2017年10月13日金曜日

 梅雨空に『九条守れ』の女性デモ よみ人知らず

 この句の裁判の判決が出たという。「理由を十分検討しないまま掲載しないことにしたと推認するのが相当だ」ということで、5万円の支払いを命じたが、「公民館だよりという特定の表現手段を制限されたにすぎない」として掲載請求は認めなかったという、まあとりあえず中を取ったという形だ。
 この句をネットで調べたが、作者の名前(俳号)が見当たらなかったので、とりあえず「よみ人知らず」と記した。まあ、本当にこの俳句を世に広めたいなら、別に公民館だよりへの掲載にこだわらなくても、ネットで堂々と自分の俳号を記して公開すればいいことで、こう言っちゃ何だが、わざわざ裁判にするために作られた句なのではないかと疑いたくなる。
 確かにこの句は九条デモを肯定も否定もしていない。だから、あえてこれに脇を付けるなら、同じように事実で返すのがいいだろう。

   梅雨空に『九条守れ』の女性デモ
 行き交う人の顔の涼しさ

 この女性デモは見てないが、たまたま新宿へ行ったときに、伊勢丹前の九条デモとやらを見たが、道行く人は関わりになりたくないかのように素通りしていた。デモ隊のほとんどはいわゆる団塊世代の人たちで、いかにもプロ市民というオーラを放っていた。デモ隊は伊勢丹の交差点からビックロの前にかかるかかからないかくらいの人数で、その後ろにできた広い空きスペースで右翼と思しき人が幟を立てていた。
 俳諧の言葉は基本的には多くの人が共有できるような共通の体験に根ざした言葉を作り上げることにあり、分断を煽るような言葉は好ましくない。その意味で、この句は「俳諧」としてみるなら良い句とは言えない。

 まあじじいネタはこれくらいにして、『初心求詠集』の続きに行こう。

 「一、物をにて付事
     鳥はいづくの夜はになくらん
   別をばわが心にもしる物を
     末みじかきは庭の若草
   出しより日影はながくなる物を」

 「物を」は何々になってしまうのになぜ、というようなニュアンスになる。これは咎めてにはに近い。
 咎めてにはというのは前句の作者を咎めているのではない。連句の前句にはもとより人格はない。ただ、前句の解釈の一つの思いがけない可能性を引き出すことが重要で、前句の本来作られた意味が何であったかはどうでもいい。
 例に挙げられている句は、前句を惜しみ、それに対して無常な現実を突きつけるというふうに付けている。夜に鳴く鳥には朝になれば別れが来る物を、秋になって生えてきた若草は育つ前に影ばかり長くなる物を、という具合に、前句の中から惜しむべき残念なという情を引き出して付けている。
 もし「薄が原は銀の輝き」という前句から「物を」で展開を図ろうとするなら、銀の輝きに何か惜しいという情を見出さなくてはならない。

   薄が原は銀の輝き
 木枯らしにやがては寂びて行く物を

みたいな感じか。

2017年10月12日木曜日

 今日も引き続き宗砌の『初心求詠集』から、連歌の「てには」について見てみよう。

 「一、はににをもて付事
     うらの夕はけぶりなりけり
   霞たつ春のあしたとおもひしに
     月にはいとふ秋のむら雲
   花を見る春はのこれと思ひしに
     春は猶ある入あひの鐘
   身をなげく心も今はつきぬ日に」

 前回の「はにはをもて付事」だと、何々は何々で、何々は何々と並列する形になるので展開としてはそれほど大きくならない。大きく展開させたい時には、「何々だというのに、何々は何々」というふうに展開させる。
 たとえば、前回の「薄が原は銀の輝き」だったら、

   薄が原は銀の輝き
 荒涼とした風景と思いしに

みたいな感じか。現代語だとあまり「しに」という結びはないので、

   薄が原は銀の輝き
 荒涼とした風景と思ったが

の方がいいか。
 『初心求詠集』の例句の方も、朝の霞かと思ったら夕べに漂う煙だった、と違えて付けている。月には嫌う雲も花の雲なら残れという、も同様に月に花と違えて付けている。もう一つも、嘆きが尽きないというのに春は、と付く。
 違え付けにするのなら、

   薄が原は銀の輝き
 夕暮れの菜の花の土手俤に

なんてのはどうだろうか。

 月にはいとふ秋のむら雲
 春は猶ある入あひの鐘

 この二つの「は」は単なる主格の「は」ではなく、係助詞になっている。係助詞というと学校では「や」「か」「ぞ」「こそ」の四つしか習わないが、「は」も「も」も係助詞になる。
 この二句は、

