2017年10月23日月曜日

 雨風が強かったのは朝の五時頃までで、そのあとは台風一過で久しぶりに晴れた。
 それでは「猿蓑に」の巻、行ってみようか。
 まずは発句。

 猿蓑にもれたる霜の松露哉    沾圃

 沾圃(せんぽ)は能役者で芭蕉に弟子入りしたのは遅く、元禄六年と言われている。
 五月晦日の、

 其富士や五月晦日二里の旅    素堂

を発句とする興行で、

   家より庭の広き住なし
 晨朝(ありあけ)は汀の楼の水にあり 沾圃

などの句がある。この句は五句目の月の定座ということもあって、庭の広い家から、汀の楼の有明を付けている。
 『炭俵』の「雪の松」の巻の興行にも参加し、

   二三畳寝所もらふ門の脇
 馬の荷物のさはる干もの     沾圃

   わざわざわせて薬代の礼
 雪舟でなくバと自慢こきちらし  沾圃

のニ句を詠んでいる。
 「猿蓑に」の発句もおそらくこの頃のものだろう、「霜」という冬の季語と「松露」という秋の季語が使われているが、芭蕉の脇から冬の句と扱われていたことがわかる。
 「松露」は近代では春の季語になっているようだが、曲亭馬琴編の『増補 俳諧歳時記栞草』では秋の八月の所に、

 「松露 [和漢三才図会]麦蕈(ばくしん)、俗云、松露。沙地、松樹ある陰処に生ず。松の津液と秋湿と相感じて菌となる。繖(かさ)、柄なく、状ち零余子(ぬかご)に似て円く大きし。外褐色、内白く、柔に淡く甘し。香あり。」

とある。
 芭蕉の「軽み」の風の確立される『炭俵』の頃の入門ということもあって、一躍「軽み」の推進者として『炭俵』の次の集、『続猿蓑』の撰者に抜擢される。
 その、『続猿蓑』のタイトルの由来となる句が、この「猿蓑に」の句だと思われる。
 松露は美味で香りも良く、それに霜の降りる様は単なる食材としての松露ではなく、むしろ食材を越えた純粋な冬の景物として哀れでかつ美しく、それが『猿蓑』で詠まれなかったのは残念だ、という句だ。
 蓑笠を失った公界の猿の叫びも哀れだが、類稀なる才を持つ松露が霜に朽ちてゆくのもまた断腸の叫びを思わせる。
 沾圃としては、ぜひこの霜の松露を救うべく『続猿蓑』が編纂されたと、そういう物語を描きたかったのだろう。
 ただ、さすがにこの句を巻頭に据えるのはためらわれたか。この句は沾圃のいない伊賀の地で、芭蕉自身とこれからの蕉門を担う期待の星、支考と惟然との三人で句を付け、『続猿蓑』の飾りとすることで入集することとなった。
 まずは芭蕉がこの句に脇を付ける。

   猿蓑にもれたる霜の松露哉
 日は寒けれど静なる岡      芭蕉

 冬の句の脇ということで「寒けれど」と冬の季語を入れて、霜の松露の背景を添える。あまり自己主張せずに謙虚に発句を引き立てている。
 第三は支考が担当する。

   日は寒けれど静なる岡
 水かるる池の中より道ありて   支考

 これも穏やかな、連歌のような趣向だ。『水無瀬三吟』の八句目、

   鳴く虫の心ともなく草枯れて
 垣根をとへばあらはなる道    肖柏

の句を髣髴させる。肖柏の句は草が枯れて道があらわになるという趣向だが、支考の句は水が枯れて池の中に道が現れるとする。かつては道だったところにいつしか水が溜まり池になっていたのだろうか。
 「道」はもちろん単なる道路ではなく、この世の「道」の含みも感じさせる。
 四句目は惟然。後に超軽みの風を打ち出すが、この頃は普通。

   水かるる池の中より道ありて
 篠竹まじる柴をいただく     惟然

 山に柴刈りに行くと、そこに笹も混じってくる。芭蕉の『奥の細道』の途中山中温泉で詠んだ、「馬かりて」の巻六句目、

    青淵に獺(うそ)の飛こむ水の音
 柴かりこかす峰のささ道     芭蕉

をより穏やかに流した感じか。

2017年10月22日日曜日

 今日は旧暦の九月三日。これから大きな台風が来る。台風は来ても選挙は無風。まあ、予想通りだが。
 元禄七年のこの頃は、芭蕉はまだ伊賀にいる。九月三日には支考と斗従が伊勢からやってきた。

