち、たいきんりきんの獅子頭、打てや囃せや牡丹芳、牡丹芳、黄金の蕊、現はれて、花に戯れ枝に伏し転び、げにも上なき獅子王の勢ひ、靡かぬ草木もなき時なれや、万歳千秋と舞ひ納め、万歳千秋と舞ひ納めて、獅子の座にこそ、直りけれ。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.90267-90283). Yamatouta e books. Kindle 版. )

とばかりに目出度く一巻は終了する。

2021年5月2日日曜日

 まあ、誰もが自分の欲望を権利として主張すれば「万人の万人に対する戦い」になるということは18世紀の時代からわかってたことで、そのための社会契約ということで、相互に欲望を制限するために人権思想は生まれたわけで、無制限な権利の主張は結局社会契約を反故にし、社会を「万人の万人に対する戦い」に陥れることになる。そのために「わきまえる」ということは人間として最低限に必要なことだと思う。
 現実にはいわゆる国家や法律や社会制度という形での社会契約は、実生活の細かなところまで立ち入ることはできない。大まかな枠組みを決めるだけで、あとは個々の生存の取引の場で戦わなくてはならない。人生は日々戦いだというのはそういうことだ。(愚案ずるに、ルソーの性善説は人間一人一人の生得的に持つ調整力が「万人の万人に対する戦い」を原始の段階から防いできたということだと思う。)
 法による警察権力が私生活のこまごまとしたところまで介入すれば、それはそれで逆にディストピアだ。日本はそうしないためにも、個々の人間の「わきまえる」ということを大切にしていかなくてはならない。コロナ下の非常時では特に日本人の「わきまえ力」が試されている。なぜなら日本の法律はコロナを抑えるにはあまりにも無力だからだ。
 それと昨日の「亀の甲」の巻の九句目だが、「鶯の寒き聲」を冬だと思って、それに釣られて雪の「かますご」も冬だと思ってしまったが、そのあとの春の「初花」が一句で終わってしまうため、「鶯の寒き聲」は早春としなくてはならない。「かますご」は晩春の季語だが、雪と合わせてここでも早春になり、次の「初花」で晩春に取り成される。
 あと、鈴呂屋書庫に天和三年夏の「故艸」の巻をアップしたのでよろしく。

 それでは「亀の甲」の巻の続き。

 十三句目

   心のそこに恋ぞありける
 御簾の香に吹そこなひし笛の役  探志

 箏か何かを弾きながらお付の者に下手な笛を吹かせることで、それを聞いた笛の上手い男がそれならと来てくれるのを期待しているのだろう。
 十四句目

   御簾の香に吹そこなひし笛の役
 寐ごとに起て聞ば鳥啼      昌房

 下手な笛だと思ったら鳥の声だった。御簾の香に笛の音は夢だった。
 十五句目

   寐ごとに起て聞ば鳥啼
 銭入の巾着下て月に行      正秀

 前句の鳥啼は本物の鳥ではなく夜鷹蕎麦か夜啼うどんであろう。コトバンクの「世界大百科事典内の夜鷹そばの言及」に、

 「…夜間のそば行商がいつごろから始まったかは明確でないが,1686年(貞享3)には,めん類の夜売りが煮売り仲間から独立した業種として認められたばかりでなく,煮売りの筆頭にのし上がった。江戸ではこれを〈夜鷹そば〉,京坂では〈夜啼(よなき)うどん〉と称した。夜売りの期間は,陰暦9月から雛の節句である3月3日までと限られていたが,寛政(1789‐1801)末以降は期限が延びた。…」

とある。
 十六句目

   銭入の巾着下て月に行
 まだ上京も見ゆるややさむ    及肩

 夕暮れに何かの用で巾着を下げて行く。まだ薄明るくて上京の方が見える。
 十七句目

   まだ上京も見ゆるややさむ
 蓋に盛鳥羽の町屋の今年米    野徑

 「蓋」はここでは「かさ」と読む。『芭蕉七部集』(中村俊定校注、一九六六、岩波文庫)の注に「椀のふた」とある。鳥羽は伏見の鳥羽で水運の要衝だった。ここで運ばれてきた新米をお椀の上に掬って吟味しているのだろう。上京が見えるということで京都の南とし、ややさむの季節に今年米を付ける。
 十八句目