 月にいとふは秋のむら雲
 春猶あるは入あひの鐘

と言い換えることが出来る。
 「も」の場合も、たとえば、「春立つらしも」は「春もたつらし」に替えることができる。

 今日ばかり人も年寄れ初しぐれ  芭蕉

の句も、「今日ばかり人年寄るも初しぐれ」が「今日ばかり人も年寄る初しぐれに」なり、それをさらに「年寄れ」と力強く命令形に変えた形になっている。並列の「も」ではなく強調の「も」、いわゆる「力も」はこうした係助詞的用法がもとになっている。

2017年10月11日水曜日

 今日は宗砌の『初心求詠集』の続き。岩波文庫『連歌論集 上』(伊地知鉄男編、一九五三)より引用。
 係助詞「ぞ」も基本的には「こそ」と同じように否定の句を付けることが出来る。「何々ではなく何々ぞ」という風に繋がる。

 「一、ぞ付の事、こそ付と同心なり。
     霞をわけて水ぞながるる
   花さそふ風は心もなかりしに
     月の夜さむく風ぞきこゆる
   千鳥鳴くしほひは浪の音もなし
     露にぞもとの袖はぬれける
   捨る身は物おもふべき秋もなし」

 風は心無いが水は流れて心ある。
 波の音はないが風は聞こえる。
 世を捨てるのだから涙なんかない(はずだが)、露に袖は濡れる。
 どれもわかりやすい付けだ。初心者はこれを覚えておくだけである程度連歌に参加できたのだろう。

 「一、そにて付事
     程なく行や舟路なるらん
   くるしきぞ野山を分る心なる
     秋の時雨はふるとしもなし
   今夜又月にぞ袖をぬらしつる」

 これも「こそ」の時と同じで、苦しいのは野山を踏み分けてゆくのと同じで、船路だと程なく行くのだろうか、そんなことはない、と前句を反語に取り成す。
 時雨は降らないというのを受けて、月にぞ袖をぬらしと付くのも、同様に、否定に対し肯定で付ける。
 江戸時代になると係助詞の使用頻度はかなり減る。こうしたてにはで付ける技法は廃れてしまったようだ。

 「一、はにはをもて付事
     草の庵りはあり明の月
   岩屋にはいかが吹らん秋の風
     よそなる里は又鐘の声
   野を行ば露と霜とに袖ぬれて
     月はいづくの空を行らん
   秋の夜は時雨に成て明にけり
     しほひの雪はのこるともなし
   影うすき朝の月はなを見えて」

 これは「何々は何々、なら何々は何々だろうか」という並列する付け方になる。
 たとえば、「薄が原は銀の輝き」だったら、

   薄が原は銀の輝き
 夕暮れは金の光になるだろか

みたいな付け方だ。

2017年10月10日火曜日

 昨日は箱根千石原へ薄を見に行った。昔(70年代)遠足でバスで通ったときには随分広いところだと思っていたが、今見ると山の麓のほんの一角に過ぎなかった。大人になったせいで小さく見えるのか、それとも薄が原が縮小したのかはよくわからない。それでもきちんと保存されているせいか、他の雑草もなく見事な薄が原だった。
 薄は青い葉と白い穂が日の光に輝いていて銀の野原だった。きれいなのは穂だけでなく、葉に反射する光も大事だとわかった。これが一ヶ月もすると枯れ薄となって金の野原に変るのだろう。
 江戸時代の人は薄が原は当たり前の景色だったのか、

 面白さ急には見えぬ薄かな     鬼貫

という句もある。失われてみると、まとまった薄の群生を見るだけで圧倒される。
 揺れる薄は手招きするが如くで、

 何ごとも招き果てたる薄かな    芭蕉

 風に揺れれば、

 ぞっとするほどそよかかる薄かな  額翁『伊達衣』
 一通り風道見する薄かな      等盛『伊達衣』
 秋の野をあそびほうけし薄かな   李由『韻塞』

 ただ、昔は川原などに野ざらしが落ちていたりしたせいか、死を暗示するものでもあった。月や鹿は付き物。

2017年10月8日日曜日

 今日はちょっと趣向を変えて、中世連歌の付け筋を見てみようと思う。
 宗砌の『初心求詠集』はタイトルのとおり、初心者向けの解説で、今日の連歌に興味持つ者が学ぶにはちょうどいい。
 そのなかで「てには」の使い方について、いかに中世の人が研究していたかを見てみよう。