   伊勢の斗従に山家を訪はれて
 蕎麦はまだ花でもてなす山路かな  芭蕉

の句を詠む。「夏蒔きの蕎麦も山奥となればさらに遅く、旧暦九月にようやく花が咲く。」と以前、2017年6月24日の鈴呂屋俳話に書いたのでそちらの方をよろしく。
 九月四日の夜には支考、斗従を交えて、

 松茸や知らぬ木の葉のへばりつき  芭蕉

の発句で九吟歌仙興行を行う。松茸に熱燗なら大阪談林だが、松茸にへばりつく木の葉というあるあるネタに走るのが蕉風だ。
 支考の『芭蕉翁追善日記』によると、この興行は九月四日だが、同じ日に、

   戌九月四日会猿雖亭
 松風に新酒をすます夜寒哉     支考

を発句とする五十韻興行が行われている。一日に二つの興行、それも一つは五十韻となるとかなりハードで、「松茸や」の方は別の日だったのではないかと思う。「松茸や」の興行が夜だったなら、「松風に」の五十韻興行は昼間行われたことになる。
 そして、この日に芭蕉は松茸の句と酒の句を別々に詠んだことになる。

 花にうき世我が酒白く飯黒し    芭蕉

は天和三年の句で、この頃は白い濁り酒を飲んで、玄米の飯を食っていたのだろう。その後、もろみを原酒と酒粕に分けることで透き通った酒を造る「清酒」が広まったのであろう。ただ、今日のような炭素濾過を行わないので、まったくの無色透明ではない。
 九月四日よりは多分少し後だろう。

 猿蓑に漏れたる露の松露かな    沾圃

を発句を基にした、芭蕉、支考、惟然の三吟歌仙興行が行われている。こちらの方は『猿蓑』に収録されている。
 さて、そろそろまた俳諧を読もうと思うが、「猿蓑に」の巻は『校本芭蕉全集』第四巻(宮本三郎校注、1964、角川書店)だけでなく、『連歌俳諧集』(日本古典文学全集32、一九七四、小学館)にも解説があるので、まずこれを読んでみようかと思う。

2017年10月20日金曜日

 宗砌『初心求詠集』の最初の方に、こう書かれている。

 「一、連歌は言葉かかりを元にして、心をもとむる事なかれ、いかに心面白くとも詞下賤(げす)しく、かかり幽玄ならずば徒事なり、されば摂政殿も、レンガは先かかり第一也、かかりは吟なり、吟はかかりなりと仰せられけるにや、」

 摂政殿というのは二条良基公のことで、確かに二条良基の『連歌十様』には、

 「一、連歌ハカカリ・姿ヲ第一トスベシ、イカニ珍敷事モ、姿カカリ悪クナリヌレバ、更ニ面白モ不覚、譬ヘバ微女ノ麻衣キタルガゴトシ、ヤサシク幽玄ナルヲ先トス、雪月花ノ景物ナリトモ、コハゴハシキハ徒事ナリ、是ヲ心得分ベキ物ナリ、」

とある。ただし、「心をもとむる事なかれ」とは言っていない。『連歌十様』の方はこう続く。

 「ニ、連歌は心ヲ第一トスベシ、古事ヲ新クスルヲ吉トスベキニヤ、強チニ珍敷事不可好、一字二字ニテ新シクナル也、是第一用心也、‥略‥」

 また、同じく二条良基の『連理秘抄』には、

 「一、心を第一とすべし、骨のある人は意地によりて句柄の面白き也、ただ寄合ばかりを多くおぼえて、古材料をさし合わせて取立てたるばかりにて、我が力の入ぬは返々面白き所のなき也、」