   蓋に盛鳥羽の町屋の今年米
 雀を荷ふ篭のぢぢめき      二嘨

 新米が荷揚げされる傍らで、米を食う害獣である雀が焼鳥にされるのか、駕籠に入れられて運ばれてゆく。「ぢぢめき」はぢっぢっぢっぢっぢっぢっと雀が鳴く様。
 雀の焼鳥は今でも伏見稲荷の名物だという。
 二表
 十九句目。

   雀を荷ふ篭のぢぢめき
 うす曇る日はどんみりと霜おれて 乙州

 「どんみり」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「〘副〙 (多く「と」を伴って用いる) 色合いなどが重くうるんでみえるさま、また、空模様が曇ってうす暗いさまなどを表わす語。どんより。どんめり。どみ。
※虎寛本狂言・附子(室町末‐近世初)「黒うどんみりとして、うまさうなものじゃ」

とある。「霜おれて」は霜で草が萎れてということ。
 雀は冬の寒スズメが旨いという。
 二十句目。

   うす曇る日はどんみりと霜おれて
 鉢いひならふ声の出かぬる    珍碩

 「いひならふ」は言い慣れること。古語の「ならふ」は慣れるという意味がある。
 鉢叩きはコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、

 「1 空也(くうや)念仏のこと。
  2 空也念仏を行いながら勧進すること。また、その人々。江戸時代には門付け芸にもなった。特に、京都の空也堂の行者が陰暦11月13日の空也忌から大晦日までの48日間、鉦(かね)やひょうたんをたたきながら行うものが有名。《季 冬》「長嘯(ちゃうせう)(=歌人)の墓もめぐるか―/芭蕉」

とあり京の冬の厳冬期の風物だった。
 日も射さず草木に霜の降りる寒い日は鉢叩きの口もうまく動かない。
 二十一句目。

   鉢いひならふ声の出かぬる
 染て憂木綿袷のねずみ色     里東

 前句を鉢飯習うに取り成して、出家したばかりで初めて托鉢に出る僧としたか。ねずみ色に染めた袷の僧衣を見るのも物憂くなる。
 二十二句目。

   染て憂木綿袷のねずみ色
 撰あまされて寒きあけぼの    探志

 「撰」は「より」と読む。自分の作った歌か句が撰に漏れて寒い朝を迎える。
 二十三句目。

   撰あまされて寒きあけぼの
 暗がりに薬鑵の下をもやし付   昌房

 まだ夜も明けないっ暗がりで薬缶の下の火を焚きつける。
 二十四句目。

   暗がりに薬鑵の下をもやし付
 轉馬を呼る我まわり口      正秀

 「轉馬」は『芭蕉七部集』の中村注に「伝馬」とある。コトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説」に、

 「江戸時代,諸街道の宿駅に常備され,公用の人や荷物の継ぎ送りにあたった馬をいう。古代の駅制にも伝馬の制があったが,その後廃絶した。戦国時代,諸大名は軍事的必要から領国に宿駅を設置し伝馬を常置したが,制度的に確立したのは江戸時代である。徳川家康が慶長6 (1601) 年東海道,中山道に多くの宿駅を指定し,36頭ずつの伝馬を常備させたのが初めで,寛永 15 (38) 年幕府は東海道 100頭,中山道 50頭,日光,奥州,甲州各道中 25頭と定めた。伝馬を使用できるものは幕府の公用,諸大名,公家などの特権者であったが,これには無賃の朱印伝馬と定賃銭を払う駄賃伝馬の2つがあった。」