 「一、こそ付の事
     風こそのこる花をたづぬれ
   山里を春に契し人はこで
     霜こそむすぶ枕なりけれ
   寒夜の鐘の音には夢もなし
     あまりあるこそうらみなりけれ
   あふ夜はのやかてはなどや明ぬらん
 是は各々、こそに当りて付たるなり、口伝あり、」

 前句が「こそ」でもって強調されているときは、「何々ではなく、何こそが」という風に、前句に否定するべき内容を持ってくる。
 「風こそのこる花をたづぬれ」、残った花を尋ねてくるのは風だけとなれば、何かが尋ねてこなくて風だけがと展開できる。そこで「契りし人はこで、風こそ」となる。
 「霜こそむすぶ枕なりけれ」、枕に結ぶのは霜だけとなれば、何が結ばずにということを付ければいい。寒い夜の夜明けを告げる鐘の音には、すっかり夢も醒めてしまい、霜だけが、となる。
 「あまりある」は度を越えたということで、この場合は度を越えてない、常のことを付ければいい。愛しい人と逢う夜半は何ですぐに明けてしまうのだろうか、それにしても短すぎる、と付く。
 湯山三吟の十三句目に、

   世にこそ道はあらまほしけれ
 何をかは苔のたもとにうらみまし   肖柏

という句があるが、これもまた、「こそ」に否定の「うらみまし」を付け、夜を捨てた苔の袂にではなく世にこそ道は、と付く。

 「一、こそをもて付事
     霜にみゆるや枯野なるらん
   雪にこそ山の遠きはしられけれ
     雲の残るや又時雨らん
   我をこそふりぬる身とはおもひしに
     あまや衣をなをぬらすらむ
   心ある人こそうきをしるべきに」

 これは逆に「こそ」を付ける方法で、前句が「らん」止めで疑問だった場合には、反語に取り成して「何々だろうか、そうではない、何々こそ」と付ける。
 霜が降りているように見えるのは枯野だろうか、そうではない、雪だからこそ山がまだはるか遠くだとわかる。
 雲が残っているが又時雨になるのだろうか、そうではない、雲は煩悩の雲で自分自身にこそ時雨がふっているからだ。
 海女は衣をさらに濡らすのだろうか、そうではない、衣を濡らすのは心ある都人でなくてはならない。
 ただ、『水無瀬三吟』の十三句目、

   移ろはむとはかねて知らずや
 置きわぶる露こそ花にあはれなれ   宗祇

の場合は前句の「や」を反語ではなく疑問に取り成し、「花に置きわぶる露こそあはれなれ、移ろはむとはかねて知らずや」としている。「あわれなれ」「かねて知らずや」で、ちゃんと繋がっている。これは「初心」ではなく高度な付け方だ。
 どちらも、上句と下句がきれいに繋がるように工夫されている。

 山里を春に契し人はこで風こそのこる花をたづぬれ
 寒夜の鐘の音には夢もなし霜こそむすぶ枕なりけれ
 あふ夜はのやかてはなどや明ぬらんあまりあるこそうらみなりけれ
 雪にこそ山の遠きはしられけれ霜にみゆるや枯野なるらん
 我をこそふりぬる身とはおもひしに雲の残るや又時雨らん
 心ある人こそうきをしるべきにあまや衣をなをぬらすらむ

 こういう上句下句合わせてすらすらと読み下せる付け方を中世連歌では良しとした。そのために「こそ」は否定か反語で受け、「らん」は反語にして「こそ」で付けるというのが、一つの付け筋とされていた。

2017年10月5日木曜日

 今日は日系イギリス人のカズオ・イシグロさんのノーベル文学賞受賞ということで何かコメントしてみたいけど、正直このごろはラノベ以外の小説はほとんど読んでないので、カズオ・イシグロの名前も実は初めて聞いた。代表作の「わたしを離さないで」も、そう言われてみればそんな映画があったかなくらいの認識だ。
 ただ、テレビのニュースを聞いていると、しつこく「臓器移植の提供者となるために育てられた若者たちが」を繰り返してたが、こういうのって本来なら一体どんな施設なんだろうなんてあれこれ考えわくわくしながら読むもので、最後になってそうだったのかと驚き感動するはずなのに、メディアの報道ってなんでこうネタバレに無関心なのか。
 まあ、大体文学者というのはネタバレに関しては無神経なもので、大事なのは内容で、展開の仕方についてはほとんど関心がない。
 俳諧でも、