とある。
 「心」という言葉は多義で、かつては単に「意味」という意味でも用いられた。更には日本の心だとか風雅の心だとか、精神論にも用いられる。
 宗砌が『初心求詠集』で言おうとしたのは、連歌は先ず言葉の続き具合が正しく、上句下句合わせたときの文法的なつながりの正しさを第一とし、それが内容として面白いかどうかというのはその次だという意味ではないかと思う。
 先ずは繋ぐことが肝心。それは蹴鞠に近いかもしれない。蹴鞠はいかに鞠を蹴るテクニックを競おうとも、基本的にはパス回しで、相手が取れないような球を蹴ってはいけない。サッカーのシュートではなく、あくまで輪になってみんなで鞠を落とさないように蹴る一種のリフティングにすぎない。そのなかでテクニックを競う。
 戦後の高度成長期には会社や学校の休み時間にバレーボールの円陣パスをするのがはやった時期があったが、あれに似ている。あくまでパスをつなぎ、いかに落とさないように続けるかが大事で、テクニックは二の次になる。
 連歌も基本的には百韻・千句続けることがメインで、一句一句の面白さはその次ということが肝心だったのだろう。だから、ネタとしての面白さにこだわらずに、先ずはきちんと意味が通っているかどうかだったのだろう。
 文法的に正しく意味がきちんと通れば、とりあえずは合格点で、あとはまず続ける。百韻・千句興行ともなれば、一句付けるのに考える時間はない。その中で時折面白い句が生まれればそれで良かったのだろう。
 おそらく、江戸時代でも延宝の頃の談林俳諧までは百韻興行が主流で、井原西鶴の大矢数興行などもあったように、一句一句の意味よりも、どれだけ早く長く続けられるかの方に重点が置かれていた。
 おそらく書物の普及がこうした連句の本来のあり方を変えていったのだろう。書物にするには紙を節約したい。少ない紙面でいかに面白くするかということに知恵を絞れば、自ずと一句一句のネタとしての面白さが要求される。早く長くということに意味がなくなり、一句の意味が重視されれば、歌仙のような短い形式にならざるを得ない。
 蕉門は一句一句の意味の濃さという点では、俳諧を一つの頂点にまで導いたが、結局は俳諧の衰退の始まりになった。バレーボールでも円陣を組んでパスを廻すだけなら誰でも気軽に参加できる。ところが試合となるとそうはいかない。上手い下手がはっきり分かれてしまう。
 俳諧興行も、すばやくさくさくとつけて行きあまり内容にこだわらない興行なら、誰でも気軽に参加できた。それが一句一句に何か面白いネタだとか、深い精神性なんかを要求されるようになると、みんな一句毎にうんうん呻って考え込んでしまう。本来楽しく談笑する場であった興行の席が、みんな俯いて呻ってばかりでちっと進まず、歌仙一つ巻くのに何日もかかってしまうような状況が、蕉風確立期の蕉門に既に生じていたのではないかと思う。これでは興行は楽しくない。興行というよりは苦行だ。
 そうなってくると、今度は言葉のかかりや文法なんてどうでもよく、とにかくネタとして面白ければいいのなら、別に句を連ねなくてもいいんじゃない?ってことになる。こうして前句付けが流行し、それがやがて川柳の流れを生んでゆくことになる。
 芭蕉はこうした動きに対抗するために、『奥の細道』の旅を終えたあと、「軽み」を提唱して、何とか句を楽につけられるようにと工夫をしてゆくのだが、結果としては文法的にあやふやな、付いているのか付いてないのかわからないような句が多くなってゆくことになった。
 江戸中期になると、句と句とのつながりはほとんどどうでも良くなり、だんだんと近代連句のような連想ゲームに陥ってゆく。江戸後期の蕉門俳諧の注釈は、そうした混乱の中で書かれている。
 宗砌はこうした三百年後の連句の行方を読んでいたかのように、「心をもとむる事なかれ」と言い捨てている。連歌は続けることに意味があるのであり、意味に固執すると衰退することをあたかも知っていたかのようだ。
 ただ、宗砌のこの考え方は一般的ではなかった。一般的には二条良基公のように、かかりも心も両方第一だったのだろう。あまり奇抜なネタに走るのは「心」ではなく「意地」によるものだと認識していた。

2017年10月19日木曜日

 今日も一日雨ざあざあ降っていた。だいぶ冷えてきた。

 「一、韻てにはの事
     しめぢが原はのこるかれ草
   そのちかひちちの仏をただたのめ
  ただたのめしめぢが原のさしも草我世の中にあらんかぎりは
     衣やうすき鳴くらす蝉
   月にをく霜には秋のよやさむき
  夜やさむき衣やうすきかたそぎの行合のまより霜やをくらん
     もろく成行花の夕風
   うきをしる袖の涙の日にそへて
  嵐ふく峯のもみぢの日にそへてもろくなり行我涙かな
     床のうづらをたつるかり人
   はし鷹のつかれの草を犬がみや
  犬がみや床の山なる不知川いさとこたへて我名もらすな
     いなばのうへに風わたる也
   月になる夕の雲の立わかれ
  たちわかれ因幡の山の峯におふる松としきかば又かへりこん
 ただ頼めしめぢと続け、夜さむき衣うすきと言ひかけ、日に添へてもろくとなづらへ、犬がみや床とつらね、たち別れいなば、いづれもやさしく心ありて、真実羨ましくおぼえて候也、いづれもいづれも心にかけられ候はば、自然とかかるてにはも寄りくる事もあるべく候也」