とある。
 伝馬を呼ぶ声がするので夜明け前に薬缶の下の火を起こして準備する。

2021年5月1日土曜日

  今日は晴れてたが午後から雷が鳴った。一度止んだものの夜にまた雷になった。安定しない天気だった。
 鈴呂屋書庫に「狛犬集」「庚申三猿集」という写真集を作ったのでよろしく。特に意味はないが、ちょっと写真集の機能を使ってみたかった。
 あと、天和二年の「飽やことし」の巻もアップしたのでよろしく。

 さて引き続き『ひさご』から残る一つ、「亀の甲」の巻を読んでいこうと思う。
 発句は、

 亀の甲烹らるる時は鳴もせず   乙州

 かめって鳴くの、と思ってしまうがネットで見ると「レファレンス共同データベース」に、

 「カメには声帯がないので鳴くことはないが、呼吸音や首を引っ込めるときの音が『キュー』『クー』などと聞こえることがあります。
 (参考:『鳥獣虫魚歳時記 春夏』川崎展宏・金子兜太/監修列句選 朝日新聞社 2000年)

とある。
 曲亭馬琴編の『増補 俳諧歳時記栞草』には春のところに「亀鳴(かめなく)」の項があり、

 「[夫木集]川越のをちの田中の夕闇に何ぞときけば亀のなくなり 為家」

とある。
 ただ、この一巻の前に「雑」と書いてあるので、「亀の‥‥鳴もせず」は無季として扱われている。
 亀を煮て食べるというと、やはりスッポンだろう。今日でもスッポン料理の店はある。高価で滅多に食う機会はないが、今でも鍋にして食べる。
 脇は、

   亀の甲烹らるる時は鳴もせず
 唯牛糞に風のふく音       珍碩

 スッポンは当時は高級料理ではなく田舎料理だったのだろう。風に乗って牛糞が匂って来る。
 発句、脇ともに特に寓意はない。発句が無季なので脇も無季で受ける。
 第三。

   唯牛糞に風のふく音
 百姓の木綿仕まへば冬のきて   里東

 木綿は秋に収穫したあと、全部引っこ抜く。これを綿木引きという。これが終わると冬が来る。畑には何もなく、ただ牛糞の風が吹く。
 四句目。

   百姓の木綿仕まへば冬のきて
 小哥そろゆるからうすの縄    探志

 唐臼はウィキペディアに、

 「唐臼(からうす)は、搗き臼の一種。
 臼は地面に固定し、杵をシーソーのような機構の一方につけ、足で片側を踏んで放せば、杵が落下して臼の中の穀物を搗く。米や麦、豆など穀物の脱穀に使用した。踏み臼ともいう。」

とある。
 縄は何に使うかよくわからないが、足踏み式ではなく縄で杵を持ち上げるタイプの唐臼もあったのか。
 綿実油を取るための作業であろう。臼で砕いてから圧搾絞りで綿実油を抽出し、余った粕は肥料にと無駄なく使う。
 小歌を口ずさみながら作業を行う。いわゆる遊郭などで流行する様々な種類の小唄とはまた別ものだろう。多分即興で面白い歌詞を付けたりして笑わせながら仕事をしたのではないか。
 五句目

   小哥そろゆるからうすの縄
 独寐て奥の間ひろき旅の月    昌房

 奥の間で独寝ていると隣の部屋で盛り上がっている小唄に混ざって米を搗く音が聞こえてくる。
 六句目

   独寐て奥の間ひろき旅の月
 蟷螂落てきゆる行燈       正秀

 蟷螂が天井から落ちてきて行燈を消してしまう。
 初裏。
 七句目。

   蟷螂落てきゆる行燈
 秋萩の御前にちかき坊主衆    及肩

 坊主衆は江戸時代にあっては茶坊主のことで、表坊主、奥坊主、数寄屋坊主がいた。
 コトバンクの「世界大百科事典内の表坊主の言及」に、

 「…茶坊主というのも茶の湯坊主の意味である。江戸幕府は本丸,西丸ともに奥坊主,表坊主をおき,剃髪(ていはつ),僧衣で,茶室,茶席を管理し,登城した大名などを案内し,弁当,茶などをすすめ,その衣服,刀剣の世話をさせた。本丸の奥坊主は100人くらい,表坊主は200人をこえたことがあるという。…」