 うらやまし思い切るとき猫の恋   越人

の句が、何で「思い切るときうらやまし猫の恋」ではいけないのかわからないなどと言う。
 越人の原案はまだ最後に「猫の恋」で落ちにしているが、これが「猫の恋思い切るときうらやまし」では面白くもなんともない。

 斬られたる夢はまことか蚤の跡   其角

 こういう句も順番は大事で、これが「蚤の跡斬られたる夢まことなり」では目も当てられない。
 だが、かつてほんのちょっとネットの現代連句のサイトにお邪魔した時、

 ダッチオーブン棚にはばかる    春蘭

なんて句が出てきたとき、ちがうでしょ、「棚にはばかるダッチオーブン」でしょと言ってみたものの、なにやら分けのわからない理屈をこねて自分を正当化していた。

 今年竹面妖な皮ぬぎにけり     ゆうゆ

という発句もあったが、これも惜しい。何で、

 面妖な皮ぬぎにけり今年竹

にしないんだ、と思ったが、ネタバレに無関心なのはこういう自称文学者気取りの連中なのだろう。
 イシグロさんのようなノーベル賞を貰うような世界的なベストセラー作家は、こういう過ちはしないし、それを人を煙に巻くような理屈でごまかしたりはしない。所詮は売れない連中のすることだ。
 『源氏物語』でも「末摘花」巻は、本来どんな女の人なんだろうかとあれこれ想像しながら読むから、あの落ちが利いてくるのだが、今じゃ学校の授業のせいでみんな落ちを知ってしまっている。
 野村美月さんの『ヒカルが地球にいたころ……』の「末摘花」はその点よくできていた。最後まで正体は誰だろうとはらはらさせる展開で、オリジナルの『源氏物語』の「末摘花」巻をよく理解しているという感じだった。
 自慢じゃないが学校の古典の時間は大体居眠りしていたので、こやん源氏を訳す時に、「夕顔」巻や「若紫」巻は結末を知らなかったから、結構楽しく読むことが出来た。「末摘花」巻はその点ではがっかりだ。

2017年10月3日火曜日

 明日は十五夜だが、今日の月はまだ満月にはまだまだだ。うっすらと雲がかかり、雲の中を月が通り過ぎてゆく眺めは悪くはない。
 お月見というと、

 盲より唖のかはゆき月見哉    去来

の句をふと思い出す。「かはゆ」は本来の「可哀相」の意味で、今日の「可愛い」の意味ではない。
 目の不自由な人よりも発話に不自由な人のほうが可哀相だというこの句は、一般的には、名月を見れない人よりも名月を見て何も言えない人のほうがかわいそうだ、という意味に解されている。
 今日のように月見が個人的なもので、いわゆる天体ショーとして捉えられる場合は、月そのものが大きな感動を与えるかのように錯覚するかもしれない。
 しかし近代化の前の人たちにとって、月はもっと身近なもので、月の明るさは生活を左右するものだった。月が明るければ夜通し起きて飲めや歌えのどんちゃん騒ぎをしたり、平安貴族の若者たちは、ここぞとばかりに恋人のもとへと通い、楽器を共に演奏したりするいわゆる「あそび」を行ったり、時にライバルとかち合ったりした。
 月の夜はみんなで起きていて音楽や物語などを楽しんだりしたならば、耳が研ぎ澄まされていて音楽に類稀なる才能を発揮する目の不自由な人や、文字に頼らない記憶力でたくさんの物語を記憶している琵琶法師など、案外月見の席で目の不自由な人はスターだったのではないかと思う。
 芭蕉も貞享三年に、

 座頭かと人に見られて月見哉   芭蕉

の句を詠んでいる。これも俳諧興行の席で古の風雅から最新の流行まで雄弁に語る芭蕉さんに、そんなに口が上手いなら琵琶法師にでもなれよと言われたとか、そういうことだったのではないかと思う。そうやって座を盛り上げている時というのはえてして月を見ている暇がないものだ。
 だが、だからと言って月見の席で終始無言な人が可哀相かというと、そんなこともないだろう。去来の「唖のかはゆき」の句は『去来抄』に「事新敷(ことあたらしく)感ふかしといへど、句位を論ずるに至てハ甚(はなはだ)下品也。」とあるように、その場の流行の句としては受けたけど、句としてはたいしたことない。(「下品」という言葉は今日でいうお下劣という意味での下品げひんではなく、『文選』の上品、中品、下品という分類によるもの。)
 この句の疵は月夜の座頭の意外な活躍を見出したまでは良かったが、「唖のかはゆき」は余計だったという所にある。芭蕉の風雅勝れり。