 「韻てには」は「歌てには」ともいう。下句の頭が「しめぢが原」だったら、『沙石集』の、

 ただ頼めしめぢが原のさしも草
    われ世の中にあらん限りは

の歌を思い浮かべ、上句の末尾を「ただ頼め」にして上句下句が「ただ頼めしめぢが原の」と歌の一説で繋がるように詠む。
 「もろく成行」に「日にそへて」を付ける例は、二条良基の『知連集』にも「歌てには」の例として挙げられている。
 現代的にするなら、

   皇帝ペンギンつらい絶食
 突然にプリンセス脱出したし

 さて本歌は何でしょう?

2017年10月16日月曜日

 今日は旧暦八月二十七日で葉月ももうすぐ終わり。今日も一日雨だった。

 「一、重付事
     いたくな吹そ山の夕かぜ
   露のぼる草の庵の板びさし
     しめぢが原はただ秋の草
   うき夕袖を涙になをしめて
     とひてやゆかんさ夜の中山
   さやかにも道はおぼえずふる雪に
     あまりにうきは深山べの里
   袖はよもほすひまあらじ雨そそぎ
     いくたびおしむ命なるらん
   これぞ此人のたづねし生田山
     もしやと後をたのむ玉づさ
   あま人のかくとはこれかもしほ草」

 「重付事」は「重ねてには」とも言う。上句の末尾と下句の頭とで同じ音を重ねて付ける付け方で、「板びさし→いたくな」「なをしめて→しめぢが原」と付く。
 三番目の例は上句の頭の「さやかにも」に下句の末尾の「さ夜の中山」と付く変則的な重ねてにはになっている。
 あとは「雨そそぎ→あまりに」「生田山→いくたび」「もしほ草→もしや」と付く。
 これは和歌の序詞から来たものと言えよう。

 かくとだにえやは伊吹のさしも草 
    さしも知らじな燃ゆる思ひを
               藤原実方朝臣
 みかの原わきて流るる泉川
    いつ見きとてか恋しかるらむ
               中納言兼輔

 現代的にするなら、筆者が昔作った歌だが、

 寝ころべば凍りつくよなアスファルト
    明日のことなどわすれていよう

のようなものか。

 「一、かけてにはの事
     山にかかりて雲やたつらん
   是までは遠きをきつるけふの道
     とくなる御法みな人のため
   これや此たえなるはちす花のひも
     ひく心こそうき中にあれ
   とほるべき暮をいつとかしらま弓
     涙こぼるる袖の上かは
   秋さむき戸ぼその雨のはらはらと」

 重付(重ねてには)は言葉の音の一致または類似でつなぐが、掛けてにはは意味のつながりの縁でつなぐ。「けふの道→山にかかりて」「ひも→とく」「弓→ひく」「はらはらと→涙こぼるる」

2017年10月15日日曜日

 今日も一日雨降りだった。
 それでは宗砌『初心求詠集』の続き。

 「一、ながらにて付事
     関こそやがて遠くなりぬれ
   秋風の山吹こゆる声ながら
     柴の戸さむく秋ぞしぐるる
   露のもる軒ばの松の風ながら
  一、とがめながらにて付事
     又時雨行秋にこそなれ
   嵐ふく雲まの月の影ながら
     苔の衣の春としもなし
   桜さく山の陰には住ながら」

 「ながらにて」の方の「ながら」は「とともに」というような意味で、秋風の山を越える音とともに関所も遠くなる、露漏る軒端の松風とともに柴の戸は時雨れる、と付く。
 これに対し「とがめながら」の方の「ながら」は「なのに」というような意味で、前句に対して否定するような状況が付く。月の影はあるのに又時雨行く、桜咲く山陰に住んでいるのに苔の衣には春もない、と逆説的に展開させるあたりは、咎めてにはの一種といえよう。
 「咎めてには」については、二条良基の『知連抄』には、

 「六、咎てには、たとへば(下句に)、
     こころのままによしやつらかれ
   ちかづけばとをざかるぞときくものを
   身をしらでさのみにしたふものあらじ
   しのぶには月さへ人の関路にて
 此三句、みな心のままに付侍也、」