 「江戸幕府には同朋頭(若年寄支配)の配下に茶室を管理し,将軍,大名,諸役人に茶を進めることを職務とする奥坊主組頭(50俵持扶持高,役扶持二人扶持,役金27両,御目見以下,土圭間詰,二半場),奥坊主(20俵二人扶持高,役扶持二人扶持,役金23両,御目見以下,土圭間詰,二半場)100人前後,および殿中において大名,諸役人に給事することを職務とする表坊主組頭(40俵二人扶持高,四季施代金4両,御目見以下,躑躅(つつじ)間詰,二半場),表坊主(20俵二人扶持高,御目見以下,焼火間詰,二半場)200人前後があった(この職は大名,諸役人からの報酬が多く,家計は豊かで,そのため奢侈僭越に流れたという)。また茶室に関するいっさいのことをつかさどる数寄屋頭(若年寄支配)の配下に,数寄屋坊主組頭(40俵持扶持高,四季施代金4両,御目見以下,躑躅間詰,二半場),数寄屋坊主(20俵二人扶持高,御目見以下,焼火間詰,二半場)40~100人ほどがあった。…」

とある。
 ここでは秋の萩の花咲く庭園での夜の茶席であろう。貴人の傍に仕える坊主衆が行燈を持つが、蟷螂が落ちてきて消えてしまう。
 八句目

   秋萩の御前にちかき坊主衆
 風呂の加減のしづか成けり    野徑

 坊主衆にはもう一つ古い意味で「坊」を持つ坊の主の意味がある。コトバンクの「世界大百科事典 第2版の解説」に、

 「日本中・近世の僧侶の一身分。平安末期以降,本来寺院に属すべき僧侶の屋舎が,僧侶個人の私的所有物と化し,その屋舎を坊(房),坊の主を坊(房)主と呼ぶようになった。当初,坊主の称は,坊舎を持たぬ法師などと区別されて使われていたが,室町期以降,宗教施設の差異(寺院,道場)にかかわらず,一般僧侶をも指すようになった。同一坊舎内,あるいは他所に住する,坊主に従う人々を門徒という。坊主と門徒との関係は,法名下付を媒介にした,名付け親と養子・猶子との関係である。」

とある。
 お寺には風呂があることが多く、古くは蒸し風呂だったがこの時代になると水風呂(浴槽のある風呂)も増えてくる。普段お湯加減にうるさい坊主たちも、偉い人の前だと静かになる。
 九句目

   風呂の加減のしづか成けり
 鶯の寒き聲にて鳴出し      二嘨

 まだ寒い中季節外れの鶯の声を聞いて、みんな静かになる。
 十句目

   鶯の寒き聲にて鳴出し
 雪のやうなるかますごの塵    乙州

 「かますご」はイカナゴの別名とされている。一説には京都での呼び方だという。魚は所によって呼び名が変わるために一概に言えないが。
 イカナゴ漁は春のなので、ここでいう「かますごの塵」はそれのさらに小さい孵化したばかりの稚魚のことか。
 前句の「鶯の寒き聲」から、その季節のものを付ける。
 十一句目

   雪のやうなるかますごの塵
 初花に雛の巻樽居ならべ     珍碩

 「巻樽」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「〘名〙 蕨縄(わらびなわ)で巻いた酒樽。進物用とする。
  ※浮世草子・好色二代男(1684)二「庭には金銀の嶋台。巻樽(マキダル)箱肴。衣装の色かさね」

とある。
 「初花」で季節は桜の咲き初めになり、ひな祭りの頃になる。前句の「かますごの塵」をカマスゴのちりめんのことにしたか。
 十二句目

   初花に雛の巻樽居ならべ
 心のそこに恋ぞありける     里東

 ひな祭りを口実に酒を飲ませて、という下心か。