といった例が記されている。恋のつらい心に対し、近づけば遠ざかるというのに、身の程を知らずに恋なんかするから、お忍びで通うにも月明かりは関所のようなもの、と「よしやつらかれ」の原因を咎めて付けている。
 また、

    「つれなき人のなどやとひこぬ
   ならぶ木の花に風ある庭の松
   有明の月いづるまで待つるに
   あふ事も後の世まではいざしらず」

の例をも挙げて、「庭の松」は「咎めぬてには」とし、「有明」の方は「咎めてには」としている。「有明の月が出るまで待っているというのに」という言葉には、つれなき人を咎める意味が含まれている。
 梵灯庵主の『長短抄』には、

 「六、咎テニハト云は、例エバ
     恋セヌ人ヨナニヲモフラン  ト云ニ
   待テコソウキ夕暮ト成ニケレ
  又云 ワレノミゾキク庭ノ松風  ト云ニ
   捨人ノ跡ニウキ身ヤノコルラン
 此等ハ咎テニハナリ、恋セヌ人ヨナニヲ思ゾ、我ハ待コソ憂ケレト咎メタルテニハ也、又我ノミ松カゼヲ聞トアルニ、身ハ捨人ノ跡ニ残リタリト咎メタルナリ」

とある。
 現代語ならこういう感じか。

   今日も一日雨降りだった
 暇だから借りた漫画を読みながら

では咎めてないが、

   今日も一日雨降りだった
 思いつく楽しいこともありながら

だと咎めたことになるか。

2017年10月14日土曜日

 昨日今日と小雨がしとしと降り続けた。こんな日がしばらく続くのかな。
 とりあえず、宗砌『初心求詠集』の続き。

 「一、上下らんを付てちがふ事
     袖や涙のはてをしるらん
   別ては又あふことをたのむ身に
     人の心はさらにたのまず
   しら菊やうつろふ中にのこるらん
     暁しれと鳥やなくらん
   寺遠き里には鐘の音もなし
     人の心のなき世なりけり
   散のこる花をば風やおしむらん
     うきやあしたの別れなるらん
   夕暮はまつに心のなぐさみて
     ふりぬる橋は末もつづかず
   その名をば富士の煙やのこすらん」

 これは、下句の「らん」に上句を付けるときは「らん」を疑問に取り成し、下句に上句の「らん」を付けるときには「らん」を反語として用いることをいう。
 「別ては又あふことをたのむ身に」つまり未練が残る身には袖に涙が果てることがあるだろうかと疑問に取り成し、「人の心はさらにたのまず」に「らん」で上句を付けるときには、白菊は残るだろうか残るはずもない、人の心はさらに、と付く。
 暁知れと鳴く鳥も、鐘の音がないから鳥で知るのだろうかとなり、人の心のなき世は、風も散る花に容赦なく吹くはんとなり、「惜しむらん」は反語になる。
 朝には別れになるだろうか、という前句には夕暮れは待つに心の慰めてと違えて付け、古い橋は富士の煙の消えてゆくように後に残らないと付く。
 ただ、実際の連歌では、下句が疑問、上句が反語と決まっているわけではない。ただ初心者にはその方がつけやすいということだろう。
 文和千句第一百韻の九句目

   里こそかはれ衣うつ音
 旅人のまたれし比や過ぬらん   救済

は上句を疑問で付けている。み
 水無瀬三吟の五句目、

   船さす音もしるき明け方
 月やなほ霧渡る夜に残るらん   肖柏

は反語の「らん」で付けている。
 水無瀬三吟の四十三句目、

   月日のすゑやゆめにめぐらん
 この岸をもろこし舟のかぎりにて  宗長

の前句の「らん」は疑問になっている。
 文和千句第一百韻の四十七句目、

   我が家々も春やきぬらん
 老らくの身にあらたまる年はなし 救済

の場合は前句を春なんて来やしないと反語にして、あらたまる年もなしと展開する。

 「一、もにもにて付事
     入あひの鐘もけふは聞えず
   花散し後には風も別にて
     人のたもとも露やをくらん
   うき秋は身にもかぎらぬ夕にて」

 これは「はにはをもて付事」と似ている。何々も何々なら何々も何々だ、という付け方だ。
 いがらしみきおの漫画『ぼのぼの』のアライグマの父さんの台詞「青い空も嫌いなら白い雲も嫌いだ」を連句にするなら、

   雲の白きも嫌うべきなり
 青い空それを厭うも道理なら

って感じか。